Find a Way
◼︎いってきますの
七時を少し過ぎた頃、そろそろ出るか、と言って榊は立ち上がる。良太も釣られるようにして立った。
「学校って何時からなんですか?」
良太が訊ねる。
「教員は基本的に八時から始業だな」
「早いっすね。うちは八時半からです」
二人して玄関まで移動する。成人男性二人が横並びになるといかにも狭いその場所で、榊は黒い革靴を、良太はスニーカーを履く。
「良太くん、これ」
今度こそ忘れないようにと、榊は用意していたクッキーとラスクの詰め合わせを差し出した。以前、良太の母から北海道の土産物を分けてもらった、そのお返しだ。
「あ、こないだの、忘れてました」
「消費期限はまだ大丈夫だ」
ありがとうございます、と言って良太はそれを右腕の肘に掛ける。榊は施錠をしなくてはならないため良太に先に出ろと促したのだが、なかなか動こうとしない。
「いってきますのチューしましょうよ」
「チューてお前」
「キス」
「いいけどさ」
榊は眼鏡を外して胸ポケットにしまった。良太の後頭部に右手を添えて引き寄せ、躊躇いもなく軽いキスをする。良太もまた榊を引き寄せ、唇を合わせた。
最初こそ浅く交わし合っていたそれは、次第に熱をはらんで深く濃厚なものになっていった。
どちらからともなく背中と腰に腕をまわし、耳に、首筋に唇で触れる。背中に手を這わせ、離れ難い執心で強く腰を抱く。
良太は耳元で切げに名を呼び、ひっそりと舌先を伸ばして朱に染まった耳の外側を辿った。榊は少し身じろぎしたが、力を抜いて大人しく目を閉じている。
ワイシャツの白い襟に触れないよう注意深く、顎の外周から首筋へキスと舌先での愛撫を施す。わずかなシャンプーの香りは、より微かな榊本人の匂いを遮るものではなく、否応無しに昨晩の記憶を呼び覚ます。
いっそこのまま彼を抱きかかえてベッドへ行ってしまおうか、と良太が現実を放棄しそうになったところで、
「もうそろそろ……」
と息を弾ませた榊が良太の胸を押して顔をそらす。上気した肌と濡れた唇が艶かしい。
現実を見失わず情動をコントロールできる彼を理性と常識の上では尊敬する。しかし良太の本能の部分は、榊の禁欲的なところが惜しくて悔しくて仕方がない。
こんなにも好きなのは自分だけか、と思うとひどく寂しくなる。良太はほんの数秒だけきつく抱きしめたあと、榊を解放した。
この日、榊は意図せずαのフェロモンを纏わり付けて出勤してしまった。
βの榊はαやΩのフェロモンを感知することができない。あくまでも知識の上では、αとΩの臭腺や唾液腺などから分泌される化学物質がフェロモンと定義され、αやΩに特定の反応を引き起こすものだと知ってはいる。
だがどの程度の接触でマーキングとされ、どういったフェロモンの性質でどのようにα同士、またはΩに影響を与えるものなのかが分からない。
一晩しっかりとくっ付いて眠り、胸に洗顔前の顔で頬擦りされ、玄関でキスして舐められてきつく抱き締められた。それだけで特定のαと親密な関係にある、と自ら吹聴しているようなものなのだが、榊にはそれが分からないのだ。
同僚から指摘を受けた榊がこのことに気付くのは、かなり後になってからのこと。
七時を少し過ぎた頃、そろそろ出るか、と言って榊は立ち上がる。良太も釣られるようにして立った。
「学校って何時からなんですか?」
良太が訊ねる。
「教員は基本的に八時から始業だな」
「早いっすね。うちは八時半からです」
二人して玄関まで移動する。成人男性二人が横並びになるといかにも狭いその場所で、榊は黒い革靴を、良太はスニーカーを履く。
「良太くん、これ」
今度こそ忘れないようにと、榊は用意していたクッキーとラスクの詰め合わせを差し出した。以前、良太の母から北海道の土産物を分けてもらった、そのお返しだ。
「あ、こないだの、忘れてました」
「消費期限はまだ大丈夫だ」
ありがとうございます、と言って良太はそれを右腕の肘に掛ける。榊は施錠をしなくてはならないため良太に先に出ろと促したのだが、なかなか動こうとしない。
「いってきますのチューしましょうよ」
「チューてお前」
「キス」
「いいけどさ」
榊は眼鏡を外して胸ポケットにしまった。良太の後頭部に右手を添えて引き寄せ、躊躇いもなく軽いキスをする。良太もまた榊を引き寄せ、唇を合わせた。
最初こそ浅く交わし合っていたそれは、次第に熱をはらんで深く濃厚なものになっていった。
どちらからともなく背中と腰に腕をまわし、耳に、首筋に唇で触れる。背中に手を這わせ、離れ難い執心で強く腰を抱く。
良太は耳元で切げに名を呼び、ひっそりと舌先を伸ばして朱に染まった耳の外側を辿った。榊は少し身じろぎしたが、力を抜いて大人しく目を閉じている。
ワイシャツの白い襟に触れないよう注意深く、顎の外周から首筋へキスと舌先での愛撫を施す。わずかなシャンプーの香りは、より微かな榊本人の匂いを遮るものではなく、否応無しに昨晩の記憶を呼び覚ます。
いっそこのまま彼を抱きかかえてベッドへ行ってしまおうか、と良太が現実を放棄しそうになったところで、
「もうそろそろ……」
と息を弾ませた榊が良太の胸を押して顔をそらす。上気した肌と濡れた唇が艶かしい。
現実を見失わず情動をコントロールできる彼を理性と常識の上では尊敬する。しかし良太の本能の部分は、榊の禁欲的なところが惜しくて悔しくて仕方がない。
こんなにも好きなのは自分だけか、と思うとひどく寂しくなる。良太はほんの数秒だけきつく抱きしめたあと、榊を解放した。
この日、榊は意図せずαのフェロモンを纏わり付けて出勤してしまった。
βの榊はαやΩのフェロモンを感知することができない。あくまでも知識の上では、αとΩの臭腺や唾液腺などから分泌される化学物質がフェロモンと定義され、αやΩに特定の反応を引き起こすものだと知ってはいる。
だがどの程度の接触でマーキングとされ、どういったフェロモンの性質でどのようにα同士、またはΩに影響を与えるものなのかが分からない。
一晩しっかりとくっ付いて眠り、胸に洗顔前の顔で頬擦りされ、玄関でキスして舐められてきつく抱き締められた。それだけで特定のαと親密な関係にある、と自ら吹聴しているようなものなのだが、榊にはそれが分からないのだ。
同僚から指摘を受けた榊がこのことに気付くのは、かなり後になってからのこと。
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