Find a Way

◼︎ 発情Ω投下事件 2

 同日、午後七時。
 御磨花市の月輪地区にある私立月輪工業高校、通称「ガチ高」には、夕闇の迫る時刻になると定時制の生徒が集まってくる。彼らは皆、全国選りすぐりの不良ワルたちだ。
 落書きだらけの校舎には原型を留めぬ雑誌の紙切れや、机だったもの、椅子だったものの破片が散らばっている。果ては燃やされた自動車の残骸までが放置された校内の一角、荒くれ者達の上手かみてに鎮座する一人の青年が居た。
 彼は古い藍染めの羽織を肩に引っ掛け、髪はぼさぼさとして黒く、歳の頃は二十歳前後。この男こそガチ高の番長、神鏡じんきょう空明くうめいだ。
 最年長の刀童とうどう、情報通の幽銭ゆうぜんが番長の側近のような位置で胡座をかき、つい先刻あったトラブルについて報告していた。

 それはいつものように刀童、幽銭、鈴鬼を含む数人で居たときのこと。
 彼らは普段通りにガチ高近くの商店街にある安い食堂で夕食を済ませ、その後パチスロの話などをしながら学校を目指して歩いていた。
 商店街といってもたいして賑わっているわけではない。人影はまばらで車の往来もほとんどないような所だ。そんな場所だから刀童達は悠々と肩で風を切り、我が物顔で闊歩していた。
 すると彼らに狙いを定めたかのように黒い乗用車が後ろから急接近し、行く手を遮るようにして停車した。
 一同は咄嗟に身構える。国産の高級車だったため、極道者か!と思ったという。
 だが予想に反して車から降りてきた、否、転がり出てきたのは裸同然の小さな老人だったのだ。リアドアが乱暴に開けられ、中にいた銀髪の少年が後部座席から老人を外に蹴り出したのだ。
 これを見たガチ高の一同は、老人が加害者なのか被害者なのかは判然としないが、
「どこかの爺さんがヤクザとトラブって捨てられた」
 のだろうと推察した。
 老人は彼らのすぐ前で芋虫のように蠢いていたが、突然、弾かれたように顔を上げ、鈴鬼の方に顔を向けた。
「まるで獲物をロックオンしたみたいだった」
 とこの時の恐怖を幽銭は語る。
 股間と足元を尿か何かで濡らした小さな老体が四つん這いで近付いてくる。やけに丸くて大きな両目は魚類のように見開かれていた。鼻と口がぽっかりと黒い穴になっていて、高齢のためか上下の前歯は無い。その穴から荒い息と、微かな呟きが漏れていた。
「その爺さん何か喋ってるんだけど、最初分からなくって」
 だがその老人が接近すると共に判明した音声は──
「欲しい、欲しい、って言ってんだよ。なんか目つきも尋常じゃねえし。そうしたらさ、横にいた鈴鬼が吐いたんだよ。オエッ、て」
 幽銭は合意を求めるように刀童に視線を送る。刀童は眉をしかめ、その時の鈴鬼の様子を語る。
「突然、鈴鬼がゲロったから、俺はさっき食った飯がヤバかったんかなって思ったんだよ。で、お前大丈夫かよ以外と胃腸弱えのなって、そん時ちょっとからかったりしてた。けどよ……」
 鈴鬼は嘔吐しながらも小さな老人に向い、猛然と掴みかかったのだ。
「いきなり何やってんだ!って俺はパニクっちまってよ、とっさに鈴鬼を殴って爺さんから引き剥がした」
 このとき刀童は、鈴鬼が老人の履いていた緩い下着を乱暴に引き下げ、明らかに性交しようとしていた事態を目撃していたが、それは伏せておくことにした。鈴鬼の恥をそこまで皆に言いふらす必要もない。
「刀童さん達が鈴鬼さんを押さえてる間に、俺はなるべく爺さんを離さなきゃって思って、引きずって行こうとしたんだけどさ、その爺さんバタバタ暴れんのよ」
 様子のおかしな老人が「欲しい欲しい」と呻いて暴れ、嘔吐した鈴鬼が刀童達三人に押さえつけられてもなお老人に襲い掛かろうと踠いている。誰もが全く理解できない状況だった。
 幽銭は咄嗟に、その老人はひょっとして薬物中毒者で、ならばヤクが欲しいのではないか?とひらめいた。
「とにかくそれっぽい何かを見せれば落ち着くかもしれねえから、とりあえずポケットに入ってたガムを、ほら薬だよって出してみた。でもそのジジイが欲しかったのは……」
 
