チョコレートに想いを託して
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* * *
街がバレンタインデーを間近にして浮かれ始めているその中で、ダンテは浮かない顔を見せていた。
盛大に溜め息をつく彼を見て、夜の酒場でダンテと飲んでいたエンツォは、嫌々ながらも尋ねてやる。
「あー、ごほん。どうした?」
「……最近このみが……」
その語り出しからして既にエンツォはうんざりした。
どうせまた相談と見せかけてノロケを垂れ流すのだろうと思って、カウンターに片肘をついて顎を乗せ、話半分で聞く体勢をとる。
初めのうちこそ面白おかしくそんなダンテの話を聞いていたのだが、
二人の関係が恋人未満から一向に進展しないことに気付くと、何だか異様に腹立たしくなったのだ。
「最近このみが俺に隠し事してるような気がする……」
「……へー」
気のない返事をしたエンツォに、ダンテは責めるような瞳を向ける。
「俺は真剣に悩んでるんだぜ」
「このみちゃんだって言いたくないことの一つや二つや三つや四つくらいあるだろ」
「四つは多いだろ……。何かさ、このみの奴、ここ3、4日くらいバイト以外でもずっと昼間出掛けてるし、
なんかそわそわしてるし、聞いても答えないし……変なんだよな」
「そんなに気になるなら尾行でもなんでもしたらどうなんだよ」
このみに限ってやましいことなどしないだろうと思って、エンツォは簡単にそう言った。
しかしダンテは「それも考えたんだけど」と唸る。
……考えたのかよ。
「俺がつけると確実にバレるからな……」
「はあ?」
意味が分からなくてエンツォは首を傾げる。
悪魔を感知できるこのみにバレないよう、ダンテがつけるのは中々難しいのだが、エンツォはそれを知らない。
「なんだよ。つまり俺にこのみちゃんを探れって言いたいわけ?」
ダンテは肯定の返事も頷きもしなかったが、エンツォにはダンテが何を望んでいるのか分かった。
「あのなぁ……ダンテ、お前もうちょっとこのみちゃんを信用してやれよ。
好きな男なんか作らないって言ってる彼女が、男と会ったりしてるなんてあるわけないだろ」
「俺が心配してるのはそういうことじゃない」
「ああ?浮気の素行調査じゃないのか?」
てっきりそうなのだとばかり思っていたら、ダンテに否定されてエンツォは首を傾げた。
「このみのことだから、またお人好し根性丸出しにして他人の世話焼いてるんじゃないかと思ったわけ。
そんで俺に心配かけまいと黙ってるとか、どうせそんなとこだろ」
「……このみちゃんが後ろめたい事してる可能性は考えないのか?」
エンツォが尋ねると、ダンテは事も無げに言う。
「このみが俺以外にそんな事するはずないだろ」
「……あー、そう」
なぜこの男はそこまで余裕があるんだ。
その根拠のない自信がある意味羨ましい。
「だからさ、このみが何か厄介な事に巻き込まれてそうならフォローしてやってくれよ。
別に危険なことやってなかったら放っといてくれて構わない」
「それは依頼か?」
ただ働きはごめんだ、という意味を込めてエンツォが言うと、ダンテはニヤリと笑う。
「妹分が危ないことをしてないか心配する、兄貴分の良心に賭けてる」
──払う気ねーのかよ。
「今日の飲み代はお前持ちな。それで手を打つ」
「ありがとおにーちゃん!」
「俺はダンテの兄貴分になった覚えはねーぞ!気色悪い言い方すんな!」
思わず立った鳥肌を鎮めるかのように、エンツォはグラスの中の喉を焼くような酒を煽った。
