俺と彼女の思い出は心に刻まれたまま
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* * *
オレンジ色の夕日を背にして、なにやら不機嫌な様子のこのみが事務所のドアを開けた。
股下が合わないという切ない理由から、いつもはスカート姿が多いこのみは、今日は珍しくジャージだった。
その手には野球のバットが握られている。
そして開口一番ダンテに向かってこのみは言った。
「ダンテ、野球教えて!」
「藪から棒に、何だ」
いつもより乱暴に足を踏み鳴らしながら、このみは室内へ入ってきた。
「その格好なんだよ?」
「草野球の助っ人に駆り出されてたの」
「はあ?このみが?お前そりゃ、助っ人じゃなくて数合わせって言うんだ」
──こんなぽやっとしてて、トロそう……いや大人しそうな女の子が、野球の助っ人ォ?
思わず失笑しながらダンテが言うと、大いにこのみの不興を買ってしまったようだ。
「ダンテ、わたしのこと運動音痴だと思ってるでしょ」
「違うのか?」
「人並みには動けるよ!」
「人並みねェ……」
──まあ、このみの名誉のためにそういうことにしておいてやろう。
「で、このみの眉間に皺が寄ってる理由は?」
「……全然打てなかったの」
「………………」
早くも"このみの運動神経は人並み"説の存在が危うい。
そもそもなぜ草野球の数合わせに参加することになったのか。
その理由をこのみに尋ねると、答えが返ってきた。
「ダンテ、ロッキーって犬が事務所に迷い込んできたの覚えてる?」
「ああ、お前が今でもたまに遊びに行ってる家の犬な」
「あそこのお家、小学生の男の子がいるの。それで近所のお友達とわたしも混ぜて、よく遊んでたの」
「で、野球に誘われたってことか」
ハタチの女が小学生と遊ぶ……和むような、虚しいような。
多分その小学生ども、童顔のこのみが一回りほど年上だとは思っていないのだろう。
「……でも、全然打てなかった。"このみ、お前ヘタだなぁ!"ってみんな笑うんだよ、ひどいよね!」
「お前、ナメられてんなぁ」
「うん、だからわたしに打ち方教えて。練習しようと思ってバット借りてきたの」
このみは負けず嫌いだ。
見た目は大人しそうでも、妙なところで張り合ったりしてくる。
今回、彼女が不機嫌そうだったわけはそれだ。
理由はどうあれ、このみに頼られることが嬉しくて、ダンテはその顔に喜色をにじませた。
それに、体を動かすことに関してはダンテの得意分野だ。
「……今日はもう暗くなるから、明日から特訓な。グラブどこやったかな」
「やった!ダンテ、ありがとう!」
ダンテの手を取ってにっこり礼を言うこのみに向けて、ダンテも笑みを作った。
* * *
翌日の昼過ぎ、再びジャージを着たこのみを伴って、ダンテは公園に向かった。
「お前、全然打てなかったってことは、野球経験まったくナシ?」
「甲子園……えっと、高校野球とか、プロ野球はお父さんが好きで一緒に見てたし、ルールは分かるよ。
あとバッティングはしたことないんだけど、キャッチボールなら昔お父さんとやったことある。子供達ともやってる」
「へえ、じゃあまず肩慣らしにキャッチボールから」
公園に着いたダンテとこのみは、十数メートル離れて互いに向き合った。
ジャージ姿でグラブを慣らすこのみの様子が何だか新鮮だ。
まずはダンテが、このみに向かって軽くボールを投げる。
放ったボールは小気味いい音を立てて、このみが構えたグラブの中にすんなりと納まった。
正直取りこぼされると思っていたので、ダンテは軽く驚いて目を見開く。
このみはグラブの中からボールを取り出して、ステップを踏みながらダンテに向かって投げ返してきた。
それを捕球しながらダンテは笑った。
「もっとヒドいかと思ってたんだが。ワンバウンドか、山なりにスローイングするの覚悟してた」
「この距離でさすがにそれはないよ。守備には文句言われなかったし」
「このみはどこ守ってたんだ?」
「ライト」
「あー、まあ妥当な位置か」
小学生相手なら、外野までそこまで強い球は飛んでこないだろう。
それに右打ちが多いだろうから、球が来る確率はレフトよりも低い。
しばらく普通にキャッチボールを続けたダンテは、少し意地悪をしたくなって、
