グラスに花を加える話
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* * *
「………………」
あんぐりと口を開けたエンツォの前で、このみは顔を赤らめながら俯いた。
……何でもいいから反応してくれないと、居たたまれない。
通行人からいつも以上に好奇の入り混じった視線を受けながら、このみとダンテはエンツォの家までやってきていた。
裾が気になって歩幅はいつもより断然狭いし、帯も袖も重くて歩きにくい。
何よりこんな外国の街中で振袖姿を晒すなんて、人の視線が気になってどうしようもない。
だと言うのに、ダンテはそんなこのみを隣に侍らせてご機嫌だった。
歩みの遅いこのみを気遣ってくれるのは結構なのだが、それなら最初からエンツォの家に行こうだなんて言い出さなければ良いのに、
ダンテはどうしてもエンツォにこのみを見せびらかしたかったようだ。
「エンツォ、感想は?」
ダンテが問うと、やっとエンツォは我を取り戻したようだ。
「ビ、ビックリした。日本人形でも見てるみてーだ。……綺麗だなぁ」
また「綺麗」と言われて、このみは身の置き場に困ったように視線をさ迷わせた。
……褒められて嬉しいことは嬉しいのだが、「綺麗」なんて普段言われ慣れない言葉だから、恥ずかしくてしょうがない。
「うぅ~……、ダンテと言い、エンツォさんと言い……褒め殺しだ……。でも、ありがとう……」
このみは顔を袂で隠しながら、照れ笑いを浮かべる。
「に、にしてもよ、その格好はどうしたんだよ。どこかパーティーにでも行くつもりか?」
「日本では20歳で成人扱いで、丁度今頃の時期にそれを祝う成人式ってのがあるんだと」
「それで和服着てるんだな……。へぇ、見事なもんだ」
エンツォはあらゆるアングルから、珍しいものでも見るような目つきでこのみを観察する。
「そうか、このみちゃんももう大人なんだなぁ……」
しみじみとエンツォに呟かれて、このみは何とも言えない気分になる。
まだ子供だと思われていたのではないだろうか。
複雑な顔を作るこのみをよそに、ダンテはエンツォにカメラを手渡す。
「エンツォ、記念に写真撮ってくれ。俺も入れて」
「そんなに写真撮りたがるんなら、わたしがスタジオで撮ってる時にダンテも来れば良かったのに……」
「ああいう本格的なのは俺の柄じゃないんだよ」
……照れくさいなら素直にそう言えばいいのに、ひねくれたこの人はそんな事は絶対に口にしないのだ。
「撮ってやるから、後で俺もこのみちゃんと撮らせろよ」
「エンツォさんまで!」
もう写真は撮り飽きたというのに、この様子ではまだまだかかりそうだ。
このみはカメラをいじる二人を見て、イベント毎にカメラやらビデオを持ち出して娘の姿を撮りまくっていた両親の姿を思い出す。
運動会のリレーでこけた時の事なんか思い出したくないのに、両親は記念だとか言ってしょっちゅう見返していたものだ。
こういうのは、撮られる側よりもカメラマンの方が熱くなるものなのだろうか。
ダンテは試しにレンズをこのみに向けながら言った。
「このみの成長記録だからな、きちんと写真に納めとかねーと」
…………やっぱり、子供扱いされている気がする!
笑えと言われたものの、扱いに不服なこのみは、しばらくカメラの前で不機嫌な顔しか作れなかった。
* * *
エンツォの家を出た後、次はレディの家を目指しているらしいダンテは、このみの手を取って歩き出した。
せっかく振袖を着ているのだから、このみだってレディに見てもらいたいと思うけれど、街中の視線がとにかく痛い。
視線どころか、写真まで要求される始末だ。
「ダンテ、まだ歩くの?あの、振袖って結構しんどいんだよ……?」
「ああ、もうちょっと」
……何が「もうちょっと」なのだろうか。
こんな振袖姿で練り歩いていたら、明日には絶対噂になっている。
このみがややうんざりした顔つきで溜め息をついたその時……。
「あら……ダンテ?それと……」
横から声を掛けられたこのみ達は、そちらの方へ振り返った。
驚きの目で二人を見つめていたのはレディだった。
「……このみちゃん?」
「このみですよ」
疑問符を付けながら名前を呼ばれたこのみは、苦笑しながら答えてみせる。
