7.未来の君に会いに行く
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* * *
このみがこの世界に現れたのはテメンニグルの事件から2ヶ月後……バージルはこのみと魔界でひと月を過ごしたので、今から数えてあともう1ヶ月後のことだ。
元はテメンニグルでアーカムによって安置され、その後古物堂という骨董品店に持ち出された鏡から、彼女はこの世界へやってきた。
魔界でこのみから話を聞かされていたので、店を特定するのは容易だった。
バージルは日本へ赴く前に、一度このみの顔を確認しようと思って、未だこの地から去れずにいる。
まさかテメンニグルの事件からひと月余りで人間界に舞い戻ってくることになるとは思ってもいなかった。
双子の弟であるダンテの住まいはこの近くだ。
彼にはもう二度と会うことはないだろうと思って決別したというのに、あんな別れ方をした手前、万が一でも顔を合わせるようなことがあってはならなかった。
魔界から帰還した日から1ヶ月後の11月。
満月が怪しく輝く夜に、バージルは気配を殺して古物堂を見張っていた。
このみから聞いた話によると、彼女が鏡を通してこの世界にやってくるのは今夜のはずだ。
午前2時が半分過ぎようとする時間、古物堂へ忍び込む黒い影が見えた。
悪魔特有の臭気がバージルの鼻に届く。
あれがこの世界と異世界とを繋げた悪魔だ。
あの悪魔のせいで、このみはこの世界へ来る羽目になった。
しばらく物陰に潜んでじっとしていると、店の内部から男の怒鳴り声が聞こえ、直後にドアから転がるようにして飛び出てきた女がいた。
「…………っ!!」
このみだった。
思わず彼女の名前を叫びそうになって、バージルは狼狽えながら口を押さえてその声を飲み込んだ。
このみはセーラー服のスカートを翻し、月夜が照らす街路を駆けていく。
その彼女をつけまわすようにして、店から現れた蝶の群れが夜空に羽ばたいていた。
バージルの足はこのみを追って自然と駆け出していた。
このみとバージルが初めて出会ったのは、バージルが魔帝に挑む直前のことだ。
もしここでバージルが今のこのみに接触すれば、彼女のその記憶はどうなるのだろう。
不確定要素を増やさないためにも、今このみと直接言葉を交わすことはできなかった。
ダンテとこのみの出会いは、彼が悪魔に襲われるこのみを助けたことから始まる。
──ならば、その通りになるように行動すれば良い。
このみがダンテの事務所の方へ向かうよう、バージルは蝶の動きを誘導する。
時には先回りして、このみに迫ろうとする蝶を斬り伏せた。
そうして、このみはどれ程逃げ回っただろうか。
気配を殺し、このみに見つからないよう蝶を片付けるのにも神経がすり減ってきた。
何しろ彼女は嫌に勘が良く、少し近付いただけで視線が飛んでくるのだ。
バージルの目論見通り、このみは商店が林立する地区を抜け、ダンテの住まいが程近くにある崩壊したスラム街の一角へ迷い込んでいた。
すでに明け方近くになり、極度の緊張と蝶に追われる恐怖で疲労の色が濃く顔に現れたこのみが、瓦礫の上に座り込んで休んでいる。
その目には涙が浮かんでいた。
一人で佇んでいるこのみの姿が痛ましく、駆け寄って抱き締めてやりたかったけれど、今はどうしようもできない自分にバージルはひどく苛立つ。
突然、このみの目の前に血の色をした紋章が次々に浮かび上がった。
悪魔が人間界に顕現する際に現れる紋章だ。
その紋章から黒いフードを被った、死神のような姿の悪魔──ヘル=プライドが現れ、驚き引きつった顔でこのみは硬直する。
悪魔は不快な雄叫びを上げ、このみに向かってその手に持った鎌を振り上げた。
このみは小さく悲鳴をもらし、頭を守るように両手を掲げる。
「ちっ……」
バージルが悪魔に向かって幻影剣を打ち込もうとしたその時だった。
赤い一陣の風がスラム街を駆け抜けて、このみに肉薄した。
それはバージルの双子の弟……ダンテに他ならなかった。
このみを右腕の中に庇ったその男は、左手に銃を掲げて、その銃口を悪魔に向ける。
雑魚程度の悪魔では、ダンテの敵になり得ない。
バージルは己の周囲に展開していた幻影剣を打ち消した。
──これが、ダンテとこのみの出会いだったのか。
2人の邂逅を物陰で見つめながら、バージルは胸に痛みを覚えていた。
ダンテが悪魔を殲滅し終え、このみの安全が確保されたことを確信したバージルは、その場から離れようとした。
これ以上ダンテとこのみを見ていたくなかった。
けれどそんなバージルの感傷的な思いを裏切るように、このみは悲鳴を上げてダンテから逃げ出した。
脱兎の如く駆け出したこのみにバージルは唖然とする。
(これが2人の出会いでは……なかったのか?)
