大包平は朝一番に主におはようが言いたい!

* * *

 大包平の朝は早い。
 目覚まし時計が鳴りだす気配を感じ取り、それがけたたましく喚くよりも早くアラームを切ると、大包平は布団から起き上がった。
 てきぱきと布団を押し入れに片付け、寝巻きから衣服を改めて刀剣男士共用の洗面所へと向かう。
 顔を洗って髪を整え、洗面所を出たところで、大包平はこの本丸の審神者に遭遇した。

「主、おはよう! 今日も良い朝だな」
「おはようございます、大包平さん。一日良い天気になりそうですね」

 審神者は縁側から空を見上げた。ちょうど登り始めた朝日が、晴れた秋の空を照らしだしている。もうそろそろ立冬を迎える本丸の庭では、皆で手入れした菊が咲いていた。
 空を眺めていた審神者は、その視線を大包平に移して笑う。

「大包平さんの挨拶は気持ちが良いです。朝から元気が出ます」
「そ、そうか。……そうか!」

 彼女の言葉に、大包平は晴れやかに顔を輝かせた。
 自分の挨拶が、審神者に活力をもたらすのだという。とても嬉しく、誇らしかった。

「近頃、明け方になるとめっきり寒くなってきましたね。冷えるからついつい猫背になってしまうんですが、大包平さんを見てると背筋を正さないといけないなぁと思います」
「この大包平は刀剣の横綱たる刀だからな。皆の模範となるよう努めるのは当然のことだ」

 自負心に満ち満ちた大包平の言葉に、審神者は笑って頷いた。
 主とその場で別れ、大包平は浮き足立った気分で食堂へと向かう。

「おはよう。どうした大包平、朝から機嫌が良さそうだな」

 朝食の際、隣に座った鶯丸が大包平の顔を見るなりそう言った。

「おはよう。……どうだ、鶯丸。俺の挨拶は元気が出るだろう?」
「……は?」
「今朝方、主と会った時に言われたのだ。俺の挨拶は気持ちが良くて、聞くと元気が出るらしい」
「なるほど。まあ確かに、物は言いようと言うか……その声のでかさは目が覚める」
「なので、明日から朝一番に主に挨拶するのを俺の日課にしようと思う」
「何やらまた面白いことを始める気だな」

 鶯丸は呆れ半分にやれやれと笑い、膳に向かって「いただきます」と手を合わせたのだった。

* * *

 翌朝、起床し身支度を整い終えた大包平は、審神者の自室が見える廊下に立っていた。ここであれば審神者が部屋から出てきた際に一番に声をかけることが可能なのだ。

(少し時間が早かっただろうか……)

 何しろまだ六時前である。
 時間を持て余してその場でうろうろしていた時、板張りの廊下が軋む音がして、審神者だと思った大包平は嬉々として振り返った。

「主、おは……」
「おお、大包平ではないか。おはよう」
「三日月宗近! お、おはよう。貴様、こんなところで何をしている!?」
「何、年寄りは朝が早いものだ。ただの日課の散歩だよ。この時間は朝露に濡れた菊が綺麗でな」

 三日月が廊下から庭を眺める。
 思わずその視線を追うようにして大包平も庭に目をやると、背後で障子が開く音がした。

「おはようございます」
「おはよう主。朝から部屋の前で騒がしくしてすまんな」

 現れた審神者に三日月が挨拶する。三日月に先を越されてしまった大包平は虚を突かれて声が出ない。
 審神者は大包平に目を止めてにっこり笑った。

「大包平さん、おはようございます」
「おっ、おはよう……」

 審神者につられるようにして口からまろび出た言葉は、およそ覇気がなかった。これでは審神者に元気を出させるどころではない。
 大包平をよそに三日月は審神者と会話を続けている。

「主。朝餉の時間まで俺と一緒に散歩はどうだ」
「ええ、気持ち良さそうですね」
「大包平も一緒に来るか?」
「だっ、誰が天下五剣と一緒に散歩などするものか!」
「はっはっは、嫌われたものだな。俺は悲しいぞ。では主、じじいを慰めると思って付き合ってくれ」

 悲しいとは微塵も思ってなさそうな三日月の喋り口調に大包平は苛ついた。こういう人を食った態度が前から気に入らないのだ。
 憤然とする大包平を笑顔で受け流し、三日月は審神者を伴って庭へ下りる。
 大包平を気にして主が振り返った。

