現パロ文花
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待ち合わせ場所にやってきた恋人の姿を目にして、荀文若は目尻を下げて柔らかく微笑んだ。
「……似合っているぞ、花。やはり私の見立ては間違っていなかった」
「……ありがとうございます。文若さん」
彼に褒められた花もまた、嬉しそうなはにかみ笑顔を浮かべる。
今日、花が着ている浴衣は文若が選んだものだった。白地に淡いくすみピンクのひなげし。センスのよい落ち着いた色味は文若の好みが反映されている。
浴衣は着ている本人は暑くて大変だけど、見栄えは良い。夏ならではの素敵なお洒落だ。今日はふたりで夏祭りに行く予定だった。
お祭り会場まで歩みを進めながら、ふと文若は自分の隣を歩く花を見つめた。
今日の花は珍しく髪をアップにまとめていて、キラキラとしたガラスビーズの髪飾りをつけていた。
女性らしい細い首筋のすっきりとした美しさ。
適度に抜かれた衣紋から覗く白いうなじも、色っぽくて見とれてしまう。後れ毛もまた、えもいわれぬ色香だった。
(……和装というだけで、ここまで印象が変わるものなのだな)
普段の洋服よりも露出度は大幅に下がっているのに、色気は上がっているから不思議だ。もしかしたら洋服よりも和服の方が好みかもしれない。
「……そのような装いも、風情があってよいな」
「そうですよね、浴衣っていいですよね」
「……私は浴衣ではなく、浴衣を着たお前を褒めたつもりだったんだがな」
「えっ……!」
花は頬を染めて文若を見上げる。照れたような驚いたようなその表情は可愛くて、文若まで気恥ずかしくなってしまう。
初心な彼女につられてしまった。文若はこほんと咳払いして話題をそらす。
「その程度のことで顔を赤くするんじゃない。まったくお前は……」
「す、すみません……。なんだか、すごく嬉しくて……」
服装を褒められることくらい、かわいらしい花であればよくあることのはずなのに。自分に対してだけはこうやって素直な反応を返してくれるのが嬉しい。
浴衣の裾を気にして、花は内股でちょこちょこと歩いていた。
浴衣を含めた和装は裾すぼまりが美しいとされている。
洋装の場合は大きめの歩幅で颯爽と歩くのが美しいけど、和装の場合はそのような歩き方をすると裾が広がって着崩れしてしまう。花の歩みは自然と遅くなりがちだった。
そんな彼女とはぐれてしまわないように、文若は花の手を取る。
「……ほら、今日は手をつないで行くぞ」
「はいっ」
これなら同じペースで歩けるから安心だ。ふたりで手を繋いでしばらく歩くと、お祭り会場の屋台やのぼりが見えてきた。
*
今日二人が訪れた夏祭りは地元の商店街が主催する伝統ある大規模なものだ。
地元の名店が屋台やキッチンカーを出しているため美味しいものが多く、数百円で有名店の絶品グルメが楽しめる。
そのため遠方からこの夏祭りにやって来る人々も多く、祭りの参加者は毎年多い。
しかし、花が欲しがったのはフルーツ飴などの甘味だった。
文若は自分用に冷茶を、花のためにいちご飴とりんご飴をひとつずつ買い求める。
「ありがとうございます! 文若さん」
「いや、構わない。向こうで頂くとするか」
「はいっ!」
夏祭りの会場をりんご飴といちご飴を手に歩く、浴衣姿の花はとても絵になる。フルーツ飴はちょっとしたファッションアイテムのようだ。
多くの人で賑わう祭り会場だけど、文若の目には花だけがひときわ輝いて見えていた。浴衣姿の子は他にもいるけれど、花しか目に入らない。
自分が選んだ浴衣を着て夏祭りを楽しんでいる、かわいい恋人。くすんだピンクのロマンチックな花柄が、彼女の無垢な魅力を引き立てている。
いつの間にか日が傾いて、夏の青空に朱赤と濃紺が混じり始める。屋台の黄みを帯びたオレンジの照明があたりを照らして、どこからか祭り囃子が聞こえてきた。
いよいよ祭りも本番だ。
喧騒から少し離れた川沿いの土手。文若と花はここに腰を落ち着けて、先ほど屋台で購入したものを口に運んでいた。
