現パロ文花
名前変換設定
恋戦記は現在一部のお話のみヒロインの名前変換可です薄桜鬼とテニプリは名前変換可、刀剣乱舞はネームレス夢です
恋戦記小説について
現在一部作品のみ名前変換可にしていますが、ヒロインの下の名前「花」が一般名詞でもあるため「花瓶の花」などで巻き込み変換されてしまいます
それでも良い方は変換してお楽しみください。それがダメな方はデフォ名「山田花」でお楽しみください
すみませんが、よろしくお願いいたします
.
ご利用の端末、あるいはブラウザ設定では夢小説機能をご利用になることができません。
古いスマートフォン端末や、一部ブラウザのプライベートブラウジング機能をご利用の際は、機能に制限が掛かることがございます。
咲き誇る満開の桜を背景に今日もまた、曹孟徳は意中の女性を口説いていた。
「――花ちゃん、綺麗な桜だね。でも、桜より君の方がずっと綺麗だから……」
「孟徳さん」
しかし、この花という少女。実は孟徳の部下の妻となる予定の女性なのである。
「常務っ……! あなたというお方はいつもいつも……!」
女性と見れば見境のない己の上司のもう何度目かの悪行を見咎めて、荀文若は今まさに花に触れようとする孟徳の手を掴んで止めた。そう、彼こそが孟徳の部下にして花の夫となる予定の男であった。
「おい、邪魔するなよ文若。そして手を離せ。俺は男と手を繋ぐ趣味はないぞ」
「私とて好き好んであなたの手を掴んでいるのではありません! 常務! もう何度も申し上げておりますが、花は私の妻になる予定の者です。お戯れであればどうぞ他所でなさってくださいますよう」
「諦めろ文若。それほど大切な女を俺に会わせてしまった己の愚かさを悔やむんだな」
毎度毎度の口喧嘩。けれど、曹孟徳ともあろう男が部下のひとりに諭されたところで、今更己の振る舞いを変えるわけもない。
その程度のことで矯正できる女癖であれば、その夫を目の前にして人妻に手を出そうとするはずもないのだ。
まさに手の施しようもなければ救いもない。盗人猛々しいとはこのことで、孟徳は得意げな笑みを浮かべて胸を張った。
「そんなに大事なら箱にでも入れてしまっておけ。ま、お前じゃどうせ無理だろうがな」
「っ、人道にもとる行いです! そんなことを出来るわけがないでしょう! 常務、いい加減に……!」
なおも自分に追いすがる文若をスルーして、孟徳はレジャーシートの上の弁当に手を伸ばした。そのまま勝手にどう見ても手作りにしか見えないサンドイッチを掴み、無断で食した。
「ん~おいしい! 花ちゃん、このサンドイッチすっごく美味しいよ。これも君が作ったの? さすがだね。お料理の上手い子ってやっぱりいいね。すごく魅力的だよ」
「孟徳さん、それを作ったのは文若さんです……」
「え?」
「あと、孟徳さんが本当に好きなのは、お仕事のできる子だと思いますよ。女性にしておくのがもったいないくらいの」
一息にそこまで口にして、花は己の夫に視線を送る。曹孟徳という男も大概ろくでもなかったが、彼が今まさに口説かんとしている花という少女も、その思い切りの良さでは負けていない。
彼女もまたその素直で図太い性格をいかんなく発揮し、自分に向けられたありがた迷惑な好意の矛先をあらぬ方角に捻じ曲げようとしていた。そう。彼の部下であり己の夫、荀文若の方にである。
付き合いも長くなってしまったから、夫の上司の真の女の好みくらいよく存じ上げている花である。
孟徳の真の女性の好みは色気のある年上や人妻などではなく、ましてやお料理上手な女の子であるはずもない。この男の本当の好みは有能な人間なのだ。そして口説き文句は「俺のところで働け」である。
優秀な人材ならなんぼおっても構いませんからねとばかりに、ピンときた人間を見境なく口説きまくって、なし崩しに自陣に加えていたのは今は昔。もちろん花もまた、そんな孟徳の毒牙にかかった者のひとりであった。
花は特に意味もなく己の夫をじっと見つめた。しかし、今のこのタイミングこの文脈で愛しい妻に見つめられても、まったくもって嬉しくない文若である。
彼はごくりと唾を飲み込み冷や汗をたらしながら、何かよからぬことを主張したいらしい妻の意思を確かめた。
