29‐A.あなたがいるなら生き残る
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* * *
とりあえずダンテとこのみは、混乱して矢継ぎ早に質問を繰り返す男を連れて、事務所へ戻った。
半日ほど水以外口にしていない、としきりに腹を鳴らす彼のために、このみはいつもより一人分多く晩御飯を用意した。
男はそれをかき込みながら、このみに尋ねる。
ダンテと話をするという考えは始めからないのか、彼にほぼ背を向けるような形だ。
そのせいか別の理由かは不明だが、ダンテはどこか不機嫌だった。
『あの……何なんですかここ?日本じゃないんですか?
つうかここにいる人間、なんか違和感があるっていうか……おかしくない!?』
『えっと……それは……あの、名前お伺いしてもいいですか?』
『あ、ごめん。俺は佐藤大輔。
君は……あのさ、俺君のことどっかで見たことある気がするんだけど……会ったことあります?』
じいっとこのみを見つめる大輔に不快感を示したのは、このみ本人ではなくダンテの方だった。
ダンテに背を向けていた大輔の前に割り込むように顔を突き出す。
大輔は割り込んできたダンテの顔を見て、ひっとのけぞった。
そんな大輔にダンテは鼻白む。
「……このみ、こいつ今何て?」
「あの、わたしを見たことがあるらしくて、会ったことあるかって……。
わたしは覚えがないんだけど……」
「はぁ?この期に及んでナンパかよ?」
「ナンパじゃないですよっ!」
英語で言い返してきた大輔に、ダンテは目を見開いて驚きの視線を向ける。
「俺、大学は英文科だったんです」
「なら俺にも分かるように英語で喋れ」
「はっ、はいっ」
ダンテとしては脅しているつもりはないだろうが、イライラしているのが声に棘を含ませるのか、大輔は萎縮しながら頷いた。
彼も初めてダンテに会った時のこのみ同様、半魔であるダンテに恐怖心を覚えているようだ。
「……で、君の名前は?」
「伊勢このみですけど……」
その名を聞いて、大輔は思い出した!と声を上げた。
全く覚えのないこのみは首を傾げる。
「俺、君と同じ高校出身なんだよ!
サッカー部の鈴木って覚えてる?君と同じクラスだったはずだけど。
鈴木は同じサッカー部の二個下の後輩で、俺が進学して家出た後もメールで受験の相談とかしてたんだよ。
そんで……11月頃だったかな、クラスメイトの女子が行方不明になったって。
その子の名前が伊勢このみ………君だよね?」
このみはあまりの衝撃に絶句する。
まさか目の前にいる人が一年間とはいえ同じ高校で共に過ごした間柄で、しかも自分のことを知っていたなんて。
「つまり……お前らは先輩と後輩だった……ってわけか」
「面識はないんですけどね」
ダンテの言葉に大輔は頷いた。
「地元じゃ結構大騒ぎになってたんだ。
俺が実家に戻った時も、家ん中に情報提供を呼び掛けるチラシが置いてあったし……君の顔を見たのはきっとその時だ」
「……騒ぎって……」
「高校全体で集会開くのはもちろん、事件性が高いってんで警察とか教育委員会?とか来るわでもう大変だったみたいだけど」
……両親はどうなんだろう。
ずっとずっとこのみを探し続けていたのだろうか。
「わたしがいなくなったことで、そんなことになってたんですね……」
「きっとご両親も心配してるよ」
「……そうですよね」
このみは俯いて、両親の顔を思い出していた。
早く二人に会いたい。
家に帰ってお父さんとお母さんを安心させてあげたい。
口では必ず家に帰ると宣言していたこのみも、鏡の捜索があまりに進展を見せないことと、ダンテとの生活が心地よくて、
内心ではすんなりと元の世界に帰ることを躊躇するくらい、揺れていた。
けれどその心も、大輔の話を聞いた今では定まりつつある。
このみと同じ"向こうの世界"の人間である大輔の出現は、このみにとって何よりも心強かった。
──そんなこのみの顔を、ダンテは苦渋の混じった表情で見つめていた。
「それで……この世界は何なんだ?どうして3年近く行方不明だった伊勢さんがここにいるんだ?あの鏡……何?」
「佐藤さんも、鏡を通り抜けてきたんですよね?