「いちご飴すごくおいしいです!」
「そうか、良かったな」
花が食べているいちご飴は、練乳のかかった冷凍いちごをキャンディコートしたものだ。
パリパリとした飴は甘くて美味しくて、冷凍いちごのひんやりとした冷たさもまるでシャーベットのようだった。
甘酸っぱいいちごに練乳と飴の甘さが足されて、そのまま食べるより美味しい気がする。
「文若さんもいちご食べませんか?」
「ああ、一口もらおうか」
花はいちご飴を文若の口元に差し出して、文若は当然のことのようにそれをぱくりと食べる。
いわゆる「はい、あーん」なんだけど、文若は意外なほどに堂々としていて、花の方が恥ずかしくなってしまった。なんだかまるで餌付けのようで。
しかし、そんな花の心の内はいざ知らず。文若は淡々とグルメレポートをしてくれた。
「……なかなかだな。飴と練乳の甘みがいちごの甘酸っぱさととよく合って、こんなに美味いのなら流行るのもよくわかる」
フルーツ飴は以前、人気ドラマで主演女優が食べたことをきっかけに流行り出したものだ。
文若はいちごを咀嚼して飲み込むと、満足げな笑みを浮かべて指先で口元をぬぐった。
野性味のあるその仕草にドキリとしてしまった花は、思わず瞳を泳がせた。
好きな人が何かを食べる姿が、こんなに色っぽいなんて知らなかった。なんだか恥ずかしくて、直視できない。
それにしても。
いちご飴を食べ終えた文若は改めてあたりを見回すと、夏祭りの雰囲気を噛みしめる。
人の多い屋外で蒸し暑くハードな環境だけど、とても楽しい。今まで夏は暑いから好きじゃなかったけど、祭り会場の非日常の空気は好ましいと思える。
夜が深まり風が出てきた。活気のある祭り会場を吹き抜ける夏の夜風は爽やかで心地よい。
まだ学生の頃。孟徳に無理やり連れ出されて参加した夏祭りでは、蒸し暑さと人混みにうんざりして自分一人でさっさと帰ってしまったくらいなのに。
花と一緒にいられるなら、いつまででもこの場にいたいとさえ思う。
遠くから聞こえてくる祭り囃子。高揚した空気に、此岸と彼岸の境が溶けあう。
まるで夢のような非現実。あまりにも楽しいから、この夜がずっと終わらないで欲しい。
喧騒から少し離れた河原。ここにも人はいるけど皆自分たちのことに夢中で、わざわざこちらを注視している人なんていないから。
「……花、口元に飴の破片がついているぞ、ほら」
「え?」
文若は花の口元を指先でぬぐってから、そのままの流れで彼女の唇に自身の唇をそっと重ねた。
「――っ!!」
先ほど食べたいちご飴を彼女の唇から味わう。
人の多い屋外でこのようなことをしたのは初めてだった。
以前は外でむやみに女性とベタベタする孟徳に怒ってばかりだったけど、ここにきてようやく彼の気持ちがわかった気がする。
夏祭りの会場で浴衣姿の恋人とキスをする。今この場でしかできない思い出作りだ。
思いのほか浮かれているのかもしれない。花と一緒にいられるだけで嬉しくて楽しい。
一度だけのつもりだったのに、もっと欲しくなってしまって。気がつくと文若は再び、花と唇を重ねていた。
ほんの少し触れ合うだけの軽い口づけで済ますつもりだったのに、角度を変えて何度も彼女を求める。
「……ぶ、ん……じゃく……さん……」
口づけの合間に花に困ったように名前を呼ばれるが、文若にとってはただのご褒美でしかない。
ここが屋外でなければこのまま彼女を押し倒してしまえるのに。そんなことを口惜しく思いながらも、文若は花の身体をぐっと引き寄せる。
「っ…… あっ……」
「花……」
花の柔らかな唇は、文若にとっては極上の甘味だ。
夏祭りの会場からほんの少しだけ離れた河原。周囲に濃厚な人の気配を感じなら、花の身体を貪るのは格別だった。
唇を触れさせるだけなら、ほんの少し舌を入れるだけなら……。
かわいらしい恋人の肉体を手放すことができずに。文若の行為が少しずつ、しかし確実に大胆になってゆく。
「だ、め……です…… ぶん、じゃく…… さ……」
「……大丈夫だ、誰も見ていない」
恥ずかしがって逃げようとする花をなだめて、文若は彼女を腕の中に閉じこめる。