* * *
翌日、エンツォはデビルメイクライを出たこのみを尾行していた。
あんな真面目そうな女の子を疑うなんてことはしたくないのだが、このみがダンテに何を隠しているのか気になるのも本当だ。
このみはエンツォに尾行されているとは露とも知らず、スタスタと歩いていく。
まず彼女が向かったのは図書館だった。
料理のレシピを納めている棚から本を数冊抜き取って、それを真剣に眺めたりメモを取ったりしている。
(なんだ……料理のメモ取ってるだけじゃん)
ダンテの食事はいつもこのみが用意している。
恐らくダンテを飽きさせないように、いつもああしてレパートリーを増やしているのだろう。
(ダンテはいっつもこのみちゃんの手料理食ってるんだよな……。クソ忌々しい……)
ギリギリと歯ぎしりするエンツォには気付くことなく、このみは真剣にレシピに見入っていた。
しばらくそうして本を眺めていたこのみは、気が済んだのか席から立ち上がると本を棚に戻し、図書館を出た。
それから向かった先はスーパーで、中に入っていったこのみを待つためにエンツォは駐車場の花壇で張り込む。
ここのスーパーの入り口は一つしかない。
危険を冒して店内をついて回るよりも、ここで待っていた方がいいという判断だった。
そして待つこと数十分、このみが大きな買い物袋を下げてスーパーから出てきた。
……エンツォは2月の寒空の下、このみを尾行なんてしていることが馬鹿らしくなった。
別に怪しい行動なんて全然していないじゃないか。
すべてダンテの杞憂だったんじゃないか、と思って溜め息をつく。
ところが、そのまま事務所へ帰るのではないかと思っていたこのみは、デビルメイクライとは正反対の方向へ足を向けた。
完全に虚を突かれる形になったエンツォは、慌ててこのみの後ろ姿を追う。
あわや見失いかけたかと思ったが、このみはとあるマンションに入ろうとしていた。
(マンション……?こんな所に用があるのか?)
思いつつエンツォはこっそりエントランスを覗き見る。
このみは今まさにエレベーターに乗ろうとする所だった。
エンツォは大急ぎで閉まったエレベーターのドアの前に立つ。
上部のランプが12階で止まったことを確認すると、げんなりした。
それからしぶしぶ階段を上り始める。
ひいこら言いながら12階のフロアにたどり着くも、こっそり窺ったその場所には、既にこのみの姿はなかった。
どうやらこの階のどこかの部屋に入ったようだが、それがどこなのか分からない。
エンツォは持っていた鞄から折りたたみ椅子を取り出し、それを広げて座った。
さらに菓子パンを口にくわえて、張り込む体勢を取る。
自分の職業は果たして探偵だったろうかと思いながら、待つこと数時間。
もうそろそろ夕方という時間に、十代半ばから後半といった年齢のすらりとした男が、エレベーターから出て来て一つの部屋の前に立った。
階段近くで張り込んでいるエンツォには、死角になっていて気付かなかったようだ。
男がインターホンを押すと、中から現れたのは何とこのみだった。
あんぐりと口を開けるエンツォの目に、笑顔で男を迎え入れるこのみが見えた。
「良かった、君に合い鍵渡しておいて。
今日鍵持たずに家出ちゃったんだ。ここオートロックだから」
「そうだったの。ならわたしがいて丁度良かったね。
あのね、今新しいお菓子作ってたんだけど、味見してくれる?」
「もちろん」
そう言いながら、男はこのみと一緒に室内へと入っていってしまった。
──合鍵!?何、通い妻!?