「……花、確かに私は料理も仕事も真面目にやるが、お前は一体何が言いたい」
「いえ、孟徳さんと文若さんはお似合いだなあって……」
「なっ……!」
しかし。文若の呻きを遮って、悲鳴にも似た絶叫を上げたのは孟徳の方だった。
「――やめてよ花ちゃん! 俺はこんな小言の多い石頭なんて絶対に嫌だよ! 家に帰ってまで小言の嵐なんて絶対に嫌だ!」
文若に求婚されたわけでもないのに、孟徳は芝居ががった大袈裟な口調で文若を拒否してみせた。しかし、文若もまた全力で孟徳を拒絶する。
「私も同感だ! 女性に関してはまるで見境のない、この男を夫にするなど愚の骨頂だ! どんなに仕事の面で秀でていても絶対にありえない。この男と比べれば追いはぎの方がはるかに品行方正だ! 花、そもそも私は男であり、恋愛対象は女性に限っている。私の妻となる予定のお前はそれを理解しているのか」
どさくさに紛れて、己の上司を散々に罵倒する文若だったが、孟徳はその悪口を一切否定せず、花に対して詰め寄った。
「そうだよ、花ちゃん。俺だって恋愛の対象は女性だけだよ。君は俺と文若に一体何を求めているの?」
『孟徳さん、追いはぎより品性下劣は否定しなくていいんですか』
花は一瞬そんなことを思うが、さすがに今このタイミングでそんな発言をしても有害無益と判じたのか、年に似合わぬ大人びた微笑みを浮かべると。
「冗談ですよ。なんでそんなにムキになるんですか、お二人とも」
「……冗談? 本当に? 本当にただの冗談なの?」
明るく朗らかなふりをして病的に疑り深い孟徳は、花の真意を探るべく彼女の瞳を覗き込もうとしてきた。
このときの孟徳に下心はなかったはずだが、ぐっと身を乗り出してきた孟徳の上体が花に過剰に接近した。それはまるで口づけの前触れかのようで。
「常務! あなたというお方は! いい加減になさってくださいとあれほど……!」
さすがにこれは許容できない。ついにこらえ切れなくなった文若は花の腕を強く引き、彼女を自分の背後に隠してしまった。
「怒るなよ。シャレが分からない男はモテないぞ」
己の部下のまるで幼い少年のような振る舞いに苦笑する孟徳だったが、文若にとっては呑気に笑っている場合ではない。
このままなし崩しに愛する妻をこの山賊に寝取られてしまってはたまらない。文若はもはや花見どころではなく、妻のセコムに多忙を極めていた。
今日も今日とて、文若と花の逢引きはひたすらに騒がしかった。約一名の招かれざる客のせいでデート感は全くなく、この調子では花との甘い触れ合いを望むのは事実上不可能であった。
妻との時間を今日も邪魔され、文若は次第に腹が立ってくるが、相手が孟徳ではどうしようもなかった。
やがて文若と花と孟徳の三人は持参した弁当を食べ終わる。ところが、やにわに陽が陰り少し風が出てきた。花は寒そうに己を抱きしめると不安げに空を見上げた。
「……少し、曇ってきましたね」
「花ちゃん、寒いなら俺の上着貸すよ」
相変わらず驚異的な手の早さである。孟徳はすかさず上着を脱ぎ、花の肩にかけようとしたが、そこは彼女のセコムであり夫であり孟徳の部下でもある文若の面目躍如である。
「常務にお寒い思いをさせるわけにはいきません。おい花、私のストールを使え」
あくまでも王佐の立場を貫きながら上司を無理やり押しのけて、文若は鞄の中に隠し持っていた大判のストールを花の上半身に巻きつけた。
「お前はいつも薄着すぎるぞ。外にいるときくらい暖かくしろ」
いたわりながらも小言を口にする文若に、孟徳は自分の上着を手にしたまま唇を尖らせる。
「何だよ文若。女の子なんだから外でオシャレくらいしたいだろ。ね、花ちゃん」
「いえ、私は別に……」
「女心のわからない朴念仁といても、つまらないよねえ。ほら、花ちゃん。こっちにおいで。俺の隣なら風も当たらないよ」
「常務を風よけにするわけにはまいりません。花、こちらに来い。私の陰に座っていろ」
「ひゃっ」
追いはぎのような己の上司に出し抜かれるその前に、文若は花を己の背後にかばった。
「常務。重ね重ねお伝えしておりますが、花は私の婚約者という立場の者です。ゆえに」
「だから、冗談だって言ってるだろ? 頭の固い奴だな」
