30‐A.君の逆鱗
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* * *
「ちょっ……、ちょっと待って下さい!」
「いいや待たないね、早く鏡を見つけて元の世界に戻らないと……っ!」
このみは朝早く、大輔に手を無理やり引かれて街中を走り回らされていた。
異世界人2人が連れ立っていると否が応でも目立つのだが、このみも大輔も周囲の視線を気にしている余裕などない。
大輔は何が目的なのか、しきりにキョロキョロと街並みを見渡している。
そんな彼に痺れを切らしたこのみは、とうとう大きな声を出した。
「待って下さいってば!」
足を踏ん張って、このみは大輔に掴まれていた腕を無理やりほどいて立ち止まった。
このみを振り返る大輔の顔には、焦りと苛立ちの色が表れている。
「何!?」
「どうしてダンテに何も言わずに家を出るんですか!?」
このみと大輔の隣にダンテはいない。
彼が寝ている間に家を抜け出て来たのだ。
「だってあの人、半分悪魔だろ?悪い人ではなさそうだけどさ……この世界に君や俺を連れてきたのも悪魔だよ。
そんな血が半分流れてる奴を簡単に信じられるわけないだろ?」
「ダンテはそんなんじゃないです!」
ムキになってこのみは言い返す。
「昨日だって、わたしたちを助けに来てくれたじゃないですか!
ダンテはわたしがこの世界に来てからずっと面倒をみてくれてるんです……!」
「……あのさ、昨日から思ってたけど、伊勢さんってあのダンテって人のこと好きなの?
だって、あんまりゲスいこと考えたくないけど、一緒に住んでるってそういうことだよね?」
「…………っ!?」
思わず口ごもったこのみを見て、大輔は呆れたような顔を作った。
「図星?君のそれって何て言うか……ストックホルム症候群みたいなものじゃないの?
それか吊り橋効果」
「……ストックホルム症候群?」
「誘拐犯に同情したり恋心抱いたりするアレ」
大輔の言葉に、このみは顔がカッと熱くなるのを感じだ。
恥ずかしいことに、怒りのあまり泣きそうにすらなる。
「違います!わたしは誘拐されたわけでも無理やりあの家にいるわけでもありません!」
自分の意思で、このみはダンテの事務所に残ることを選んだのだ。
色んな出来事を通してダンテを知っていって、そんな日々を積み重ねた結果が今だ。
いさかいやすれ違いもあったけれど、それ以上に彼と共にいることに幸せを覚えた。
それは紛うことのないこのみの本心だ。
大輔に腹が立つやらうまく説明できない自分が情けないやらで、真っ赤な顔で泣きそうになるこのみを見て、大輔は慌てた。
「っと、ごめん、泣かせる気はなかったんだ。ただ、伊勢さんは本当に帰る気があるのかなって……」
「……どういう意味ですか」
「だって本当にあの……ダンテって人が好きなら、帰りたくないんじゃないかって思ったんだ」
その言葉を受けて、このみはムキになって否定する自分の態度そのものがダンテへの気持ちを表しているのだと気が付いた。
怒りで赤くなっていたこのみの頬は、今度は恥ずかしさで熱を持つ。
「……帰ります。今までずっとそのつもりで鏡を探してたから」
「ならいいんだけど」
大輔も少し言い過ぎたと思ったのか、気まずげな顔で鼻の頭をかいた。
そして早朝の街中を見渡す。
「……さて、俺はどうやってこの街にきたんだったかな」
「佐藤さんはトラックの荷台の中にいたんですよね。
そうなるとどこを走っていたのかも分からないんじゃ……」
「しかも寝てたしね。今日も同じトラックが走ってたり……しないよなぁ……」
勇んで歩き回っていたはいいが、大輔の目的はやすやすと達せられそうにはなかった。
「佐藤さん、やっぱりそう簡単にジャンの場所を突き止めるのは無理です。
それにまた2人でいる時に襲われたら対処できませんし、屋敷を見つけてもわたしたちの力じゃジャンに歯が立ちません」
「うん……」
言外にダンテの元へ戻ろうとこのみは言っているのだが、大輔は頷きながらもまだ渋い顔をしている。
「……ダンテは良い人ですよ。3年近く一緒にいたから分かります」
「君にとってはそうかもしれないけど、俺は明らかに目の敵にされてる気がするんだよなぁ……」
大輔は溜め息をついた後、またぶらぶらと歩き出す。
このみは大輔が事務所に戻るつもりはないのだと判断したのだが、彼を1人にするわけにもいかないので、仕方なく後について行った。
キョロキョロと街並みを見渡して、大輔は行きかう人々を気味悪そうな瞳で眺めた。
「それにしても、伊勢さんはこんな世界でよく何年も過ごしてたもんだ。
生活費とかどうしてたんだ?全部あの人が持ってくれてたのか?」
「こっちの世界に少し慣れたころからバイトを始めたんです。
自分の分はそこから……」
「へぇ、偉いねえ。俺は今年から社会人だけど、大学戻りたくて仕方な……」