その後、再びこのみとダンテが顔を合わせ、半ばダンテが無理やり彼女を家の中に連れ込むのを見届けたバージルは、慣れないことをした疲労で溜息をついた。
* * *
宿屋に戻ったバージルは、ベッドに横になったまま眠れずにいた。
何となく手持ち無沙汰で、普段は興味を示さないテレビを点ける。
ちょうど映画専門チャンネルが映って、バージルはザッピングする手を止めた。
それはバージルがこのみとウクレレでセッションしたあの曲が主題歌の映画だった。
しばらくそのまま映画を眺める。
その古い映画は今見ると退屈でしょうがなかったが、エンドロールのあの曲は悪くないと思った。
その曲を聴きながら、バージルは考える。
このみはこの世界に染まりすぎたせいで、元の世界に戻れなくなった。
魔界で一緒に過ごしていた時、そう聞いている。
けれど今なら、異世界同士を繋ぐあの鏡を取り返せる。
そうすれば、あのこのみは何も知らないまま元の世界に帰ることができるのだ。
両親と離れ離れになることもなく、悪魔に影を奪われず、バージルを助けるために視力を失うこともなかった。
辛い思いなど何一つせずに済んだ。
本当に彼女のためを思うのであれば、鏡を今すぐ取り返すべきだった。
けれど、あのこのみを元の世界に返したら、バージルと魔界で過ごしたこのみはどうなるのだろう。
バージルの横で笑っていた彼女はいなくなって、あのひと月もなかったことになるのか。
魔帝の攻撃からこのみに救われた自分は?
もしこのみが元の世界へ戻ったとしたら、その瞬間にここに立っている自分は消えるのかもしれない。
──それを、嫌だと思った。
バージルと共に過ごしたこのみと、先程見たこのみは同一世界の人物ではないかもしれない。
けれど確信が持てない以上、バージルができる行動は一つだけだ。
共に過ごしたこのみは、3年後に帰ってくるかもしれない。
その未来のこのみに、会いに行く。
顔を見るだけでは足りない。
もう一度会って話がしたくて、声が聞きたくて、名前を呼んでほしかった。
このみと過ごした魔界でのあの日々を、なかったことにはしたくなかった。
そのために今、できることをする。
* * *
「っあの……愚弟がっ!!」
彼らの出会いを見届けてから幾数日。
バージルはギリギリと歯軋りしていた。
地団駄を踏まんばかりの勢いである。
バージルから見たダンテとこのみは、決して折り合いが良いとは言えなかった。
今もダンテが幼稚な嫉妬心でこのみを置き去りにし、彼女を危険に晒したところだ。
すぐにでも出て行ってその顔をぶん殴ってやりたいところだったが、そんなことをすれば今日までこのみに会いたいのを耐えてきたのが全てぶち壊しになる。
というかそもそも、この流れは正解なのか。
このみの口からダンテの名を聞くのが嫌だったので、彼らの出会いや関係をバージルから深く聞くことはなかったのだが、今思えばそれは悪手だったかもしれない。
こんな生産性のないことはやめて、さっさと閻魔刀を直しに行くべきなのだろう。
そう思うのに、やはりバージルはこの地から離れられないでいるのだ。
このみは必死に、鏡の在り処を探していた。
一冊のノートと片言の英語で、目撃情報がないか聞き込みを続けている。
時折、そんな彼女を怒鳴りつけたり絡んでくる人間もいて、それでも故郷に帰るために決して止めようとしない彼女に憐れみを覚えた。
曇天のある昼下がりの日のこと。
聞き込み先で偶然行き合ったダンテとこのみは、昼食のためにファストフード店へ入って行った。
ガラス越しにダンテがこのみに何か言って、このみが気後れしながらレジへ並ぶのが見えた。
そこへどやどやと若い男たちが店へと入って行く。
顔ぶれに見覚えがあった。
以前聞き込みをするこのみに絡み、往来で彼女を侮辱するような言葉を吐いた愚物どもだ。
男たちはレジに並ぶこのみに口々に何か言っている。
うつむき、立ち竦んだこのみを見て、バージルは眉間に皺を寄せた。