このみが捕れるギリギリの位置を狙ってボールを投げた。
「わっ」
慌てて手を伸ばすこのみだったが、ボールはグラブの先を掠めて背後へと転がっていく。
「わーっ、もう、いじわるばっか!」
「今のは捕れる球だろ。守備練も兼ねてやった方が効率がいい」
ボールを追いかけるこのみの後ろ姿に向かって、笑いながらダンテは言う。
このみはボールに追いつくとそれを拾い上げて振り返った。
仕返しとばかりにダンテに向かって大暴投をお見舞いする。
「おお?反抗期だな」
ダンテはニヤリと笑い、このみが投げたボールに向かって走った。
人間では成し得ないような俊足で球の落下地点にたどり着いたダンテは、
背面に手を回し、わざわざ落ちてくる球に背を向けてから、余裕の体で捕球する。
唖然と眺めてくるこのみに向かって、グラブを掲げて中のボールを見せてやった。
「どうよ、惚れた?」
「むっ、ムカつくーっ!」
どうやらかなり本気で腹を立てているらしいこのみは、その場で地団駄を踏む。
そんなこのみに向かって、ダンテはまた捕れるギリギリの場所に球を放り投げた。
「捕って来ーい」
「もーっ、犬じゃないってば!」
再び球を追いかける羽目になったこのみを見てダンテは愉快になる。
このみが走り回る様子を見ていると、彼女を手玉に取っているようで面白いのだ。
けれど本来の目的はバッティングの練習なので、キャッチボールだけであまりこのみを疲れさせるわけにもいかない。
ダンテは球を追いかけて行ったこのみの元へ向かう。
「じゃあキャッチボールはこの辺にして、バット構えてみるか。
……息上がってんならちょっと休むか?」
「ダ、ダンテのせいでしょ……」
「お前、運動神経がないわけじゃないが、基礎体力がねえんだな」
このみに水筒を手渡しながらダンテは言った。
彼女の息が整うのを待ってから、ダンテはまず手本として自らバットを手に持つ。
バットを握るなんて、何年ぶりだろう。
昔はよくバージルと遊んでいたっけ。
テレビに映る野球選手の動きを見よう見真似で模倣して、バージルと競い合うようにしてバットを振り回した。
そんな自分が、まさかこのみにこうして教えるような日がくるなんて、思ってもみなかった。
物を教える、という行為がここ数年で好きになった。
恐らくこのみに英語を教え始めたのがきっかけだろう。
元々丁寧に説明するということが苦手で、出会った当初はこのみと会話するのも面倒だと思っていた。
けれど、このみの本心を聞いたあの夕方から……「ダンテのことをもっと知りたい」と言われた日から、変わった。
一生懸命自分の言葉から学ぼうとするこのみの姿に絆された。
そして一緒に日々を過ごすうちに、少しずつ、けれど着実にダンテが教えたことを身に着け、
言葉を覚えていくこのみが微笑ましくて嬉しかったのだ。
以前エンツォに「ダンテとこのみちゃんのしゃべり方が似ている」と指摘されたことがあった。
照れくさかったけれど、悪い気はしない。
このみにとってまず一番の手本が自分なのだと、そう思えたから。
決して良い先生ではなかっただろうが、多少はこのみの為になれたのだと思うと、何だか誇らしい。
そして今も、このみに教えてやれることがあるという事実が嬉しくてしょうがない。
ダンテはこのみの前で意気揚々とバットを構え、自信満々に言い放った。
「いいか?構え方はまず……こうだ!」
「…………うん」
……で?とでも言いたげなこのみの顔がそこにある。
いくらダンテがやる気を出したところで、バッティングの方法だなんて英語以上に感覚的なことを、口で説明しきれるわけがなかった。
そもそも自分だって、誰かから直接学んだわけではないし。
「……まずやってみようか」
口で言うより実践した方が早いと思って、ダンテはこのみにバットを手渡した。
「こんな感じかな?」
「えー、何か違うぞ……」
このみはバットを構えてダンテに尋ねるが、その立ち姿にどこか違和感がある。
ダンテはこのみからバットを取り上げ、再び構えた。
「こうだって」
「……説明してくれないと分からないよ」
このみに困惑気味の顔で言われて、ダンテもまた困ってしまった。
構えを口で説明しろと言われても、己が感覚でやっているから説明のしようがない。
