1.甘い甘いチョコレート
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* * *
「じゃーん!」
効果音を口に出しながら、このみは小さな箱をダンテに差し出した。
その顔はこれ以上ないほどに得意げで、褒められるのを待つ犬のような彼女をダンテは微笑ましく思う。
「みてみて!」
このみの要求通り、ダンテは差し出された箱に視線を落とした。
彼女の両手の平に納まるサイズの小さなそれは、高級感溢れるラッピングがなされている。
「これ何?」
「チョコレートだよ!」
「チョコ?」
ダンテはこのみの手に乗っている箱をよくよく眺めた。
ラッピングに使われている包装紙には、店のロゴが印刷されている。
このロゴ……どこかで見たような……。
「あ!これめちゃくちゃ評判になってるチョコの店じゃねーか!」
「そうなの!」
ちまたで大ブレイク中のチョコレート店。
三ツ星ホテルのパティシエが一念発起し、ショコラティエとして設けたのがこのロゴの店だ。
テレビや雑誌に引っ張りだこ、大絶賛されているこのチョコレート店だが、中でも生チョコが評判を呼んでいるらしい。
それは1日30箱の限定品で、朝から大勢の客が並んでいるという。
中には海外からもわざわざ買い求めにくる客がいるとかいないとか。
「まさか……このみ……」
「なんとその生チョコです!!さっき買ってきたの!」
これがあの噂の生チョコ!
1日30箱限定!
今までチョコだと思っていたのは何だったのかとまで言わしめる、チョコレートオブチョコレート!
「でかしたぞ、このみ!」
「きゃー!!チョコがつぶれるっ!」
ダンテは感動のあまり思わず目の前のこのみを抱きしめる。
いつもなら恥ずかしさから抵抗するこのみだが、今日は箱が潰れぬよう手を伸ばしてそれを守ろうと必死だ。
おかげでいつもよりも様々な感触を味わうことができて、ダンテは二重に得した気分になる。
「それにしても、よく買えたな!」
「半月かけてずっとリサーチ続けてきたんだもの。わたし頑張った!」
そう言えばこの半月の間、バイトがない日もこのみは朝早くから家を出ていた。
それが日に日に朝出ていく時間が早まっていくので、何をしているのか疑問に思っていたところだったのだ。
全ては、この限定生チョコを手に入れるためだったのか。
褒めて褒めて、と輝くこのみの顔が可愛らしくて、ダンテはこのみの頭をめいっぱい撫でてやる。
いつもなら子供扱いするなと怒るこのみだが、今回ばかりは頭を撫でられてご機嫌だ。
それに消え物のチョコレートとはいえ、この世界で半月かけてまで手に入れたいものが彼女にできたことが、嬉しかった。
「さっそく、開けてみようよ」
「ああ」
このみはラッピングされている包装紙を丁寧に剥がしていく。
クリスマスプレゼントを贈った時にも疑問に思ったのだが、彼女は何故か包装紙を破らない。
理由を尋ねると、このみは困ったような顔をして、日本人は包装紙を破って開けないのだと答えた。
それから「破った紙の掃除が大変だから」と至極当然の答えが返ってきたので、ダンテは苦笑したのだった。
このみが包装紙を解いて箱を開けると、そこには一口大の生チョコレートが5つ並んでいた。
……質より量、とは言わないが、正直この量はケチくさくないか。
「……この生チョコいくらだっけ」
「えっと……」
ダンテがこのみに耳を寄せると、彼女はごにょごにょと値段を口にした。
その値段を聞いてダンテの目が見開かれる。
「……お前って変なところで金かけるな」
「だって、あんまりお給料残しとくのも何だし……」
また、自分がいなくなった後のことを考えているのだろうか。
だから、宵越しの金は持たないということか?