 ──ひ、いぃ欲ひっいぃぃ、ああああαが欲ヒいぃぃぃっ!

「アルファーが欲しいって叫ぶんだよ。何言ってんだ?って益々訳分かんなくなっちまってさ。こいつは多分、精神とか頭の病気かもしれねえって。俺の姉ちゃん看護師やってるんだけど、病院関係者なら聞けば何か分かるかもしれねえから電話してみたんだ」
 この老人を見捨て皆で鈴鬼を連れて逃げる選択肢もあったが、幽銭はとにかく目前の混乱に対応しなければいけない、ただその一心で姉を頼ったのだ。運よく姉は勤務中ではなかったためすぐに電話に出てくれた。
「したら姉ちゃんがさ、その人もしかして発情期のΩかもしれないって。そんで鈴鬼は……αなんじゃないかって」
 幽銭の姉がいうには、Ωの発情であれば薬局で販売されている抑制剤で、一時的に性フェロモンの分泌と軽度の性衝動なら抑えられるらしい。幽銭は後輩の一人に、商店街のドラッグストアで抑制剤を買って来るよう言いつけた。
 すぐさま駆け戻ってきた後輩は、これが一番効き目が早いらしっす!と点鼻薬タイプの抑制剤を買ってきた。
「そんで俺が爺さんの鼻穴に薬突っ込んだらさ、効いたんだよ。やっぱΩだったんだ」
 抑制剤は効果覿面で、老人は程なくして忘我したように大人しくなった。鈴鬼もまた、老人の落ち着きとともに正気を取り戻したようだった。
「なんかいつの間にか周りに人垣できてるし、こりゃ警察に来てもらった方がいいなってことになったんだけど……」
 だがもうすでに商店街の誰かが110番ひゃくとうばんしていたらしく、警官がすぐに駆けつけた。当初は月輪高校の無頼漢が高齢者に対して狼藉を働いた、と勘違いされもしたが、意外と周囲の人々が正しく証言してくれたおかげもあってガチ高の面々がお縄になることはなかった。
 老人はかなり健康状態が思わしくないようで、警官の呼んだ救急車で病院に運ばれたのだった。一方、Ωの性フェロモンに曝露され、強制的な発情を引き起こした鈴鬼は──
「あいつは、今日は帰った」
 刀童が苦々しい表情で言う。
 それについてどうこう咎める者は居ない。Ωとはいえ、老人に発情してしまった鈴鬼のことはそっとしといた方がいい、と誰もが気を遣った。
「なあジン、俺ぁ、これは誰かが鈴鬼がαだってことを知ってて、目の前に発情したΩを放り投げたようにしか思えねえよ。でなきゃ偶然てことになるが、ありえるのか?ジンはどう考える」
 仲間思いの刀童は、鈴鬼の性的な弱みが標的にされたと怒り心頭だ。真っ向勝負にしろ闇討ちにしろ殴る蹴るの喧嘩ならばまだしも、汚い手を使う卑怯な奴等の仕業だと息を巻く。
 幽銭と刀童の話を聞き終えた番長、神鏡は皆を見回した。
「ちょっと聞きてえんだけどさー、鈴鬼がαだって気付いてた奴は今まで誰もいねーの?」
 この質問に皆は首を横に振る。皆が皆、鈴鬼は自分達と同じβだと信じ、疑っていなかったのだ。
 一般的に男性型αは高身長で体力に優れ、衆目の見るところ美男で頭も良い、などという特徴がある。だがその優越も此処、月輪高校では大分だいぶんに霞むと見ていいだろう。なんせ全国から集結した腕利きの不良達は体格も立派で、当然喧嘩も強く、ある種のモテる男が多い。頭の良さも方向性は各種様々だ。
 そしてここに揃ったガチ高の連中が鈴鬼をαと認識していなかった最大の理由を、幽銭が神鏡に話した。