とりあえずもう一度このみにバットを持たせて、違和感のある部分を手で補助しながら、一つずつ指摘することにした。
「足は肩幅くらい……もうちょっと広げて、肩はもっと水平に。グリップ握るの力入りすぎ、膝も曲げすぎ。
体重は両足均等に乗せる感じでつま先に……お、それっぽくなった。
これで一回振ってみろ」
このみの真後ろでそう言いながら、ダンテはこのみが持つバットを上から手を添えて振ってみる。
……ギクシャクして硬いこのみの体は思ったように動かない。
「力抜けって言っただろ?」
「……だって、近いんだもん」
このみに呟かれて、ダンテは今の自分たちの状況を把握する。
背後からこのみを包み込むように指導していたから、このみの顔が赤いことに気が付かなかった。
つまりこのみは、この密着状態に緊張していたというわけだ。
「……このみさん、集中して下さい」
ニヤニヤ笑いながらダンテが言えば、このみは振り向こうともせずに「努力しますっ!」と叫んだ。
ただし、その耳は真っ赤だ。
その後はこのみがフォームを覚えるまでひたすら素振りをさせる。
ダンテは手元でボールを弄りながら、このみの動きにその都度口出ししてやった。
ようやくこのみの素振りが様になってきた所で、ダンテはこのみに言う。
「そろそろ実際に打ってみるか?」
「うん」
ネットに向かってこのみを立たせ、ダンテはその斜め前にしゃがむ。
このみは足元の土を均し、つま先で足元にバッターボックスを描いた。
そしてバットを持った片手を地面と水平に伸ばし、バットを垂直に立てて正面を見据えながら、
空いた片手で上腕に触れる。
何かの儀式めいた動作にダンテは首を傾げた。
「それ何?」
「わたしの世界で活躍してる日本人メジャーリーガーの真似。
こうすると何だか打てるような気がして……」
「ふうん」
プロの験を担いであやかろうというわけか。
ダンテは薄く笑いながら、ボールを構えた。
このみの斜め前の近距離から、軽く球を放り投げてやる。
小さく山なりの弧を描いたボールを打とうと、このみはバットを振るうが見事に空振りした。
「……全然駄目じゃねーか」
「球が遅すぎるんだってば」
「まー確かにそうとも言えるが、この速さで当てられないのもどうかと思うぜ。
もっと球よく見ろ。このみは手を出すのが早すぎる」
球は数個しか持ってきていなかったので、数回投げては拾っての繰り返しで効率は悪かったのだが、
そうやって何度か球を投げているうちに、ようやくこのみの振るうバットに球が当たりだす。
バットに球が当たる音が秋の空に高く響いて、耳に伝わるのが心地いい。
「わー、当たると楽しいねぇ」
次に来る球をワクワクとした表情で待つこのみを見て、ダンテの表情も緩む。
普段は家事か勉強ばかりしているこのみと、こうして体を動かして遊ぶのが新鮮だ。
このみが慣れてきたところで、ダンテはマウンドとバッターボックス程の距離を開けてこのみと向き合った。
実際に投げて打たせる練習だ。
「キャッチャーがいれば良かったんだがな。今度エンツォでも誘うか?
あいつキャッチャーって体格だろ?……身長が足りねーけど」
「ダンテ、ものすごく失礼なこと言ってる……」
苦言を呈すこのみの言葉を聞き流して、ダンテはグラブの中にボールを打ちつける。
ピッチャーの経験なんてないが、バッティングも見よう見真似で覚えたのだから、ピッチングもそんな感じで大丈夫だろう。
もっとも、これは半魔の血による身体能力があってこそのものなのだろうが。
このみは再び、例のメジャーリーガーのルーティンを真似した後、バットを構えた。
そのゆっくりとした動作に自然と目線が引き込まれる。
このみはダンテを真っ直ぐに見据えて、自らに気合を入れるように言った。
「さっ、来い!」
「よっしゃ、打ってみろ」
やる気をあらわにする彼女に向けて、ダンテは十分に手加減した球を投げてやった。
ストレートと称するのも微妙な、ただの直球。
このみは全身を捻りながら、構えたバットを打ち出した。
カキン、と乾いた音を立てて、秋の空にボールが打ちあがる。
打ちあがったボールを追うように、このみの声が響いた。
「やった、当たった!!」
「おーい、めっちゃファール球だぞー」
このみが打ち上げたボールは、公園のフェンスを飛び越えて近くの林の中へ消えていってしまった。