このみの気持ちは分からなくもないが、ダンテは思わず眉を寄せる。
「……せっかく買ってきたんだから、素直に楽しもうよ」
このみが困ったような顔で、上目遣いに見上げてきたので、お小言を言おうとしたダンテはその表情に絆されてしまう。
これが惚れた弱みというやつか。
きっとこのみもダンテの言いたいことは分かっているだろうから、ダンテはそれ以上何も言うことはしなかった。
「それじゃ、さっそく……」
ダンテとこのみは、それぞれにチョコをつまんだ。
見た目はココアをまぶしたただの生チョコにしか見えない。
それを口に放り込んで、ダンテは舌先でそれを味わう。
「おお!?」
まず感じたのは、チョコレートを覆っていたココアパウダーのほろりとした苦味。
それが舌の熱で溶けてしまうと、今度は滑らかな食感の生チョコが姿を現した。
ココアパウダーの苦味によって甘さを増したそのチョコレートは、噛まずとも喉を通るほどに繊細だ。
口いっぱいにカカオの匂いが広がり、甘い生クリームとチョコレートの絶妙なバランスで作られたそれは、口の中にすぅっと溶けて消えていく。
喉ごしも爽やかで、チョコレート特有の口に残る感じがほとんどしない。
「何これめちゃくちゃ美味い」
地球上にこんなチョコレートが存在していたのかと考えると、目から鱗が落ちるような感覚すら覚える。
このみに視線を送ると、見ているこちらがとろけるような表情でチョコレートを味わっていた。
「おいしい!幸せの味だねぇ!ほっぺたが落ちちゃうね!」
まさに幸せの権化とでも表現すべきこのみの笑顔。
見ているこちらまで幸せな気分になってくる。
「値段ぶんの価値はあるよね」
「テレビで話題になるのも納得だ」
二人で顔を見合わせてうんうんと頷く。
5粒しか入っていないのはケチくさいと思ったダンテだったが、一粒が相当な破壊力を秘めていた。
一箱に少数しか入っていないのも、リピーターを増やすための作戦なのではないだろうか。
さらに二人でもう一粒ずつチョコレートを食べて、幸せな気分に浸る。
このみとこんな至福の時間を共有できるなんて、本当についている一日だ。
箱に残った最後の一粒を見下ろして、このみは言う。
「ダンテ、最後のひとつあげる」
その言葉にダンテは瞬きした。
確かにこの生チョコは美味かったし、いくらでも食べられそうだ。
けれど買ってきたのはこのみなのに、自分がいくつも貰っていいのだろうか。
「このみ、お前が食え。買ってきたのはお前だろ」
「いいの。カロリー気になるし」
このみは笑顔でダンテにチョコレートの箱を差し出す。
本当にカロリーを気にしているなら、そもそも半月かけて生チョコを手に入れるような真似はしないはずだ。
だからこれは、いつものこのみの気遣い。
こういうこのみの性格は、本当に変わらない。
恐らく生来のものなのだろうとダンテは思う。
遠慮するなと言ってもするのだから、どうしようもない。
仕方がないので、ダンテはこのみに向かって口を開けた。
このみは一瞬驚いたように目を見開き、次にはその柔らかな曲線を描く頬を、桃色に染めた。
「"一生のお願い"はバレンタインの時に使ったでしょ?もう食べさせたりなんかしないんだから!」
「俺、何も言ってないけど?」
にやりとダンテが笑うと、このみは赤い顔で睨みつけてくる。
こんなやりとりも、もう何度目になるのだろう。
「──じゃあ、もういい!わたしが食べるから!」
「カロリーが気になるんじゃなかったのか?」
すかさずダンテがそう言うと、このみは言葉に詰まった。
こうして簡単に誘導に引っかかるこのみは、本当にいじめがいがある。
黙ってダンテが口を開けて待つのを、このみは上目遣いに見上げる。
いくら抵抗しようと、最終的にはダンテの思惑通りにいくのだから、このみもいい加減学習すればいいのに。
そこがまた、このみの可愛いところではあるが。
手元のチョコレートとダンテの顔を交互に見た後、このみが何か決意したような顔をした。
その微妙な表情の変化に、ダンテもまた目を細めた、その時。
「チャオー!」
……まったく空気の読めない男が一人、甘い雰囲気をぶち壊してくれた。
派手な音を立てて事務所のドアを開けたエンツォは、笑顔で挨拶しながら室内に足を踏み入れる。
「やーもう今日は暇でさぁー!ダンテ、このみちゃん、ちょっと暇つぶしに話にでも付き合ってくれよ!
