ねこのひかる
名前変換設定
恋戦記は現在一部のお話のみヒロインの名前変換可です薄桜鬼とテニプリは名前変換可、刀剣乱舞はネームレス夢です
恋戦記小説について
現在一部作品のみ名前変換可にしていますが、ヒロインの下の名前「花」が一般名詞でもあるため「花瓶の花」などで巻き込み変換されてしまいます
それでも良い方は変換してお楽しみください。それがダメな方はデフォ名「山田花」でお楽しみください
すみませんが、よろしくお願いいたします
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その後も、名前はずっと元気がなかった。当然だ。未遂とはいえ我が家に強盗が押し入り、撃退したと思ったら、今度は目に入れても痛くないほど可愛がっている愛猫が、余命半年と宣告されてしまったのだ。
しかし、家の外では名前は普段と変わらず気丈に振る舞っていた。大学に行って授業を受けて、友人たちともこれまでと変わらず仲良く過ごす。あからさまにしょげていては、周囲に余計な心配と負担をかけてしまう。
それに、変に気を遣われるのもいたたまれなかった。周囲の優しさが今はまだ逆に辛い。
本日最後の授業を終えて。名前は夕暮れ時のキャンパスを歩いていた。すると、背後から誰かが走ってくる気配がした。振り返った瞬間、明るい声で名前を呼ばれる。
「――名前!」
声を掛けてきたのは、友人の綾香だった。名前とは入学当初から仲が良く、よく一緒に授業を受けたり、みんなで遊びに行ったりしていた。綾香は照れたような、申し訳なさそうな様子で。
「ねぇ、さっきの第二外国語の授業のノート貸してくれる?」
「いいけど、綾香さっきの授業いなかったっけ?」
名前は不思議そうな顔をする。先ほどの授業は、綾香もきちんと出席していたはずだ。すると、彼女は。
「うん、それがさ、ちょっと眠くて……」
恥ずかしそうに綾香は笑った。つられて名前も口元を緩める。可愛らしい友達だ。名前は小さく息を吐いて、カバンからノートを取り出す。
「もう、ダメだよ。はい」
穏やかに微笑んで、綾香に差し出した。
「ありがとう、助かる! 明日の専門の授業で返すね」
綾香は申し訳なさそうに受け取ると、しかし、おもむろに声を低くした。
「……ねぇ名前」
「……え?」
急に変わった声のトーン。深刻そうな表情の綾香に、名前はつい構えてしまう。
「まだ元気ないっぽいけど、大丈夫? 私で出来ることあったら何でも言ってね」
眉を下げて、綾香は心配そうに言う。
「……ッ、綾香」
「私ね、本当に名前には悪いことしちゃったって、ずっと後悔してたの」
神妙な顔で綾香は続ける。彼女の瞳にはすでに涙がにじんでいた。そういえば強盗に襲われたあの夜の飲み会の幹事は、他でもない彼女だった。ようやくそのことに思い至り、名前の目頭が熱くなる。
「私たちがちゃんと名前をお家に送ってたら、あんなこと……ッ!」
そう言い終わるやいなや、綾香は俯いて涙をこぼし始めた。よほど後悔の念に苦しんで、一人思いつめていたのだろう。
「……そんなことないよ、綾香たちは悪くないよ」
あまりにも苦しそうに涙する綾香の背中をさすりながら、名前は彼女を励ました。そして、綾香の負担を軽くすべく、ずっと言わなければと思っていたことを口にする。
「せっかく送ってくれるって言ってくれたのに、私が断っちゃったから……」
事件のあったあの夜。飲み会の一次会の終わりに、名前は自分一人で光の待つ自宅に帰ろうとした。夜だけどまだそれほど遅くない時間で、歩いて数十分の距離だったから一人でも平気だと思った。
今まで危ない目に遭ったことなど一度もなく、まさか自分が狙われるなんて思わなかった。
そんな油断で危険な目に遭って、愛猫に怪我をさせて、周囲にたくさんの心配をかけてしまった。名前は自分の浅はかさを改めて悔いた。
