Find a Way
◼︎ 麗子と榊、昔の話 2
今から遡ること八年ほど前。
御磨花市の花園、月輪、鳥居に存在した九つのレディースチームをまとめ上げた小田桐麗子は、簡単にいえば、いかにも十代の少女らしく将来について不安と焦りを抱えていたのだった。
──ここいらのチームはほぼ手中におさめた。
今の檸檬姐弩の人数は百人近くいるだろう。残すは〔紅薔薇 〕の烏丸翔子だけだ、でも──
でも、そのあとは?
翔子さんとタイマン張って、勝って、あるいは負けてそのあと。
高校卒業して大人んなってそれから──
それから何があるんだ。
不良で、高卒で、勉強もできなくて、真面目でもないし、ちゃんと働いてるわけでもない。
仲間とはいずれ散り散りになってバイクだけが残って、それだけ?
風俗?パパ活?カラダ売るしか能がない?半グレやヤクザの女になる?
でなきゃ大人しく結婚でもして男に寄生する?
そうでなければ薬を捌いたり、弱い者から金巻き上げたり、守ってきたはずの地元でそんなことをして生きて、ヤバくなったら違う土地へ行きゃいい?
ウチらの人生ってそれでいいのか?
いいわけない。
あたしは地元が好きだ、ここで堅気としてまともに生きてやる。
実家の店を継いで、檸檬姐弩のみんなに生き方を示す。
でも、そのためにはまず何をすりゃいいんだ。
出口のない鬱屈した日々。そんな中、下級生に少々変わった男がいるとの噂が耳に入った。なんとヤンキーの巣窟、この花園高校で真面目に勉強をしているという。
好奇心に駆られ一年の教室をのぞいてみたが、そのような生徒はいなかった。花園定時は教員も勉学を教える気などまるでなく、出席確認をしてあとは勝手に各自自習だ。教室では柄の悪い連中が数人集まり馬鹿話で盛り上がっている。どの学年でも同じようなものだ。
いるわけないじゃん、そんな奴。
だいたい、この花園でお勉強なんかして何になるってんだ。
あたしは何を期待していたんだか──
馬鹿馬鹿しい。
ところが中庭へ出ようと定時制の職員室の前を通りかかると、いつもは休憩スペースで煙草をふかしながら麻雀雑誌で暇を潰している教員、松元の姿がない。今日はいないのか、と職員用のデスクへ視線を移すと、そこには教師と向き合って教科書とノートを広げている灰色の髪の男がいた。
本当にいたんだ、と興味をそそられた。どんな面構えをしている奴か、後ろを向いているので顔はわからない。だがそいつに対面している松元先生はいつもの、何事も面倒だと言わんばかりの覇気のない、すさんだ大人の表情ではなかったのだ。たった一人の生徒に対し授業を行う教師としての活気が見てとれた。
先公 てのはああいう大人だったか?
こんな高校でもちゃんと教えてくれんのか?
勉強もできりゃ楽しいもんなのかもしれねえ。
ダセエけど──いや、そもそも勉強がダサいってのはなんなんだ。
いいじゃねえか別に、そいつがやりたきゃ勉強でもなんでもやればいい。あいつは勉強したいからしてるんだろう。
じゃあ、あたしがこれからやりたいことは?
実家の洋菓子店を継ぐこと。それには技術と資格が必要になるはずだ。高校卒業して専門学校行って、それであたし一人はなんとかなるかもしれない、でも──
檸檬姐弩のみんなはどうなる?
それぞれの人生ってのがあるんだ、みんな同じじゃない。これから先、誰に何が必要になるかわからないんだ。学校入るのも、就職するのだって試験がある。資格取るにはそれなりの学力ってのがなきゃダメだろう。
ならやるしかない。あたしがまず、勉強ってのをやる気合と根性があるところを見せてやる。ダサかろうが何だろうが要るものは要るんだ。
逃げてたまるか!
