Find a Way
◼︎ 居酒屋〔葵〕にて
宵の口、御磨花市 の芳羅町 にある居酒屋〔葵〕に良太と桜庭の姿があった。
店主一人でやっているこぢんまりとした庶民的な店内。その奥まった座敷にガタイのいい青年二人が押し込まれるようにして座り、顔を突き合わせている。
「ま、なにはともあれ良かったじゃねえか、榊さん地元に戻ってくるかもしれないんだから」
桜庭は胡座を組み直してそう言った。
戻ってくるかも──まだ確定ではない。
きっちりとその日の仕事を終え桜庭に連絡をした後、良太は小田桐洋菓子店へも電話をかけた。
電話を取ったのは小田桐麗子だった。良太が何か聞くまでもなく彼女は、
「榊くんのことでしょ。あとで話すから、葵に来い」
と先手を打ったのである。
奇しくも麗子が指定したのはこの居酒屋で、二人は彼女の合流を待っていた。
玄関の引き戸に取り付けられた鈴が、ちりん、と鳴る。黒のライダースジャケットにジーンズといういでたちの女、麗子の来店である。
「チッス、お疲れ様です」
条件反射で胡座から正座へと姿勢を正し、良太と桜庭は同時に会釈をした。
「あたし、レモンサワーちょうだい」
麗子は座敷席とカウンター席に挟まれた細い通路を歩みながら、店主に注文をつけた。
「俺、そっち移動するんで。麗子さんこっちどうぞ」
良太はすかさず席を移動する。
狭い一角に身長百八十センチ以上ある成人男性二名が肩を並べる形となり、その向かいに麗子は悠然と腰を下ろした。
「いちおう確認するけど、良太くんまだΩの番 とか恋人っていないんだよね」
やや深刻な面持ちで麗子が問う。
「はい、俺はそういう、Ωとかいうやつに興味ないっすから」
良太は正座した膝の上の拳を握りしめる。
「榊くんからΩ紹介所の住所もらってたでしょう?」
この世には、大別される〔男女〕の性に加え〔α〕〔Ω〕〔β〕という三つの性質が存在する。
それぞれの人口割合は、男と女はほぼ半々だが、αは二割、Ωは一割、βは七割とかなり偏った比率になるのだ。
そして〔番 〕とは、αとΩの組み合わせのみに成立する本能のシステムである。
番となったαとΩは、人口の大多数を占めるβがいうところの恋人、夫婦によく似た関係をもち、世間もそのように認識する。
たとえ事前にαとΩそれぞれにβの恋人や配偶者がいた場合でも、本能の導きによって番となった彼らの結び付きは強い。そうした場合βは恋人に、伴侶に、捨てられるのが常であった。
桧村良太と、幼馴染の桜庭譲二は、男性型のαだ。
高校時代に幾度となく榊へ恋心を打ち明けていた良太だったが、その度に、
『αはΩと一緒になるべきだ』
と諭され番の関係について説いて聞かせられたのだった。
番となったαとΩは、その瞬間から心身に変化があらわれる。
女性型Ωであれば膣内、男性型Ωであれば直腸内に挿入されたαの陰茎より排出される分泌液を受け、尚且つ項 を噛まれるという両方の刺激を得ることによって、Ωの性フェロモンは変質する。番のα意外を遠ざける忌避フェロモンを分泌するようになり、他のαを誘引できなくなるのだ。
このΩフェロモンの変質を感知したαもまた、番の性フェロモン以外には、我を忘れて猛り狂うほどの興奮を覚えなくなるように体質が変化する。その後は、仮に他のΩの発情現場に遭遇したとしても自我を保ち、性交を回避することができる。
こうして互いに専用専属契約のような関係となり、発情期に怯えず社会生活を送ることが可能となるのだ。
『βはαを幸せにできない』
過去に何度も聞いた榊の声が、台詞が、良太の耳の奥によみがえる。
番を獲得したαはΩに対して、囲いこみ、束縛して支配下に置き、監禁に近い環境を作り上げようとする。
実際、経済的に余裕のあるαは警備の厳しい広大な屋敷に、あるいは高層マンションの最上階にΩを閉じ込めて生活をさせているのである。金銭に余裕がなければないで、狭い部屋に座敷牢のごときスペースを作成し、そこにΩを置いておく者もいるという。
こうしたαの驚くべき執着と独占欲を、Ωは嬉々として受け入れるのだ。
Ωという性質は、肉体と精神を丸ごとαに管理してもらい、縋り付くことで安心と充実感を得る。ときに食事や排泄、睡眠といった生理的欲求に至るまで自らの肉体の主導権を受け渡し、思考を放棄し、発情すれば性欲のままに交わる生活こそがΩの幸せなのだという。
そんなΩの幸せこそがまた、αの幸福なのだ。
凡庸なβは彼らのような人生を送ることはできない。すぐに精神と身体が破壊されてしまうだろう。
榊龍時は、βの男性である。
