Find a Way
◼︎まだ知らない
いつの間にか手にしたレモンサワーのグラスを傾けながら、小田桐麗子がため息をつく。
「あ、正座崩していいよ、胡座かきな。でね、榊くんあんたのことやっぱ気にしててさ」
やはり麗子には直接、榊本人から連絡が来たものらしい。
「俺のこと気にしてくれてたんですか」
「良太くんに番はできたかって。まだいないみたいだって答えておいた」
「はい、実際いないっすね」
良太が頷く。
「番がいないってことは、まだ未練があるのかなって心配してた。βの自分に執着して、Ωと出会う機会を失っているのなら自分のせいなのかな、ってさ」
「ぶっちゃけ未練はありまくりです。今も、好きなんで」
「学校の授業なんかじゃヤバくて言えないようなαとΩの関係についても、ちゃんと教えてもらってたんでしょ。そろそろ覚悟決めてもいい頃合いじゃない。あの頃と違って、もう大人なんだから」
「大人だからとか、そういう問題じゃないっつうか……」
「榊くんはべつにあんたを嫌ってるわけじゃないんだよね。後輩に幸せんなってもらいたいのよ」
「好いてもいないΩっつう奴とヤったり、番とか、そういう関係になるのがαの幸せだってんなら、俺は幸せなんて絶対いらないですよ」
良太は頑なな態度を崩さない。うーん、と麗子がうなり、
「正直あたしの考えなんだけど、αは人口の二十パーセントで、Ωは十パーセントじゃない?そうすると番ができるαってほぼ半分ってことになるでしょ。じゃあ残り半分のαは、βと恋人や夫婦になれるってことだよね。なら榊くんとあんたもΩなんか関係なく付き合える可能性はある。でも、β側からすれば、いつΩに大事な人を取られるんだろうって、ずっと怯えてなきゃいけない。それならいっそお互い深い間柄になる前にさっさと番になってもらって、諦めた方が気が楽でしょ。αとΩはそれで幸せになれるし、βは傷が浅くて済む」
と意見を述べた。
αとΩが番うのは、βのためでもあるという。
「それって、榊さんが実は俺のこと好きだけど、Ωに取られんのが嫌だから最初から諦めてる、みたいに聞こえるんですけど」
「だから、あたしの考えでは、って言ったでしょ」
麗子は酒を飲み干した。グラスの中で氷が音を立てる。
置物のように黙っていた良太の幼馴染、桜庭がここにきてようやく口を開いた。
「あの、俺もαだからあんま迂闊なこと言えた立場じゃないんすけど、αのΩに対する本能的な欲求と、βの人に対する恋愛感情って違うような気がするんですよ。なので、こいつが番を手に入れても、きっぱり榊さんを忘れるかどうかは分からないじゃないですか」
さらに続けて言う。
「良太が仮にどっかのΩと番になったとしても、榊さんをまだ好きな気持ちが継続されたとしたら、もうドロ沼じゃないっすか。榊さんが遠くの大学行って、手の届かない距離だったらまだ良かったかもしれないっすけど……本当に帰ってくるんですよね?」
桜庭の質問によって、ようやくこの集まりの本題が提示された。
榊が花園高校の教師として赴任してくるのは本当なのか?
「戻ってくるのは本当。理科の先生だって」
麗子のスマホに榊龍時から着信があったのは、数日前の夕方であったという。
久しぶり、という挨拶から始まって互いの近況報告、今後の予定、昔の出来事、そして良太のことが話題にのぼった。
母校である花園高校に榊龍時が赴任してくるという確かな情報は、本人によって親しい友人知人たちにもたらされていたのだ。
当然ながら、「榊の親しい」の枠内に良太や桜庭は含まれていなかった。良太は榊のメールアドレスさえ教えてもらってはいないのである。
「また昔みたいに榊くんに告るつもりなの」
もうしょうがないか、みたいな態度で麗子が訊く。
はい、と良太は答えた。
いちおう言っとくけどさあ、と麗子が身を乗り出す。
「榊くんに迷惑かけたら、分かってるよな?」
もう一度、はい、と答えるしかない。
これまで彼女に敵対した輩がどうなってきたのか、知らぬ良太ではない。
かつて花園をはじめとする月輪 、鳥居、これら三つの地区には、縄張り争いを繰り広げていた九つのレディースチームがあった。そんな荒っぽい女達の統合を成し遂げたチーム〔檸檬姐弩 〕の元総長こそが、小田桐麗子なのである。
高校卒業と共に引退した麗子ではあったが、彼女の代で初めて九つのチームがひとつに纏まったとあって、今もなお現役世代と引退した世代に絶大な影響力を持っているらしい。
「あたしも人の恋路を邪魔したいわけじゃない。もし榊くんが絆されてあんたと付き合うってんなら、それはそれでいい。でもΩが現れた途端、そいつの尻を追いかけて恋人を蔑ろにするというのであれば……」
おそらく良太は、榊や仲間たちとの思い出のある慣れ親しんだこの町には、居場所がなくなるだろう。
最悪、この世にも居られなくなるかもしれない。
一人の青年として榊龍時を愛し、恋慕う心。
