優しさは混乱のもと
名前変換
ご利用の端末、あるいはブラウザ設定では夢小説機能をご利用になることができません。
古いスマートフォン端末や、一部ブラウザのプライベートブラウジング機能をご利用の際は、機能に制限が掛かることがございます。
* * *
不快な鈍痛が、先ほどからしきりにこのみの腹部を襲っている。
また憂鬱な日がやってきた。
この世界にやって来てからの数ヶ月間、環境の変化と精神的なストレスのせいか、なかなか月経が来なかった。
ダンテに相談するなど無論できるはずもなく、かと言って病院へ行ける身の上でもなく、事情を知っているレディに話を聞いてもらっていたのだ。
結局、多少身の回りが落ち着いてから、若干不順気味ながらもきちんとやってくるようになったので、面倒に思う反面、このみはほっとしていた。
けれどホルモンバランスの変化か、元の世界にいた時よりも生理痛がひどくなった。
その期間中ずっと寝込むほどではないが、痛み止めの薬がなければ生活に支障をきたしかねない。
うっかり布団や椅子を汚そうものならダンテに一発でバレるし、生理期間中は気を使うあまり何とも落ち着かなくて、このみを憂鬱にさせるのだ。
生理用品も、このみの世界にあったものより微妙に使い心地が悪くて、不便を感じてしまう。
日本人に合ったものを使っていたせいかもしれないし、この世界がこのみのいた現代ではないせいかもしれない。
昔は新聞紙などで手当てをしていたという話を聞いたことがあるが、生理用品がきちんとある時代というだけマシなのだろうか。
健康な女性なら誰しも起こることだし、ことさら恥ずかしがるような現象ではないのかもしれない。
しかし、だからと言って大声で公言することでもないので、できれば自分の中で済ませたいのだ。
とにかく本格的に痛み始める前に、薬を飲んでおこうと思ったこのみは、ダンテの目を盗んで棚から薬を取り出す。
医薬品の類に関しては、ダンテには縁がないものがほとんどなので、彼はおそらく生理痛用の薬がここにあることなど知らないだろう。
目当ての薬が入ったパッケージを取り出したこのみは、その箱がやけに軽いのと、カラカラと乾いた音を立てたのを聞いて、慌ててそれを手のひらの上で開けた。
手の上に転がり出てきたのは一回分の薬だけで、いくらこのみが箱を振ろうと音すらしない。
そう言えば前回最後に薬を飲んだ際、残り少ないな、買いに行かなきゃと思ってそれきりだったことを思い出した。
とにかくこの一回分を飲んで、痛みが治まっている間に新しく薬を買いに行こうと考えたこのみは、水とグラスを用意するためにキッチンへ移動する。
ソファーに座ったまま怠惰にダーツを楽しむダンテの横を、このみは痛みを我慢しながらあくまでも平静を装って通り過ぎた。
グラスに水を汲んで、シンクの傍で立ったまま薬を飲もうとしたその時だった。
「このみ、ついでにコーヒー。アイスで」
「わっ!」
いつの間にソファを立ったのか、キッチンへ顔を出したダンテに突然背中から声をかけられたこのみは、驚きのあまり手から薬を取り落としてしまった。
小粒の薬はそのまま三角コーナーの受け口へ落下し、野菜の皮やら残飯の類と混じってしまう。
「な、何だよ、驚きすぎだろ」
声を上げられたダンテの方が驚いたような顔をしている。
かろうじてグラスを手放さなかったこのみは、三角コーナーの中へ落ちていった薬をこの世の終わりのような顔で見つめていた。
さすがに残飯混じりの三角コーナーに手を突っ込んでまで、薬を飲む気にはなれない。
「何か落としたのか?」
一緒にシンクを覗き込んでくるダンテの目から、このみは慌てて置きっぱなしにしていた空になった薬のパッケージを隠す。
