反論の余地などない俺はとりあえず夏を恨む
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* * *
うだるような熱気が室内にこもっている。
口から出るのはただ一言「暑い」のみ。
この事務所にはエアコンなんて高級なものは存在しない。
扇風機をフル稼働させても、辛うじて生ぬるい風を受けるくらいで、額に浮かぶ汗は引くことを知らない。
もう服なんか着ることすら馬鹿らしくて、上半身はすっかり裸だ。
けれど服一枚脱いだところで涼しくなるはずもなく、椅子に預けた背中は不快な程じっとりとしている。
「ダンテ、ちゃんと服着てってば。目のやり場に困るの」
赤い顔で注意するこのみの声音も、暑さのせいか覇気がない。
顔が赤いのだって、この暑さで火照っているせいかもしれない。
生返事をするものの、服を着ようとはしないダンテを見かねて、このみが何かを持ってきた。
それは冷蔵庫にあった冷やしタオルで、ひんやりとした冷気を放つそれをダンテの胸に押し付ける。
その冷たさに体が驚いたのか、一瞬汗が引く。
タオルを受け取ったダンテは、それを広げて顔の上にかけた。
冷たくて気持ち良かったのはものの数分で、顔や体の汗を拭き取るうちに、タオルはすっかり生ぬるくなってしまう。
何の用も成さなくなったタオルをこのみに預けながら、ダンテは唸るように言った。
「このみ、暑い……」
「もうちょっとで冷蔵庫の中のゼリーが固まるから、それまで頑張ろう」
自分だって暑いだろうに、服もきっちり着こなして元気付けてくれるこのみは偉い。
けれどさすがに今日は彼女を抱きしめようとは思わなかった。
このみお手製のゼリーを口にするのがひどく待ち遠しい。
「あ~やっぱエアコン取り付けるか……でも金がなあ……」
この暑さでは、外に出ることすら億劫に感じる。
ましてダンテの仕事は悪魔を狩ること。
空調完備の場所に悪魔が現れてくれるなら、喜び勇んで狩りに行くのだが、そう都合のいい話などあるはずない。
ぐでっと目の前の机に頬杖をついたその時だった。
事務所のドアが開いて一人の男が顔を覗かせた。
炎天下の中わざわざ歩いてきたのか、滝のような汗を流している。
「あの~、すみません。ちょっと相談を……」
汗を拭いながら室内に足を踏み入れようとした男は、上半身裸のダンテを見て肩を揺らした。
それからダンテの傍に佇んでいたこのみの姿を確認して、後ずさる。
「……お邪魔しました~」
ビデオカメラを巻き戻すかのように、男はバックしながら扉を閉めた。
裸だったせいで何か勘違いさせたらしい。
「今の、お客さん!ダンテが裸だったから、引いちゃったじゃない!」
このみは責めるような口調でダンテにそう言うと、男を追いかけるために灼熱地獄の中へ飛び出して行ってしまった。
このクソ暑い中よくやるわ、とダンテが思った数分後、ぐったりとしたこのみがすごすご帰ってくる。
「…………浮気調査の依頼だった」
表向きは便利屋を名乗っているので、こういった依頼をしてくる輩はとにかく多かった。
その度にお断り申し上げているのだが、先ほどの男もその類だったようだ。
「うう、暑い……無駄な体力使った……」
「このみも服脱いだら?」
「脱ぎません……」
外で走ってきたせいか、このみの声は先ほど以上に元気がない。
ダンテは傍に置いてあった雑誌でこのみを扇いでやる。
「今日は特別暑いな」
「うん……」
このみ曰く、こちらの夏は大体日本の夏と同じくらいか、やや暑いくらいだそうだ。
それなら彼女も暑さにはそれなりに抵抗力があるのかと思っていたら、
エアコンのある生活に慣れていたこのみは、この酷暑に堪えているらしい。
昼を乗り切ればさすがに気温も下がってくるだろうから、それまでの辛抱だ。
……と言っても先ほど昼食を終えたばかりなので、日が沈むまでまだまだ時間がかかる。
「こう、なんかパーッと涼しくなる方法とかねーかな」
「あ、じゃあ怖い話するとか」
「怖い話ねぇ……。普段からオカルトな存在見慣れてるから、もう怖いとかそういう感覚薄れてるな」
「うーん、悪魔とかそういうんじゃなくて、もっとこう、精神的に来る恐怖みたいなのをねー……」