レディはしばらく呆然とこのみに見入った後、興奮したようにその頬を上気させながら言った。
「だ、誰かと思った!どうしたのその格好?」
レディに問われると、説明するのはエンツォに引き続いて二回目のはずなのに、ダンテは嬉々としながら話しだした。
成人の祝いなのだと言うと、レディは納得したように頷いた。
「なるほどねぇ、そうか、成人か……。このみちゃん、おめでとう」
「ありがとう、レディさん」
「それ……キモノ?よく似合ってるわ、すごく素敵」
また褒められて、このみは照れ笑いを浮かべながら再び礼を言った。
レディはこのみを気の済むまで眺めた後、ダンテに向かって笑みを浮かべる。
「こんなに綺麗なら見せびらかしたくなるのも無理ないわね」
「だろ?このみが褒められると何か俺も鼻が高いし」
自慢気に口にするダンテに苦笑を向けた後、このみはレディに言う。
「……ダンテが成人のお祝いしようって色々してくれてたの」
「それで鼻高々ってわけね。ダンテにしては気が利くじゃない」
ダンテにしては、は余計だと文句を言う彼を無視して、レディはこのみに笑いかけた。
「今度、私にも何か20歳のお祝いさせて」
これ以上のお祝いなんて、とんでもない。
今でさえ十分すぎるほど祝ってくれているというのに、更に求めるなんて罰が当たってしまいそうだ。
「これでもう十分だよ」
「私がやりたいの。そうねぇ、今度お酒でも飲みに行きましょうか。
もう飲める歳なんだものね」
お酒……今まで手をつけずにいたが、日本ではもう飲める歳なのだから、挑戦してみるのもいいかもしれない。
ウインクするレディを見上げてこのみは笑うと、頷いた。
そんなこのみを遮るようにして、ずいっとダンテが身を乗り出す。
「ちょっと待て、このみと最初に飲むのは俺だ。今日のためにとっておきの用意しといたんだからな!」
「……別に順番にこだわりはないわよ。好きにしたら?」
「このみ、帰ったら俺と酒盛りな」
「さ、酒盛りって……」
ダンテ秘蔵の、よく分からないラベルが貼られた酒瓶の数々を思い出して、このみは顔をひきつらせた。
* * *
レディと別れたこのみとダンテは、夕暮れに染まり始めた街並みの中、当てもなくぶらぶらと歩いていた。
「なんか祝いに飯でも食いに行く?ドレスコードとかあるような店とか」
「無理!」
「即答かよ。つーか、まあ俺のほうが服持ってねーけど。
でもお前、このまま帰ったら振袖脱いじまうんだろ?せっかく髪も化粧も綺麗にしてんのに、今日1日限りなんて勿体ねーな」
「いっぱい写真撮ったんだから、後でいくらでも見返せるよ」
それもそうだとダンテは笑う。
それから柔らかな瞳でこのみを見下ろして、ダンテは言った。
「……遠回りして帰るか?」
「……うん」
ダンテはまだ、振り袖姿のこのみを目に焼き付けておきたいらしい。
──肩肘張って振り袖姿で高級な料理を食べるよりも、ダンテとゆっくりする方がずっといい。
そう思ったこのみは、ダンテの隣に並んで歩みを進めた。
その時、今まで穏やかに笑っていたダンテが突然足を止めた。
何事だろうとダンテを見上げようとしたこのみもまた、心臓がドキンと脈打ったのを感じて立ち止まる。
「おぉ?久しぶりじゃねえか」
背後で聞き覚えのある声がして、このみとダンテは同時に振り返った。
「ロダンさん!」
そこにはスキンヘッドにサングラスを身に着けた、大柄な黒人が立っていた。
このみがロダンと呼んだこの男は、通称「掃き溜め」と言われる街で「ゲイツオブヘル」というバーを営んでいる。
けれどバーのマスターというのは表向きの顔で、店の馴染みの客には金しだいで武器も売る。
しかもその武器の中には、悪魔の力を秘めたものまで存在するのだ。
……要は、ダンテにとても近しい存在の人物だということ。
「どうした、二人揃って赤いド派手な格好しやがって。ペアルックか?」
「ペ……ペア……って……。あの、わたし今年で成人なんです。それでお祝いに……」
「へぇ、成人ねえ」
「そうだ、このみは日本ではもう酒飲める歳なんだぜ」
「……俺に奢れって言ってんのか?」
初めてロダンの店へ行った時、「酒が飲める歳じゃないだろう」と言われた事を、ダンテは根に持っていたようだ。
ロダンは口の端を笑みの形に歪めながら、ダンテとこのみの顔を交互に見た後、頷く。