そこまで言いかけて、大輔はこのみが大学に行けないままこの世界に来てしまったことを思い出したのか、口をつぐんだ。
「……気を遣わなくても大丈夫ですよ。
佐藤さんは大学でどんなことを勉強してたんですか?」
「……そう?」
このみが言うと、大輔は遠慮がちに大学時代の出来事を話し始めた。
どんな大学で、何を専攻していたか、卒業論文では何を研究したか……このみが憧れた大学時代を送った大輔が羨ましかった。
けれど大輔が通っていたという大学名を聞いて、このみは首を傾げた。
何だか大事なことを忘れているような……。
その時、このみの脳裏にクリスマスイブの日に発見されたあの男性の学生証がよぎった。
「そうだ!佐藤さんの在学中、その大学で行方不明者が出ませんでしたか!?」
「え、何で知ってるの?」
大輔の通っていた大学は、あのホテルの腐乱死体が持っていた学生証の大学と同じものだった。
「確か3年生の先輩で……講義中にトイレに行ったきり帰ってこなかった人がいたらしいけど……まさか……」
「その人、わたしがこっちに来て1、2ヶ月後にこの世界に現れたんです。
……発見された時は……生きてませんでしたけど……学生証と免許証を持ってて……」
「そっか……あの先輩もそうだったんだ。
教科書置きっぱなしでいなくなったから、家出でもないし真面目な学生だったから変だって言われてたんだ。
うん……警察とかも来てて……。あの先輩、この世界で死んだのか……」
一歩間違えれば大輔も今この場にいなかったかもしれないのだ。
彼はその事実に恐怖し、顔を青くする。
「……こんな偶然あるんですね」
「うん……」
大輔は何か考えるように俯いた。
直接面識はなかったのだし、恐らく偶然だろうが、大輔と間接的に関わりあった人間2人が行方不明になっている。
彼からすると薄気味悪い話だろう。
「確かその先輩が席を立ったのが4時40分頃……俺がこの世界に来た時間はほぼ間違いなく4時44分。
伊勢さんは……」
「多分同じくらいの時間帯です」
「ってことは、日本で4時44分になったら、この世界と俺たちの世界が行き来できるってことか……。
4時44分って不吉な数字だけど、やっぱ関係あったりするのかな。
ただし鏡が繋がる先は決まってない……」
「……日本以外の国でも同じようなことが起きてるんでしょうか?」
「さあ……少なくともバラバラ死体がネットで話題になってるのは日本だけだけど。
今日本で行方不明になってる人間のうちの何人かは、俺たちみたいにこの世界に連れて来られたのかな……」
やっぱり悠長に構えている場合ではない。
1日2日でジャンを見つけるのは無理でも、これ以上犠牲を出さないためにも早期の発見が必要だった。
とりあえず今日1日はこのまま大輔を手伝って、彼がどこから来たのか明らかにしようとこのみは思った。
昨日の今日だから、もしかしたらトラックの行方を突き止めることができるかもしれない。
そんなこのみの横で、大輔が弾かれたように顔を上げた。
そして彼は勢い良く振り返る。
大輔の視線を追うと、その先にはダンテがいた。
(また……)
気付かなかった。
いつからだろう、だんだん悪魔の気配を感知する能力が弱まっている気がする。
そう言えば以前はダンテに背後から話しかけられても驚くなんてことなかったのに、最近は覚えがあった。
特別にいつから弱まったのか、とは言えない。
徐々に徐々に、この世界に馴染んでいくうちに感覚が薄れていったのだ。
「おい」
小さな不安を抱くこのみと、怯えたように突っ立っている大輔にダンテは声をかける。
街角からやってきたダンテは、このみと大輔を見て眉間にしわを寄せた。
「……一応一泊させた身としては、黙って出てかれるのは気になるんだが。
あとこのみを巻き込むのは止めろ」
「……すみません」
大輔はじりじりと後ずさりすると、このみの後ろに身を隠した。
当然大輔の方が体格が良いので、このみの背から隠れきれるはずがない。
『……何で俺たちの場所分かったんだ?やっぱ悪魔だから?』
独り言なのか、このみに尋ねているのかは分からないが、大輔はこのみの背後で呟く。
「このみ、あんまりそいつと外を出歩かない方がいい。
昨日の騒ぎからしてジャンは大輔を追ってるみたいだから」
「……っ!?」
わざと大輔を怖がらせるような言い方をするダンテはやっぱり意地が悪い。
ダンテから一方的に発せられる火花を避けるように、大輔はこのみの後ろで身を縮めた。
半分悪魔であるダンテの近くにいるのも嫌、1人になるのも嫌という大輔はその場で動けなくなってしまう。
「佐藤さん、大丈夫ですよ。ダンテ、あんな言い方してるけど本当に危ない時は助けてくれるから……」
「このみは俺より大輔の肩を持つのか?」
「そ、そういうわけじゃないってば。