このみはそう言いながら、彼女が知っている「怖い話」を次々と披露し始める。
が、せっかくの怪談も、明るい日光が差し込む室内でされても恐怖が半減してしまうというものだ。
「……怖くないこたないけど、昼に話されても雰囲気出ねーな。
夜寝るとき、俺の枕元でまた話して」
「話さないし、もう怖い話のネタつきちゃったよ」
「ちぇー」
ため息をついてダンテは机に再び頬杖をついた。
何気なく視線を室内に這わせ、あるものに目をとめる。
──そうだ、「怖い話」なんて抽象的なものではなくて、もっと物理的に涼しくなればいいのだ。
何故それを思いつかなかったのだろう。
ダンテは椅子から立ち上がると、壁の方へ向かって歩き出した。
そこに飾ってある三節のヌンチャクを手に取る。
青白い光を放つそのヌンチャクは、この暑さの中でも冷涼さを纏ってダンテの手を冷やす。
隣から覗き込んできたこのみが、ダンテに向かっておどおどと尋ねてきた。
「それ、悪魔?」
「正確には、元悪魔で現、魔具な。ケルベロス。可愛いワンちゃんだったよ」
「え……ケルベロスって、"地獄の番犬"だよね!?」
このみは一定の距離を置いて、それ以上近づいてこようとはしない。
そんなこのみの様子を見たダンテは、面白がってこのみの方へケルベロスを近づける。
「きゃーっ、いやーっ!!」
事務所の中を逃げ回るこのみを、ケルベロスを持って笑いながら追いかける。
ケルベロスもこれだけ怖がられたら、悪魔冥利に尽きるというものだろう。
とうとう壁際まで追い詰められたこのみが、震えながら泣き出したのを見て、
少しやりすぎたかと反省したダンテは、ケルベロスを持ち上げていた手を下ろした。
「そんなに怖がるなって。魔具になっちまえば攻撃なんかしてこないから」
「……本当に?」
「いや、まあ中には使い手を操ったりするのもあるけど」
正直にそう言えば、このみはダンテの目の前でビシリと固まる。
彼女に向かって首を傾げ、苦笑しながらダンテはケルベロスを差し出した。
「……触ってみる?」
このみは無言で、いやいやと首を振る。
彼女が時折会話を交わすアグニとルドラも、傀儡を操って攻撃してくるような奴だったのだが、
それを教えてやった方が良いだろうか。
「とりあえずこいつで暑さを凌ぐとするか」
「その……ケルベロスでどうやって暑さを凌ぐの?わたしもう十分涼しいけど……」
──このみの額に流れる汗は冷や汗か。
自分はさっきこのみを追いかけたせいで暑いのだけれど。
ケルベロスはテメンニグルを守っていた、氷の鎧を纏った三つ首の犬の悪魔だ。
魔具になった後も得意なのは氷属性の攻撃で、その性質は変わらない。
ダンテはこのみを一瞬振り返って、次にケルベロスを握り締めて集中した。
このみが見ていると思うと、何だかいつもよりちょっぴり、いやかなりやる気が出る気がする。
微かに脈動するケルベロスの魔力に、己の魔力を合わせる。
そして後ろ手に振り上げたケルベロスを大きく回転させ、その勢いのままケルベロスの鎖を床に突き立てる。
するとダンテの足元から勢いよく氷柱が伸びて、その冷涼さで室内の空気を切り裂いた。
大気中の水分を一気に凍らせるかのような勢いで生み出された氷は、勢いあまりすぎて部屋中を覆いつくし、
大きく尖った氷の先端が、派手な音を立てて窓の一つを突き破った。
「……………………」
──やる気、出しすぎた。
ゆっくりこのみを振り返ると、彼女は青い顔で一歩下がった。
……ドン引きされている。
ダンテは慌てて笑顔を作りながら、このみに向かって言い訳をし始めた。
「いや、あの、ちょっと涼しげに氷柱をどーんと出そうと思ったんだが……」
「物には限度があると思うの……」
「あ、でも涼しくはなったろ?」
「涼しいのを通り越して寒いです……」
このみの吐く息は白い。
袖から伸びた腕にも鳥肌が立っている。
この場を何とか収めようと、ダンテは口から出るに任せて冗談を紡いでいた。
「……氷削ってフラッペでも作るか?」
「なんだかお腹壊しそうだよ」
──おいケルベロス、お前の作った氷見て「お腹壊しそう」とか言われてるぞ!