わたしは、学校にあった姿見を通り抜けてここへ来たんですけど、まさか佐藤さんも同じように……?」
「学校……?いや、俺は会社にある男子トイレの鏡からだ」
このみとダンテは顔を見合わせた。
クリスマスイブのあの腐乱死体の彼も、通っていた大学はこのみの高校から遠く離れていた。
「……鏡が繋がる先は完全にランダムってこと?」
「今のとこ、そうとしか思えないな」
何だか腑に落ちなくてもやもやするこのみに、大輔は「何かまずいこと言った?」とただひたすら戸惑っていた。
彼に落ち度は一つもないので、出せない答えを考えるのはやめて、このみは彼に向き直る。
「佐藤さん、わたしが知っていること、お話しします」
このみは2年9ヶ月前、自分の身に起こったことを語り出した。
学校の姿見からこの異世界へ迷い込んだこと。
この世界には悪魔という存在がいて、このみがいた世界とこの世界は全く違う理から成り立っているということ。
元の世界へ戻るために、鏡とそれを持ち去った悪魔を探し続けていたこと……。
異世界、とか悪魔だとか、常識を軽く飛び越える単語の応酬に大輔は混乱していた。
「あのさ……悪魔なんてマジで言ってるの?冗談だよね?」
「お前こそ鏡を通り抜けるなんてメルヘンな体験してんだろ。
このみの話を疑う前に自分の体験を振り返ってみろよ」
イライラと机を指で叩きながら、ダンテは大輔に言う。
相変わらず大輔は怯えの混じった瞳でダンテを眺めながら、日本語でこのみに尋ねた。
『……この人、何?街の人間とも何か違うし……』
ダンテが半魔であることを告げるべきか否かでこのみが迷っていると、ダンテは面倒くさそうに大輔に告げた。
「俺は半分悪魔の血が通ってんだよ。
なんつーかお前ら向こうの世界の人間には悪魔を感知する能力があるらしくて、俺ん中の悪魔の部分に反応してビビってるだけ。
このみもそうだった」
「半分……悪魔ァ!?」
ますます信じられないといった様子の大輔に、ダンテは「こりゃ何言っても無駄だ」と溜め息をついた。
大輔はすっかり頭を抱えてしまっている。
「はぁ、もう訳が分からない。これは夢だ、絶対夢」
「お前の場合はまだいいよ。何も分からないうちから1人でここにやってきたこのみの気持ちにもなってみろってんだ」
「あの……わたしでも、こんな怒涛のように説明されたら混乱するよ……」
自分だって何日もかけて状況を把握したのだから、大輔が混乱する気持ちも痛い程分かる。
「それにしても、本当に鏡の向こうにこんな世界があるなんて……」
まるで異世界の存在を知っていたかのような口振りの大輔に、このみは首を傾げた。
「本当に……って、どういう意味ですか?」
「そうか、伊勢さんは知らないか。
向こうの……俺たちの世界ではさ、二年くらい前からバラバラ死体が現れる事件が頻繁に起こってるんだ」
「バラバラ死体?」
何とも不穏なその言葉に、このみは眉を寄せる。
頷いた大輔は、ポケットからスマートフォンを取り出して電源を入れた。
ダンテは新たな未知の機器に目を丸くしている。
それを操作して、大輔はこのみ達に向けて一本の動画を再生した。
「これ……」
モニター越しに映った鏡から、肉と血の色をしたモザイクがかったグロテスクな物体がこぼれ落ちる場面を撮ったものだった。
言葉をなくすダンテとこのみに、動画を停止した大輔は言う。
「……この動画が本物か嘘かは分かんないけど、とにかく俺たちの世界では……
恐らくこんな感じで、バラバラ死体が鏡の前に遺棄される事件が起こってる。
……もしかして、この世界と関係ある?」
このみはマークの言葉を思い出していた。
こちらの世界で続出する行方不明事件に、ジャンが関わっているかもしれない……。
「ダンテ、まさかそのバラバラ死体の被害者って、こっちで行方不明になった人なんじゃ……」
「……そのバラバラ死体が現れるようになったのはいつからだ?」
「俺が大学3年の秋からだから……2年前ですね」
「ちょっと待て、こっちでジャンが関わっていると思われる行方不明事件が始まったのは、このみが18の時のクリスマスイブからだろ?
