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Paw, my girl!
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「……血が出てる」
蔵馬はそっと私の鎖骨を冷たい指先でなぞった。
「大丈夫だよ、痛くないし」
突然、抱きしめられて息が詰まる。
「く、ら……」
「ごめん……ごめん」
何が起こっているの? そう聞こうかとも思った。
でもやめた。
蔵馬が最近部屋にこもりがちだったのは、今になって思えば、私を守るためだったんだ。
あのふたりが蔵馬に何をさせようとしているのかは、知らない。
蔵馬は何故それをしないかも、知らない。
蔵馬は私に何も言わなかったから。
そして、今も。
蔵馬は私の髪に顔をうずめた。
きっと、私に話しても何の解決にもならないことなんだろう。
私にできることは何もないんだろう。
関係ない人間だから、と思っているかもしれないし、心配を掛けたくないと思っているのかもしれない。
実際のところは、大したことはないけれど、こうして怪我をしたし、怖い思いもした。
本当のところは、力になりたいと思っている。
蔵馬の腕の中は暖かくて、花の香りがする。
私がいることで、きっと蔵馬は不自由な思いをしている。
それでも私は、彼のために出て行く勇気なんてない。
だって、私はこの世界では生きられない。
私ってこんなに自分勝手だったんだ。
蔵馬の手が、確かめるように私の髪に潜り込む。
きっと、考えれば、いい方法だって見つかると思う。
もしかしたら、私にできることがあるかもしれない。
そうしたら、蔵馬の負担が減って、私も堂々と蔵馬をここで待って、人間界に帰ることができるでしょ?
……もしかしていま私、自分の都合のいいように考えている?
「ごめん、夏希」
あなたはやっぱり何も話す気はないんだね。
いま起こったことに説明は施されない。
あなたの周りには、誰も寄せ付けない厚い膜が張られている。
それなのに、何でそんなに淋しそうな顔をしているの?
蔵馬は確かめるように私を抱きしめ、そうしているうちに、私の服はついに力尽きて、辛うじてつながっていた肩の部分がぴりっと切れた。
「あっ」
私は慌てて離れようとしたけれど、蔵馬は私を離さず、背中がぺらっとまくれ落ちて、彼の腕に引っかかった。
どっ、どうしよう。
とっさに脇に力を入れて、前身ごろだけは死守しつつ、蔵馬を見上げて息を呑んだ。
葛藤しているような、苦しそうな目がこちらを見ていたから。
見てはいけないものを見てしまったように感じて、慌てて俯く。
視界に、はだけてしまった胸元と、下着のレースが飛び込み、ドキッとする。
妖怪と人間、とか、そんな大層な生物学的分類を持ち出さなくたって、人間同士だって理解し合えないことばっかりだ。
例えば先生と生徒、例えば体育会系と文化系、例えば……男子と女子。
私は女だから、「そういうこと」は大好きな人とロマンティックに……って思う。
でも男子のおしゃべりを聞いていると「誰でもいいからやりてー!」なんて言っていたりする。
それも理由はテスト勉強でストレスがたまったからとか、大会で勝ったからとか、最近そういうことをしてないからとか……。
まるで私たち女子がご褒美スイーツを食べたがるみたいに。
――蔵馬も、そうなのかな。
だからと言って「はい、どうぞ」なんて抵抗があった。
私はケーキじゃないもの。
例えばそれで蔵馬が精神的に……なのかよくわからないけど、楽になるって言われても、やっぱり、なんか、イヤだ。
だからって蔵馬が嫌いなんじゃない。
でも私には一樹がいるし……
そこまで考えてハッと気付いた。
最近、一樹のことなんて思い出しもしていなかったことを。
まるで、探し回るようにして、その名前を引っ張り出してきたことを。
私は動揺のあまり、思わず蔵馬にしがみついてしまう。
蔵馬が小さく息を飲むのが伝わってきた。
これじゃ、まるで誘ってるみたいだって気付いて、でもどうしたらいいか分からずに唇を噛む。
私、一番肝心な気持ちを直視できなくて、認められなくて、ちょっとずつ目をそらしてた。