久しぶりに出番があったかと思いきや、涼を求めて使われたケルベロスは浮かばれまい。
しかもやる気を出しすぎたせいで部屋中が氷に覆われ、窓を破るという大惨事。
このみは目の前に出来上がった氷の塊に恐る恐る触れながら、ダンテを振り返る。
「あの、ダンテ、これ溶けたら部屋がびしょびしょになるんじゃ……」
「…………」
そこまで考えていなかった。
というか、息が白くなるほどの室温では溶けるまでにかなりの時間を要する気がする。
黙り込むダンテを見て、呆れるような溜息をついたこのみは、何かに気がついたのか動きを止めた。
その耳に手を当てて、音を聞き分けるように息を詰める。
「……なんか、床がミシミシ言ってる……」
その言葉にハッと顔を上げたダンテは、このみの体を抱えて階段へ飛び上がった。
次の瞬間、木が軋んで割れる音と共に、ごっそりと床が抜け落ちる。
突然の揺れと家具が倒れる物音に混じって、このみの悲鳴が上がる。
ダンテはこのみを庇いながら、慌てて階段の手すりに掴まった。
氷の重みに耐え切れず、床が悲鳴を上げたようだった。
急激に冷えた室内に立ち込める靄と、埃が舞い上がって視界が煙る。
腕の中に納めたこのみ同様に、ダンテは驚きのあまりぽかんと口を開けているしかない。
丁度その時、事務所のドアが開かれた。
そこにいたのは禿頭の親父で、先ほどの男と同じく、炎天下の中歩いてきたのか汗を拭き拭き室内に足を踏み入れようとした。
「すみません、便利屋と聞いて伺ったんですが──……」
親父の視線はまず、すっかり抜け落ちてしまった床にいく。
次に巨大な氷柱が窓を突き破っているのをあんぐりと口を開けて見た後、
最後に階段で抱き合いながら呆然と佇んでいるこのみと、上半身裸のダンテに視線を向けた。
「……どうぞ、ごゆっくり~」
この事務所にある何もかもに適応できなかったらしい。
乾いた笑みを浮かべながら、親父はぱたりとドアを閉じた。
「い、今のもお客さんだよね!?」
ようやく我を取り戻したこのみは、その体をビクリと揺らす。
またもや追いかけようと思ったのか、ダンテの腕の中から抜け出そうと腕を突っ張ったこのみは、
その素肌の感触にぎょっとし、頬を赤く染めてダンテを見上げた。
上半身裸の男に抱きしめられる、という図を意識してしまったのか、慌てて顔を背ける。
「な、なんだか、すごく勘違いをされたような気がする……!」
「勘違いじゃないようにしてみるか?」
こんな状況にもかかわらず、ダンテがこのみに唇を寄せようとすると、このみは腕の中から逃れ出ようと身をよじった。
辛うじて腕を出すことに成功したこのみは、ダンテの口もとを押さえ、もう片方の手で床を指差す。
「わ~っ、もう、やめてってば!それより、床!!」
一階のリビング部分が丸々綺麗に抜け落ちている。
ぽっかりと開いた穴の真下に、凍りついたソファーやテーブルが、そのまま切り取られたようにそこにあった。
「この状況、どうするの!?この間、お仕事で壊した橋の督促が来たばかりだよ!?」
「……………」
まるまる抜け落ちた床の修繕費、っていくらだ。
冷え冷えとした空気が、上半身裸の体に痛みを伝える。
「このみ、今俺恐怖で物凄く寒い……」
「恐怖の意味が違うよね!?」
現実と寒さから逃避するために、とりあえず目の前のこのみの体を抱きしめる。
「どうしたらいい?このみ……」
「まずその後先考えずに行動するのを直す所から始めるべき」
──ごもっともです、ハイ。
* * *
仕事を選ぶ余裕など当然あるはずもなく、ダンテは床の修繕費に充てるため、炎天下の下働きに走った。
事務所に戻れば、凍りついた家具たちをアグニの炎で溶かすという作業が待っている。
もれなく、このみのお小言つきで。
暑さを凌ぐために氷を出したというのに、炎でそれを溶かす羽目になるとは何という本末転倒。
ダンテは額を流れる汗を拭いながら、全て暑さのせいだ、と夏をうらめしく思った。
***あとがき***
久々に甘くも切なくもない話を書いたような気がします。
たまにはちょっとコメディチック(?)なのもいいですね。
ここにきてケルベロス初登場です。
ダンテが繰り出したのはクリスタル。Chew on this!
