孟徳さんが過労で倒れる話
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恋戦記は現在一部のお話のみヒロインの名前変換可です薄桜鬼とテニプリは名前変換可、刀剣乱舞はネームレス夢です
恋戦記小説について
現在一部作品のみ名前変換可にしていますが、ヒロインの下の名前「花」が一般名詞でもあるため「花瓶の花」などで巻き込み変換されてしまいます
それでも良い方は変換してお楽しみください。それがダメな方はデフォ名「山田花」でお楽しみください
すみませんが、よろしくお願いいたします
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何がしたいかじゃなくて、何をすべきかしか考えていなかった。もう長い間ずっと。だから自分の本当の望みすら、今となってはよくわからない。
「やりたいことは色々とあったはずなのに、いざ休みになると何をしていいのか分からなくなるんだよな。せっかく時間があいたのに」
定宿の高級ホテルで高熱を出して倒れてから数日。自宅マンションの寝室で、相変わらず点滴に繋がれたまま孟徳は真顔でぼやいていた。ベットサイドに控えるように立つ元譲は、気の毒そうな顔で彼の名を呼ぶ。
「孟徳……」
「とはいえ、何かしようと思っても少し動くだけで高熱が出る。だから何もできない。だが、ずっと横になっているのも退屈だ。昼間うっかり眠ってしまうと夜に寝られなくなる」
光の消えた瞳でひたすら文句を言い続けている孟徳を不憫に思いながらも、元譲は返答に窮して口ごもる。
そんなことを言われても困るのだ。過労を原因とした孟徳の病に特効薬はなく、結局のところきちんと抗生剤を服用し栄養のあるものを食べて身体を休めながら、時が経つのを待つしかない。
「……身体を休めてくれ。後生だ」
元譲は改めて孟徳に頭を下げる。まだ彼を失うわけにはいかないのだ。なんとかして機嫌を直させて、仕事へのやる気を取り戻してもらわなくてはならない。
このまま健康問題を理由にして職を辞されても困るから、元譲は苦し紛れに彼女の話題を出した。今やただひとりこの緊急事態を何とかできるかもしれない存在だった。
「……今はここにあいつがいるからいいだろう。話し相手にでもなんでもなってもらえ」
「彼女を便利に使おうとするな」
「すまん。そうだったな……」
つい頼りにしてしまう。まだ若いのに強くて賢い子だから。
「だがあいつでないと嫌なんだろう、お前は。他の人間では許容できないんだろう」
「……よくわかってるじゃないか」
「当たり前だ。何年の付き合いだと思ってる」
元譲は咳払いをすると。改めて言葉を続ける。
「サブスクで映画でも流しておくか? 何か欲しいものがあれば買ってくるが」
「……気が向いたら動画でも流す」
「そうか」
元々は一歳差の従兄弟で今は上司と部下。わがままで気分屋の上司のご機嫌が一応は直ったのを見届けて、元譲は彼の寝室を後にした。
部屋にひとり残された孟徳は、ぼんやりと思考を巡らせる。
(暇つぶしに花ちゃんと一緒にパソコンで映画でも見ようかな……。でもな)
本調子ではないせいか、そんな気になれない。元気ならそれこそいくらでも、映画を流しながら花とベタベタできたのに。
昔から孟徳にとって自宅マンションのテレビやパソコンで女の子と見る映画なんて、その程度の意味でしかなかった。だいたい途中で行為になだれこむから、最後まで見れたためしもなく。
そもそも、本当に集中して見たければ劇場に行くし、家で見るにしてもひとりで見ていただろう。自分の場合は隣に意中の女性がいると、どうしても雑念が混じってしまうから。それにしても。
(体がだるいな……)
時計を見ると、そろそろ抗生剤と解熱鎮痛剤の切れる時間だった。だからやる気が出なかったんだろうか。
(追加、飲まないとな)