ただ、佐藤さんはこの世界に来たばっかりで不安なんだよ。いつ戻れるかも分からないし」
大輔とダンテの間で板挟みになったこのみは、内心で溜息をついた。
ジャンを見つけるには大輔とダンテの力が必要なのに、当の2人の折り合いは良好とは言い難い。
「佐藤さんも、身の安全を考えるならダンテと一緒に行動すべきです。
……分かって下さい」
「そうしたいのは山々なんだけど……」
大輔はまだ渋っている。
このみこそダンテに恐怖を覚える理由をひと月かけて理解したのだ。
まだこの世界に来たばかりで不安ばかりの大輔に向かって、ダンテを信じろと言うのは難しいことは分かっている。
けれどこのみは、ダンテは信用のおける人なのだとどうしても分かってほしかったのだ。
半魔だからという理由で彼が避けられているのを見ると、何故かダンテ本人ではなくこのみが悲しい気持ちになってしまう。
「……分かった。伊勢さんが一緒にいてくれるなら……」
「もちろんです」
この世界でたった1人の同胞だから、このみが大輔を見捨てるはずがない。
結局、溜め息をつきまくるダンテと、その隣で黙ってつき従うこのみ、ダンテから数メートル離れて歩く大輔の3人組で、街を歩き始める。
このみは大輔に聞こえないように、ダンテに小声で話しかけた。
「……ダンテ、佐藤さんの分はわたしが出すから……」
「あいつを家に置けって?正直今後数年も一緒の可能性あることを考えるとうんざりする」
「…………」
このみはダンテがそう簡単に鏡が見つからないと思っていることに気が付いて口を閉じた。
それに自分もダンテの所に身を置かせてもらっておいて、さらにもう1人なんて考えはさすがに厚かましかったと反省する。
「……ごめんなさい」
「言わなくても分かってるだろうが、このみは別だから。
……もし長引くようなら、大輔が安全に過ごせる場所考えといてやるよ」
「……ありがとう」
このみは複雑な気持ちでダンテに礼を呟いた。
彼が大輔を快く思わない理由を、このみだって分かっている。
大輔が現れなければ、このみは元の世界に戻ることをいつか諦めていたかもしれないのだ。
それが大輔が現れたことで、もしかしたら戻れるかもしれないという希望を見出してしまった。
だからダンテはその原因を作った大輔を受け入れたくないのだろう。
先程の大輔が他に過ごせる場所を考えておく、というダンテの台詞は彼なりの精一杯の譲歩だ。
彼の好意に甘えて庇護されているこのみが口出しできるはずがない。
それでも、まだ納得しきれない自分がいる。
「……そんな顔すんなよ。個人的には大輔のこと嫌いだが、責任は果たすから。
俺の職業言ってみ?」
「……デビルハンター」
「心配しなくても、みすみす大輔を死なせるような真似はしねえよ」
そう言って、言葉の内容とは裏腹に、明るい表情でダンテは笑う。
以前から、悪魔に関することには真摯な彼だった。
その理由は彼の悲しい過去に裏打ちされているのだと知っているこのみは、ダンテの言葉を受けて何故だか泣きそうになってしまう。
できるだけ早く、鏡を見つけたい。
そうしなければ、このみの決意はまた揺らいでしまいそうになる。
隣を歩くダンテをちらりと見上げたこのみは、複雑な思いを混ぜ込んだ溜息をついた。
* * *
夏の日差しがこのみ達を焼く。
昼が近付いたために、足元に短く濃い影が落ちている。
汗ばむ肌に吹き付ける風は生ぬるく、このみの体を冷やすことなく撫でるだけだ。
ただこんなぶらぶら歩いているだけで、ジャンの所在を突きとめることができるのだろうか。
大輔は昨日トラックの荷台から下ろされたらしい付近を回っているが、肝心のトラックは見当たらない。
「あの……昨日の昼頃ここに停まってた羊のトラック、どこから来たか知りませんか?」
彼なりに懸命に探しているのだろうが、尋ねた相手にジロジロ見られた挙げ句、返ってきた答えは「知らない」の一言だった。
「……これは心折れるわ」
大輔はがっくりとうなだれた。
そこから数時間かけて3人でトラックの行方を探したものの、有力な手掛かりは見つからなかった。
「この辺りを定期的に通るようなトラックじゃないんじゃないか?」
「そうっすね……」
既に疲労困憊の様子の大輔は、建物の隙間から覗く青空を仰いだ。
真夏の熱気は体力を奪う。
このみも額に浮かぶ汗をハンカチで押さえながら、溜め息をついた。
大輔は街並みを見渡して呟く。
「……俺、ちょっと……トイレ」
店が立ち並ぶこの場所では、手洗いを探すのにはそれほど困らない。
どこか適当な店で借りたらよいのだが、大輔は呟いたきりその場でもじもじしていた。
「……あの、伊勢さんついてきて……」
「……お前アホか?」
呆れを隠そうともしないダンテの言葉に、大輔はうっと詰まる。
「だって、こんな世界で1人になるのは怖いっていうかー!