ボールを当てたことに喜んでいたこのみは、球が林へ吸い込まれていったのを見て意気消沈する。
「……やっぱり難しいね」
「まあ、初心者だからな。ボール探しに行くぞ」
「うん……」
数個しかない貴重なボールをそのままにしておくわけにはいかない。
秋の草をかき分けながら、ダンテとこのみはボールを捜す。
わさわさと生い茂る草にうんざりしていたダンテだが、このみは楽しそうにボールを捜している。
「球拾いがそんなに楽しいか?」
「体を動かすのが楽しいの。この歳になると本気でスポーツすることってあんまりないし」
このみの顔で「この歳」と言われてもあまり説得力がないのだが。
ダンテを見上げて、このみはにっこりと笑う。
「今日は付き合ってくれて、ありがと」
「礼なら打てるようになってから言えよ。お、ボールみっけ。……さあ、練習続けるぞ」
「うん!」
* * *
夕方を迎えて辺りがオレンジ色になるまで、二人は投げたり打ったりを繰り返していた。
空と地面が同じ色に染まり始め、ボールの軌道も見えづらくなったので、ダンテはこのみに向かって投げるのをやめる。
「そろそろ帰るか?」
構えていたバットを下ろしたこのみは、ダンテに向かって頷いた。
公園を利用していた子供たちも、それぞれに家へ帰っていく。
それをこのみはどこか遠い目で眺めていた。
……また、両親のことを思い出していたのだろうか。
そう言えば「父親とキャッチボールしてた」と言っていたから、
こんな風に父親と公園で遊んだこともあったのかもしれない。
「このみ」
片づけを始めたダンテは、ぼんやりしていたこのみに向かってその名を呼んだ。
ぱっと顔を上げたこのみはバットを小脇に挟みながら、ダンテの元へ駆け寄ってくる。
このみはダンテの目の前に両手のひらを差し出した。
差し出された手は皮がむけ、ところどころ赤く擦りむいている。
この半日、散々バットで練習していたから無理もない。
「見て見てダンテ、皮むけた!結構痛い!」
「おまっ……、……何で怪我して喜んでんだよ」
「今日一日頑張った証し!」
「あー、そう。帰ったら絆創膏だ。次から打つ時はバッティンググラブ使うかテーピングしような」
女の子の手のひらが怪我だらけなんていただけない。
ダンテはこのみを気遣って、持ってきた荷物を全部持ってやる。
それに気づいたこのみが嬉しそうに礼を言うのを、何となく照れくさい気持ちで聞いていた。
公園を後にし、家路を歩きながらこのみはダンテに言った。
「今度、バッティングセンターとか行ってみたい」
「お、いいなそれ。俺も久々に打ちてーな」
「今日はわたしばっかり打ってたもんね」
ダンテは肩に荷物を下げながら、手に持っていたバットを構えた。
このみの仕草を思い出して、腕を真っ直ぐに伸ばし、バットを地面に対して垂直に立てながら上腕に触れる。
「このみの真似」
それを見たこのみが、面映そうに笑った。
「様になってますね~」
「だろ?」
このみに褒められて、ダンテは笑い返す。
そんな彼の隣を歩きながら、このみは傷だらけの手のひらを見つめた。
「今日いっぱい練習したし、これでもう馬鹿にされないかな?」
「俺に言わせたらまだまだ」
「え~……家でも素振りの練習しようかな」
「ほどほどにしとけよ。手のひら硬くなるぞ」
このみが野球に興味を持ってくれるのは嬉しいけれど……。
できれば手を繋いだ時に心地よい柔らかさでいてほしい……と思うのは我がままなのだろうか。
それに、既にこのみの手のひらは傷だらけだというのに、これ以上傷を増やすような真似はあまりして欲しくない。
「……今日の晩飯は俺が包丁使うから、お前は早く手ェ直せよ」
「手伝ってくれるの?ありがと」
礼を言うこのみに向かって、ダンテは笑ってみせる。
夕焼けの帰り道を、他愛ない言葉を交わしながらダンテは歩いた。
このみと一緒に「私を野球に連れてって」なんかを口ずさんで。
***あとがき***
ダンテと野球!一度やってみたかったシチュエーションです!
ちなみに私は野球経験全くありませんので、おかしな描写があればご指摘お願いいたします。
ヒロインが右打ちなのか左打ちなのかは、お好きにご想像下さい。
ダンテは右打ちみたいですね!
