夏の嵐
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* * *
窓ガラスがガタガタと震え、事務所の外では暴風雨が吹き荒れている。
テレビから流れるニュースは、小型のハリケーン到来をしきりに放映していた。
その映像ですら、ハリケーンの影響で時々乱れる。
「今夜が一番このあたりに接近するんだって」
このみはテレビから目を離さずにダンテに告げた。
「外、雨も風もすごいね。事務所だいじょうぶかな」
「一度ぶっ壊されて突貫工事で直したからなぁ。ボロがでなけりゃいいんだけど」
強い風のせいで事務所全体が軋んでいるような気さえする。
今回のハリケーンは小型だが勢力が強いらしく、ダンテとしてもやや不安になってくる。
このみはソファーから立ち上がるとダンテに言った。
「ハリケーンも心配だけど、わたし、そろそろ寝るね。明日もバイトだから」
「ああ、おやすみ」
「おやすみ」
そうしてこのみが二階へ消えて行くのを見送ると、ダンテは深い溜め息をついた。
結局、このみがトニーを振った6月から今まで、何の進展もない。
ジャンや鏡に対しても、ダンテとこのみの関係に対しても。
正直に言って、好きな女と一緒に暮らしているのに、手を出すどころか明確なアプローチすらできないのは辛かった。
気が付けばハリケーンが来るような季節を迎えている。
その間ずっとお預け状態なわけで、元々耐えたり待ったりするのが苦手なダンテにこれほどきついことはない。
このみはと言うと、相変わらず聞き込みに精を出している始末で、家に帰るという意志は変わっていないようだ。
それでも、変に気まずくなったりしないだけマシかもしれない。
ダンテは再び溜め息をついた。
することもないが、かと言って眠気も訪れないので、ダンテはハリケーンの中継を続けるテレビに視線を向けたのだった。
* * *
激しい雨音が窓を叩き、唸るような風音が窓の外を駆け抜けて、ガラスを震わせる。
嵐の音で一度目を覚ましたこのみは、胸騒ぎに似た不安のせいで眠りにつけずにいた。
時刻は日本でいう丑三つ時くらいだろうか。
荒れ狂う風の音は男の唸り声によく似ていて、それがこのみの恐怖心を煽る。
(眠れない……)
風の音が怖くて眠れないなんて、自分でも子供かと思う。
けれど怖いと感じる心はどうすることもできなかった。
明日もバイトだから寝なければ、と思えば思うほど、それがこのみを圧迫して余計に目が冴えてしまう。
(お水、飲んでこようかな……)
このみはこのままベッドでゴロゴロしていても仕方ないと思い、起き上がった。
部屋のドアを開けて廊下に出れば、そこは当然真っ暗だ。
このみの部屋の近くには、廊下の明かりを入れるスイッチがないので仕方なくそのまま進む。
薄闇でもある程度周辺が把握できるが、やはり怖いものは怖い。
ダンテの部屋の近くにスイッチがあったから、それで明かりをつけようと思って、このみはそろりと足を進める。
ダンテも既に寝入っているのか、事務所に響くのは外の風の音と、このみが床を踏みしめるきしんだ音くらいだ。
とその時、ピチャリと何か液体が落ちるような音がして、このみは大きく震えた。
首を回して音の正体を確かめようとするが、こうも暗いとそれもままならない。
ドキドキと心音が高鳴って、このみは何かから身を守るように体を縮こまらせた、その瞬間。
首筋に冷たいものが落ちてきて、このみは思わず悲鳴を上げていた。
* * *
「きゃあぁああぁぁぁ──っ!!」
廊下からこのみの悲鳴が聞こえて、一瞬にして目覚めたダンテはベッドから跳ね起きた。
つっかけるようにして靴を履き、ドアに飛びつく。
「このみ!?」
扉を開けたそこは真っ暗だったが、シルエットで目の前にこのみがうずくまっているのが分かる。
明かりを点けて見れば、このみが水溜まりの中に座り込んでいた。
「このみ、どうした!?」
「く、くび、首になにか、落ちてきて……」
震えながらそう訴えるこのみの脇で、頭上から滴った水が床に染み込んでいく。
まさかと思って天井を見上げれば、今も水の粒を吐き出しているところだった。
「あ、雨漏り……?」
そう呟いて一歩を踏み出すと、ダンテの足元で水が跳ねる音がする。
足元を見下ろせばそこにも海が広がっていた。
とりあえずダンテはその中を突き進んで、座り込んでいるこのみを立たせる。
「このみ、大丈夫だ。ただの水」
「び、びっくりした」
「うん」
安心させるようにこのみの背中を撫でると、彼女はやっと落ち着きを取り戻したようだった。
改めてこのみを見下ろせば、水溜まりの中で座り込んでいたせいか、その下半身は濡れている。
「とにかく、服着替えてこい。この雨漏りどうにかしないと」
「床を拭かなきゃ。掃除してる間ぬれるから、いっそこのまま──」
このみが言いかけたその時だった。
