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Paw, my girl!
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急に声を掛けられ、悲鳴を飲み込みながら振り向く。
赤みのかった黒髪と長い睫毛とが影を落とした、暗く輝く翡翠のような瞳がこちらを睨み据えている。
その美しい瞳も、整った美貌も、氷のように研ぎ澄まされて、私は背筋が冷たくなった。
3.信じていいの?
「人間、だな」
彼は冷ややかな声で重ねて聞いた。
私は恐怖を無理やり押しのけて、深く息を吸い込んだ。
ビクビクしたら怪しまれる。堂々としなきゃ。
「はい」
声は少し震えたけれど、声を発して多少気持ちが落ち着き、彼に向き直った。
「何故、こんな所にいる。誰かの命令か」
彼は相変わらず固い表情でこちらをうかがっている。
う……怖いよ……。
泣き出したい気持ちを必死に抑えて、何でもない風に彼を見た。
「私、ここに住んでいる、ある方のペットなんです。ちょっとお散歩してるだけ」
「誰の?」
「私のご主人様は、私を飼っていることは秘密にしてるから」
彼の表情はちっとも変わらない。
うまい考えだと思ったけど――この眼には、どんな嘘も通じない。
どこかでそう思った。
とっとと煙に巻いて逃げるが勝ちだ。
できるだけさりげなさを装ってあたりを見回し、逃げ道を探す。
「そろそろ帰らなきゃ」
荷物を抱えてそそくさと退散しようとする。
ところが、その前にその荷物を軽々と取り上げられてしまった。
「あっ……」
「嘘が下手ですね」
ひぇ! もうバレた!!
瞬間的に走り出そうとする私の手首を掴んで、彼は慌てたように言った。
「驚かせてすみません」
……え?
さっきまでとは全然違う、柔らかい声のトーンにびっくりして振り向く。
声同様に、それまでの冷ややかな表情を拭い落とした彼が荷物を差し出した。
「怖がらないで。オレのこの身体も、人間の身体ですよ」
私は一気に力が抜けて、その場にへたり込んでしまった。
「人間界から迷い込んできたんでしょう?」
「え……?」
「すみません、ちょっと警戒していて。さすがに、人間界の制服を着て教科書を持ち歩いてたら、ね?」
彼はにこにこと優しい微笑みを浮かべて私の目線までかがみこむ。
清潔感のある品のいい笑顔はさっきとは別人のようで、女の子みたいな美しさだった。
私は何がなんだかわからなくなって、綺麗なカーブを描いた頬のラインを呆然と眺めた。
人間……に、会えたの……?
確かに、ツノも尻尾も生えていない。指も耳も普通だし、目も二つ。
……多少、人間離れした麗しさだけど……。
私はまじまじと彼を見た。
あまりの美貌に恥ずかしくなってしまってすぐに逸らしたけど、彼がまだ底の方で私を警戒しているのは何となく伝わってきた。
多分、私もそういう顔してるだろうけれど。
彼はそんな私を立たせながら、玄関の方をちらっと見た。
「すみませんが、ちょっと時間がないから聞いてもらえますか?」
私は無言のまま頷いた。
「事情は後で説明しますが、オレは一ヶ月後、人間界に帰ります。そのときに貴方も連れて行きます。その間はここにいてもらうしかないんだけど……」
彼がチラチラと玄関の方を気にしているので、私は話を聞きながら、つられてそちらを見た。
小さな影がゆっくりと近付いてくる。
「……その間、貴方が無事に過ごせる場所はここにはありません。それで……」
あれは一体誰なんだろう?
「……こういう言い方は何なんですが……」
「はっ?!」
私は素っ頓狂な声をあげて彼を見た。
けれどその柔らかな表情は私の裏返った声に動揺ひとつ表さない。
「あの、もう一度確認しますが、人間……なんですよね」
彼はにっこりと天使の微笑みを浮かべる。
その神々しいまでの美しさについ引き込まれそうになって、私はぶんぶんと頭を振る。
こ、これは、アレだ。
『関わってはいけない人』という人種だ。
できるだけ刺激しないように、かつ迅速に逃げなければいけない。
けれど……。
今日一日中歩き回って出会えた『人間』は彼ひとりだった。
これは運が良かったの? 悪かったの?