そんなこのみをダンテは不審げな顔で見るが、このみは痛みで引きつりそうになる笑顔を無理やり浮かべた。
「な、何でもない。わたし、今から買い物に行ってくる」
このみはグラスを片付け、ダンテのためにアイスコーヒーを淹れ終えると、そそくさとばかりにキッチンを出た。
ダンテは何か言いたげな顔つきでこのみの背を追おうとするが、デスクに置いてある電話のベルが鳴り響く音に誘われてそちらへ向かう。
その間に鞄と財布を用意したこのみは、このまま出掛けるのも何かと思って、腹痛でそわそわしながらダンテの電話が終わるのを待った。
"合言葉"のない電話や、悪魔絡みの依頼でない場合、容赦なく通話を打ち切るダンテにしては、珍しく長めの電話だった。
けれど仕事の依頼にしては随分親しげな口調だったので、誰かダンテの知り合いなのかもしれない。
何でもいいからとにかく早く薬を買いに行きたいこのみは、ダンテが通話を終えるまでの数分間が途方もなく長く感じられた。
「……分かった、引き取りに行く」
ようやく受話器を置いたダンテを見て、このみは言う。
「じゃあ、わたしは出掛けるから……」
「あ、買い物ならついでに俺が行く。ガンショップに注文してたパーツが届いたらしい」
そう言ってダンテはこのみが持っていたメモ用紙を取り上げた。
そこには夕飯に必要な材料が書かれていて、ダンテはそれを見ながら今晩の夕飯のメニューを予想する。
「これ買ってくればいいんだろ?」
「えっと、そうだけど……」
本当は食料の他に薬を買いたいから、自分の足で行きたいのだ。
「あの……お野菜たくさんあって、重いから。わたしが……」
「なら尚更俺が行った方がいいだろ?お前、今日なんか顔色悪いし、家で休んでた方がいいんじゃないか?」
「そ、そんなに悪いかな?そんなことないけど……」
まさか気づかれたか?と思ってこのみは焦る。
ダンテは屈んでこのみの目線に合わせると、その頭を優しく撫でた。
「……このみ、昔っから元気じゃないのに元気だって言い張るよな。
嘘ついても俺には丸わかりなんだから、あんまり無理すんなよ」
「……うん」
何故か素直に頷いてしまった。
本当は何が何でも薬を買いに行かなければならないのに、ダンテの言葉が優しいから。
「じゃあ、なるべく早く戻る。
ほんとに調子悪いんなら、ベッドで寝とけ」
そう言い残すと、ダンテは事務所を出て行ってしまった。
このみは痛む腹を抱えながら、どうしたものかと考える。
ダンテの気遣いはありがたいし嬉しいけれど、薬なしで生理を乗り切れるとも思えない。
……彼の言葉は無視することになってしまうけれど、やっぱり買いに行こう。
そもそも病気ではないのだし、薬さえ飲めば何とかなるのだから、
痛みをずっと我慢してダンテに心配をかけるより、早く薬を買いに行った方がずっといい。
思い立ったこのみは、財布を手に事務所を出ようとしたのだが、丁度その時出入り口のドアが開いた。
「おいダンテ!このエンツォがすげー割のいい仕事を見つけてきてやったぜっ!」
勢いよく開いたドアの前で、エンツォが仁王立ちしていた。
「エンツォさん」
ぱちくりと瞬きしたこのみに向かい、片手をあげて「ようようご機嫌麗しゅう」と、
どちらがご機嫌なのか分からないテンションで室内へ足を踏み入れたエンツォは、勝手知ったる様子でソファーに腰を下ろした。
その口ぶりから、どうやらいつものようにダンテに仕事の紹介をしにきたらしい。
ダンテが無下に断ることも多いのに、エンツォは全く気にしていない様子だ。
ソファーの傍近くにこのみを呼んで、依頼の詳細が走り書きされたメモをこのみに見せる。
よほど興奮していたのか、そのメモに書かれた文字も踊っていて、このみには判読が難しい。
「こいつを見ろよ、このみちゃん!