あと少し、あと少しだけ……。無防備で初心な彼女をほんの少しからかって遊ぶつもりが、ついうっかり。心の導火線に火がついてしまった。
じりじりと追い上げられて、超えてはならない一線を踏み越えてしまいたくなるけど。さすがにこの場所で、これ以上先に進むわけにはいかないから。
文若は己の欲望を抑え込んで、花の身体を開放してやった。
「……ぶ、文若さん」
花は真っ赤な顔で驚いている。ハトが豆鉄砲を食ったようなその反応が面白くて、文若は思わず笑みをこぼしてしまう。
「お前の百面相は相変わらず愉快だな」
「ゆ、愉快って……!」
「……すまないな。見境をなくしてしまった」
「っ!」
「嫌、だったか……?」
「嫌じゃない……です。でも、文若さんは、外でこういうことはしないって…… 思ってたから……」
びっくりしました。動揺と羞恥に瞳を揺らして消え入りそうな声で囁く花に、文若は柔らかく微笑みかけた。
「祭りの夜だからな。……特別だ」
「っ……!」
あれほどまでに大胆な口づけをしておいて、そんな一言で片付けてしまうなんて、ずるいと思う。
けれど「なんで、あんなことしたんですか?」なんて、改めて理由を尋ねるのも気が引けて。
すっかり恥ずかしくなってしまった花は文若から視線を逸らした。特に意味もなく自分の正面の川の水面を見つめる。
さっきのあれは、まるで愛の営みになだれこむ直前のような濃厚な口づけだった。
「…………」
花はさきほどの文若との行為を反芻する。周りに人がいる屋外で、あんなふうに乱れてしまったのは初めてだった。
彼の腕の中で濃厚な口づけを受けながら、はしたなく感じてしまって……。
文若は「大丈夫だ。誰も見ていない」なんて言っていたけど、もし知り合いに見られていたら恥ずかしくて生きていけない。
生真面目で堅物だけど、文若はただ単に職務に忠実なだけで、本当はとても人間らしい感情のある人だ。
すごく情熱的で、彼は意外なほど良き恋人でもある。
「あ、の…… 文若さ……」
「……たまには構わんだろう。ほんの少し羽目を外すのも」
己のしたことを開き直る、淫らな熱がにじんだ文若のぶっきらぼうな囁きに、花は罪深さすら感じてしまう。
(さっきのあれは、ほんの少しなんかじゃないよ……)
この人と犯すひと夏の過ちは、いったいどれほど甘美なのだろう。文若本人が過ちとは無縁だからこそ、花はそんな空想に耽ってしまう。
まるで真夏の夜の夢のようだ。胸が高鳴って、のぼせ上がってしまった。
あの口づけは二人だけの秘密だ。愛しき共犯者の姿を花はこっそりと盗み見る。
すっきりとした綺麗な横顔。蒸し暑さで汗のにじんだ素肌にはりつく前髪が色っぽい。
さきほどまでのやり取りのせいで、花の視線は文若の唇に吸い寄せられてしまう。薄くて男らしい、愛しいかたち。
こんな文若を目にするのは初めてな気がする。普段の彼は外回りよりエアコンの効いた室内で書類仕事をしているほうが似合う人だから。
特に意味もなく、花は文若の横顔を見つめ続けていた。
すると。
「――おっ、やっぱりお前だったか、文若」
不意に背後から声が聞こえて、文若と花は驚いて振り返った。
「常務……」
「孟徳さん……」
「花ちゃんも、こんばんは」
お祭り限定の派手なTシャツに同柄のうちわ。そして左手にはおあつらえ向きの缶ビール。そこには、いかにもお祭りを楽しんでいそうな孟徳がいた。
あたりはもう薄暗いのに孟徳は目元を隠すための色の付いた眼鏡をしている。
先ほどのやりとりを見られていたのではないかと花は焦るが。孟徳はいつも通りの鷹揚とした態度で、花は自身の神経質さに心の内で苦笑する。
すっかり恋人に似てしまった。
「花ちゃん、浴衣かわいいね。似合ってるよ」
女性とみるや抜け目ない。孟徳はさっそく花を褒めてくれた。ほとんど習慣になっているのだろう。孟徳にとってこの程度はただの挨拶でしかない。
「その柄はひなげしかな。大人っぽくて素敵だね。普段の君のチョイスと少し違うから、誰かに選んでもらったのかな」
「えっ……!」
