宴のあと~蜜の残り香~(R18)
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恋戦記は現在一部のお話のみヒロインの名前変換可です薄桜鬼とテニプリは名前変換可、刀剣乱舞はネームレス夢です
恋戦記小説について
現在一部作品のみ名前変換可にしていますが、ヒロインの下の名前「花」が一般名詞でもあるため「花瓶の花」などで巻き込み変換されてしまいます
それでも良い方は変換してお楽しみください。それがダメな方はデフォ名「山田花」でお楽しみください
すみませんが、よろしくお願いいたします
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月の美しいある秋の夜。
本丸の大広間では刀剣男士たち全員が参加する盛大な宴が催されていた。先日行われた江戸城探索の慰労会だ。
広間を埋めるようにずらりと並べられた座敷机の上には、美味しそうなご馳走が置かれて、皆思い思いに舌鼓を打っており、酒飲みの刀は宴が始まるやいなや、日頃の鬱憤を晴らすかのように遠慮なく盃を重ね、既にかなりの量を消費していた。
人の身体を持つ刀剣男士たちは皆よく食べる。常日頃から刃を振るい戦う青年の肉体は、やはりそれなりの量の食事を欲するらしく、それは体格のいい太刀や打刀の男士も、比較的小柄で幼い容姿の短刀の男士も変わらない。
厨房担当たちが張り切って用意してくれた料理を楽しむ彼らを眺めながら、この本丸の審神者たる少女もまた、温かな緑茶を飲んでいた。酒にあまり強くない審神者は、いつもこのような調子だった。たとえ宴席であっても、一切の酒類を口にしない。
しかし、そんな彼女に横手から声がかかる。
「――おや、あなたは呑まないんですか?」
「宗三さん」
審神者の右隣に陣取る宗三左文字だ。
刀剣時代は歴代の最高権力者に侍っていた宗三は、今宵も彼らしい妖艶な笑みを浮かべると、生真面目な審神者に水を向ける。
「せっかくの宴席なのにもったいないですよ。呑みやすいものを持ってこさせましょうか?」
「……持ってこさせる、なんですね」
「当然です」
さすが傾国の名刀、発言がまるでどこかの姫君だ。
しかし、ここは多くの刀剣男士の集う本丸の大宴会場。人手は充分すぎるほどある。審神者の左隣に腰を下ろしていた男士がすかさず、彼女に酒とつまみを差し出した。
「――はい、どうぞ」
「燭台切さん」
この本丸の厨房を歌仙兼定とともに仕切る太刀の刀剣男士、燭台切光忠だ。
「僕お勧めのカクテルとフルーツだよ」
本丸屈指の伊達男に「さあ召し上がれ」とばかりに微笑みかけられて、小心な審神者は圧倒されてしまう。お酒は苦手で頂くなら果物だけがいいのだけど、気圧されて言い出せない。
「え、えっと……」
「フルーツもドリンクも、この日のために僕が用意したんだよ。そんなに強いお酒じゃないから呑んでみてよ」
「……」
厨房担当として頑張ってくれている彼にそこまで言われてしまったら、いくら酒が駄目でも断れない。困ったような笑みを浮かべながら、審神者は燭台切に促されるままグラスを手に取る。
「これはね、カシスのリキュールを炭酸水で割ったものなんだ」
「そうなんですね……」
そうやって説明されても、酒に疎い自分はよくわからない。けれど、燭台切はすかさず味の解説を入れてくる。
「そんなに強くないし、甘くて飲みやすいと思うよ」
磨かれたグラスには、美しく澄んだ暗赤色の液体が注がれていた。氷が浮かべられてストローが刺さってはいるものの、それはどう見てもジュースではなく酒だった。
けれど、ここまで来たら引き返せない。
「……それじゃあ、いただきます」
意を決して、審神者はグラスに口をつける。しかし、最初の一口が喉を通るやいなや、彼女は満面の笑みを浮かべた。
「……美味しいですね!」