ちーっとばかしキケンが伴う内容だが、殺しても死なねェと名高いダンテ様ならちょちょいのちょいってもんだろ?
そして何より、この報酬の金額!当分飲んで遊んで暮らせるぜ!?」
仲介した俺の取り分はいくらで……と捕らぬ狸の皮算用をしながら、エンツォはぐふぐふと笑う。
生理痛でそれどころではないこのみは、乾いた笑みを浮かべて取りあえず相槌を打った。
「ところで、ダンテは?まだ寝てんのか?」
「……ちょうどさっき出かけたところなんです」
「ええーっ、何だよ、タイミング悪ィなぁ。なあ、当然ダンテはこの依頼受けるよなっ!?」
このみは曖昧な笑みを浮かべながら、もう一度エンツォの手にあるメモの内容を確認する。
「ダンテは、受けないんじゃないかな……」
「はっ!?ありえないだろ!?だってこの報酬だぜ!?」
いくら大金が目の前に用意されていようと、ダンテは悪魔絡み以外の依頼にはまず乗り気にならない。
よっぽど生活に困っている時か、暇で暇で仕方ないといった時は違うかもしれないが。
「あの野郎、昔っからそうなんだよ!オカルトだとか超常現象とか、アホみてぇな事件には自分から首突っ込むくせに、
俺が親切で紹介してやった良物件はことごとく蹴りやがるんだ!
この事務所に移ってから、それが輪をかけてひどくなったんだぜ!」
どれだけ俺が面倒看てきてやったと思ってんだ、とエンツォは鼻息荒く怒る。
「俺が探してきたこの事務所にも、悪趣味なオブジェ飾りやがるしよォ。
あいつ、根は明るいが趣味が陰気すぎなんだよ!
このみちゃん、今からでも遅くないから別の男探したほうがいいんじゃねぇか?」
「はあ……」
「いや、そんなことより、ダンテにどうやってこの依頼を受けさせるかが問題だ!
こんな依頼、ダンテ以外じゃおっ死ぬのが関の山だぜ!
あいつの一言に俺の人生がかかってんだからな!」
ああでもないこうでもない、とダンテを説得する言葉を考え始めたエンツォの前にコーヒーを出しながら、
"もう何でもいいから早くダンテ帰ってきて!"とこのみは心の中で叫んだのだった。
* * *
「や、やっと終わった……」
生理痛に耐えながら、エンツォの愚痴とアイデアを聞き続けるという時間を過ごしたこのみは、
ぐったりとベッドにその身を預けた。
エンツォは数分前に「ダンテの帰りが遅い!」と事務所を飛び出していった。
ダンテとエンツォはほぼ入れ違いだったから、ダンテの帰りが特別遅いわけではないのだけれど、
何が何でもダンテに依頼を受けさせたがっているエンツォは、彼の帰りが待ちきれなかったようだ。
時間が経つにつれて痛みはますます酷くなってきた。
今回は特別痛むような気がする。
これでは今から自力で薬を買いに行くのは無理かもしれない。
ベッドの中で丸まりながら、気晴らしに腹などさすってみるが、痛いものは痛い。
あんまり変に動き回るとシーツを汚さないか心配になるし、本当に面倒で憂鬱で仕方なかった。
出かける元気もすっかりなくなってしまったこのみは、やり過ごすように痛みを耐える。
どれくらい時間が経ったのだろうか。
ベッドの中で痛みを堪えるうちにうとうとしていたこのみは、階下でした物音に気が付いてベッドから起き上がった。
途端に下半身を襲う独特の不快感にこのみは眉を寄せる。
いっそ眠ってしまえば良かった。
そうすればその間は痛みを感じないで済んだのに。
服やベッドを汚していないか確認してから、このみは部屋を出た。
階段を下りていくと、帰ってきたらしいダンテが椅子に腰かけて、買ってきたばかりのパーツに早速手を加え始めているところだった。
「……ダンテ、おかえり。買い物ありがとう」