『自分に相応しいΩを、ここで見つけろ』
ノートにすらすらと書き付けられた住所と電話番号。定規を当てて破り切られたその紙切れを、良太は今も大事にしまってある。榊に初めてもらったものだから。
宵の口、
店主一人でやっているこぢんまりとした庶民的な店内。その奥まった座敷にガタイのいい青年二人が押し込まれるようにして座り、顔を突き合わせている。
「ま、なにはともあれ良かったじゃねえか、榊さん地元に戻ってくるかもしれないんだから」
桜庭は胡座を組み直してそう言った。
戻ってくるかも──まだ確定ではない。
きっちりとその日の仕事を終え桜庭に連絡をした後、良太は小田桐洋菓子店へも電話をかけた。
電話を取ったのは小田桐麗子だった。良太が何か聞くまでもなく彼女は、
「榊くんのことでしょ。あとで話すから、葵に来い」
と先手を打ったのである。
奇しくも麗子が指定したのはこの居酒屋で、二人は彼女の合流を待っていた。
玄関の引き戸に取り付けられた鈴が、ちりん、と鳴る。黒のライダースジャケットにジーンズといういでたちの女、麗子の来店である。
「チッス、お疲れ様です」
条件反射で胡座から正座へと姿勢を正し、良太と桜庭は同時に会釈をした。
「あたし、レモンサワーちょうだい」
麗子は座敷席とカウンター席に挟まれた細い通路を歩みながら、店主に注文をつけた。
「俺、そっち移動するんで。麗子さんこっちどうぞ」
良太はすかさず席を移動する。
狭い一角に身長百八十センチ以上ある成人男性二名が肩を並べる形となり、その向かいに麗子は悠然と腰を下ろした。
「いちおう確認するけど、良太くんまだΩの
やや深刻な面持ちで麗子が問う。
「はい、俺はそういう、Ωとかいうやつに興味ないっすから」
良太は正座した膝の上の拳を握りしめる。
「榊くんからΩ紹介所の住所もらってたでしょう?」
この世には、大別される〔男女〕の性に加え〔α〕〔Ω〕〔β〕という三つの性質が存在する。
それぞれの人口割合は、男と女はほぼ半々だが、αは二割、Ωは一割、βは七割とかなり偏った比率になるのだ。
そして〔
番となったαとΩは、人口の大多数を占めるβがいうところの恋人、夫婦によく似た関係をもち、世間もそのように認識する。
たとえ事前にαとΩそれぞれにβの恋人や配偶者がいた場合でも、本能の導きによって番となった彼らの結び付きは強い。そうした場合βは恋人に、伴侶に、捨てられるのが常であった。
桧村良太と、幼馴染の桜庭譲二は、男性型のαだ。
高校時代に幾度となく榊へ恋心を打ち明けていた良太だったが、その度に、
『αはΩと一緒になるべきだ』
と諭され番の関係について説いて聞かせられたのだった。
番となったαとΩは、その瞬間から心身に変化があらわれる。
女性型Ωであれば膣内、男性型Ωであれば直腸内に挿入されたαの陰茎より排出される分泌液を受け、尚且つ
このΩフェロモンの変質を感知したαもまた、番の性フェロモン以外には、我を忘れて猛り狂うほどの興奮を覚えなくなるように体質が変化する。その後は、仮に他のΩの発情現場に遭遇したとしても自我を保ち、性交を回避することができる。
こうして互いに専用専属契約のような関係となり、発情期に怯えず社会生活を送ることが可能となるのだ。
『βはαを幸せにできない』
過去に何度も聞いた榊の声が、台詞が、良太の耳の奥によみがえる。
番を獲得したαはΩに対して、囲いこみ、束縛して支配下に置き、監禁に近い環境を作り上げようとする。
実際、経済的に余裕のあるαは警備の厳しい広大な屋敷に、あるいは高層マンションの最上階にΩを閉じ込めて生活をさせているのである。金銭に余裕がなければないで、狭い部屋に座敷牢のごときスペースを作成し、そこにΩを置いておく者もいるという。
こうしたαの驚くべき執着と独占欲を、Ωは嬉々として受け入れるのだ。
Ωという性質は、肉体と精神を丸ごとαに管理してもらい、縋り付くことで安心と充実感を得る。ときに食事や排泄、睡眠といった生理的欲求に至るまで自らの肉体の主導権を受け渡し、思考を放棄し、発情すれば性欲のままに交わる生活こそがΩの幸せなのだという。
そんなΩの幸せこそがまた、αの幸福なのだ。
凡庸なβは彼らのような人生を送ることはできない。すぐに精神と身体が破壊されてしまうだろう。
榊龍時は、βの男性である。
『自分に相応しいΩを、ここで見つけろ』
ノートにすらすらと書き付けられた住所と電話番号。定規を当てて破り切られたその紙切れを、良太は今も大事にしまってある。榊に初めてもらったものだから。