何かがガラスを突き破るような激しい破壊音がして、このみは悲鳴を上げてダンテの腕にしがみついた。
とっさのこのみの行為に驚き、次いで柔らかな感触に男として喜びつつも、ダンテはクールな表情を崩さぬよう我慢する。
「な、なんの音!?」
「このみの部屋からだ!」
慌てて部屋の前に駆け寄り、ドアを開けて2人して唖然とした。
破られた窓ガラスからは猛烈な雨が室内に吹き込み、あっという間に床を濡らしていく。
ガラスの破片が散らばる部屋の中央に、男の腕ほどの巨木が転がっていた。
ハリケーンの風に煽られた木がこのみの部屋の窓を突き破ったらしい。
「わああ、問題集ぬれちゃう!」
このみは机の上に置きっぱなしだった問題集を取りに室内へと駆け込む。
このみが床を踏みしめるたびに、散らばったガラスの破片が音を立てた。
「おい、このみ!危ないぞ!」
「でもこのままじゃ、荷物が……!」
「窓を塞がねえと……!」
物置にベニヤ板を置いていたはず。
それでとりあえず応急処置をするしかない。
「このみ、ガラスの破片が飛んでくるから窓には近付くなよ!俺は板とか釘を探してくる!」
「う、うん!」
テメンニグル事件の際、損壊した事務所をとりあえずベニヤ板で補強していた残りが物置にある。
濡れては困る荷物を運び出すこのみをその場に残して、ダンテは物置を目指して階段を駆け下りた。
明かりを付けるのも面倒で、薄暗いリビングを突っ切って物置に入り込む。
以前使ったベニヤ板の残りがそのまま立てかけてあり、近くに金鎚と釘が入ったケースも発見した。
目当てのものがすぐに見つかったことにほっとして、それを取るなりすぐさまこのみの部屋へ引き返す。
中にいたこのみにダンテは声をかけた。
「このみ、お前怪我はしてないな?ちょっと手伝ってくれ」
「わかった!」
部屋に入り込む風圧は存外に強くて、風のない日ならまだしも、窓を覆う程の大きさのベニヤ板を押さえながら釘を打つのはダンテ1人では骨が折れそうだったのだ。
「釘打てるか?俺は板押さえてるから」
「まかせてよ」
ダンテがベニヤ板で窓を塞ぐと、このみは金鎚を持ち、板の周りを手早く釘を打ち付けていく。
支えがいらない程に打ち付けた後は、このみの手が届かない上の部分をダンテが代わって打ってやった。
破れたガラス窓を完全に塞いだ頃には、吹き込んできた雨でダンテもこのみも全身びっしょりと濡れていた。
しかもまだ廊下の雨漏りの掃除も残っている。
「このみ、次は廊下の雨漏りを……」
隣にいるこのみにそう言いかけて、ダンテはぎょっとした。
夏場の薄手の生地でできたこのみのパジャマはじっとりと濡れていて、肌の色すら透けて見えるどころか、体のラインまで丸わかりだった。
まさに今のダンテにとっては目の毒。
いつものようにからかう余裕すらなくて、ダンテは理性を振り絞りながらこのみに言った。
「……風邪、引くから……。シャワー浴びて、着替えてこい」
「え?でもまだ掃除が……」
そう言いながら、このみは自分の姿を見下ろした。
「…………ひっ、……」
引きつるような声を上げて真っ赤になるなり、このみは部屋から飛び出して行った。
その後ろ姿を見送ったダンテは、様々な思いを混ぜ込んだ溜め息をつく。
すごく腹が減っている時に、めちゃくちゃ美味そうな料理の写真だけ見せられたような気分だ。
けれど忘れるのも惜しくて、先ほどのこのみの姿を悶々と思い返していたその時、またもや階下でこのみの悲鳴が上がった。
「今度は何だ!?」
二階の廊下から下に向かって叫ぶと、このみの慌てたような声が返ってきた。
「ダンテ、下も雨漏りしてる!ソファーもびしょびしょだよ!」
「なっ……」
リビングは吹き抜けになっているから、一階が雨漏りしていてもおかしくはない。
先ほどベニヤ板を取りに行った際は明かりを点けなかったので、気付かなかったようだ。
「ああ、もう……!とりあえず、バケツだけ置いといてくれ!」
「わ、わかった」
まさかこんなに次から次へと問題が起きるなんて。
「ハリケーンで屋根のどっかが壊れたか……?」
疲れた顔で呟きながら、ダンテはまず二階の廊下の雨漏りをどうにかしようとモップとバケツを手に取った。
とりあえず濡れた床をざっと拭いて、雨漏りが滴る真下にバケツを設置する。
ダンテが二階の作業を終えてリビングの雨漏りに取り掛かった頃に、このみが簡単にシャワーを浴び終えて出てきたので、ダンテは入れ替わるようにしてシャワールームに向かった。
じっとりと肌に張り付く服を脱いでバスタブに入り、浴びるだけのシャワーを済ませる。
ほんの1時間程の間の出来事のはずなのに、何てめまぐるしい。
時刻は夜中の3時ほどだろうか。
乾いた服に着替えて、リビングに置いたバケツが雨受け皿の役割を果たしていることを確認してから、ダンテは二階へ上った。
このみの部屋を覗くと、彼女はまだ部屋に散らばったガラスの掃除をしていた。