自分の不注意で、本当に申し訳ないことになってしまった。けれど、自分が胸を痛めている姿を綾香に見せるわけにはいかない。ただでさえ落ち込んでいる彼女を、さらに苦しめてしまう。
名前は弱っている心を奮い立たせて、気丈に振る舞った。
「ていうか、悪いのは犯人なんだから、綾香は気にしなくていいよ」
変な心配かけちゃってごめんね。名前は続けてそう謝る。
「そっか…… 私の方こそごめんね、名前……」
綾香はぐずぐずと泣きながら、そんなことをつぶやく。
「ごめんね…… 一番大変なのは名前なのに、私が泣いちゃってゴメン…… 本当バカみたいだよね……」
一度溢れ出した涙は、なかなか止めることができない。自分が泣いているせいで、名前に気を遣わせているのに気づいていた、綾香は再び名前に謝る。
「……そんなことないよ。心配してくれるの嬉しいよ。私の方こそ、変な心配かけちゃってごめんね」
名前は綾香に改めてお礼を言った。たとえ気休めにしかならなくても、名前にとって綾香の気持ちや励ましは、とても嬉しいものだった。思いやりのある同性の友人の存在は心強く、支えになっている。
綾香はようやく落ち着いたのか、涙を指先でぬぐうと、弱々しいながらも笑顔を見せた。
「……名前、ありがとね」
無事に明るさを取り戻した友人に、名前は安堵する。そして、その後。二人でしばらく世間話をしてから、名前は綾香と手を振りあって別れた。帰る方向は別々だった。
友人の背中が見えなくなるまで見送ってから、一人になった名前は、しかし表情を曇らせる。強盗事件のことはもういい。怪我もしなかったし何も取られなかった。まだ時々帰り道に不意に恐怖を感じたりするけど、きっと時間が解決してくれる。
今の名前が気にしているのは、愛猫で恋人の光ことだ。こちらの方がよほど辛く苦しく、いまだに受け入れられない。もう長くないと言われてしまった。あと半年も経てば光はいなくなる。永遠に手の届かないところに行ってしまう。
可愛い姿にもう会えなくなると思うと、悲しくて苦しくてどうしていいかわからない。悲しみで人が死ねるなら、自分はきっともう死んでいる。
それほどまでに打ちひしがれているせいか、外では気丈に振る舞えていても、家の中で名前は泣いてばかりいた。
大学や外出先から帰宅して、いつも通り猫の姿の光にお出迎えしてもらっても、その顔を見るなりしゃがみ込んで泣き出してしまったり、猫の姿や人の姿の光に意味もなく抱きついて、長い間めそめそとしていたり。
外での無理がたたっているのか、光と暮らす家の中で、名前は自分の感情を全くコントロールできずにいた。こんなことではいけない、しっかりしなくちゃと思っているのに、ままならない。
姿かたち関係なく、大好きな光を目にするだけで、苦しくなって泣いてしまう。愛する光を失いたくない。しかし彼を救う手立てはなく、どうしようもない。光の病状はそれほどまでに悪かった。
けれど、自分がそんな辛い状況にあるのに。光はいつもめそめそと泣いてばかりの名前に、根気よく付き合ってくれた。ひとことの文句も言わず、自分にすがりつく彼女を受け入れて、優しく宥める。
人の姿、猫の姿でできることは違うけど、光は自分にできる精一杯で、名前を励まして支えようとしてくれた。抱きしめて、抱きしめられて、涙をぬぐって、キスをして。ひたすらその繰り返しだ。それがずいぶんと長い間続いた。
***
そして今も。名前は光の腕の中でめそめそと涙をこぼしていた。嗚咽を漏らし、何度も苦しそうにしゃくりあげる。人の姿の光は、そんな彼女の背を優しくさすってあげていた。
ここしばらく名前はずっとこんな調子だ。光は辛そうに眉を寄せる。俯いて背中を丸めて自分にすがりついて泣く今の名前は、まるで別の女の子のようだ。そこにかつてのいつも明るく温かかった彼女のイメージはない。
本当の彼女はいつも明るくて優しくて、そして自分なんかよりもずっと強くて包容力があって、不甲斐ない自分の全てを受け止めてくれていた、そんな女の子だった。