甘い果実の味のする炭酸水は、意外なほどに飲みやすかった。安堵した様子の審神者に、燭台切もまたほっとしたように息を吐く。
「気に入ってもらえてよかった。じゃあこっちはどうかな」
酒好きの燭台切に、審神者は別のものを勧められる。
おつまみのカットフルーツだ。オレンジにイチゴにブドウなど様々な種類の瑞々しい果物が、大皿に美しく盛りつけてある。
常日頃ここまでの量の果物にお目にかかることはない、審神者は感嘆のため息を漏らす。
「すごい……! 美味しそうですね」
さっぱりとした果物は箸休めにもちょうど良く、審神者はさっそく手を伸ばした。
今口にしている果物も含めた、今回の宴会の料理や飲み物を手配したのは、燭台切に歌仙兼定を始めとした、当本丸の優秀な厨房担当たちだ。特に今回は酒席ということもあり、燭台切が中心となって準備したと聞いている。
「……とっても美味しいです。さすがは燭台切さんですね」
「喜んでもらえて嬉しいよ。このフルーツはね……」
この日のために自分が張り切って用意した料理や酒の蘊蓄を、燭台切は生き生きと審神者に話して聞かせる。審神者は相槌を打ちながら、彼に勧められるままに酒やつまみに手を伸ばす。
準備してくれた人の思い入れや苦労話を聞きながらだと、感謝の念もよりいっそう深くなり、いつも以上に食が進む。
審神者の隣の宗三左文字も、いつの間にか大量の酒と料理をたいらげていた。彼の近くにさりげなく並べられ、積まれている空のグラスや皿の数の多さに、審神者は驚嘆してしまう。青年の姿をした男士の中ではかなり細い部類なのに、とても意外だ。
(……すごい。ごはんもお酒も美味しいからかな)
宗三は平素と変わらぬ気だるげな様子で、脇に控える手伝いの式神を呼ぶと、空いた皿を片付けるように命じた。そして、自分を凝視する審神者に流し目を送った。
「……そんなに見つめて、僕をどうするつもりです?」
美しい彼にからかわれ、審神者はつい慌ててしまう。
「す、すみません……」
「構いませんよ。食べる量を驚かれるのはいつものことです」
「宗三くんは本当によく食べるもんね」
燭台切は料理し甲斐があるよと続けると、困ったように笑う。
「ええ、僕はよく食べる籠の鳥……」
宗三の返しに困る冗談に、審神者は思わず瞳を泳がせる。
「……えっと……」
しかしすぐに、宗三の美しい指先が審神者の頬に伸ばされて、審神者は強引に彼の方を向かされる。
「どうしたんです? ここは笑うところですよ」
審神者の頬を両手で挟み、宗三は彼女の顔を覗き込むようにしながら、左右で色の違う瞳を細めて嫣然と微笑む。まるで恋人同士のような振る舞いだけど、ここは大勢の男士たちのいる酒の席。
「――やめなよ宗三くん。主はみんなのものだよ」
すかさず妨害が入り、宗三は渋々引き下がる。
「仕方がないですね……」
「燭台切さん…… 私はものじゃないですよ……」
宗三を牽制し、審神者を救ったのは燭台切だった。
宗三の口説きは酒席でよくある色めいた冗談だったけど、すぐに引き下がってくれた彼と、釘を刺してくれた燭台切に感謝をしながら、審神者は別の男士を思い出す。
そう。一座の隅で仲間に混じってちびちびと洋酒を口にしている、へし切長谷部だ。この本丸の近侍であり、そして審神者のたった一振りの文字通りの愛する刀。
他の男士に何と言われようとも、彼女にとって男女の愛を交わせるのは、長谷部ただ一人だけだった。今は離れた場所にいる彼を心の内で想いながらも、審神者はすぐ隣にいた燭台切や宗三たちと夜更けまで宴席を楽しんだ。
「……っ、やっぱりなんだか、ふらふらします」
宴のあと。案の定というべきか、審神者はすっかり呑みすぎていた。不自然なほどに身体が熱く、強い眠気と怠さに襲われて足元もおぼつかない。