「ああ。食材は適当に冷蔵庫に放り込んどいたから」
後で確認しといて、と言ったきりダンテは手元の方に集中してしまう。
頷いたこのみは、貧血でフラフラしそうになる体を動かしながら冷蔵庫の方へ向かう。
その時、医薬品の類を置いてある棚の上に何かがあるのを発見した。
見慣れたそのパッケージは、いつもこのみが服用している生理痛用の薬だった。
先ほどこのみが飲もうとしたものと同じものだ。
うっかり置きっぱなしにしたままだったのだろうか、と慌てて手に取ると、空であるはずのその箱は未開封だった。
えっ、と思ってダンテを見ると、彼は振り向かずにこのみに言った。
「……それ、棚の奥に引っかかってたから、しまっとけば?」
「……………………」
このみは無言でダンテの背中を見つめる。
これは、彼なりの優しい嘘。
頭の中では「バレてたんだ!」と混乱しまくるこのみだったが、恥ずかしいのと同じくらい、彼の優しさが嬉しかった。
このまま黙ってダンテの優しさを受け入れた方が良いのかもしれないけれど、どうしても礼が言いたくて、このみは口を開く。
「ダンテ、ありがとう」
このみがそう言うと、ダンテは少しだけ振り返って、このみに向かって微笑んだ。
* * *
薬を飲んでベッドで休んでいるこのみの事を思いながら、ダンテは鍋を火にかけた。
例の痛みには体を温めるのが良いそうだから、何か温かい飲み物でも彼女に持って行ってやろうと思ったのだ。
さすがに、数年越しで一緒に暮らしているこのみの体の事情に気付かないはずがない。
最初は病気か、と心配したのだけれど、ある程度一定の周期で訪れることに気が付くと納得してしまった。
このみがさりげなく飲んでいる薬があることも、もうずっと前から知っている。
痛みを我慢してこのみ自身に買いに行かせるより、自分が買ってきてやった方が楽なのではないか、と考えての行動だった。
普通の女ならあって当然だし、健康な証拠なのだから隠す必要もないとダンテは思うのだけれど、
このみが言いたくないのなら、突っ込んで世話してやるべきではないのだろう。
本音を言えば、病気ではないとはいえ、このみが辛そうな顔をしているのをただ見ているのは嫌だ。
男の自分に何か特別なことができるとは思えないけれど、声をかけて背中や腹をさすってやるくらいのことはしてやりたい。
けれど"恋人同士"ではない自分たちがそれをするのはちょっと行き過ぎている気がするし、
何よりこのみはそれを恥ずかしがるだろうから、とりあえず今はしない。
珍しくハーブティーなんてものを淹れてみた。
りんごにも似たカモミールの香りがするその茶は、透き通った黄金色をしている。
どこかで生理痛にはハーブティーが良いと聞いたことがあるから、これが少しでもこのみの痛みを和らげてくれるといい。
淹れたハーブティーを持ってこのみの部屋を訪れると、彼女はカモミールの香りに気が付いて嬉しそうに笑った。
一口飲んで「おいしい」と呟いたこのみの手からカップを奪って、ダンテも一口飲んでみる。
……本当はキッチンでしっかり味見したけれど、どうしてもこのみが飲んでいたそれが飲みたかったから。
ハーブティー独特の香りが口に広がる。
蜂蜜を入れて飲みやすくしたその甘い味と、このみの笑顔がいつまでもダンテの中に残っていた。
***あとがき***
生理ネタも好き嫌い別れるシチュエーションだと思いますが……。
一緒に暮らしてるのに、そこに触れないのはどうなのかなあと思って、いまさら採用しました。
私は女の子が生理中の時に、さりげない気遣いをしてくれる男性はすごく素敵だと思います!