エンツォは驚きのあまり、手にしていた何個目かの菓子パンをぼとりと床に落とした。
まさか絶対に有り得ないと思っていたことが目の前で起こって、信じられない気持ちでいっぱいだった。
そのうち辺りが夕焼け色に染まり出すまでの十数分、呆然とそこに佇んでいた。
日暮れを迎えたためか、このみは男と一緒に部屋から出てきた。
このみが男と一緒にいたのはものの十分ほどで、まさか間違いは犯していないだろうが、それでもエンツォを驚かせるには事足りた。
二人がエレベーターに向かうのを確認したエンツォは、慌てて階段を駆け下りて、エントランスの物陰に隠れる。
エレベーターで男と一緒に下りてきたこのみは、エントランスでしばらく男と話をしていた。
エンツォは構えていたカメラで、その二人をフレームに収める。
男の方は位置的に後ろ姿になってしまったが、男に何か言われて頬を染めるこのみの姿がバッチリとレンズ越しに見えた。
和やかな雰囲気のままこのみは男と別れると、そのままデビルメイクライの方角へ向かって歩き出した。
一応エンツォはこのみの後をつけたが、彼女は寄り道することなくまっすぐに事務所へ戻っていった。
* * *
「どうしよう……」
エンツォは自宅の机で現像した写真を眺めていた。
この数日間このみをずっと尾行していたが、彼女はいつも同じような行動ばかりとっていた。
違うといったら図書館に行かない日があったり、使うスーパーが違ったりといったところで、あのマンションを訪れるのは決まっていた。
ダンテはこのみが危険なことに巻き込まれているようならフォローしてやってくれ、と言っていたが、ある意味最悪な事態なのではないだろうか。
一昨年の初夏、このみの事でダンテが荒れていた時期があったが、あれ以上の事が起きるのではないかと考えると、身の毛がよだつようだ。
……何にせよ、一度このみに尋ねてみたほうがいいかもしれない。
彼女に連絡を取ろうと思って、受話器を取り上げたその時だった。
「エンツォ、お前が紹介してくれた依頼についてなんだが……」
「ぎゃーっ、ダンテッ!?」
ノックもなしにドアが開けられ、ダンテが室内に入ってきて、エンツォは顔色が真っ青になった。
受話器を放り投げて、机の上に広げられた写真を大慌てでかき集め始める。
……が、慌てすぎたが故にそのうちの一枚がスルリと手から抜け出して、お約束よろしくダンテの足元に落ちた。
その写真は初日に撮影した、男の後ろ姿と頬を染めるこのみを写したものだった。
この世に神なんていない……エンツォはその時悟った。
ダンテは足元に落ちた写真を拾い上げ、何気なくそこに写っているものを眺める。
直後、室内に絶対零度の風が吹いたのをエンツォは感じた。
俯いたダンテの表情は、その長い前髪で隠されていてよく見えなかったのだが、
きっと彼は今激情を通り越して無表情なのではないだろうか、とエンツォは思う。
「えーっと、ダンテくん……?」
「帰る」
ダンテは写真を机に捨て置くと、踵を返してエンツォの家を出て行った。
エンツォはただただ呆然とそこに立ち尽くすしかなかった。
* * *
ダンテは言いようのない怒りのようなものを内に秘めたまま、事務所へと戻った。
自分だってこのみ以外の女とそれなりの事をしていたし、そのことで彼女を泣かせたことだってある。
それを棚に上げようなんて思わないけれど、明確な言葉は交わしていないとはいえ、
思いは繋がっていると思っていたから余計混乱に拍車がかかるのだ。
物凄く勝手な考えだということは分かっている。
それでもこの嫉妬のような気持ちは抑えられない。
それにエンツォが言っていた通り「誰も好きになんかならない」と宣言していた彼女が、
わざわざ男と会ったりしているなんて、自分の欲目を抜きにしたって考えられない。
一緒に写真に写っていたあの男、なんとなく誰かに似ていたような気がするが、それが誰なのか思い出せない。