ドア!ドアの外にいるだけでいいから!お願いします!」
「中までついてきたらそっちのが問題だろ!大体、お前昨日は1人で行動してたんだろ。
トイレくらい1人で行きやがれ」
「一度人の温かさに触れると離れがたいんです!」
「なら俺がついてくから……」
「いいです結構です!出るもんも出なくなるから!」
「……よし分かった。お前俺に喧嘩売ってるな?買ってやろうじゃねーか」
「もーっ!2人とも止めて!佐藤さん、わたしがついて行くからさっさと済ませて下さい!」
これが20歳を過ぎた者達の会話だろうか。
夏の暑さとくだらなさすぎる会話にげんなりしてしまう。
確かに見ず知らずの場所に来たばかりで不安に思う大輔の気持ちは分かるし、この世界で唯一の同郷の人間であるこのみから離れがたいのも分かる。
けれど、さすがにこのみも呆れを隠しきれなかった。
このみは溜め息を我慢しながら大輔の背中を押して、近場の喫茶店に向かう。
「アホらしい……俺は先に行ってるからな」
ダンテは店に入らず道を歩いて行ってしまう。
まだ明るく人目もある中で、ジャンや蝶が襲いにくるとは思っていないのかもしれない。
店内を進む大輔はこのみが傍にいることをちらちら振り返って確認しながら、トイレへ向かう。
注文せずにトイレだけ借りに来た不届きな人間を、店員は快く思っていないようだった。
店員や客から視線を集めながら、このみ達はトイレの前に立った。
大輔は男子トイレに繋がるドアの前にこのみを立たせて、その肩を掴んで言った。
「いい?絶対に1人でいなくならないでね!」
「いいから早くしてください……」
さすがに23歳の男の手洗いについて行くのは恥ずかしい。
このみは顔を俯かせながら大輔を見送った。
* * *
「はあ……」
用を足しながら大輔は溜め息をつく。
何故こんなことになったのだろう。
これなら退屈な仕事を延々続けていた方がマシだった。
道行く人間のどうしようもない違和感が気持ち悪い。
彼等を見ていると歪んだ建物を眺めている時のような不安感に襲われる。
悪魔なんてものがごく普通に存在している世界なんて、あっていいはずがない。
そういうのは映画や小説の中にあるから面白いのであって、自分が実際そういうファンタジーな世界に迷い込むなんて願い下げだ。
半魔のダンテも、ジャンとかいうのも人間の見た目にしか見えないから、
実際悪魔なんてものがどういうものなのかは大輔にも分かっていない。
けれど大輔を片腕で持ち上げられるような怪力を目の前にして、まともな精神状態でいられるはずがなかった。
それに彼らに覚える本能的な恐怖心が警鐘を鳴らす。
そんな世界の中で、唯一まともな人間のこのみだけが大輔の味方だった。
だからたとえ呆れられても、嫌がられても、彼女から離れたくなかったのだ。
彼女とダンテという悪魔が親密な関係であることも、その彼から敵視されていることにも気付いている。
けれど元々向こうの世界の人間であるこのみは、この世界に留まるべきでない。
男で彼女の先輩でもある自分が、無事に日本に連れ帰ってやるべきなのだ。
……トイレについてきてもらうという情けない状況ではあるけれど。
「…………っ!?」
その時、大輔は心臓がドキンと脈打ったのを感じた。
思わず顔を上げて周囲を確認してしまう。
この感覚は、ダンテや悪魔を前にした時と同じものだった。
己から血の気が引くのが分かった。
どこにいる?
店の中?外?