「……いいぜ。もうすぐ開店の時間だ。俺の店に来な」
「やりぃ!このみ、行こうぜ」
ロダンに並んで歩きだそうとしたダンテを、このみは慌てて呼び止める。
「ちょ、ちょっと待って!このカッコのまま行くの?いったん戻って着替えてから……」
「こっからだと店のが近いだろ。んな手間なことしなくていいじゃねーか。
振袖も店の奴らに見てもらえば?」
奢りと聞いてダンテの心は逸っているようだ。
それにどうやら、このみが振袖姿で行くのを嫌がるのは、この目立つ格好を気にしているからだと思っているらしい。
振袖でお酒を飲んだり食事をしたりして、汚しやしないかと心配なのだが……。
困り顔のこのみに助け船を出すように、ロダンは言った。
「その重そうな和服でたらふく飲むのはキツいだろ。まあ今日は一、二杯程度にして、また店に来るといい」
「……それなら」
酔わない程度に飲むのなら、問題はないかもしれない。
それにロダンも好意から奢ってくれるというのだから、無碍に断ることもできなかった。
「ロダンさん、ありがとうございます」
「なあに、めでたい日なんだから、ここは素直に甘えとけ」
「……はい」
頷くこのみに向かってロダンもまた頷き返すと、三人はゲイツオブヘルへ歩き出した。
明らかに堅気ではなさそうな雰囲気を持った巨躯の黒人と、派手な赤いコートの青年に挟まれると、このみのきらびやかな衣装も多少は霞むというものだ。
通行人から遠巻きに視線を送られながら、このみ達はスラム街を進む。
日も沈みかけた一月の空気は、寒いというよりも冷たい。
首と手足が冷えて、このみは身を小さくしながら店を目指す。
ダンテは先ほどからしきりに鼻を鳴らしていた。
寒いの?とこのみが声をかけようとしたその時、ダンテは立ち止まる。
「……とことん水差すのが好きな奴らだ。今日くらい空気読んで大人しくしとけばいいものを」
呟いてから、ダンテはその場で体を反転させた。
「このみ、先にロダンの店行ってろ。俺は後から行く」
「えっ?ダンテ……」
呼び止めかけたこのみを振り返って苦笑したダンテは、「すぐ戻る」と一声かけて、このみとロダンを置いて、夜に溶けかけたスラム街を駆けて行ってしまった。
その後ろ姿を見送りながら、ロダンは肩をすくめる。
「普段めんどくさがりな割に、悪魔だけは放っておけねぇんだな」
「え……悪魔、近くにいたんですか?」
このみが思わず尋ねると、ロダンは意外そうな顔でこのみを見下ろした。
「気付かなかったのか?ま、姿は見えなかったし気配はすぐ近くってわけじゃなかったが」
「……ロダンさんとダンテに囲まれてたから、分からなかったのかなぁ」
首を傾げながらそう呟くこのみを、ロダンは何とも言えない表情で見つめていた。
その視線はどこかこのみを見定めているようにも思える。
「ロダンさん?」
「……お嬢ちゃん、最近変わったことはないか?」
「変わったこと……ですか?」
質問自体が曖昧すぎて、明確な答えが返せない。
「あの、すぐには思い付きません」
「……やっぱり、前と違うな」
呟くロダンの言葉が理解できず、このみは眉を寄せる。
──違うって、どういうこと?
「変わっちまった事が吉と出るか凶と出るか……。どっちにしろ鏡が見つからねえ事には何とも言えねえか」
一人ごちたロダンは、道を歩き出した。
このみは首を傾げながら、そんな彼の後を追ってゲイツオブヘルへ向かった。
店の前に着いたロダンは、ドアにさげてあった"CLOSE"の札をひっくり返して"OPEN"に変える。
それからドアを開けて、このみを先に通した。
「ゲイツオブヘルへようこそ」
「お、お邪魔します」
実に二年ぶりに訪れる店内を、このみは緊張しながら見渡した。
絞られた照明に、落ち着いた佇まい。
ロダンがレコードを操作すると、洒落たジャズが流れ始める。
「お嬢ちゃんがここに来るの、久し振りだな。ダンテはたまに顔出すんだが。
遠慮せず昼でも来ていいって言っただろう?」
「ごめんなさい、ちょっとこの辺りは1人で歩くのが遠慮されて」
「ああ、好き好んで"掃き溜め"に近付くほど擦れた嬢ちゃんには見えないから、無理もねえか」
ロダンは苦笑して、それからこのみをテーブル席に案内し、メニューを差し出した。
「空きっ腹に飲むと酔いやすくなるから、先に何か食うか?