それが大ざっぱに3年前として……一年くらい誤差があるぞ」
確かにダンテの言うとおり、行方不明事件は3年前から、バラバラ死体遺棄事件は2年前から始まったということになる。
「行方不明になった人全員が向こうの世界に行ったわけではないってことなのかな。
少なくともバラバラ死体が出た方が後なんだから、ジャンと関係ないとは言い切れないよね」
「……そうだな」
「あの、さっきから出てるジャンってのは……。それに、行方不明事件って?」
話の腰を折るのを悪いと思ったのか、大輔が恐る恐る尋ねる。
互いの情報量に差があるから、それが何とも煩わしい。
「わたしたち、この世界と向こうの世界を繋いでいる鏡を持った悪魔をジャンって呼んでるんです」
「この世界では突然行方不明になる人間が続出してて、ニュースにもなってる。
その事件の黒幕が、もしかしたらジャンかもしれないんだ」
「佐藤さんもこうしてここにいるっていうことは、ジャンと会ったんですか?
こういう顔なんですけど」
このみはいつも聞き込みの時に利用している似顔絵を取り出した。
大輔はそれを見て「こいつ!」と叫んだ。
「俺が鏡を通り抜けた先の部屋に立ってた!」
「大輔、お前そこから逃げて来たんだろ?
……場所は分かるのか?」
ジャンの居場所が分かればこのみは家に帰れるかもしれない。
それでもダンテがあえて尋ねたのは、ジャンに一矢報いたいという考えでもあるのだろうか。
「えっと……実は分かんないです。昨日の真夜中に屋敷から逃げて、疲れて乗り込んだトラックが、昼ごろ着いた先がここだったから……」
「………………」
ダンテは呆れたような顔を作り、このみは心底がっかりした顔を見せた。
「ドナドナ君使えねー……」
「ドナドナ君って何ですかっ!俺だって必死だったんですよ!?」
半べそをかきながら大輔はそう訴える。
このみも同じく道が分からなくなったことがあるので、大輔を責めることはできなかった。
「それに……あの屋敷、何か……し、死体とかあったし……。
できれば戻りたくないって言うか……」
「死体?」
「何か腐ったやつ……」
腐乱死体。
このみはバスタブで死んでいた同胞の彼を思い出した。
ダンテも同じくそれを思い出したのか、眉をひそめた。
……大輔の言う死体が、こちらで行方不明になった誰かなのか、それともこのみや大輔と同じように異世界へやってきた人間なのかは分からない。
けれど、やはりジャンが何かしら目的を持って動いていることは確かなようだ。
「でも、ジャンがいたその場所は車で数時間程度の距離ってことですよね」
「そうだな。そう考えるとそこまで遠くではないかも……」
「……場所が分からないのは残念だけど、わたしは佐藤さんがいて心強いです。
本当に、久しぶりに向こうの人と会ったから。
それに、ジャンを見つけられる可能性が出てきたことがすごく嬉しい」
「……伊勢さんは3年近く探し続けてたんだもんな。
うん……一緒に鏡、探して家に帰ろうな」
その大輔の言葉に、ダンテの周囲の空気が凍る。
大輔はそれに気付かないまま、このみが頷くのを待っている。
このみはダンテと視線を合わせないよう、目を逸らしながら返事した。
「……はい」
このみが頷いた途端、凍っていたダンテの空気が殺気立っていく。
さすがにそれに気付いた大輔は、ダンテとこのみの顔を交互に眺めて何となく納得したような顔を作った。
このみは平静を装いながら、大輔に尋ねる。
「わたしがいない間、向こうではどんなことがありましたか?聞きたいです」
「ああ、うん、もちろん……」
大輔はダンテの顔色を伺いながらも、このみがねだるままにここ数年日本や向こうの世界で起きたことを話し始めたのだった。
* * *
このみに日本での出来事を散々語っていた大輔は、話の途中で極度の疲れから眠ってしまった。
日本との時差もあるだろうし、精神的に色々と限界だったのだろう。
ダンテは大輔が気に入らないのか、ソファーで眠る彼をベッドに運んであげてほしいと頼んでも断られてしまった。
自分のベッドに男を寝かせるなんて嫌だと言い張り、このみが「ならわたしのベッドに」と言うと「論外」とにべもなく話を蹴るのだ。
とりあえず彼にタオルケットをかけてやることは許可してくれたので、このみは仕方なく大輔をそのままにして、
タオルケットだけ被せて二階に上がった。
夜更けの世界は静かだ。
昼間のまとわりつくような熱気も、今は落ち着いていて過ごしやすい。
自室のベッドに横になって、大輔との出会いと今後の事を悶々と考えていたこのみは、部屋のドアを叩くノックの音を聞いた。
入ってきたのはダンテだ。
身を起こしたこのみは、ベッドの上に座り込んでダンテを見上げた。