トイレという狭い空間では逃げ場がない。
大輔は慌てて服装を整えると、トイレの窓に駆け寄った。
「伊勢さん、逃げて!」
彼女の返事を聞かないうちに、大輔はトイレの窓から飛び出した。
このみも同じ世界の人間なら、この気配を感じ取っているはず。
だから彼女もこの場から逃げるだろうと思ったのだ。
大輔は窓から抜け出すなり、人通りの多い道へ急いだ。
さすがにこう人目が多いと悪魔も手を出せないだろう。
自分を追ってくる気配のないことにほっとした大輔は、不本意ながらもダンテの姿を探し始めた。
「ちょっ……、ちょっと待って下さい!」
「いいや待たないね、早く鏡を見つけて元の世界に戻らないと……っ!」
このみは朝早く、大輔に手を無理やり引かれて街中を走り回らされていた。
異世界人2人が連れ立っていると否が応でも目立つのだが、このみも大輔も周囲の視線を気にしている余裕などない。
大輔は何が目的なのか、しきりにキョロキョロと街並みを見渡している。
そんな彼に痺れを切らしたこのみは、とうとう大きな声を出した。
「待って下さいってば!」
足を踏ん張って、このみは大輔に掴まれていた腕を無理やりほどいて立ち止まった。
このみを振り返る大輔の顔には、焦りと苛立ちの色が表れている。
「何!?」
「どうしてダンテに何も言わずに家を出るんですか!?」
このみと大輔の隣にダンテはいない。
彼が寝ている間に家を抜け出て来たのだ。
「だってあの人、半分悪魔だろ?悪い人ではなさそうだけどさ……この世界に君や俺を連れてきたのも悪魔だよ。
そんな血が半分流れてる奴を簡単に信じられるわけないだろ?」
「ダンテはそんなんじゃないです!」
ムキになってこのみは言い返す。
「昨日だって、わたしたちを助けに来てくれたじゃないですか!
ダンテはわたしがこの世界に来てからずっと面倒をみてくれてるんです……!」
「……あのさ、昨日から思ってたけど、伊勢さんってあのダンテって人のこと好きなの?
だって、あんまりゲスいこと考えたくないけど、一緒に住んでるってそういうことだよね?」
「…………っ!?」
思わず口ごもったこのみを見て、大輔は呆れたような顔を作った。
「図星?君のそれって何て言うか……ストックホルム症候群みたいなものじゃないの?
それか吊り橋効果」
「……ストックホルム症候群?」
「誘拐犯に同情したり恋心抱いたりするアレ」
大輔の言葉に、このみは顔がカッと熱くなるのを感じだ。
恥ずかしいことに、怒りのあまり泣きそうにすらなる。
「違います!わたしは誘拐されたわけでも無理やりあの家にいるわけでもありません!」
自分の意思で、このみはダンテの事務所に残ることを選んだのだ。
色んな出来事を通してダンテを知っていって、そんな日々を積み重ねた結果が今だ。
いさかいやすれ違いもあったけれど、それ以上に彼と共にいることに幸せを覚えた。
それは紛うことのないこのみの本心だ。
大輔に腹が立つやらうまく説明できない自分が情けないやらで、真っ赤な顔で泣きそうになるこのみを見て、大輔は慌てた。
「っと、ごめん、泣かせる気はなかったんだ。ただ、伊勢さんは本当に帰る気があるのかなって……」
「……どういう意味ですか」
「だって本当にあの……ダンテって人が好きなら、帰りたくないんじゃないかって思ったんだ」
その言葉を受けて、このみはムキになって否定する自分の態度そのものがダンテへの気持ちを表しているのだと気が付いた。
怒りで赤くなっていたこのみの頬は、今度は恥ずかしさで熱を持つ。
「……帰ります。今までずっとそのつもりで鏡を探してたから」
「ならいいんだけど」
大輔も少し言い過ぎたと思ったのか、気まずげな顔で鼻の頭をかいた。
そして早朝の街中を見渡す。
「……さて、俺はどうやってこの街にきたんだったかな」
「佐藤さんはトラックの荷台の中にいたんですよね。
そうなるとどこを走っていたのかも分からないんじゃ……」
「しかも寝てたしね。今日も同じトラックが走ってたり……しないよなぁ……」
勇んで歩き回っていたはいいが、大輔の目的はやすやすと達せられそうにはなかった。
「佐藤さん、やっぱりそう簡単にジャンの場所を突き止めるのは無理です。
それにまた2人でいる時に襲われたら対処できませんし、屋敷を見つけてもわたしたちの力じゃジャンに歯が立ちません」
「うん……」
言外にダンテの元へ戻ろうとこのみは言っているのだが、大輔は頷きながらもまだ渋い顔をしている。
「……ダンテは良い人ですよ。3年近く一緒にいたから分かります」
「君にとってはそうかもしれないけど、俺は明らかに目の敵にされてる気がするんだよなぁ……」
大輔は溜め息をついた後、またぶらぶらと歩き出す。
このみは大輔が事務所に戻るつもりはないのだと判断したのだが、彼を1人にするわけにもいかないので、仕方なく後について行った。
キョロキョロと街並みを見渡して、大輔は行きかう人々を気味悪そうな瞳で眺めた。