生理痛がひどい女の子は大変ですね。
ハーブティーなんかは、ノンカフェインなので生理中に飲むのにちょうど良いらしいです。
お題は反転コンタクト様よりお借りいたしました。
いつもお世話になってます!
不快な鈍痛が、先ほどからしきりにこのみの腹部を襲っている。
また憂鬱な日がやってきた。
この世界にやって来てからの数ヶ月間、環境の変化と精神的なストレスのせいか、なかなか月経が来なかった。
ダンテに相談するなど無論できるはずもなく、かと言って病院へ行ける身の上でもなく、事情を知っているレディに話を聞いてもらっていたのだ。
結局、多少身の回りが落ち着いてから、若干不順気味ながらもきちんとやってくるようになったので、面倒に思う反面、このみはほっとしていた。
けれどホルモンバランスの変化か、元の世界にいた時よりも生理痛がひどくなった。
その期間中ずっと寝込むほどではないが、痛み止めの薬がなければ生活に支障をきたしかねない。
うっかり布団や椅子を汚そうものならダンテに一発でバレるし、生理期間中は気を使うあまり何とも落ち着かなくて、このみを憂鬱にさせるのだ。
生理用品も、このみの世界にあったものより微妙に使い心地が悪くて、不便を感じてしまう。
日本人に合ったものを使っていたせいかもしれないし、この世界がこのみのいた現代ではないせいかもしれない。
昔は新聞紙などで手当てをしていたという話を聞いたことがあるが、生理用品がきちんとある時代というだけマシなのだろうか。
健康な女性なら誰しも起こることだし、ことさら恥ずかしがるような現象ではないのかもしれない。
しかし、だからと言って大声で公言することでもないので、できれば自分の中で済ませたいのだ。
とにかく本格的に痛み始める前に、薬を飲んでおこうと思ったこのみは、ダンテの目を盗んで棚から薬を取り出す。
医薬品の類に関しては、ダンテには縁がないものがほとんどなので、彼はおそらく生理痛用の薬がここにあることなど知らないだろう。
目当ての薬が入ったパッケージを取り出したこのみは、その箱がやけに軽いのと、カラカラと乾いた音を立てたのを聞いて、慌ててそれを手のひらの上で開けた。
手の上に転がり出てきたのは一回分の薬だけで、いくらこのみが箱を振ろうと音すらしない。
そう言えば前回最後に薬を飲んだ際、残り少ないな、買いに行かなきゃと思ってそれきりだったことを思い出した。
とにかくこの一回分を飲んで、痛みが治まっている間に新しく薬を買いに行こうと考えたこのみは、水とグラスを用意するためにキッチンへ移動する。
ソファーに座ったまま怠惰にダーツを楽しむダンテの横を、このみは痛みを我慢しながらあくまでも平静を装って通り過ぎた。
グラスに水を汲んで、シンクの傍で立ったまま薬を飲もうとしたその時だった。
「このみ、ついでにコーヒー。アイスで」
「わっ!」
いつの間にソファを立ったのか、キッチンへ顔を出したダンテに突然背中から声をかけられたこのみは、驚きのあまり手から薬を取り落としてしまった。
小粒の薬はそのまま三角コーナーの受け口へ落下し、野菜の皮やら残飯の類と混じってしまう。
「な、何だよ、驚きすぎだろ」
声を上げられたダンテの方が驚いたような顔をしている。
かろうじてグラスを手放さなかったこのみは、三角コーナーの中へ落ちていった薬をこの世の終わりのような顔で見つめていた。
さすがに残飯混じりの三角コーナーに手を突っ込んでまで、薬を飲む気にはなれない。
「何か落としたのか?」
一緒にシンクを覗き込んでくるダンテの目から、このみは慌てて置きっぱなしにしていた空になった薬のパッケージを隠す。
そんなこのみをダンテは不審げな顔で見るが、このみは痛みで引きつりそうになる笑顔を無理やり浮かべた。
