謙也×同級生夢主
名前変換設定
恋戦記は現在一部のお話のみヒロインの名前変換可です薄桜鬼とテニプリは名前変換可、刀剣乱舞はネームレス夢です
恋戦記小説について
現在一部作品のみ名前変換可にしていますが、ヒロインの下の名前「花」が一般名詞でもあるため「花瓶の花」などで巻き込み変換されてしまいます
それでも良い方は変換してお楽しみください。それがダメな方はデフォ名「山田花」でお楽しみください
すみませんが、よろしくお願いいたします
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『……最近悩んでいることがあります。それは、彼氏の謙也くんのことです。お付き合いを始めてしばらく経ったんですが、まだ手も握ってもらったことがありません。
付き合って初めてクリスマスもただ一緒に遊んだだけで、何にもありませんでした。男の子ってこういうものなのかな……。
妹に相談したら、お姉ちゃんが色気ないからだよって爆笑されました。他人事だと思ってひどい……。
そう言って怒ったら、向こうから来ないなら、コッチから行かなきゃダメだよって、逆にお説教されてしまいました。
けれど、確かにそうかもしれません。勉強と同じでこういうことも努力あるのみだよね。せっかく同じ大学で、近くにいられるんだから頑張らないと』
そこまで書いて、名前は日記帳をパタンと閉じた。日課の、ではなく心の整理もかねて何かあったときだけ書く日記。
嬉しかったことや悲しかったこと、楽しかったことや悔しかったこと。この日記帳には名前の気持ちの全てが詰まっている。
その大切な日記帳を机の引き出しにしまって、彼女は息を吐いた。部屋のカーテンの隙間から見えるのは、漆黒の闇だ。
休前日の夜。もう遅い時間なのに名前はまだ眠れずにいた。明日は彼氏の謙也と会う約束をしている。つまりはデートだ。大学生になってようやくできた、人生で初めての彼氏。
告白は自分からだった。といっても事故のようなもので、ずっと好きだった謙也と何かのきっかけで二人きりになったときに、焦りすぎてうっかり好きだと伝えてしまったのだ。
だけどそれを受け入れてもらって、名前は嬉しさのあまり泣いてしまった。それが半年ほど前の出来事。
一人暮らしの謙也のマンション。今日はいわゆるお部屋デートだ。一緒に勉強をしたり、謙也がゲームしているのを隣で眺めたり。
いつも明るい謙也のことが名前は本当に好きだった。こうやって一緒にいるだけで幸せな気持ちになれる。たとえ恋人同士らしいことが何もなくても、こうやって彼の隣で過ごせるだけで満足だった。
日もずっと二人で勉強をしていた。そして現在は休憩中。用意してもらったコーヒーを飲みながら、名前は謙也の世間話に耳を傾ける。
「――そんでな、財前のヤツがいきなり帰るとか言い出してな。後で聞いたらその美人が財前の彼女やったらしくて、俺めっちゃびびったわ」
後輩のワガママに振り回されたときのことを、楽しそうに話すその声は、意外に低くて男らしい。子供っぽいキャラで誤解されがちだけど、背だってすごく高くて、そんなところも大好きだった。
人が良くて明るい謙也は友人が多い。大学でもいつも人の輪の中にいる。本人も周囲の人たちが好きなようで、彼の話題はいつもその人たちのことばかりだ。
イトコで同じ医学部の侑士、学部は違うけど中学からずっと一緒だった白石、そして中高時代の後輩で今は他の大学に通う財前。
なにかと話題に上るこのメンツのことは、名前もすっかり覚えてしまった。好きなものや嫌いなもの、謙也との他愛ないエピソード、そして付き合っている彼女について。
同じ大学の二人は顔くらいなら知っているけど、財前については顔も知らない。
けれど、沢山のことを知りすぎてしまって。名前はもうすっかり古くからの友人のような親近感を覚えていた。なのに。
(……でも、私はお友達のことじゃなくて、謙也くんのことが知りたいんだけどな)
そう、肝心の彼のことは。名前はまだ、ほとんど知らなかった。
***
「――それでまた何にもありませんでしたとか、お姉ちゃんはバカなの?」
「……バカじゃないよ。でも」