「大包平さん、一緒に行きませんか?」
「俺は絶対に行かんぞ!」
「そうですか……すみません」

 断固拒否する構えの大包平に、審神者は肩を落として謝罪する。
 三日月と一緒に遠ざかっていく審神者の姿を見送った大包平は、苛つきながらその場を去ったのだった。

* * *

 ──昨日は失敗だった。
 今日こそは主に気持ちの良い挨拶を、と拳を握り締めた大包平は、三日月が日課の散歩とやらに出かけたのを確認してから主の寝所前に立ち寄った。
 廊下で仁王立ちして待機する大包平に、声をかけようとする刀剣男士がここに一人。

「大包平殿、おはようございます」
「おはようございます」

 数珠丸恒次。天下五剣の一振りだが、その名を振りかざすことなく礼節を弁えた刀だった。
 彼につられて丁寧語になってしまった大包平は咳払いを一つする。

「早いな」
「朝の勤行です。よろしければ大包平殿もいかがですか。読経し、今日も一日皆が無事過ごせるよう御仏に祈るのです」
「う、うむ。しかし俺は主に……」
「読経とは単に経典を唱えるだけに非ず。経を読み、声に出したそれを自らの耳で聴くこと。それは己の内側と向き合うことに繋がります」
「そ、そういうものなのか……」
「さあ、参りましょうか。唱和の後は写経などいかがでしょう」

 決して強制されているわけではないのに、数珠丸の言葉は不思議と抗えない力を持っている。
 大包平は、首を傾げながらも彼と共に歩き出したのだった。

* * *

 朝食の時間を迎え、集まった刀剣男士たちで賑やかな大広間の襖を大包平が開けた。

「おはようございます」

 爽やかな大包平の声と共に、開いた襖から眩い朝日が差し込む。

「うわっ……なんだ、この……綺麗な大包平は!? 後光が差してやがる!?」

 朝日を背負って入室する大包平が眩しかったのか、ソハヤノツルキが手で庇を作りながら驚きの声を上げた。
 食堂の椅子に座っていた審神者の前に歩いて行った大包平は、その胸に手を当ててうやうやしく一礼する。

「主、おはようございます」

 誰だお前、とざわつく一同をよそに、審神者は「おはようございます」と笑顔で答える。

「どうだ、元気は出たか」
「そうですね……」

 尋ねられた審神者は小首を傾げ、しばらく考えてから言った。

「心が洗われるような爽やかな気分になりました」

 ──二日目の挨拶、多分、成功……?

* * *

 午前五時。まだ日も昇らぬうちから、大包平は審神者の部屋が見える中庭で素振りをしていた。

(昨日は良い挨拶ができた。しかし、俺が一番に主に声をかけたわけではない)

 あの時、審神者は食堂にいた。大包平よりも先に主に挨拶した刀はきっと他にもいたはずだ。誰よりも一番を目指す大包平は、今日こそは自分が最初に審神者に声をかけるのだと朝から意気込んでいた。
 審神者の起床時間まであと一時間ほど。それまでここで刀を振るっていればちょうど良い朝稽古になるだろう。
 大包平は素振りを続ける。体が良い感じに温まってきた。
 更に素振りを続ける。今日は柄に手が馴染んで調子がよい。
 刀を振り上げる。額を汗が流れた。
 刀を薙ぐ。息が切れてきた。
 雀が本丸の軒先に集い、可愛らしい鳴き声を上げている。──いつしか辺りは黎明を迎えていた。
 夜明け前から一心不乱に素振りを続けていた大包平も、一時間以上刀を振り続けたとなるとさすがに疲労が蓄積してきた。

(主、今朝は遅いな。寝坊か……?)

 シャツの首元をくつろげてパタパタ風を送っていると、廊下を通りがかった鶯丸が大包平に声をかけた。

「大包平、おはよう」
「鶯丸か。おはよう」
「お前ってやつは本当に馬鹿だなぁ」
「朝起きて顔を合わせるなりそれか」
「主ならあちらにいるぞ」

 鶯丸が廊下の端を指差した。そこには和泉守兼定と談笑する審神者の姿がある。

「な、なにぃーっ!?」

 大包平は審神者の元へ走った。

「主! 何故そこにいる!?」
「お前が庭でやたら真剣に素振りしてるから、邪魔しねえように気ぃ使って違う戸から出てきたんだとよ」

 審神者の代わりに和泉守が呆れ顔で告げる。
 主の寝所は襖を隔てて執務室と一続きになっているので、中を通って大包平が目にすることなく廊下へ出たのだろう。
 自分が一番に挨拶するために待機していたのに、それが仇となってしまい、大包平は愕然とする。

