続・髭切先輩と膝丸くん(後編)

* * *

 アパートの内見のために一度こちらへ戻るという連絡が彼女からあった数日後、髭切の携帯に通知が届いた。
 民俗学研究会の三名の間で使用しているグループSNSで、引っ越すことが正式に決まったので、帰りますという彼女からのメッセージだった。
 盆明けの明日帰ってくるという彼女を迎えに行こうと言い出した髭切に、弟が異を唱えるはずがなく、翌日二人は駅の改札前で彼女を待った。

「あれっ、髭切先輩に膝丸くん? もしかして迎えに来てくれたの?」

 改札を抜けた彼女がこちらに気が付いて破顔した。久しぶりに見る主の姿だった。
 その隣に、よく見知った懐かしい顔が一人いる。前世で彼女の初期刀だった、陸奥守吉行だ。

「君は……!」

 思わぬ再会に弟が驚きの声を上げる。陸奥守はぱっと顔を輝かせた。

「民俗学研究会の髭切先輩に膝丸くん、じゃろ? 姉やんからよぉ話を聞いちゅうよ」
「幼馴染の吉行です。今日は引越しの荷造りを手伝いに一緒に来てくれたの」
「どうも、こんにちは」

 髭切は微笑みながら挨拶を交わす。呆気にとられていた膝丸は、それにつられるようにして頭を下げた。

「や~なんちゅうか、姉やんから聞いとったき、初めて会うた気がせんのぉ! おまさんら、ここが地元じゃろ? わしはこっちに来るの初めてやき、おすすめの観光地なんかあったらまた教えとうせ」

 陸奥守なりの冗談に髭切は笑う。昔と変わらない土佐訛りの強い口調が懐かしかった。
 未だ驚いた様子の膝丸を見て彼女は言う。

「こてこての土佐弁で驚いたでしょ。小さい頃に高知から引っ越してきたんだけど、坂本龍馬の大ファンで……それでこんな話し方」

 そう彼女に紹介されて陸奥守は豪快に笑い、膝丸もようやくその表情を崩した。

「ところで、入居するのは三日後だっけ。荷造りなら僕たちも手伝おうか?」

 髭切がそう提案すると、彼女の顔が喜色に満ちた。

「いいんですか? すごく助かります! ありがとうございます」
「おお、こき使われるんがわしだけじゃのうて済んだぜよ」

 軽口を叩く陸奥守の背中に、彼女はむくれて軽く拳骨を当てた。かつての審神者と初期刀の仲の良い姿を思い出して髭切は笑む。
 いつまでも立ち話はなんだから、と一行は駅構内を歩き出した。

「えーっと……吉行くんは今日は日帰り? ……にしては荷物が多いか」

 髭切は隣を歩く陸奥守に尋ねる。彼はボストンバッグを肩から下げていた。

「夏期講習が始まるき、入居の日まではとはいかんが明後日まではここにおるつもりじゃ」
「彼女の家に泊まるの?」
「そのつもりやけんど」

 髭切と陸奥守の何気ない会話に、驚きの声を上げたのは膝丸だった。

「ふ、布団は……」
「夏やきわしは雑魚寝でかまんよ」
「し、しかし……それはいくらなんでも……」

 弟が顔を赤くして慌てる。
 髭切は彼が何を考えているのか手に取るように分かった。彼女をうちに泊めようと自分が言い出した時も、こんな風に膝丸はうろたえていたのだ。彼は昔気質な面が強いので、年頃の男女が同じ部屋で寝起きするなんて受け入れがたいのだろう。
 とは言え、陸奥守吉行は審神者の初期刀だ。
 誰よりも主を案じていた刀剣で、生まれ変わっても幼馴染として一番近くで彼女を見守っていた彼が無体を働くとは髭切には思えないし、それは膝丸も分かっていることだろう。けれど、彼女が他の異性と同じ部屋で寝るのが嫌という気持ちは理解できるので、髭切は助け舟を出すつもりで切り出した。

「君たち、僕ん家に泊まったらどう? 布団も部屋もうちに余ってるのがあるし、それに引っ越し準備しながら毎食ご飯の用意をするのは大変じゃない?」
「兄者……!」

 弟の顔が輝いた。分かりやすくてかわいいなぁと髭切は思う。髭切の申し出に彼女は慌てた。

「でも、私……この間から二人には迷惑かけっぱなしだし……」
「おおーっ、そりゃ助かるのう! 姉やん、せっかくやき、ここは素直に甘えたらどうじゃ?」
「吉行まで! ごめんなさい、本当に遠慮がなくて」
「い、いや気にするな。俺も……彼ともっと話してみたいと思っていたところだ」

 膝丸がごにょごにょ呟くと、陸奥守はにかっと歯を見せて笑った。

「姉やんの面白おかしい話をこじゃんと聞かせちゃるき」
「何それ、先輩と膝丸くんに変なこと言わないでよ」

 彼女は呆れたように嘆息し、髭切と膝丸に向かって頭を下げた。

「……それじゃあ、今回もよろしくお願いします。本当にありがとうございます」
「そうと決まれば、まずは僕たちの家に荷物を置いてからにしようか」

 彼女や陸奥守が持っている荷物を指して、髭切は言った。主の手には大きなソフトバッグが下げられている。髭切がそれに目を留めると、彼女はバッグを肩から軽く持ち上げて、「浴衣」と言って笑った。髭切は、面映くなって微笑んだ。