カクテルはお嬢ちゃんの口に合いやすいのを作ってやる」
「えーっと……」
軽食や一般的なアルコールの類はともかく、ずらりと並んだカクテルの名前を見ても、それがどんなお酒でどんな味なのかさっぱり分からない。
困り顔のこのみを見て、ロダンは苦笑した。
「……まずどれが何か説明する所から始めるか。まだ他の客も来てないしな」
「お、お願いします」
バーのテーブル席で畏まってしまったこのみに向かって、笑いながら、ロダンはメニューを一つずつ説明し始めた。
以前は興味なかった事でも、いざ機会に恵まれれば学ぶのも楽しいものだ。
ロダンはダンテがどんな酒を気に入っているかとか、このみの興味を引きそうな切り口から説明してくれる。
そんな彼の気遣いに感謝しながら、このみは彼の話に聞き入った。
けれどせっかくのロダンの授業も、そう長くは続かなかった。
そうこうしているうちに、徐々に店に客が入り始めたので、ロダンの話は途中止めになってしまったのだ。
ダンテの姿は未だ見えない。
「先に頼んで待ってるか?」
「いえ、ダンテを待ちます。一緒に飲めるって喜んでたから」
「おー、健気だねェ。ま、適当にくつろいでな」
ロダンはそう言うと、テーブル席から離れてバーカウンターへと戻っていく。
振袖姿のこのみがテーブルにいるのを見た客が、あれは何だと興味津々にロダンに尋ねる様子を、居心地悪く思いながら聞いていた。
(……ダンテ、遅いな)
すぐ戻ると言っていたのに、一向に帰ってくる気配がない。
店内も客がちらほら見えだして、賑やかさを増してきた。
ロダンは他の客の注文を聞くために、バーカウンターに付きっきりだ。
構ってもらえないこのみは、ロダンが用意してくれた軽食をつまみながら、心細いままテーブル席にただ座っているしかない。
その時、またゲイツオブヘルのドアが開いて、1人の客が姿を現した。
今度こそダンテだろうかと思って振り返ったこのみは、その人物に目を奪われる。
「ハイ、ロダン。今日はなかなか盛況じゃない」
「ベヨネッタ!」
店内を見渡しながら、カウンターへ優雅に歩いてくる女性に向かって、ロダンは名を呼ぶ。
赤いリボンで艶やかな黒髪を高く結い上げ、背中へと流されたそれをなびかせながら、ベヨネッタと呼ばれた女性はロダンの元へ歩いていく。
まるでモデルのようにしなやかな体をくねらせ、ベヨネッタはこのみの横を通り過ぎる。
その際、彼女はちらりとこのみに向かって視線を投げた。
つるに華麗な細工が施された眼鏡越しに目が合う。
薄く微笑みを浮かべられて、このみは理由もなく赤面してしまった。
ベヨネッタはこのみに背を向ける形でカウンターに肘をつき、ロダンに話しかける。
「アナタのお店には珍しい、随分可愛らしいお客さんじゃないの」
「今日はあの子の特別な日でね。成人を祝うんだとよ」
「あら、幼そうに見えて意外と、なのね。けどお祝いにしては参加者が見当たらないわよ」
「王子様はお姫様待たせてどこで油売ってやがるんだかねェ……。
一緒に飲もうって待ってんのに」
呟いたロダンの言葉に目を細めたベヨネッタは、所在なげに身を小さくするこのみに向かって手招きした。
自分のことを話題にされて、赤くなってオロオロするばかりのこのみに、ベヨネッタは面白そうな声音で言う。
「そんな所に座ってないで、こっちへいらっしゃい。……あなたの服、もっとよく見てみたいの」
その言葉には、どこか抗えない力があった。
このみはベヨネッタの言葉に従って、フラフラと席を立つ。
「初めまして、私はベヨネッタ。ここの常連みたいなものよ。
アナタは初めて見る顔ね。名前は?」
「あ……このみ、です」
「そう。ふぅん、今までにない感じだわ」
舐めるように頭からつま先まで眺められるが、不思議と不快感はなかった。
同じ女性だったからかもしれないし、その瞳がこのみの外見ではない別の何かに向けられていたせいかもしれない。
ベヨネッタは眺めていた目線をこのみの頭部で止めた。
「お花」
「えっ?」
「萎れちゃってるわ」
指摘されて、このみは慌てて飾られていた生花に手を伸ばす。
さすがに夜までは保たなかったらしい。
花が萎れた時のために、一緒に貸してもらったバッグの中に代わりの飾りが入っていることを思い出し、それを取り出す。
このみはピン状に加工された生花を髪から引き抜いた。
「私が着けてあげるわ」
ベヨネッタはカウンターに置かれた代わりとなる飾りを取り上げて、このみの髪に向かって手を触れた。