「このみ、掃除はもう明日にして寝たら……って、この部屋じゃ無理か。ベッドに破片乗ってるもんな」
「うん……どうしよう」
「俺のベッドで一緒に寝る?」
からかい半分にそう言うと、このみは顔を真っ赤にして首を振った。
「遠慮しますっ!」
肯定の返事など最初から返ってくるはずもないと思っていたけれど、改めて拒否されると内心悔しくて、ダンテは心の中で舌打ちする。
けれどこのみを困らせることはできないから、ダンテはいつもの余裕のある笑みを見せていた。
「……冗談だよ。俺は下で寝るから、このみは俺のベッドで寝な」
「えっ、下のソファーは雨漏りで、使えないでしょ」
「……そうだった」
雨水をすっかり吸い込んだあのソファーは、眠ることはおろか、座ることもできまい。
濡れた巨大なスポンジの上に寝転がるようなものだ。
「なら朝まで下で適当に時間潰してるよ」
「ダンテ、寝ないつもり?だったら、わたしも……」
「だぁめ。お前、明日バイトだろ。寝ないと体もたないぞ」
「でも……」
「でももだってもない。いいからこのみはとっとと寝ろ」
そう言ってこのみの背中を押し、ダンテは自分の部屋のベッドにこのみを押し入れた。
「ダンテ、ごめんね」
「遠慮すんな。俺はいつでも眠れるからな」
「……胸張って言えることじゃないよ」
このみは苦笑しながらシーツを被った。
「そう言えばわたし、一回だけ、ダンテのベッドで寝たことあったよね。なんだか懐かしいな」
「ああ、そんなこともあったな」
出会ってすぐの頃、蝶の群れに襲われて警察署から逃げ帰ってきた日。
気絶するように眠ったこのみを、この部屋に運んだことがあったのだ。
「ふふ、何かダンテの匂いがする気がする」
「おい、嗅ぐなよ」
シーツに鼻を寄せて無邪気に笑うこのみを見ていると、何だか気恥ずかしくてもやもやする。
きちんとシーツはこのみが洗っているから、汗臭いとかそんなことはないと思うけれど。
──っていうか、「ダンテの匂い」って何だ。
識別できるくらいこのみが自分の匂いを覚えているのは、喜ぶべきことなんだろうか。
微妙な表情を浮かべながら、ダンテはこのみの頭を撫でた。
「じゃあ、おやすみ」
「うん」
このみが頷いたのを確認して、ダンテが部屋を出て行こうとしたその時。
未だ勢力の衰えないハリケーンが、唸って大きく窓を揺らした。
それと同時に、背中側の服に感じた小さな抵抗がダンテの足を止める。
振り返って見れば、このみが手を伸ばして、ダンテの服をそっと掴んでいた。
それはこのみにとっても無意識の行動だったのか、驚いたように伸ばした手を眺めた後、慌ててそれを引っ込めた。
「このみ、どうした?」
「な、なんでもない……」
このみは気まずそうに視線を逸らし、向こう側へ寝返りを打った。
そういえば最初の悲鳴の時、何故このみは廊下にいた?
手洗いに起きたとも考えられるが、今の反応を見るに──……
「風の音が怖くて眠れない、とか?」
ぎくり、と音がつきそうな勢いでこのみの肩が揺れた。
このみは嘘をつくこと自体は下手ではないが、指摘されるとすぐにそれと分かるくらい動揺する。
ダンテからすればそこがまた可愛いところなのだが、向こう側を向いているこのみはダンテの含み笑いに気付かないようだ。
「そ、そんなんじゃないもん」
「また何かぶつかって、この部屋の窓も割れるかもなぁ」
「……やめてよう」
震えたような声を出されて、ダンテは口を閉じた。
先程窓を破るほどの強風を目の当たりにしたのだ。
更に風音に怯えていたとしても無理はない。
しばし考えた果てに、ダンテはリビングへ行くことをやめた。
一旦部屋の入り口まで行って明かりを消すと、再びベッドの近くまで戻ってきてこのみに言う。
「……ビビりなこのみのために、俺が添い寝してやろう」
「えっ、ちょっと……!?」
ダンテはベッドに乗り上がり、このみを跨いで窓際の位置に陣取った。
「ここなら窓が割れてもこのみを庇ってやれるな」
にっこりと笑うダンテに二の句が告げず、起き上がったこのみは恐らく真っ赤になっているであろう顔のままパクパクと口を開ける。
「む、むむむむむ無理!」
どもりながらやっと紡ぎ出したのはその言葉だった。
「大丈夫、何にもしないって」
「あああたりまえでしょ!」
このみはベッドから落ちるか落ちないか程の端にすっかり逃げ去っている。
「そんなに心配なら聖水握って寝てろよ」
「………………っ」
このみはパジャマのポケットから小瓶を取り出した。
(……常備してんのか)
ダンテは苦笑する。
が、それも一応男として意識されている証拠なのかもしれない。
警戒心剥き出しのこのみを見ながら、ダンテはゴロリと横になった。
「……というか、俺も夜中に働いて結構眠いんだよ。このみも早く寝ろ」
しばらくそのまま佇んでいたこのみは、やがて諦めたのかシーツに潜り込んできた。