……ん、二人とも固まってどうしたんだ?」
思わず力が抜けたダンテをそこに置いて、このみは笑顔でエンツォに足を向けた。
「エンツォさん、この生チョコどうぞ!」
「お!?これ最近話題になってるチョコ店のやつじゃん!いいのか!?」
このみが頷くと、最後の一つだった生チョコは、ダンテが止める間もなくエンツォの口の中へと消えていってしまった。
「何これ!?マジで美味い!!!」
……こんなことならさっさと自分の手でチョコを食べておけば良かった。
恨めしげに睨み付けるダンテに気付くことなく、エンツォはチョコの味に舌鼓を打つ。
このみは手際よくコーヒーを淹れると、それをエンツォの前のテーブルに置いた。
「エンツォさん、今日うちでお昼ごはん食べて行く?」
「まじ!うんうん食べて行く!」
「ダンテもいいよね?」
にっこり笑ってこのみに問われると、ダンテは頷かざるを得ない。
「良かった。じゃあ、わたしお昼の材料買ってくる。エンツォさん、ゆっくりしててね!」
「あ、わざわざそこまでしなくてもいいのに」
「ううん。せっかくエンツォさんが食べてくれるんだから、おいしいもの作りたい」
このみはそう言いつつ、ダンテの前にもコーヒーのカップを置いた。
事務所でエンツォと一緒に待っていろ、と言外ににおわせているようだ。
──エンツォをだしにして、逃げるつもりか。
このみも、いつまでもダンテにやられっぱなしというわけにはいかないらしい。
コーヒーまで用意されては、買い物に向かうこのみに着いて行くこともできない。
仕方なくダンテはエンツォと一緒のテーブルに着く。
それを見たこのみはほっとした表情を見せ、買出しのために早速事務所を出て行った。
「……エンツォ、お前空気読め。つーか帰れ」
「あれっ、ひょっとしていいところだった?それはもーしわけない」
棒読みで謝罪を口にするエンツォの顔は笑っていた。
そして薄気味悪いことにダンテに顔を寄せて、囁くようにして尋ねる。
「なあ、このみちゃんとどこまでいった?」
……一番されたくない質問を、一番聞きたくない男の口から出されて、ダンテは辟易した。
「……別にどうも。そもそも付き合ってない」
改めて自分の口で事実を認識すると、柄にもなく落ち込みそうになる。
エンツォはダンテの言葉に驚きを隠せないようで、しきりにうろたえた。
「嘘だろ!?だって最近のお前らってどう見ても恋人どうし……」
「やめろそれ以上言うな悲しくなるから」
他人からいくらそう見えようと、ダンテとこのみはそんな関係にはなれない。
このみが「家に帰る」ことを諦めないかぎり。
普段見せることのない気落ちしたような顔をするダンテに何を思ったのか、エンツォはダンテの肩を叩いた。
「ダンテ、俺で良かったら相談に乗るぜ?なんたって俺はお前の相棒だからな」
「誰が誰の相棒だって?」
「まあまあ、細かいことはいいじゃねーか。それで結局、どういうことなんだ?」
ダンテはエンツォを見据える。
一人で考えたところで良い案が浮かぶはずもなし、エンツォに相談してみるのもいいだろうか。
「……このみはさ、あいつが探してる鏡を見つけたら、すっげー遠くの家に帰らなきゃいけないんだ。
帰ったら俺と会えるかどうかも分からない。連絡すらできないかも」
「でも鏡はホテルの男が持ち去って行方知れずだろ。いつ帰れるか分からないじゃねーか」
「このみはそれでも帰る気でいるよ。だからこっちで好きな男を作るつもりはないんだと」
ははあ、とエンツォは納得したような声を漏らす。
「ダンテはこのみちゃんにこっちに残ってほしいって思ってるんだな?」