そうだ、きっと、私が離れるのが怖いのは、この部屋じゃなくて蔵馬なんだ。
私の中で蔵馬は、いつの間にか一樹より近くて大きな存在になってしまっていたんだ。
それなのに「ご褒美のケーキ」にはなりたくない、なれるかもしれないのになりたくない……。
そういうことはちゃんとお互いの想いが通じ合ってから。
そういうことはしばらくお付き合いしてから。
なんてワガママなんだろう。
なんて子供っぽいんだろう。
私は蔵馬に、こんな大変な思いをしている蔵馬に、この上さらに「女の子の夢」を押し付けようとしていたんだ。
「蔵馬、ごめんね……」
「どうしてキミが謝るの?」
私は蔵馬の背中に回した腕にギュッと力をこめる。
「……夏希、着替えよう?」
私は思い切って伏せていた顔を上げる。
その拍子に、ついに胸元を覆っていた布がピラッとまくれて下着が丸出しになってしまう。
一瞬慌てたけれど、私は小さく息を吸って、あらためて蔵馬を見上げた。
「い……いの」
「夏希……」
蔵馬の手が、そっと後頭部から離れて、私の頬を優しく包んだ。
冷たいその指が触れているのに、頬はどんどん熱くなってくる。
不意に蔵馬が身をかがめ、私の首に残っていた襟の残骸を指で押し上げて顔を近付ける。
私はもう、どうしたらいいのか分からなくなってしまって、身体を硬直させたまま、ただ浅い呼吸を繰り返すしかできなかった。
「……んっ」
蔵馬の舌がデコルテの傷をそっとなぞる。
傷は本当に痛くもなんともなかったけれど、やっぱり触れられるとなんだかむず痒い。
でもそれ以上に、いままで感じたことのない感触のほうに驚いてしまって、反射的に蔵馬を突き飛ばしそうになる手をギュッと握りしめた。
そのくせ、舌ってもっと柔らかいと思ってた、とか、あたたかくて生き物みたいだ、とかトンチンカンなことを考えていたりもするんだから、案外余裕があるのかもしれない。
「……痛かった?」
顔を上げた蔵馬が、まつげが触れ合いそうなほどの至近距離で囁く。
私は首を振ろうとして、でもうまく動かなくて、そのときやっと自分が震えていることに気付いた。
余裕どころか現実逃避してたんだ……。
意地になってロボットみたいにぎこちなく首を振ると、蔵馬はもう一度私をギュッと抱きしめた。
こうしていると身体全体、蔵馬に包み込まれているみたい。
すごくすごく安心するのに、どうしてか震えは全然止まらない。
「夏希……」
蔵馬の囁き声とともに、私はビクっと身体を緊張させた。
服越しに触れていたもう片方の手が、ふうっと上に動いて、背中にじかに触れたから。
服は身体のラインに沿って作られていたから、蔵馬が手を離してもウエストで止まって落ちなかったけれど、そこから上は丸見えになってしまう。
蔵馬は外気に晒された私の背中を冷たい指先でそっとなぞりあげ、うなじまでたどりつくと手のひらを押し当てた。
「……っ」
その感触に驚いて、身体がしなる。
そしてまたすぐに背骨を指先で数えるようにゆっくりと下に滑っていく。
腰までたどり着いて、少し横にずれ、今度は手のひらで温めるように脇腹を包む。
蔵馬の冷たい指が触れると、私の肌は燃えるように熱くなり、身体の奥まで熱くなり、身体は熱いのに、やっぱり震えは止まらない。
心臓は痛いくらいに私を打ち、浅くて速い呼吸を蔵馬に聞かれるのが恥ずかしくて唇を噛んだ。
蔵馬は頬に掛けた手をそっと動かして私を上向かせる。
燃えるように熱く、艶やかな瞳に吸い込まれて、思考が狂わされそうで、怖くて、思わず視線を外した。
蔵馬は背中の腕を動かして肩を大きな手で包み、すうっと二の腕に滑らせ、私は完全に彼の胸に包まれた。
きつく噛み締められた私の唇を、蔵馬の親指が優しく撫でる。
ふっとそれが離れて、指が顎にからがり、私の顔をさらに持ち上げた。
見開かれた私の目を甘く見つめ、長い睫毛を伏せると、ゆっくりと斜めに顔が近付く。
心臓がこれまでにこんなに働いたことがないくらい早く、強く動き出し、私はギュッと目を閉じる。
……いいんだよね、これで。
だって私はたぶん蔵馬のことが好きだし、その蔵馬に私がしてあげられる唯一のことだし。
なにか不安に感じるのは、きっとただ単に心の準備ができていなかったから。