けれど、今の名前は正反対だ。自分では抱えきれない苦しみを抱えて、乗り越える術も持たず、ひたすら誰かにすがるだけのか弱い女の子。あんなにも強く優しかった彼女が、ここまで変わってしまうなんて。
(……苦しいのは俺も一緒なんやけどな)
というかむしろ自分の方だ。不思議にどこか醒めた頭で、光はそんなことを思う。
あと半年で消えてしまう自分の命。それを知った当初は、なんで自分がとか、もっと長生きしたかったとか、単純に死ぬのが嫌だとか怖いとか色々思ったけど。
でも、それはもういい。長生きできないのは辛いけど、それはもういいのだ。いまだにぐずぐず泣いている名前をあやしながら、光は不思議に凪いだ気持ちでいた。
というか、そもそも最初からこうなるのが自分にはなんとなく分かっていた気がする。先日明かされた虹の橋キャンペーンの話も、そういえば以前妖精のバンダナの方が言いかけて、坊主の方に止められていたような気がするし。
余命半年と聞いた当初はショックだったけど、今はもう納得できている。死ぬのは怖いけど、自分はこういう運命だったのだと、今はもう受け入れている。早死には辛いけど、それと引き換えに人間になれる力をもらったのだと思えば。
(……俺は、後悔なんてしてへんで)
納得できるし、後悔もない。あの力のおかげで、ずっと手の届かなかった飼い主さんの名前に手が届くようになって、両想いになれて、短い間だったけどこんなに幸せな時間を過ごせたのだ。だから、もう思い残すことはない。
(……名前、ありがとうな)
心の内で光は改めて名前に感謝する。
(お前が俺のことを沢山愛してくれたから、こんなことになっても俺は挫けずにおれるんやで)
自分だけじゃない、彼女の力もあったからこそ。神様はあの奇跡をくれた。
『一心同体相思相愛、思いの強さは奇跡を起こすんやでぇ』
妖精の眼鏡の方もいつかそう言っていた。
しかし。声を殺して肩を震わせる名前の背中をさすりながら、光は息を吐く。いつも優しくて誰よりも強かった彼女は、今は見る影もない。
自分のためにこんなにも変わってしまった彼女を見るのが、光は辛く苦しかった。けれど、その感情とは裏腹に。自分のためにここまで嘆いてくれるのを、嬉しく思う気持ちもあって。
これほどまでに深く悲しんでくれるほどの強い愛情。それが愛しの飼い主さんで恋人の、名前という子なのだ。こういう子だからこそ、自分も種族を超えた恋に落ちた。
こんなにも深く愛してくれてありがとう。素直になれない自分は、そんなこと口が裂けても言えないけど、名前を支えて励ましたい気持ちに嘘はないよ。難しいかもしれないけど、元気を出して欲しい。
彼女の笑顔を取り戻すために、自分に何ができるだろう。今度は自分が彼女を支える番だ。
いまだに悲しみに暮れる名前の背中をさすってやりながら、ついに光は口を開いた。
「あーもう我慢できんわー」
病気のことなんて知らなかった頃と何ひとつ変わらない、飄々とした口調で。光はそんな言葉を口にした。
完全なる棒読みだ。感情は全くこもっておらず、我慢できないなんて明らかに嘘。光は名前の頭をよしよしとなでながら、そのままの調子で続ける。
「いつまでそうやってグズグズしとるつもりなんや。ただでさえ残り時間少ないのに」
「――ッ!」
残り時間という単語に身体を震わせて、名前は泣き腫らした瞳で光を見上げる。怯えに揺れる泣きはらした瞳。しかし、そんな不安げな彼女に向かって光は淡々と語り掛ける。
「……ペットはいずれいなくなるもんなんやで。寿命なん元からせいぜい十年程度や。お前今ハタチとかやろ。俺がおらんようなった残りの六十年、ずっと泣いて暮らすつもりなんか?」
悲壮感などかけらもない、淡々としたローテンション。光はこんなときでもマイペース。
「でも!」