タイトルがなんだかラノベ風味ですね。
うだるような熱気が室内にこもっている。
口から出るのはただ一言「暑い」のみ。
この事務所にはエアコンなんて高級なものは存在しない。
扇風機をフル稼働させても、辛うじて生ぬるい風を受けるくらいで、額に浮かぶ汗は引くことを知らない。
もう服なんか着ることすら馬鹿らしくて、上半身はすっかり裸だ。
けれど服一枚脱いだところで涼しくなるはずもなく、椅子に預けた背中は不快な程じっとりとしている。
「ダンテ、ちゃんと服着てってば。目のやり場に困るの」
赤い顔で注意するこのみの声音も、暑さのせいか覇気がない。
顔が赤いのだって、この暑さで火照っているせいかもしれない。
生返事をするものの、服を着ようとはしないダンテを見かねて、このみが何かを持ってきた。
それは冷蔵庫にあった冷やしタオルで、ひんやりとした冷気を放つそれをダンテの胸に押し付ける。
その冷たさに体が驚いたのか、一瞬汗が引く。
タオルを受け取ったダンテは、それを広げて顔の上にかけた。
冷たくて気持ち良かったのはものの数分で、顔や体の汗を拭き取るうちに、タオルはすっかり生ぬるくなってしまう。
何の用も成さなくなったタオルをこのみに預けながら、ダンテは唸るように言った。
「このみ、暑い……」
「もうちょっとで冷蔵庫の中のゼリーが固まるから、それまで頑張ろう」
自分だって暑いだろうに、服もきっちり着こなして元気付けてくれるこのみは偉い。
けれどさすがに今日は彼女を抱きしめようとは思わなかった。
このみお手製のゼリーを口にするのがひどく待ち遠しい。
「あ~やっぱエアコン取り付けるか……でも金がなあ……」
この暑さでは、外に出ることすら億劫に感じる。
ましてダンテの仕事は悪魔を狩ること。
空調完備の場所に悪魔が現れてくれるなら、喜び勇んで狩りに行くのだが、そう都合のいい話などあるはずない。
ぐでっと目の前の机に頬杖をついたその時だった。
事務所のドアが開いて一人の男が顔を覗かせた。
炎天下の中わざわざ歩いてきたのか、滝のような汗を流している。
「あの~、すみません。ちょっと相談を……」
汗を拭いながら室内に足を踏み入れようとした男は、上半身裸のダンテを見て肩を揺らした。
それからダンテの傍に佇んでいたこのみの姿を確認して、後ずさる。
「……お邪魔しました~」
ビデオカメラを巻き戻すかのように、男はバックしながら扉を閉めた。
裸だったせいで何か勘違いさせたらしい。
「今の、お客さん!ダンテが裸だったから、引いちゃったじゃない!」
このみは責めるような口調でダンテにそう言うと、男を追いかけるために灼熱地獄の中へ飛び出して行ってしまった。
このクソ暑い中よくやるわ、とダンテが思った数分後、ぐったりとしたこのみがすごすご帰ってくる。
「…………浮気調査の依頼だった」
表向きは便利屋を名乗っているので、こういった依頼をしてくる輩はとにかく多かった。
その度にお断り申し上げているのだが、先ほどの男もその類だったようだ。
「うう、暑い……無駄な体力使った……」
「このみも服脱いだら?」
「脱ぎません……」
外で走ってきたせいか、このみの声は先ほど以上に元気がない。
ダンテは傍に置いてあった雑誌でこのみを扇いでやる。
「今日は特別暑いな」
「うん……」
このみ曰く、こちらの夏は大体日本の夏と同じくらいか、やや暑いくらいだそうだ。
それなら彼女も暑さにはそれなりに抵抗力があるのかと思っていたら、
エアコンのある生活に慣れていたこのみは、この酷暑に堪えているらしい。
昼を乗り切ればさすがに気温も下がってくるだろうから、それまでの辛抱だ。
……と言っても先ほど昼食を終えたばかりなので、日が沈むまでまだまだ時間がかかる。
「こう、なんかパーッと涼しくなる方法とかねーかな」
「あ、じゃあ怖い話するとか」
「怖い話ねぇ……。普段からオカルトな存在見慣れてるから、もう怖いとかそういう感覚薄れてるな」
「うーん、悪魔とかそういうんじゃなくて、もっとこう、精神的に来る恐怖みたいなのをねー……」
