ねこのひかる
名前変換設定
恋戦記は現在一部のお話のみヒロインの名前変換可です薄桜鬼とテニプリは名前変換可、刀剣乱舞はネームレス夢です
恋戦記小説について
現在一部作品のみ名前変換可にしていますが、ヒロインの下の名前「花」が一般名詞でもあるため「花瓶の花」などで巻き込み変換されてしまいます
それでも良い方は変換してお楽しみください。それがダメな方はデフォ名「山田花」でお楽しみください
すみませんが、よろしくお願いいたします
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それから、季節が変わって。吹く風がぐっと冷たくなった、秋深く。
これまでと変わらず、光と名前は日々を仲良く過ごしていた。光の体力が落ちたために、二人の生活習慣が変化したりといった、ネガティブ要素はあるけれど。
それ以外は、今までとそこまで変わらない穏やかな時間。無理のない程度に近所を一緒に散歩したり、お部屋でゆっくりと過ごしたり、くっついて一緒に眠ったり。
元々これ以上ないくらい、互いを想い合って大事にしていた名前と光。光の余命があとわずかだと知っても、急に過ごし方を変えたりしない。
名前は毎日大学に通い、勉強を頑張り、時には友人たちと遊びに出かけたりして、自分が今やるべきことをきちんとやって、毎日を過ごしていた。
いくら光のことが大好きで離れがたいからといっても、べったりと依存しない。それは光本人や小春とユウジの妖精二人の願いでもあり、そして名前自身との約束でもあった。
猫も含めたペットは十年程度で飼い主のもとから旅立ってゆく。それはどんなに辛くとも悲劇などではなく、最初から分かり切っていた当然の帰結だ。
人間に八十年もの長い時間が与えられているのも、猫に十年という短い時間しか与えられていないのも、全ては神様の思し召しであり、恨む方がお門違いなのだ。
大いなる自然の営為や生命の輪廻に、小さな個が抗っても、それは天に唾する行為でしかなく、何の意味もないこと。
いくらペットは人生の伴侶といっても人間のパートナーとは違う。どんなに願っても八十年を一緒に過ごせるわけではない。それを理解した上で、それでもお互いを愛して大事にする。互いに依存せずに、節度を持ったお付き合いをする。それが名前と光の約束だった。
当たり前のことだけどそれが一番難しく、それでいて大切なことだった。
「……寒くなったね」
のんびりとした口調で、名前は光のすぐそばでしゃがみ込み、猫の姿の彼に話しかける。光は晩ごはんの流動食を、静かに行儀よく食べていた。
体力が落ちた今は、かつてのようなドライフードはもう食べられない。食費は嵩むが、それは仕方のないことだ。穏やかな優しい瞳で、名前は光の背中をそっとなでる。
「……お洋服、似合ってるよ。かっこいい」
深い赤色のベスト。体温が低めの光が寒い日でも温かく過ごせるように、名前が買ってきたウェアだ。完全室内飼いだけど、一日中エアコンをつけているわけにもいけないから用意した。少しでも快適に過ごして欲しい。
「でも、これからお出かけだから、脱ごうね」
ちょうど、光がご食べ終わったタイミング。光のウェアを脱がせて、口元を拭いて歯磨きをして。名前は光を抱え上げて、瞳を閉じてキスをした。
愛を込めた名前のキスで、猫の光は人間の男の子に姿を変える。
一日四時間十分だけの逢瀬の始まりだ。今夜の予定は手を繋いでのお散歩。光の外気浴を兼ねて、スーパーまでお買い物に行く。
「こうやってお出かけするの久しぶりだね」
「……せやな」
手を繋いで、二人は近所のスーパーまでの道を歩いていた。肌寒い秋の気候が二人の距離を自然と近づける。肩と肩が触れ合うほどの近い距離で、名前と光は寄り添って歩く。
「あ、そうや。忘れんうちに言うとかんと」
「え、なあに?」
「さっきのゴハン、あれ魚の苦いところ入っとるやろ」
「えっ?」
先ほど光にあげた流動食。あの猫缶は青魚丸ごと一匹使用が宣伝文句の新製品だった。栄養がありそうだったから、買ってみたんだけど。