「ダンテ、どうしたの?」
「……このみ、話がある」
「なに?」
「分かってるんだろ」
ごく真面目な顔つきのダンテは、このみが座っているベッドの上に腰掛けた。
……すぐ隣にダンテの体温があることを意識してしまう自分が、何だか浅ましくて嫌だった。
「お前、本当に帰るのか」
「……前から何度もそう言ってる。
それにまだ鏡がどこにあるかも分かってない……すぐに帰れるとは限らないよ」
「でも、見つかれば帰るんだろ。……大輔と一緒に。そういうことだよな」
このみは返事ができずに俯いた。
ギシ、とベッドのスプリングを軋ませながら、ダンテがこのみの方へ身を寄せてくる。
思わずダンテの顔を見上げると、真剣な顔つきでこのみを見下ろす彼の顔があった。
「このみ……俺は、お前が……」
その後のダンテの台詞を予想して、このみは緊張のあまり顔を伏せて身を固めた。
自然と目頭が熱くなって、泣き出しそうになるのを堪えようと思うと体が震える。
「…………」
けして視線を合わせようとはしないこのみを見て、ダンテは溜め息をついた。
「…………やめた。俺やっぱドナドナ君嫌い。
今更何なんだろうな、本当に。あと少しだったかもしれないのに……」
聞かせる気があるのかないのか、ダンテはそう呟いた。
「このみは……折れる気はないんだな……」
ダンテはベッドから腰を浮かせた。
このみを見下ろして、俯いたままの頭を撫でる。
反射的に見上げた彼の顔には、自嘲ともとれる半笑いが浮かんでいた。
「……大輔が現れたとは言え、鏡がどこにあるのか分からないのは相変わらずだな。
それまでにお前の気が変わったりしないか?」
「……あんまり期待しない方がいい」
「…………そーですか」
ダンテがわざと砕けた言い方をするのは、恐らく本心を隠したいがためだ。
それが分からないほど、ダンテとこのみは浅い付き合いではない。
もう一度溜め息をついて、ダンテは頭をかきながらこのみに言った。
「おやすみ」
「…………おやすみなさい」
消え入るような返事をしたこのみに、貼り付けたような笑顔を浮かべ、ダンテはこのみの部屋を出て行く。
このみはダンテの足音が聞こえなくなったのを確認して、抱えた膝に顔を伏せた。
「………………っ」
漏れ出そうになる嗚咽を、噛み締めた唇の奥でこらえる。
勝手に溢れてくる涙が目からこぼれ落ちて肌の上で弾けた。
あの時、ダンテが言いかけた言葉の続きを口にしてくれたなら。
定まりかけていたこのみの心はまた揺れるのだろう。
けれど、このみがこちらの世界を選んだとして、その理由をダンテの言葉のせいにはしたくなかった。
もしもこのみがダンテの元に残ったとして、この世界を選んだことを後悔するようなことが起こったとしたら……。
"あの時ダンテが引き止めなかったら"ときっと思うだろう。
だからダンテが続きを言わないことにほっとしていたのだけれど、反面、心のどこかでその言葉を欲しがっている自分がいることに気付いてしまった。
このみだって、ダンテと離れたくないと思っている。
それはどんなに自分の心に蓋をしようと偽れない事実だった。
もっとたくさん……できればずっとずっと彼と一緒にいたい。
けれど"この世界に存在するはずのない人間"であるこのみは、きっとダンテの重荷になるだろう。
それに自分の将来を考えると、元の世界に戻る以外の選択肢は有り得ない。
何より残してきた家族や友達と、この世界では叶えられない夢もある。
このみと同じようにこの世界へやってきた大輔のことも放っておけるはずがなかった。
それぞれの世界で、それぞれに生活を送ることが互いにとって一番だということも分かっている。
それでも……どれだけ自分の心に言い聞かせても、このみは流れる涙を止めることができなかった。
***あとがき***
大輔の登場は、ダンテとヒロインの間に思わぬ変化をもたらしたようです。
やっぱり同郷の存在は、どうしても故郷のことを思い出させますよね。
当然、ダンテ的には大輔がいることは面白くないと思います。
ヒロインが本格的に心を決めるきっかけになったと言っても過言ではないような……。
お題は反転コンタクト様よりお借りいたしました。
次の話へ → 30‐A.君の逆鱗
とりあえずダンテとこのみは、混乱して矢継ぎ早に質問を繰り返す男を連れて、事務所へ戻った。
半日ほど水以外口にしていない、としきりに腹を鳴らす彼のために、このみはいつもより一人分多く晩御飯を用意した。
男はそれをかき込みながら、このみに尋ねる。
ダンテと話をするという考えは始めからないのか、彼にほぼ背を向けるような形だ。
そのせいか別の理由かは不明だが、ダンテはどこか不機嫌だった。
『あの……何なんですかここ?日本じゃないんですか?