本当に嫌だったら、このタイミングで聖水を使っているはず。
案外自分にも希望はあるのかもしれないとダンテは思うが、さすがに様々な過程をすっ飛ばして手を出すわけにはいかない。
このみはダンテに触れぬよう距離を保って息を詰めた。
ダンテに背を向けて、ベッドの端に横になっているこのみの肩はほっそりとしていて、
あまり眺めていると自分の中の凶悪な何かが鎌首をもたげそうになるのでダンテは目を閉じた。
それでもこのみの気配が間近に感じられて心が騒ぐ。
目を閉じたはいいが、思い出すのは先ほどの濡れたこのみの姿。
手を伸ばせば届く距離に、このみがいるのだと思うと心が震える。
彼女に聖水を使わせることなく強引に組み敷くのは簡単だ。
そうしたい気持ちがないと言えば嘘になるが、もし行動に移せば二度と元の関係に戻れないのは分かりきっている。
心の底から彼女に惚れこんでいなければ、一回の行為で満足できていたかもしれない。
けれどダンテは、このみと過ごす何でもない日常を、一回きりの暴走で失くしたくはなかった。
だから、手は出さない。
静かになった室内に響くのは、吹き荒れる風の音。
このみは当然だが、眠っていないようだった。
たまに外で何かがぶつかるような大きな音がするたびに、その肩が微かに震えて反応するのが、目を閉じていても分かる。
「このみ」
目を開けて名前を呼んでみたが、こちらを振り向こうとはしない。
「怖い?」
尋ねると、ややあってこのみから返答があった。
「……すこし」
その返事を聞いて、ダンテは考える。
そしてふっと笑うと、ベッドの端にいたこのみの方へ体を寄せた。
スプリングが軋む音に、このみはびくりと反応する。
こちらに背を向け、緊張して身を固めるこのみの背中に、胸をくっつけるようにしてダンテは彼女の体を覆う。
片手をこのみの向こう側へ回して、握りしめられていたこのみの拳を開いて手を繋いだ。
手は、出さないけれど。
一緒に寝ていて触れずにいることなんてできない。
背後から抱き締められるような形に、このみは緊張のせいか、恥ずかしさのためか細かく震える。
顔は見えないが、その耳は真っ赤に染まっているようだった。
「ダンテ、ちかい……!あつい……っ」
「うん」
「な、なにもしないって言った……!」
「これ以上はな」
「は、恥ずかしいってば……」
「怖いよりはマシだろ?」
このみの体温を腕に閉じ込めて、満足げにダンテは言う。
ほんの少し湿り気を帯びたこのみの髪が頬に触れて、くすぐったい。
その髪に顔を埋めるようにすれば、このみの香りに包まれているようだった。
「これじゃ、眠れない……っ」
「なら、子守歌でも歌ってやろうか?」
低く笑いながらそう言う。
このみは唸ったり身じろいだりしながら抵抗を続けていたが、何をしても無駄だと悟ったのか、やがてダンテの中で大人しくなった。
そして、囁くように問いかける。
「また……わたしのこと、からかってる?」
「どうかな」
からかうためだけにこんなに近づいたりするはずない。
このみもそれは分かっているだろうに、あえてそんな事を聞くのは、彼女がそう思い込みたいから。
ダンテが曖昧な言葉を吐いたのは、そんなこのみの意を汲んだから。
(いやだ、とは言わないんだな……)
それにここまで近付いてもまだ聖水は使わない。
かなりダンテに対して好感を持っていなければ、このみはここまで触れるのを許しはしないだろう。
さすがにこれ以上は無理だろうけれど。
このみは誰も好きになったりしないと言っていたが、誰だって心を完全にコントロールするのは不可能だ。
この状況を鑑みれば、ダンテはこのみに好かれていると自負してもいいはず。
けれど仮に本気でダンテを好きになったとしても、このみはその気持ちを口にすることはないだろうし、ダンテの想いに応えることもないだろう。
それでも今は──こうして、このみに触れることができるのが、彼女に許してもらえることが嬉しい。
本当はもっと先にいきたい。
この気持ちを伝えて、唇に触れて、このみと一つになりたいと思うけれど、今はこれでいい。
このみは風音が気になってしばらく起きていたようだが、ダンテのぬくもりに包まれて安心したのか、やがて小さな寝息を立てて眠ってしまった。
ダンテに握られていない方の手から聖水の小瓶がこぼれ落ちて、シーツの上に転がる。
溜め息をついたダンテは、その小瓶がベッドから落ちないように枕元へ置いてやった。
(やっぱ警戒心足りてないな、このみは……)
この状況ですやすやと眠ってしまったこのみに感心するような、呆れるような。
寝ている女に無体を働くつもりはないが、ちょっとくらいならいいだろう、と考える自分がいるのも本当だ。
(ちょっと胸触るくらいなら……いや、ダメだ。でも寝てるし……)
腕の中のこのみの柔らかい部分に意識がいくのを必死に自制しながら、ダンテは夜が明けるのを待ったのだった。