「やっぱ苦いの気になるわ。他のがええ」
「わ、わがまま……!」
「しゃあないやろ。苦手なもんは苦手なんや。これでも頑張って全部食ったんやで」
しかし、気恥ずかしそうにそう続けられて、名前は溜飲を下げた。小さく息を吐く。
「もう……」
可愛い恋人にそうねだられてしまったら、従うほかない。お手頃価格も魅力だったけど、他のものにしよう。
「つか、俺がやった指輪はどうしたんや。今もつけとらんやろ。なんでしとらんのや」
しかし、唐突に光はそんな言葉を口にして、名前と繋いでいる右手にギュッと力を入れてきた。
車通りの少ない住宅街の小路。光が歩道側で名前が車道側を歩いていた。本来は逆なんだろうけど、病気の光が心配な名前は、進んで車道側を選んでいたのだ。
おっかなびっくりといった様子で名前は光を見上げる。不機嫌というわけじゃないけど、光はあからさまにすねていた。
普段はそっけないのに、今は感情むき出しだ。眉間に皺を寄せて、唇を尖らせて、これ以上ないほどに不満そうにしている。
人の姿の外見は名前と同い年、大学生くらいのはずなのに。今の光はまるで中学生の男の子のようだ。先ほどから彼に握られている名前の左手が、にわかに熱を持つ。
大人と子供のはざまの、少年らしい格好よさと可愛らしさ。愛おしさが込み上げて、名前は彼から目が離せなくなる。
しかし、返事もせずに見つめていたら。光は名前の答えを急かすように、右手にギュッと力を込めてきた。焦った名前は、しどろもどろに弁解する。
「……ッ、だ、だって」
「だって、なんや」
「だって、もったいないんだもん……」
光に詰め寄られて、名前は頬を淡く染めて答える。
「大事すぎて、つけられないよ……」
「はぁ? あんなんつけてなんぼやろ……」
指輪はそう高いものではなかった。シルバーのカジュアルなものだ。宝石もニセモノで、可愛らしい日常使い用。なのにそんな言葉を口にする名前に、光は呆れる。しかし、彼は嬉しそうに微笑むと。
「……名前は、ほんまにアホやな」
発言自体は辛辣だけど、その口調と瞳はとても温かい。名前のことを愛おしく大切に思っているのが伝わってくる。名前は小さく息を呑むと、頬を淡く染める。
光は名前と繋いでいる手を自分の口元に持っていくと。名前の左手の甲、薬指の付け根あたりに、チュッと小さな音を立てて、可愛らしいキスをした。
「っ、光……」
いつ誰が通りかかるかも分からない路上なのに。名前は恥ずかしがって彼を拒もうとするが、光は名前の手の甲から唇を離さない。しかも、そのまま歯を立ててきた。
名前は肩をすくませた。痛いわけじゃないけど変な感じだ。恥ずかしいやら、妙な情動を催してきたやらで、名前の瞳が潤み始める。
「光、だめだよ、こんなとこで……」
自宅からも大学からも近い住宅街の小路。いつ知り合いに見られるかもわからない場所で、恋人とこんなことをするのは、名前には抵抗があった。けれど。
「こんなとこやからええんやろ」
「ッ!」
自分が歯を立てたところ、名前の左手の薬指の付け根に舌を這わせながら、光は楽しげにつぶやいた。
「……外ですんの、なんやむっちゃ興奮するわ」
うっとりと細められた瞳の奥に、たしかに潜む欲望を感じて、名前は呼吸を忘れる。ずっと一緒にいるとつい忘れてしまうけど、人の光はやっぱり人間の男の子で、だからそういう欲求もあるわけで。
「っ」
反射的に名前が光から離れようとするが。しかし、その瞬間。名前は光に抱きしめられた。つないだ手を引き寄せられて、光の腕の中に閉じ込められる。そのまま光は数歩後ろに下がった。
往来の邪魔にならないように、名前に危険がないように、なるべく道路の左側、歩道側に寄る。
「も、光」
「唇にはせえへんし」
「そ、そういう問題じゃないよ……!」
渋る名前にはお構いなく、光は繋いでいない方の手を名前の腰に回して、彼女の身体を自分の方にぐっと引き寄せた。
「ッ!」
鼻先が触れ合いそうなほどに顔を近づけて、光はまるで煽るように言う。
「チューされるん、どこがええ?」