「そうだけど、言えない。向こうにはこのみの両親がいる。こっちにいるとこのみは両親と連絡取れないから」
「え?えーっと……。状況がよく理解できないけど、ダンテか両親か、二者択一ってこと?」
二者択一どころではない。
向こうの世界ならこのみは戸籍があるし、大学だって行ける。
天秤の比重は明らかに向こうの世界に傾いているのだ。
「……このみに好かれてる自信はあるんだけどな」
「というと?」
「ほっぺたまでのキスと同衾は許してくれた」
かなり赤裸々に語っているが、この際エンツォに洗いざらい話してしまった方が気分的に楽だ。
……後になって軽々しく話したことを悔やむことになるかもしれないが、その時はその時だ。
案の定エンツォは「同衾」と呟きながらニヤニヤ笑っている。
「しかし同衾はともかく、ほっぺたチューとかお前ら小学生か」
「頭撫でるのも避けられてた頃に比べると大躍進なんだよ!そもそも日本にキスの習慣はない!」
ムキになって声を荒げるダンテを、尚もエンツォは面白いものでも見るような目付きで眺める。
「告ったらこのみちゃんの気も変わるんじゃねーか?」
「……既に何回か遠回しに告って、遠回しに振られました」
このみから日本語を教わった時の告白はかなり真剣だったのだけれど、それでも駄目だった。
あの時以上に本気で告白して振られたら、もう立ち直れる気がしない。
エンツォはしばらく考えこんだ挙げ句、全く実にならない答えを導き出した。
「こうなったら……既成事実を作るしかないな!」
「それができたら苦労しねーよ……」
そんなことをすれば、まず間違いなくこのみの心は離れていってしまうだろう。
それだけは絶対に嫌だ。
だったらまだ色々と我慢して、このみと穏やかな日常を過ごす方がいい。
「俺はただこのみとラブラブしたいだけなんだ……」
ポツリと口から出たのは、あまりにも俗っぽい願い。
けれど今のダンテには途方もないほど大きな願いなのだ。
「はあー。お前に興味持ってる女は腐るほどいるってのに、本命は簡単には手に入らないとは難儀な世の中だ。うまくできてる」
──感心するところはそこか。
「それにしても、そこまで好きな女と一緒に住んどいてよく平気だな」
「平気なわけないだろ。我慢してるだけ」
「ああ自家発電ですか」
下品なエンツォの物言いに反応してやるほどダンテも子供ではない。
大きな溜め息をついて、ダンテは机に突っ伏した。
「あーもうどうしたらいいのか分かんねー。エンツォは全く頼りにならねーし」
「悪かったな。けど俺にとってこのみちゃんは妹分みたいなもんだ。泣かすような真似したくないのは俺も同じ」
「ええ~……このみがお前の妹とか嫌すぎる。このみは俺だけのものでいてほしい」
「……ダンテ、お前相当だな」
呆れたような視線を向けるエンツォに対し、ダンテは机に突っ伏すのみだ。
「……このみちゃんのどこにそんなに惚れてるわけ?」
エンツォが尋ねると、ダンテは先ほどまでとは打って変わって、太陽のごとく輝く顔を持ち上げた。
あ、いらんこと聞いた、とエンツォが思った時には既に遅く、マシンガンのような勢いでダンテは語り始める。
「そりゃやっぱ笑顔が可愛いところだろ!それに素直で頑張り屋なところだろ!あと意外と負けず嫌いでからかいがいがあるところとか……」
ダンテのトークはこのみが買い物を終えて戻ってくるまで続き、
いくら「妹分」だと思ってこのみを可愛がっているエンツォも、さすがにこれには参った。
けれど帰ってきたこのみを見て、心底幸せそうな顔を浮かべるダンテを見ていると口出しもできなくて、エンツォは溜め息を漏らしたのだった。
***あとがき***
お菓子5題に挑戦中です。最初はチョコレートから!