「な、何でもない。わたし、今から買い物に行ってくる」
このみはグラスを片付け、ダンテのためにアイスコーヒーを淹れ終えると、そそくさとばかりにキッチンを出た。
ダンテは何か言いたげな顔つきでこのみの背を追おうとするが、デスクに置いてある電話のベルが鳴り響く音に誘われてそちらへ向かう。
その間に鞄と財布を用意したこのみは、このまま出掛けるのも何かと思って、腹痛でそわそわしながらダンテの電話が終わるのを待った。
"合言葉"のない電話や、悪魔絡みの依頼でない場合、容赦なく通話を打ち切るダンテにしては、珍しく長めの電話だった。
けれど仕事の依頼にしては随分親しげな口調だったので、誰かダンテの知り合いなのかもしれない。
何でもいいからとにかく早く薬を買いに行きたいこのみは、ダンテが通話を終えるまでの数分間が途方もなく長く感じられた。
「……分かった、引き取りに行く」
ようやく受話器を置いたダンテを見て、このみは言う。
「じゃあ、わたしは出掛けるから……」
「あ、買い物ならついでに俺が行く。ガンショップに注文してたパーツが届いたらしい」
そう言ってダンテはこのみが持っていたメモ用紙を取り上げた。
そこには夕飯に必要な材料が書かれていて、ダンテはそれを見ながら今晩の夕飯のメニューを予想する。
「これ買ってくればいいんだろ?」
「えっと、そうだけど……」
本当は食料の他に薬を買いたいから、自分の足で行きたいのだ。
「あの……お野菜たくさんあって、重いから。わたしが……」
「なら尚更俺が行った方がいいだろ?お前、今日なんか顔色悪いし、家で休んでた方がいいんじゃないか?」
「そ、そんなに悪いかな?そんなことないけど……」
まさか気づかれたか?と思ってこのみは焦る。
ダンテは屈んでこのみの目線に合わせると、その頭を優しく撫でた。
「……このみ、昔っから元気じゃないのに元気だって言い張るよな。
嘘ついても俺には丸わかりなんだから、あんまり無理すんなよ」
「……うん」
何故か素直に頷いてしまった。
本当は何が何でも薬を買いに行かなければならないのに、ダンテの言葉が優しいから。
「じゃあ、なるべく早く戻る。
ほんとに調子悪いんなら、ベッドで寝とけ」
そう言い残すと、ダンテは事務所を出て行ってしまった。
このみは痛む腹を抱えながら、どうしたものかと考える。
ダンテの気遣いはありがたいし嬉しいけれど、薬なしで生理を乗り切れるとも思えない。
……彼の言葉は無視することになってしまうけれど、やっぱり買いに行こう。
そもそも病気ではないのだし、薬さえ飲めば何とかなるのだから、
痛みをずっと我慢してダンテに心配をかけるより、早く薬を買いに行った方がずっといい。
思い立ったこのみは、財布を手に事務所を出ようとしたのだが、丁度その時出入り口のドアが開いた。
「おいダンテ!このエンツォがすげー割のいい仕事を見つけてきてやったぜっ!」
勢いよく開いたドアの前で、エンツォが仁王立ちしていた。
「エンツォさん」
ぱちくりと瞬きしたこのみに向かい、片手をあげて「ようようご機嫌麗しゅう」と、
どちらがご機嫌なのか分からないテンションで室内へ足を踏み入れたエンツォは、勝手知ったる様子でソファーに腰を下ろした。
その口ぶりから、どうやらいつものようにダンテに仕事の紹介をしにきたらしい。
ダンテが無下に断ることも多いのに、エンツォは全く気にしていない様子だ。
ソファーの傍近くにこのみを呼んで、依頼の詳細が走り書きされたメモをこのみに見せる。
よほど興奮していたのか、そのメモに書かれた文字も踊っていて、このみには判読が難しい。
「こいつを見ろよ、このみちゃん!
ちーっとばかしキケンが伴う内容だが、殺しても死なねェと名高いダンテ様ならちょちょいのちょいってもんだろ?