孟徳はベッドサイドに置かれている薬を取り出し口に含むと、そのままタンブラーに入れて置いてあった水で流し込んだ。早く元気になって花と触れ合いたい。
これまでは、体調を崩すたびに『このまま仕事なんて辞めてどこか遠いところに行きたい』と、そんなことばかり考えていた。自分に無茶な労働を強いてそれを当たり前と思っているかのような周囲が嫌で仕方がなかった。
けれど、今の自分の隣には花がいる。甲斐甲斐しく看病してくれて、いつも心配してくれる花のためにも早く元気になりたかった。花のために治療を頑張ろう。孟徳は決意を新たにしたが。
(……それにしても、この点滴いつ外れるんだろうな)
あまりにも煩わしい。お手洗いに行くときすら一緒の左腕に刺さるそれを、孟徳は恨めしげに見上げる。しかし、それはその後すぐに取れることになる。
『――よし、これでもう大丈夫じゃな。追加の抗生剤と解熱剤を置いておくから、こっちは引き続き飲んでおくんじゃぞ』
これまで毎日のように往診してくれていた老医師が、点滴の道具一式を回収して薬を置いて帰ったあと。孟徳の寝室には孟徳本人と文若と花が残された。
「点滴が外れてよかったですね、孟徳さん」
「点滴はとれましたが、引き続きのご静養をお願いいたします。常務。退屈でしょうが……」
わかりやすく喜ぶ花と気遣いながらも釘をさす文若。対称的な二人である。孟徳は寝室のベッドで上体だけを起こして文若に返事をする。
「わかってる。この期に及んで無茶はしない」
しかし、花は孟徳が暇を持て余していると聞いて過剰に心配していたらしく。
「何かいい気晴らしがあればいいんですが……」
ひとり真剣に考え込んでいる様子だ。
そんな彼女を横目に、文若は改めて口を開いた。今はまだ平日の昼間。病人でも春休み中の学生でもない文若には、まだやらなければならないことがあるから。
「……常務、それでは私は一旦下がらせていただきます。リビングで仕事をしておりますのでご用の際はお声がけください。花も手伝いが必要であれば遠慮なく呼んでくれ。あとは頼んだぞ」
律儀に花にも言葉をくれてから文若は一礼して孟徳の寝室を辞した。花も「わかりました」と答えて文若を見送る。
孟徳が過労で倒れて自宅療養になってからというもの。花は泊りがけで孟徳の看病をしていたが、文若や元譲も在宅勤務に切り替えて孟徳のマンションで仕事をし、こうやってときおり孟徳の世話をしていた。花だけでなく文若や元譲もまた、孟徳のことを気にかけている。
しかし孟徳は相変わらずムスッとした様子で文若に返事もしない。花はいまだに拗ねているらしい孟徳を宥めるように笑顔を作ると。
「……お休みはあと一週間と少しですよね。点滴が取れて良かったですね。これで多少は自由に動けますよ」
いかに孟徳といえども大切な花に苛立ちをぶつけるような真似はさすがにしない。表情を和らげると孟徳は花を見上げて。
「うん、そうだね。ちょっと身軽になった気がする」
花や文若ほどの若さはないとはいえ、孟徳は元々タフで回復力のある人だ。服薬と安静と点滴による栄養補給で調子を取り戻しつつあった。その点滴も無事に外れて、これでもう家で大人しくしていれば事足りる。
花は安堵の息を吐くが、不意にあることを思い出した。
「……孟徳さん、お腹空いてませんか? ずっと食べてないですよね?」
これまでずっと点滴に繋がれてベッドの上で過ごしてきた。寝たり起きたりしながら食欲がないなりに何かを口に入れていた孟徳だったが、ちゃんとしたものは食べていなかった。
「……そうだね。そういえばそうかも」
「私、なにか作ってきますね。おかゆでいいですか?」
「えっ、別にいいよ……! 食事の支度なんて他の奴にやらせればいい。君の仕事は俺のそばにいることだよ……!」
食事の支度を理由に自分から離れようとする花を、孟徳は焦った様子で引き留めようとした。まるで大好きな母から離れるのを嫌がる幼い子供のような。
けれど、これが病を得てからの孟徳の通常運転だった。何か不安なことでもあるのか、あるいは心細さでもあるのか、花を自分のそばから離したがらない。
