Find a Way

◼︎〔伽〕にて

榊龍時がマーキングされていたことを知ってしまったその日の夜、竹之内は月輪地区と雪城地区の狭間にある夜宵やよい町へと車を走らせた。
 町の裏路地には、小さく〔伽〕と看板を出す酒場があり、無口で無表情なαの男が主を務めている。
 およそ接客業には不向きであろう根暗な店主ではあるが、竹之内としては酒だけ出して放置してくれるところがむしろ丁度いい。愛想笑いでかしずかれる接客には慣れていないのだ。
 酒はなかなかいいものが揃っているそうだが、残念ながら貧乏舌の竹之内に酒の良し悪しは分からない。
 店の裏手には駐車場がある。そこに停まっているのはポルシェだのランボルギーニだのといった外車だ。国産の車だって数千万するやつがいつも定位置に停められている。いつもあるということは店主のものではないか、と竹之内は勝手にそう思っている。
 その車は黒色のセダンタイプ。窓全部にスモークフィルムが貼ってあり、足周りはゴールドのメッシュホイールで飾られている。ナンバーは雪城だ。
 だがよく見ると全体的に薄汚れていて艶がない。なんとなくだが、車に愛着を持っていないのだということが分かる。単純に「アシ」として使っているということか。贅沢なものだ。
 高級外車と黒いセダンの間に、どうも場違いですみませんね、と言いたげに竹之内の軽自動車が割り込む。隣の高級車にドアを当てないよう、大きな身体を極力縮めて慎重に降車した。
 ブロック塀に挟まれた細い路地を通り、ちょうど中程まで来ると右手に金属ドアがある。
 まるで秘密の武器庫へ誘うようなそのドアを開けると、薄暗い廊下が伸びている。数台の監視カメラで見張られたその先には片開きのスライドドアが設置されていた。扉の横の壁には指紋の読み取り画面と暗証番号入力用のプレートがあり、そこに手をかざし、会員ナンバーを入力すれば自動でドアが開く。次にエレベーターのような空間で顔かたちや体型を照合され、問題なければ正面のドアのロックが解除される。ここでようやく店内だ。
 ただの小さな酒場にしてはやけにセキュリティが厳重なのだが、ここはΩの侵入を一切拒んでいるためこのような造りになっているらしい。
 店の中は天井の高さが際立っていて、一階から二階まで吹き抜けになっていた。
 四方の壁面は赤茶けた煉瓦に覆われ、空調はあっても窓らしきものはない。木製のカウンターを過ぎて右手の奥には手洗いがある。左手の突き当たりには螺旋階段があり、二階部分へと繋がっていた。
 上にも席があるようだが、階段の一段目には「関係者以外立入禁止」の札と鎖が掛けてある。
 天井を渡る太い鉄骨からまっすぐに垂れ下がる古風なシャンデリアが内部を照らしていた。
 カウンター席の端っこには二十代くらいの、色の浅黒い男性が独り。
 そしてボックス席には二人の女性の姿。彼女たちは駐車場にあった外車の持ち主だ。酒を飲んでいるが、帰りはいつも雇いの使用人を呼ぶので飲酒運転の心配はない。ちなみに竹之内は庶民らしく代行を頼む。
「あっ、竹ちゃん」
「竹ちゃん、久しぶり。こっちおいで」
 竹之内は花園高校生徒たちのみならず、ここでも「竹ちゃん」と呼ばれていた。
 彼女たちはαだ。いずれも目鼻立ちのはっきりした華やかな美人である。知的で利発な印象の黒髪ショートボブの女性と、長く巻いた赤毛がゴージャスな女性だ。
 異世界の令嬢のような二人に手招きされ、山から降りてきた熊みたいな風情で、のそり、と竹之内が席に着く。
 まず乾杯しよっか、と黒髪の彼女がボトルから水割りを作ってくれた。竹之内はそれを下賜されたごとく両手で丁重にいただく。彼女たちと同席するときはいつものことだった。
「例の子は?」
 赤毛のほうの女性が訊く。
「そのことなんですけど、ちょっと無理になったといいますか……」
 例の子、誰のことかというと榊龍時のことなのだ。
 Ωやαのフェロモンとは異なるあの清々しい気配が何なのか不思議でならなかった竹之内は、彼女たちに訊いてみたことがある。
 様々なβと積極的に関わってきた彼女たちならば、何か分かるのではないかと思ったからだ。「推し」のことが知りたかったのだ。
 だが彼女たちですら、榊のようなβに出会った経験はないという。次はその子と一緒に来てねと言われたけれど、奥手な竹之内はなかなかそれができずにいた。そうこうしているうちに、今日である。
「その人、αの恋人が居るみたいでして」
 αの執着心の強さは、いちおう竹之内もαだ、よくよく存じている。
 会員のαがこの〔伽〕に連れてくるβというのは執着対象である恋人、伴侶、あるいは狙いをつけた獲物、と相場が決まっている。
 もしもこのことがβの相手であるαにバレたら間違いなく戦争だ。竹之内は争ったり奪い合ったりするのは苦手なのだ。
「どんな相手だった?」
 興味津々で黒髪の彼女が目を輝かせる。
「いやあ、実際に見てはいないんですけどもね。でもおそらく、二十代前半の男で、健康体、番の経験は無いみたいでしたね。タバコも吸わないかな。階級は自分と同じ一般的なαかと。あとは……そうだ、おそらくオフィスワークをする人じゃない気がしますね。何かの整備工場で働いてるかな」
「そこまで分かる?」
「うーん、何となく、匂いのイメージっていいますか」
 本当かなあ、と彼女が首を傾げると華奢なロングピアスが揺れた。
「それ多分、合ってると思うわ」
 と赤毛の彼女がぐっと身を乗り出す。
「職場の環境や仕事内容によって、体臭は違いがあるの。工事現場で働いている男と、机に座ってパソコンいじってる男じゃあ全然違う。βでも違いがあるんだもの、αだったら尚更だよ」
「そういうものなの? 私は女の子の方が好きだからなあ、工事現場で働いてる人とは会ったことないかも。竹ちゃんもそういうの分かるの?」
「体臭というより衣類に染み付いた生活臭なら、大体は分かるかもしれません」
 竹之内の生活圏には、彼女たちのような労働する必要のない人間には縁遠い、雑多な庶民のにおいがある。意図的に他人を嗅いでいるわけでもないが、「におい」による情報は近所のスーパーに、コンビニに、給油所、パチンコ屋、安い飲み屋、職場である花園高校に満ち溢れていた。
 今朝、榊から漂ってきたフェロモンから知ったことは、まずは番経験のない若い男性型αだということは確定。においから推察したのは、ボイラーか、いや、エンジンのような機械をいじる作業を生業にしている……ガソリンスタンドか自動車の整備工場の作業員の男性、といったところか。
 それから彼女たちは竹之内そっちのけで自らのβ観やら体験談やら、話に花を咲かせ始める。話の中身がなかなか際どくなってきたので、退散するようにしてカウンターへと移動した。
 店主にワインとクラッカーを注文する。
「あなたの言う子に……」
「えっ?」
 無口な店長が珍しく口を開いた。竹之内は一瞬、聞き間違いかもしくは誰か他の客人に話しかけたのか、とやや困惑した。咄嗟に左右を見る。が、やはり話しかけられているのは自分しか居なかった。
「会ったことがある」
「あら、そうですかあ。やっぱりいるんですなあ、彼のような雰囲気の人って」
「ええ、実在します」
 なんだか独特な言い回しだなあ、と思ったものの、竹之内はそこに突っ込まず赤ワインを口に含んだ。


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