そして何より、この報酬の金額!当分飲んで遊んで暮らせるぜ!?」
仲介した俺の取り分はいくらで……と捕らぬ狸の皮算用をしながら、エンツォはぐふぐふと笑う。
生理痛でそれどころではないこのみは、乾いた笑みを浮かべて取りあえず相槌を打った。
「ところで、ダンテは?まだ寝てんのか?」
「……ちょうどさっき出かけたところなんです」
「ええーっ、何だよ、タイミング悪ィなぁ。なあ、当然ダンテはこの依頼受けるよなっ!?」
このみは曖昧な笑みを浮かべながら、もう一度エンツォの手にあるメモの内容を確認する。
「ダンテは、受けないんじゃないかな……」
「はっ!?ありえないだろ!?だってこの報酬だぜ!?」
いくら大金が目の前に用意されていようと、ダンテは悪魔絡み以外の依頼にはまず乗り気にならない。
よっぽど生活に困っている時か、暇で暇で仕方ないといった時は違うかもしれないが。
「あの野郎、昔っからそうなんだよ!オカルトだとか超常現象とか、アホみてぇな事件には自分から首突っ込むくせに、
俺が親切で紹介してやった良物件はことごとく蹴りやがるんだ!
この事務所に移ってから、それが輪をかけてひどくなったんだぜ!」
どれだけ俺が面倒看てきてやったと思ってんだ、とエンツォは鼻息荒く怒る。
「俺が探してきたこの事務所にも、悪趣味なオブジェ飾りやがるしよォ。
あいつ、根は明るいが趣味が陰気すぎなんだよ!
このみちゃん、今からでも遅くないから別の男探したほうがいいんじゃねぇか?」
「はあ……」
「いや、そんなことより、ダンテにどうやってこの依頼を受けさせるかが問題だ!
こんな依頼、ダンテ以外じゃおっ死ぬのが関の山だぜ!
あいつの一言に俺の人生がかかってんだからな!」
ああでもないこうでもない、とダンテを説得する言葉を考え始めたエンツォの前にコーヒーを出しながら、
"もう何でもいいから早くダンテ帰ってきて!"とこのみは心の中で叫んだのだった。
* * *
「や、やっと終わった……」
生理痛に耐えながら、エンツォの愚痴とアイデアを聞き続けるという時間を過ごしたこのみは、
ぐったりとベッドにその身を預けた。
エンツォは数分前に「ダンテの帰りが遅い!」と事務所を飛び出していった。
ダンテとエンツォはほぼ入れ違いだったから、ダンテの帰りが特別遅いわけではないのだけれど、
何が何でもダンテに依頼を受けさせたがっているエンツォは、彼の帰りが待ちきれなかったようだ。
時間が経つにつれて痛みはますます酷くなってきた。
今回は特別痛むような気がする。
これでは今から自力で薬を買いに行くのは無理かもしれない。
ベッドの中で丸まりながら、気晴らしに腹などさすってみるが、痛いものは痛い。
あんまり変に動き回るとシーツを汚さないか心配になるし、本当に面倒で憂鬱で仕方なかった。
出かける元気もすっかりなくなってしまったこのみは、やり過ごすように痛みを耐える。
どれくらい時間が経ったのだろうか。
ベッドの中で痛みを堪えるうちにうとうとしていたこのみは、階下でした物音に気が付いてベッドから起き上がった。
途端に下半身を襲う独特の不快感にこのみは眉を寄せる。
いっそ眠ってしまえば良かった。
そうすればその間は痛みを感じないで済んだのに。
服やベッドを汚していないか確認してから、このみは部屋を出た。
階段を下りていくと、帰ってきたらしいダンテが椅子に腰かけて、買ってきたばかりのパーツに早速手を加え始めているところだった。
「……ダンテ、おかえり。買い物ありがとう」
「ああ。食材は適当に冷蔵庫に放り込んどいたから」
後で確認しといて、と言ったきりダンテは手元の方に集中してしまう。
