続・髭切先輩と膝丸くん(中編)

* * *

 どういう縁あってか、膝丸は人間として再び現世に生を受けた。審神者が亡くなってから数十年後のことだった。
 幼い頃から、膝丸はあやかしや幽霊といった普通の人間には見えないはずのものが見えた。その上、自分とも他人ともつかない記憶が己の中にあって、初めはそれを夢の中の話だと思っていたのだが、物心つくにつれて、膝丸はそれが自分の前世だったのだと理解した。
 ──審神者によって励起された刀の付喪神、刀剣男士。
 家族に年子の兄がいて、彼に相談すると自らもそうだと言った。前世でも彼は兄だった。
 歴史修正主義者との戦いが終わったのかどうか、人間として生まれ変わった膝丸には分からなかった。周りの大人に聞いても審神者などという職業は知らないと言う。歴史の流れに関わることなので、関係者以外には秘匿されていたのだろうと、兄である髭切と一緒に結論づけた。
 膝丸は今世でも己の心身を鍛えることに余念がなかった。
 小学生の頃に通い始めた剣道場の門下生に大包平がいることが分かって、それからどうやらこの街にたくさんの元刀剣男士たちがいるらしいということを膝丸は知った。
 彼女の刀剣男士がこれだけ一箇所に集まっているのを、偶然だとはとても思えなかった。きっとかつての主もこの近辺のどこかにいるに違いない──そう思って、子供なりに手を尽くしてあちこち探してみたが、彼女はどこにも見当たらなかった。思えば自分たちは彼女の本名も、実家がどこにあるかも知らされていなかったのだ。
 唯一、かつての本丸があった場所の見当はついていた。一度そこへ訪れてみた仲間がいたが、そこには現世と本丸を繋いでいた石造りの鳥居が残されているのみで、本丸は影も形もなかったらしい。何しろ彼女が審神者として活動していたのは今から何十年も前の話だ。

(けれど、俺たちは確かにそこへ存在したのだ。かつての……主と共に)

 諦めきれない気持ちをぶつけるように、膝丸は己の鍛錬を続けた。

 そうした日々を過ごしながら、やがて大学生になった膝丸はとうとう主を見つけた。
 彼女は同じ学科の同級生だった。入学式が行われる会場で、まだどこかぎこちないリクルートスーツ姿の彼女は、落ち着かない様子でそこに座っていた。
 以前の霊力は感じない。それでも、膝丸はかつての主だったと確信した。姿が転生前の彼女と瓜二つで、何よりその魂が同じ色をしていたからだ。
 ──あの日、突然別れることになった主が、今ここにいる。
 最期に何もできなかった自分が申し訳なくて、胸が重苦しくなる。けれどそれを上回るくらい、もう一度彼女に会えたのが嬉しかった。
 嬉しくて嬉しくて、入学式の間中、膝丸は桜が身体から舞い散ろうとするのを止めるのに必死だった。元刀剣男士たちは嬉しいことがあるとその体から桜が生まれる厄介な体質だった。
 式が終わってすぐ、膝丸は主の後ろ姿を追いかけた。
 
「あ……の、っ」

 会場から立ち去ろうとする彼女の目の前に立ったものの、いざ対峙するとなると、どう声をかけるべきか迷って膝丸はその場に立ち尽くす。
 そもそも、以前の主と接触していいものなのだろうか。仮にも歴史を守る審神者と刀剣男士だったはずなのに、ひょっとして自分はとんでもないことをしでかそうとしているのではないか──。
 きょとんとこちらに一瞥をくれた主は、膝丸が何も言えないでいるのを見て首を傾げた。
 膝丸は緊張で動けない。
 主は、どんな反応をするだろう。再会を喜んでくれるだろうか──。

「あの、私に何か?」
「…………」

 彼女のそれは、完全に初対面の人間に対する態度だった。
 呆然とする膝丸に、「あの?」と何度か声をかける。返事ができずにいると、彼女はまた首を傾げ、こちらを気にする素振りを見せつつ膝丸をその場に置いて歩き出した。

「あ、主、待っ……!」

 いざ彼女に接触する機会を失ってしまうとなると、途端に離れがたくなった。
 慌てて呼び止めようとした膝丸の声は、新入生たちの喧騒でかき消されてしまう。
 彼女の姿が遠ざかっていく。
 伸ばされた膝丸の手は虚しく空を切った。

(……お、俺も以前と外見が多少変わっているからな! きっと分からなかったんだろう。泣いてはない、泣いてはないぞ……!)