4のダンテがイチ○ー選手の真似をしていましたが、それに元ネタがあったらいいなーと思ってこんな妄想をしました。
スパーダはダンテやバージルに剣の手ほどきしてたみたいですが、息子達と普通に遊んだりはしてたのかなあ。
何となくパパは野球とかやらなさそうなイメージがあったので、ダンテはテレビを見て覚えた、という設定にしてみました。
お題は輝く空に向日葵の愛を様よりお借りいたしました。
オレンジ色の夕日を背にして、なにやら不機嫌な様子のこのみが事務所のドアを開けた。
股下が合わないという切ない理由から、いつもはスカート姿が多いこのみは、今日は珍しくジャージだった。
その手には野球のバットが握られている。
そして開口一番ダンテに向かってこのみは言った。
「ダンテ、野球教えて!」
「藪から棒に、何だ」
いつもより乱暴に足を踏み鳴らしながら、このみは室内へ入ってきた。
「その格好なんだよ?」
「草野球の助っ人に駆り出されてたの」
「はあ?このみが?お前そりゃ、助っ人じゃなくて数合わせって言うんだ」
──こんなぽやっとしてて、トロそう……いや大人しそうな女の子が、野球の助っ人ォ?
思わず失笑しながらダンテが言うと、大いにこのみの不興を買ってしまったようだ。
「ダンテ、わたしのこと運動音痴だと思ってるでしょ」
「違うのか?」
「人並みには動けるよ!」
「人並みねェ……」
──まあ、このみの名誉のためにそういうことにしておいてやろう。
「で、このみの眉間に皺が寄ってる理由は?」
「……全然打てなかったの」
「………………」
早くも"このみの運動神経は人並み"説の存在が危うい。
そもそもなぜ草野球の数合わせに参加することになったのか。
その理由をこのみに尋ねると、答えが返ってきた。
「ダンテ、ロッキーって犬が事務所に迷い込んできたの覚えてる?」
「ああ、お前が今でもたまに遊びに行ってる家の犬な」
「あそこのお家、小学生の男の子がいるの。それで近所のお友達とわたしも混ぜて、よく遊んでたの」
「で、野球に誘われたってことか」
ハタチの女が小学生と遊ぶ……和むような、虚しいような。
多分その小学生ども、童顔のこのみが一回りほど年上だとは思っていないのだろう。
「……でも、全然打てなかった。"このみ、お前ヘタだなぁ!"ってみんな笑うんだよ、ひどいよね!」
「お前、ナメられてんなぁ」
「うん、だからわたしに打ち方教えて。練習しようと思ってバット借りてきたの」
このみは負けず嫌いだ。
見た目は大人しそうでも、妙なところで張り合ったりしてくる。
今回、彼女が不機嫌そうだったわけはそれだ。
理由はどうあれ、このみに頼られることが嬉しくて、ダンテはその顔に喜色をにじませた。
それに、体を動かすことに関してはダンテの得意分野だ。
「……今日はもう暗くなるから、明日から特訓な。グラブどこやったかな」
「やった!ダンテ、ありがとう!」
ダンテの手を取ってにっこり礼を言うこのみに向けて、ダンテも笑みを作った。
* * *
翌日の昼過ぎ、再びジャージを着たこのみを伴って、ダンテは公園に向かった。
「お前、全然打てなかったってことは、野球経験まったくナシ?」
「甲子園……えっと、高校野球とか、プロ野球はお父さんが好きで一緒に見てたし、ルールは分かるよ。
あとバッティングはしたことないんだけど、キャッチボールなら昔お父さんとやったことある。子供達ともやってる」
「へえ、じゃあまず肩慣らしにキャッチボールから」
公園に着いたダンテとこのみは、十数メートル離れて互いに向き合った。
ジャージ姿でグラブを慣らすこのみの様子が何だか新鮮だ。
まずはダンテが、このみに向かって軽くボールを投げる。
放ったボールは小気味いい音を立てて、このみが構えたグラブの中にすんなりと納まった。
正直取りこぼされると思っていたので、ダンテは軽く驚いて目を見開く。
このみはグラブの中からボールを取り出して、ステップを踏みながらダンテに向かって投げ返してきた。
それを捕球しながらダンテは笑った。
「もっとヒドいかと思ってたんだが。ワンバウンドか、山なりにスローイングするの覚悟してた」
「この距離でさすがにそれはないよ。守備には文句言われなかったし」
「このみはどこ守ってたんだ?」
「ライト」
「あー、まあ妥当な位置か」
小学生相手なら、外野までそこまで強い球は飛んでこないだろう。
それに右打ちが多いだろうから、球が来る確率はレフトよりも低い。