さすがの勘の良さだ。花は頬を染めてうろたえるが、孟徳はご満悦だ。
「花ちゃんは素直でかわいいな〜。はい、正直者にはこれプレゼント。お祭り限定のうちわ、かわいいでしょ」
「あ、ありがとうございます……」
「いいのいいの。俺うちわは使わないし」
「そうですか……」
体よくいらない手荷物を押し付けただけだった。花は苦笑いをする。
でもこれはこれで、孟徳なりの気遣いなのかもしれない。花の負担にならないように。
相変わらず自由奔放な孟徳に文若は呆れ顔だった。小さく咳払いをして、己の存在をアピールする。
「常務、いらしてたんですね」
そう声を掛けられてようやく、孟徳は文若に向き直った。
「……ず、い、ぶ、ん、と、夏祭りを満喫してるようじゃないか、文若。俺が昔誘ってやったときは人ごみがどうとか言ってすぐに帰ったくせに、今日は楽しそうにしやがって」
「昔と今は、状況が違いますので」
花に対しては砂糖菓子より甘くて情熱的なのに、孟徳に対してはあくまでもそっけない対応を貫く文若だ。孟徳に隙を見せたら何がおきるかわからないから。
さきほどの口づけの最中の文若と、今の孟徳をあしらっている文若の落差に、花は胸をときめかせていた。
けれど、今まさに適当にあしらわれている孟徳はおかんむりだ。
「ふん! 調子のいい奴め!」
しかし、孟徳はめげなかった。文若が無理と見るや花に狙いを変えてくる。
「……でもまぁ、こんなにかわいい彼女と一緒なら長居したくもなるか」
「えっ?」
「ね、花ちゃん。せっかくだし記念に写真撮ってあげよっか」
「写真、ですか……?」
「常務!」
「勘違いするなよ、文若。別に俺のスマホで撮るわけじゃない。彼女のスマホで数枚他撮りするだけだ。……ね、花ちゃん。君のスマホで文若とのツーショット撮ってあげるよ、それならいいでしょ?」
そんな言い方をされてしまえば断る方が難しい。結局花は孟徳に写真撮影をお願いすることにした。
「――うん! 我ながら上手く撮れたな! はい、花ちゃん。スマホどうぞ」
「あ、ありがとうございます。孟徳さん」
撮影後。スマホの受け渡しで孟徳と花の距離が不意に近づく。何もないとはわかっていても、文若はなんとなくソワソワとしてしまう。
花を疑っているわけではない。孟徳が信用ならないのだ。
彼お得意の『お前の奥さん寝取ったって言ったらどうする?』なんて冗談も『私に妻がいる』場合は笑えない。
しかし、孟徳はよほど花と離れがたいようで。ポケットからハンカチを取り出すと、彼女のこめかみをそっと抑えた。
「花ちゃん。汗、大丈夫? お化粧崩れないように気をつけないと」
孟徳と花の距離がさらに縮まり、さすがの文若も動揺する。孟徳の所作はまさに紳士そのもので、文若は孟徳と己との差を思い知らされる。
そんなことは撮影の前にやればいいのに、なぜ今になってとも思うが。スマホを返すときに気がついたのかもしれない。あたりはもう薄暗いから。
花もまた孟徳との距離が縮まって動揺しているようだ。
「っ、すみません、孟徳さん…… ハンカチ洗って返します」
「いいのいいの、気にしないで」
そう口にして、ハンカチをポケットにしまった孟徳は、改めて笑みを浮かべると。
「それじゃあね、花ちゃん。お祭り楽しんで。……文若! お前はちゃんと彼女をエスコートするんだぞ!」
最後に文若に特大の釘を刺して、孟徳はさっさとその場を後にしてしまった。
相変わらず孟徳は気ままで、それでいて嵐のようだ。過ぎ去った後始末を請け負うのはいつも自分たち。
「……相変わらず、自由なお方だ」
「そうですね……」
しかし、彼の背中を見送りながら文若は心の中で反省する。
汗をふくのではなく抑えるというやり方があるなんて知らなかった。
女性の場合は顔周りの汗をごしごしとふいたら化粧が崩れるから、そうならないように優しく抑えるのだ。
これからは自分も気をつけよう。孟徳のようにはなれずとも、大切な恋人をきちんと気遣ってやれる男にならなくては。
「……ちょっと、びっくりしちゃいました。孟徳さんはやっぱり、よく気がつく方ですね」