「でもじゃないよ! 彼氏の一人暮らしのお部屋行って何にもなしとか、本当信じらんない!」
妹の綾香に怒られながら、名前は俯く。名前の部屋で、姉妹二人はテーブルを囲んでいた。その上には紅茶とケーキ。
恒例の恋愛相談。けれど、実質はただのお説教。名前と違って何事にも積極的な綾香は、昔からすごくモテていた。勉強は少しだけ苦手だけど、ルックスは華やかで愛くるしく、名前の自慢の妹だった。
「つか財前さんの彼女が美人とかどうでもいいし! せめて自分のこと話せよって!」
スイーツがお供の女子会。ケーキを食べながら遠慮なく謙也を貶す綾香に、名前は悲しい気持ちになってしまう。
「綾香…… そんなふうに言わないで……」
妹とはいえ謙也のことを悪く言われるのは辛い。けれど、なまじ本当のことで言い返せない。綾香が自分のために怒ってくれているのも、伝わってきていた。
「お姉ちゃん、そうやって甘やかしてちゃダメだよ! ちゃんとアメとムチで操縦しないと」
「操縦って……」
「じゃないと他の子にとられちゃうよ! そんなのでも人気あるんでしょ、謙也さんって」
「う、うん……」
ついに、そんなの呼ばわりされてしまった。自分に自信があってモテる綾香は、とにかく色恋方面には手厳しい。
「あ~も~じれったいな! あっそうだ!」
「え?」
「今度デートするとき私の服貸してあげるよ! お姉ちゃんの服ってやっぱり色気ないし」
「……う」
歯に衣を着せない妹の指摘に傷付きながらも、しかし名前は思い直す。確かに綾香の言う通り自分の手持ちのアイテムは、異性へのアピールに欠けていた。色合いもシックで露出も少なめで。
しかし綾香のものはその逆だった。いわゆるモテ系だ。華やかで明るいカラーと、男性の視線を意識した適度な肌見せ。謙也の好みかはわからないけど、何かのきっかけになるかもしれない。
「……ありがとね、綾香」
「別にいいよ! お姉ちゃんのためだもん!」
可愛くてモテる妹のアドバイスは、すごく具体的で頼りになる。不安はあるけど頑張ってみよう。名前は気持ちを新たにする。
「――つか、そんなんで半年ももっとるんが信じられんっすわ、先輩」
「ッ! だから恥を忍んでお前に相談しとるんやろ、財前」
一方その頃。こちらも恋愛相談中だった。ただしこちらは無償ではなく有償だ。課題を代わりにやるのがその条件。さきほどからずっと、謙也はお喋りをしながらもサラサラとペンを走らせている。
「つか自分ばっか喋って相手頷いとるだけとか。ほんまに明日フられてもおかしくないっすわ。しかも会ったこともない俺のこと話題にしてどうするんすか。せめて自分のこと話すとか、相手に自分のこと喋らすとか、あるでしょ」
自分ひとりだけのんびりとコーヒーを飲みながら、財前は怠そうにそんな言葉を口にする。かろうじて相談に乗ってくれてはいるけれど、もう匙を投げる寸前といったその様子。
「でも、どっちもどうしてええんかわからんのや」
「は~ もう面倒見切れませんっすわ。謙也さんはコレのモノクロページでも読んどって下さい」
手近なところに置いていたカバンの中から雑誌を取り出すと、財前は謙也に押しつけて横になる。派手な表紙の男性誌。財前が読めと言ったのは、この手の雑誌でよくある女子の落とし方の記事だろう。
「ちょっ、ちょい待ち財前ッ!」
しかし雑誌の記事ではなく信頼できる知人に頼りたかった謙也は、今まさに居眠りをしようとしている財前を呼ぶ。けれど、現実は厳しかった。
「課題終わったら起こしたって下さい~」
よほど呆れ果てたのか、マイペースな後輩はそのまま眠ってしまった。
***
今日は待ちに待った名前とのデートだ。彼女の部屋に遊びに行く。今度こそは、と謙也は気合いを入れていた。数日前、後輩を拝み倒して仕入れたアドバイスを胸に、謙也は雪辱に燃えていた。
今日こそは、これまでの友人同然の関係から、一歩を踏み出すのだ。といっても、今日の目標は手を握ることとキスすること。大学生らしからぬ清らかさだ。けれど、今までのことを思えば仕方がない。
急いては事をし損じる。功を焦って、彼女を失っては元も子もないのだ。
(そう、千里の道も一歩からなんやで……!)