立ち歩くことすらままならない審神者は、広間を出てすぐの廊下でへたり込んでいた。この様子では、本丸の奥にある自室まで辿り着けるかもわからない。
「――大丈夫かよ、大将」
審神者の異変を見つけて慌てた様子でやってきたのは、短刀の薬研藤四郎だった。この本丸の頼れる保険医でもある彼の手には、グラスに入った水と粉薬らしきものがあった。
「珍しく呑んでると思ってたら、案の定だな。ほら薬だ」
「……ありがとうございます」
薬研から水と薬を渡されて礼を言うと、審神者はすぐにそれを煽った。ひと息に飲み干すと、苦いといった様子で顔をしかめる。
そんな彼女に、すぐそばにいた燭台切が声をかける。
「僕が勧めすぎちゃったね……。本当にごめん」
燭台切はその野性味のある風貌には似合わず、とても心の優しい男士だった。そんな彼はどうやら、審神者の深酒は自分のせいだと思っている様子で、彼女を心配そうに見つめながら、こんなことを申し出てきた。
「今日は僕が部屋まで送るよ。こんな君を放っておけないし」
しかし、彼の言葉に甘えるわけにはいかない審神者は、恐縮しつつも言葉を濁した。
「いえ、そんな……」
確かに普段呑まない酒を口にしたのは燭台切に勧められたからだけど、こんなことになっているのは自分の見通しの甘さのせいだ。
それに、仕方のない成り行きとはいえ、泥酔し足元も覚束ない状態で、他の男士を部屋に上げてしまうのは、恋人の長谷部に申し訳なかった。
何と言って断ろうかと、その場に座り込んだまま審神者が呻吟していると、おもむろに燭台切が彼女の隣に膝をつく。
「……大丈夫? そんなに気持ち悪いの?」
俯いた顔を覗き込まれるように尋ねられて、審神者は深酒とは別の理由で顔を赤くする。
あと数センチで唇が触れ合ってしまいそうな近い距離で、本丸きっての伊達男と視線がぶつかってしまったら、もう平静ではいられない。
たとえ自分にその気がなくとも、燭台切がその気になれば唇くらい容易く奪われてしまいそうで、審神者は動揺に瞳を伏せると、消え入りそうな声でつぶやく。
「……だ、大丈夫です」
「そう? じゃあ、背中さすってあげるよ」
「えっ……?」
燭台切はとても優しくてよく気がつく男士だ。彼にとっては弱っている女の子をいたわるなど、当たり前のことなのだろう。
けれどこれはさすがに、不自然なのではないだろうか。ここまで優しくされてしまうと、変な勘違いをしそうになる。
強引に酒を勧められて酔わされて、恋人同士の距離で介抱されて、
部屋まで送ると言う彼の言葉に甘えてしまったら、自分はどうなってしまうのだろう。
今の燭台切であれば自分をていよく丸め込み、部屋に上がり込むくらいのことはしそうだ。そうしたら、今の違和感を覚えるほどに積極的な彼と、密室で二人きりとなるわけで……。
燭台切に背中をさすられながら、審神者は妙な空想に囚われる。
普段は手袋をしている燭台切だったが、今は外していた。恋人の長谷部の手とは違う、大きくて骨ばった男の手に薄着の背中を何度もさすられて、審神者はますます落ち着かない心持ちになる。
(……どうしよう。なんとかしてお断りしないと……)
自分に恋人がいなければ喜べたかもしれないけど、嫉妬深く独占欲の強い愛刀のことを思えば、燭台切の不自然なほどの親切をこれ以上受けるわけにはいかなかった。
やましいことなんてなくても、彼は気にするだろうから。
幸いにもこの場には自分と燭台切の他に薬研がいた。
第三者の目があれば燭台切も自重するだろうと踏んで、審神者は大人しくされるがままになっていたが。肝心の頼みの綱は厄介ごとはごめんだとばかりに、自分たちから距離を取った。
「……あー、もう大丈夫みてぇだな。俺っちはもう退散するぜ。ちゃんと休めよ、大将」
伊達男の色気にあてられたのか、単にいたたまれなくなったのか、頼れる保険医は逃げるように去ってしまった。
(薬研さん……! 見捨てないでください…!)