「女性が相手となると見境のないお方だからな……。それよりも花、先ほど撮った写真を見せてくれるか?」
「あっはい、どうぞ」
さっきの孟徳との一件を気にしているのか、文若に対して言い訳めいた言葉を口にしてくる花に、言外に気にしていないと伝えてから。
文若は花に孟徳が撮った写真を見せてもらった。
花のスマホに表示されている、りんご飴を持って微笑む浴衣姿の彼女とその隣でかすかな笑みを浮かべる己。
背景には祭りの屋台や人混みが写り込んで、賑やかな雰囲気がよく出ており、SNS映えしそうないい写真だった。
特別な加工はしていないはずなのに、孟徳の写真は意外なほどに上手かった。
「わぁ、すごい……。孟徳さん、写真がお上手なんですね」
花に水を向けられて。けれど、浴衣姿のかわいい恋人しか目に入っていない文若は、うっかり口を滑らせてしまう。
「映りがいいのは被写体が良いからだろう。写真がご趣味というのは聞いたことがないからな」
「えっ?」
「……何でもない。背景の雰囲気が良いからだろうな」
「そうですね! お祭りって感じしますもんね!」
無邪気な花は文若の間接的な褒め言葉には気づいていないようで、にこにこと笑った。花の鈍感さに文若は胸をなでおろす。
*
ふたりでお祭り会場を散策していたら、すっかり日が落ちてしまった。
花はおもむろにバッグからスマホを取り出して何かを確認すると、文若に声をかけてきた。
「文若さん!」
「なんだ?」
「もうそろそろなので、こっちに来てください!」
花に手を引かれて、文若はお祭り会場の人混みを縫うように歩く。
しばらく歩いて人波を抜けると石畳の階段が現れた。花は文若と手を繋いだまま、その階段をためらいなく登り始める。
「花、この上に何かあるのか?」
「何かあるんです。楽しみにしててください!」
祭りの喧騒からも離れていて、周りに人はほとんどいない。階段を登るたびに花の下駄がカラコロという足音をたてる。
階段を登り切ってたどり着いたのは、見晴らしのいい高台だった。
薄暗くて静かな場所だ。普段は公園として使われているのだろうか。大きな広場があり、街路樹のような木々がぽつぽつと植えられている。
祭りの屋台も街灯もなかったが、そこにはすでに幾人もの人々が集まってきていた。皆、何かを待っているようだ。
「このようなところに公園があったとはな……」
「……あ、文若さん! 孟徳さんたちいましたよ!」
「常務が……?」
花の視線の先。さりげなくいい場所を陣取っている馴染みの面々がいた。
「――ふたりとも、やっと来たね」
「――おお、やっと来たか、お前たち」
「常務、元譲殿……!」
孟徳の手には缶チューハイ、元譲の手にはペットボトルの麦茶がある。
元譲は孟徳の腹心の部下にして従兄弟で、孟徳の昔からの馴染みだ。ふたりは仕事以外でも一緒にいることが多い。
元譲も孟徳と同じようなカジュアルな装いで、プライベートなのは明らかだった。
文若は改めて彼らに尋ねる。
「なぜ、お二人がこのようなところに……」
「なんだよ、花ちゃんから教わってないのか?」
缶チューハイを飲みながら面倒くさそうに答えたのは孟徳だ。そんな彼を横目に元譲が補足する。
「もうすぐ花火が始まる。だから場所取りをしていた」
「花火?」
「あーこら、なんでバラすんだよ。元譲」
「別にもったいぶるようなことでもないだろう。……ふたりとも早く来い。そろそろ始まるぞ」
「行きましょう! 文若さん」
その数分後。
ひゅるる……という大きな音とともに夜空に一筋の煙が上がると、周囲の見物客がにわかにざわめいて。
大音響の破裂音とともに、漆黒の夜空に大輪の華が咲いた。打ち上げ花火だ。暗かった周囲がその瞬間、昼間のように明るくなる。
まるで競い合うかのように、あるいは畳みかけるかのように、次々と打ち上がっていく炎の華。
連続して響き渡る大音響、天上でカラフルな火花が散りバチバチと雷鳴のような音を立てる。
思いのほか近くで上がっているのか、空を覆うほどに打ち上がったいくつもの花火は、まるでこちらに迫りくるかのような迫力だ。