とてもご機嫌な様子だ。そして、明らかにふざけている。分かりやすく恥ずかしがっている名前をからかっている。
「唇以外なら、どこでもしたるよ」
「だ、ダメだよ。離してよ」
「ちえっ、まーしゃーないな」
なぜか恩を着せるようにそう言うと。光は名前の額にキスをして、彼女の腰に回す手を緩めた。今まで強引に背伸びさせられていた名前は、アスファルトの上に着地して、安堵の表情を浮かべる。
しかし、光は懲りもせず、名前の首筋に顔を埋めてきた。
「も、光……」
「ちょっとだけ、こうするだけやから」
その場所に何かされるのかと、名前はつい身体を固くしてしまったけれど。光は本当になにもしなかった。名前の匂いを楽しむように、ときおり鼻を鳴らすだけ。
今は人間の姿なのに、まるで猫のような彼に、名前の胸に温かなものが込み上げる。息遣いはくすぐったいし、道端でこんなことをするなんてと思うけど、すっかりほだされてしまった。
光の言う通り、外でするのってなんだかすごく興奮する。誰が通りかかるかも分からないこんなところで、見られてしまうスリルを味わいながらする行為は、恥ずかしいけど気持ちいい。悔しいから言わないけど。
***
途中で色々としていたら遅くなってしまった。ようやく名前と光はスーパーにたどり着く。お客さんで賑わう店の前の駐車場で、名前は不意に空を見上げると。
「もうすぐ満月なんだって」
漆黒の夜空には少しだけ欠けた丸い月が浮かんでいる。秋の月はやはり綺麗だ。金色の大きなお月様。しかし、光は興味がなさそうだ。
「……へえ」
「もう、どうでもよさそう!」
光の気のない相槌に名前は怒るが。けれど、光はいつもこんな感じだ。そっけないのはいつものこと。おおらかな彼女は気にせずに、すぐに話題を進める。
「あ、ねえお団子買う? きっと売り出しになってるよ」
季節のイベントも甘い物も、名前はどちらも好きだった。光に明るく尋ねる。だけど、光は乗り気ではなさそうだ。
「ん…… せやなあ」
「え、だめ?」
不安そうな名前に、光は普段通りのそっけない口調で。
「……どうせなら、団子よりぜんざいがええわ」
「ぜんざい?」
「昔猫カフェでお前がよお食っとったあれや。あれがええわ」
懐かしい話題を出されて、名前は表情を緩める。もう何年も昔のことなのに、覚えていてくれたなんて。
「じゃあ、白玉ぜんざいだね」
急に冷え込んできた秋の夜にぴったりの、温かなスイーツ。汁気のある甘い粒あんに、もちもちの白玉が入ったそれは、名前の家に引き取られるまで光が過ごした猫カフェ『ぜんざい』の看板メニューだった。
様々なトッピングをのせて、寒い時期はホットで、暑い時期はアイスで供されるそれは、さながら和風パフェといった趣で、名前は光に会いに行くたびにそれを注文していた。けれどそれは、もう五年以上も前の話だ。
「……でも、そんなことよく覚えてたね」
「いつも美味そうに食っとったからな」
まるで何でもないことのように、光はつぶやいたけど。彼の頬は隠しようもないほど熱を帯びていた。
そう、名前のことなら。どんな些細なことでも全部覚えている。光はそれほどまでに彼女のことが好きだった。それは猫カフェにいた頃から変わらない。
光にとって、名前はずっと昔から特別だった。世界中でたった一人の、特別で大好きな女の子。もう何年も憧れていて、そして諦めていた。あの春の日、神様に人間になれる力を与えてもらうまでは。
「もう、光ってば」
光の分かりやすい照れ隠しに、名前は嬉しそうに笑う。彼女にとっては、世界で一番愛おしいあまのじゃく。本人ですら記憶が曖昧な昔のことまで覚えているくせに、まるで大したことじゃないとばかりに強がっている。
名前は改めて、光の愛の深さを感じる。
(……その頃から気にしててくれたんだ)
まさに積年の想い。気恥ずかしくも、面はゆい。
(……嬉しいよ、光。ありがとね)
夜風は冷たく、秋らしい気候だけど、名前の胸は温かいもので満たされる。
「じゃあ、今日のデザートはぜんざいにしよっか。それから……」
幸せいっぱいの笑顔で、名前がそう言った、そのとき。
「――あれっ、名前?」