「そのような冗談は笑えません。石頭で結構ですので、私の花には金輪際手出し無用でお願い申し上げます」
「……ちっ」
いつにも増して押しの強い部下に、孟徳は賊らしく舌打ちをすると。ようやく獲物を諦めたのか自ら脱いだ上着を仕方なしに羽織った。ちょうど、そのとき。
「――おい、孟徳! すまんがもう時間だ。一緒に来てくれ」
少し離れたところから、大股歩きでこちらにやってきたのは。孟徳のセーフティードライバーを務める夏侯元譲であった。隙あらば業務をさぼって文若をいじり倒そうとする孟徳の回収にやってきたのだ。
孟徳は彼の姿を目にするや、肩を竦めてため息を吐く。
「仕方がないなあ」
「……え、孟徳さん、帰られるんですか?」
「うん。ごめんね。今日は今から会議があるんだ」
「そうなんですか……」
孟徳は確かに花と文若の甘い時間を邪魔する存在ではあるけれど、愛すべきムードメーカーでもある。そんな彼がこの場を去ってしまうのだ。花はついうっかりしょんぼりとしてしまう。
彼女の隣でガッツポーズを決めているその御夫君をなるべく視界に入れぬようにして、曹孟徳は大人の男らしい微苦笑を浮かべると。
「そんなにがっかりしないでよ、花ちゃん。勘違いしそうになる。それじゃあまたね。……おい文若! 俺の大事な花ちゃんをちゃんとエスコートするんだぞ」
相変わらず突っ込みどころしかない台詞を残して、孟徳は元譲に伴われてこの場を後にした。
***
孟徳が仕事に戻ってから。花と文若は二人連れだって川沿いに咲く桜並木を眺めながら、のんびりと歩いていた。
ビジネス街にほど近いこのあたりもまた有名な桜の名所で、花と文若たち以外にも大勢の花見客で賑わっていた。
人混みではぐれてしまわないように、花は文若に寄り添って歩く。さりげなく文若の腕に自分の腕を絡ませて、彼と腕を組むようにしている花の姿は、まるで立派な夫君のそばに控える細君のようだ。
かもしだされる熟年夫婦感に胸やけがしそうだが、実はこの二人まだ入籍もすませていない、女子大生と社会人カップルなのである。
「ったく、いつもいつも……。一体常務は何がしたくて私と花に付きまとうのか」
「……そうですね」
口をへの字に曲げて不平を漏らす夫ではなく彼氏に花は苦笑を返すが。花はその理由に察しがついている。
孟徳は文若が好きで好きで仕方がないのだ。おそらくは。孟徳の真の意味でのお目当ては、自分ではなく文若なのだろうとずっと思っている花だった。口に出すと文若と孟徳の双方から文句を言われるから黙っているけど。
暑苦しく鬱陶しい上司が去ってようやく人心地がついたのか、文若は不意に柔らかな笑みをこぼすと花にちらりと視線をやった。
「やっと二人きりになれたな、花」
「そうですね。文若さん……」
ゆるく腕を組みながら人混みの中を歩いているから、いつまでも見つめ合っているわけにいかない。
文若は周囲にさりげなく目配りをしながらも、まるでトンネルのように自分たちの頭上を彩る美しい桜の木々を話題にした。
「美しい桜並木だな。外回りでこのあたりを通ることがしばしばあってな。ずっとここの桜が満開の花を咲かせるのを、ゆっくり見てみたいと思っていた」
ビジネス街の川沿いにある、およそ電車数駅分もの距離がある長い桜並木。ここは観光名所でもあったが、同時にデートスポットでもあった。
「だからこそ、今日お前とここを歩けて嬉しく思う。……今日は私たちの桜記念日だな」
「文若さん」
生真面目で堅物で恋愛ごとには疎そうなのに、かわいらしい記念日を制定してくれた文若に、花は感激する。こうやって、優しい彼と一緒に二人だけの思い出を増やしていきたい。これからもずっと。
「……私も嬉しいです。文若さんとこんなふうにお花見できて」
「喜んでもらえたなら良かった。花、もう少しこのあたりを歩いてみるか。川沿いにずっと桜が咲いているのだ」
「はい……!」
数駅にわたって続く長い桜並木を、文若と花は腕を組んでゆっくりと歩いた。
「……文若さん、綺麗ですね」
「ああ、そうだな」
本日はお花見日和の好天だった。いっとき日が陰ったこともあったが、それもすぐに持ち直し、降り注ぐ春の日差しは温かく、そよぐ風も心地よかった。胸いっぱいに深呼吸をすると満ち足りた気持ちになれる。