審神者は心の内で叫ぶが、彼を責めても詮無いことだ。
しかし、救世主は意外なところからやってきた。偶然通りかかった日本号が、雰囲気をぶち壊すような野次を飛ばす。
「おっ色男、やってるな~~」
赤ら顔の日本号はすっかり出来上がっている様子で、わかりやすい軽口を叩く。
「おい、あんた気をつけろよ。うかうかしてると料理されちまうぞ」
品のない茶々を入れられて、さすがの燭台切も自重する気が起きたのか。
「……そんなんじゃないよ」
軽く苦笑すると、審神者の背をさするのをやめ、立ち上がる。
「日本号さん……」
年かさの男士にからかわれ、審神者は恥じ入った。一応は職場の飲み会なのに、気を緩めてしまった自分に後悔しきりだ。
すると、そのとき。ようやく騒ぎに気がついたのか、この本丸の近侍がやってきた。
「――お前たち、何をしている」
「……あ、長谷部くん」
「お、今度は近侍殿のお出ましか」
長谷部は「お前たちはどうでもいい」とばかりに、燭台切と日本号の呼びかけを黙殺すると、いまだその場にへたりこむ審神者の腕を取り、強引に立たせた。
彼女を自分のかたわらに引き寄せ、主に燭台切から距離を取る。
まるで貴婦人を守ろうとする騎士のような振る舞いに、審神者は酔って火照った頬をさらに赤く染めてしまう。
長谷部とは確かに隠れて付き合ってはいるけれど、他の男士たちの前でいかにもなことをされると、恥ずかしくなってしまう。
「大丈夫ですか。先ほどの宴席では、随分と酒が進んでいる様子でしたので、心配しておりました」
「ごめんなさい……」
「お身体の具合が悪いのでしたら、近侍の俺が、部屋までお連れいたします」
心なしか「近侍の俺」を強調する長谷部に、審神者はいたたまれない気持ちになる。どう考えても燭台切に対する牽制だ。
長谷部にこんなことをさせてしまい、審神者は改めて自分の脇の甘さを悔やんだ。長谷部に対しても燭台切に対しても、申し訳ない気持ちでいっぱいだ。
「長谷部…… あの……」
「――おいお前たち、戻っていいぞ」
よほど虫の居所が悪いのか、長谷部は審神者の言葉すら取り合わず、仲間二人に冷たく言い放つ。
けれど、長谷部のこの態度はいつものことだ。相手によっては喧嘩に発展してもおかしくはないこの素っ気なさも、すっかり慣れてしまった二人は気にも留めない。
「へ~い」
堅物な長谷部が元々苦手な日本号は、いかにも面白くなさそうに退散する。これ以上この場にいても面倒な思いをするだけだと判断したのだろう。
「ははっ、長谷部くんには敵わないな……。それじゃあふたりとも、おやすみ」
燭台切もまた瞳を細めて苦笑すると、名残惜しそうに踵を返した。
「――まったく……油断も隙もないな」
それぞれの刀剣部屋に戻る二人の背を剣呑な瞳で見送りながら、長谷部は憎々しげに舌打ちをする。
「え?」
「……何でもありません。それでは参りますよ、捕まってください」
そう言うやいなや、長谷部は審神者の返事を待たずに、彼女をさっと抱え上げてしまう。いわゆるお姫様抱っこだ。他の男にさらわれる前に、自分がさらってしまおうということなのだろうか。
「っ……!」
スタンドカラーのシャツ越しでもわかるほどの厚い胸板、普段とは違う濃厚な酒の匂いを纏った長谷部に、審神者の心臓が跳ねる。
