Find a Way

◼︎臆病者

 榊はリビングに戻り、窓際の遮光カーテンに身を寄せる。良太のバイクのエンジン音に耳を傾け、アパートの駐車場から走り去る音響を見送った。

 スマホを手にメールアプリを開き、今夜はシャワーを浴びてもう眠る旨を文章にして良太に送る。これで返信がなくても安心してくれるだろう。
 浴室でシャワーを使っている途中、曇った鏡に湯を浴びせて自分の裸体を見てみた。ごく普通の二十代半ばを過ぎた男の体が映っている。
 それなりに運動不足に気を使ってはいるが、筋骨隆々とした見事な筋肉がついているわけでも、もしくは女性と見紛うほどの嫋やかさがあるわけでもない。もちろん男性のものもついている。特徴的な魅力などどこにもない。

 浴室でシャワーを使っている途中、曇った鏡に湯を浴びせて自分の裸体を見てみた。
 ごく普通の二十代半ばを過ぎた男の体が映っている。
 それなりに運動不足に気を使ってはいるが、筋骨隆々とした見事な筋肉がついているわけでも、もしくは女性と見紛うほどの嫋やかさがあるわけでもない。もちろん男性のものもついている。
 特徴的な魅力などどこにもない。

 あいつは魅力がどうとか言ってたが──
 この身体がこんなつまらないものだって知らないうちは、まあ仕方ないか。
 いざその時になって、想像と実物は違ったからやっぱりヤれませんなんてこともありえる。
 それはそれで構わない。むしろ予想通りだ。
 今はまだ恋愛感情に目が眩んでいるだけで、性的な欲求はΩでなければ満たせないと知るいい機会になるだろう。
 第一、こっちがやられる側だってまだ決まってないし。
 ていうか、こっちが同性相手に嫌悪感なく接触できるかどうか分からないんだよなあ。
 確かに良太はかわいいけど、実際どうなんだろう。近いうち、試してみるべきか。

 榊はタオルで身体を拭き、バスルームを出た。タオルは青地にオレンジのストライプの入った厚手のもので、以前より愛用している。
 すぐ側の洗面台の前に立てば、毎朝毎夜、見慣れた自分の顔がある。まだ少し酔いが残っているためか、肌色はやや赤みが強い。
 外見の特筆すべき部分など、年寄りみたいな灰色の体毛ぐらいなものだ。顔立ちだっていわゆる華やかな「イケメン」ではない。
 ふと良太と、彼の幼馴染の桜庭譲二の面差しを思い浮かべる。
 良太が男前な美丈夫なら、桜庭は今流行りの王子様系というやつだ。あの桜庭と行動を共にしていながら、よりによってなぜこっちに来る?いるだろ隣にイケメンが。それとも桜庭を見慣れ過ぎて美的感覚が狂っているのだろうか、と榊は首を傾げざるをえない。
 手のひらに少量ヘアオイルをとって髪に馴染ませ、ドライヤーで乾かす。
 こうすると髪の乾きが早くなるんだよ、と教えてくれたのは大学時代の元カノだ。そういえば彼女もなんだって自分を好いてくれたものかいまいちよく分からなかったが、女心が分からないなりに女性に対して誠実であろうと努力はしていた。それでも別れることにはなったのだけれど。
 彼女の海外留学や自分の就職、そうした理由で一旦離れて各々の人生を歩もうということになったのだ。互いの将来を案じた前向きな別れであったと、そう折り合いをつけている。
 では今後、現在の恋人との関係が終わるきっかけになるものがあるとすれば、これから社会的、あるいは金銭的な問題が浮上するとは考えにくい。やはりβの自分ではαの彼を満足させられないという身体的、精神的な要因が大きく出るだろう。

 αは「孕ませる性」と称されるだけあって精力が非常に旺盛だ。普通のβではとても太刀打ちできるものではない。
 Ωもまた腕力こそβに劣るが、性的欲求の強さ、長時間の性行為を続けられるスタミナに関してはβの何倍も優れた人種だ。いわゆる絶倫である。
 そのうえ彼らは感染症にもかかりにくく、傷の治りも早いため無茶なプレイをしても肉体が壊れにくい。
 精神面においてもΩであれば、βには恐怖や苦痛となるような酷い仕打ちを受けても、相手がαならば快感や幸福として享受できるという特性を持つ。αのフェロモン中にはΩにセロトニン、ドーパミン、オキシトシン、エンドルフィン、といった俗に言う幸せホルモンを多量に分泌させる物質が含まれているらしい。βの体内では産生されない、彼ら特有の快楽をもたらすホルモンや神経伝達物質もあるそうだ。
 だがαやΩがいくらフェロモンを放出しても、フェロモン物質の受容体のないβにはまったく効き目がない。彼らのフェロモンなどβにとっては無駄でしかない。
 
 αの性的欲求を受け止め切れるのはΩだけだし、その逆もまた然りだ。
 良太も例外ではない。
 βのこの脆い肉体と精神にΩと同等の関係を要求されようものなら、命がいくつあっても足りない。
 弄ばれて、壊されて、死ぬのはごめんだ。
 あいつがΩと番になるまでの慰み者となるなら尚更、たかがそんな関係で傷を負ってたまるか。
 「悪役」だからとて自分の体と心を無下に扱わせる気は毛頭ない。
 こっちが深入りする前に手放す、これに尽きる。
 我ながら──臆病なことだな。

 榊は、いずれβの心身では物足りないと気づいた良太を〔白幻〕に連れて行こうか、と恋人同伴で婚活に参加するような滑稽な絵面を想像して軽く笑った。
 この人をどうかよろしく、Ωさん。とでも紹介してめでたく番の予約が交わされたなら、そこで「良太がΩと番になるまでは恋人」の条件は達成とし、別れようと思った。
 良太がつがいを得てαとしての幸福を手にしたその後は、ひっそりと彼との思い出に酔いながら酒を嗜む日々も悪くないなと、独りの身の上を想像する榊だった。
 
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