そして、頭上に咲く桜は息を呑むほどに美しい。文若はおもむろに口を開いた。
「こういったものも昔は無駄だと切り捨てていたが……。お前と二人で過ごすようになって、良さがわかるようになってきた」
桜の花の可憐な美しさも、街明かりの煌めくような美しさも。花に恋をしてようやく理解できるようになった文若だった。彼はこほんと咳ばらいをすると。
「花、この川沿いになぜこんなにも多くの桜が植えられているか、お前は知っているか?」
「いえ、わからないです」
単に綺麗だから以外の理由があるのだろうか。花は小首をかしげる。文若は得意げに教えてくれた。デートの予習で花を楽しませるために仕入れた豆知識。
「水害の予防だ。桜が多く植えてあれば花見客も大勢やって来るだろう。その者たちに川沿いの地面を踏みしめさせて地盤を固くするのだ」
「なるほど……。じゃあ私たちのお花見も水害の予防になっているんですね」
「そういうことだ。美しい景色を楽しみながら人々の役に立てるなら何よりだな」
そう口にして、文若は柔らかく微笑んだ。誰かの役に立てることを心から喜んでいるその横顔は、花の一番好きな文若の表情だ。
またしても惚れ直してしまった。花は恥じらいに頬を染め、長い睫毛を伏せた。
「……花」
おもむろに、文若はそんな彼女の名前を呼ぶ。
「お前は私の妻になる予定の者だ。それに間違いはないな」
「……は、はい。もちろんです」
急にどうしたのだろう。花は不思議に思って文若を見上げるが、文若はいたって真面目な表情で彼女に釘を刺した。
「であれば、あまり常務に親切にするものではない。あの方が所用で我々のそばを離れるときも、笑顔で送り出せ。がっかりした顔をするな。無用な誤解を招く」
「文若さん……。焼きもちを妬いてくれたんですか?」
「……ち、違う! 私はただ他の男に気を持たせるような言動は慎めと言ったのだ。かわいらしいお前があのような振る舞いをすればあらぬ誤解を招く危険がある。男というものは些細なことで勘違いをするどうしようもない生き物だからな」
文若にそこまで口にされて、花はようやく先ほどの孟徳の発言の真意を理解する。
『――そんなにがっかりしないでよ、花ちゃん。勘違いしそうになる。それじゃあまたね』
あのときの孟徳は珍しく年相応に大人びた微苦笑を浮かべていたけど、まさかそういうことだったなんて。花は慌てて文若に対して頭を下げる。
「……すみません、文若さん。気がつきませんでした。そんなつもりはなかったんですけど」
「ああ、わかっている。お前は性根が素直だからな、心のままを口にしただけなのだろう。……だが、これからは気をつけてくれ。特に常務に対しては、どんなに気をつけても気をつけすぎることはない。わかったな」
「文若さん……」
英語の文章問題でしか出てこないような言い回しに、花は笑いそうになってしまう。しかし、それにしても。
(文若さんは、孟徳さんのことを一体何だと思ってるんだろう)
その疑念の答えは、いまだ晴れることがない。
やがて、歩みを進めていくうちに見知った人と出会った。
「――あら、花に文若殿!」
「芙蓉姫!」
「久しぶりね。元気そうでよかったわ、花。……文若殿もお久しぶりです」
芙蓉という彼女は花の昔馴染みのご令嬢である。かつては同じ学園の先輩後輩の間柄だった二人だが、こうして会うのも久しぶりらしい。
芙蓉は令嬢然とした優雅な笑みを浮かべると、おもむろに花の頬をつんと小突いた。
「それにしても、花。……まさかあなたが文若殿とこんなことになるなんてね」
「え?」
「でも、文若殿なら安心ね! 真面目そうだし、彼氏にするにも夫にするにもすごく良さそう! 玄徳先輩も孔明殿も文若殿なら安心だって言ってたわ。優良物件、捕まえたじゃない!」
芙蓉に玄徳や孔明の名前を出されて、花は懐かしい気持ちになる。文若や孟徳たちと親しくなるにつれ疎遠になってしまったが、彼らもまた芙蓉と同じく大切な昔馴染みだった。
しかし、問題は文若についてだ。本人の目の前でお酒の入った女子会でするような話題はさすがにしないで欲しかった。
「芙蓉姫、そんな言い方は……!」
「ふふ、冗談よ。花、お幸せにね。……文若殿も失礼しました」