ずっと一樹がいた場所に蔵馬が入れ替わっていたことですら、たったいま気付いたばかりなんだし。
人の心ってこんなに変わりやすいものだったんだ。
いつまでも同じところにはいられないんだ。
私だって……大人にならなきゃならない。
それで蔵馬が楽になれるならなおさら。
いつまでたっても触れない唇に、私はそっと目を開けた。
蔵馬は顎から再び頬に手を戻し、どこか悲しそうな瞳で私をじっと見た。
美しい翡翠色の瞳は、いつものように穏やかな光はそこにはなかった。
さっき迦雄須さんを睨んだときとはまた違った激情と、それを押さえつけるような意思の力がせめぎあっているような。
初めて見る、そんな蔵馬の瞳に驚いていると、彼の親指がそっと動いて私の目の下を撫でた。
そのとき、私は自分が泣いていたことを知った。
「ごめん」
少し掠れた声で言葉を発した途端、彼の瞳はいつもの穏やかさを取り戻した。
いつの間にか肩から滑り落ちていた上着を拾って、もう一度掛けてくれる。
私は慌てて両襟を掻き寄せて下着を隠した。
「傷を見せて下さい。手当てしないと」
にっこり微笑んで、彼は背を向けた。
私は唇を噛んで俯いた。
泣く、なんて、ズルいよ、私。
私は本当に、なんにも、なんにもしてあげられないんだ……。
思わずその場にしゃがみこんで泣き出したい気分だったけれど、そんなことしたら蔵馬を責めているみたいに見えちゃう。
残っていた涙をぐいっと拭ったところで、薬箱を持った蔵馬が戻ってきた。
「跡が残るといけないから」
言って、蔵馬は大げさに包帯まで巻いてしまう。
やりすぎだよ、って笑って空気を変えたかったけれど、やっぱりどこか悲しそうな蔵馬を見ていると、声が出せなかった。
「これから、ちょっと忙しくなりそうです。ここにも頻繁に帰ってくることはできないと思う。オレがいない間のことは黄泉に頼んでおきます。心配はしないで。ああ、それから、寝る前には必ず薬を飲んで」
手当てを終えると、慌しく準備をし、蔵馬は部屋を出ようとした。
「蔵馬」
硬直したみたいな喉を強引に押し広げて、やっと声を掛ける。
蔵馬はその声に気付いて振り返ると、そっと私を抱き寄せた。
「行ってきます」
ドアの閉まる音が聞こえて、私はそこにもたれかかり、いくつもいくつも涙を落とした。
情けなくて、悔しくて、悲しかった。
初:20051011
改:20251122
蔵馬はそっと私の鎖骨を冷たい指先でなぞった。
「大丈夫だよ、痛くないし」
突然、抱きしめられて息が詰まる。
「く、ら……」
「ごめん……ごめん」
何が起こっているの? そう聞こうかとも思った。
でもやめた。
蔵馬が最近部屋にこもりがちだったのは、今になって思えば、私を守るためだったんだ。
あのふたりが蔵馬に何をさせようとしているのかは、知らない。
蔵馬は何故それをしないかも、知らない。
蔵馬は私に何も言わなかったから。
そして、今も。
蔵馬は私の髪に顔をうずめた。
きっと、私に話しても何の解決にもならないことなんだろう。
私にできることは何もないんだろう。
関係ない人間だから、と思っているかもしれないし、心配を掛けたくないと思っているのかもしれない。
実際のところは、大したことはないけれど、こうして怪我をしたし、怖い思いもした。
本当のところは、力になりたいと思っている。
蔵馬の腕の中は暖かくて、花の香りがする。
私がいることで、きっと蔵馬は不自由な思いをしている。
それでも私は、彼のために出て行く勇気なんてない。
だって、私はこの世界では生きられない。
私ってこんなに自分勝手だったんだ。
蔵馬の手が、確かめるように私の髪に潜り込む。
きっと、考えれば、いい方法だって見つかると思う。
もしかしたら、私にできることがあるかもしれない。
そうしたら、蔵馬の負担が減って、私も堂々と蔵馬をここで待って、人間界に帰ることができるでしょ?
……もしかしていま私、自分の都合のいいように考えている?
「ごめん、夏希」
あなたはやっぱり何も話す気はないんだね。
いま起こったことに説明は施されない。
あなたの周りには、誰も寄せ付けない厚い膜が張られている。
それなのに、何でそんなに淋しそうな顔をしているの?