あの男がこのみの何なのかは分からないが、このみが自分以外の男にあんな照れたような顔を見せたことがひどく腹立たしかった。
今日はバレンタインだ。
小洒落た店は無理でも、このみと一緒にどこかの店で食事でもできたら、と思っていた。
けれど、今はまともに彼女の顔を見られそうもない。
いっそ出かけてくれていたら良かったのに、今日に限ってこのみは家にいる。
ダンテが事務所に戻ってくるのを待っていた彼女は、後ろ手に何か隠しながらもじもじしていた。
今日が何の日か知っているので、このみが何を隠しているのかはダンテにも簡単に予想がつく。
「ダンテ、エンツォさんとこでの用事、終わった?」
「…………ああ」
本当は用事を済ませることなくさっさと帰ってきたのだけれど、とりあえずダンテは頷いた。
このみは小さく息を吐き出して、手に持っている可愛く包装された箱をダンテに差し出す。
「あの……今日、バレンタインだから」
このみは毎年……といっても今年で3回目だけれど、バレンタインデーには日本式にチョコをくれる。
その気持ちは嬉しい、ものすごく嬉しいのだが、このみの顔を見ると先ほどの写真がちらついて素直に喜べない。
神妙な顔をしてダンテが箱を受け取り、開ける様子もなく手の中で持て余しているのを見て、
このみは不安そうな顔で小首を傾げた。
「……えっと、開けないの?」
「このみ、お前ここ最近、ずっとどこに行ってた?」
「それは……」
「俺にはどうしても言えないことなのか?」
このみから受け取った箱を机に置いて、ダンテはこのみの顔を両手で挟み込んだ。
それを覗き込むようにして視線を合わせると、このみは至近距離に耐えられなかったのか、
頬を淡く染めながら目線をあらぬ方へと向ける。
首筋に触れた手から、このみのドキドキとした脈拍が伝わってきて、ダンテは微かな笑い声を漏らした。
この顔をあの男の前でも見せていたのだろうかと考えた上での自嘲だったのだが、
このみは単にドキドキしていることをからかわれていると思ったのか、責めるような潤む瞳で睨み返してきた。
けれどそれ以上の抵抗ができないこのみの様子を見て、どこか征服欲のような感情をダンテは覚える。
「…………教えてくれるよな?」
耳元で囁けば、このみはいともあっさりと陥落する。
「言うから、少し離れてほしい……」
「嫌だ」
このみの肩に顎を乗っけるようにして、ダンテはこのみの話を聞く体勢に入る。
身長差のある自分にとっては結構無理なポーズなのだが、こうした方が顔が見えない分このみも話しやすいだろう。
このみは諦めたような溜息をついた後、話し始めた。
「……あのね、ステファンさんのお家に通ってたの」
街がバレンタインデーを間近にして浮かれ始めているその中で、ダンテは浮かない顔を見せていた。
盛大に溜め息をつく彼を見て、夜の酒場でダンテと飲んでいたエンツォは、嫌々ながらも尋ねてやる。
「あー、ごほん。どうした?」
「……最近このみが……」
その語り出しからして既にエンツォはうんざりした。
どうせまた相談と見せかけてノロケを垂れ流すのだろうと思って、カウンターに片肘をついて顎を乗せ、話半分で聞く体勢をとる。
初めのうちこそ面白おかしくそんなダンテの話を聞いていたのだが、
二人の関係が恋人未満から一向に進展しないことに気付くと、何だか異様に腹立たしくなったのだ。
「最近このみが俺に隠し事してるような気がする……」
「……へー」
気のない返事をしたエンツォに、ダンテは責めるような瞳を向ける。
「俺は真剣に悩んでるんだぜ」
「このみちゃんだって言いたくないことの一つや二つや三つや四つくらいあるだろ」
「四つは多いだろ……。何かさ、このみの奴、ここ3、4日くらいバイト以外でもずっと昼間出掛けてるし、
なんかそわそわしてるし、聞いても答えないし……変なんだよな」
「そんなに気になるなら尾行でもなんでもしたらどうなんだよ」
このみに限ってやましいことなどしないだろうと思って、エンツォは簡単にそう言った。