決意を固めた麗子は定時制の教員、松元先生とたった一人の真面目な生徒、榊のいる職員室へ乗り込み、
「勉強教えてくんない?」
と申し出たのだ。
だが榊と麗子の学力には大きな隔たりがある。いきなり榊と同じ内容の授業を受けたところでついてはいけない。そこで榊はまず、中学三年程度の問題を解けるようになってから授業を受けてみてはどうかと提案した。そのための勉強は榊が麗子に教えるという。
榊と麗子は定時の生徒が集まる前に登校し、中学一年の参考書から始めた。
最初のうち、突如として「お勉強」を始めた麗子に檸檬姐弩の女達はおおいに戸惑った。
麗子さんどうしちまったんだよ。
あの白髪野郎に洗脳されてんじゃねえか。
ウチらよりあいつを取るってのか。
檸檬姐弩はどうなるんだよ。
女は男で変わるっていうけど──
まさか──
檸檬姐弩のメンバー達の不安を察した麗子は、屋上に皆を集めた。決してチームを見捨てたわけではないこと、将来まともな道を歩む努力をしていること、この町で堅気の生き方を示すこと、そのために榊に協力してもらっていることを説いて聞かせた。
強く尖っていて何者にも屈しない、気高い麗子像を追いかけてきた少女達はやはり戸惑いを隠せない。
中には当然、
「お勉強なんてダセえことし始めちゃ、麗子さんも終わりだな」
とチームを去る者の姿もちらほら見られたが、多くの女達は麗子と同じく未来への不安を抱えていたため彼女に感銘し、後に続いた。
こうして花園高校の不良少女達は麗子に倣い共に教科書を広げ、まずは榊から基礎を教えてもらったのだ。高校生にして九九さえまともに覚えていないような者たちだったが、榊は馬鹿にしたり揶揄ったりすることもなく真摯に接し、励まし、協力してくれた。
そのうち職員室では手狭になったので、ちゃんと教室を使うようになった。その頃になると、榊や麗子に続き学ぶ姿勢を見せはじめた生徒達に松元先生や他の教員も嬉しかったのであろう、実に熱心に授業してくれた。
これにより多くの女達が資格を取ったり、専門学校へ入学したり、就職したり家業を継いだり、おおよそ不良少女の末路ともいえぬ普通の大人になることができたのだ。麗子が榊龍時をそこらの男より一段高い場所において見ているのも、こうした理由によるものである。
榊龍時は麗子達に勉強を教え、地元花園で堅気の人生を歩むきっかけと励ましをくれた。
そして小田桐麗子が榊に教えたことは──
不良の 意思疎通 である。
麗子のみたところ榊龍時という男は自分たちのような不良 でもなければ、かと言って意気地なしの脆弱な臆病者でもない。普段は真面目で大人しいが、やる時はやり過ぎるくらいやる。
花園高校の定時にいればそれなりに仲間内での小競り合いもあるし、他校からのカチコミも珍しくはない。最近は〔JOKER〕なる半グレ組織が悪揃市 と、隣県にある怪可市 の破落戸 どもを金で集めて徒党を組み、この辺にも勢力を拡大してきている。奴等と衝突する機会も増えつつある。榊はそうした喧嘩から逃げることはない。むしろ、自分たちの邪魔と判断すれば容赦なく叩き伏せ、またその実力も備わった男である。ただし──
暴力のタイミングがいきなりすぎるんだよね。
ズレてるっていうか。
というのが不良の大先輩、麗子から榊への評価であった。
なんせ、メンチを切る→自分の名前と所属を名乗る→相手の素性を尋ねる→相手の用事を確認する、またはこちらの用事を伝える→喧嘩で解決する問題か否か探りを入れる→喧嘩に発展した場合まずは軽く小手調べ→徐々に本気を出し互いの実力を認識していく→自分と相手のダメージに応じて勝敗が決定→喧嘩終了、というお決まりの流れが全くない。不良の手順が通じないのだ。例を挙げれば、
「なんだぁお前、俺は──」
殴る。
「んだ、コラァ!てめえ何処のもん──」
殴る。
「何しに来やが──」
殴る。蹴る。
「やんのかコ──」
殴る、蹴る、蹴る。
「やりやがっ──」
殴る、蹴る、蹴る、踏む。
終了。
とこのように、榊を相手にするとヤンキーの通例が成り立たないのである。