髪に触れられるくすぐったい感覚に、このみは吐息を漏らす。
そんなこのみを見て微笑を浮かべながら、ベヨネッタはこのみの髪に飾りを着けた。
「出来たわよ」
「ありがとうございます」
ぽうっと礼を述べるこのみに向かって、ベヨネッタは口角を上げる。
上品なルージュの色と、左下の口元にあるホクロが印象的だった。
ベヨネッタは水の入ったグラスに花を浮かべた。
「せっかく記念のお花なんだから、枯らしたら勿体無いわね」
長い指先でグラスのふちをなで上げて、ベヨネッタはこのみにグラスを手渡した。
……気のせいか、水面に浮かぶ花は先ほどよりも元気になっている気がする。
「………………」
あんぐりと口を開けたエンツォの前で、このみは顔を赤らめながら俯いた。
……何でもいいから反応してくれないと、居たたまれない。
通行人からいつも以上に好奇の入り混じった視線を受けながら、このみとダンテはエンツォの家までやってきていた。
裾が気になって歩幅はいつもより断然狭いし、帯も袖も重くて歩きにくい。
何よりこんな外国の街中で振袖姿を晒すなんて、人の視線が気になってどうしようもない。
だと言うのに、ダンテはそんなこのみを隣に侍らせてご機嫌だった。
歩みの遅いこのみを気遣ってくれるのは結構なのだが、それなら最初からエンツォの家に行こうだなんて言い出さなければ良いのに、
ダンテはどうしてもエンツォにこのみを見せびらかしたかったようだ。
「エンツォ、感想は?」
ダンテが問うと、やっとエンツォは我を取り戻したようだ。
「ビ、ビックリした。日本人形でも見てるみてーだ。……綺麗だなぁ」
また「綺麗」と言われて、このみは身の置き場に困ったように視線をさ迷わせた。
……褒められて嬉しいことは嬉しいのだが、「綺麗」なんて普段言われ慣れない言葉だから、恥ずかしくてしょうがない。
「うぅ~……、ダンテと言い、エンツォさんと言い……褒め殺しだ……。でも、ありがとう……」
このみは顔を袂で隠しながら、照れ笑いを浮かべる。
「に、にしてもよ、その格好はどうしたんだよ。どこかパーティーにでも行くつもりか?」
「日本では20歳で成人扱いで、丁度今頃の時期にそれを祝う成人式ってのがあるんだと」
「それで和服着てるんだな……。へぇ、見事なもんだ」
エンツォはあらゆるアングルから、珍しいものでも見るような目つきでこのみを観察する。
「そうか、このみちゃんももう大人なんだなぁ……」
しみじみとエンツォに呟かれて、このみは何とも言えない気分になる。
まだ子供だと思われていたのではないだろうか。
複雑な顔を作るこのみをよそに、ダンテはエンツォにカメラを手渡す。
「エンツォ、記念に写真撮ってくれ。俺も入れて」
「そんなに写真撮りたがるんなら、わたしがスタジオで撮ってる時にダンテも来れば良かったのに……」
「ああいう本格的なのは俺の柄じゃないんだよ」
……照れくさいなら素直にそう言えばいいのに、ひねくれたこの人はそんな事は絶対に口にしないのだ。
「撮ってやるから、後で俺もこのみちゃんと撮らせろよ」
「エンツォさんまで!」
もう写真は撮り飽きたというのに、この様子ではまだまだかかりそうだ。
このみはカメラをいじる二人を見て、イベント毎にカメラやらビデオを持ち出して娘の姿を撮りまくっていた両親の姿を思い出す。
運動会のリレーでこけた時の事なんか思い出したくないのに、両親は記念だとか言ってしょっちゅう見返していたものだ。
こういうのは、撮られる側よりもカメラマンの方が熱くなるものなのだろうか。
ダンテは試しにレンズをこのみに向けながら言った。
「このみの成長記録だからな、きちんと写真に納めとかねーと」
…………やっぱり、子供扱いされている気がする!
笑えと言われたものの、扱いに不服なこのみは、しばらくカメラの前で不機嫌な顔しか作れなかった。
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エンツォの家を出た後、次はレディの家を目指しているらしいダンテは、このみの手を取って歩き出した。
せっかく振袖を着ているのだから、このみだってレディに見てもらいたいと思うけれど、街中の視線がとにかく痛い。
視線どころか、写真まで要求される始末だ。
「ダンテ、まだ歩くの?あの、振袖って結構しんどいんだよ……?」
「ああ、もうちょっと」
……何が「もうちょっと」なのだろうか。
こんな振袖姿で練り歩いていたら、明日には絶対噂になっている。