しばらく普通にキャッチボールを続けたダンテは、少し意地悪をしたくなって、
このみが捕れるギリギリの位置を狙ってボールを投げた。
「わっ」
慌てて手を伸ばすこのみだったが、ボールはグラブの先を掠めて背後へと転がっていく。
「わーっ、もう、いじわるばっか!」
「今のは捕れる球だろ。守備練も兼ねてやった方が効率がいい」
ボールを追いかけるこのみの後ろ姿に向かって、笑いながらダンテは言う。
このみはボールに追いつくとそれを拾い上げて振り返った。
仕返しとばかりにダンテに向かって大暴投をお見舞いする。
「おお?反抗期だな」
ダンテはニヤリと笑い、このみが投げたボールに向かって走った。
人間では成し得ないような俊足で球の落下地点にたどり着いたダンテは、
背面に手を回し、わざわざ落ちてくる球に背を向けてから、余裕の体で捕球する。
唖然と眺めてくるこのみに向かって、グラブを掲げて中のボールを見せてやった。
「どうよ、惚れた?」
「むっ、ムカつくーっ!」
どうやらかなり本気で腹を立てているらしいこのみは、その場で地団駄を踏む。
そんなこのみに向かって、ダンテはまた捕れるギリギリの場所に球を放り投げた。
「捕って来ーい」
「もーっ、犬じゃないってば!」
再び球を追いかける羽目になったこのみを見てダンテは愉快になる。
このみが走り回る様子を見ていると、彼女を手玉に取っているようで面白いのだ。
けれど本来の目的はバッティングの練習なので、キャッチボールだけであまりこのみを疲れさせるわけにもいかない。
ダンテは球を追いかけて行ったこのみの元へ向かう。
「じゃあキャッチボールはこの辺にして、バット構えてみるか。
……息上がってんならちょっと休むか?」
「ダ、ダンテのせいでしょ……」
「お前、運動神経がないわけじゃないが、基礎体力がねえんだな」
このみに水筒を手渡しながらダンテは言った。
彼女の息が整うのを待ってから、ダンテはまず手本として自らバットを手に持つ。
バットを握るなんて、何年ぶりだろう。
昔はよくバージルと遊んでいたっけ。
テレビに映る野球選手の動きを見よう見真似で模倣して、バージルと競い合うようにしてバットを振り回した。
そんな自分が、まさかこのみにこうして教えるような日がくるなんて、思ってもみなかった。
物を教える、という行為がここ数年で好きになった。
恐らくこのみに英語を教え始めたのがきっかけだろう。
元々丁寧に説明するということが苦手で、出会った当初はこのみと会話するのも面倒だと思っていた。
けれど、このみの本心を聞いたあの夕方から……「ダンテのことをもっと知りたい」と言われた日から、変わった。
一生懸命自分の言葉から学ぼうとするこのみの姿に絆された。
そして一緒に日々を過ごすうちに、少しずつ、けれど着実にダンテが教えたことを身に着け、
言葉を覚えていくこのみが微笑ましくて嬉しかったのだ。
以前エンツォに「ダンテとこのみちゃんのしゃべり方が似ている」と指摘されたことがあった。
照れくさかったけれど、悪い気はしない。
このみにとってまず一番の手本が自分なのだと、そう思えたから。
決して良い先生ではなかっただろうが、多少はこのみの為になれたのだと思うと、何だか誇らしい。
そして今も、このみに教えてやれることがあるという事実が嬉しくてしょうがない。
ダンテはこのみの前で意気揚々とバットを構え、自信満々に言い放った。
「いいか?構え方はまず……こうだ!」
「…………うん」
……で?とでも言いたげなこのみの顔がそこにある。
いくらダンテがやる気を出したところで、バッティングの方法だなんて英語以上に感覚的なことを、口で説明しきれるわけがなかった。
そもそも自分だって、誰かから直接学んだわけではないし。
「……まずやってみようか」
口で言うより実践した方が早いと思って、ダンテはこのみにバットを手渡した。
「こんな感じかな?」
「えー、何か違うぞ……」
このみはバットを構えてダンテに尋ねるが、その立ち姿にどこか違和感がある。
ダンテはこのみからバットを取り上げ、再び構えた。
「こうだって」
「……説明してくれないと分からないよ」
このみに困惑気味の顔で言われて、ダンテもまた困ってしまった。
構えを口で説明しろと言われても、己が感覚でやっているから説明のしようがない。
とりあえずもう一度このみにバットを持たせて、違和感のある部分を手で補助しながら、一つずつ指摘することにした。