本当だったらもっと早く別の『人間』に会えていたかもしれないし、もしかしたら1ヵ月歩き回っても誰にも会えなかったかも。
あるいは人間でなくても、さっき会ったみたいな優しい妖怪さんに会えるかもしれない。
危険人物と、まだ会ってもいない、会えるかどうかも、いるかいないかも分からない人間、どっちを頼るべき?
……さらに究極の選択。
あっち側の人間と、性格のいい妖怪、選ぶべきはどっち?!
目玉が落ちるんじゃないかというほど目を見開き、冷や汗まみれになって必死で脳内会議を繰り返す私の前で、彼は唐突に植物のツルのような細い紐を取り出す。
え……どこから……。
思わず凝視していると、彼は「ちょっとごめんね」と腕を伸ばし、なんとそれで私の首を絞めようとした!
「ちょっ……! やめ……」
「ああ、危ないから暴れないで。形だけですよ」
言いながら、彼はあっという間に私の『首輪』を作り上げ、リードよろしくそこから伸びた紐を片手に私の隣に立った。
「蔵馬殿、この娘は?」
人影はお爺ちゃんだった。
「いまそこで拾った。この要塞のものではないようなので、オレが飼う」
ひとを犬か猫のように……!
蔵馬、と呼ばれた彼は、先程の冷たい声と表情をお爺ちゃんに向ける。
その態度は威圧的で、お爺ちゃんは一瞬言葉につまったけれど、悔し紛れのように
「これはこれは。もう人間が恋しくなりましたかな」
と、にやっと笑って先導するように歩き始めた。
やがて、彼はお爺ちゃんと共に会議室へと姿を消し、私は隣の部屋で待つように言われた。
……私、承諾なんてしてないもん。
悔しまぎれに『首輪』を引きちぎってやろうと指を掛けると、それは簡単にプチッと音を立て、びっくりして手を止める。
指を引っかけてよくよく見ると、それはネックレスのように長く、普通に頭から抜けるようになっていた。
そうしてそれをテーブルの上に置いてみると、なんだか本物のネックレスみたいに、ところどころに小さい葉っぱや小花が残してあったり、飾り結びに見える塊ができたりしていた。
……可愛い、かも?
もしかして、気をつかってくれたの?
テーブルの上でそっとその形を整え、首を傾げながら、ふあっと柔らかいソファに身体を預ける。
身体が重い。
胸は相変わらずジンジンと熱いし、何時間も歩き回った脚はパンパンで靴擦れもしている。
お腹もペコペコだし、ここにお布団があったら3秒で眠れる自信があった。
さっきはあんまりに衝撃が多すぎてたくさんの選択肢を数えたけれど、本当はそんなもの、なかった。
そう。私の体力は限界だった。
かといってその唯一残された道がどこに向かっているのかは分からない。
隣からは時折笑い声や怒鳴るような声が漏れてくる。
……蔵馬殿、って呼ばれてた。
なんかちょっとごつい名前。
本人はもっと中性的な――綺麗な人だった……。
私はイライラと前髪を引っ張る。
その綺麗な微笑みを耳元に近づけて、あの甘い声で
『オレのペットになってください』
なんて、頭が爆発するに決まってるじゃない!
ちょっとは自分の顔に責任を持ってもらいたいのよ!