「それにしても、伊勢さんはこんな世界でよく何年も過ごしてたもんだ。
生活費とかどうしてたんだ?全部あの人が持ってくれてたのか?」
「こっちの世界に少し慣れたころからバイトを始めたんです。
自分の分はそこから……」
「へぇ、偉いねえ。俺は今年から社会人だけど、大学戻りたくて仕方な……」
そこまで言いかけて、大輔はこのみが大学に行けないままこの世界に来てしまったことを思い出したのか、口をつぐんだ。
「……気を遣わなくても大丈夫ですよ。
佐藤さんは大学でどんなことを勉強してたんですか?」
「……そう?」
このみが言うと、大輔は遠慮がちに大学時代の出来事を話し始めた。
どんな大学で、何を専攻していたか、卒業論文では何を研究したか……このみが憧れた大学時代を送った大輔が羨ましかった。
けれど大輔が通っていたという大学名を聞いて、このみは首を傾げた。
何だか大事なことを忘れているような……。
その時、このみの脳裏にクリスマスイブの日に発見されたあの男性の学生証がよぎった。
「そうだ!佐藤さんの在学中、その大学で行方不明者が出ませんでしたか!?」
「え、何で知ってるの?」
大輔の通っていた大学は、あのホテルの腐乱死体が持っていた学生証の大学と同じものだった。
「確か3年生の先輩で……講義中にトイレに行ったきり帰ってこなかった人がいたらしいけど……まさか……」
「その人、わたしがこっちに来て1、2ヶ月後にこの世界に現れたんです。
……発見された時は……生きてませんでしたけど……学生証と免許証を持ってて……」
「そっか……あの先輩もそうだったんだ。
教科書置きっぱなしでいなくなったから、家出でもないし真面目な学生だったから変だって言われてたんだ。
うん……警察とかも来てて……。あの先輩、この世界で死んだのか……」
一歩間違えれば大輔も今この場にいなかったかもしれないのだ。
彼はその事実に恐怖し、顔を青くする。
「……こんな偶然あるんですね」
「うん……」
大輔は何か考えるように俯いた。
直接面識はなかったのだし、恐らく偶然だろうが、大輔と間接的に関わりあった人間2人が行方不明になっている。
彼からすると薄気味悪い話だろう。
「確かその先輩が席を立ったのが4時40分頃……俺がこの世界に来た時間はほぼ間違いなく4時44分。
伊勢さんは……」
「多分同じくらいの時間帯です」
「ってことは、日本で4時44分になったら、この世界と俺たちの世界が行き来できるってことか……。
4時44分って不吉な数字だけど、やっぱ関係あったりするのかな。
ただし鏡が繋がる先は決まってない……」
「……日本以外の国でも同じようなことが起きてるんでしょうか?」
「さあ……少なくともバラバラ死体がネットで話題になってるのは日本だけだけど。
今日本で行方不明になってる人間のうちの何人かは、俺たちみたいにこの世界に連れて来られたのかな……」
やっぱり悠長に構えている場合ではない。
1日2日でジャンを見つけるのは無理でも、これ以上犠牲を出さないためにも早期の発見が必要だった。
とりあえず今日1日はこのまま大輔を手伝って、彼がどこから来たのか明らかにしようとこのみは思った。
昨日の今日だから、もしかしたらトラックの行方を突き止めることができるかもしれない。
そんなこのみの横で、大輔が弾かれたように顔を上げた。
そして彼は勢い良く振り返る。
大輔の視線を追うと、その先にはダンテがいた。
(また……)
気付かなかった。
いつからだろう、だんだん悪魔の気配を感知する能力が弱まっている気がする。
そう言えば以前はダンテに背後から話しかけられても驚くなんてことなかったのに、最近は覚えがあった。
特別にいつから弱まったのか、とは言えない。
徐々に徐々に、この世界に馴染んでいくうちに感覚が薄れていったのだ。
「おい」
小さな不安を抱くこのみと、怯えたように突っ立っている大輔にダンテは声をかける。
街角からやってきたダンテは、このみと大輔を見て眉間にしわを寄せた。
「……一応一泊させた身としては、黙って出てかれるのは気になるんだが。
あとこのみを巻き込むのは止めろ」
「……すみません」
大輔はじりじりと後ずさりすると、このみの後ろに身を隠した。
当然大輔の方が体格が良いので、このみの背から隠れきれるはずがない。
『……何で俺たちの場所分かったんだ?やっぱ悪魔だから?』
独り言なのか、このみに尋ねているのかは分からないが、大輔はこのみの背後で呟く。
「このみ、あんまりそいつと外を出歩かない方がいい。
昨日の騒ぎからしてジャンは大輔を追ってるみたいだから」
「……っ!?」
わざと大輔を怖がらせるような言い方をするダンテはやっぱり意地が悪い。
ダンテから一方的に発せられる火花を避けるように、大輔はこのみの後ろで身を縮めた。
半分悪魔であるダンテの近くにいるのも嫌、1人になるのも嫌という大輔はその場で動けなくなってしまう。
「佐藤さん、大丈夫ですよ。ダンテ、あんな言い方してるけど本当に危ない時は助けてくれるから……」