このみがややうんざりした顔つきで溜め息をついたその時……。
「あら……ダンテ?それと……」
横から声を掛けられたこのみ達は、そちらの方へ振り返った。
驚きの目で二人を見つめていたのはレディだった。
「……このみちゃん?」
「このみですよ」
疑問符を付けながら名前を呼ばれたこのみは、苦笑しながら答えてみせる。
レディはしばらく呆然とこのみに見入った後、興奮したようにその頬を上気させながら言った。
「だ、誰かと思った!どうしたのその格好?」
レディに問われると、説明するのはエンツォに引き続いて二回目のはずなのに、ダンテは嬉々としながら話しだした。
成人の祝いなのだと言うと、レディは納得したように頷いた。
「なるほどねぇ、そうか、成人か……。このみちゃん、おめでとう」
「ありがとう、レディさん」
「それ……キモノ?よく似合ってるわ、すごく素敵」
また褒められて、このみは照れ笑いを浮かべながら再び礼を言った。
レディはこのみを気の済むまで眺めた後、ダンテに向かって笑みを浮かべる。
「こんなに綺麗なら見せびらかしたくなるのも無理ないわね」
「だろ?このみが褒められると何か俺も鼻が高いし」
自慢気に口にするダンテに苦笑を向けた後、このみはレディに言う。
「……ダンテが成人のお祝いしようって色々してくれてたの」
「それで鼻高々ってわけね。ダンテにしては気が利くじゃない」
ダンテにしては、は余計だと文句を言う彼を無視して、レディはこのみに笑いかけた。
「今度、私にも何か20歳のお祝いさせて」
これ以上のお祝いなんて、とんでもない。
今でさえ十分すぎるほど祝ってくれているというのに、更に求めるなんて罰が当たってしまいそうだ。
「これでもう十分だよ」
「私がやりたいの。そうねぇ、今度お酒でも飲みに行きましょうか。
もう飲める歳なんだものね」
お酒……今まで手をつけずにいたが、日本ではもう飲める歳なのだから、挑戦してみるのもいいかもしれない。
ウインクするレディを見上げてこのみは笑うと、頷いた。
そんなこのみを遮るようにして、ずいっとダンテが身を乗り出す。
「ちょっと待て、このみと最初に飲むのは俺だ。今日のためにとっておきの用意しといたんだからな!」
「……別に順番にこだわりはないわよ。好きにしたら?」
「このみ、帰ったら俺と酒盛りな」
「さ、酒盛りって……」
ダンテ秘蔵の、よく分からないラベルが貼られた酒瓶の数々を思い出して、このみは顔をひきつらせた。
* * *
レディと別れたこのみとダンテは、夕暮れに染まり始めた街並みの中、当てもなくぶらぶらと歩いていた。
「なんか祝いに飯でも食いに行く?ドレスコードとかあるような店とか」
「無理!」
「即答かよ。つーか、まあ俺のほうが服持ってねーけど。
でもお前、このまま帰ったら振袖脱いじまうんだろ?せっかく髪も化粧も綺麗にしてんのに、今日1日限りなんて勿体ねーな」
「いっぱい写真撮ったんだから、後でいくらでも見返せるよ」
それもそうだとダンテは笑う。
それから柔らかな瞳でこのみを見下ろして、ダンテは言った。
「……遠回りして帰るか?」
「……うん」
ダンテはまだ、振り袖姿のこのみを目に焼き付けておきたいらしい。
──肩肘張って振り袖姿で高級な料理を食べるよりも、ダンテとゆっくりする方がずっといい。
そう思ったこのみは、ダンテの隣に並んで歩みを進めた。
その時、今まで穏やかに笑っていたダンテが突然足を止めた。
何事だろうとダンテを見上げようとしたこのみもまた、心臓がドキンと脈打ったのを感じて立ち止まる。
「おぉ?久しぶりじゃねえか」
背後で聞き覚えのある声がして、このみとダンテは同時に振り返った。
「ロダンさん!」
そこにはスキンヘッドにサングラスを身に着けた、大柄な黒人が立っていた。
このみがロダンと呼んだこの男は、通称「掃き溜め」と言われる街で「ゲイツオブヘル」というバーを営んでいる。
けれどバーのマスターというのは表向きの顔で、店の馴染みの客には金しだいで武器も売る。
しかもその武器の中には、悪魔の力を秘めたものまで存在するのだ。
……要は、ダンテにとても近しい存在の人物だということ。
「どうした、二人揃って赤いド派手な格好しやがって。ペアルックか?」
「ペ……ペア……って……。あの、わたし今年で成人なんです。それでお祝いに……」
「へぇ、成人ねえ」
「そうだ、このみは日本ではもう酒飲める歳なんだぜ」
「……俺に奢れって言ってんのか?」