そんな彼に名前は何かを言い返そうとする。しかし光は彼女の言葉を遮ると。
「つか、一番辛いのはどう考えても俺やろ」
「……え?」
予想の斜め上を行く言葉をかけられて、名前は固まる。まさかの展開だ。思わず間抜けな声を出してしまう。
「そもそも何で病人の俺が健康なお前を支えとんねん。普通逆やろ。病気なん俺の方なんやで、飼い主のお前が責任もって俺を支えるべきやろ」
ほんまありえへんわ、とため息を吐かれて。
「ええっ……」
名前は呆然としてしまう。自分で言うかそれという台詞に、名前の瞳に溜まった涙が引っ込む。
しかし、それが光なりの励ましなのだ。ひねくれいて口が悪くて、でも本当は誰より名前を想ってくれている。それが名前の大事な猫の光だった。
名前の膝枕が大好きで、ことあるごとにおねだりをしたり。名前が家にいないときは、名前の着古したニットにくるまって寂しさを紛らわせていたり。そして名前の帰宅の気配を察知したら、一秒でも早く会いたくて玄関の前に飛んで行って、彼女がドアの鍵を開けるのを今か今かと待っていたり。
暴漢に襲われたときも、光のお出迎えの習慣のおかげで名前は助かった。玄関先にいた光が男に噛みついて、彼の邪魔をしてくれたから。名前は男に組み敷かれる前に、彼の魔の手から逃げ出すことができた。
その後も、光が小さな猫の身体で男に命がけで立ち向かって時間を稼いでくれたからこそ、名前は警察署に電話して助けを呼ぶことができた。
素直な愛情表現は少なくても。光はこれほどまでに名前を大切に思っていた。大好きで大事な飼い主さん。今までずっと一緒にいたから、名前はそれを痛いほどに分かっていた。どれほど光に愛されているか。
クールでそっけなくても。名前が光を愛しているのと同じくらい、光もまた名前を大事に思ってくれていた。
「辛いこともあるけど、それでも俺は名前にはいつも笑うとって欲しいんや。残りあとちょっとになってもうたけど、それでも今までみたいに明るく過ごしたいんや」
「……光」
「それに、その方が長生きできそうやろ」
「っ!」
「だから、お前は元気でおって?」
まるで懇願されるような淡い笑みを向けられて。名前は再び涙をこぼす。あと半年で光はいなくなる。そのどうにもならない事実を改めて突きつけられて。悲しみが涙となって名前の瞳から溢れ出す。
けれど、名前は光の言葉を噛みしめながら、動物が自らの死をどのように受け止めるのかを思い出していた。猫を始めとした動物たちは、愛玩動物でも野生動物でも、死期が近いからといって、慌てたりへこんだりはしない。
当然のことながら動物たちは単純な出来事や事実に、必要以上に意味を与えたり、何かのメッセージを読み取ろうとしたりはしない。死の恐怖や苦しみを感じることがあっても、基本的に事実は事実として粛々と淡々と受け入れるだけ。
名前も本当は分かっていた。毎日泣いて暮らしていても笑って過ごしていても、同じように過ぎていく貴重な残り時間。だから、明るく過ごさなければ損なのだ。
とはいえ頭ではそう理解していても、すぐに割り切ることはできずに、ずっと落ち込んでいた。だけど、もうやめにしないと。大切な残り時間は、今もどんどん減り続けている。無駄にできる時間なんてない。……だから、早く元気にならないと。
「……うん。光、ありがとね」
大好きな光のためにも、自分のためにも、元気になろう。同じ時間を過ごすなら笑顔でいよう。大切な残り時間を明るく楽しく過ごそう。名前は気持ちを新たにする。
やっぱり、光のことが好きだ。同じ人間じゃなくても、あと半年しか一緒にいられなくても、光のことが大好きだ。人になれなかった頃や、猫と人の二重生活を無邪気に楽しんでいた頃と何も変わらずに。二人で前向きに生きて行こう。名前は改めてそう決意する。
彼女が落ち着いたのを見届けて。
「――つか、お前何かしたいこととかないん?」
名前の背中をぽんぽんと叩きながら、光は問いかける。