つうかここにいる人間、なんか違和感があるっていうか……おかしくない!?』
『えっと……それは……あの、名前お伺いしてもいいですか?』
『あ、ごめん。俺は佐藤大輔。
君は……あのさ、俺君のことどっかで見たことある気がするんだけど……会ったことあります?』
じいっとこのみを見つめる大輔に不快感を示したのは、このみ本人ではなくダンテの方だった。
ダンテに背を向けていた大輔の前に割り込むように顔を突き出す。
大輔は割り込んできたダンテの顔を見て、ひっとのけぞった。
そんな大輔にダンテは鼻白む。
「……このみ、こいつ今何て?」
「あの、わたしを見たことがあるらしくて、会ったことあるかって……。
わたしは覚えがないんだけど……」
「はぁ?この期に及んでナンパかよ?」
「ナンパじゃないですよっ!」
英語で言い返してきた大輔に、ダンテは目を見開いて驚きの視線を向ける。
「俺、大学は英文科だったんです」
「なら俺にも分かるように英語で喋れ」
「はっ、はいっ」
ダンテとしては脅しているつもりはないだろうが、イライラしているのが声に棘を含ませるのか、大輔は萎縮しながら頷いた。
彼も初めてダンテに会った時のこのみ同様、半魔であるダンテに恐怖心を覚えているようだ。
「……で、君の名前は?」
「伊勢このみですけど……」
その名を聞いて、大輔は思い出した!と声を上げた。
全く覚えのないこのみは首を傾げる。
「俺、君と同じ高校出身なんだよ!
サッカー部の鈴木って覚えてる?君と同じクラスだったはずだけど。
鈴木は同じサッカー部の二個下の後輩で、俺が進学して家出た後もメールで受験の相談とかしてたんだよ。
そんで……11月頃だったかな、クラスメイトの女子が行方不明になったって。
その子の名前が伊勢このみ………君だよね?」
このみはあまりの衝撃に絶句する。
まさか目の前にいる人が一年間とはいえ同じ高校で共に過ごした間柄で、しかも自分のことを知っていたなんて。
「つまり……お前らは先輩と後輩だった……ってわけか」
「面識はないんですけどね」
ダンテの言葉に大輔は頷いた。
「地元じゃ結構大騒ぎになってたんだ。
俺が実家に戻った時も、家ん中に情報提供を呼び掛けるチラシが置いてあったし……君の顔を見たのはきっとその時だ」
「……騒ぎって……」
「高校全体で集会開くのはもちろん、事件性が高いってんで警察とか教育委員会?とか来るわでもう大変だったみたいだけど」
……両親はどうなんだろう。
ずっとずっとこのみを探し続けていたのだろうか。
「わたしがいなくなったことで、そんなことになってたんですね……」
「きっとご両親も心配してるよ」
「……そうですよね」
このみは俯いて、両親の顔を思い出していた。
早く二人に会いたい。
家に帰ってお父さんとお母さんを安心させてあげたい。
口では必ず家に帰ると宣言していたこのみも、鏡の捜索があまりに進展を見せないことと、ダンテとの生活が心地よくて、
内心ではすんなりと元の世界に帰ることを躊躇するくらい、揺れていた。
けれどその心も、大輔の話を聞いた今では定まりつつある。
このみと同じ"向こうの世界"の人間である大輔の出現は、このみにとって何よりも心強かった。
──そんなこのみの顔を、ダンテは苦渋の混じった表情で見つめていた。
「それで……この世界は何なんだ?どうして3年近く行方不明だった伊勢さんがここにいるんだ?あの鏡……何?」
「佐藤さんも、鏡を通り抜けてきたんですよね?