とはいえ、生真面目な長谷部とアルコールという組み合わせは、一見不似合いなようでいて、その実、意外なほどに不調和の妙を感じさせてしまうから不思議だ。俗な欲求とは無縁に思える潔癖な彼の仮面の下の、素顔を垣間見たような心持ちになる。
この本丸で酒席が設けられることなどそうなく、長谷部が飲酒の痕跡を残したまま、審神者のもとにやってくることもなかったから、あまりにも新鮮な状況に審神者は動揺を隠せずにいた。
胸の鼓動はうるさいほどで、それはきっと自分を抱き上げている長谷部にも伝わっている。
「……ちゃんと捕まってください。これでは落としてしまいます」
藤色の瞳を細めて笑みを浮かべる長谷部に、子供を諭すように注意され、審神者はますます恐縮する。今日は格好の悪いことばかりだ。本当はもっとしっかりしなければいけないのに。
「……ごめんなさい」
「俺の首の後ろに手を回して、しっかり身体を寄せてください。そうすれば安定しますので」
「え、ええ……」
けれど、こうやって誰かにお姫様抱っこをしてもらう機会などそうはない。
先ほどは気恥ずかしさで慌ててしまったけど、ようやく冷静さを取り戻した審神者は、長谷部に促されるまま彼の首の後ろに手を回し、ぎゅっとしがみついた。長谷部の身体に審神者の胸の膨らみが、形が変わるほど押しつけられる。
けれど遠慮は無用だ。本丸の皆に隠れて交際をしている二人。その付き合いの期間は長く、身体を重ねた回数は数えきれないほどで。だから他の男士を相手にするときとは違い、長谷部に対してだけは触れ合いに遠慮はいらない。
自分に抱きつく審神者を見おろして、長谷部は満足げな笑みを浮かべる。
「……それでは、参りますよ」
宴のあとの本丸は不思議なくらいに静まり返っていた。他の男士たちはもう眠ってしまったのだろうか。人の気配のない夜更けの本丸に、板張りの廊下のきしむ音だけがいやに大きく響く。
長谷部は審神者を抱き上げたまましばらく歩みを進めると、ある部屋の前で立ち止まった。そこは審神者の私室ではなく、長谷部の刀剣部屋の前だ。
「長谷部……?」
てっきり自分の部屋に連れて行ってもらえると思っていた審神者は訝るが、長谷部は黙ったまま足で障子を空け部屋に入って行く。
いくら彼女を姫抱きにして両手が塞がっているとはいえ、自らの主人であり恋人でもある審神者の前で、長谷部がこのような雑な面を見せるのは珍しい。
けれど、先ほどからずっと。審神者は平素とは違う彼の荒々しい振る舞いに胸をときめかせていた。
自分の前ではいつもきちんとしている風だけど、本当は足癖も悪く血の気も多くて、粗野なことを知っている。自分に対する敬語だって、よく聞いていると雑で適当だ。
しかし、そんなところも。彼に恋する審神者にとっては、好ましい男らしさに映っていた。
けれど、今宵の彼はやはり様子がおかしかった。審神者の目から見てもわかるほどに機嫌が悪い。
「……今宵はこちらでよろしいでしょう。介抱なら、俺が存分にして差し上げますよ」
口の端だけを上げて薄い笑みを浮かべる長谷部に、審神者の背をぞくりとしたものが駆け抜ける。言葉の優しさとは裏腹に、彼の瞳は冷たく不穏な光を帯びていた。
しかし、心当たりのある審神者は、頷くことしかできず、彼の腕に抱かれたまま、奥の寝所に連れて行かれてしまう。
「……ねぇ長谷部、もしかして怒ってる?」
自分を敷布の上に寝かせて膝立ちになり、手袋を脱ぎ捨てシャツのボタンを外す長谷部に、ようやく審神者は尋ねかける。
「……なぜです?」