しかしダンテは「それも考えたんだけど」と唸る。
……考えたのかよ。
「俺がつけると確実にバレるからな……」
「はあ?」
意味が分からなくてエンツォは首を傾げる。
悪魔を感知できるこのみにバレないよう、ダンテがつけるのは中々難しいのだが、エンツォはそれを知らない。
「なんだよ。つまり俺にこのみちゃんを探れって言いたいわけ?」
ダンテは肯定の返事も頷きもしなかったが、エンツォにはダンテが何を望んでいるのか分かった。
「あのなぁ……ダンテ、お前もうちょっとこのみちゃんを信用してやれよ。
好きな男なんか作らないって言ってる彼女が、男と会ったりしてるなんてあるわけないだろ」
「俺が心配してるのはそういうことじゃない」
「ああ?浮気の素行調査じゃないのか?」
てっきりそうなのだとばかり思っていたら、ダンテに否定されてエンツォは首を傾げた。
「このみのことだから、またお人好し根性丸出しにして他人の世話焼いてるんじゃないかと思ったわけ。
そんで俺に心配かけまいと黙ってるとか、どうせそんなとこだろ」
「……このみちゃんが後ろめたい事してる可能性は考えないのか?」
エンツォが尋ねると、ダンテは事も無げに言う。
「このみが俺以外にそんな事するはずないだろ」
「……あー、そう」
なぜこの男はそこまで余裕があるんだ。
その根拠のない自信がある意味羨ましい。
「だからさ、このみが何か厄介な事に巻き込まれてそうならフォローしてやってくれよ。
別に危険なことやってなかったら放っといてくれて構わない」
「それは依頼か?」
ただ働きはごめんだ、という意味を込めてエンツォが言うと、ダンテはニヤリと笑う。
「妹分が危ないことをしてないか心配する、兄貴分の良心に賭けてる」
──払う気ねーのかよ。
「今日の飲み代はお前持ちな。それで手を打つ」
「ありがとおにーちゃん!」
「俺はダンテの兄貴分になった覚えはねーぞ!気色悪い言い方すんな!」
思わず立った鳥肌を鎮めるかのように、エンツォはグラスの中の喉を焼くような酒を煽った。
* * *
翌日、エンツォはデビルメイクライを出たこのみを尾行していた。
あんな真面目そうな女の子を疑うなんてことはしたくないのだが、このみがダンテに何を隠しているのか気になるのも本当だ。
このみはエンツォに尾行されているとは露とも知らず、スタスタと歩いていく。
まず彼女が向かったのは図書館だった。
料理のレシピを納めている棚から本を数冊抜き取って、それを真剣に眺めたりメモを取ったりしている。
(なんだ……料理のメモ取ってるだけじゃん)
ダンテの食事はいつもこのみが用意している。
恐らくダンテを飽きさせないように、いつもああしてレパートリーを増やしているのだろう。
(ダンテはいっつもこのみちゃんの手料理食ってるんだよな……。クソ忌々しい……)
ギリギリと歯ぎしりするエンツォには気付くことなく、このみは真剣にレシピに見入っていた。
しばらくそうして本を眺めていたこのみは、気が済んだのか席から立ち上がると本を棚に戻し、図書館を出た。
それから向かった先はスーパーで、中に入っていったこのみを待つためにエンツォは駐車場の花壇で張り込む。
ここのスーパーの入り口は一つしかない。
危険を冒して店内をついて回るよりも、ここで待っていた方がいいという判断だった。
そして待つこと数十分、このみが大きな買い物袋を下げてスーパーから出てきた。
……エンツォは2月の寒空の下、このみを尾行なんてしていることが馬鹿らしくなった。
別に怪しい行動なんて全然していないじゃないか。
すべてダンテの杞憂だったんじゃないか、と思って溜め息をつく。
ところが、そのまま事務所へ帰るのではないかと思っていたこのみは、デビルメイクライとは正反対の方向へ足を向けた。
完全に虚を突かれる形になったエンツォは、慌ててこのみの後ろ姿を追う。
あわや見失いかけたかと思ったが、このみはとあるマンションに入ろうとしていた。
(マンション……?こんな所に用があるのか?)