窓ガラスがガタガタと震え、事務所の外では暴風雨が吹き荒れている。
テレビから流れるニュースは、小型のハリケーン到来をしきりに放映していた。
その映像ですら、ハリケーンの影響で時々乱れる。
「今夜が一番このあたりに接近するんだって」
このみはテレビから目を離さずにダンテに告げた。
「外、雨も風もすごいね。事務所だいじょうぶかな」
「一度ぶっ壊されて突貫工事で直したからなぁ。ボロがでなけりゃいいんだけど」
強い風のせいで事務所全体が軋んでいるような気さえする。
今回のハリケーンは小型だが勢力が強いらしく、ダンテとしてもやや不安になってくる。
このみはソファーから立ち上がるとダンテに言った。
「ハリケーンも心配だけど、わたし、そろそろ寝るね。明日もバイトだから」
「ああ、おやすみ」
「おやすみ」
そうしてこのみが二階へ消えて行くのを見送ると、ダンテは深い溜め息をついた。
結局、このみがトニーを振った6月から今まで、何の進展もない。
ジャンや鏡に対しても、ダンテとこのみの関係に対しても。
正直に言って、好きな女と一緒に暮らしているのに、手を出すどころか明確なアプローチすらできないのは辛かった。
気が付けばハリケーンが来るような季節を迎えている。
その間ずっとお預け状態なわけで、元々耐えたり待ったりするのが苦手なダンテにこれほどきついことはない。
このみはと言うと、相変わらず聞き込みに精を出している始末で、家に帰るという意志は変わっていないようだ。
それでも、変に気まずくなったりしないだけマシかもしれない。
ダンテは再び溜め息をついた。
することもないが、かと言って眠気も訪れないので、ダンテはハリケーンの中継を続けるテレビに視線を向けたのだった。
* * *
激しい雨音が窓を叩き、唸るような風音が窓の外を駆け抜けて、ガラスを震わせる。
嵐の音で一度目を覚ましたこのみは、胸騒ぎに似た不安のせいで眠りにつけずにいた。
時刻は日本でいう丑三つ時くらいだろうか。
荒れ狂う風の音は男の唸り声によく似ていて、それがこのみの恐怖心を煽る。
(眠れない……)
風の音が怖くて眠れないなんて、自分でも子供かと思う。
けれど怖いと感じる心はどうすることもできなかった。
明日もバイトだから寝なければ、と思えば思うほど、それがこのみを圧迫して余計に目が冴えてしまう。
(お水、飲んでこようかな……)
このみはこのままベッドでゴロゴロしていても仕方ないと思い、起き上がった。
部屋のドアを開けて廊下に出れば、そこは当然真っ暗だ。
このみの部屋の近くには、廊下の明かりを入れるスイッチがないので仕方なくそのまま進む。
薄闇でもある程度周辺が把握できるが、やはり怖いものは怖い。
ダンテの部屋の近くにスイッチがあったから、それで明かりをつけようと思って、このみはそろりと足を進める。
ダンテも既に寝入っているのか、事務所に響くのは外の風の音と、このみが床を踏みしめるきしんだ音くらいだ。
とその時、ピチャリと何か液体が落ちるような音がして、このみは大きく震えた。
首を回して音の正体を確かめようとするが、こうも暗いとそれもままならない。
ドキドキと心音が高鳴って、このみは何かから身を守るように体を縮こまらせた、その瞬間。
首筋に冷たいものが落ちてきて、このみは思わず悲鳴を上げていた。
* * *
「きゃあぁああぁぁぁ──っ!!」
廊下からこのみの悲鳴が聞こえて、一瞬にして目覚めたダンテはベッドから跳ね起きた。
つっかけるようにして靴を履き、ドアに飛びつく。
「このみ!?」
扉を開けたそこは真っ暗だったが、シルエットで目の前にこのみがうずくまっているのが分かる。
明かりを点けて見れば、このみが水溜まりの中に座り込んでいた。
「このみ、どうした!?」
「く、くび、首になにか、落ちてきて……」
震えながらそう訴えるこのみの脇で、頭上から滴った水が床に染み込んでいく。
まさかと思って天井を見上げれば、今も水の粒を吐き出しているところだった。
「あ、雨漏り……?」
そう呟いて一歩を踏み出すと、ダンテの足元で水が跳ねる音がする。
足元を見下ろせばそこにも海が広がっていた。
とりあえずダンテはその中を突き進んで、座り込んでいるこのみを立たせる。
「このみ、大丈夫だ。ただの水」
「び、びっくりした」
「うん」
安心させるようにこのみの背中を撫でると、彼女はやっと落ち着きを取り戻したようだった。
改めてこのみを見下ろせば、水溜まりの中で座り込んでいたせいか、その下半身は濡れている。
「とにかく、服着替えてこい。この雨漏りどうにかしないと」
「床を拭かなきゃ。掃除してる間ぬれるから、いっそこのまま──」
このみが言いかけたその時だった。
何かがガラスを突き破るような激しい破壊音がして、このみは悲鳴を上げてダンテの腕にしがみついた。