「お前、朝から汗だくじゃねえか。服も乱れてるぜ」
「こっ、これは……!」

 和泉守に指摘され、大包平は慌てて襟元を正した。服装の乱れなど刀剣の横綱にあってはならないことである。ましてや、主の前で。

「朝から精が出ますね」

 微笑みながら審神者にそう言われて、汗だくの自分が何故か猛烈に恥ずかしくなる。

「ふ、風呂に入ってくる……」

 起床した時の勢いはすっかり失せて、大包平は肩を落として風呂場へ向かう。
 道中、審神者に「おはよう」を言い忘れていたことに気がついて、大包平はますます深く落ち込んだ。

 朝風呂で汗を流し、服を着替えて食堂へ向かって歩いていた大包平に審神者が駆け寄った。

「大包平さん!」
「……主」
「鶯丸さんから聞きました。私に挨拶するために朝からあちらで待っていてくださったんですね。ごめんなさい、そうとは知らなくて」

 鶯丸め、余計なことを、と大包平は心の中で毒づく。

「私、今日はまだ大包平さんの口から挨拶を聞いていません」

 茶目っ気を込めて言う審神者に、大包平はしばし言葉を失った。
 主は大包平が口に出すのを待って、じっとこちらを見上げている。
 深く息を吐き出すと、それと一緒に毒気も抜けて出て行くようだった。……さっき心の中で鶯丸を悪し様に言ったのは訂正しよう。
 姿勢を正した大包平は審神者に言う。

「……おはよう、主!」
「はい、おはようございます。今日も一日頑張りましょうね」

 微笑まれて、大包平は顔が熱くなるのを感じた。
 ──挨拶で元気をもらえているのは、自分の方なのかもしれない。

* * *

 審神者への朝一番の挨拶が習慣化して数ヶ月、本丸は秋模様から冬景色へと様変わりしていた。
 一段と空気が冷え込む今夜、大包平は第二部隊の隊長として、宵の口から遠征へ出る予定になっている。
 出発を控えた大包平は、報告のために執務室にいる審神者の元を訪れた。室内は火鉢が置かれて暖かく、時折小さく炭がはぜる音がする。

「主、出発の報告に来た。第二部隊はこれから遠征に出る」
「はい。気を付けて行って来てください」
「此度の遠征は一日を要する。……なので、明日の朝、お前におはようが言えない」

 大包平は悔しげにぐっと拳を握った。任務があるので仕方がないとは言え、毎日続けていた習慣が途切れるのを残念に思った。

「だから報告のついでに、主が寝る前の挨拶を言いにきた」
「寝る前の、ですか?」
「ああ。主……おやすみ」
「は、はい。……ええっと、ありがとうございます」
「何故礼を言う?」
「いえ、大包平さんはこれから遠征だし、おやすみって言い返すのもおかしいかと思って、何て返したらいいのか分からなくて」

 慌てたようにそう返す審神者に、大包平は笑う。

「それもそうだな。……ではそろそろ行ってくる」
「行ってらっしゃい」
「待っていろ。明日には驚くほど資源を持ち帰ってやるぞ」
「楽しみにしています」

 審神者の笑顔に見送られた大包平は、第二部隊を率いて遠征に出発した。
 たくさんの資源を前に感嘆の声を上げる審神者を想像すると、道中の足取りも軽く、やる気もみなぎるというものである。
 大包平に命じられて木炭を荷車に載せた後藤藤四郎が、炭で汚れた手を叩きながらぼやいた。

「まったく、これは出陣じゃなくて遠征だろ? そんなにやる気出す必要、あるか?」
「馬鹿を言え! どんな任務だろうと何事も全力で取り組むべきだ!」

 後藤藤四郎に喝を入れつつ、大包平自身も荷車にせっせと資源を積む。

「ふん、どうだ。この俺が一番多くの資源を積んだぞ。誉をもらうのはこの俺だ!」
「いや、遠征に誉とかないから。……ほんっと、大包平さんって大将のこと大好きだよなぁ」
「むっ、あれは玉鋼か! 後藤藤四郎、拾っておけ!」
「……はい、はい」

 重そうに腰を上げながら、後藤は大包平が指差した方へ向かった。
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