ハンバーガーをテイクアウトした男たちは、店を出た後もこのみを話題にして、聞くに耐えない猥雑な話を続けている。
(……閻魔刀が折れていなければ、今すぐ切り刻んで殺してやったのに。運が良い奴らだ)
昼食を終えたダンテはこのみと店の前で別れて、どこかへ去っていく。
その口元は硬く引き結ばれていて、怒りの色が内包されていた。
彼女と折り合いが良いとは言えない彼も、このみのために腹を立てることがあるのだと分かって少し安堵した。
一人残されたこのみはしばらく店の前でじっと突っ立っていたが、やがて降り出した雨の中を歩き出した。
俯きがちにとぼとぼと道を行くこのみは、今にも泣き出しそうな顔をしている。
きっと心の中では、この空模様と同じように涙を流しているのだろう。
いっそこのまま、このみを連れ去ってしまおうか。
哀れなこのみの姿に、そんな馬鹿な考えすらよぎる。
バージルはそんな思いを打ち消すように、小さく首を振った。
それから数日間、このみはダンテの事務所から出てくることはなかった。
大量の荷物を持った小太りの男が慌ててやってきたり、白衣の医者らしき人物が出入りしているのが見えたので、このみが体調を崩したのだということは分かった。
そうしてしばらく日を置いて、回復したらしいこのみは、ようやく事務所の外へ姿を現した。
これからダンテと共に買い物にでも行くのか、彼と連れ立って歩くその表情は数日前と打って変わって、晴れやかな笑顔が浮かんでいる。
まだ覚束ない英語で、このみは楽しそうにダンテに向かって話しかけていた。
風邪を引いて寝込んでいる間に何かあったのか、どうやらダンテと良好な関係を築くことができたようだ。
バージルはそんな彼女を見て安堵すると同時に、一抹の寂寥感を抱く。
これから彼女は、ダンテとの思い出を築いていくのだろう。
(これで、もう大丈夫か……)
そうして、バージルはようやく日本へ渡る決心がついた。
このみがこの世界に現れたのはテメンニグルの事件から2ヶ月後……バージルはこのみと魔界でひと月を過ごしたので、今から数えてあともう1ヶ月後のことだ。
元はテメンニグルでアーカムによって安置され、その後古物堂という骨董品店に持ち出された鏡から、彼女はこの世界へやってきた。
魔界でこのみから話を聞かされていたので、店を特定するのは容易だった。
バージルは日本へ赴く前に、一度このみの顔を確認しようと思って、未だこの地から去れずにいる。
まさかテメンニグルの事件からひと月余りで人間界に舞い戻ってくることになるとは思ってもいなかった。
双子の弟であるダンテの住まいはこの近くだ。
彼にはもう二度と会うことはないだろうと思って決別したというのに、あんな別れ方をした手前、万が一でも顔を合わせるようなことがあってはならなかった。
魔界から帰還した日から1ヶ月後の11月。
満月が怪しく輝く夜に、バージルは気配を殺して古物堂を見張っていた。
このみから聞いた話によると、彼女が鏡を通してこの世界にやってくるのは今夜のはずだ。
午前2時が半分過ぎようとする時間、古物堂へ忍び込む黒い影が見えた。
悪魔特有の臭気がバージルの鼻に届く。
あれがこの世界と異世界とを繋げた悪魔だ。
あの悪魔のせいで、このみはこの世界へ来る羽目になった。
しばらく物陰に潜んでじっとしていると、店の内部から男の怒鳴り声が聞こえ、直後にドアから転がるようにして飛び出てきた女がいた。
「…………っ!!」
このみだった。
思わず彼女の名前を叫びそうになって、バージルは狼狽えながら口を押さえてその声を飲み込んだ。
このみはセーラー服のスカートを翻し、月夜が照らす街路を駆けていく。
その彼女をつけまわすようにして、店から現れた蝶の群れが夜空に羽ばたいていた。
バージルの足はこのみを追って自然と駆け出していた。
このみとバージルが初めて出会ったのは、バージルが魔帝に挑む直前のことだ。
もしここでバージルが今のこのみに接触すれば、彼女のその記憶はどうなるのだろう。
