Find a Way

◼︎初遭遇

 鳥寿温泉郷の中通りに威勢のいい囃子太鼓の拍子が響きわたる。
 三味線、笛、あたり鉦、さまざまな和楽器の音色が空気を彩り、細工を凝らした山車が町の中心をつらぬく街路を練り歩きはじめた。
 写真や動画撮影のポジションを得るべく、大勢の観光客がどっと道路側に押し寄せる。
「榊さん写真とか撮らなくていいんですか?」
「あれだけ人が多いと人の頭しか写らないだろうから、いいや」
「そっすね」
「今なら店が空いてるんじゃないか。昼にはちょっと早いけど何か食べようか」
 榊はがっつくようにあちこち観光するのではなく、のんびりと温泉街の景観と祭りの情調を楽しみたいらしい。良太もまた、ゆるりと榊とのひとときを味わいたいので幸いである。
 二人は歩道の隅に立ち止まり人の流れをやり過ごす。榊は良太の背後にまわり、移動する人々の邪魔にならないよう配慮した。
 その時、あわただしい引潮に取り残されたように良太の前に出現したものがあった。
 最初、親とはぐれた子供かと思われたのだが──
 
 垂れ気味の大きな目、小さい鼻と口、尖ったあご、首輪。

 胴体は肥大した乳房と大きな腰部で構成され、腕や脛は枯枝のように細い。
 
 これは子供ではない。

 Ωだ。

 成熟したΩがαの雄を、桧村良太を凝視している。

 ここで良太は初めて生殖可能な年齢のΩに遭遇した。発情期には性フェロモンでαを支配できる危険な生物。桜庭の言葉が脳裏をよぎる。

『発情してなくてもΩを発見したら逃げるが勝ちだ』

 良太は即座にΩのフェロモンを吸い込まないように、右手で自分の鼻と口を押さえ、顔をそむける。
 風向きのせいなのか硫黄のにおいのせいなのか定かではないが、こんな近くに警戒すべきΩがいるなど気付きもしなかった。
 成人男性の歩幅でほんの五歩も前に出ればぶつかる距離にいるΩが、おぼつかない足取りでこちらへ歩みはじめる。
 視界の端にうつるその生き物が、揺れ動きながら接近してくるのがわかる。

 なんでこっちに来んだよ!!
 とにかく逃げないとヤバい。
 榊さんすみません!

 良太は榊を残しその場を離れようとしたのだが、Ωに無防備な背を向けた途端これまで感じたことのない不快感に襲われた。
 それはΩの前に晒された後頭部に、うなじに、背中と尻に、脚から踵、足の裏に至るまで、巨大な舌にねっとりと舐められたような感覚であった。上からぼたぼたと熱い唾液が降ってきて髪を、顔を、肩を濡らす。生温かい吐息が、濃厚な獣の臭気をはらんで粘っこく纏わりつく。
 この世のものならぬおぞましい幻影に圧倒され戦慄が走る。
 なおも女性型Ωは良太を目指して接近するが、次に起きたことは彼女にとってまったく、青天の霹靂のごとき衝撃をもたらした。

「どうしました?お連れさんとはぐれましたか」

 良太に隠れるようにしてそこに居た榊龍時が進み出て、彼女に声をかけたのだ。
 彼女は偶然出会った素晴らしいαの雄にΩの本能が疼き、どうしようもなく縋りつきたくなって殆ど無意識に行動していたのだが、ここで初めて榊の存在を察知した。
「っひぃゃあっ……!」
 彼女は頓狂な叫び声をあげた。この反応に榊はわずかに動揺し、
「あ、すみません急に話しかけて」
 と咄嗟に詫びた。
 この時Ωになにがあったのか?なぜ榊龍時に怯えたのか?彼女から良太や榊に語られることはない。
 だが、よほど衝撃的な体験の只中にいることは態度でわかる。Ωは凍えるように両腕を交差させ自らの肩を抱き、こまかく震えはじめた。
 良太はなぜか鼻と口を塞いだまま動かず、あの女性はどうも体調が悪そうだ。ならば催事の係員を呼ぶべきかと榊が判断したところで、彼女の連れである男性型αが乱暴に人波をかきわけてやってきた。
 襲いかからんばかりの勢いでΩと榊の前に割って入る。
「なんだあんた!俺の……」
 と何かを言いかけ、立ち竦む。
 その男性型αはそれっきり口をつぐみ、Ωをひったくるようにしてその場を逃げ去った。

 良太は彼らが遠ざかったのに安堵して、ようやく呼吸を再開した。そして少し驚いたような表情で榊を見ている。
 榊はわずか二、三分の間に起きたこの奇妙な、Ωと良太を含むαたちの行動に呆気にとられている。やや混乱しているといってもいい。
「なあ良太くん」
「榊さん」
「なんなの?」
「話します」
「ああ」
 良太と榊は、すぐそばの喫茶店で休むことにした。


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