憤然とする私の鼻息で、可憐なネックレスの花片がひらっと揺れる。
蔵馬さんが妖駄って呼んでた、あのお爺ちゃんと合流してからは、また冷たい顔に戻ってしまった。
さっきは優しそうに笑ってくれたけど、心の中までは笑っていなかった。
あんなに他人に警戒されたのは、初めてだった。
ここは一体、どこなんだろう。なんなんだろう。
私は疲れ切って、考えることを手放し、かといって眠る度胸もなく、ぼんやりと窓の外を眺めた。
静寂を破ってドアが開く。
振り向くと、蔵馬さんともう一人、背の高い男の人が入ってくるのが見え、私は立ち上がった。
「オレの部下が、お前にすっかり欺かれていたな」
その男の人は面白そうにそう言って私の前に立った。
私はその言葉の意味がわからず、ただ黙って彼を見た。
蔵馬さんよりひと回りは年上に見えるけれど、やはり整った顔立ちに穏やかな笑みを浮かべている。
白い肌に黒く長い髪。その髪の所々から触角のようにも見えるツノが生えている。耳も左右3つずつ。
人間でないことは、すぐにわかった。
その瞳は閉じられているけれど、彼はまるで見えているかのように私の向かいのソファに腰掛けた。
「彼――黄泉は、ここの国王だよ」
蔵馬さんがそう言って私の隣に腰掛けた。
ものすごく偉い人っ!!
私は後退りしかけてソファにふくらはぎをぶつけた。
「そして彼は聴力が非常に優れていてね。この癌陀羅での会話は全て把握しているんです」
それって、優れているとかいないとかって話じゃ……うん?
ちょ、ちょっと待って!
それじゃ私がペットだとか何とかってうそぶいていたのも?!
「すっ、すみませんでした!!」
気分はまるで縮緬問屋のお爺ちゃんに印籠を見せられた悪代官。
直角になるくらいに頭を下げたけど、この場合「へへえ」と土下座するべきだった?
「ふふふ、まあ、掛けなさい」
おろおろする私を見て、蔵馬さんが手を引いて座らせてくれた。
「オレはむしろ感心していたのだよ。なかなか大した度胸の人間だと……それに、お前が嘘をついたのは蔵馬にだけだろう? オレの部下は勝手に勘違いしただけだ。謝ることはない」
胸に染み入るバリトンで、黄泉さんは優しく語りかける。
でもさすがに『国王』というだけあって、優しげな外観とは裏腹に、物凄い威圧感だった。
「蔵馬にはもう少し付き合ってもらうつもりだが、お前は体調が悪そうだな。瘴気にあたったか? もし良ければ、先に部屋に案内させるが……」
私は蔵馬さんを見た。
「もう少し、大丈夫?」
甘い、優しい声でそう訊かれて、私は魔術にでもかかったみたいにコクンと頷いた。
「だ、そうだ。彼女はオレと一緒にいさせてもらう」
うって変わって冷たい声で黄泉さんにそう言った彼は表情まで冷たく、私は感心してしまった。
二重人格ショーを見てるみたい……美形だし、俳優とか向いていそう……。
「はっはっは、別に取って食ったりはしないぞ」
仲悪いのかな? なんて思ったけれど、黄泉さんは特に気にする様子もなくカラカラと笑う。
「それにしても、極悪非道の盗賊妖怪・妖狐蔵馬が、ずいぶん親切なことだ。人間界の生活で、身も心も人間に侵されたのか? 蔵馬」
――え――?
私は思わず蔵馬さんを見た。
蔵馬さんは不快な顔をして黄泉さんを睨んだ。
黄泉さんはどこかワザとらしく私に補足した。
「いやいや、この男が人間界で生活しているのは本当だ。南野秀一という名もある」
蔵馬さんはますます険しい顔で黄泉さんを睨みつけている。
黄泉さんは涼しい顔で私に言った。
「お前はオレの部下には嘘をついていない。だが、オレの部下はお前が誰かのペットだと勘違いした。嘘で塗り固めるのではなく、自分に不利になることを話さないというのはなかなか賢い手だ」
「黄泉」
蔵馬さんはついに声で黄泉さんの言葉を遮った。
「ふ……お喋りが過ぎたようだな。蔵馬、本当にその娘を連れて行っていいのか? お前の真実に不利に働くだけかもしれんぞ?」
黄泉さんは立ち上がって面白そうに笑った。
「……構わない。もとより話すつもりだった」
蔵馬さんは私に目を合わさず、冷たい声で答えた。
私は足元が崩れていくような錯覚を起こした。
……盗賊妖怪・妖狐『蔵馬』って……どういうこと?