お題はfisika様よりお借りいたしました。
お菓子やご飯をおいしそうに描写できる人、本当に尊敬します。
後半のボーイズトーク(?)は書いててとっても楽しかったです。
「じゃーん!」
効果音を口に出しながら、このみは小さな箱をダンテに差し出した。
その顔はこれ以上ないほどに得意げで、褒められるのを待つ犬のような彼女をダンテは微笑ましく思う。
「みてみて!」
このみの要求通り、ダンテは差し出された箱に視線を落とした。
彼女の両手の平に納まるサイズの小さなそれは、高級感溢れるラッピングがなされている。
「これ何?」
「チョコレートだよ!」
「チョコ?」
ダンテはこのみの手に乗っている箱をよくよく眺めた。
ラッピングに使われている包装紙には、店のロゴが印刷されている。
このロゴ……どこかで見たような……。
「あ!これめちゃくちゃ評判になってるチョコの店じゃねーか!」
「そうなの!」
ちまたで大ブレイク中のチョコレート店。
三ツ星ホテルのパティシエが一念発起し、ショコラティエとして設けたのがこのロゴの店だ。
テレビや雑誌に引っ張りだこ、大絶賛されているこのチョコレート店だが、中でも生チョコが評判を呼んでいるらしい。
それは1日30箱の限定品で、朝から大勢の客が並んでいるという。
中には海外からもわざわざ買い求めにくる客がいるとかいないとか。
「まさか……このみ……」
「なんとその生チョコです!!さっき買ってきたの!」
これがあの噂の生チョコ!
1日30箱限定!
今までチョコだと思っていたのは何だったのかとまで言わしめる、チョコレートオブチョコレート!
「でかしたぞ、このみ!」
「きゃー!!チョコがつぶれるっ!」
ダンテは感動のあまり思わず目の前のこのみを抱きしめる。
いつもなら恥ずかしさから抵抗するこのみだが、今日は箱が潰れぬよう手を伸ばしてそれを守ろうと必死だ。
おかげでいつもよりも様々な感触を味わうことができて、ダンテは二重に得した気分になる。
「それにしても、よく買えたな!」
「半月かけてずっとリサーチ続けてきたんだもの。わたし頑張った!」
そう言えばこの半月の間、バイトがない日もこのみは朝早くから家を出ていた。
それが日に日に朝出ていく時間が早まっていくので、何をしているのか疑問に思っていたところだったのだ。
全ては、この限定生チョコを手に入れるためだったのか。
褒めて褒めて、と輝くこのみの顔が可愛らしくて、ダンテはこのみの頭をめいっぱい撫でてやる。
いつもなら子供扱いするなと怒るこのみだが、今回ばかりは頭を撫でられてご機嫌だ。
それに消え物のチョコレートとはいえ、この世界で半月かけてまで手に入れたいものが彼女にできたことが、嬉しかった。
「さっそく、開けてみようよ」
「ああ」
このみはラッピングされている包装紙を丁寧に剥がしていく。
クリスマスプレゼントを贈った時にも疑問に思ったのだが、彼女は何故か包装紙を破らない。
理由を尋ねると、このみは困ったような顔をして、日本人は包装紙を破って開けないのだと答えた。
それから「破った紙の掃除が大変だから」と至極当然の答えが返ってきたので、ダンテは苦笑したのだった。
このみが包装紙を解いて箱を開けると、そこには一口大の生チョコレートが5つ並んでいた。
……質より量、とは言わないが、正直この量はケチくさくないか。
「……この生チョコいくらだっけ」
「えっと……」
ダンテがこのみに耳を寄せると、彼女はごにょごにょと値段を口にした。
その値段を聞いてダンテの目が見開かれる。
「……お前って変なところで金かけるな」
「だって、あんまりお給料残しとくのも何だし……」
また、自分がいなくなった後のことを考えているのだろうか。
だから、宵越しの金は持たないということか?