「わぁ……! 綺麗ですね……!」
「そうだな……」
ちょうど風下の位置にいた。花火の熱された燃え殻や熱い灰が、こちら目がけて降り落ちてくる。
ほんの少し手を伸ばせば、長く尾を引きながら落ちてくる花火のオレンジの炎にすら触れてしまいそうな近さだった。
生々しい炎の熱さ、焼け焦げた灰の匂い。
熱帯夜がさらなる熱を帯びて、周囲の観客たちが悲鳴のような歓声を上げる。
不意に。隣に立つ孟徳に小突かれて、文若は彼の方を見た。孟徳は口を動かして何かを伝えようとしてくる。
(て、を、つ、な、げ)
そして、孟徳は花火に夢中になっている様子の花を指差す。
ちょうどおあつらえむきに元譲、孟徳、文若、花の順に横一列に並んでいたが。
さすがの文若も知り合いの隣でラブシーンを繰り広げる気にはなれない。
「無理です」
「やらんなら俺がやるぞ」
だから早くしろ、とばかりに。孟徳は文若に蹴りを入れてきた。
「……っ!!」
既に酒が回っているのか。孟徳はいつも以上に容赦がない。
花と手をつなぐのがイヤなわけではない。むしろ、愛しい花と触れ合えるのはすごく嬉しい。
けれど、やはり知り合いの隣でそんなことをするのは抵抗があるのだ。
しかし、何もせずにいたら孟徳から再び蹴られてしまった。同時に真横から感じる睨みつけるような強い視線。
かくなる上は仕方がない。
文若は意を決して半歩横にずれると、さりげなく花に寄りそった。そして……。
「……っ!!」
文若が花の手を握った瞬間。驚いてしまったのか花はびくりと身体を震わせたが、それは最初だけで。
素直で心優しい花は、まるで当たり前のことのように文若の手を握り返してきた。
文若が恐る恐る彼女の方を見ると、そこには。頬を染めて嬉しそうに文若を見上げる花がいた。
花火よりも彼女のほうがずっと綺麗だ、だなんて。昔から女性に縁のなかった自分が、そのような感慨にふける日が来るなんて思わなかった。
花は文若と目を合わせてから、自分たちの正面上方に視線を戻すと、文若の方に半歩ほどずれてきた。花と文若の身体がぴったりとくっつく。
身を寄せ合って、寄り添い合って花と二人で見上げる打ち上げ花火。先ほどからずっと繋がれたままの手。
孟徳と元譲の存在など、文若はもう気にならなくなっていた。
この夜が永遠に続けばいいのに。美しい花火を見つめながら、文若は過ぎゆく夏をただ惜しんでいた。
*
「シャワー浴びてスッキリしました!」
「……そうか」
打ち上げ花火を見終えて、人混みに揉まれながら帰宅して。文若は己の部屋でパジャマ姿で寛ぐ花の姿に、なんとなく不思議な気持ちになっていた。
文若の家に戻ってきてすぐ、花はさっさとシャワーを浴びて着替えてしまった。
脱ぎ捨てられた浴衣に帯は、きちんと畳まれてネットに入れられ洗濯機に放り込まれている。
女性の浴衣が洗濯機で洗えるなんて知らなかった。着付けで腰回りにタオルを巻いてわざと寸胴に見せるというテクニックも。
タオルと紐でぐるぐる巻きになっている花はボンレスハムのようだった。
夢を壊されたとは思っていない。現実など元よりそのようなものだと知っている。美しい白鳥も水面下では必死に足をバタつかせているのだ。
それにしても。パジャマ姿の花はいつ見てもかわいらしい。
まだ湿っている髪も艶めいていて、てきぱきと二人分の冷たい緑茶を用意して、祭りで買ったりんご飴を切り分けている姿も、さすがの手際の良さだ。
「文若さん、お茶にしませんか? りんご飴もありますよ!」
「ああ、頂こう」
そう答えてから。文若は花を手伝うために立ち上がる。
今日は頑張ってくれてありがとう。あとで花にそう伝えようと決意を新たにする文若だった。
*
◆前日談
夏が苦手だ。ひたすら暑くて過ごしにくくて、熱中症対策に気を遣って疲弊する。
そんな愚痴をこぼしたら、年上の友人は鼻を鳴らして笑った。
「それはつまり、お前が独り身だからだろ」
「仰っていることがわかりかねます。孟徳殿」
「ふん、面白みのないやつだな。恋人がいれば楽しくて、そうでなければただ暑いだけでつまらない、ってことだ。海に花火に夏祭り……。夏のイベントはどれも一人で行くものじゃないからな」