...coming soon
初:20051006
改:20250524
赤みのかった黒髪と長い睫毛とが影を落とした、暗く輝く翡翠のような瞳がこちらを睨み据えている。
その美しい瞳も、整った美貌も、氷のように研ぎ澄まされて、私は背筋が冷たくなった。
3.信じていいの?
「人間、だな」
彼は冷ややかな声で重ねて聞いた。
私は恐怖を無理やり押しのけて、深く息を吸い込んだ。
ビクビクしたら怪しまれる。堂々としなきゃ。
「はい」
声は少し震えたけれど、声を発して多少気持ちが落ち着き、彼に向き直った。
「何故、こんな所にいる。誰かの命令か」
彼は相変わらず固い表情でこちらをうかがっている。
う……怖いよ……。
泣き出したい気持ちを必死に抑えて、何でもない風に彼を見た。
「私、ここに住んでいる、ある方のペットなんです。ちょっとお散歩してるだけ」
「誰の?」
「私のご主人様は、私を飼っていることは秘密にしてるから」
彼の表情はちっとも変わらない。
うまい考えだと思ったけど――この眼には、どんな嘘も通じない。
どこかでそう思った。
とっとと煙に巻いて逃げるが勝ちだ。
できるだけさりげなさを装ってあたりを見回し、逃げ道を探す。
「そろそろ帰らなきゃ」
荷物を抱えてそそくさと退散しようとする。
ところが、その前にその荷物を軽々と取り上げられてしまった。
「あっ……」
「嘘が下手ですね」
ひぇ! もうバレた!!
瞬間的に走り出そうとする私の手首を掴んで、彼は慌てたように言った。
「驚かせてすみません」
……え?
さっきまでとは全然違う、柔らかい声のトーンにびっくりして振り向く。
声同様に、それまでの冷ややかな表情を拭い落とした彼が荷物を差し出した。
「怖がらないで。オレのこの身体も、人間の身体ですよ」
私は一気に力が抜けて、その場にへたり込んでしまった。
「人間界から迷い込んできたんでしょう?」
「え……?」
「すみません、ちょっと警戒していて。さすがに、人間界の制服を着て教科書を持ち歩いてたら、ね?」
彼はにこにこと優しい微笑みを浮かべて私の目線までかがみこむ。
清潔感のある品のいい笑顔はさっきとは別人のようで、女の子みたいな美しさだった。
私は何がなんだかわからなくなって、綺麗なカーブを描いた頬のラインを呆然と眺めた。
人間……に、会えたの……?
確かに、ツノも尻尾も生えていない。指も耳も普通だし、目も二つ。
……多少、人間離れした麗しさだけど……。
私はまじまじと彼を見た。
あまりの美貌に恥ずかしくなってしまってすぐに逸らしたけど、彼がまだ底の方で私を警戒しているのは何となく伝わってきた。
多分、私もそういう顔してるだろうけれど。
彼はそんな私を立たせながら、玄関の方をちらっと見た。
「すみませんが、ちょっと時間がないから聞いてもらえますか?」
私は無言のまま頷いた。
「事情は後で説明しますが、オレは一ヶ月後、人間界に帰ります。そのときに貴方も連れて行きます。その間はここにいてもらうしかないんだけど……」
彼がチラチラと玄関の方を気にしているので、私は話を聞きながら、つられてそちらを見た。
小さな影がゆっくりと近付いてくる。
「……その間、貴方が無事に過ごせる場所はここにはありません。それで……」
あれは一体誰なんだろう?
「……こういう言い方は何なんですが……」
「はっ?!」
私は素っ頓狂な声をあげて彼を見た。
けれどその柔らかな表情は私の裏返った声に動揺ひとつ表さない。
「あの、もう一度確認しますが、人間……なんですよね」
彼はにっこりと天使の微笑みを浮かべる。
その神々しいまでの美しさについ引き込まれそうになって、私はぶんぶんと頭を振る。
こ、これは、アレだ。
『関わってはいけない人』という人種だ。
できるだけ刺激しないように、かつ迅速に逃げなければいけない。
けれど……。
今日一日中歩き回って出会えた『人間』は彼ひとりだった。
これは運が良かったの? 悪かったの?