「足は肩幅くらい……もうちょっと広げて、肩はもっと水平に。グリップ握るの力入りすぎ、膝も曲げすぎ。
体重は両足均等に乗せる感じでつま先に……お、それっぽくなった。
これで一回振ってみろ」
このみの真後ろでそう言いながら、ダンテはこのみが持つバットを上から手を添えて振ってみる。
……ギクシャクして硬いこのみの体は思ったように動かない。
「力抜けって言っただろ?」
「……だって、近いんだもん」
このみに呟かれて、ダンテは今の自分たちの状況を把握する。
背後からこのみを包み込むように指導していたから、このみの顔が赤いことに気が付かなかった。
つまりこのみは、この密着状態に緊張していたというわけだ。
「……このみさん、集中して下さい」
ニヤニヤ笑いながらダンテが言えば、このみは振り向こうともせずに「努力しますっ!」と叫んだ。
ただし、その耳は真っ赤だ。
その後はこのみがフォームを覚えるまでひたすら素振りをさせる。
ダンテは手元でボールを弄りながら、このみの動きにその都度口出ししてやった。
ようやくこのみの素振りが様になってきた所で、ダンテはこのみに言う。
「そろそろ実際に打ってみるか?」
「うん」
ネットに向かってこのみを立たせ、ダンテはその斜め前にしゃがむ。
このみは足元の土を均し、つま先で足元にバッターボックスを描いた。
そしてバットを持った片手を地面と水平に伸ばし、バットを垂直に立てて正面を見据えながら、
空いた片手で上腕に触れる。
何かの儀式めいた動作にダンテは首を傾げた。
「それ何?」
「わたしの世界で活躍してる日本人メジャーリーガーの真似。
こうすると何だか打てるような気がして……」
「ふうん」
プロの験を担いであやかろうというわけか。
ダンテは薄く笑いながら、ボールを構えた。
このみの斜め前の近距離から、軽く球を放り投げてやる。
小さく山なりの弧を描いたボールを打とうと、このみはバットを振るうが見事に空振りした。
「……全然駄目じゃねーか」
「球が遅すぎるんだってば」
「まー確かにそうとも言えるが、この速さで当てられないのもどうかと思うぜ。
もっと球よく見ろ。このみは手を出すのが早すぎる」
球は数個しか持ってきていなかったので、数回投げては拾っての繰り返しで効率は悪かったのだが、
そうやって何度か球を投げているうちに、ようやくこのみの振るうバットに球が当たりだす。
バットに球が当たる音が秋の空に高く響いて、耳に伝わるのが心地いい。
「わー、当たると楽しいねぇ」
次に来る球をワクワクとした表情で待つこのみを見て、ダンテの表情も緩む。
普段は家事か勉強ばかりしているこのみと、こうして体を動かして遊ぶのが新鮮だ。
このみが慣れてきたところで、ダンテはマウンドとバッターボックス程の距離を開けてこのみと向き合った。
実際に投げて打たせる練習だ。
「キャッチャーがいれば良かったんだがな。今度エンツォでも誘うか?
あいつキャッチャーって体格だろ?……身長が足りねーけど」
「ダンテ、ものすごく失礼なこと言ってる……」
苦言を呈すこのみの言葉を聞き流して、ダンテはグラブの中にボールを打ちつける。
ピッチャーの経験なんてないが、バッティングも見よう見真似で覚えたのだから、ピッチングもそんな感じで大丈夫だろう。
もっとも、これは半魔の血による身体能力があってこそのものなのだろうが。
このみは再び、例のメジャーリーガーのルーティンを真似した後、バットを構えた。
そのゆっくりとした動作に自然と目線が引き込まれる。
このみはダンテを真っ直ぐに見据えて、自らに気合を入れるように言った。
「さっ、来い!」
「よっしゃ、打ってみろ」
やる気をあらわにする彼女に向けて、ダンテは十分に手加減した球を投げてやった。
ストレートと称するのも微妙な、ただの直球。
このみは全身を捻りながら、構えたバットを打ち出した。
カキン、と乾いた音を立てて、秋の空にボールが打ちあがる。
打ちあがったボールを追うように、このみの声が響いた。
「やった、当たった!!」
「おーい、めっちゃファール球だぞー」
このみが打ち上げたボールは、公園のフェンスを飛び越えて近くの林の中へ消えていってしまった。
ボールを当てたことに喜んでいたこのみは、球が林へ吸い込まれていったのを見て意気消沈する。
「……やっぱり難しいね」
「まあ、初心者だからな。ボール探しに行くぞ」
「うん……」