このみの気持ちは分からなくもないが、ダンテは思わず眉を寄せる。
「……せっかく買ってきたんだから、素直に楽しもうよ」
このみが困ったような顔で、上目遣いに見上げてきたので、お小言を言おうとしたダンテはその表情に絆されてしまう。
これが惚れた弱みというやつか。
きっとこのみもダンテの言いたいことは分かっているだろうから、ダンテはそれ以上何も言うことはしなかった。
「それじゃ、さっそく……」
ダンテとこのみは、それぞれにチョコをつまんだ。
見た目はココアをまぶしたただの生チョコにしか見えない。
それを口に放り込んで、ダンテは舌先でそれを味わう。
「おお!?」
まず感じたのは、チョコレートを覆っていたココアパウダーのほろりとした苦味。
それが舌の熱で溶けてしまうと、今度は滑らかな食感の生チョコが姿を現した。
ココアパウダーの苦味によって甘さを増したそのチョコレートは、噛まずとも喉を通るほどに繊細だ。
口いっぱいにカカオの匂いが広がり、甘い生クリームとチョコレートの絶妙なバランスで作られたそれは、口の中にすぅっと溶けて消えていく。
喉ごしも爽やかで、チョコレート特有の口に残る感じがほとんどしない。
「何これめちゃくちゃ美味い」
地球上にこんなチョコレートが存在していたのかと考えると、目から鱗が落ちるような感覚すら覚える。
このみに視線を送ると、見ているこちらがとろけるような表情でチョコレートを味わっていた。
「おいしい!幸せの味だねぇ!ほっぺたが落ちちゃうね!」
まさに幸せの権化とでも表現すべきこのみの笑顔。
見ているこちらまで幸せな気分になってくる。
「値段ぶんの価値はあるよね」
「テレビで話題になるのも納得だ」
二人で顔を見合わせてうんうんと頷く。
5粒しか入っていないのはケチくさいと思ったダンテだったが、一粒が相当な破壊力を秘めていた。
一箱に少数しか入っていないのも、リピーターを増やすための作戦なのではないだろうか。
さらに二人でもう一粒ずつチョコレートを食べて、幸せな気分に浸る。
このみとこんな至福の時間を共有できるなんて、本当についている一日だ。
箱に残った最後の一粒を見下ろして、このみは言う。
「ダンテ、最後のひとつあげる」
その言葉にダンテは瞬きした。
確かにこの生チョコは美味かったし、いくらでも食べられそうだ。
けれど買ってきたのはこのみなのに、自分がいくつも貰っていいのだろうか。
「このみ、お前が食え。買ってきたのはお前だろ」
「いいの。カロリー気になるし」
このみは笑顔でダンテにチョコレートの箱を差し出す。
本当にカロリーを気にしているなら、そもそも半月かけて生チョコを手に入れるような真似はしないはずだ。
だからこれは、いつものこのみの気遣い。
こういうこのみの性格は、本当に変わらない。
恐らく生来のものなのだろうとダンテは思う。
遠慮するなと言ってもするのだから、どうしようもない。
仕方がないので、ダンテはこのみに向かって口を開けた。
このみは一瞬驚いたように目を見開き、次にはその柔らかな曲線を描く頬を、桃色に染めた。
「"一生のお願い"はバレンタインの時に使ったでしょ?もう食べさせたりなんかしないんだから!」
「俺、何も言ってないけど?」
にやりとダンテが笑うと、このみは赤い顔で睨みつけてくる。
こんなやりとりも、もう何度目になるのだろう。
「──じゃあ、もういい!わたしが食べるから!」
「カロリーが気になるんじゃなかったのか?」
すかさずダンテがそう言うと、このみは言葉に詰まった。
こうして簡単に誘導に引っかかるこのみは、本当にいじめがいがある。
黙ってダンテが口を開けて待つのを、このみは上目遣いに見上げる。
いくら抵抗しようと、最終的にはダンテの思惑通りにいくのだから、このみもいい加減学習すればいいのに。
そこがまた、このみの可愛いところではあるが。
手元のチョコレートとダンテの顔を交互に見た後、このみが何か決意したような顔をした。
その微妙な表情の変化に、ダンテもまた目を細めた、その時。
「チャオー!」
……まったく空気の読めない男が一人、甘い雰囲気をぶち壊してくれた。
派手な音を立てて事務所のドアを開けたエンツォは、笑顔で挨拶しながら室内に足を踏み入れる。
「やーもう今日は暇でさぁー!ダンテ、このみちゃん、ちょっと暇つぶしに話にでも付き合ってくれよ!