思いつつエンツォはこっそりエントランスを覗き見る。
このみは今まさにエレベーターに乗ろうとする所だった。
エンツォは大急ぎで閉まったエレベーターのドアの前に立つ。
上部のランプが12階で止まったことを確認すると、げんなりした。
それからしぶしぶ階段を上り始める。
ひいこら言いながら12階のフロアにたどり着くも、こっそり窺ったその場所には、既にこのみの姿はなかった。
どうやらこの階のどこかの部屋に入ったようだが、それがどこなのか分からない。
エンツォは持っていた鞄から折りたたみ椅子を取り出し、それを広げて座った。
さらに菓子パンを口にくわえて、張り込む体勢を取る。
自分の職業は果たして探偵だったろうかと思いながら、待つこと数時間。
もうそろそろ夕方という時間に、十代半ばから後半といった年齢のすらりとした男が、エレベーターから出て来て一つの部屋の前に立った。
階段近くで張り込んでいるエンツォには、死角になっていて気付かなかったようだ。
男がインターホンを押すと、中から現れたのは何とこのみだった。
あんぐりと口を開けるエンツォの目に、笑顔で男を迎え入れるこのみが見えた。
「良かった、君に合い鍵渡しておいて。
今日鍵持たずに家出ちゃったんだ。ここオートロックだから」
「そうだったの。ならわたしがいて丁度良かったね。
あのね、今新しいお菓子作ってたんだけど、味見してくれる?」
「もちろん」
そう言いながら、男はこのみと一緒に室内へと入っていってしまった。
──合鍵!?何、通い妻!?
エンツォは驚きのあまり、手にしていた何個目かの菓子パンをぼとりと床に落とした。
まさか絶対に有り得ないと思っていたことが目の前で起こって、信じられない気持ちでいっぱいだった。
そのうち辺りが夕焼け色に染まり出すまでの十数分、呆然とそこに佇んでいた。
日暮れを迎えたためか、このみは男と一緒に部屋から出てきた。
このみが男と一緒にいたのはものの十分ほどで、まさか間違いは犯していないだろうが、それでもエンツォを驚かせるには事足りた。
二人がエレベーターに向かうのを確認したエンツォは、慌てて階段を駆け下りて、エントランスの物陰に隠れる。
エレベーターで男と一緒に下りてきたこのみは、エントランスでしばらく男と話をしていた。
エンツォは構えていたカメラで、その二人をフレームに収める。
男の方は位置的に後ろ姿になってしまったが、男に何か言われて頬を染めるこのみの姿がバッチリとレンズ越しに見えた。
和やかな雰囲気のままこのみは男と別れると、そのままデビルメイクライの方角へ向かって歩き出した。
一応エンツォはこのみの後をつけたが、彼女は寄り道することなくまっすぐに事務所へ戻っていった。
* * *
「どうしよう……」
エンツォは自宅の机で現像した写真を眺めていた。
この数日間このみをずっと尾行していたが、彼女はいつも同じような行動ばかりとっていた。
違うといったら図書館に行かない日があったり、使うスーパーが違ったりといったところで、あのマンションを訪れるのは決まっていた。
ダンテはこのみが危険なことに巻き込まれているようならフォローしてやってくれ、と言っていたが、ある意味最悪な事態なのではないだろうか。
一昨年の初夏、このみの事でダンテが荒れていた時期があったが、あれ以上の事が起きるのではないかと考えると、身の毛がよだつようだ。
……何にせよ、一度このみに尋ねてみたほうがいいかもしれない。
彼女に連絡を取ろうと思って、受話器を取り上げたその時だった。
「エンツォ、お前が紹介してくれた依頼についてなんだが……」
「ぎゃーっ、ダンテッ!?」
ノックもなしにドアが開けられ、ダンテが室内に入ってきて、エンツォは顔色が真っ青になった。
受話器を放り投げて、机の上に広げられた写真を大慌てでかき集め始める。
……が、慌てすぎたが故にそのうちの一枚がスルリと手から抜け出して、お約束よろしくダンテの足元に落ちた。
その写真は初日に撮影した、男の後ろ姿と頬を染めるこのみを写したものだった。