わたしは、学校にあった姿見を通り抜けてここへ来たんですけど、まさか佐藤さんも同じように……?」
「学校……?いや、俺は会社にある男子トイレの鏡からだ」
このみとダンテは顔を見合わせた。
クリスマスイブのあの腐乱死体の彼も、通っていた大学はこのみの高校から遠く離れていた。
「……鏡が繋がる先は完全にランダムってこと?」
「今のとこ、そうとしか思えないな」
何だか腑に落ちなくてもやもやするこのみに、大輔は「何かまずいこと言った?」とただひたすら戸惑っていた。
彼に落ち度は一つもないので、出せない答えを考えるのはやめて、このみは彼に向き直る。
「佐藤さん、わたしが知っていること、お話しします」
このみは2年9ヶ月前、自分の身に起こったことを語り出した。
学校の姿見からこの異世界へ迷い込んだこと。
この世界には悪魔という存在がいて、このみがいた世界とこの世界は全く違う理から成り立っているということ。
元の世界へ戻るために、鏡とそれを持ち去った悪魔を探し続けていたこと……。
異世界、とか悪魔だとか、常識を軽く飛び越える単語の応酬に大輔は混乱していた。
「あのさ……悪魔なんてマジで言ってるの?冗談だよね?」
「お前こそ鏡を通り抜けるなんてメルヘンな体験してんだろ。
このみの話を疑う前に自分の体験を振り返ってみろよ」
イライラと机を指で叩きながら、ダンテは大輔に言う。
相変わらず大輔は怯えの混じった瞳でダンテを眺めながら、日本語でこのみに尋ねた。
『……この人、何?街の人間とも何か違うし……』
ダンテが半魔であることを告げるべきか否かでこのみが迷っていると、ダンテは面倒くさそうに大輔に告げた。
「俺は半分悪魔の血が通ってんだよ。
なんつーかお前ら向こうの世界の人間には悪魔を感知する能力があるらしくて、俺ん中の悪魔の部分に反応してビビってるだけ。
このみもそうだった」
「半分……悪魔ァ!?」
ますます信じられないといった様子の大輔に、ダンテは「こりゃ何言っても無駄だ」と溜め息をついた。
大輔はすっかり頭を抱えてしまっている。
「はぁ、もう訳が分からない。これは夢だ、絶対夢」
「お前の場合はまだいいよ。何も分からないうちから1人でここにやってきたこのみの気持ちにもなってみろってんだ」
「あの……わたしでも、こんな怒涛のように説明されたら混乱するよ……」
自分だって何日もかけて状況を把握したのだから、大輔が混乱する気持ちも痛い程分かる。
「それにしても、本当に鏡の向こうにこんな世界があるなんて……」
まるで異世界の存在を知っていたかのような口振りの大輔に、このみは首を傾げた。
「本当に……って、どういう意味ですか?」
「そうか、伊勢さんは知らないか。
向こうの……俺たちの世界ではさ、二年くらい前からバラバラ死体が現れる事件が頻繁に起こってるんだ」
「バラバラ死体?」
何とも不穏なその言葉に、このみは眉を寄せる。
頷いた大輔は、ポケットからスマートフォンを取り出して電源を入れた。
ダンテは新たな未知の機器に目を丸くしている。
それを操作して、大輔はこのみ達に向けて一本の動画を再生した。
「これ……」
モニター越しに映った鏡から、肉と血の色をしたモザイクがかったグロテスクな物体がこぼれ落ちる場面を撮ったものだった。
言葉をなくすダンテとこのみに、動画を停止した大輔は言う。
「……この動画が本物か嘘かは分かんないけど、とにかく俺たちの世界では……
恐らくこんな感じで、バラバラ死体が鏡の前に遺棄される事件が起こってる。
……もしかして、この世界と関係ある?」
このみはマークの言葉を思い出していた。
こちらの世界で続出する行方不明事件に、ジャンが関わっているかもしれない……。
「ダンテ、まさかそのバラバラ死体の被害者って、こっちで行方不明になった人なんじゃ……」
「……そのバラバラ死体が現れるようになったのはいつからだ?」
「俺が大学3年の秋からだから……2年前ですね」
「ちょっと待て、こっちでジャンが関わっていると思われる行方不明事件が始まったのは、このみが18の時のクリスマスイブからだろ?