……ん、二人とも固まってどうしたんだ?」
思わず力が抜けたダンテをそこに置いて、このみは笑顔でエンツォに足を向けた。
「エンツォさん、この生チョコどうぞ!」
「お!?これ最近話題になってるチョコ店のやつじゃん!いいのか!?」
このみが頷くと、最後の一つだった生チョコは、ダンテが止める間もなくエンツォの口の中へと消えていってしまった。
「何これ!?マジで美味い!!!」
……こんなことならさっさと自分の手でチョコを食べておけば良かった。
恨めしげに睨み付けるダンテに気付くことなく、エンツォはチョコの味に舌鼓を打つ。
このみは手際よくコーヒーを淹れると、それをエンツォの前のテーブルに置いた。
「エンツォさん、今日うちでお昼ごはん食べて行く?」
「まじ!うんうん食べて行く!」
「ダンテもいいよね?」
にっこり笑ってこのみに問われると、ダンテは頷かざるを得ない。
「良かった。じゃあ、わたしお昼の材料買ってくる。エンツォさん、ゆっくりしててね!」
「あ、わざわざそこまでしなくてもいいのに」
「ううん。せっかくエンツォさんが食べてくれるんだから、おいしいもの作りたい」
このみはそう言いつつ、ダンテの前にもコーヒーのカップを置いた。
事務所でエンツォと一緒に待っていろ、と言外ににおわせているようだ。
──エンツォをだしにして、逃げるつもりか。
このみも、いつまでもダンテにやられっぱなしというわけにはいかないらしい。
コーヒーまで用意されては、買い物に向かうこのみに着いて行くこともできない。
仕方なくダンテはエンツォと一緒のテーブルに着く。
それを見たこのみはほっとした表情を見せ、買出しのために早速事務所を出て行った。
「……エンツォ、お前空気読め。つーか帰れ」
「あれっ、ひょっとしていいところだった?それはもーしわけない」
棒読みで謝罪を口にするエンツォの顔は笑っていた。
そして薄気味悪いことにダンテに顔を寄せて、囁くようにして尋ねる。
「なあ、このみちゃんとどこまでいった?」
……一番されたくない質問を、一番聞きたくない男の口から出されて、ダンテは辟易した。
「……別にどうも。そもそも付き合ってない」
改めて自分の口で事実を認識すると、柄にもなく落ち込みそうになる。
エンツォはダンテの言葉に驚きを隠せないようで、しきりにうろたえた。
「嘘だろ!?だって最近のお前らってどう見ても恋人どうし……」
「やめろそれ以上言うな悲しくなるから」
他人からいくらそう見えようと、ダンテとこのみはそんな関係にはなれない。
このみが「家に帰る」ことを諦めないかぎり。
普段見せることのない気落ちしたような顔をするダンテに何を思ったのか、エンツォはダンテの肩を叩いた。
「ダンテ、俺で良かったら相談に乗るぜ?なんたって俺はお前の相棒だからな」
「誰が誰の相棒だって?」
「まあまあ、細かいことはいいじゃねーか。それで結局、どういうことなんだ?」
ダンテはエンツォを見据える。
一人で考えたところで良い案が浮かぶはずもなし、エンツォに相談してみるのもいいだろうか。
「……このみはさ、あいつが探してる鏡を見つけたら、すっげー遠くの家に帰らなきゃいけないんだ。
帰ったら俺と会えるかどうかも分からない。連絡すらできないかも」
「でも鏡はホテルの男が持ち去って行方知れずだろ。いつ帰れるか分からないじゃねーか」
「このみはそれでも帰る気でいるよ。だからこっちで好きな男を作るつもりはないんだと」
ははあ、とエンツォは納得したような声を漏らす。
「ダンテはこのみちゃんにこっちに残ってほしいって思ってるんだな?」
「そうだけど、言えない。向こうにはこのみの両親がいる。こっちにいるとこのみは両親と連絡取れないから」