けれど、他の人にやらせるといっても、いま孟徳のマンションにいる文若と元譲は在宅とはいえ勤務中で雑用を気軽に頼むわけにもいかないから、花はなんとか孟徳を宥めようとした。
「すぐ戻ってきますよ。おかゆくらいならすぐできますし……。それに、食べないと元気になれませんよ」
食べないと元気になれない、が効いたのか。孟徳はようやく不承不承ながらも花に同意してくれた。
「それもそうだね……。わかったよ……」
ちゃんと食べて眠らなければ人は生きられないということくらい理解している。花と出会う前の孟徳であれば、食欲の有無に関わらず身体を早く治すために、出された食事を無理やりにでも口にしていただろう。
けれど、今の孟徳は花と出会って花を愛してしまった彼だから。花が絡むと冷静でいられなくなってしまう。
「……なるべく早めに戻ってきますから、少しだけ待っててください」
とはいえ、花は惚れた弱みで孟徳を甘やかすような女性ではない。孟徳を宥めて、さっさとキッチンに向かってしまった。
しかし。彼女の言葉に嘘はなく、おかゆを作って花はすぐに戻ってきた。時間にしておよそ十分以内。花の早い戻りに孟徳は機嫌を直す。
「――おいしいよ、花ちゃん。またお料理上達した?」
手早く作られたおかゆはとても美味しく、孟徳は力ないながらも笑顔を見せる。中華風の味付けの卵がゆは手作りらしい優しい味がした。花は恥ずかしそうな微苦笑を浮かべると謙遜する。
「孟徳さんってば……。別に普通ですよ」
「そんなことないよ。君の作る食事はなんだか優しい味がするんだ。いつもありがとう」
「お口に合ってよかったです」
花は安堵の笑みを浮かべたが、不意に真面目な顔になると。心なしか頬を淡く染めて、孟徳に尋ねかけてきた。
「孟徳さん『はい、あーん』とかした方がいいですか?」
「え?」
たしかにそれは恋人を看病するときのお約束なんだけど。普段から恋人らしいやりとりをしたがらない花にそんなことを尋ねられて、孟徳は戸惑う。
けれど、彼の辞書に遠慮の文字なんてないから、孟徳は今日一番のイイ笑顔を見せた。据え膳食わぬは男の恥だ。
「じゃあ、お願いしようかな」
「わかりました」
しかし、花もまたどこか嬉しそうだった。先ほど彼を置いてキッチンに立ったことへの、花なりの埋め合わせなのだろうか。
「孟徳さん、はいあーん」
花はスプーンでおかゆをひとさじすくうと、孟徳の口元に差し出した。
「あーん」
孟徳はご機嫌でぱくりと食べる。
「……なんか嬉しいな。こうやって誰かに甘えたのなんて子どもの頃以来だよ」
花と出逢う前は他の女の子たちと一緒にいたこともあったけど、彼女たちを信じていなかったから弱みも見せなかった。
病を得たときも、弱っているところを見せたくなかったから会わなかったし、そもそも体調を崩しているということすら隠した。だから、こうやって甘えたのは花が初めてかもしれない。
頬を淡く染めて喜ぶ孟徳に、花も嬉しそうに目尻を下げる。
「沢山甘えてください。孟徳さんがちゃんと元気になるまでずっと側にいます」
「花ちゃん……」
「まだ、おかゆたくさんありますよ。食べてください。はい、あーん」
「あーん……」
しかし。
「――おい孟徳」
突然部屋の扉が開けられて元譲が顔を出した。けれど、孟徳と花の二人の姿を目にして元譲はすぐに扉を閉めた。
「――失礼した」
「……花ちゃん、俺いま心の底からあいつが邪魔になったよ。子会社転籍でも命じて追い出してやろうか」
「やめてください……。孟徳さん……」
ほんの少し甘い生活の邪魔をされただけなのに、とたんに不穏なオーラを放ち始める孟徳を花はなだめた。今の彼が言うと冗談に聞こえない。
「……もういいや、普通に自分で食べる。花ちゃんありがとう。久しぶりに楽しかった」
「はい」
ちょっとしたアクシデントはあったけど、孟徳が喜んでくれたならよかったと花は安堵する。