それが大ざっぱに3年前として……一年くらい誤差があるぞ」
確かにダンテの言うとおり、行方不明事件は3年前から、バラバラ死体遺棄事件は2年前から始まったということになる。
「行方不明になった人全員が向こうの世界に行ったわけではないってことなのかな。
少なくともバラバラ死体が出た方が後なんだから、ジャンと関係ないとは言い切れないよね」
「……そうだな」
「あの、さっきから出てるジャンってのは……。それに、行方不明事件って?」
話の腰を折るのを悪いと思ったのか、大輔が恐る恐る尋ねる。
互いの情報量に差があるから、それが何とも煩わしい。
「わたしたち、この世界と向こうの世界を繋いでいる鏡を持った悪魔をジャンって呼んでるんです」
「この世界では突然行方不明になる人間が続出してて、ニュースにもなってる。
その事件の黒幕が、もしかしたらジャンかもしれないんだ」
「佐藤さんもこうしてここにいるっていうことは、ジャンと会ったんですか?
こういう顔なんですけど」
このみはいつも聞き込みの時に利用している似顔絵を取り出した。
大輔はそれを見て「こいつ!」と叫んだ。
「俺が鏡を通り抜けた先の部屋に立ってた!」
「大輔、お前そこから逃げて来たんだろ?
……場所は分かるのか?」
ジャンの居場所が分かればこのみは家に帰れるかもしれない。
それでもダンテがあえて尋ねたのは、ジャンに一矢報いたいという考えでもあるのだろうか。
「えっと……実は分かんないです。昨日の真夜中に屋敷から逃げて、疲れて乗り込んだトラックが、昼ごろ着いた先がここだったから……」
「………………」
ダンテは呆れたような顔を作り、このみは心底がっかりした顔を見せた。
「ドナドナ君使えねー……」
「ドナドナ君って何ですかっ!俺だって必死だったんですよ!?」
半べそをかきながら大輔はそう訴える。
このみも同じく道が分からなくなったことがあるので、大輔を責めることはできなかった。
「それに……あの屋敷、何か……し、死体とかあったし……。
できれば戻りたくないって言うか……」
「死体?」
「何か腐ったやつ……」
腐乱死体。
このみはバスタブで死んでいた同胞の彼を思い出した。
ダンテも同じくそれを思い出したのか、眉をひそめた。
……大輔の言う死体が、こちらで行方不明になった誰かなのか、それともこのみや大輔と同じように異世界へやってきた人間なのかは分からない。
けれど、やはりジャンが何かしら目的を持って動いていることは確かなようだ。
「でも、ジャンがいたその場所は車で数時間程度の距離ってことですよね」
「そうだな。そう考えるとそこまで遠くではないかも……」
「……場所が分からないのは残念だけど、わたしは佐藤さんがいて心強いです。
本当に、久しぶりに向こうの人と会ったから。
それに、ジャンを見つけられる可能性が出てきたことがすごく嬉しい」
「……伊勢さんは3年近く探し続けてたんだもんな。
うん……一緒に鏡、探して家に帰ろうな」
その大輔の言葉に、ダンテの周囲の空気が凍る。
大輔はそれに気付かないまま、このみが頷くのを待っている。
このみはダンテと視線を合わせないよう、目を逸らしながら返事した。
「……はい」
このみが頷いた途端、凍っていたダンテの空気が殺気立っていく。
さすがにそれに気付いた大輔は、ダンテとこのみの顔を交互に眺めて何となく納得したような顔を作った。
このみは平静を装いながら、大輔に尋ねる。
「わたしがいない間、向こうではどんなことがありましたか?聞きたいです」
「ああ、うん、もちろん……」
大輔はダンテの顔色を伺いながらも、このみがねだるままにここ数年日本や向こうの世界で起きたことを話し始めたのだった。
* * *
このみに日本での出来事を散々語っていた大輔は、話の途中で極度の疲れから眠ってしまった。
日本との時差もあるだろうし、精神的に色々と限界だったのだろう。
ダンテは大輔が気に入らないのか、ソファーで眠る彼をベッドに運んであげてほしいと頼んでも断られてしまった。
自分のベッドに男を寝かせるなんて嫌だと言い張り、このみが「ならわたしのベッドに」と言うと「論外」とにべもなく話を蹴るのだ。
とりあえず彼にタオルケットをかけてやることは許可してくれたので、このみは仕方なく大輔をそのままにして、
タオルケットだけ被せて二階に上がった。
夜更けの世界は静かだ。
昼間のまとわりつくような熱気も、今は落ち着いていて過ごしやすい。