「ッ!」
耳慣れない甲高い声で名前を呼ばれて、名前は驚いた様子で声の方を見る。そこにいたのはまるでファッション誌から抜け出てきたような、華やかで可愛らしい女子三人組だった。
「どうしたの~? 買い物?」
先ほど声を掛けてきた子が、お約束の質問を口にする。ここはスーパーの駐車場。だからもちろんそうなんだけど。
「う、うん……」
戸惑いと怯えを含んだ表情で、名前はそう答える。
「そうなんだ~」
どうでもよさそうにそんな相槌を口にしながら、その女の子は友人二人を引き連れるようにして、名前と光に近づいてきた。二人の前途に立ちふさがる。
彼女たちの言動に、光はわずかに顔をしかめる。先ほどまでは上機嫌だったのに、急に目つきが険しくなる。
普段から無表情だから分かりにくいけど、それを差し引いても、今の光はすごく不機嫌だ。それこそ、名前以外の人でも分かるくらいに。
けれど、声を掛けてきた女の子は怯まなかった。
「――ねえねえ、こっちの人ってもしかして彼氏?」
光に視線を投げながら、興味津々といった様子で名前にそう尋ねてくる。三人の中でも一番派手で気の強そうなリーダー格。長い睫毛に縁どられた瞳は好奇心に満ちていて、名前がここで認めてしまえば、翌日には学校中で触れまわられそうな雰囲気だった。
今は人間の男の子の姿でも、本当は猫な光の存在を、言いふらされるのは抵抗があった。名前は嘘をついてしまう。
「……ちがうよ、イトコだよ」
「ッ!」
名前がそう口にした瞬間。隣の光が小さく息を呑む気配がして、名前の胸がズキリと痛む。一瞬だけだけど、険しい視線を送られたのにも気がついていた。
「なんだ、彼氏じゃないんだ~」
名前の返答に女の子は嬉しそうな笑みを浮かべると、堂々と光にアプローチをしてきた。
「あ、私名前の大学の友達で~ 名前なんて言うんですか~?」
「……光や」
さすがに名前を聞かれて答えないわけにはいかないと思ったのか、あるいは『名前の大学の友達』というフレーズが効いたのか。
意外なことに、光は嫌そうながらも、その子にきちんと対応する。
「光くん?」
女子に名前を確認するように呼ばれて、しかし光は眉を寄せた。瞬間的に込み上げる形容しがたい不快感。名前以外の女の子に下の名前を呼ばれたくない。それは実際に呼ばれて初めて気がついたことだった。
その子には悪いけど、自分にとってはやはり名前だけが、そういう対象として見れる女の子だ。
けれど、名前の知人相手にまさか『気安く呼ぶなや』などと言うわけにもいかず。光はとっさに名字をでっちあげる。
「……財前、光や」
由来はもちろん自分のルーツ、猫カフェ『ぜんざい』
「財前くんっていうんだ」
光の意図を汲んだのか、女の子はわざわざ名字で呼び直してきた。今の時点で不興を買うのも損といった、計算や配慮もあったのだろう。けれど、その子は光から離れようとせず、重ねて尋ねてきた。
「ねえ財前くん、名前とは……」
しかし、ついに耐えられなくなったのか。
「……別にお前らに関係あらへんやろ。つか、急いどるんや。名前、早よ行くで」
しびれを切らした様子で一息にそう言うと。光は名前の手を取って、女子たちのバリケードをを強引に突破した。そして、そのままスーパーの中に入っていく。
***
「今日、びっくりしたね。光は人の姿でも格好いいから、やっぱり人気あるんだね」
「…………」
買ってきたぜんざいを二人で食べながら。名前は光に明るく話しかけていた。しかし、光はムスッと押し黙っているばかりで、ろくに返事もしない。黙々とぜんざいを口に運んでいる。
スーパーの前で女の子たちに絡まれてから、光はあからさまに機嫌が悪かった。そんな彼を気遣って、名前はずっと気丈に振る舞っていたのだが、効果がないどころか、むしろ。
「SNSでもね、猫の姿の光のことみんなが可愛いって言ってくれるんだよ。光が人気者だと私も嬉し……」
「――ええ加減にせえや」
「っ!」
自分が話している途中だったのに、低い声で遮られて、名前は息を呑む。
「――ふざけんなや。お前さっきからずっと、俺にケンカ売っとるんか」