不確定要素を増やさないためにも、今このみと直接言葉を交わすことはできなかった。
ダンテとこのみの出会いは、彼が悪魔に襲われるこのみを助けたことから始まる。
──ならば、その通りになるように行動すれば良い。
このみがダンテの事務所の方へ向かうよう、バージルは蝶の動きを誘導する。
時には先回りして、このみに迫ろうとする蝶を斬り伏せた。
そうして、このみはどれ程逃げ回っただろうか。
気配を殺し、このみに見つからないよう蝶を片付けるのにも神経がすり減ってきた。
何しろ彼女は嫌に勘が良く、少し近付いただけで視線が飛んでくるのだ。
バージルの目論見通り、このみは商店が林立する地区を抜け、ダンテの住まいが程近くにある崩壊したスラム街の一角へ迷い込んでいた。
すでに明け方近くになり、極度の緊張と蝶に追われる恐怖で疲労の色が濃く顔に現れたこのみが、瓦礫の上に座り込んで休んでいる。
その目には涙が浮かんでいた。
一人で佇んでいるこのみの姿が痛ましく、駆け寄って抱き締めてやりたかったけれど、今はどうしようもできない自分にバージルはひどく苛立つ。
突然、このみの目の前に血の色をした紋章が次々に浮かび上がった。
悪魔が人間界に顕現する際に現れる紋章だ。
その紋章から黒いフードを被った、死神のような姿の悪魔──ヘル=プライドが現れ、驚き引きつった顔でこのみは硬直する。
悪魔は不快な雄叫びを上げ、このみに向かってその手に持った鎌を振り上げた。
このみは小さく悲鳴をもらし、頭を守るように両手を掲げる。
「ちっ……」
バージルが悪魔に向かって幻影剣を打ち込もうとしたその時だった。
赤い一陣の風がスラム街を駆け抜けて、このみに肉薄した。
それはバージルの双子の弟……ダンテに他ならなかった。
このみを右腕の中に庇ったその男は、左手に銃を掲げて、その銃口を悪魔に向ける。
雑魚程度の悪魔では、ダンテの敵になり得ない。
バージルは己の周囲に展開していた幻影剣を打ち消した。
──これが、ダンテとこのみの出会いだったのか。
2人の邂逅を物陰で見つめながら、バージルは胸に痛みを覚えていた。
ダンテが悪魔を殲滅し終え、このみの安全が確保されたことを確信したバージルは、その場から離れようとした。
これ以上ダンテとこのみを見ていたくなかった。
けれどそんなバージルの感傷的な思いを裏切るように、このみは悲鳴を上げてダンテから逃げ出した。
脱兎の如く駆け出したこのみにバージルは唖然とする。
(これが2人の出会いでは……なかったのか?)
その後、再びこのみとダンテが顔を合わせ、半ばダンテが無理やり彼女を家の中に連れ込むのを見届けたバージルは、慣れないことをした疲労で溜息をついた。
* * *
宿屋に戻ったバージルは、ベッドに横になったまま眠れずにいた。
何となく手持ち無沙汰で、普段は興味を示さないテレビを点ける。
ちょうど映画専門チャンネルが映って、バージルはザッピングする手を止めた。
それはバージルがこのみとウクレレでセッションしたあの曲が主題歌の映画だった。
しばらくそのまま映画を眺める。
その古い映画は今見ると退屈でしょうがなかったが、エンドロールのあの曲は悪くないと思った。
その曲を聴きながら、バージルは考える。
このみはこの世界に染まりすぎたせいで、元の世界に戻れなくなった。
魔界で一緒に過ごしていた時、そう聞いている。
けれど今なら、異世界同士を繋ぐあの鏡を取り返せる。
そうすれば、あのこのみは何も知らないまま元の世界に帰ることができるのだ。
両親と離れ離れになることもなく、悪魔に影を奪われず、バージルを助けるために視力を失うこともなかった。
辛い思いなど何一つせずに済んだ。
本当に彼女のためを思うのであれば、鏡を今すぐ取り返すべきだった。
けれど、あのこのみを元の世界に返したら、バージルと魔界で過ごしたこのみはどうなるのだろう。
バージルの横で笑っていた彼女はいなくなって、あのひと月もなかったことになるのか。
魔帝の攻撃からこのみに救われた自分は?