「え?えーっと……。状況がよく理解できないけど、ダンテか両親か、二者択一ってこと?」
二者択一どころではない。
向こうの世界ならこのみは戸籍があるし、大学だって行ける。
天秤の比重は明らかに向こうの世界に傾いているのだ。
「……このみに好かれてる自信はあるんだけどな」
「というと?」
「ほっぺたまでのキスと同衾は許してくれた」
かなり赤裸々に語っているが、この際エンツォに洗いざらい話してしまった方が気分的に楽だ。
……後になって軽々しく話したことを悔やむことになるかもしれないが、その時はその時だ。
案の定エンツォは「同衾」と呟きながらニヤニヤ笑っている。
「しかし同衾はともかく、ほっぺたチューとかお前ら小学生か」
「頭撫でるのも避けられてた頃に比べると大躍進なんだよ!そもそも日本にキスの習慣はない!」
ムキになって声を荒げるダンテを、尚もエンツォは面白いものでも見るような目付きで眺める。
「告ったらこのみちゃんの気も変わるんじゃねーか?」
「……既に何回か遠回しに告って、遠回しに振られました」
このみから日本語を教わった時の告白はかなり真剣だったのだけれど、それでも駄目だった。
あの時以上に本気で告白して振られたら、もう立ち直れる気がしない。
エンツォはしばらく考えこんだ挙げ句、全く実にならない答えを導き出した。
「こうなったら……既成事実を作るしかないな!」
「それができたら苦労しねーよ……」
そんなことをすれば、まず間違いなくこのみの心は離れていってしまうだろう。
それだけは絶対に嫌だ。
だったらまだ色々と我慢して、このみと穏やかな日常を過ごす方がいい。
「俺はただこのみとラブラブしたいだけなんだ……」
ポツリと口から出たのは、あまりにも俗っぽい願い。
けれど今のダンテには途方もないほど大きな願いなのだ。
「はあー。お前に興味持ってる女は腐るほどいるってのに、本命は簡単には手に入らないとは難儀な世の中だ。うまくできてる」
──感心するところはそこか。
「それにしても、そこまで好きな女と一緒に住んどいてよく平気だな」
「平気なわけないだろ。我慢してるだけ」
「ああ自家発電ですか」
下品なエンツォの物言いに反応してやるほどダンテも子供ではない。
大きな溜め息をついて、ダンテは机に突っ伏した。
「あーもうどうしたらいいのか分かんねー。エンツォは全く頼りにならねーし」
「悪かったな。けど俺にとってこのみちゃんは妹分みたいなもんだ。泣かすような真似したくないのは俺も同じ」
「ええ~……このみがお前の妹とか嫌すぎる。このみは俺だけのものでいてほしい」
「……ダンテ、お前相当だな」
呆れたような視線を向けるエンツォに対し、ダンテは机に突っ伏すのみだ。
「……このみちゃんのどこにそんなに惚れてるわけ?」
エンツォが尋ねると、ダンテは先ほどまでとは打って変わって、太陽のごとく輝く顔を持ち上げた。
あ、いらんこと聞いた、とエンツォが思った時には既に遅く、マシンガンのような勢いでダンテは語り始める。
「そりゃやっぱ笑顔が可愛いところだろ!それに素直で頑張り屋なところだろ!あと意外と負けず嫌いでからかいがいがあるところとか……」
ダンテのトークはこのみが買い物を終えて戻ってくるまで続き、
いくら「妹分」だと思ってこのみを可愛がっているエンツォも、さすがにこれには参った。
けれど帰ってきたこのみを見て、心底幸せそうな顔を浮かべるダンテを見ていると口出しもできなくて、エンツォは溜め息を漏らしたのだった。
***あとがき***
お菓子5題に挑戦中です。最初はチョコレートから!
お題はfisika様よりお借りいたしました。
お菓子やご飯をおいしそうに描写できる人、本当に尊敬します。
後半のボーイズトーク(?)は書いててとっても楽しかったです。