「このみは俺より大輔の肩を持つのか?」
「そ、そういうわけじゃないってば。
ただ、佐藤さんはこの世界に来たばっかりで不安なんだよ。いつ戻れるかも分からないし」
大輔とダンテの間で板挟みになったこのみは、内心で溜息をついた。
ジャンを見つけるには大輔とダンテの力が必要なのに、当の2人の折り合いは良好とは言い難い。
「佐藤さんも、身の安全を考えるならダンテと一緒に行動すべきです。
……分かって下さい」
「そうしたいのは山々なんだけど……」
大輔はまだ渋っている。
このみこそダンテに恐怖を覚える理由をひと月かけて理解したのだ。
まだこの世界に来たばかりで不安ばかりの大輔に向かって、ダンテを信じろと言うのは難しいことは分かっている。
けれどこのみは、ダンテは信用のおける人なのだとどうしても分かってほしかったのだ。
半魔だからという理由で彼が避けられているのを見ると、何故かダンテ本人ではなくこのみが悲しい気持ちになってしまう。
「……分かった。伊勢さんが一緒にいてくれるなら……」
「もちろんです」
この世界でたった1人の同胞だから、このみが大輔を見捨てるはずがない。
結局、溜め息をつきまくるダンテと、その隣で黙ってつき従うこのみ、ダンテから数メートル離れて歩く大輔の3人組で、街を歩き始める。
このみは大輔に聞こえないように、ダンテに小声で話しかけた。
「……ダンテ、佐藤さんの分はわたしが出すから……」
「あいつを家に置けって?正直今後数年も一緒の可能性あることを考えるとうんざりする」
「…………」
このみはダンテがそう簡単に鏡が見つからないと思っていることに気が付いて口を閉じた。
それに自分もダンテの所に身を置かせてもらっておいて、さらにもう1人なんて考えはさすがに厚かましかったと反省する。
「……ごめんなさい」
「言わなくても分かってるだろうが、このみは別だから。
……もし長引くようなら、大輔が安全に過ごせる場所考えといてやるよ」
「……ありがとう」
このみは複雑な気持ちでダンテに礼を呟いた。
彼が大輔を快く思わない理由を、このみだって分かっている。
大輔が現れなければ、このみは元の世界に戻ることをいつか諦めていたかもしれないのだ。
それが大輔が現れたことで、もしかしたら戻れるかもしれないという希望を見出してしまった。
だからダンテはその原因を作った大輔を受け入れたくないのだろう。
先程の大輔が他に過ごせる場所を考えておく、というダンテの台詞は彼なりの精一杯の譲歩だ。
彼の好意に甘えて庇護されているこのみが口出しできるはずがない。
それでも、まだ納得しきれない自分がいる。
「……そんな顔すんなよ。個人的には大輔のこと嫌いだが、責任は果たすから。
俺の職業言ってみ?」
「……デビルハンター」
「心配しなくても、みすみす大輔を死なせるような真似はしねえよ」
そう言って、言葉の内容とは裏腹に、明るい表情でダンテは笑う。
以前から、悪魔に関することには真摯な彼だった。
その理由は彼の悲しい過去に裏打ちされているのだと知っているこのみは、ダンテの言葉を受けて何故だか泣きそうになってしまう。
できるだけ早く、鏡を見つけたい。
そうしなければ、このみの決意はまた揺らいでしまいそうになる。
隣を歩くダンテをちらりと見上げたこのみは、複雑な思いを混ぜ込んだ溜息をついた。
* * *
夏の日差しがこのみ達を焼く。
昼が近付いたために、足元に短く濃い影が落ちている。
汗ばむ肌に吹き付ける風は生ぬるく、このみの体を冷やすことなく撫でるだけだ。
ただこんなぶらぶら歩いているだけで、ジャンの所在を突きとめることができるのだろうか。
大輔は昨日トラックの荷台から下ろされたらしい付近を回っているが、肝心のトラックは見当たらない。
「あの……昨日の昼頃ここに停まってた羊のトラック、どこから来たか知りませんか?」
彼なりに懸命に探しているのだろうが、尋ねた相手にジロジロ見られた挙げ句、返ってきた答えは「知らない」の一言だった。
「……これは心折れるわ」
大輔はがっくりとうなだれた。
そこから数時間かけて3人でトラックの行方を探したものの、有力な手掛かりは見つからなかった。
「この辺りを定期的に通るようなトラックじゃないんじゃないか?」
「そうっすね……」
既に疲労困憊の様子の大輔は、建物の隙間から覗く青空を仰いだ。
真夏の熱気は体力を奪う。
このみも額に浮かぶ汗をハンカチで押さえながら、溜め息をついた。
大輔は街並みを見渡して呟く。
「……俺、ちょっと……トイレ」
店が立ち並ぶこの場所では、手洗いを探すのにはそれほど困らない。
どこか適当な店で借りたらよいのだが、大輔は呟いたきりその場でもじもじしていた。
「……あの、伊勢さんついてきて……」
「……お前アホか?」
呆れを隠そうともしないダンテの言葉に、大輔はうっと詰まる。
「だって、こんな世界で1人になるのは怖いっていうかー!