しびれを切らしたのか、我慢の限界を突破したのか。光はついに口を開く。けれど、光はかつてないほどに怒っていた。こんなに名前に対して腹を立てている光は見たことがない。しかし同時に、光はとても悲しそうだった。
「あんときイトコとか言うたのはしゃあないにしても、俺ら恋人同士なんやろ? 違うん?」
食べていたぜんざいのカップをテーブルの上に置いて、光は名前に真顔で詰め寄る。
「指輪贈ってずっと俺だけのもんや言うて、お前も頷いたくせに、俺がみんなの人気者で嬉しいとか本気で言うとるん? 猫とか人とか関係あらへん。猫んときも人んときも、俺はお前以外のヤツに可愛いとか格好いいとか褒められても、嬉しくもなんともないわ。お前は俺に対する独占欲とかないん? 相思相愛や思うとったのは俺だけなん?」
よほど溜めこんでいたのか、今宵の光は意外なまでに饒舌だった。
「っ、光」
光のあまりの必死さ、切実さに、名前は怯む。
夏の終わりの、最初で最後のデートらしいデート。観覧車のゴンドラの中で名前に内緒で買ってきた指輪を、光はまるでプロポーズをするかのように贈ってくれた。
名前の左手の薬指に綺麗な指輪を飾ってくれて、ずっと俺だけのものでいてって、命ある限り一緒にいようねって、光はそんな温かな言葉と気持ちをくれたのに。
しかし、名前はその彼に悪気がなかったとはいえ、ひどいことをしてしまった。
イトコと言ってしまったのもそうだけど、その後のフォローも光の気持ちを逆なでするものばかりで。あんなことをすれば、光が怒るのも当然だった。
「……ごめんなさい」
「せやで。アイツらに舐めたことされても、怒りもせんとしおらしくしとって、今もヘラヘラしおって腹立つっちゅーねん」
光の文句はまだ続く。それほどまでに腹に据えかねていたのだろうか。
「お前は俺の彼女なんやろ。もっと堂々としとれ。嫌ならちゃんとそう言え、怒れ」
「……っ!」
相変わらず光は手厳しい。名前のことを少しも甘やかしてくれない。けれど、光がここまで怒るのには理由があった。自分がいなくなってからのことを見越しているのだ。
優しすぎるほど優しい名前には、だからこそ強くあってほしかった。嫌なことをされたらちゃんと嫌だと主張すること。自分を守るために毅然とした振る舞いをすること。
今はよくても、余命わずかな光は名前をずっとは守ってやれない。だからこそ、光は名前の半端な言動に腹を立てていたのだ。
「あんな奴ら、威嚇してさっさと追い払え」
淡々とそう言って。しかし、光はフーッと牙を剥いて怒る猫の物真似をした。
本当は猫だからなのか、物真似は無駄にハイクオリティー。真面目なのかふざけているのか。
「わ、私、猫じゃないよ」
つい名前は言い返してしまうが。人の姿の光の猫の物真似にうっかりと笑みをこぼしてしまう。人間の男の子の彼はクールで、そんなことをしそうにないから、尚更おかしかった。
元気を取り戻した名前は、にっこりと微笑むと。
「でも、次何か言われたら、威嚇して追い払っちゃうよ」
彼女の柔らかな笑顔に、光はようやく表情を緩めた。
「せやで。フーとかシャー言うて、毛ぇ逆立てて牙を剥くんや」
「も、だから猫じゃないってば」
何の役にも立たないアドバイスと、無駄にリアルな猫の物真似。それは光も分かっていてやっている冗談めいたものだ。けれど、ずっと落ち込んでいた様子の名前に笑顔が戻り、光は安堵する。
(せやで。お前はずっとこうやって、ニコニコしとってくれれば、それでええねん)
心の優しい名前には、ずっとこんなふうに穏やかに笑っていて欲しい。
だから、そのためにも自分を守って現実と闘う強さを身につけて欲しかった。一人でもちゃんとやっていけるように。次の恋ではきちんとした幸せを掴めるように。
「……」
名前の次の恋。しかしそれは、光にとっては最も考えたくないことだった。自分の死を想うよりもずっと、こちらを想像することの方が辛い。いたたまれなくなった光は、名前から視線をそらす。