「……いや、構わない」
「それじゃあ花、また今度ね! 文若殿もごきげんよう」
しかし、さすがは令嬢の貫禄である。芙蓉は堂々たる笑みを浮かべると、ひらりと手を振り、花と文若の二人に別れを告げて並木道を歩いて行ってしまった。
まるで可憐な嵐のような芙蓉に、花は文若と顔を見合わせると、淡く苦笑する。
そこそこの距離を歩いていたら少し疲れてしまった。その後、休憩がてらに入ったカフェのテラス席で、花は感嘆の声を上げていた。
「わぁ、すごい……! 綺麗ですね……!」
お堀沿いというか川沿いの喫茶店だから、目の前は川だ。向こう岸にもまた、こちら側と同じく美しい桜並木が見える。
花たちの目の前に横たわる街中を流れているにしては大きなその川には、何艘もの手漕ぎボートが浮かべられていた。希望すれば舟遊びを楽しむこともできる。
「このあたりでは有名な喫茶店らしくてな。ちょうど今の時期は平日でも混んでいて、入店を断られることもあるのだが、空いていて良かったな」
川沿いの桜を眺めながらホットの茉莉花茶を口にしている文若が、そんなことを教えてくれた。
「そうですね……」
花はジェラートを口に運びながら相槌を打つ。降り注ぐ春の日差しにそよぐ風が心地よい。川の向こうで咲き誇る桜も美しく、この時期のテラス席はやはり最高だ。
このあたりはすぐ近くを線路が通っているらしく、ときおり電車が地上を走る音が耳に届く。どこの路線だろうと花は電車の姿を探したが、するとボートに乗って遊んでいるカップルが視界に入ってきた。さすが目の前が川なだけある。
「……ボートもすごく楽しそうですね」
「乗らんぞ」
「文若さん」
「お前が何と言おうと、あれだけはダメだ。絶対に乗らんからな」
「まだ、何も言ってないですよ……」
実は文若は泳げないのだ。学生の頃は孟徳にそれを散々ネタにされ、面白半分で池に突き落とされたこともある。
「もう、文若さんは」
いい大人のはずなのにすっかり意固地になっている。仕方のない人だ。そんなところも好きなんだけど。
しかし。口を曲げて黙り込んでしまった文若のご機嫌を直すために、花は別の話題を探した。すると、ちょうどおあつらえむきに。先ほど文若に買ってもらったジェラートが目に入る。
「あ! そうだ、文若さん」
「何だ」
「このジェラート、とっても美味しいんですよ!」
「そうか、よかったな」
「……っ! そうですね、よかったんですけど」
「何だ、どうかしたのか?」
恋人同士としてのお付き合いを続けて多少は改善されてきたものの。堅物で朴念仁の彼だから、ここぞというときにはハッキリ言わないと伝わらない。
「文若さんにもおすそ分けしてあげます! はい、どうぞっ!」
花はジェラートをスプーンですくって、文若の口元に持っていった。いわゆる『はい、あーん』というやつだ。
なかなか恥ずかしいが、デート中だというのにすっかり黙り込んでしまった文若に元気を取り戻してもらうためには仕方がない。
「っ、なっ……! 花、お前は……!」
まさか急にそんなことをされるとは思わなかったのか、文若は目を見開いて頬を染めるが、花はそんな文若が面白くなってしまう。
もっと大胆なことだって何度もしているのに、こんなことでうろたえてしまうのが生真面目な彼らしい。誰よりもかわいくて愛おしい、花の大切な人だ。
「もう、早くしてください。文若さん! ジェラートが溶けてしまいます!」
言葉のあやではなく本当に。溶けかかった一口分のジェラートがスプーンから落ちかかっている。文若はハッとした様子で、口を開けて食べようとするが。
「そうだな、すまな…… ではない! 何を言っているんだお前は! 腐ってもここは天下の往来…… ではなく公共の場だ! 人目がある場所でこんなことはできん!」
「はーい……」
やはりというべきか、堅物の彼に怒られてしまった。花は諦めて自分でジェラートを食べる。けれど、場の空気を変えるという当初の目的は達したから、これでよしとしよう。
やはり学生の自分と違って文若は社会人だから、恥や外聞を気にするのかもしれない。と言うとまるで自分が恥知らずみたいだけど、そうではないはずだ。