自室のベッドに横になって、大輔との出会いと今後の事を悶々と考えていたこのみは、部屋のドアを叩くノックの音を聞いた。
入ってきたのはダンテだ。
身を起こしたこのみは、ベッドの上に座り込んでダンテを見上げた。
「ダンテ、どうしたの?」
「……このみ、話がある」
「なに?」
「分かってるんだろ」
ごく真面目な顔つきのダンテは、このみが座っているベッドの上に腰掛けた。
……すぐ隣にダンテの体温があることを意識してしまう自分が、何だか浅ましくて嫌だった。
「お前、本当に帰るのか」
「……前から何度もそう言ってる。
それにまだ鏡がどこにあるかも分かってない……すぐに帰れるとは限らないよ」
「でも、見つかれば帰るんだろ。……大輔と一緒に。そういうことだよな」
このみは返事ができずに俯いた。
ギシ、とベッドのスプリングを軋ませながら、ダンテがこのみの方へ身を寄せてくる。
思わずダンテの顔を見上げると、真剣な顔つきでこのみを見下ろす彼の顔があった。
「このみ……俺は、お前が……」
その後のダンテの台詞を予想して、このみは緊張のあまり顔を伏せて身を固めた。
自然と目頭が熱くなって、泣き出しそうになるのを堪えようと思うと体が震える。
「…………」
けして視線を合わせようとはしないこのみを見て、ダンテは溜め息をついた。
「…………やめた。俺やっぱドナドナ君嫌い。
今更何なんだろうな、本当に。あと少しだったかもしれないのに……」
聞かせる気があるのかないのか、ダンテはそう呟いた。
「このみは……折れる気はないんだな……」
ダンテはベッドから腰を浮かせた。
このみを見下ろして、俯いたままの頭を撫でる。
反射的に見上げた彼の顔には、自嘲ともとれる半笑いが浮かんでいた。
「……大輔が現れたとは言え、鏡がどこにあるのか分からないのは相変わらずだな。
それまでにお前の気が変わったりしないか?」
「……あんまり期待しない方がいい」
「…………そーですか」
ダンテがわざと砕けた言い方をするのは、恐らく本心を隠したいがためだ。
それが分からないほど、ダンテとこのみは浅い付き合いではない。
もう一度溜め息をついて、ダンテは頭をかきながらこのみに言った。
「おやすみ」
「…………おやすみなさい」
消え入るような返事をしたこのみに、貼り付けたような笑顔を浮かべ、ダンテはこのみの部屋を出て行く。
このみはダンテの足音が聞こえなくなったのを確認して、抱えた膝に顔を伏せた。
「………………っ」
漏れ出そうになる嗚咽を、噛み締めた唇の奥でこらえる。
勝手に溢れてくる涙が目からこぼれ落ちて肌の上で弾けた。
あの時、ダンテが言いかけた言葉の続きを口にしてくれたなら。
定まりかけていたこのみの心はまた揺れるのだろう。
けれど、このみがこちらの世界を選んだとして、その理由をダンテの言葉のせいにはしたくなかった。
もしもこのみがダンテの元に残ったとして、この世界を選んだことを後悔するようなことが起こったとしたら……。
"あの時ダンテが引き止めなかったら"ときっと思うだろう。
だからダンテが続きを言わないことにほっとしていたのだけれど、反面、心のどこかでその言葉を欲しがっている自分がいることに気付いてしまった。
このみだって、ダンテと離れたくないと思っている。
それはどんなに自分の心に蓋をしようと偽れない事実だった。
もっとたくさん……できればずっとずっと彼と一緒にいたい。
けれど"この世界に存在するはずのない人間"であるこのみは、きっとダンテの重荷になるだろう。
それに自分の将来を考えると、元の世界に戻る以外の選択肢は有り得ない。
何より残してきた家族や友達と、この世界では叶えられない夢もある。
このみと同じようにこの世界へやってきた大輔のことも放っておけるはずがなかった。
それぞれの世界で、それぞれに生活を送ることが互いにとって一番だということも分かっている。
それでも……どれだけ自分の心に言い聞かせても、このみは流れる涙を止めることができなかった。
***あとがき***
大輔の登場は、ダンテとヒロインの間に思わぬ変化をもたらしたようです。
やっぱり同郷の存在は、どうしても故郷のことを思い出させますよね。
当然、ダンテ的には大輔がいることは面白くないと思います。
ヒロインが本格的に心を決めるきっかけになったと言っても過言ではないような……。
お題は反転コンタクト様よりお借りいたしました。
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