とっさのこのみの行為に驚き、次いで柔らかな感触に男として喜びつつも、ダンテはクールな表情を崩さぬよう我慢する。
「な、なんの音!?」
「このみの部屋からだ!」
慌てて部屋の前に駆け寄り、ドアを開けて2人して唖然とした。
破られた窓ガラスからは猛烈な雨が室内に吹き込み、あっという間に床を濡らしていく。
ガラスの破片が散らばる部屋の中央に、男の腕ほどの巨木が転がっていた。
ハリケーンの風に煽られた木がこのみの部屋の窓を突き破ったらしい。
「わああ、問題集ぬれちゃう!」
このみは机の上に置きっぱなしだった問題集を取りに室内へと駆け込む。
このみが床を踏みしめるたびに、散らばったガラスの破片が音を立てた。
「おい、このみ!危ないぞ!」
「でもこのままじゃ、荷物が……!」
「窓を塞がねえと……!」
物置にベニヤ板を置いていたはず。
それでとりあえず応急処置をするしかない。
「このみ、ガラスの破片が飛んでくるから窓には近付くなよ!俺は板とか釘を探してくる!」
「う、うん!」
テメンニグル事件の際、損壊した事務所をとりあえずベニヤ板で補強していた残りが物置にある。
濡れては困る荷物を運び出すこのみをその場に残して、ダンテは物置を目指して階段を駆け下りた。
明かりを付けるのも面倒で、薄暗いリビングを突っ切って物置に入り込む。
以前使ったベニヤ板の残りがそのまま立てかけてあり、近くに金鎚と釘が入ったケースも発見した。
目当てのものがすぐに見つかったことにほっとして、それを取るなりすぐさまこのみの部屋へ引き返す。
中にいたこのみにダンテは声をかけた。
「このみ、お前怪我はしてないな?ちょっと手伝ってくれ」
「わかった!」
部屋に入り込む風圧は存外に強くて、風のない日ならまだしも、窓を覆う程の大きさのベニヤ板を押さえながら釘を打つのはダンテ1人では骨が折れそうだったのだ。
「釘打てるか?俺は板押さえてるから」
「まかせてよ」
ダンテがベニヤ板で窓を塞ぐと、このみは金鎚を持ち、板の周りを手早く釘を打ち付けていく。
支えがいらない程に打ち付けた後は、このみの手が届かない上の部分をダンテが代わって打ってやった。
破れたガラス窓を完全に塞いだ頃には、吹き込んできた雨でダンテもこのみも全身びっしょりと濡れていた。
しかもまだ廊下の雨漏りの掃除も残っている。
「このみ、次は廊下の雨漏りを……」
隣にいるこのみにそう言いかけて、ダンテはぎょっとした。
夏場の薄手の生地でできたこのみのパジャマはじっとりと濡れていて、肌の色すら透けて見えるどころか、体のラインまで丸わかりだった。
まさに今のダンテにとっては目の毒。
いつものようにからかう余裕すらなくて、ダンテは理性を振り絞りながらこのみに言った。
「……風邪、引くから……。シャワー浴びて、着替えてこい」
「え?でもまだ掃除が……」
そう言いながら、このみは自分の姿を見下ろした。
「…………ひっ、……」
引きつるような声を上げて真っ赤になるなり、このみは部屋から飛び出して行った。
その後ろ姿を見送ったダンテは、様々な思いを混ぜ込んだ溜め息をつく。
すごく腹が減っている時に、めちゃくちゃ美味そうな料理の写真だけ見せられたような気分だ。
けれど忘れるのも惜しくて、先ほどのこのみの姿を悶々と思い返していたその時、またもや階下でこのみの悲鳴が上がった。
「今度は何だ!?」
二階の廊下から下に向かって叫ぶと、このみの慌てたような声が返ってきた。
「ダンテ、下も雨漏りしてる!ソファーもびしょびしょだよ!」
「なっ……」
リビングは吹き抜けになっているから、一階が雨漏りしていてもおかしくはない。
先ほどベニヤ板を取りに行った際は明かりを点けなかったので、気付かなかったようだ。
「ああ、もう……!とりあえず、バケツだけ置いといてくれ!」
「わ、わかった」
まさかこんなに次から次へと問題が起きるなんて。
「ハリケーンで屋根のどっかが壊れたか……?」
疲れた顔で呟きながら、ダンテはまず二階の廊下の雨漏りをどうにかしようとモップとバケツを手に取った。
とりあえず濡れた床をざっと拭いて、雨漏りが滴る真下にバケツを設置する。
ダンテが二階の作業を終えてリビングの雨漏りに取り掛かった頃に、このみが簡単にシャワーを浴び終えて出てきたので、ダンテは入れ替わるようにしてシャワールームに向かった。
じっとりと肌に張り付く服を脱いでバスタブに入り、浴びるだけのシャワーを済ませる。
ほんの1時間程の間の出来事のはずなのに、何てめまぐるしい。
時刻は夜中の3時ほどだろうか。
乾いた服に着替えて、リビングに置いたバケツが雨受け皿の役割を果たしていることを確認してから、ダンテは二階へ上った。
このみの部屋を覗くと、彼女はまだ部屋に散らばったガラスの掃除をしていた。
「このみ、掃除はもう明日にして寝たら……って、この部屋じゃ無理か。ベッドに破片乗ってるもんな」