本当はそんなものして欲しくない。彼女の真っ白な身体に、他の男が触れるのなんて許せない。自分以外の男が彼女に対して、かつて自分がしていたことと同じことをするなんて、同じ欲望を向けるなんて許せない。
けれど、長く生きられない自分が、そもそも彼女の飼い猫でしかない自分が、そんな身勝手な独占欲で名前の未来を縛りつけるわけにはいかないのだ。
彼女にはちゃんと幸せになって欲しい。自分が苦しめてしまった分、次の恋ではちゃんと……。
(……ほんまは、イヤなんやけどな)
ずっと自分だけを想って、二度と恋などせずに生きて欲しい。
(でも、しゃーないな……)
けれど、光はそんな気持ちを押し殺して、名前のもとから去る準備を始めていた。
自分の身体の限界が近いことにも、なんとなく気がついていた。毎日の流動食すら食べるのが辛くなっていた。
名前が大学に行っていて不在のときも、ずっと眠るようにうずくまって痛む身体を休めている。昔は自分一人だけのときは、心の洗濯とばかりに室内で遊んでいたのに、今はそうする気力も湧いてこない。
もうすぐそのときが訪れる。光はそう予感していた。どんなに去りがたくても、名前のもとから去らなければならなくなる、そのときが。
「……光、どうしたの?」
しかし、らしくなく考え込んでいたら、名前を不安にさせてしまった。
「ん、何でもないわ」
彼女を心配させないように明るくそう答えて、光は名前の手元に視線を落とす。彼女の手元には、いまだにぜんざいのカップがあった。その中のふるふるとした白玉を目にして、光の心にふと悪戯心が芽生える。
光はスプーンを手にして、彼女の白玉を素早く奪い取って口に運んだ。
「あ、最後の一個だったのに!」
名前の悲鳴を聞き流しながら、美味しそうに白玉を頬張って、光は得意げに笑う。
「だから取ったんや」
明らかに名前をからかっているその姿に、名前は怒り出した。
「ひ、光のバカぁ! 食いしん坊!」
「お前が油断しすぎなのがアカンのやろ」
「えー!」
「は~ でもほんまにぜんざい美味いわ」
しかし、光は謝るどころかあからさまに話題を逸らした。
「え?」
「こんな美味い食い物あるとは思わんかった」
「本当? ぜんざい美味しい?」
けれど、鈍い名前は気が付かない。あっさりと乗せられて、最後の一個の白玉を横取りされたのも忘れて、嬉しそうに微笑む。
「気に入ってくれたんだ。嬉しい」
「……思い出補正もあるけどな」
「そうだね。猫カフェ懐かしいよね。私も思い出しちゃうよ」
猫カフェ時代。あの頃から光は可愛かった。美しい黒い毛並みに端正な顔立ち、宝石のように輝いていた大きな緑の瞳。
そっけないふりをして本当はすごく甘えん坊なところも、名前の目にはどの猫スタッフよりも可愛らしく見えて。里親募集に気がついてすぐに譲ってもらった。
それが五年前だ。名前がまだ中学生の頃。それ以来ずっと名前は光を可愛がっている。嬉しいときも悲しいときも、ずっと一緒だった。そして、今はもう大学生。すっかり大人になった。
光もまた、あの頃を振り返る。あの頃の名前は幼かった。セーラー服の似合う中学生。常連客で自分を猫かわいがりしてくれた。
優しくて愛情深くて、こんな子とずっと一緒に暮らせたら、どんなに幸せだろうと思っていた。
猫だから見上げるばかりだったけど、名前の無邪気な笑顔は、光の目には一番まぶしく輝いて見えた。看板メニューのぜんざいを食べているときも、いつも幸せそうにしていた。
そして五年の月日が流れた今、名前はずっと大人びて綺麗になった。けれど、光が大好きなあの笑顔は今も変わらない。目尻を下げて優しく微笑む、あの笑顔。
「ぜんざい美味しかったね、光」
「せやな」
ようやく食べ終わって、光と名前は無邪気に笑いあう。ぜんざいは温かくて甘くて美味しかった。こういう何でもない時間を大切に過ごしていきたい。
こうやって一緒にいられるのは、あともうほんのわずかで、辛いことやままならないことも多いけど。それでも人生は捨てたもんじゃない。今日も幸せだ。
「また買ってくるね」
「せやな、頼むわ」
そして、今が幸せなのは。隣にあなたがいてくれるからだ。