しかし、花が「はい、あーん」を素直に諦めたにも関わらず、文若はまだぶつぶつ言っていた。
「どうかしたんですか? 文若さん」
「ったくお前は、いつもいつも私を驚かすようなことばかり」
「すみません。なんだか、つい」
文若を見ていると、からかいたくなってしまうのだ。どんなに常識はずれなことを言ってもこの人なら、真面目に受け止めてくれそうという期待と信頼があるから。ここにきて孟徳の気持ちがわかりかけてしまう花だった。
けれど、文若はまだモゴモゴと何か言っている。
「……花。その、お前は」
「?」
「先ほどは随分手馴れていたが……。以前からこうやって、他の男どもに『はい、あーん』などということをして、いたのか……?」
最後は消え入りそうだった。生真面目な恋人をからかっていたら、あらぬ誤解をされてしまい花は慌てる。頬を染めて申し開きをした。
「ま、まさか! そんなわけないじゃないですか! 文若さんだからですよ……。こんなこと文若さんにしか、したことないです……」
「本当、か……?」
「本当ですよ! おかしな疑いをかけないでください」
真面目な男をからかうものではない、花は痛感した。しかし、幸いなことに文若は花の言い訳を素直に信じてくれたようだ。穏やかな安堵の笑みを浮かべると。
「そうか、ならば構わない。……しかし、花」
「え?」
「……先ほどの『はいあーん』とやら、二人きりの場所であれば、私もやぶさかではないぞ」
「文若さん」
「のちほど、場所を移してからであれば。お前の熱意溢れる要望にも、応えられるやもしれん」
この台詞を孟徳が聞いたら、きっと腹を抱えて大笑いしていたはずだ。けれど、この場に孟徳はおらず、いるのは花だけだから。
「はい、わかりました。よろしくお願いします! 文若さん」
「ああ。こちらこそよろしく頼む」
何を言っているのかというやりとりだったが、これが生真面目な二人の日常だった。
***
そして、お花見散歩を終えてから、文若と花は文若のマンションに戻ってきた。すると。
「っ、これは……!」
「すごいですね……」
孟徳から贈り物が届いていた。内容は豪華なお菓子セットだ。日持ちのするマカロンやマドレーヌにスコーン。そして文若の好きなお茶屋さんの茶葉など、二人では食べきれない量に飲み切れない量のものが届いていた。
多いなんてものじゃない。お家で素敵なカフェが開けそうだ。送り状には本日のお花見のお弁当のお礼が流れるように美しい筆跡で書かれていた。
「これは常務ご本人の字だな。間違いない」
孟徳とは長年の付き合いの文若が太鼓判を押す。文若お手製のサンドイッチを少しつまんだだけなのに、借りを作りたくないのか孟徳はやけに律儀だった。
「すごいですね、孟徳さんは……」
まるでデパートの外商からお薦めを聞いて、それをとりあえず全部買ってみましたというような贈り物の仕方だ。しかし、文若は大きなため息を吐く。
「……大は小を兼ねるというが、常務の場合はそれどころではない。人が驚くような物量で圧倒するのがお好きなのだ」
「な、なるほど……」
確かに今この瞬間も大量のお菓子に圧倒されている。けれど、孟徳が選んだだけあって品物自体は素敵なものばかりだ。日持ちするものが中心で、それは取っておけばいいから。
とはいえ、早くしないと賞味期限が来てしまう。文若と花の二人はさっそくお菓子を頂くことにした。文若がお茶を淹れて、花がお菓子の用意をする。そして念願の……。
「――文若さん、はいあーん」
「ああ、頂こう」
あーんとはさすがに言わないが、花が差し出したスプーンから文若はゼリーを食べた。
「……うまいな。ありがとう、花」
「孟徳さんのチョイスがいいんですよ」
「それもあるが、お前と一緒に食べる茶菓子はやはり特別にうまいのだ」
「文若さん」
「これからもずっと、私とともにいてくれ、花。またこうして茶を飲んで菓子を食べてゆるやかな時を過ごそう」
「はい、もちろんです……」
時々ちょっとずれたところもあるけど、生真面目で優しい年上の彼氏である文若が花は大好きだ。これからもずっと二人仲良くいられますように。いつか本当の夫婦になってからも、ずっと……。
そんなことを願いながら、花もまた美味しい茶菓子を口に運んだのだった。