花園高校の中には既に、榊をからかったり馬鹿にしたりしてやられた者達が何人かいた。そういう奴らからは話の通じない、不気味でイカれたコミュ障として遠ざけられている。なんせ不良の立場からすれば「普通の挨拶」をしただけで何故そこまでキレられるかが理解不能なのだ。
まずいわ、こりゃ。ああいうやり方はいずれ禍根を残す。
麗子は自分たちに勉強を教えてくれている恩人、榊がこの花園地区で、ひいては御磨花市の不良コミュニティでうまく生きていけるよう指導を開始した。
「確かにこの辺は見た感じ柄の悪そうな奴等が多いし、実際中身も悪いけど、いちおう物事の決まった流れってもんがある」
「そうなんですか」
「喧嘩腰でも実はびびってるだけとか、話を聞きゃあ本当は喧嘩沙汰にしたくないけど、引っ込みがつかないから勢いだけってことも多いね。こっちが弱そうと見ればイキっくる者 はいるんだけど、本気 で潰しにかかってくるは奴そうそういない」
「突っかかってくる人達、みんな怖いですし」
「あー……怖いから撃退してたってことか。まあ、榊くんから見ればそうかもね」
「初対面から威圧してきて、何してんだコラァ!って怒鳴るんですよ。こっちが聞いてもいないのに勝手に名乗ってきたりとか、中学はどこ出たとか、どこの地区に住んでるとか」
「それはまあ挨拶っていうか、自分はどこそこの誰それですって身分を開示しているというか」
「あれって挨拶と自己紹介なんですか⁉︎」
「そだね。榊くんに興味あったんじゃない?珍しいから」
「うわあ、気付かなかった、悪いことしたかも。あとで謝っとこ」
「場合によっては本気で喧嘩が目的の奴もいるから気を付けな」
「本気かどうかっていうのもどう判断したらいいか……不良の人達って、難しいですね」
「じゃ、まずは経験だわ」
とはいえレディースの女子達に混ぜて榊を連れ回すわけにもいかない。
そこで麗子は面倒見が良く懐の深い柳澤に話を通し、積極的に榊をそうした場へ参加させたのであった。また、麗子は幼少の頃より父方の祖父の合気道道場で研鑽を積んでいたこともあり、相手を打撃によって打ち砕くのではなく、さばいて制御する術を榊に伝授したりもした。
この甲斐あって榊は徐々に周囲の不良達とも意思の疎通ができるようになる。誤解がとけた途端に仲良くなったり、女子と共に授業を受ける者も出てきた。
こうして榊は麗子と柳澤の手厚い教化により花園、月輪、地蔵の三地区と連合を結成する際には幹部として柳澤の隣に並ぶまでになったのだ。
榊が四年に上がると麗子と柳澤が卒業した。柳澤は実家の造園業を継ぐべく働きはじめ、麗子は雪城地区の専門学校へ入学した。
麗子、柳澤という二人の傑物が巣立った後の花園高校定時を託されたのは、順番からいって榊である。
すでに敵対組織〔JOKER〕の首魁、籬 唇遣 は逮捕され実刑を受けている。籬に金で雇われた者どもは霧散し、連合を組んだおかげで御磨花市の地区同士の争いも激減した。
その頃になると実質花園高校を任されたのは桧村良太と桜庭譲二のツートップで、榊は後方に居て参謀のような役割を担うようになる。榊は進学することは親しい者以外には伏せ、ようやく受験勉強に本腰を入れることができたのだった。
今から遡ること八年ほど前。
御磨花市の花園、月輪、鳥居に存在した九つのレディースチームをまとめ上げた小田桐麗子は、簡単にいえば、いかにも十代の少女らしく将来について不安と焦りを抱えていたのだった。
──ここいらのチームはほぼ手中におさめた。
今の檸檬姐弩の人数は百人近くいるだろう。残すは〔
でも、そのあとは?
翔子さんとタイマン張って、勝って、あるいは負けてそのあと。
高校卒業して大人んなってそれから──
それから何があるんだ。
不良で、高卒で、勉強もできなくて、真面目でもないし、ちゃんと働いてるわけでもない。
仲間とはいずれ散り散りになってバイクだけが残って、それだけ?
風俗?パパ活?カラダ売るしか能がない?半グレやヤクザの女になる?
でなきゃ大人しく結婚でもして男に寄生する?
そうでなければ薬を捌いたり、弱い者から金巻き上げたり、守ってきたはずの地元でそんなことをして生きて、ヤバくなったら違う土地へ行きゃいい?
ウチらの人生ってそれでいいのか?