このみはそう言いながら、彼女が知っている「怖い話」を次々と披露し始める。
が、せっかくの怪談も、明るい日光が差し込む室内でされても恐怖が半減してしまうというものだ。
「……怖くないこたないけど、昼に話されても雰囲気出ねーな。
夜寝るとき、俺の枕元でまた話して」
「話さないし、もう怖い話のネタつきちゃったよ」
「ちぇー」
ため息をついてダンテは机に再び頬杖をついた。
何気なく視線を室内に這わせ、あるものに目をとめる。
──そうだ、「怖い話」なんて抽象的なものではなくて、もっと物理的に涼しくなればいいのだ。
何故それを思いつかなかったのだろう。
ダンテは椅子から立ち上がると、壁の方へ向かって歩き出した。
そこに飾ってある三節のヌンチャクを手に取る。
青白い光を放つそのヌンチャクは、この暑さの中でも冷涼さを纏ってダンテの手を冷やす。
隣から覗き込んできたこのみが、ダンテに向かっておどおどと尋ねてきた。
「それ、悪魔?」
「正確には、元悪魔で現、魔具な。ケルベロス。可愛いワンちゃんだったよ」
「え……ケルベロスって、"地獄の番犬"だよね!?」
このみは一定の距離を置いて、それ以上近づいてこようとはしない。
そんなこのみの様子を見たダンテは、面白がってこのみの方へケルベロスを近づける。
「きゃーっ、いやーっ!!」
事務所の中を逃げ回るこのみを、ケルベロスを持って笑いながら追いかける。
ケルベロスもこれだけ怖がられたら、悪魔冥利に尽きるというものだろう。
とうとう壁際まで追い詰められたこのみが、震えながら泣き出したのを見て、
少しやりすぎたかと反省したダンテは、ケルベロスを持ち上げていた手を下ろした。
「そんなに怖がるなって。魔具になっちまえば攻撃なんかしてこないから」
「……本当に?」
「いや、まあ中には使い手を操ったりするのもあるけど」
正直にそう言えば、このみはダンテの目の前でビシリと固まる。
彼女に向かって首を傾げ、苦笑しながらダンテはケルベロスを差し出した。
「……触ってみる?」
このみは無言で、いやいやと首を振る。
彼女が時折会話を交わすアグニとルドラも、傀儡を操って攻撃してくるような奴だったのだが、
それを教えてやった方が良いだろうか。
「とりあえずこいつで暑さを凌ぐとするか」
「その……ケルベロスでどうやって暑さを凌ぐの?わたしもう十分涼しいけど……」
──このみの額に流れる汗は冷や汗か。
自分はさっきこのみを追いかけたせいで暑いのだけれど。
ケルベロスはテメンニグルを守っていた、氷の鎧を纏った三つ首の犬の悪魔だ。
魔具になった後も得意なのは氷属性の攻撃で、その性質は変わらない。
ダンテはこのみを一瞬振り返って、次にケルベロスを握り締めて集中した。
このみが見ていると思うと、何だかいつもよりちょっぴり、いやかなりやる気が出る気がする。
微かに脈動するケルベロスの魔力に、己の魔力を合わせる。
そして後ろ手に振り上げたケルベロスを大きく回転させ、その勢いのままケルベロスの鎖を床に突き立てる。
するとダンテの足元から勢いよく氷柱が伸びて、その冷涼さで室内の空気を切り裂いた。
大気中の水分を一気に凍らせるかのような勢いで生み出された氷は、勢いあまりすぎて部屋中を覆いつくし、
大きく尖った氷の先端が、派手な音を立てて窓の一つを突き破った。
「……………………」
──やる気、出しすぎた。
ゆっくりこのみを振り返ると、彼女は青い顔で一歩下がった。
……ドン引きされている。
ダンテは慌てて笑顔を作りながら、このみに向かって言い訳をし始めた。
「いや、あの、ちょっと涼しげに氷柱をどーんと出そうと思ったんだが……」
「物には限度があると思うの……」
「あ、でも涼しくはなったろ?」
「涼しいのを通り越して寒いです……」
このみの吐く息は白い。
袖から伸びた腕にも鳥肌が立っている。
この場を何とか収めようと、ダンテは口から出るに任せて冗談を紡いでいた。
「……氷削ってフラッペでも作るか?」
「なんだかお腹壊しそうだよ」
──おいケルベロス、お前の作った氷見て「お腹壊しそう」とか言われてるぞ!