「なんとなく……」
「ははっ、さすがは俺のあなただ。俺のことなら何でもおわかりになる……」
不穏さを隠そうともせずに、そんな言葉を口にして、長谷部は白いシャツを脱ぎ、敷布のほど近くに投げ捨てた。いつもよりずっと乱暴なその所作に、審神者は息を呑む。
長谷部がこれほどまでにあっさりと自分の怒りを認めるのは、それだけ強い憤りを抱えているということだ。プライドの高い彼は、自分の中の悪感情をなかなか認めようとはしない。
けれど、先ほどの燭台切とのやりとりを思えば、長谷部が激怒するのも仕方がないと思われた。
「……思い知らされて苦しくなっただけですよ。俺にとってのあなたはかけがえのない、ただ一人のお方ですが、あなたにとっての俺はそうじゃない……。いくら契りを結んだとしても、俺などではあなたの全てを自分だけのものにするなんて、できないんだってね……」
「長谷部……」
長谷部が何を責めているのかは、火を見るより明らかだった。
自分としては同じ職場で働く仲間に愛想よく接しただけのつもりでも、やはり不安にさせてしまったのだろう。
特に燭台切に介抱されていたときのことなどは弁解の余地もなく、審神者は素直に謝罪の言葉を口にする。
「長谷部…… ごめんなさい……」
すると彼は驚いたように目を見張ると、藤色の瞳を細めて、彼が敵を屠るときに見せる酷薄な笑みを浮かべた。
「謝るということは、ご自身のふたごころをお認めになると?」
「えっ……!?」
ふたごころは浮気心という意味だ。謝罪をそのように受け取られるとは思わず、審神者は狼狽えてしまう。
「長谷部、何言ってるの……? 燭台切さんのことなら……」
「……冗談ですよ」
動揺と焦りに瞳を揺らす審神者とは対照的に、長谷部は飄々とした様子で喉を鳴らして笑った。
「一度言ってみたかったんです。女の悋気は……と言いますが、
男の悋気というものも、それ以上に恐ろしいものですね」
審神者の長い髪の毛のひとふさを手に取り、長谷部は恭しく口づける。まるで女主人に忠誠を誓う騎士のようなその仕草。けれど、彼のわざとらしい振る舞いに審神者は身体を強張らせる。
日頃の恭順さは微塵もなく、ただただ凄みと威圧感ばかりを放つ愛刀に、言葉を返せない。それどころか、ぞっとするほど冷たく笑う美しい藤の瞳に、審神者は呼吸を忘れてしまう。
そう、男の嫉妬は恐ろしいものだ。女のそれなどよりもずっと、どす黒く破壊的で。けれどそのような感情を、彼に教えてしまったのは……。
「ねぇ主。それを俺に教えてくれたのは、他でもないあなたなんですよ……」
どことなく空恐ろしさすら感じさせる、吐息交じりの囁き声を聞きながら、審神者は長い睫毛をそっと伏せる。
「だから責任を取ってくださいね」そう言わんばかりの長谷部に、濡れた唇を指先だけでなぞられて、審神者は肉体の最奥を熱くした。
愛する男から今まさに加えられようとしている淫らな罰への期待は、薄手の室内着だけを身に着けた彼女の無防備な肉体に、いとも容易く火をつける。
燻る熾火のような小さなそれは、あっと思う間もなく勢いを増し、審神者の身体の隅々にまで行き渡る。炎の回りはあまりにも早く、逃れることなど叶わない。
いつもそうだ。長谷部の極上の愛撫は、あっけないほど簡単に、審神者の無防備な肉体を愛欲の世界へとさらってしまう。