 アスファルトに陽炎が立ち昇る、うだるような暑さの中を歩く。
 自分たちの家が見えてきた頃、髭切は門前に軽トラックが停まってるのに気がついた。
 その車体にもたれている人間がいて、更に近づいてみるとそれは顔見知りだった。明らかに不機嫌そうな彼の様子を見て、髭切は今日彼と会う約束をしていたのを思い出した。
 こちらに気づいた彼が、不満も露わに髭切に詰め寄る。

「ちょっと髭切、じゃがいもの苗を持っていくからって昨日言っておいたのに、家にいないってどういうこと? 電話したのに出ないし」

 彼は郷義弘が打った刀、桑名江……の生まれ変わりだ。
 髭切はポケットから携帯を取り出して、着信を確認する。「ありゃ」と呟くと、膝丸が呆れたように言う。

「兄者……また桑名との約束を忘れていたのか」
「君ってば、本当にそういうとこ、昔から変わらな……」

 桑名の声がそこで途切れた。
 長い前髪に隠された彼の目線が、自分たちの背後にいる主と陸奥守に向けられている。

「髭切先輩のお友達の方ですか? こんにちは」
「うわっ」

 彼女が軽く会釈をすると、桑名は真っ赤になって慌てふためいた。彼も審神者や陸奥守が転生している話は知っているはずだが、今世で顔を合わせるのは初めてだった。

「ちょっと待って! 心の準備できやんやん!?」

 焦るがあまり桑名の口から方言が飛び出す。
 桑名はあわあわしながら被っていたキャップ帽を外し、胸に手を置いて深呼吸すると、それを彼女に向かって差し出した。

「ええっと、どうも、こんにちは。僕は桑名っていうんだ」
「彼は隣の区の農大に通っているんだ。君と同じ一年生だよ。実家が農家で、よく苗や野菜をうちに分けてもらっているんだ。桑名、この子は僕の後輩。同じサークルなんだよ」

 髭切の紹介に彼女は頷いて、差し出された桑名の手を握った。

「初めまして、よろしくお願いします」

 初めまして、という言葉に桑名の指先がぴくっと反応した。目元が見えないので、彼が何を思ったのか髭切には測りかねた。
 桑名と彼女が手を離した瞬間、すかさず桑名の手を取った男がいた。陸奥守吉行だ。

「やー、どうもどうも! わしは吉行いうんじゃ。姉やんの友達の友達はわしの友達も同然ぜよ!」
「はは、どうも」

 お互い転生前の姿を知っているのでとんだ茶番だったが、桑名は懐かしい初期刀の姿に笑い声をこぼした。それから桑名は思い出したように、軽トラの荷台から緑の葉に包まれた野菜を取り出して、主に差し出した。

「お近づきの印に良かったらこれもらって。うちで取れたとうもろこし」
「桑名、それ僕んちにくれるやつじゃないの?」
「人の約束忘れるような髭切にあげるものはないよ」

 朗らかに容赦なく告げる桑名に彼女は苦笑した。

「せっかくなんですけど、私このあと引越しの準備があるから、今はもらえなくて……ごめんね」
「引越し? この時期に?」

 桑名はそう聞き返した後、引っ越しの理由に思いあたったのか、小さく声を上げた。彼にも時間遡行軍との経緯は話してある。
 おろおろして沈黙した桑名に、髭切は言った。

「これから僕たち、彼女の家に荷造りを手伝いに行くんだ」
「そ……うなんだ。僕もそうしたいけど、今日はまだ畑仕事が……」

 がっくりと肩を落とした桑名だったが、すぐにぱっと顔を上げた。

「入居の日はいつ? 事前に教えてくれたら、荷物運ぶ用に軽トラ出せるけど」
「えっ?」

 突然の桑名の申し出に、彼女は戸惑いの表情を浮かべる。それもそうだろう、桑名にとっては親しみある主だとしても、今の彼女からすれば桑名は初対面なのだ。それにドアの落書きの件があったので、他人に警戒心を抱いて当然だった。
 彼女の表情を見て今のが失言だと思ったのか、桑名は慌ててかぶりを振る。

「ごめんね、今の忘れて! ……会ったばかりの男にこんな提案されてびっくりしたよね」
「い、いえ……」
「いや、姉やん、よう考えてみい。引越し代がどんだけ浮くかっちゅう話じゃ。今ならまだ引越し業者のキャンセルも間に合うんやなか?」
「よ、吉行!」

 無遠慮を演じつつ、それは桑名を気遣った陸奥守なりの言葉だった。我が本丸の初期刀は、坂本龍馬の愛刀だけあって仲立ちが上手い。
 慌てる彼女に膝丸がそっと耳打ちする。

「……桑名は信用できる男だから大丈夫だ」
「でも……」

 彼女は判断に困ったように髭切に視線を寄越した。頷いてやると、それが最後の後押しになったのか、彼女はほっとして小さく息を吐きだした。

「桑名くん、ありがとう。それじゃあ、お願いしてもいい? 入居は三日後なんだ」
「うん、任せてよ。あっ、じゃあ僕の連絡先教えるね」

 桑名と主がお互いに連絡先を交換する様子を見て、髭切は弟を肘でつついた。

「桑名は出会って五分で連絡先を交換するのに成功したよ」
「……何が言いたいんだ、兄者」
「また手強いライバルが増えてしまったね」

 眉間に皺を寄せて苦虫を噛みつぶしたような顔をする膝丸を見て、からかいがいがあるなぁと髭切は思う。まあ恋敵が増えたのは自分も同じなのだが。
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