スピードスターらしからぬ想いを胸に秘め、謙也は本日のワンセットマッチに臨んでいた。
それにしても。駅前で待ち合わせて、並んで歩きながら謙也は思う。自分がそういった邪な思いを抱えているからだろうか。今日の名前はいつもにもまして、可愛らしく感じる。
この寒いのに、襟ぐりの大きく開いたニットに、ミニ丈のスカート。
足元はヒールの高いニーハイブーツだ。絶対領域はナマ足で、太ももの肌色に気を取られつつも、転ぶんじゃないかと心配になってしまう。
本人の歩く速さも足元を気にしているのか、こちらが合わせるのが大変なくらいゆっくりだ。
しかも、シャンプーでも変えたのか、いつもにも増していい香りがするのだ。もっと近づいて、もっと嗅ぎたくなるような甘い匂い。
「……今日、寒いね」
「あ、ああ! せやな!」
ここに謙也の後輩がいたら、きっと吹き出してしまうくらいぎこちないやりとり。普段以上に可愛い名前に微笑みかけられて、謙也は完全に舞い上がってしまっていた。
(つか胸、結構あるんやな……)
今も彼女が振ってくれた世間話を広げようともせず、そんなことばかり考えている。
今日の名前はコートの前を開けて着ていた。一応マフラーはしているけれど、すぐ隣を歩いている背の高い謙也にとっては、ラッキーなことに合法的な胸チラだった。歩調がゆっくりなのも、本当に幸いで。
(って、そんなことはどうでもええんや。今日こそはやるで! 俺は!)
財前コーチのありがたいお言葉を思い出しながら、謙也は決意を新たにする。
『つか向こうから言うてきたんなら、いつでもオッケーゆうことでしょ。チャンスみっけて強引に迫っとけばええんです。どうせ向こうもそのつもりなんでしょ』
微妙にツッコミどころのある気もするけど、何にせよ男の自分から行かないと。女の子、しかも内気な彼女に、積極的なことを期待するなんて失礼だ。
『……好きな男になら、むしろ強引にされる方好きなんじゃないんすか、女子は』
コーチの思わせぶりな笑みを反芻しながら、謙也はぼんやりと考える。
(……俺にはようわからんけど、壁ドンとか流行っとるし、きっとそうなんやろ)
けれど。強引な男の方がウケがいいのは分かっていても。臆病な自分は隣を歩く彼女の手も握れない。
(そのために手袋せんできたのに……)
真冬の冷たい空気にかじかむ手を、謙也はぎゅっと握りしめる。
幸いなことに向こうも手袋をしてなくて、不慣れなブーツでゆっくりと歩いていて、これ以上ないおあつらえ向きのシチュエーションのはずなのに。自分は、一体何をしているんだろう。
しかし、謙也がぐるぐると悩んでいるうちに。あっという間に辿り着いてしまった。一人暮らしではよくあるワンルームのマンション。鍵を開けて通される。
女の子の部屋というのは、まるでテーマパークのように可愛らしいものかと思っていたけど、名前の部屋はシンプルだ。
本人と同じだ。華やかさには欠けるけど、男兄弟育ちで女っ気のなかった謙也でも、くつろげるような落ち着いたところ。
掃除や片付けも行き届いていて、初めて訪れたときはさすが女子だと舌を巻いたものだった。
「……今、お茶入れるからちょっと待っててね」
自分をリビングに通してすぐ、名前はキッチンに行ってしまった。初めての彼女のお部屋、というわけではないのに。下心満載のせいかドキドキが止まらない。
自身に平常心を言い聞かせながら、謙也は部屋の真ん中のテーブルのそばに腰を下ろした。