初めてロダンの店へ行った時、「酒が飲める歳じゃないだろう」と言われた事を、ダンテは根に持っていたようだ。
ロダンは口の端を笑みの形に歪めながら、ダンテとこのみの顔を交互に見た後、頷く。
「……いいぜ。もうすぐ開店の時間だ。俺の店に来な」
「やりぃ!このみ、行こうぜ」
ロダンに並んで歩きだそうとしたダンテを、このみは慌てて呼び止める。
「ちょ、ちょっと待って!このカッコのまま行くの?いったん戻って着替えてから……」
「こっからだと店のが近いだろ。んな手間なことしなくていいじゃねーか。
振袖も店の奴らに見てもらえば?」
奢りと聞いてダンテの心は逸っているようだ。
それにどうやら、このみが振袖姿で行くのを嫌がるのは、この目立つ格好を気にしているからだと思っているらしい。
振袖でお酒を飲んだり食事をしたりして、汚しやしないかと心配なのだが……。
困り顔のこのみに助け船を出すように、ロダンは言った。
「その重そうな和服でたらふく飲むのはキツいだろ。まあ今日は一、二杯程度にして、また店に来るといい」
「……それなら」
酔わない程度に飲むのなら、問題はないかもしれない。
それにロダンも好意から奢ってくれるというのだから、無碍に断ることもできなかった。
「ロダンさん、ありがとうございます」
「なあに、めでたい日なんだから、ここは素直に甘えとけ」
「……はい」
頷くこのみに向かってロダンもまた頷き返すと、三人はゲイツオブヘルへ歩き出した。
明らかに堅気ではなさそうな雰囲気を持った巨躯の黒人と、派手な赤いコートの青年に挟まれると、このみのきらびやかな衣装も多少は霞むというものだ。
通行人から遠巻きに視線を送られながら、このみ達はスラム街を進む。
日も沈みかけた一月の空気は、寒いというよりも冷たい。
首と手足が冷えて、このみは身を小さくしながら店を目指す。
ダンテは先ほどからしきりに鼻を鳴らしていた。
寒いの?とこのみが声をかけようとしたその時、ダンテは立ち止まる。
「……とことん水差すのが好きな奴らだ。今日くらい空気読んで大人しくしとけばいいものを」
呟いてから、ダンテはその場で体を反転させた。
「このみ、先にロダンの店行ってろ。俺は後から行く」
「えっ?ダンテ……」
呼び止めかけたこのみを振り返って苦笑したダンテは、「すぐ戻る」と一声かけて、このみとロダンを置いて、夜に溶けかけたスラム街を駆けて行ってしまった。
その後ろ姿を見送りながら、ロダンは肩をすくめる。
「普段めんどくさがりな割に、悪魔だけは放っておけねぇんだな」
「え……悪魔、近くにいたんですか?」
このみが思わず尋ねると、ロダンは意外そうな顔でこのみを見下ろした。
「気付かなかったのか?ま、姿は見えなかったし気配はすぐ近くってわけじゃなかったが」
「……ロダンさんとダンテに囲まれてたから、分からなかったのかなぁ」
首を傾げながらそう呟くこのみを、ロダンは何とも言えない表情で見つめていた。
その視線はどこかこのみを見定めているようにも思える。
「ロダンさん?」
「……お嬢ちゃん、最近変わったことはないか?」
「変わったこと……ですか?」
質問自体が曖昧すぎて、明確な答えが返せない。
「あの、すぐには思い付きません」
「……やっぱり、前と違うな」
呟くロダンの言葉が理解できず、このみは眉を寄せる。
──違うって、どういうこと?
「変わっちまった事が吉と出るか凶と出るか……。どっちにしろ鏡が見つからねえ事には何とも言えねえか」
一人ごちたロダンは、道を歩き出した。
このみは首を傾げながら、そんな彼の後を追ってゲイツオブヘルへ向かった。
店の前に着いたロダンは、ドアにさげてあった"CLOSE"の札をひっくり返して"OPEN"に変える。
それからドアを開けて、このみを先に通した。
「ゲイツオブヘルへようこそ」
「お、お邪魔します」
実に二年ぶりに訪れる店内を、このみは緊張しながら見渡した。
絞られた照明に、落ち着いた佇まい。
ロダンがレコードを操作すると、洒落たジャズが流れ始める。
「お嬢ちゃんがここに来るの、久し振りだな。ダンテはたまに顔出すんだが。
遠慮せず昼でも来ていいって言っただろう?」
「ごめんなさい、ちょっとこの辺りは1人で歩くのが遠慮されて」
「ああ、好き好んで"掃き溜め"に近付くほど擦れた嬢ちゃんには見えないから、無理もねえか」
ロダンは苦笑して、それからこのみをテーブル席に案内し、メニューを差し出した。
「空きっ腹に飲むと酔いやすくなるから、先に何か食うか?