「少し前にジンがタイマンで倒した仙銅せんどう正彦って奴が居ただろ、あいつがαだった。仙銅が月輪に入る前はαを頭に担いでる一派が多くてな。けどあいつが来てからは、なんでか俺たちには分からねえんだけど、各一派を仕切ってるαがみんな自然と仙銅の手下みてえになっちまったのよ。それで事実上、多くの一派が解散状態になった。不思議だろ?勝負を挑んで仙銅に負けたから従ってたわけでも無えんだぜ。その理由ってのがさ……」
 ええとなんだっけかな、と幽銭は少し記憶を探る。
「あっと確か、α同士で序列を決めるフェロモンがあるんだとよ。仙銅はそのフェロモンが上位の奴だから、わざわざ喧嘩しなくても他のαを子分にできたらしい。でも鈴鬼さんは仙銅の下には付かなかったんだ。まあ、もともと一匹狼みてえなもんだったし。だから仙銅一派じゃないなら普通に俺らと同じβだろって、そう思ってた」
 幽銭の説明に皆は無言で頷いた。
「ガチ高の他には鈴鬼のこと知ってそうな奴とかいんの?俺さー、この辺のことまだよく分かんねんだけど、なんか昔JOKERとかいうクズどもが居たらしいじゃん。そいつらの復讐って線はねーか?誰かがウチの鈴鬼の個人情報を流したとか」
 神鏡は月輪高校に入学してまだ一年ほどだ。最強の番長といえど四留、五留は序の口とされるガチ高では、まだまだ新入生のようなものだった。花園、月輪、鳥居、地蔵の連合が人身売買組織〔JOKER〕と抗争を繰り広げた時代についても、噂に聞く程度だった。
「そういえば刀童さん、花園の榊さんは……どうなんすかね」
「あっ、榊かあ、鈴鬼と仲良いからな」
「あの人なら知ってても……」
「いや、でもなあ」
 刀童と幽銭が首を傾げあう。
「そーか、その榊って奴なら何か知ってるかもしんねえんだな?」
 神鏡は肩に掛かった藍色の羽織を靡かせて立ち上がる。
 モルタルの壁に刻みつけられた校章を背にし、鏡のように光る虹彩で一同を睥睨する姿はまさしく月輪の王だ。
「俺、花園行ってくるわ」
 神鏡の言葉を聞いた不良共は、番長直々に殴り込みか!と血気を滾らせる。しかも現役を引退したとはいえ、花園高校の幹部を務めた榊龍時に対してであるから尚更だ。
 近年の月輪地区は平和で、面白い戦争にとんと縁遠くなっていた|つわものたちは雄叫びをあげて付き従おうとしたのだが──
「ちょっと話、聞きに行くだけだから。まだその榊って人が裏切者とは決まってねーよ」
 と神鏡は冷静に皆を窘め、誰か案内してくんねーかな、と言う。これに幽銭が立候補した。
「じゃあ俺が」
「いや わりーんだけどさ、幽銭はここにいて情報集めてくれ。あんたは顔が広いから。俺じゃそうはいかねえからさ」
「わかった」
「それと、刀童」
「ああ」
「鈴鬼の様子を見てきて欲しいんだけど。俺、あいつの住処すみか知らねーから。首吊られてても嫌だし」
「よっしゃ!」
「案内役は、できれば花園の奴がいい」
 月輪高校でも花園地区出身の生徒は居る。神鏡の要求に応じたのは、刃薊はあざみという痩せ型の、眉のないスキンヘッドの男だった。
 番長が去った後の教室では早速、幽銭が本領発揮とばかりに方々に指示を出し、慌ただしく情報収集を開始した。

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