 膝丸はぐっと拳を作った。
 帰宅しようとする彼女の後を追いかけ、時に追い越して不自然に目の前を行ったり来たりしてみたが、彼女は膝丸に気付いていないようで何の反応も示さない。
 それでようやく膝丸は、主に以前の記憶がないらしいことを悟った。
 追うのを諦め、膝丸は急いで兄に連絡を取ることにした。膝丸は携帯に向かって思い切り叫ぶ。

「兄者! 主が……主が全く俺のことを覚えていない!」
「えーっと……状況がよくのみ込めないんだけど……」

 苦笑する髭切の顔が脳裏に浮かんで、膝丸はやや落ち着きを取り戻す。
 入学式の会場で前の主を見かけたことを髭切に説明すると、彼は大層驚いた様子だった。

「本当に主だったの?」
「ああ、俺が見間違うはずがない。ただ、彼女は俺に全く反応を示さなかった。以前の霊力も感じない。……主は、前世のことを覚えていないようだ」
「僕たちを覚えていない? ……うーん、こういう時は、そういうのに詳しそうな人にまず相談してみない?」

 膝丸と髭切が落ち合ったのは、石切丸が管理する神社だった。
 急な来訪だったにもかかわらず、石切丸は面会を快諾し、二人は社務所の中にある応接間に通された。
 ゆったりした動作で石切丸が茶菓子の用意をするのを、膝丸はそわそわしながら待つ。机の上に湯呑みと菓子を置いた石切丸が腰を下ろすと、膝丸は前のめりになってさっそく口を開こうとした。それを目線で制して、石切丸はにっこりと笑顔で言う。

「膝丸さん、大学入学おめでとう。スーツ、よく似合っているよ」
「え、あ、ああ。ありがとう」

 気勢をそがれて、腰を浮かせかけた膝丸は再び椅子に落ち着いた。石切丸は茶を膝丸たちに勧めて、

「前の主を見かけたんだね」

 と言った。
 一瞬、石切丸の言葉が理解できなくて膝丸は呆ける。
 ──何故彼が主の存在を知っている? やっぱり三条は、転生した後も何か特別な力を持っているのか?

「どうしてそれを……」
「何、簡単なことだよ。実はね、私は既に一度彼女に会っているんだ」
「そ、そう……だったのか」

 自分が一番に主を見つけた、と思って内心大喜びしていた己が大変滑稽で、膝丸は赤面する。石切丸は全てを見透かしたような笑顔で膝丸を見ていて、それが余計恥ずかしかった。

「主は石切丸のこと、覚えていたのかい?」

 髭切の問いかけに石切丸は首を横に振った。

「いいや、覚えていなかったよ。ごく普通に、参拝者と宮司として世間話をしただけさ。通学のために引っ越してきて、この近所で一人暮らしを始めたんだそうだ。入居した日に、この神社を参拝してくれてね。この近くに住んでいるということは、髭切さんや膝丸さんと同じ大学へ通うんだろうと思っていたんだ」

 だから、ここへ兄弟二人で訪れた時点で何を話したいのかある程度想像がついていたというわけなのだろう。

「膝丸さんは、彼女に昔のことを思い出してほしいと思っているんだね」
「それは……そう、なんだろうか。色々と、話したいことがあるのは確かだ」

 何せ、自分は彼女の最期の近侍だったのだ。
 石切丸は、膝丸の返答に「そうだね」と同意した上で、

「私はね、主がどうして前世のことを覚えていないのか、考えてみたんだ」
「覚えていない……理由?」
「うん……彼女は、ひょっとしたら過去のことを……自分が審神者だった時のことを忘れたいのかもしれない」

 石切丸の言葉に、膝丸は机の下で無意識に拳を握っていた。
 ──彼女は、前世を忘れたがっている? 自分たちと過ごしたあの時間を?
 そう、なんだろうか。自分は彼女を主として慕っていた。他の刀剣男士もそうだったと思う。彼女自身もいつも自分たちのことを気にかけてくれていた。
 ……けれど、あの最期だ。
 やっぱり審神者になんてなるんじゃなかった、と今際の際に彼女が考えたとしても不思議ではないのかもしれない。
 膝丸は何も言えないまま、ぐっと唇を噛み締めた。
 石切丸は言葉を続ける。

「前世は前世、今世は今世だ。彼女は確かに以前と同じ魂を持っているかもしれないけれど、歩んできた人生は必ずしも同じではないだろう?」
「つまり……主とは別人だと?」
「そこまで強く言い切るつもりはないけれど……でも、そうだね。私が言いたいのはそういうことなのかもしれない」