いいわけない。
あたしは地元が好きだ、ここで堅気としてまともに生きてやる。
実家の店を継いで、檸檬姐弩のみんなに生き方を示す。
でも、そのためにはまず何をすりゃいいんだ。
出口のない鬱屈した日々。そんな中、下級生に少々変わった男がいるとの噂が耳に入った。なんとヤンキーの巣窟、この花園高校で真面目に勉強をしているという。
好奇心に駆られ一年の教室をのぞいてみたが、そのような生徒はいなかった。花園定時は教員も勉学を教える気などまるでなく、出席確認をしてあとは勝手に各自自習だ。教室では柄の悪い連中が数人集まり馬鹿話で盛り上がっている。どの学年でも同じようなものだ。
いるわけないじゃん、そんな奴。
だいたい、この花園でお勉強なんかして何になるってんだ。
あたしは何を期待していたんだか──
馬鹿馬鹿しい。
ところが中庭へ出ようと定時制の職員室の前を通りかかると、いつもは休憩スペースで煙草をふかしながら麻雀雑誌で暇を潰している教員、松元の姿がない。今日はいないのか、と職員用のデスクへ視線を移すと、そこには教師と向き合って教科書とノートを広げている灰色の髪の男がいた。
本当にいたんだ、と興味をそそられた。どんな面構えをしている奴か、後ろを向いているので顔はわからない。だがそいつに対面している松元先生はいつもの、何事も面倒だと言わんばかりの覇気のない、すさんだ大人の表情ではなかったのだ。たった一人の生徒に対し授業を行う教師としての活気が見てとれた。
こんな高校でもちゃんと教えてくれんのか?
勉強もできりゃ楽しいもんなのかもしれねえ。
ダセエけど──いや、そもそも勉強がダサいってのはなんなんだ。
いいじゃねえか別に、そいつがやりたきゃ勉強でもなんでもやればいい。あいつは勉強したいからしてるんだろう。
じゃあ、あたしがこれからやりたいことは?
実家の洋菓子店を継ぐこと。それには技術と資格が必要になるはずだ。高校卒業して専門学校行って、それであたし一人はなんとかなるかもしれない、でも──
檸檬姐弩のみんなはどうなる?
それぞれの人生ってのがあるんだ、みんな同じじゃない。これから先、誰に何が必要になるかわからないんだ。学校入るのも、就職するのだって試験がある。資格取るにはそれなりの学力ってのがなきゃダメだろう。
ならやるしかない。あたしがまず、勉強ってのをやる気合と根性があるところを見せてやる。ダサかろうが何だろうが要るものは要るんだ。
逃げてたまるか!
決意を固めた麗子は定時制の教員、松元先生とたった一人の真面目な生徒、榊のいる職員室へ乗り込み、
「勉強教えてくんない?」
と申し出たのだ。
だが榊と麗子の学力には大きな隔たりがある。いきなり榊と同じ内容の授業を受けたところでついてはいけない。そこで榊はまず、中学三年程度の問題を解けるようになってから授業を受けてみてはどうかと提案した。そのための勉強は榊が麗子に教えるという。
榊と麗子は定時の生徒が集まる前に登校し、中学一年の参考書から始めた。
最初のうち、突如として「お勉強」を始めた麗子に檸檬姐弩の女達はおおいに戸惑った。
麗子さんどうしちまったんだよ。
あの白髪野郎に洗脳されてんじゃねえか。
ウチらよりあいつを取るってのか。
檸檬姐弩はどうなるんだよ。
女は男で変わるっていうけど──
まさか──
檸檬姐弩のメンバー達の不安を察した麗子は、屋上に皆を集めた。決してチームを見捨てたわけではないこと、将来まともな道を歩む努力をしていること、この町で堅気の生き方を示すこと、そのために榊に協力してもらっていることを説いて聞かせた。
強く尖っていて何者にも屈しない、気高い麗子像を追いかけてきた少女達はやはり戸惑いを隠せない。
中には当然、
「お勉強なんてダセえことし始めちゃ、麗子さんも終わりだな」
とチームを去る者の姿もちらほら見られたが、多くの女達は麗子と同じく未来への不安を抱えていたため彼女に感銘し、後に続いた。
こうして花園高校の不良少女達は麗子に倣い共に教科書を広げ、まずは榊から基礎を教えてもらったのだ。高校生にして九九さえまともに覚えていないような者たちだったが、榊は馬鹿にしたり揶揄ったりすることもなく真摯に接し、励まし、協力してくれた。
そのうち職員室では手狭になったので、ちゃんと教室を使うようになった。その頃になると、榊や麗子に続き学ぶ姿勢を見せはじめた生徒達に松元先生や他の教員も嬉しかったのであろう、実に熱心に授業してくれた。