***
目の前の彼女は相変わらず可愛くて、そして相変わらず自分をスルーして、ペンを動かし続けている。
謙也と名前は、それぞれの課題に取り組んでいた。大学で選択している第二外国語。たまたま同じ授業を取っていた。
恋人と部屋で二人きりだというのに。この色気のなさは何なんだろう。今日は財前コーチにアドバイスをもらってからの初めてのデートで、妙な気合いを入れすぎていたからか。何だかすごく物足りない。
集中できない謙也は、気がつくとペンをくるくるとまわしていた。
テレビもついていなくて、音楽も流れていない。名前の部屋はしんと静かで、図書館にでもいるようだ。そんなところも、謙也をいっそう物足りなくさせていた。
先ほどから取り組んでいる課題はちっとも進んでいない。いつもはこんなのさっさと終わらせてしまうのに。
まるで『おあずけ』をされている犬のようだ。美味しそうなエサ――彼女を前にして、ただ何もせずに待っているだけ。
大学になった今でも続けているテニスでは速攻型。何よりも待つのがキライなはずの自分が、一体何をやっているんだろう。
人付き合いは得意な方だと思っていたのに、彼女といると調子が狂う。中学や高校からのテニス部の仲間や、大学の同性の友人たちとは気軽に付き合えるのに、名前相手だとどうしてこんなに、ぎこちなくなってしまうんだろう。
一番、大切にしたいと思っている人のはずなのに。
『――ヘタレやからですよ』
『――うっさいわ! ドアホ!』
のろのろとペンを回しながら、謙也は頭の中の後輩と不毛な漫才を繰り広げる。不意に、自分の視界に愛用のコアラの消しゴムを見つけて。無意識に謙也はため息をつく。
机の上にはテキストの他に、ペンケースとお気に入りの消しゴムを置いていた。いつも使っている妙な形の消しゴム。
これだって同性の友人たちには大好評で、さっきからずっとツッコミ待ちをしているのに、名前は何も言ってくれない。ついに我慢できなくなって、謙也は目の前の名前を盗み見る。
(…………)
それにしても。やはり眼前の彼女は、眺めれば眺めるほどに可愛らしい。
軽く伏せられた睫は長くて、唇だってふっくらとしていて艶やかで。身長差の分だけ上から覗けてしまう、トップスの胸元は相変わらず眩しくて、つい誘惑されてしまう。
新しいシャンプーか何かの、あの甘い香りも健在だった。オトコ同士はただ汗臭いばかりだというのに、どうして女の子は――名前はあんなにいい匂いなんだろう。
同じ人間とは思えない。自分にとって、女子はやっぱりファンタジーだ。
「……あ、謙也くん」
「――ッ!」
不意に名前を呼ばれて。謙也は危うくペンを落としてしまいそうになった。けれど何とかキャッチして、謙也は愛想笑いで取り繕う。
「……ど、どしたん?」
「ここわかんないんだけど、教えてくれる……?」
おずおずとした上目遣いで、遠慮がちにおねだりされる。色気のない願いごとだけど、ずっと無言だったこともあり、謙也は素直に嬉しく思った。
テニスの次くらいに得意な勉強で、彼女に頼ってもらえたのも、彼氏冥利に尽きることだった。しかし、語学は彼女も得意な科目。受験生時代のセンターでは、自分と同じくノーミスだったと話していた。
(……なのに、分からんことがあるんやな)
不思議に思いながらも、謙也は名前の隣に行った。
『チャンスみっけてくっついて下さい。チャンスなかったら、何でもええから理由でっちあげてくっついてください。全てはそれからっすわ』