蔵馬は確かめるように私を抱きしめ、そうしているうちに、私の服はついに力尽きて、辛うじてつながっていた肩の部分がぴりっと切れた。
「あっ」
私は慌てて離れようとしたけれど、蔵馬は私を離さず、背中がぺらっとまくれ落ちて、彼の腕に引っかかった。
どっ、どうしよう。
とっさに脇に力を入れて、前身ごろだけは死守しつつ、蔵馬を見上げて息を呑んだ。
葛藤しているような、苦しそうな目がこちらを見ていたから。
見てはいけないものを見てしまったように感じて、慌てて俯く。
視界に、はだけてしまった胸元と、下着のレースが飛び込み、ドキッとする。
妖怪と人間、とか、そんな大層な生物学的分類を持ち出さなくたって、人間同士だって理解し合えないことばっかりだ。
例えば先生と生徒、例えば体育会系と文化系、例えば……男子と女子。
私は女だから、「そういうこと」は大好きな人とロマンティックに……って思う。
でも男子のおしゃべりを聞いていると「誰でもいいからやりてー!」なんて言っていたりする。
それも理由はテスト勉強でストレスがたまったからとか、大会で勝ったからとか、最近そういうことをしてないからとか……。
まるで私たち女子がご褒美スイーツを食べたがるみたいに。
――蔵馬も、そうなのかな。
だからと言って「はい、どうぞ」なんて抵抗があった。
私はケーキじゃないもの。
例えばそれで蔵馬が精神的に……なのかよくわからないけど、楽になるって言われても、やっぱり、なんか、イヤだ。
だからって蔵馬が嫌いなんじゃない。
でも私には一樹がいるし……
そこまで考えてハッと気付いた。
最近、一樹のことなんて思い出しもしていなかったことを。
まるで、探し回るようにして、その名前を引っ張り出してきたことを。
私は動揺のあまり、思わず蔵馬にしがみついてしまう。
蔵馬が小さく息を飲むのが伝わってきた。
これじゃ、まるで誘ってるみたいだって気付いて、でもどうしたらいいか分からずに唇を噛む。
私、一番肝心な気持ちを直視できなくて、認められなくて、ちょっとずつ目をそらしてた。
そうだ、きっと、私が離れるのが怖いのは、この部屋じゃなくて蔵馬なんだ。
私の中で蔵馬は、いつの間にか一樹より近くて大きな存在になってしまっていたんだ。
それなのに「ご褒美のケーキ」にはなりたくない、なれるかもしれないのになりたくない……。
そういうことはちゃんとお互いの想いが通じ合ってから。
そういうことはしばらくお付き合いしてから。
なんてワガママなんだろう。
なんて子供っぽいんだろう。
私は蔵馬に、こんな大変な思いをしている蔵馬に、この上さらに「女の子の夢」を押し付けようとしていたんだ。
「蔵馬、ごめんね……」
「どうしてキミが謝るの?」
私は蔵馬の背中に回した腕にギュッと力をこめる。
「……夏希、着替えよう?」
私は思い切って伏せていた顔を上げる。
その拍子に、ついに胸元を覆っていた布がピラッとまくれて下着が丸出しになってしまう。
一瞬慌てたけれど、私は小さく息を吸って、あらためて蔵馬を見上げた。
「い……いの」
「夏希……」
蔵馬の手が、そっと後頭部から離れて、私の頬を優しく包んだ。
冷たいその指が触れているのに、頬はどんどん熱くなってくる。
不意に蔵馬が身をかがめ、私の首に残っていた襟の残骸を指で押し上げて顔を近付ける。
私はもう、どうしたらいいのか分からなくなってしまって、身体を硬直させたまま、ただ浅い呼吸を繰り返すしかできなかった。
「……んっ」
蔵馬の舌がデコルテの傷をそっとなぞる。
傷は本当に痛くもなんともなかったけれど、やっぱり触れられるとなんだかむず痒い。
でもそれ以上に、いままで感じたことのない感触のほうに驚いてしまって、反射的に蔵馬を突き飛ばしそうになる手をギュッと握りしめた。
そのくせ、舌ってもっと柔らかいと思ってた、とか、あたたかくて生き物みたいだ、とかトンチンカンなことを考えていたりもするんだから、案外余裕があるのかもしれない。
「……痛かった?」
顔を上げた蔵馬が、まつげが触れ合いそうなほどの至近距離で囁く。
私は首を振ろうとして、でもうまく動かなくて、そのときやっと自分が震えていることに気付いた。
余裕どころか現実逃避してたんだ……。
意地になってロボットみたいにぎこちなく首を振ると、蔵馬はもう一度私をギュッと抱きしめた。