ドア!ドアの外にいるだけでいいから!お願いします!」
「中までついてきたらそっちのが問題だろ!大体、お前昨日は1人で行動してたんだろ。
トイレくらい1人で行きやがれ」
「一度人の温かさに触れると離れがたいんです!」
「なら俺がついてくから……」
「いいです結構です!出るもんも出なくなるから!」
「……よし分かった。お前俺に喧嘩売ってるな?買ってやろうじゃねーか」
「もーっ!2人とも止めて!佐藤さん、わたしがついて行くからさっさと済ませて下さい!」
これが20歳を過ぎた者達の会話だろうか。
夏の暑さとくだらなさすぎる会話にげんなりしてしまう。
確かに見ず知らずの場所に来たばかりで不安に思う大輔の気持ちは分かるし、この世界で唯一の同郷の人間であるこのみから離れがたいのも分かる。
けれど、さすがにこのみも呆れを隠しきれなかった。
このみは溜め息を我慢しながら大輔の背中を押して、近場の喫茶店に向かう。
「アホらしい……俺は先に行ってるからな」
ダンテは店に入らず道を歩いて行ってしまう。
まだ明るく人目もある中で、ジャンや蝶が襲いにくるとは思っていないのかもしれない。
店内を進む大輔はこのみが傍にいることをちらちら振り返って確認しながら、トイレへ向かう。
注文せずにトイレだけ借りに来た不届きな人間を、店員は快く思っていないようだった。
店員や客から視線を集めながら、このみ達はトイレの前に立った。
大輔は男子トイレに繋がるドアの前にこのみを立たせて、その肩を掴んで言った。
「いい?絶対に1人でいなくならないでね!」
「いいから早くしてください……」
さすがに23歳の男の手洗いについて行くのは恥ずかしい。
このみは顔を俯かせながら大輔を見送った。
* * *
「はあ……」
用を足しながら大輔は溜め息をつく。
何故こんなことになったのだろう。
これなら退屈な仕事を延々続けていた方がマシだった。
道行く人間のどうしようもない違和感が気持ち悪い。
彼等を見ていると歪んだ建物を眺めている時のような不安感に襲われる。
悪魔なんてものがごく普通に存在している世界なんて、あっていいはずがない。
そういうのは映画や小説の中にあるから面白いのであって、自分が実際そういうファンタジーな世界に迷い込むなんて願い下げだ。
半魔のダンテも、ジャンとかいうのも人間の見た目にしか見えないから、
実際悪魔なんてものがどういうものなのかは大輔にも分かっていない。
けれど大輔を片腕で持ち上げられるような怪力を目の前にして、まともな精神状態でいられるはずがなかった。
それに彼らに覚える本能的な恐怖心が警鐘を鳴らす。
そんな世界の中で、唯一まともな人間のこのみだけが大輔の味方だった。
だからたとえ呆れられても、嫌がられても、彼女から離れたくなかったのだ。
彼女とダンテという悪魔が親密な関係であることも、その彼から敵視されていることにも気付いている。
けれど元々向こうの世界の人間であるこのみは、この世界に留まるべきでない。
男で彼女の先輩でもある自分が、無事に日本に連れ帰ってやるべきなのだ。
……トイレについてきてもらうという情けない状況ではあるけれど。
「…………っ!?」
その時、大輔は心臓がドキンと脈打ったのを感じた。
思わず顔を上げて周囲を確認してしまう。
この感覚は、ダンテや悪魔を前にした時と同じものだった。
己から血の気が引くのが分かった。
どこにいる?
店の中?外?
トイレという狭い空間では逃げ場がない。
大輔は慌てて服装を整えると、トイレの窓に駆け寄った。
「伊勢さん、逃げて!」
彼女の返事を聞かないうちに、大輔はトイレの窓から飛び出した。
このみも同じ世界の人間なら、この気配を感じ取っているはず。
だから彼女もこの場から逃げるだろうと思ったのだ。
大輔は窓から抜け出すなり、人通りの多い道へ急いだ。
さすがにこう人目が多いと悪魔も手を出せないだろう。
自分を追ってくる気配のないことにほっとした大輔は、不本意ながらもダンテの姿を探し始めた。