後輩にそうアドバイスされたからじゃない。せっかくのデートだというのに、ずっと離れたままで寂しかったのだ。多少不自然でも、本当は彼女の隣に並んで座りたかった。
「……ああこれな。これは――」
幸いなことに、彼女の質問は自分でも教えられるレベルのものだった。違和感を覚えられない程度にくっついて、謙也は名前に勉強を教える。
教えている最中、不意に彼女が身体を寄せてきて、その肩が自分の腕に軽く触れた。反射的に、謙也は名前を見つめてしまう。彼女もまた、謙也を見上げてきた。
至近距離でお互いの視線がぶつかって、言葉が途切れる。まるで時間が止まったような、一瞬の沈黙。
踏み出すなら、今だ。経験豊富な後輩に教わらなくても、それは自分でもわかるタイミング。しかし、謙也は自分からそのチャンスをフイにしてしまう。
「――す、スマンな。それで……」
目を逸らして、改めてお勉強の続き。こんな真面目キャラではないはずなのに。
謙也にとっての名前は、ケーキの上の砂糖菓子のような存在だった。食べてもいいものだと分かっていても、可愛くて、もったいなくて食べられない。
それどころか、そのあまりの愛らしさに、触れてはいけない特別なもののように感じてしまっていた。つまりは、あまりにも大切過ぎて、手を出す勇気が持てないでいたのだ。
それでずるずるきてしまって半年。初めてのクリスマスも、せっかく二人きりで過ごせたのに、結局何もできなかった。テニスでは速攻型なのに。スピードスターが聞いて呆れる。
失敗が怖いのだ。ダサイと思われたくない。優しい名前がそんなことを思うとは思わないけど、それでも謙也は踏み出せなかった。何となくそんな雰囲気になっても、つい目を逸らして逃げてしまう。
けれど。強く二の腕を掴まれて、謙也は名前の方を向かされた。そして、次の瞬間。視界が彼女で満たされて、謙也の唇に柔らかなものが触れた。
驚きで、一瞬何をされたのか分からなかった。唇を奪われたのだと理解したのは、その数秒後。
「……してくれないから、しちゃった」
いたずらを見つけられた子供のように言い訳をしながら。名前は淡く頬を染めて、困ったような笑みを浮かべた。あまりにも愛らしいはにかみ笑顔。
彼女からの、強引でぎこちないキス。普段の内気さからは想像もできない。名前の大胆な行動に、謙也は呆然としてしまう。
「……やだった?」
しかし。彼女の可愛らしい笑顔は、すぐに曇ってしまう。謙也が何も答えないでいるからなのは明らかだった。つぶらな瞳が悲しげに潤みはじめ、あっという間に、もう涙がこぼれる寸前。
「ま、まさか!」
このままではさすがにマズイ。謙也は慌てて釈明する。
「イヤなわけあらへん! めっちゃ嬉しくて、時間が止まって……」
「……よかった」
謙也のその言葉を聞いて。名前はようやく安心できたのか、表情を緩めて微笑んだ。潤んだ目元を指先で拭う。
その柔らかな、幸せそうな笑顔は、まさに恋する女の子。謙也のことが本当に大好きなのが伝わってくる。
「あのね、謙也くん。イヤじゃなかったら……」
服の裾をギュッと掴んで、名前はこちらを見上げてくる。不安に揺れる大きな瞳。謙也に触れている、細い指先は震えていた。
ずっと、女の子はファンタジーだと思っていた。だけどそうじゃない。悲しんだり、不安になることだってあるのだ。例えば、今この時のように。
彼女もまた自分と同じく、一向に進展しない関係にずっと悩んでいたのだろう。
内気で奥手な彼女に、無理をさせてしまっていた。ようやく、謙也はそのことに気がつく。恥ずかしがり屋で、恋に臆病で。