頷いたこのみは、貧血でフラフラしそうになる体を動かしながら冷蔵庫の方へ向かう。
その時、医薬品の類を置いてある棚の上に何かがあるのを発見した。
見慣れたそのパッケージは、いつもこのみが服用している生理痛用の薬だった。
先ほどこのみが飲もうとしたものと同じものだ。
うっかり置きっぱなしにしたままだったのだろうか、と慌てて手に取ると、空であるはずのその箱は未開封だった。
えっ、と思ってダンテを見ると、彼は振り向かずにこのみに言った。
「……それ、棚の奥に引っかかってたから、しまっとけば?」
「……………………」
このみは無言でダンテの背中を見つめる。
これは、彼なりの優しい嘘。
頭の中では「バレてたんだ!」と混乱しまくるこのみだったが、恥ずかしいのと同じくらい、彼の優しさが嬉しかった。
このまま黙ってダンテの優しさを受け入れた方が良いのかもしれないけれど、どうしても礼が言いたくて、このみは口を開く。
「ダンテ、ありがとう」
このみがそう言うと、ダンテは少しだけ振り返って、このみに向かって微笑んだ。
* * *
薬を飲んでベッドで休んでいるこのみの事を思いながら、ダンテは鍋を火にかけた。
例の痛みには体を温めるのが良いそうだから、何か温かい飲み物でも彼女に持って行ってやろうと思ったのだ。
さすがに、数年越しで一緒に暮らしているこのみの体の事情に気付かないはずがない。
最初は病気か、と心配したのだけれど、ある程度一定の周期で訪れることに気が付くと納得してしまった。
このみがさりげなく飲んでいる薬があることも、もうずっと前から知っている。
痛みを我慢してこのみ自身に買いに行かせるより、自分が買ってきてやった方が楽なのではないか、と考えての行動だった。
普通の女ならあって当然だし、健康な証拠なのだから隠す必要もないとダンテは思うのだけれど、
このみが言いたくないのなら、突っ込んで世話してやるべきではないのだろう。
本音を言えば、病気ではないとはいえ、このみが辛そうな顔をしているのをただ見ているのは嫌だ。
男の自分に何か特別なことができるとは思えないけれど、声をかけて背中や腹をさすってやるくらいのことはしてやりたい。
けれど"恋人同士"ではない自分たちがそれをするのはちょっと行き過ぎている気がするし、
何よりこのみはそれを恥ずかしがるだろうから、とりあえず今はしない。
珍しくハーブティーなんてものを淹れてみた。
りんごにも似たカモミールの香りがするその茶は、透き通った黄金色をしている。
どこかで生理痛にはハーブティーが良いと聞いたことがあるから、これが少しでもこのみの痛みを和らげてくれるといい。
淹れたハーブティーを持ってこのみの部屋を訪れると、彼女はカモミールの香りに気が付いて嬉しそうに笑った。
一口飲んで「おいしい」と呟いたこのみの手からカップを奪って、ダンテも一口飲んでみる。
……本当はキッチンでしっかり味見したけれど、どうしてもこのみが飲んでいたそれが飲みたかったから。
ハーブティー独特の香りが口に広がる。
蜂蜜を入れて飲みやすくしたその甘い味と、このみの笑顔がいつまでもダンテの中に残っていた。
***あとがき***
生理ネタも好き嫌い別れるシチュエーションだと思いますが……。
一緒に暮らしてるのに、そこに触れないのはどうなのかなあと思って、いまさら採用しました。
私は女の子が生理中の時に、さりげない気遣いをしてくれる男性はすごく素敵だと思います!
生理痛がひどい女の子は大変ですね。
ハーブティーなんかは、ノンカフェインなので生理中に飲むのにちょうど良いらしいです。
お題は反転コンタクト様よりお借りいたしました。
いつもお世話になってます!