Find a Way

◼︎ α×βは異種間恋愛 4

「あのさ、この薬のことだけど」
 桜庭が金属の筒を指し示し、爪で上から数回小突いた。
「二本買ってある。もし、お前に一本譲るか、売ると言ったらどうする」
 異国で買ったα用の抑制剤は二本だった。
「いや、それはジョーのだ。俺が使うわけにいかねえ。譲と絵美ちゃんの将来のためのもんだ」
 聞くまでもなくわかりきっていた回答だ。幼馴染で親友の良太であれば、そう言うと確信していた。
「でもよ、さっきの俺の話聞いたろ?Ωの発情期には勝てねえ。それに奴らの容姿なのかフェロモンなのか分からねえけど、こっちにもの凄く嫌な感覚を持たせる力を持った、バケモノみてえな種類の奴もいる。そういうΩに対する欲求を認めたら多分、人間として終わりだ。俺はお前にそうなって欲しくは無えんだ」
 この日、桜庭が良太を飲みに誘ったのは、今まで黙っていたΩへの敗北と、この薬の存在を知らしめるためだ。
 一昨年まではこの薬を現地で手に入れようと思えば決して不可能ではなかった。しかし現在その国は内政状態や近隣諸国との関係が悪化し、もう日本の一般人が旅行できるような場所ではなくなっているのが現状なのだ。
「……いや、やっぱダメだ」
「なんで」
「二本しかないんだろ。この先、発情したΩに会うかどうかはわからねえけどよ。一本は絵美ちゃんのため、もう一本は自分のためじゃねえか」
「けどよ……」
「いいから」
 俺は俺でいろいろ調べてみる、と良太は言った。
「じゃ、これからさ、俺と良とで情報交換していこうや」
「もちろん」
「ノーオメガの店とか教えるから」
「それってΩは立入禁止ってこと?」
 表向きはごくありふれた喫茶店や飲み屋だが、実はΩの入店を拒んでいるという店があるそうだ。
「ただし、Ω出禁って堂々と看板掲げて営業してると苦情が来るらしいから、ぱっと見は普通の店だな」
「なんで苦情がくんだよ。Ωの発情とかフェロモン避けなんだろ?」
「差別するなってさ。でもよお、それって一部のΩが発情期にわざとαの集まる場所でフェロモンアタックかましたり、馬鹿なことやってるから出禁になってんだけどな」
「そういうことする奴いんのか!つーかαの集まりにΩ一人だと乱交になんねえの?」
「なるんだろうな。去年、悪揃市おそろしのクラブでニ人のΩが発情促進剤使ってαの会合に乱入、Ωを奪い合ってα同士殴り合いの乱闘、さらに複数プレイで店内メチャクチャになったって。幸いαの中には何人か番持ちが居て、そいつらは難を逃れたらしいが」
 αは一度でもΩを番にしてしまえば、発情期の性フェロモンに耐性がつくといわれている。
「こわ……、てかいったんつがい持ちになっちまえば、他のΩの発情期は我慢できるようになるんだっけ」
「らしいな。だから俺、耐性つけるため適当なΩと番になって、それを隠して絵美と付き合うって方法も考えなかったわけじゃねえんだが……そりゃ流石にな……」
「ああ……」
 桜庭はこの他にもΩに関するさまざまな情報を良太に教えてくれた。密かにΩ立入禁止として営業している会員制の店も紹介してくれるという。

 居酒屋〔葵〕を出た後、良太と桜庭は帰路の途中〔紅蘭〕というラーメン屋に寄った。飲んだあとはそこで締めの醤油ラーメンを食べるのがいつものコースであった。
 春とはいえ夜はまだまだ冷える。良太の実家、桧村自動車と桜庭の実家、桜庭建設へ至る分かれ道の丁子路。突き当たりに設置されてある赤い自販機で、二人は温かい缶コーヒーを買った。
 街灯と自販機の明かりに照らされ、白い息を吐きながら桜庭はこんなことを言う。
「人間じゃないのかもな、俺らαと、Ωってやつは」
「ふーん、人間じゃねえとしたら、宇宙人とか?」
「そりゃ知らねえけどさ」
 桜庭は空缶をゴミ箱に投げ入れた。一つ欠伸をしながら両腕を上げて伸びをし、はやく人間になりたい、と何かの物真似のように言った。どこかで聞いたような台詞だ。
「αとβって異種間恋愛だよな。大変だよな、お互い」
 ま、頑張ろうや、じゃお疲れ、と桜庭と良太は別れた。
 良太はイシュカン恋愛というのが何のことか分からなかった。


 自宅への道のり、桜庭はこう考えていた。
 Ωに対して強烈な独占欲や加虐心が芽生えるのは、強者に対する弱者の怯え、恐怖、自己肯定感の低さ、嫉妬、嫌悪によるものなのではないか。
 Ωはひとたび発情しようものなら、そのフェロモンの効力によってαよりも絶対的に強者だ。あれをまともにくらって意識を保てるαなどいないと、身をもって知ってしまった。
 あの怖しいΩを腕力で押さえつけ、犯し、屈服させ、こちらが強いと証明しなければ恐怖を払拭できない。危険なΩを「もの」にして手元に置き、攻撃してこないよう管理と支配をすることで安心を得るべきだ。意のままにコントロールして自分の優位性を確立しなければ、とてもじゃないがあの生物とは共存していられない。
 そういう切羽詰まった弱者の余裕のなさが、Ωへ向かう欲望の全ての根源ではないか。Ω以外のものに対する愛情や恋慕の表出としての執着心や庇護欲とは根本が違う。
 しかしΩという生き物は、そうしたαの弱さのあらわれである性欲、束縛、加虐、依存といった行動を、「こんなにも愛されている」と好意的に受け取ってしまうもののようだ。
 ΩのSNSやブログ、体験談をもとにした小説、漫画、映画、そのどれを見てもαの性欲と束縛が強いほど〔運命の番〕などといってとろけたピンク色の表現を晒している。αの方もまたそれで喜ぶΩを〔運命の番〕と称して悦に入っている。
 Ωとαの運命、桜庭にはどうしてもそれが、まともな人間同士の所業とは思えないのだ。
 彼らははたから見てどんなに醜い関係であっても、犠牲者が何人いようとも、互いのフェロモンさえあれば全てを肯定できる。フェロモンが倫理を凌駕するのだ。

 人間は動物だ、でもケダモノになっちゃいけない。

 しかしαとΩのそれは人の枠から逸脱した、まさに獣の所業ではないか。ゆえにαとΩは──αの自分は、もともと人間以外の生き物なのでは?と不安になる。
 交際中の彼女、絵美はβだ。例えαという種が人間でなかったとしても、自分がΩのフェロモンを退け、人としての道を踏み外さなければ一緒にいることができると信じたい。
 αとβの間柄、その脆さと危うさ。榊と付き合い始めた良太もまた、自分と同じ悩みを抱えることとなるだろう。

 つまり一緒に戦える仲間ができたってことか。
 良太。
 運命なんか蹴散らして行こうぜ!

 桜庭は揚々とした気分で夜空を見上げた。満点の星空であった。
 
 

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