「したいこと?」
「せやで。どうせなら元気出るように、普段やらんような特別なこと、やったらええんちゃうの」
名前の髪の毛をいじりながら、光はどうでもよさそうに言う。無関心を装っているけど、彼女の髪をいじる仕草に緊張と落ち着きのなさが現れている。
「特別なこと?」
不思議そうな名前に、光は言った。
「せやで。たとえばやけど、どっか遠出するとか」
名前を元気づけるための、彼からのデートのお誘い。一日四時間しか人になれずに、あとは猫の姿だったから。名前と光のデートやお出かけはいつも近場だった。徒歩圏内で遠出なんてしたこともない。
「……いいの? 大丈夫?」
名前は心配そうに眉を寄せる。誘ってもらえるのは嬉しいけど、光が心配だ。無理してないかとか、身体は大丈夫なのかとか。
「移動時間長くても、俺キャリーバッグで我慢するし」
「ほ、ほんと? 平気?」
「平気やで。むしろ狭いとこのが好きなくらいや」
「そっか……」
狭いところが好きなのは猫の習性だ。名前は安堵する。しばらく考えてから、彼女は改めて口を開いた。
「……それじゃあ、水族館に行きたいな」
屋内で空調が効いているから、夏でも涼しく負担にならない。のんびり過ごせそうだし安心だ。
「……ええな、魚おるとこやろ」
光は楽しげに目を細める。魚に興味を持ってしまうのは猫だからだろうか。
「そうだよ。あ、マグロもいるよ!」
光の好物はマグロの猫缶だ。名前は笑顔でアピールする。
「おお、それは見てみたいわ。あの美味いやつ、本物はどんななんやろ」
光も楽しそうに微笑む。名前も嬉しそうに言葉を重ねた。
「すっごく大きなお魚なんだよ」
そのキラキラとした笑顔に、ようやく光は確信を持った。名前はもう大丈夫だ。
「よし。今から出かけるで、名前」
「えっ?」
「本屋にガイドブック探しに行こ」
ずっと名前を勇気づけてあげたかった。自分の力でこの場所から連れ出してあげたかった。光は名前の小さな手を取った。彼女の返事は待たずに、ぎゅっと握りしめる。
猫の姿では名前はあんなに大きく感じるのに、人の姿だとこんなにも小さく感じるのは、やはり何度経験しても不思議だ。
人間の男の子の姿の光に、強く手を握られて。名前は感動に息を呑む。光の方からこんなふうにリードしてもらったのなんて初めてだった。
今までは名前の方から光を誘って、名前ばかりが彼の面倒を見て、お世話をしていたのに。それがいつのまにか逆転していた。
ずっと小さな子猫だと思っていた光は、いつのまにかこんなにも頼りがいのある立派な男の子になっていた。我儘で甘えん坊な幼い少年などではなく、大事な女の子を自分の力で守り支えようとしてくれる、強くて格好いい男の子。
名前は感慨深い面持ちで瞳を細める。彼の姿がまぶしい。
「うん。……光、ありがとね」
泣き腫らした赤みがいまだに残る瞳で、名前はにっこりと笑った。そのたおやかな微笑みは、かつての元気だった頃の彼女の笑顔と重なる。
光と一緒にいられるのはあと半年。けれどこうやって、彼の成長を一番近くで見守っていられるのが、何にも代えがたい名前の幸せだった。
***
名前の小さな手を握って本屋までの道を歩きながら、光は改めて考える。猫の姿のときは、あんなにも大きくて母や姉のようにすら感じていた名前だけど。人の姿の今はとても小さく感じる。母のようになんてとても見えない。自分と同い年くらいの普通の女の子だ。
猫カフェからもらわれてきて五年間、名前はずっと自分を大事に可愛がってくれた。まるで本当の母のように、何の見返りも求めずに一途な愛を注いでくれた。そんな彼女に今度は自分が愛と感謝を返していくのだ。その命が尽きるときまで。
一日たった四時間でも、飼い猫ではなく人間の恋人として名前を支えよう。きっと神様はそのために、自分に変身の力をくれたのだ。