カクテルはお嬢ちゃんの口に合いやすいのを作ってやる」
「えーっと……」
軽食や一般的なアルコールの類はともかく、ずらりと並んだカクテルの名前を見ても、それがどんなお酒でどんな味なのかさっぱり分からない。
困り顔のこのみを見て、ロダンは苦笑した。
「……まずどれが何か説明する所から始めるか。まだ他の客も来てないしな」
「お、お願いします」
バーのテーブル席で畏まってしまったこのみに向かって、笑いながら、ロダンはメニューを一つずつ説明し始めた。
以前は興味なかった事でも、いざ機会に恵まれれば学ぶのも楽しいものだ。
ロダンはダンテがどんな酒を気に入っているかとか、このみの興味を引きそうな切り口から説明してくれる。
そんな彼の気遣いに感謝しながら、このみは彼の話に聞き入った。
けれどせっかくのロダンの授業も、そう長くは続かなかった。
そうこうしているうちに、徐々に店に客が入り始めたので、ロダンの話は途中止めになってしまったのだ。
ダンテの姿は未だ見えない。
「先に頼んで待ってるか?」
「いえ、ダンテを待ちます。一緒に飲めるって喜んでたから」
「おー、健気だねェ。ま、適当にくつろいでな」
ロダンはそう言うと、テーブル席から離れてバーカウンターへと戻っていく。
振袖姿のこのみがテーブルにいるのを見た客が、あれは何だと興味津々にロダンに尋ねる様子を、居心地悪く思いながら聞いていた。
(……ダンテ、遅いな)
すぐ戻ると言っていたのに、一向に帰ってくる気配がない。
店内も客がちらほら見えだして、賑やかさを増してきた。
ロダンは他の客の注文を聞くために、バーカウンターに付きっきりだ。
構ってもらえないこのみは、ロダンが用意してくれた軽食をつまみながら、心細いままテーブル席にただ座っているしかない。
その時、またゲイツオブヘルのドアが開いて、1人の客が姿を現した。
今度こそダンテだろうかと思って振り返ったこのみは、その人物に目を奪われる。
「ハイ、ロダン。今日はなかなか盛況じゃない」
「ベヨネッタ!」
店内を見渡しながら、カウンターへ優雅に歩いてくる女性に向かって、ロダンは名を呼ぶ。
赤いリボンで艶やかな黒髪を高く結い上げ、背中へと流されたそれをなびかせながら、ベヨネッタと呼ばれた女性はロダンの元へ歩いていく。
まるでモデルのようにしなやかな体をくねらせ、ベヨネッタはこのみの横を通り過ぎる。
その際、彼女はちらりとこのみに向かって視線を投げた。
つるに華麗な細工が施された眼鏡越しに目が合う。
薄く微笑みを浮かべられて、このみは理由もなく赤面してしまった。
ベヨネッタはこのみに背を向ける形でカウンターに肘をつき、ロダンに話しかける。
「アナタのお店には珍しい、随分可愛らしいお客さんじゃないの」
「今日はあの子の特別な日でね。成人を祝うんだとよ」
「あら、幼そうに見えて意外と、なのね。けどお祝いにしては参加者が見当たらないわよ」
「王子様はお姫様待たせてどこで油売ってやがるんだかねェ……。
一緒に飲もうって待ってんのに」
呟いたロダンの言葉に目を細めたベヨネッタは、所在なげに身を小さくするこのみに向かって手招きした。
自分のことを話題にされて、赤くなってオロオロするばかりのこのみに、ベヨネッタは面白そうな声音で言う。
「そんな所に座ってないで、こっちへいらっしゃい。……あなたの服、もっとよく見てみたいの」
その言葉には、どこか抗えない力があった。
このみはベヨネッタの言葉に従って、フラフラと席を立つ。
「初めまして、私はベヨネッタ。ここの常連みたいなものよ。
アナタは初めて見る顔ね。名前は?」
「あ……このみ、です」
「そう。ふぅん、今までにない感じだわ」
舐めるように頭からつま先まで眺められるが、不思議と不快感はなかった。
同じ女性だったからかもしれないし、その瞳がこのみの外見ではない別の何かに向けられていたせいかもしれない。
ベヨネッタは眺めていた目線をこのみの頭部で止めた。
「お花」
「えっ?」
「萎れちゃってるわ」
指摘されて、このみは慌てて飾られていた生花に手を伸ばす。
さすがに夜までは保たなかったらしい。
花が萎れた時のために、一緒に貸してもらったバッグの中に代わりの飾りが入っていることを思い出し、それを取り出す。
このみはピン状に加工された生花を髪から引き抜いた。
「私が着けてあげるわ」
ベヨネッタはカウンターに置かれた代わりとなる飾りを取り上げて、このみの髪に向かって手を触れた。
髪に触れられるくすぐったい感覚に、このみは吐息を漏らす。
そんなこのみを見て微笑を浮かべながら、ベヨネッタはこのみの髪に飾りを着けた。
「出来たわよ」
「ありがとうございます」
ぽうっと礼を述べるこのみに向かって、ベヨネッタは口角を上げる。
上品なルージュの色と、左下の口元にあるホクロが印象的だった。
ベヨネッタは水の入ったグラスに花を浮かべた。
「せっかく記念のお花なんだから、枯らしたら勿体無いわね」
長い指先でグラスのふちをなで上げて、ベヨネッタはこのみにグラスを手渡した。
……気のせいか、水面に浮かぶ花は先ほどよりも元気になっている気がする。