久しぶりに出番があったかと思いきや、涼を求めて使われたケルベロスは浮かばれまい。
しかもやる気を出しすぎたせいで部屋中が氷に覆われ、窓を破るという大惨事。
このみは目の前に出来上がった氷の塊に恐る恐る触れながら、ダンテを振り返る。
「あの、ダンテ、これ溶けたら部屋がびしょびしょになるんじゃ……」
「…………」
そこまで考えていなかった。
というか、息が白くなるほどの室温では溶けるまでにかなりの時間を要する気がする。
黙り込むダンテを見て、呆れるような溜息をついたこのみは、何かに気がついたのか動きを止めた。
その耳に手を当てて、音を聞き分けるように息を詰める。
「……なんか、床がミシミシ言ってる……」
その言葉にハッと顔を上げたダンテは、このみの体を抱えて階段へ飛び上がった。
次の瞬間、木が軋んで割れる音と共に、ごっそりと床が抜け落ちる。
突然の揺れと家具が倒れる物音に混じって、このみの悲鳴が上がる。
ダンテはこのみを庇いながら、慌てて階段の手すりに掴まった。
氷の重みに耐え切れず、床が悲鳴を上げたようだった。
急激に冷えた室内に立ち込める靄と、埃が舞い上がって視界が煙る。
腕の中に納めたこのみ同様に、ダンテは驚きのあまりぽかんと口を開けているしかない。
丁度その時、事務所のドアが開かれた。
そこにいたのは禿頭の親父で、先ほどの男と同じく、炎天下の中歩いてきたのか汗を拭き拭き室内に足を踏み入れようとした。
「すみません、便利屋と聞いて伺ったんですが──……」
親父の視線はまず、すっかり抜け落ちてしまった床にいく。
次に巨大な氷柱が窓を突き破っているのをあんぐりと口を開けて見た後、
最後に階段で抱き合いながら呆然と佇んでいるこのみと、上半身裸のダンテに視線を向けた。
「……どうぞ、ごゆっくり~」
この事務所にある何もかもに適応できなかったらしい。
乾いた笑みを浮かべながら、親父はぱたりとドアを閉じた。
「い、今のもお客さんだよね!?」
ようやく我を取り戻したこのみは、その体をビクリと揺らす。
またもや追いかけようと思ったのか、ダンテの腕の中から抜け出そうと腕を突っ張ったこのみは、
その素肌の感触にぎょっとし、頬を赤く染めてダンテを見上げた。
上半身裸の男に抱きしめられる、という図を意識してしまったのか、慌てて顔を背ける。
「な、なんだか、すごく勘違いをされたような気がする……!」
「勘違いじゃないようにしてみるか?」
こんな状況にもかかわらず、ダンテがこのみに唇を寄せようとすると、このみは腕の中から逃れ出ようと身をよじった。
辛うじて腕を出すことに成功したこのみは、ダンテの口もとを押さえ、もう片方の手で床を指差す。
「わ~っ、もう、やめてってば!それより、床!!」
一階のリビング部分が丸々綺麗に抜け落ちている。
ぽっかりと開いた穴の真下に、凍りついたソファーやテーブルが、そのまま切り取られたようにそこにあった。
「この状況、どうするの!?この間、お仕事で壊した橋の督促が来たばかりだよ!?」
「……………」
まるまる抜け落ちた床の修繕費、っていくらだ。
冷え冷えとした空気が、上半身裸の体に痛みを伝える。
「このみ、今俺恐怖で物凄く寒い……」
「恐怖の意味が違うよね!?」
現実と寒さから逃避するために、とりあえず目の前のこのみの体を抱きしめる。
「どうしたらいい?このみ……」
「まずその後先考えずに行動するのを直す所から始めるべき」
──ごもっともです、ハイ。
* * *
仕事を選ぶ余裕など当然あるはずもなく、ダンテは床の修繕費に充てるため、炎天下の下働きに走った。
事務所に戻れば、凍りついた家具たちをアグニの炎で溶かすという作業が待っている。
もれなく、このみのお小言つきで。
暑さを凌ぐために氷を出したというのに、炎でそれを溶かす羽目になるとは何という本末転倒。
ダンテは額を流れる汗を拭いながら、全て暑さのせいだ、と夏をうらめしく思った。
***あとがき***
久々に甘くも切なくもない話を書いたような気がします。
たまにはちょっとコメディチック(?)なのもいいですね。
ここにきてケルベロス初登場です。
ダンテが繰り出したのはクリスタル。Chew on this!
タイトルがなんだかラノベ風味ですね。