数個しかない貴重なボールをそのままにしておくわけにはいかない。
秋の草をかき分けながら、ダンテとこのみはボールを捜す。
わさわさと生い茂る草にうんざりしていたダンテだが、このみは楽しそうにボールを捜している。
「球拾いがそんなに楽しいか?」
「体を動かすのが楽しいの。この歳になると本気でスポーツすることってあんまりないし」
このみの顔で「この歳」と言われてもあまり説得力がないのだが。
ダンテを見上げて、このみはにっこりと笑う。
「今日は付き合ってくれて、ありがと」
「礼なら打てるようになってから言えよ。お、ボールみっけ。……さあ、練習続けるぞ」
「うん!」
* * *
夕方を迎えて辺りがオレンジ色になるまで、二人は投げたり打ったりを繰り返していた。
空と地面が同じ色に染まり始め、ボールの軌道も見えづらくなったので、ダンテはこのみに向かって投げるのをやめる。
「そろそろ帰るか?」
構えていたバットを下ろしたこのみは、ダンテに向かって頷いた。
公園を利用していた子供たちも、それぞれに家へ帰っていく。
それをこのみはどこか遠い目で眺めていた。
……また、両親のことを思い出していたのだろうか。
そう言えば「父親とキャッチボールしてた」と言っていたから、
こんな風に父親と公園で遊んだこともあったのかもしれない。
「このみ」
片づけを始めたダンテは、ぼんやりしていたこのみに向かってその名を呼んだ。
ぱっと顔を上げたこのみはバットを小脇に挟みながら、ダンテの元へ駆け寄ってくる。
このみはダンテの目の前に両手のひらを差し出した。
差し出された手は皮がむけ、ところどころ赤く擦りむいている。
この半日、散々バットで練習していたから無理もない。
「見て見てダンテ、皮むけた!結構痛い!」
「おまっ……、……何で怪我して喜んでんだよ」
「今日一日頑張った証し!」
「あー、そう。帰ったら絆創膏だ。次から打つ時はバッティンググラブ使うかテーピングしような」
女の子の手のひらが怪我だらけなんていただけない。
ダンテはこのみを気遣って、持ってきた荷物を全部持ってやる。
それに気づいたこのみが嬉しそうに礼を言うのを、何となく照れくさい気持ちで聞いていた。
公園を後にし、家路を歩きながらこのみはダンテに言った。
「今度、バッティングセンターとか行ってみたい」
「お、いいなそれ。俺も久々に打ちてーな」
「今日はわたしばっかり打ってたもんね」
ダンテは肩に荷物を下げながら、手に持っていたバットを構えた。
このみの仕草を思い出して、腕を真っ直ぐに伸ばし、バットを地面に対して垂直に立てながら上腕に触れる。
「このみの真似」
それを見たこのみが、面映そうに笑った。
「様になってますね~」
「だろ?」
このみに褒められて、ダンテは笑い返す。
そんな彼の隣を歩きながら、このみは傷だらけの手のひらを見つめた。
「今日いっぱい練習したし、これでもう馬鹿にされないかな?」
「俺に言わせたらまだまだ」
「え~……家でも素振りの練習しようかな」
「ほどほどにしとけよ。手のひら硬くなるぞ」
このみが野球に興味を持ってくれるのは嬉しいけれど……。
できれば手を繋いだ時に心地よい柔らかさでいてほしい……と思うのは我がままなのだろうか。
それに、既にこのみの手のひらは傷だらけだというのに、これ以上傷を増やすような真似はあまりして欲しくない。
「……今日の晩飯は俺が包丁使うから、お前は早く手ェ直せよ」
「手伝ってくれるの?ありがと」
礼を言うこのみに向かって、ダンテは笑ってみせる。
夕焼けの帰り道を、他愛ない言葉を交わしながらダンテは歩いた。
このみと一緒に「私を野球に連れてって」なんかを口ずさんで。
***あとがき***
ダンテと野球!一度やってみたかったシチュエーションです!
ちなみに私は野球経験全くありませんので、おかしな描写があればご指摘お願いいたします。
ヒロインが右打ちなのか左打ちなのかは、お好きにご想像下さい。
ダンテは右打ちみたいですね!
4のダンテがイチ○ー選手の真似をしていましたが、それに元ネタがあったらいいなーと思ってこんな妄想をしました。
スパーダはダンテやバージルに剣の手ほどきしてたみたいですが、息子達と普通に遊んだりはしてたのかなあ。
何となくパパは野球とかやらなさそうなイメージがあったので、ダンテはテレビを見て覚えた、という設定にしてみました。
お題は輝く空に向日葵の愛を様よりお借りいたしました。