これにより多くの女達が資格を取ったり、専門学校へ入学したり、就職したり家業を継いだり、おおよそ不良少女の末路ともいえぬ普通の大人になることができたのだ。麗子が榊龍時をそこらの男より一段高い場所において見ているのも、こうした理由によるものである。
榊龍時は麗子達に勉強を教え、地元花園で堅気の人生を歩むきっかけと励ましをくれた。
そして小田桐麗子が榊に教えたことは──
不良の
麗子のみたところ榊龍時という男は自分たちのような
花園高校の定時にいればそれなりに仲間内での小競り合いもあるし、他校からのカチコミも珍しくはない。最近は〔JOKER〕なる半グレ組織が
暴力のタイミングがいきなりすぎるんだよね。
ズレてるっていうか。
というのが不良の大先輩、麗子から榊への評価であった。
なんせ、メンチを切る→自分の名前と所属を名乗る→相手の素性を尋ねる→相手の用事を確認する、またはこちらの用事を伝える→喧嘩で解決する問題か否か探りを入れる→喧嘩に発展した場合まずは軽く小手調べ→徐々に本気を出し互いの実力を認識していく→自分と相手のダメージに応じて勝敗が決定→喧嘩終了、というお決まりの流れが全くない。不良の手順が通じないのだ。例を挙げれば、
「なんだぁお前、俺は──」
殴る。
「んだ、コラァ!てめえ何処のもん──」
殴る。
「何しに来やが──」
殴る。蹴る。
「やんのかコ──」
殴る、蹴る、蹴る。
「やりやがっ──」
殴る、蹴る、蹴る、踏む。
終了。
とこのように、榊を相手にするとヤンキーの通例が成り立たないのである。
花園高校の中には既に、榊をからかったり馬鹿にしたりしてやられた者達が何人かいた。そういう奴らからは話の通じない、不気味でイカれたコミュ障として遠ざけられている。なんせ不良の立場からすれば「普通の挨拶」をしただけで何故そこまでキレられるかが理解不能なのだ。
まずいわ、こりゃ。ああいうやり方はいずれ禍根を残す。
麗子は自分たちに勉強を教えてくれている恩人、榊がこの花園地区で、ひいては御磨花市の不良コミュニティでうまく生きていけるよう指導を開始した。
「確かにこの辺は見た感じ柄の悪そうな奴等が多いし、実際中身も悪いけど、いちおう物事の決まった流れってもんがある」
「そうなんですか」
「喧嘩腰でも実はびびってるだけとか、話を聞きゃあ本当は喧嘩沙汰にしたくないけど、引っ込みがつかないから勢いだけってことも多いね。こっちが弱そうと見ればイキっくる
「突っかかってくる人達、みんな怖いですし」
「あー……怖いから撃退してたってことか。まあ、榊くんから見ればそうかもね」
「初対面から威圧してきて、何してんだコラァ!って怒鳴るんですよ。こっちが聞いてもいないのに勝手に名乗ってきたりとか、中学はどこ出たとか、どこの地区に住んでるとか」
「それはまあ挨拶っていうか、自分はどこそこの誰それですって身分を開示しているというか」
「あれって挨拶と自己紹介なんですか⁉︎」
「そだね。榊くんに興味あったんじゃない?珍しいから」
「うわあ、気付かなかった、悪いことしたかも。あとで謝っとこ」
「場合によっては本気で喧嘩が目的の奴もいるから気を付けな」
「本気かどうかっていうのもどう判断したらいいか……不良の人達って、難しいですね」
「じゃ、まずは経験だわ」
とはいえレディースの女子達に混ぜて榊を連れ回すわけにもいかない。
そこで麗子は面倒見が良く懐の深い柳澤に話を通し、積極的に榊をそうした場へ参加させたのであった。また、麗子は幼少の頃より父方の祖父の合気道道場で研鑽を積んでいたこともあり、相手を打撃によって打ち砕くのではなく、さばいて制御する術を榊に伝授したりもした。
この甲斐あって榊は徐々に周囲の不良達とも意思の疎通ができるようになる。誤解がとけた途端に仲良くなったり、女子と共に授業を受ける者も出てきた。
こうして榊は麗子と柳澤の手厚い教化により花園、月輪、地蔵の三地区と連合を結成する際には幹部として柳澤の隣に並ぶまでになったのだ。
榊が四年に上がると麗子と柳澤が卒業した。柳澤は実家の造園業を継ぐべく働きはじめ、麗子は雪城地区の専門学校へ入学した。
麗子、柳澤という二人の傑物が巣立った後の花園高校定時を託されたのは、順番からいって榊である。
すでに敵対組織〔JOKER〕の首魁、
その頃になると実質花園高校を任されたのは桧村良太と桜庭譲二のツートップで、榊は後方に居て参謀のような役割を担うようになる。榊は進学することは親しい者以外には伏せ、ようやく受験勉強に本腰を入れることができたのだった。