彼女がそういう子だと分かった上で、付き合っていたつもりだったのに。なのに、いつのまにか、自分のことで精一杯になっていた。
謙也は名前に身体ごと向き直ると、彼女の瞳を見つめて言った。
「……もっぺん!」
頬に熱が集まるのが分かる。胸の鼓動は、うるさいくらいだった。
「今度は俺から、させてくれへん?」
二人の初めて。できれば本当はもっとカッコよく決めたかった。それこそ、好きな映画のヒーローのように。それが無理なら、せめて自分が得意なテニスのように。
「できればそれが」
こんな言葉を口にするのは本当は恥ずかしい。耳まで赤くなっているのが自分でも分かる。
けれど、それは彼女も同じだった。さっきまでは泣き出しそうだったのに、今は頬をリンゴのように色づかせて、不安と期待が入り交じったまなざしで、自分を見上げている。
奥手で臆病で、だけど自分のために勇気を出してくれた、愛しい名前。そんな彼女に向かって、謙也は告げた。
「初めてってことで……」
謙也のその言葉に、名前は嬉しそうに笑った。初めて見る、花が咲いたような心からの笑顔。ずっと壁を感じていた彼女と、ようやく打ち解けられた気がした。
ごく自然に互いに顔を近づけて。二人は再び唇を重ねる。今度のキスは自分でも驚くくらい自然だった。先ほどとは全く違う、ほんの少しの無理もない、恋人同士の自然なやりとり。
二回目の、けれど二人にとっては初めての、キスを終えてから。唇を離して、謙也は名前と吐息のかかる距離で見つめ合う。
「……スピードスターって嘘でしょ」
いたずらっぽい笑みを浮かべて、名前は自分に文句を言ってきた。この距離じゃなきゃ聞き逃してしまうような、とても小さな、囁くような甘い声。
その表情も声も仕草も。大好きな彼氏に甘えて拗ねる、可愛い女の子そのもので。
「……スイマセン」
つい謙也は謝っていた。あの可愛らしさには抗えない。あまりにも大切すぎる、この恋の前でだけは、スピードスターもかたなし。恋に焦がれて夢を見るのは、女の子だけじゃない。
『――でもま、ええんちゃいます?』
脳内の後輩が、珍しく優しい言葉をくれた。
***
『――やっと一歩踏み込めました。ずっと何もなかったらどうしようって心配してた』
夜。部活の先輩と約束があるという謙也を見送ってから。名前は今日の記念に日記を書いていた。新しいページに丁寧に文字をしたためていく。
『大好きな謙也くんと上手くいってすごく嬉しい。自分だけじゃダメだったかも。綾香にもお礼を言わないと。いつも頼りになる綾香、アドバイス本当にありがとね』
そう書き終えて。改めて、名前は今日の謙也との半日を回想する。妹の綾香の具体的なアドバイスには、ずいぶん助けられた。
手袋なし作戦は手をつないで貰えなくて失敗したけど、それ以外は大成功といってよかった。生まれて初めての華やかなお洋服も、甘い香りの香水も、わざと作った隙も。
ここが分からないも嘘だった。くっついてもらうための口実。謙也が来てくれなかったら、自分から彼の隣に行くつもりだった。
「……頑張って、よかったな」
幸せそうにつぶやいて。名前は日記を閉じた。まだおろしたて。使い始めたばかりの新しい日記帳。どんな思い出を増やしていけるだろう。
(……使い終わる頃には、もっと仲良くなれてたらいいな)
今はぎこちないことの方が多いけど、色んな出来事を重ねながら、少しずつ距離を縮めていけたらと。そんなささやかな願いをかけて。
名前は改めて微笑んで、大切な日記帳を机の引き出しにしまいこむ。