αとしてΩを求めてしまう本能的な欲求。
この二つの峻険の間で痛い目を見る日が来ることを、桧村良太はまだ知らない。
いつの間にか手にしたレモンサワーのグラスを傾けながら、小田桐麗子がため息をつく。
「あ、正座崩していいよ、胡座かきな。でね、榊くんあんたのことやっぱ気にしててさ」
やはり麗子には直接、榊本人から連絡が来たものらしい。
「俺のこと気にしてくれてたんですか」
「良太くんに番はできたかって。まだいないみたいだって答えておいた」
「はい、実際いないっすね」
良太が頷く。
「番がいないってことは、まだ未練があるのかなって心配してた。βの自分に執着して、Ωと出会う機会を失っているのなら自分のせいなのかな、ってさ」
「ぶっちゃけ未練はありまくりです。今も、好きなんで」
「学校の授業なんかじゃヤバくて言えないようなαとΩの関係についても、ちゃんと教えてもらってたんでしょ。そろそろ覚悟決めてもいい頃合いじゃない。あの頃と違って、もう大人なんだから」
「大人だからとか、そういう問題じゃないっつうか……」
「榊くんはべつにあんたを嫌ってるわけじゃないんだよね。後輩に幸せんなってもらいたいのよ」
「好いてもいないΩっつう奴とヤったり、番とか、そういう関係になるのがαの幸せだってんなら、俺は幸せなんて絶対いらないですよ」
良太は頑なな態度を崩さない。うーん、と麗子がうなり、
「正直あたしの考えなんだけど、αは人口の二十パーセントで、Ωは十パーセントじゃない?そうすると番ができるαってほぼ半分ってことになるでしょ。じゃあ残り半分のαは、βと恋人や夫婦になれるってことだよね。なら榊くんとあんたもΩなんか関係なく付き合える可能性はある。でも、β側からすれば、いつΩに大事な人を取られるんだろうって、ずっと怯えてなきゃいけない。それならいっそお互い深い間柄になる前にさっさと番になってもらって、諦めた方が気が楽でしょ。αとΩはそれで幸せになれるし、βは傷が浅くて済む」
と意見を述べた。
αとΩが番うのは、βのためでもあるという。
「それって、榊さんが実は俺のこと好きだけど、Ωに取られんのが嫌だから最初から諦めてる、みたいに聞こえるんですけど」
「だから、あたしの考えでは、って言ったでしょ」
麗子は酒を飲み干した。グラスの中で氷が音を立てる。
置物のように黙っていた良太の幼馴染、桜庭がここにきてようやく口を開いた。
「あの、俺もαだからあんま迂闊なこと言えた立場じゃないんすけど、αのΩに対する本能的な欲求と、βの人に対する恋愛感情って違うような気がするんですよ。なので、こいつが番を手に入れても、きっぱり榊さんを忘れるかどうかは分からないじゃないですか」
さらに続けて言う。
「良太が仮にどっかのΩと番になったとしても、榊さんをまだ好きな気持ちが継続されたとしたら、もうドロ沼じゃないっすか。榊さんが遠くの大学行って、手の届かない距離だったらまだ良かったかもしれないっすけど……本当に帰ってくるんですよね?」
桜庭の質問によって、ようやくこの集まりの本題が提示された。
榊が花園高校の教師として赴任してくるのは本当なのか?
「戻ってくるのは本当。理科の先生だって」
麗子のスマホに榊龍時から着信があったのは、数日前の夕方であったという。
久しぶり、という挨拶から始まって互いの近況報告、今後の予定、昔の出来事、そして良太のことが話題にのぼった。
母校である花園高校に榊龍時が赴任してくるという確かな情報は、本人によって親しい友人知人たちにもたらされていたのだ。
当然ながら、「榊の親しい」の枠内に良太や桜庭は含まれていなかった。良太は榊のメールアドレスさえ教えてもらってはいないのである。
「また昔みたいに榊くんに告るつもりなの」
もうしょうがないか、みたいな態度で麗子が訊く。
はい、と良太は答えた。
いちおう言っとくけどさあ、と麗子が身を乗り出す。
「榊くんに迷惑かけたら、分かってるよな?」
もう一度、はい、と答えるしかない。
これまで彼女に敵対した輩がどうなってきたのか、知らぬ良太ではない。
かつて花園をはじめとする
高校卒業と共に引退した麗子ではあったが、彼女の代で初めて九つのチームがひとつに纏まったとあって、今もなお現役世代と引退した世代に絶大な影響力を持っているらしい。
「あたしも人の恋路を邪魔したいわけじゃない。もし榊くんが絆されてあんたと付き合うってんなら、それはそれでいい。でもΩが現れた途端、そいつの尻を追いかけて恋人を蔑ろにするというのであれば……」
おそらく良太は、榊や仲間たちとの思い出のある慣れ親しんだこの町には、居場所がなくなるだろう。
最悪、この世にも居られなくなるかもしれない。
一人の青年として榊龍時を愛し、恋慕う心。
αとしてΩを求めてしまう本能的な欲求。
この二つの峻険の間で痛い目を見る日が来ることを、桧村良太はまだ知らない。