本当だったらもっと早く別の『人間』に会えていたかもしれないし、もしかしたら1ヵ月歩き回っても誰にも会えなかったかも。
あるいは人間でなくても、さっき会ったみたいな優しい妖怪さんに会えるかもしれない。
危険人物と、まだ会ってもいない、会えるかどうかも、いるかいないかも分からない人間、どっちを頼るべき?
……さらに究極の選択。
あっち側の人間と、性格のいい妖怪、選ぶべきはどっち?!
目玉が落ちるんじゃないかというほど目を見開き、冷や汗まみれになって必死で脳内会議を繰り返す私の前で、彼は唐突に植物のツルのような細い紐を取り出す。
え……どこから……。
思わず凝視していると、彼は「ちょっとごめんね」と腕を伸ばし、なんとそれで私の首を絞めようとした!
「ちょっ……! やめ……」
「ああ、危ないから暴れないで。形だけですよ」
言いながら、彼はあっという間に私の『首輪』を作り上げ、リードよろしくそこから伸びた紐を片手に私の隣に立った。
「蔵馬殿、この娘は?」
人影はお爺ちゃんだった。
「いまそこで拾った。この要塞のものではないようなので、オレが飼う」
ひとを犬か猫のように……!
蔵馬、と呼ばれた彼は、先程の冷たい声と表情をお爺ちゃんに向ける。
その態度は威圧的で、お爺ちゃんは一瞬言葉につまったけれど、悔し紛れのように
「これはこれは。もう人間が恋しくなりましたかな」
と、にやっと笑って先導するように歩き始めた。
やがて、彼はお爺ちゃんと共に会議室へと姿を消し、私は隣の部屋で待つように言われた。
……私、承諾なんてしてないもん。
悔しまぎれに『首輪』を引きちぎってやろうと指を掛けると、それは簡単にプチッと音を立て、びっくりして手を止める。
指を引っかけてよくよく見ると、それはネックレスのように長く、普通に頭から抜けるようになっていた。
そうしてそれをテーブルの上に置いてみると、なんだか本物のネックレスみたいに、ところどころに小さい葉っぱや小花が残してあったり、飾り結びに見える塊ができたりしていた。
……可愛い、かも?
もしかして、気をつかってくれたの?
テーブルの上でそっとその形を整え、首を傾げながら、ふあっと柔らかいソファに身体を預ける。
身体が重い。
胸は相変わらずジンジンと熱いし、何時間も歩き回った脚はパンパンで靴擦れもしている。
お腹もペコペコだし、ここにお布団があったら3秒で眠れる自信があった。
さっきはあんまりに衝撃が多すぎてたくさんの選択肢を数えたけれど、本当はそんなもの、なかった。
そう。私の体力は限界だった。
かといってその唯一残された道がどこに向かっているのかは分からない。
隣からは時折笑い声や怒鳴るような声が漏れてくる。
……蔵馬殿、って呼ばれてた。
なんかちょっとごつい名前。
本人はもっと中性的な――綺麗な人だった……。
私はイライラと前髪を引っ張る。
その綺麗な微笑みを耳元に近づけて、あの甘い声で
『オレのペットになってください』
なんて、頭が爆発するに決まってるじゃない!
ちょっとは自分の顔に責任を持ってもらいたいのよ!