「うん……どうしよう」
「俺のベッドで一緒に寝る?」
からかい半分にそう言うと、このみは顔を真っ赤にして首を振った。
「遠慮しますっ!」
肯定の返事など最初から返ってくるはずもないと思っていたけれど、改めて拒否されると内心悔しくて、ダンテは心の中で舌打ちする。
けれどこのみを困らせることはできないから、ダンテはいつもの余裕のある笑みを見せていた。
「……冗談だよ。俺は下で寝るから、このみは俺のベッドで寝な」
「えっ、下のソファーは雨漏りで、使えないでしょ」
「……そうだった」
雨水をすっかり吸い込んだあのソファーは、眠ることはおろか、座ることもできまい。
濡れた巨大なスポンジの上に寝転がるようなものだ。
「なら朝まで下で適当に時間潰してるよ」
「ダンテ、寝ないつもり?だったら、わたしも……」
「だぁめ。お前、明日バイトだろ。寝ないと体もたないぞ」
「でも……」
「でももだってもない。いいからこのみはとっとと寝ろ」
そう言ってこのみの背中を押し、ダンテは自分の部屋のベッドにこのみを押し入れた。
「ダンテ、ごめんね」
「遠慮すんな。俺はいつでも眠れるからな」
「……胸張って言えることじゃないよ」
このみは苦笑しながらシーツを被った。
「そう言えばわたし、一回だけ、ダンテのベッドで寝たことあったよね。なんだか懐かしいな」
「ああ、そんなこともあったな」
出会ってすぐの頃、蝶の群れに襲われて警察署から逃げ帰ってきた日。
気絶するように眠ったこのみを、この部屋に運んだことがあったのだ。
「ふふ、何かダンテの匂いがする気がする」
「おい、嗅ぐなよ」
シーツに鼻を寄せて無邪気に笑うこのみを見ていると、何だか気恥ずかしくてもやもやする。
きちんとシーツはこのみが洗っているから、汗臭いとかそんなことはないと思うけれど。
──っていうか、「ダンテの匂い」って何だ。
識別できるくらいこのみが自分の匂いを覚えているのは、喜ぶべきことなんだろうか。
微妙な表情を浮かべながら、ダンテはこのみの頭を撫でた。
「じゃあ、おやすみ」
「うん」
このみが頷いたのを確認して、ダンテが部屋を出て行こうとしたその時。
未だ勢力の衰えないハリケーンが、唸って大きく窓を揺らした。
それと同時に、背中側の服に感じた小さな抵抗がダンテの足を止める。
振り返って見れば、このみが手を伸ばして、ダンテの服をそっと掴んでいた。
それはこのみにとっても無意識の行動だったのか、驚いたように伸ばした手を眺めた後、慌ててそれを引っ込めた。
「このみ、どうした?」
「な、なんでもない……」
このみは気まずそうに視線を逸らし、向こう側へ寝返りを打った。
そういえば最初の悲鳴の時、何故このみは廊下にいた?
手洗いに起きたとも考えられるが、今の反応を見るに──……
「風の音が怖くて眠れない、とか?」
ぎくり、と音がつきそうな勢いでこのみの肩が揺れた。
このみは嘘をつくこと自体は下手ではないが、指摘されるとすぐにそれと分かるくらい動揺する。
ダンテからすればそこがまた可愛いところなのだが、向こう側を向いているこのみはダンテの含み笑いに気付かないようだ。
「そ、そんなんじゃないもん」
「また何かぶつかって、この部屋の窓も割れるかもなぁ」
「……やめてよう」
震えたような声を出されて、ダンテは口を閉じた。
先程窓を破るほどの強風を目の当たりにしたのだ。
更に風音に怯えていたとしても無理はない。
しばし考えた果てに、ダンテはリビングへ行くことをやめた。
一旦部屋の入り口まで行って明かりを消すと、再びベッドの近くまで戻ってきてこのみに言う。
「……ビビりなこのみのために、俺が添い寝してやろう」
「えっ、ちょっと……!?」
ダンテはベッドに乗り上がり、このみを跨いで窓際の位置に陣取った。
「ここなら窓が割れてもこのみを庇ってやれるな」
にっこりと笑うダンテに二の句が告げず、起き上がったこのみは恐らく真っ赤になっているであろう顔のままパクパクと口を開ける。
「む、むむむむむ無理!」
どもりながらやっと紡ぎ出したのはその言葉だった。
「大丈夫、何にもしないって」
「あああたりまえでしょ!」
このみはベッドから落ちるか落ちないか程の端にすっかり逃げ去っている。
「そんなに心配なら聖水握って寝てろよ」
「………………っ」
このみはパジャマのポケットから小瓶を取り出した。
(……常備してんのか)
ダンテは苦笑する。
が、それも一応男として意識されている証拠なのかもしれない。
警戒心剥き出しのこのみを見ながら、ダンテはゴロリと横になった。
「……というか、俺も夜中に働いて結構眠いんだよ。このみも早く寝ろ」
しばらくそのまま佇んでいたこのみは、やがて諦めたのかシーツに潜り込んできた。
本当に嫌だったら、このタイミングで聖水を使っているはず。
案外自分にも希望はあるのかもしれないとダンテは思うが、さすがに様々な過程をすっ飛ばして手を出すわけにはいかない。