「ごはんを食べたらお風呂に入りたいな。悪いけど、仕度してもらってもいい?」
「わかりました。任せてください」
夜には熱が上がってしまうから、気が向いたときに早めにお風呂に入ってしまう。これも孟徳が病を得てからのルーチンのひとつだった。
「――やっぱりお風呂は気持ちいいね。早く好きなだけ入りたいよ」
まだ体調は良くなくて、長風呂のできる体力はない。身体と髪を手早く洗って風呂から上がった孟徳は、寝室に戻って花に髪を拭いてもらっていた。
「お疲れ様でした。孟徳さん。髪の毛乾かしちゃいますね」
「うん」
花は早速ドライヤーを取り出してスイッチを入れる。
「……孟徳さんの髪の毛ふわふわです」
ゴーゴーという音に負けないように花は少し大きな声で話す。孟徳の赤茶の猫っ毛は洗いたてでサラサラだ。さっきまでは汗の匂いで今はシャンプーの匂い。本物の猫のようで花は目尻が下がってしまう。
孟徳は猫科の動物のようだと思うときがある。だけど猫というよりは自分にしか懐かないライオンだ。他の人にも懐いて欲しいんだけど、それは言っても仕方のないことだから。孟徳が元気になるまで、花は猛獣使いとしての職責を全うするつもりでいた。
しばらくドライヤーをかけて、花は孟徳の髪を乾かし終わる。
「……これでおしまいです。乾きましたよ」
「うん。ありがとう」
「スポーツドリンク取ってきますね。ちょっとだけキッチンに行ってきます」
「え、俺も行くよ」
「大丈夫なんですか? 私、すぐに戻ってきますよ?」
「平気だよ。というか、ずっと寝室にいるの退屈になっちゃったんだよね。だからさ」
「……わかりました。じゃあ行きましょう」
こうやって二人揃って寝室から出るのはしぶりで、花は嬉しい気持ちになる。花も孟徳もここ数日は病室や自宅マンションの寝室でほぼ軟禁状態だったから、まるで籠から放たれた鳥のような開放感だった。
キッチンからはリビングが見える。リビングでは元譲と文若が仕事をしているはずだったのだが。
「……何だよお前ら、随分呑気そうじゃないか」
「――常務」
「孟徳!」
二人はノートパソコンを机に出したまま休憩をしていた。文若はお茶を、元譲はコーヒーをそれぞれ口にしていた。
「もう定時は過ぎておりますので」
「そういうことだ」
時計を見るといつの間にか十八時を過ぎていた。淡々と言い訳じみた説明をする部下二人に孟徳は腕組みをして答える。
「……なるほどね」
花はそんな元譲と文若に挨拶をした。
「お疲れ様です。お二人とも」
「ああ」
「別に疲れてはいない。それよりお前は大丈夫なのか」
自分だってずっと仕事をしていたはずなのに、文若は花を労わってくれる。
「私は平気ですよ。そんなに心配しないでください。……孟徳さん、私たちも休憩しましょう。私、飲み物を取ってきますね」
「花、私がやろう。お前も疲れているだろう。休んでいろ」
「え、でも」
「気にするな。一人暮らしも長いからな。これでも家事は得意な方だ」
戸惑う花に微苦笑を浮かべて文若は立ち上がった。そのままネクタイを外してキッチンに向かう。
「……花ちゃん、気にしなくていいよ。君の一番の仕事は俺の隣にいることだから。君にしかできない大事な仕事だよ。他のことは文若たちに押しつけておけばいい」
「そういうことだ。……文若、俺も用意を手伝うぞ」
結局、飲み物の支度は文若と元譲に任せて、花は孟徳と座って待つことになった。
テーブルに並んでいるのは、ノンカフェインのお茶とカットフルーツだ。イチゴにオレンジ、パイナップルといったお馴染みの果物がガラスの器に盛られている。
「わぁ、美味しそうですね」
「ついでに夕食の用意もしてしまうから、それでもつまみながら待っていてくれ」
「すみません、文若さん」
「構わない。……常務、次回の服薬は何時頃のご予定ですか。そろそろかと記憶していましたが」
「あ」
「……そうだな。忘れないように今飲んでおく」
「孟徳、水だ」