長谷部の指先は審神者の顔の輪郭をゆっくりと辿ると、そのまま下へと降りて行く。細い首筋に鎖骨の浮いた胸元を通り過ぎ、やがて審神者の上衣に長谷部の指がかかる。
勿体をつけてゆっくりと、まるで何かを煽るかのように、長谷部は審神者の上衣のボタンを外してゆく。先ほどまでの乱雑な所作とは違う、不自然なほどに丁寧な長谷部の振る舞いに、ただならぬ雰囲気を感じ取り、審神者はごくりと喉を鳴らす。
近侍としては優秀で隙のない振る舞いを見せる長谷部だが、恋人としてはどうしようもないほどの不安定さを抱えていた。
その来歴からくるあまりにも根深い心の傷は、プライドの高い彼を病ませてあまりあるものであり、愛の営為のさなかにあっても、長谷部は自らの主人である審神者に対し、剥き出しの昏い情念を容赦なくぶつけ、罪悪感を煽り、自分に対して母や姉のような愛情を惜しみなく注いでくれる彼女を、下から支配しようとしていた。
しかしそのような精神のバランスを欠いたところも、彼に恋する審神者にとっては、たまらなく愛しいところだった。
膝立ちになり半裸の自分を見おろす長谷部に、審神者は心の内で囁きかける。
(愛してるわ…… 私の長谷部……)
あまりにも素直な愛の言葉だ。けれど、彼女の唇に乗らぬそれが、長谷部に伝わることは決してない。
やがて、審神者の顔の傍らに長谷部がそっと腕をつき、確かな口づけの気配を察した審神者は、今度こそ本当に瞳を閉じた。
重ねられた薄い唇から伝わる濃厚な洋酒の香りに、審神者たる彼女の肉体は淫らな蜜を滴らせ、その内側では情欲の炎がいよいよ激しく燃え上がる。
……嫉妬に蝕まれた恋人は、今宵はどんな貌を見せてくれるのだろう。
***
灯りを落とした薄闇の中で一糸纏わぬ姿となった審神者は、情人たる長谷部と深い口づけを交わしていた。
互いの舌を絡ませるそれは、長谷部の身体に残る宴の余韻を、審神者にまざまざと伝えてくる。
辛く苦く、それでいて彼女が思わず眉を顰めてしまうほどに強い洋酒の味は、まるで今の長谷部の胸中を表しているかのようだ。
酒の苦手な審神者にとって、それは心地よいものではなかったが、愛する彼が口にした酒に酔わされるのであれば、審神者にとっては本望だった。
先ほどの宴席でも本当は燭台切や宗三たちではなく、長谷部と一緒にいたかった。彼のそばで同じものを食べ、他愛ない話をして笑いあいたかった。
燭台切たちも仲間として大事に思っているけれど、自分にとっての一番はやはり長谷部で、異性としての愛を捧げられるのは、彼以外にはいないのだ。
長谷部と口づけを交わしながら、審神者は改めてそんな想いを深くする。
……この気持ちを長谷部に伝えてしまえば、きっと彼は安堵する。
いまだ癒えぬ傷をその胸に抱え、不安定になりがちな長谷部のことを思えば、彼を愛する恋人としては、気持ちをきちんと言葉にして、彼を安心させてやるべきなのだろう。
けれど、そうしてしまったら。自分がこうやって強く求められることも、きっとなくなってしまう。そんな危惧を抱く審神者は、決して彼に本心を伝えようとはしなかった。
もしかしたら長谷部よりも自分の方が、誰かに深く愛されて必要とされることを、求めているのかもしれない。
不安定な長谷部との、まるで刃の切っ先をなぞるような情交のさなか、審神者は不意に彼よりも自分の方が、その胸の奥に仄暗い欠落を抱えているのではないかと夢想する。
それはまるで、深い海の底にある虚ろな洞穴のような……。