 石切丸は一度過去に思いを馳せるように目を伏せた。それから柔和な顔を作って膝丸に言う。

「ああ、今のはあくまでも個人的な意見だよ。現在の私たちは刀剣男士ではなく、時間遡行する力も持たないただの人間だし……」
「普通の人間には見えないものが見えたり、嬉しいことがあると体から桜が出たりするけど」

 茶々を入れた髭切に苦笑を浮かべて、石切丸は続ける。

「だから、かつての主に接触するのも、前世を思い出してほしいと行動するのも君の自由だ」

 膝丸はしばし沈黙したのち、渋面を作りながら石切丸に尋ねた。

「……あなたは、突然初対面の相手に、君の前世を知っている、俺は君の臣下だった、と言われたらどう思う」
「そうだね。まあ驚くだろうね。言い方によっては距離を置くかもしれない」
「……そう、だろうな」

 膝丸は頷いた。
 前の主と話をしたい、という気持ち自体が薄れたわけではないが、石切丸を訪ねた時の勢いは失せていた。

「……突然邪魔をしてすまなかった。話を聞いてくれてありがとう」
「いいえ。君たちが良き大学生活を送れるように、加持祈祷しておこうか」

 揶揄するように言う石切丸に、膝丸は苦笑した。
 
 石切丸と別れ、家路に着く道すがら、膝丸は髭切にごちた。

「……彼はすごいな。俺は、あんな風に前世と今世を別物だと割り切れない」
「うーん……あれは割り切っているというか、そうあろうと自分に言い聞かせているんじゃない?」
「そう……なのか?」
「だって、彼は今も僕たちのことを前の名前で呼ぶだろう? 本当に前世は前世だと割り切っているのなら、僕たちのことは今代の名前で呼ぶんじゃないかな」

 その言葉はすとんと膝丸の腹に落ちた。
 ──石切丸もまた、自分と同じように前世に囚われているのか。

「大抵のことはどうでもいいけどさ、僕にとって、前の主っていうのは他の大多数の人間よりちょっぴり特別な存在だよ。だからこそ、僕たちに過去の記憶があって、彼女は覚えてないっていうのはやっぱり寂しいよね。突然のお別れだったから、余計」
「兄者……」
「お前は、どうしたい?」
「俺は……」

 髭切に尋ねられて、膝丸は唇を噛んだ。

「……一言、彼女に謝りたかった。けれど前世の自分の死に際を語られて、尚且つ謝罪を受けて愉快になる人間などいないだろう。それをして楽になるのは俺だけで、それは単なる自己満足にすぎない。だから……無理に前世を思い出さなくても良いと思う」
「そう」

 それがお前の答えなんだね、と髭切は言った。
 膝丸は唇を噛み締めたまま頷く。そうするのが一番正しいと分かっている。けれど、胸の内側が晴れないのは何故だろう。

「お前がそう言うなら、僕も昔のことを盾にしてまで主に会うのはやめておこうかな」
「兄者が俺に合わせる必要は……!」
「同じ大学へ通ってるんだから、縁があればきっと彼女と接触する機会があるよ。お前も難しいことは考えずに、まずは同級生として彼女に話しかけてごらんよ」
「う、うむ……」
「それにせっかくの大学生活だし、もっと楽しいことを考えようよ」
「楽しいこと?」
「そうそう。サークルはどこに入るか決めた? まだなら僕と同じサークルに入らない? 民俗学研究会。部員が足りなくて廃部の危機なんだ」
「はあ。俺は居合の稽古があるんだが……」
「数合わせなんだから別に活動しなくてもいいんだよ」

 そう言って髭切は笑う。
 兄の頼みを断るのが膝丸は一番苦手だった。それにサークルに参加するとなると、幽霊部員になんてなるはずもない自分の性格を分かっているだろうに、兄は意地が悪い。
 ニコニコ笑って返事を待っている彼に、ぐうと唸って膝丸はうなだれた。

「……分かった。入部しよう」
「ふふ、ありがとう」

 笑顔で礼を述べる髭切に、膝丸はため息をついた。

 髭切と一緒に家に帰ってきた膝丸は、夕焼けに染まった庭を眺めていた。
 今世で膝丸の祖母だった人が残していったこの家は、規模は大分小さいが本丸とどこか雰囲気が似ていて、不思議と実家にいるよりも落ち着く。
 自分より一年早くこの家で暮らしていた兄はいつのまにか庭で家庭菜園を始めていた。畑仕事に精を出す姿を見ていると、まるであの頃に戻ったような錯覚すら覚える。

(あの人も、よく執務中に庭を眺めていたな……)

 かつての審神者の姿を思い出して、膝丸は胸が詰まった。
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