憤然とする私の鼻息で、可憐なネックレスの花片がひらっと揺れる。
蔵馬さんが妖駄って呼んでた、あのお爺ちゃんと合流してからは、また冷たい顔に戻ってしまった。
さっきは優しそうに笑ってくれたけど、心の中までは笑っていなかった。
あんなに他人に警戒されたのは、初めてだった。
ここは一体、どこなんだろう。なんなんだろう。
私は疲れ切って、考えることを手放し、かといって眠る度胸もなく、ぼんやりと窓の外を眺めた。
静寂を破ってドアが開く。
振り向くと、蔵馬さんともう一人、背の高い男の人が入ってくるのが見え、私は立ち上がった。
「オレの部下が、お前にすっかり欺かれていたな」
その男の人は面白そうにそう言って私の前に立った。
私はその言葉の意味がわからず、ただ黙って彼を見た。
蔵馬さんよりひと回りは年上に見えるけれど、やはり整った顔立ちに穏やかな笑みを浮かべている。
白い肌に黒く長い髪。その髪の所々から触角のようにも見えるツノが生えている。耳も左右3つずつ。
人間でないことは、すぐにわかった。
その瞳は閉じられているけれど、彼はまるで見えているかのように私の向かいのソファに腰掛けた。
「彼――黄泉は、ここの国王だよ」
蔵馬さんがそう言って私の隣に腰掛けた。
ものすごく偉い人っ!!
私は後退りしかけてソファにふくらはぎをぶつけた。
「そして彼は聴力が非常に優れていてね。この癌陀羅での会話は全て把握しているんです」
それって、優れているとかいないとかって話じゃ……うん?
ちょ、ちょっと待って!
それじゃ私がペットだとか何とかってうそぶいていたのも?!
「すっ、すみませんでした!!」
気分はまるで縮緬問屋のお爺ちゃんに印籠を見せられた悪代官。
直角になるくらいに頭を下げたけど、この場合「へへえ」と土下座するべきだった?
「ふふふ、まあ、掛けなさい」
おろおろする私を見て、蔵馬さんが手を引いて座らせてくれた。
「オレはむしろ感心していたのだよ。なかなか大した度胸の人間だと……それに、お前が嘘をついたのは蔵馬にだけだろう? オレの部下は勝手に勘違いしただけだ。謝ることはない」
胸に染み入るバリトンで、黄泉さんは優しく語りかける。
でもさすがに『国王』というだけあって、優しげな外観とは裏腹に、物凄い威圧感だった。
「蔵馬にはもう少し付き合ってもらうつもりだが、お前は体調が悪そうだな。瘴気にあたったか? もし良ければ、先に部屋に案内させるが……」
私は蔵馬さんを見た。
「もう少し、大丈夫?」
甘い、優しい声でそう訊かれて、私は魔術にでもかかったみたいにコクンと頷いた。
「だ、そうだ。彼女はオレと一緒にいさせてもらう」
うって変わって冷たい声で黄泉さんにそう言った彼は表情まで冷たく、私は感心してしまった。
二重人格ショーを見てるみたい……美形だし、俳優とか向いていそう……。
「はっはっは、別に取って食ったりはしないぞ」
仲悪いのかな? なんて思ったけれど、黄泉さんは特に気にする様子もなくカラカラと笑う。
「それにしても、極悪非道の盗賊妖怪・妖狐蔵馬が、ずいぶん親切なことだ。人間界の生活で、身も心も人間に侵されたのか? 蔵馬」
――え――?
私は思わず蔵馬さんを見た。
蔵馬さんは不快な顔をして黄泉さんを睨んだ。
黄泉さんはどこかワザとらしく私に補足した。
「いやいや、この男が人間界で生活しているのは本当だ。南野秀一という名もある」
蔵馬さんはますます険しい顔で黄泉さんを睨みつけている。
黄泉さんは涼しい顔で私に言った。
「お前はオレの部下には嘘をついていない。だが、オレの部下はお前が誰かのペットだと勘違いした。嘘で塗り固めるのではなく、自分に不利になることを話さないというのはなかなか賢い手だ」
「黄泉」
蔵馬さんはついに声で黄泉さんの言葉を遮った。
「ふ……お喋りが過ぎたようだな。蔵馬、本当にその娘を連れて行っていいのか? お前の真実に不利に働くだけかもしれんぞ?」
黄泉さんは立ち上がって面白そうに笑った。
「……構わない。もとより話すつもりだった」
蔵馬さんは私に目を合わさず、冷たい声で答えた。
私は足元が崩れていくような錯覚を起こした。
……盗賊妖怪・妖狐『蔵馬』って……どういうこと?
...coming soon
初:20051006
改:20250524