この世に神なんていない……エンツォはその時悟った。
ダンテは足元に落ちた写真を拾い上げ、何気なくそこに写っているものを眺める。
直後、室内に絶対零度の風が吹いたのをエンツォは感じた。
俯いたダンテの表情は、その長い前髪で隠されていてよく見えなかったのだが、
きっと彼は今激情を通り越して無表情なのではないだろうか、とエンツォは思う。
「えーっと、ダンテくん……?」
「帰る」
ダンテは写真を机に捨て置くと、踵を返してエンツォの家を出て行った。
エンツォはただただ呆然とそこに立ち尽くすしかなかった。
* * *
ダンテは言いようのない怒りのようなものを内に秘めたまま、事務所へと戻った。
自分だってこのみ以外の女とそれなりの事をしていたし、そのことで彼女を泣かせたことだってある。
それを棚に上げようなんて思わないけれど、明確な言葉は交わしていないとはいえ、
思いは繋がっていると思っていたから余計混乱に拍車がかかるのだ。
物凄く勝手な考えだということは分かっている。
それでもこの嫉妬のような気持ちは抑えられない。
それにエンツォが言っていた通り「誰も好きになんかならない」と宣言していた彼女が、
わざわざ男と会ったりしているなんて、自分の欲目を抜きにしたって考えられない。
一緒に写真に写っていたあの男、なんとなく誰かに似ていたような気がするが、それが誰なのか思い出せない。
あの男がこのみの何なのかは分からないが、このみが自分以外の男にあんな照れたような顔を見せたことがひどく腹立たしかった。
今日はバレンタインだ。
小洒落た店は無理でも、このみと一緒にどこかの店で食事でもできたら、と思っていた。
けれど、今はまともに彼女の顔を見られそうもない。
いっそ出かけてくれていたら良かったのに、今日に限ってこのみは家にいる。
ダンテが事務所に戻ってくるのを待っていた彼女は、後ろ手に何か隠しながらもじもじしていた。
今日が何の日か知っているので、このみが何を隠しているのかはダンテにも簡単に予想がつく。
「ダンテ、エンツォさんとこでの用事、終わった?」
「…………ああ」
本当は用事を済ませることなくさっさと帰ってきたのだけれど、とりあえずダンテは頷いた。
このみは小さく息を吐き出して、手に持っている可愛く包装された箱をダンテに差し出す。
「あの……今日、バレンタインだから」
このみは毎年……といっても今年で3回目だけれど、バレンタインデーには日本式にチョコをくれる。
その気持ちは嬉しい、ものすごく嬉しいのだが、このみの顔を見ると先ほどの写真がちらついて素直に喜べない。
神妙な顔をしてダンテが箱を受け取り、開ける様子もなく手の中で持て余しているのを見て、
このみは不安そうな顔で小首を傾げた。
「……えっと、開けないの?」
「このみ、お前ここ最近、ずっとどこに行ってた?」
「それは……」
「俺にはどうしても言えないことなのか?」
このみから受け取った箱を机に置いて、ダンテはこのみの顔を両手で挟み込んだ。
それを覗き込むようにして視線を合わせると、このみは至近距離に耐えられなかったのか、
頬を淡く染めながら目線をあらぬ方へと向ける。
首筋に触れた手から、このみのドキドキとした脈拍が伝わってきて、ダンテは微かな笑い声を漏らした。
この顔をあの男の前でも見せていたのだろうかと考えた上での自嘲だったのだが、
このみは単にドキドキしていることをからかわれていると思ったのか、責めるような潤む瞳で睨み返してきた。
けれどそれ以上の抵抗ができないこのみの様子を見て、どこか征服欲のような感情をダンテは覚える。
「…………教えてくれるよな?」
耳元で囁けば、このみはいともあっさりと陥落する。
「言うから、少し離れてほしい……」
「嫌だ」
このみの肩に顎を乗っけるようにして、ダンテはこのみの話を聞く体勢に入る。
身長差のある自分にとっては結構無理なポーズなのだが、こうした方が顔が見えない分このみも話しやすいだろう。
このみは諦めたような溜息をついた後、話し始めた。
「……あのね、ステファンさんのお家に通ってたの」