もしこのみが元の世界へ戻ったとしたら、その瞬間にここに立っている自分は消えるのかもしれない。
──それを、嫌だと思った。
バージルと共に過ごしたこのみと、先程見たこのみは同一世界の人物ではないかもしれない。
けれど確信が持てない以上、バージルができる行動は一つだけだ。
共に過ごしたこのみは、3年後に帰ってくるかもしれない。
その未来のこのみに、会いに行く。
顔を見るだけでは足りない。
もう一度会って話がしたくて、声が聞きたくて、名前を呼んでほしかった。
このみと過ごした魔界でのあの日々を、なかったことにはしたくなかった。
そのために今、できることをする。
* * *
「っあの……愚弟がっ!!」
彼らの出会いを見届けてから幾数日。
バージルはギリギリと歯軋りしていた。
地団駄を踏まんばかりの勢いである。
バージルから見たダンテとこのみは、決して折り合いが良いとは言えなかった。
今もダンテが幼稚な嫉妬心でこのみを置き去りにし、彼女を危険に晒したところだ。
すぐにでも出て行ってその顔をぶん殴ってやりたいところだったが、そんなことをすれば今日までこのみに会いたいのを耐えてきたのが全てぶち壊しになる。
というかそもそも、この流れは正解なのか。
このみの口からダンテの名を聞くのが嫌だったので、彼らの出会いや関係をバージルから深く聞くことはなかったのだが、今思えばそれは悪手だったかもしれない。
こんな生産性のないことはやめて、さっさと閻魔刀を直しに行くべきなのだろう。
そう思うのに、やはりバージルはこの地から離れられないでいるのだ。
このみは必死に、鏡の在り処を探していた。
一冊のノートと片言の英語で、目撃情報がないか聞き込みを続けている。
時折、そんな彼女を怒鳴りつけたり絡んでくる人間もいて、それでも故郷に帰るために決して止めようとしない彼女に憐れみを覚えた。
曇天のある昼下がりの日のこと。
聞き込み先で偶然行き合ったダンテとこのみは、昼食のためにファストフード店へ入って行った。
ガラス越しにダンテがこのみに何か言って、このみが気後れしながらレジへ並ぶのが見えた。
そこへどやどやと若い男たちが店へと入って行く。
顔ぶれに見覚えがあった。
以前聞き込みをするこのみに絡み、往来で彼女を侮辱するような言葉を吐いた愚物どもだ。
男たちはレジに並ぶこのみに口々に何か言っている。
うつむき、立ち竦んだこのみを見て、バージルは眉間に皺を寄せた。
ハンバーガーをテイクアウトした男たちは、店を出た後もこのみを話題にして、聞くに耐えない猥雑な話を続けている。
(……閻魔刀が折れていなければ、今すぐ切り刻んで殺してやったのに。運が良い奴らだ)
昼食を終えたダンテはこのみと店の前で別れて、どこかへ去っていく。
その口元は硬く引き結ばれていて、怒りの色が内包されていた。
彼女と折り合いが良いとは言えない彼も、このみのために腹を立てることがあるのだと分かって少し安堵した。
一人残されたこのみはしばらく店の前でじっと突っ立っていたが、やがて降り出した雨の中を歩き出した。
俯きがちにとぼとぼと道を行くこのみは、今にも泣き出しそうな顔をしている。
きっと心の中では、この空模様と同じように涙を流しているのだろう。
いっそこのまま、このみを連れ去ってしまおうか。
哀れなこのみの姿に、そんな馬鹿な考えすらよぎる。
バージルはそんな思いを打ち消すように、小さく首を振った。
それから数日間、このみはダンテの事務所から出てくることはなかった。
大量の荷物を持った小太りの男が慌ててやってきたり、白衣の医者らしき人物が出入りしているのが見えたので、このみが体調を崩したのだということは分かった。
そうしてしばらく日を置いて、回復したらしいこのみは、ようやく事務所の外へ姿を現した。
これからダンテと共に買い物にでも行くのか、彼と連れ立って歩くその表情は数日前と打って変わって、晴れやかな笑顔が浮かんでいる。
まだ覚束ない英語で、このみは楽しそうにダンテに向かって話しかけていた。
風邪を引いて寝込んでいる間に何かあったのか、どうやらダンテと良好な関係を築くことができたようだ。
バージルはそんな彼女を見て安堵すると同時に、一抹の寂寥感を抱く。
これから彼女は、ダンテとの思い出を築いていくのだろう。
(これで、もう大丈夫か……)
そうして、バージルはようやく日本へ渡る決心がついた。