「同性の友人や親類と行っても、それなりに楽しめそうですが」
「それはまぁそうだが。お前が早く夏を好きになれるように、俺は陰ながら祈っているぞ。文若」
「余計なお世話です」
そんなやりとりをした学生時代。あの幸せな夏の続きを、文若は今も生きている。
END
あとがき(1500文字)
お疲れ様です、作者です。お久しぶりです。
最後に更新したのが3月なので5か月ぶりですね。その間色々ありました。
福岡市内から北九州市に引っ越ししたり、
百日咳に罹患して某駅のコンコースで激しく咳き込んで嘔吐して
駅員さんや通行人の人に救助されたり、
激しい咳が治らなくて夜中の1時に救命救急にかけこんで鎮静剤を注射されたり、
呼吸器内科に長期間通院して万単位の金額を溶かしたり……。
皆さまはこんなことのないように、元気に過ごして下さると嬉しいです。
私は今は元気ですが、今年の4~7月は大変で健康の大切さを実感しました。
それはさておきまして、今回のお話についてです。
文若さんたちと一緒に夏祭りや花火に行きたいなと思って、
今回のお話が出来上がりました。
打ち上げ花火っていいですよね。北九州だと地元の花火大会が関門海峡になります。
(つい先日行ってきました。とても楽しかったです)
今回のお話、イメージモデルや参考は以下になります。
・いちご飴
→伊〇きんぐのいちご飴(天神の路面店、福岡ら〇ぽーと限定だったと思います)
伊〇きんぐの練乳入りのいちご飴は本当に美味しいので、
皆様も福岡天神にお越しの際はぜひご賞味ください。
・花ちゃんの浴衣
→ディー〇というブランドのものです。ちなみに丸の中はタが入ります。
とてもかわいいので、ぜひ画像検索してみてください。
個人的に浴衣はディー◯とウタ◯ネが好きです。
今回もかわいくてかっこいい文若さんや花ちゃんや
孟徳さんや元譲さんが書けて楽しかったです。
皆様にも孟徳軍の皆と過ごす夏を楽しんでいただけたら嬉しいです。
今作は夏祭りのお約束を盛り込めて良かったです。
屋台を見物して買い食いしてイチャイチャして、
知り合いと出会って冷やかされて、最後に花火を見てイチャイチャして……。
友人カップルのデート現場に遭遇して男の子が不甲斐なかったら
「手くらいつなげよ!」と注意するのもあるあるですよね
文若ルートハピエン後の孟徳さんは情緒が安定していて頼りになるなと思いました。
今回も文若さんと花ちゃんの仲を取り持ってもらってます。
(手をつなげ!お前がやらんなら俺がやるぞ!)
と文若さんに蹴りを入れる孟徳さんも、とてもお気に入りです。
話を戻します。
今回のメインテーマは人の多い屋外でのキス、つまり路チューです。
文花で路チューって似合わないかなとも思ったのですが、
書いていてとても楽しかったです。
お祭りで浮かれて花ちゃんにがっついてしまう文若さんが愛おしいです。
恋戦記文若ルート本編の二人で挑む最後の軍議の文若さんの
「大丈夫だ。私がついている」という台詞がすごく甘く優しくて大好きで、
今回それをもじってみました。
→「大丈夫だ。どうせ誰も見ていない」
もちろん大丈夫なわけなく、文若さんは多分
適当に言っているだけなんですが、書けて満足しています。
この台詞もとてもお気に入りなので、
皆様もCV竹◯さんで脳内再生していただければ嬉しいです
恋戦記ゲームのおまけシナリオの嵐の夜のキスシーンも良かったですよね
路チューのシーンはねっとりガッツリ描写を頑張ったので、
皆様にも燃えていただけたら嬉しいです。
それではここまでお読みくださり、ありがとうございました。
また次回、お目にかかれましたら幸いです。
◆自分用メモ
(別件メモ)部屋でできるプラネタリウム(セ〇のホームスター)ネタをいつか描きたい
ミュシャ展を参考に美術館デート、できれば孟徳さん。
そのあと花ちゃんの服を買いにデパートに。ワンピースとかサンダルを買ってもらう。
浴衣でも可。もしくはお茶をしたりアイスを食べたり