こうしていると身体全体、蔵馬に包み込まれているみたい。
すごくすごく安心するのに、どうしてか震えは全然止まらない。
「夏希……」
蔵馬の囁き声とともに、私はビクっと身体を緊張させた。
服越しに触れていたもう片方の手が、ふうっと上に動いて、背中にじかに触れたから。
服は身体のラインに沿って作られていたから、蔵馬が手を離してもウエストで止まって落ちなかったけれど、そこから上は丸見えになってしまう。
蔵馬は外気に晒された私の背中を冷たい指先でそっとなぞりあげ、うなじまでたどりつくと手のひらを押し当てた。
「……っ」
その感触に驚いて、身体がしなる。
そしてまたすぐに背骨を指先で数えるようにゆっくりと下に滑っていく。
腰までたどり着いて、少し横にずれ、今度は手のひらで温めるように脇腹を包む。
蔵馬の冷たい指が触れると、私の肌は燃えるように熱くなり、身体の奥まで熱くなり、身体は熱いのに、やっぱり震えは止まらない。
心臓は痛いくらいに私を打ち、浅くて速い呼吸を蔵馬に聞かれるのが恥ずかしくて唇を噛んだ。
蔵馬は頬に掛けた手をそっと動かして私を上向かせる。
燃えるように熱く、艶やかな瞳に吸い込まれて、思考が狂わされそうで、怖くて、思わず視線を外した。
蔵馬は背中の腕を動かして肩を大きな手で包み、すうっと二の腕に滑らせ、私は完全に彼の胸に包まれた。
きつく噛み締められた私の唇を、蔵馬の親指が優しく撫でる。
ふっとそれが離れて、指が顎にからがり、私の顔をさらに持ち上げた。
見開かれた私の目を甘く見つめ、長い睫毛を伏せると、ゆっくりと斜めに顔が近付く。
心臓がこれまでにこんなに働いたことがないくらい早く、強く動き出し、私はギュッと目を閉じる。
……いいんだよね、これで。
だって私はたぶん蔵馬のことが好きだし、その蔵馬に私がしてあげられる唯一のことだし。
なにか不安に感じるのは、きっとただ単に心の準備ができていなかったから。
ずっと一樹がいた場所に蔵馬が入れ替わっていたことですら、たったいま気付いたばかりなんだし。
人の心ってこんなに変わりやすいものだったんだ。
いつまでも同じところにはいられないんだ。
私だって……大人にならなきゃならない。
それで蔵馬が楽になれるならなおさら。
いつまでたっても触れない唇に、私はそっと目を開けた。
蔵馬は顎から再び頬に手を戻し、どこか悲しそうな瞳で私をじっと見た。
美しい翡翠色の瞳は、いつものように穏やかな光はそこにはなかった。
さっき迦雄須さんを睨んだときとはまた違った激情と、それを押さえつけるような意思の力がせめぎあっているような。
初めて見る、そんな蔵馬の瞳に驚いていると、彼の親指がそっと動いて私の目の下を撫でた。
そのとき、私は自分が泣いていたことを知った。
「ごめん」
少し掠れた声で言葉を発した途端、彼の瞳はいつもの穏やかさを取り戻した。
いつの間にか肩から滑り落ちていた上着を拾って、もう一度掛けてくれる。
私は慌てて両襟を掻き寄せて下着を隠した。
「傷を見せて下さい。手当てしないと」
にっこり微笑んで、彼は背を向けた。
私は唇を噛んで俯いた。
泣く、なんて、ズルいよ、私。
私は本当に、なんにも、なんにもしてあげられないんだ……。
思わずその場にしゃがみこんで泣き出したい気分だったけれど、そんなことしたら蔵馬を責めているみたいに見えちゃう。
残っていた涙をぐいっと拭ったところで、薬箱を持った蔵馬が戻ってきた。
「跡が残るといけないから」
言って、蔵馬は大げさに包帯まで巻いてしまう。
やりすぎだよ、って笑って空気を変えたかったけれど、やっぱりどこか悲しそうな蔵馬を見ていると、声が出せなかった。
「これから、ちょっと忙しくなりそうです。ここにも頻繁に帰ってくることはできないと思う。オレがいない間のことは黄泉に頼んでおきます。心配はしないで。ああ、それから、寝る前には必ず薬を飲んで」
手当てを終えると、慌しく準備をし、蔵馬は部屋を出ようとした。
「蔵馬」
硬直したみたいな喉を強引に押し広げて、やっと声を掛ける。
蔵馬はその声に気付いて振り返ると、そっと私を抱き寄せた。
「行ってきます」
ドアの閉まる音が聞こえて、私はそこにもたれかかり、いくつもいくつも涙を落とした。
情けなくて、悔しくて、悲しかった。
初:20051011
改:20251122