今までは自分の身勝手な要求を押しつけて、名前を困らせて、自分のことも苦しめてばかりだったけど、それはもうやめよう。たった四時間しか人間になれないことを恨むのも、人間の男を妬むのも、もうしない。
ずっと求めてばかりだった自分から、相手に与えられる自分になる。自分のできる精一杯で彼女に愛を返していこう。何よりも貴重な限りある残り時間を、大切に楽しく過ごそう。
(……名前、ほんまに好きやで)
決して口には出せない想いを、光は心の内で噛みしめる。
余命わずかでずっと一緒にいられなくても、男女として結ばれることが永遠になくても、それでも名前のことが好きだ。彼女も同じ気持ちでいてくれると、今なら素直に信じられる。
普通の人間同士の恋人のようにはなれなくても、限りある時間を二人で幸せに過ごしたい。自分の命の灯が消える、そのときまで。
本屋に着いてすぐ旅行雑誌を買って、光と名前は隣の喫茶店でお茶をしていた。買ったばかりの雑誌を広げながら、和気藹々としている。楽しそうなその様子は、周りからは仲のいい恋人同士にしか見えない。
けれど実際は猫と飼い主だ。神様しか知らない秘密の恋。光の正体を知っているのは名前だけで、名前の本当の優しさと強さを知っているのも光だけ。
世界で一番、甘くほろ苦い片想いが二つ。決して結ばれることのない二人は、どんなにお互いが想い合っていても、永遠の恋人未満だ。しかし、それでも。名前と光は幸せそうだった。
「――見て見て! 光、こことかどうかなあ」
はしゃいだ様子で、名前は紙面を指さした。関西で一番大きな水族館の紹介ページだ。近くにはショッピングモールに大きな観覧車がある。ハーバーサイドの景色が美しいところで、夏のお出かけにもぴったりだ。
「……まあええんちゃう」
「適当!」
初めての遠出、デートらしいデート。大好きな人とのお出かけは計画するのも楽しい。名前と光は笑いあいながら、行先の詳細を相談する。
旅行で一番楽しいのは計画を立てているときというのは、あながち外れていないのかもしれない。それくらい二人の笑顔はキラキラとしていた。互いを見つめる瞳は愛おしげで、そこに他者が入り込む隙などない。
全てが願い通りにはいかないけど、それでもやはり生きることは何よりも尊く、そして素晴らしいことだ。自分の心の持ち方次第で、どれだけでも幸せを感じられる。それがたとえ他人から見たら、とても満足できないような状況でも。
一緒にいられる、同じ目線で言葉が交わせる。お互いを愛して慈しみ合うことができる。今この時だけでも、人間の恋人同士と同じように過ごせるだけで幸せだ。猫だからとずっと諦めていたことが、今は全て叶っている。
それがたとえかりそめでも、自分は幸せだ。だけど、それも全て名前のお陰だ。名前が自分をこんなにも愛してくれたから。
きらきらとした宝物のような時間を大事に過ごそう。二人で過ごす最後の夏でも明るくいよう。口に出さずとも名前もそう思っていてくれるはずだ。元気に過ごして、沢山の楽しい思い出を二人で一緒に重ねて行こう。
雑誌の入ったビニール袋を提げて、笑いあいながら手を繋いで家路を辿る光と名前を、小春とユウジの天使二人は、天界から見おろしていた。
「……元気になったみたいやなぁ」
ハンカチで目元をふく小春に、ユウジが相槌を打つ。
「……せやなぁ」
二人とも満足げに目を細めていた。こういう幸せな思い出を与えてあげたかったから変身の力を授けたのだ。
場合によってはより残酷な結果を招いてしまいかねないあの力だけど。この二人なら大丈夫だと、試練があっても乗り越えてくれると信じたからこそ、神様はあの二人を選んで奇跡を起こした。
「これでひと安心やな、小春」
ユウジは小さく息を吐いて、笑みを浮かべる。
「ほんまやね、ユウくん」
小春もまた穏やかな笑顔を浮かべていた。神様の目にやはり狂いはなかった。御使い二人は胸をなでおろす。しかし光と名前はもちろん、それを知るよしもなかった。