すかさず元譲がコップに入った水を置く。文若もだけど、元譲もさすがの手際の良さだ。打てば響く、阿吽の呼吸。
「……孟徳さん、私寝室に行ってお薬を取ってきますね」
「大丈夫だよ、花ちゃん。薬なら持ってきてるから」
立ち上がろうとする花を視線と言葉で制して、孟徳は部屋着のポケットから抗生剤を取り出すと、元譲の持ってきてくれた水でさっさと飲んでしまった。
「さすがにこれくらいの自己管理は、自分でしないといけないからね。……ついでに頭痛の薬も飲んどこうかな」
「なるほど……」
普段から頭痛薬を飲んでいる孟徳は、定期的な服薬には慣れているようだ。
「……花ちゃんも俺のことはいいから、果物でもつまんでなよ。おいしそうだよ」
「は、はい。頂きます」
「はいどうぞ。……ま、準備したのは俺じゃないけどね」
孟徳は微笑んで小さく肩をすくめる。
「元譲さん、文若さん、ありがとうございます。いただきます」
「ああ」
「礼など不要だ」
手を動かしながらも、二人は返事をしてくれた。
「俺も食べようかな。いただきます」
孟徳もそう口にしてイチゴをつまんだ。
「果物はさっぱりしてて美味しいね。具合悪くても食べようって気になるよ」
ひとつ目を食べ終わりふたつめに手を伸ばす孟徳に、文若が声を掛ける。
「……常務、夕食は何を召し上がりますか」
「何なら作れるんだよ?」
「うどんか粥でしょうか。野菜スープもご用意できますが」
「スープだけでいい」
「わかりました」
孟徳のマンションのキッチンで文若や元譲が料理をしているのが新鮮で、花は果物を食べながらてきぱきと作業を進める彼ら二人をそれとなく眺める。
文若と元譲は手際よくあっという間に野菜スープとパスタを作ってくれた。すぐできて美味しい軽めのごはんだ。
孟徳は「独り身が長いから何でも自分で出来るんだろ」と主に文若を揶揄していたけど、一人暮らしの花にしてみれば、他の人が作ってくれたご飯というだけで嬉しい。
仕事もできて家事もできる文若たちは凄い。仕事極振りの孟徳と違ってバランス型だ。そして、文若たちが作ってくれたご飯もまた、どこか優しい味がした。
そして夕飯を食べ終わり、文若と元譲がそれぞれの自宅に戻ったあと。花はキッチンで片づけをしていた。孟徳はそんな彼女をリビングのソファーから眺めている。
「もう、花ちゃんは優しすぎるよ。台所の片づけなんて、それこそあいつらにやらせればよかったのに」
「そんなわけにはいきませんよ、お二人は明日もお仕事なのに……」
孟徳は『俺の過労の原因はあいつらなんだから、あいつらがなんでもやるべきだ。俺の花ちゃんを煩わせるな』と思っているみたいだけど。
大学の春休み期間中で授業もなく、ただ孟徳のマンションにいて彼の相手をしているだけの自分と、在宅とはいえ働いている文若と元譲。
いくら孟徳や文若たちが構わないと言ってもあまり甘えるわけにはいかないから、花は夕食の後片付けを引き受けていた。
孟徳の話し相手をしながらも、花は手早く食洗器に食器をセットしてボタンを押した。これであとは機械がやってくれる。
花はシンクを綺麗にして手を洗うと、暇を持て余しているらしい孟徳のもとに小走りで向かった。家事をやらなくてはいけない花と構ってもらえないのが寂しくてずっと花に話しかけている孟徳は、相変わらずお母さんと小さな子供のようだ。
花は孟徳を宥めるように努めて優しい笑みを浮かべると、孟徳の近くにちょこんと座った。
「孟徳さん、後片付けが終わりましたよ。これで孟徳さんの相手ができます」
「……もう。俺を後回しにするなんて君くらいだよ。俺と台所の片付けと、どっちが大事なの?」
孟徳は完全に拗ねてへそを曲げているようだ。面倒な質問を投げかけてくる。
「えっ……」
ついうっかり『台所の片付けです』と答えそうになり、花は口ごもる。しかし孟徳は追撃の手を緩めない。
「ねえちょっと、なんでそこで黙り込むの? 答えてくれないなら都合よく解釈するよ?」
「も、孟徳さん……!」