このみはダンテに触れぬよう距離を保って息を詰めた。
ダンテに背を向けて、ベッドの端に横になっているこのみの肩はほっそりとしていて、
あまり眺めていると自分の中の凶悪な何かが鎌首をもたげそうになるのでダンテは目を閉じた。
それでもこのみの気配が間近に感じられて心が騒ぐ。
目を閉じたはいいが、思い出すのは先ほどの濡れたこのみの姿。
手を伸ばせば届く距離に、このみがいるのだと思うと心が震える。
彼女に聖水を使わせることなく強引に組み敷くのは簡単だ。
そうしたい気持ちがないと言えば嘘になるが、もし行動に移せば二度と元の関係に戻れないのは分かりきっている。
心の底から彼女に惚れこんでいなければ、一回の行為で満足できていたかもしれない。
けれどダンテは、このみと過ごす何でもない日常を、一回きりの暴走で失くしたくはなかった。
だから、手は出さない。
静かになった室内に響くのは、吹き荒れる風の音。
このみは当然だが、眠っていないようだった。
たまに外で何かがぶつかるような大きな音がするたびに、その肩が微かに震えて反応するのが、目を閉じていても分かる。
「このみ」
目を開けて名前を呼んでみたが、こちらを振り向こうとはしない。
「怖い?」
尋ねると、ややあってこのみから返答があった。
「……すこし」
その返事を聞いて、ダンテは考える。
そしてふっと笑うと、ベッドの端にいたこのみの方へ体を寄せた。
スプリングが軋む音に、このみはびくりと反応する。
こちらに背を向け、緊張して身を固めるこのみの背中に、胸をくっつけるようにしてダンテは彼女の体を覆う。
片手をこのみの向こう側へ回して、握りしめられていたこのみの拳を開いて手を繋いだ。
手は、出さないけれど。
一緒に寝ていて触れずにいることなんてできない。
背後から抱き締められるような形に、このみは緊張のせいか、恥ずかしさのためか細かく震える。
顔は見えないが、その耳は真っ赤に染まっているようだった。
「ダンテ、ちかい……!あつい……っ」
「うん」
「な、なにもしないって言った……!」
「これ以上はな」
「は、恥ずかしいってば……」
「怖いよりはマシだろ?」
このみの体温を腕に閉じ込めて、満足げにダンテは言う。
ほんの少し湿り気を帯びたこのみの髪が頬に触れて、くすぐったい。
その髪に顔を埋めるようにすれば、このみの香りに包まれているようだった。
「これじゃ、眠れない……っ」
「なら、子守歌でも歌ってやろうか?」
低く笑いながらそう言う。
このみは唸ったり身じろいだりしながら抵抗を続けていたが、何をしても無駄だと悟ったのか、やがてダンテの中で大人しくなった。
そして、囁くように問いかける。
「また……わたしのこと、からかってる?」
「どうかな」
からかうためだけにこんなに近づいたりするはずない。
このみもそれは分かっているだろうに、あえてそんな事を聞くのは、彼女がそう思い込みたいから。
ダンテが曖昧な言葉を吐いたのは、そんなこのみの意を汲んだから。
(いやだ、とは言わないんだな……)
それにここまで近付いてもまだ聖水は使わない。
かなりダンテに対して好感を持っていなければ、このみはここまで触れるのを許しはしないだろう。
さすがにこれ以上は無理だろうけれど。
このみは誰も好きになったりしないと言っていたが、誰だって心を完全にコントロールするのは不可能だ。
この状況を鑑みれば、ダンテはこのみに好かれていると自負してもいいはず。
けれど仮に本気でダンテを好きになったとしても、このみはその気持ちを口にすることはないだろうし、ダンテの想いに応えることもないだろう。
それでも今は──こうして、このみに触れることができるのが、彼女に許してもらえることが嬉しい。
本当はもっと先にいきたい。
この気持ちを伝えて、唇に触れて、このみと一つになりたいと思うけれど、今はこれでいい。
このみは風音が気になってしばらく起きていたようだが、ダンテのぬくもりに包まれて安心したのか、やがて小さな寝息を立てて眠ってしまった。
ダンテに握られていない方の手から聖水の小瓶がこぼれ落ちて、シーツの上に転がる。
溜め息をついたダンテは、その小瓶がベッドから落ちないように枕元へ置いてやった。
(やっぱ警戒心足りてないな、このみは……)
この状況ですやすやと眠ってしまったこのみに感心するような、呆れるような。
寝ている女に無体を働くつもりはないが、ちょっとくらいならいいだろう、と考える自分がいるのも本当だ。
(ちょっと胸触るくらいなら……いや、ダメだ。でも寝てるし……)
腕の中のこのみの柔らかい部分に意識がいくのを必死に自制しながら、ダンテは夜が明けるのを待ったのだった。
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