彼に嘘は通じないから。「孟徳さんの方が大事です」と言っても嘘だと気づかれてしまう。けれど今の状況で「台所の片付けの方が大事です!」と答えるのも憚られて、花はなんとか誤魔化そうとする。
「そんなこと、もういいじゃないですか。片付けは終わりましたし、孟徳さんの相手ができますよ。元譲さんたちも帰られましたし、誰にも邪魔されません」
「仕方がないな。今回は誤魔化されてあげる。今回だけ、だからね?」
職業人としての孟徳も厳しいけど、恋人としても孟徳は厳しいから。花はたじたじだ。求められることは常に多く大変なこともある。だけど彼のためなら自然と頑張れる。努力も苦にならない。そんな花だった。
「やっと、花ちゃんがこっちにきてくれた」
「……はい」
先ほどから。三人掛けのソファーで寝そべっている孟徳の顔の近くの床に、花はちょこんとしゃがみこんでいた。孟徳はそんな彼女の頬にそっと触れる。花を見つめる孟徳の琥珀の瞳が甘やかに揺れて、愛おしげに細められた。
「俺は優しくて働き者の君が大好きだけど、たまには俺を優先してよ」
「はい。すみません。……今からは、孟徳さんだけの花ちゃんですよ」
「……っ! 今のはちょっと不意打ちかな」
驚きに軽く目を見開いて孟徳は照れくさそうに笑うと、淡く頬を染めた。花はこの手のリップサービスはあまりしてくれないから、たまにされると孟徳はまるで恋を知ったばかりの少年のような無防備な反応を返してしまう。
とはいえ、子供のような面もある孟徳だけど、彼はそれだけの人ではないから。
「うーん……。でも、やっぱり今のは嘘かな。君は俺だけのものには、なってくれないでしょ」
せっかく花に甘やかしてもらっているというのに、孟徳はどこか寂しそうだ。
自分こそお目当ての女の子をモノにしたらすぐに興味を失うくせに、孟徳はそんな自分を棚にあげ、時々こうやってわざとらしく花の前で寂しがるのだ。
「そんなことないですよ。私が好きなのは孟徳さんだけですよ」
「これは本当だけど……。君は、男にかまけてやるべきことを放り出すような女の子じゃないよね」
「……そ、それは」
言葉に詰まって、花は瞳を泳がせる。その通りなんだけど、恋人である孟徳に対して「そうですね!」なんて堂々と言い放ってしまうのは、なんだか申し訳ない気がして。
「ごめんごめん、そんな困った顔しないでよ。……それでいいんだよ。俺はそんな君だから好きなんだ」
「孟徳さん……」
殊勝なふりをしつつも、孟徳はやはりまだ寂しそうにしている。さすがに可哀想になってしまった。孟徳はいつだって花を甘やかそうとしてくれるのに、花は彼に何も返せていないような気になってしまう。
それに、自分の愛情が少しも伝わっていないようで、それも嫌だったから。花は気合を入れなおすと孟徳に対して宣言した。
「……わかりました。孟徳さんには言葉で言っても伝わらないみたいなので、私にも考えがあります」
「え?」
「これからは、ちゃんと孟徳さんに納得してもらえるように、好きな気持ちを行動で伝えます」
そう口にしてすぐ、花は孟徳の頬に唇を触れさせた。
「花ちゃん……」
「私だって、ちゃんと孟徳さんが好きなんですよ。これで伝わりましたか?」
怒ったような、照れたような表情で。唇を尖らせる花に孟徳はたじたじだ。こういうときの花はいつも以上にかわいらしいから。
「……俺の花ちゃんはやっぱりかっこいいな」
「今日は、孟徳さんがまだ病気なのでこれくらいで許してあげます。元気になったら覚えててくださいね」
「うん」
いつもと逆だ。けれど、孟徳が過労で倒れたその日からずっとつきっきりで片時も離れていないのに。愛を疑われたのが寂しかったから、花はいつになく強気だった。
「……寝室に戻りますか? それとも、まだリビングにいますか?」
「もう少し、ここにいたいな」
「わかりました。それじゃあ、お茶でも淹れますね。待っていてください」
「うん、ありがとう」
ゆっくりできるお休みはあと一週間。療養中の二人のひとこまだった。