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Paw, my girl!
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お布団というものはこの世の極楽です。
ふんわり柔らかに私を受け止め、優しく包んでくれる……「愛」という言葉をものの形にしたらこうなるのです。
おまけにとってもいい香り……バラの花みたいな……バラ……ん、バラ!?
そこでようやく、閉じかけていた寝不足の目を見開き、寝室を飛び出した。
放っといたら、また無理して仕事に行っちゃう!
しまった! いない!
部屋の真ん中でキョロキョロしていると、バスルームの方からカタっと音がした。
顔洗ってるんだ! 身支度してるんだ! やめさせなきゃ!
「蔵馬っ……」
「え?」
「きゃああああっ!」
私は、黄泉さんの苦情なんて宇宙の彼方に追いやって、またまた大悲鳴をあげてしまった。
顔を洗っていると信じ込んで開けたドアの奥では、蔵馬がシャワーを使うために服を脱いでいるところだった。
蔵馬は、慌てて飛び出そうとする私の首根っこを掴んで引き寄せる。
「今朝は積極的ですね。一緒にお風呂、入りますか?」
「わーん! ゴメンナサイ! ゴメンナサイ! ゴメンナサイっ!」
……じゃない!!
「蔵馬っ、お風呂なんてダメだよ! ぶり返しちゃうんだから」
言って、蔵馬を振り返って睨む。
蔵馬はニコっと笑った。
「エッチ」
「ひぁぁぁっ」
またも我に返って背を向けようとする私をはっしと捕まえて、無理やり顔を固定する。
鬼っ! 悪魔っ! いじめっ子っ!!
だけど、否応なしに視界に飛び込む半裸身に、私は状況も忘れて見入ってしまった。
だって、顔は女子みたいに可愛いのに、身体はしっかり男子なんだもん。
服を着ていると細そうに見えるけど、しっかり筋肉が付いていて、意外とがっちりしている。
もちろん、ムキムキじゃくて、なんていうか締まっていて、すごく均整が取れていて、彫刻みたい。
私、毎晩こんなカラダに抱かれて寝てたなんて……って、なんかこの言い方、語弊がある!?
だ、抱かれるというのはそういう意味ではなくて! 違うけど! だけど、だけど、この胸の中に……!
パニックになってどんどん顔が熱くなってくる。
「オレばっかり見られるのは、フェアじゃないよね?」
蔵馬が色っぽく笑った。
獲物を魅了して射すくめるような妖艶な笑みに、私は声も出せず、プルプルと首を横に振った。
「裸の付き合いっていうでしょう?」
「そういうのは男同士でやってくださいっ!」
蔵馬はふっと息をついて私を放し、ボトムに手を掛けた。
「残念だなぁ……それじゃ、鍋、火に掛けてあるんで、それ見ててください」
立ちすくんだままの私を斜めに見上げて、にやっと笑う。
「それとも、せっかくだから、全部見てく?」
私はビクっとして一も二もなくバスルームから飛び出しながら叫んだ。
「蔵馬のバカーッ!」
バクバクする胸を押さえながら、言われたとおりにキッチンに行くと、なるほど確かに何かが煮えてる。
恐る恐るフタを取ると、蔵馬お手製の妖しげな液体。
うぇえ……。
で、でも、これは蔵馬が飲むんだよね。病人は蔵馬だもん。
えも言われぬニオイに顔を背けながら鍋をかき回しているうちに、蔵馬はシャワーを済ませて身支度を始めた。
「それ、冷ましてくれる?」
言われたとおりにしながら声を掛ける。
「今日くらい、休ませてもらったら?」
「もう大丈夫ですよ」
こうなったら私が黄泉さんに直接交渉してみようか?
でも、無理せざるを得ない理由も分かるし……。
蔵馬とふたりで朝食を済ませ、考え込んでいる私の前に、グラスが置かれた。
「…………蔵馬、これ」
蔵馬は自分の席に座ってにっこりと笑う。
「魔界の風邪をなめちゃいけませんよ。飲んでください」
私はざざっとひいて、椅子ごとひっくり返りそうになりながら叫んだ。
「かっ、風邪ひいてるのは蔵馬でしょ?! これは蔵馬の薬でしょ!」
「もちろん、オレも飲みますよ」
言って、蔵馬は何ごともなく、もうひとつのグラスを飲み干す。
なっ、なんで顔色も変えずにあんな劇物を……。
「さ、夏希も」
「こここここれの正体は一体……」
「ああ、この草です」
蔵馬はどこからともなく小さなタネを手に乗せると、それはそこで瞬間的に発芽して、ほうれん草くらいの大きさになった。
びっくりして目を見開く私に、蔵馬は穏やかに笑う。
「夏希は、オレの能力、見たことなかった? オレはね、植物を操る妖怪なんです」
言って、蔵馬はまた別のタネを取り出すと、同じようにして、今度は花を咲かせた。
目の覚めるような真紅の、美しいバラの花。
蔵馬は目を伏せ、器用にトゲを取ると、水の入っていたコップにそれを挿して私の前に置いた。
「看病してくれたお礼です」
そうして、何故か無表情に私を見る。
どうしてそんな顔をするのかわからなかったけれど、私は素直にいまの気持ちを伝えた。
「きれい……ありがとう。素敵な力を持ってるんだね、蔵馬。羨ましいな」
蔵馬はちょっと目を見開くと、すぐに美しく笑った。
上品で艶やかな微笑みは、私の前で咲き誇るバラに似ていた。
「……で、それ。早く飲まないと、また無理やり飲ませますよ」
はっと現実に引き戻され、私はコクンと喉を鳴らした。
色はもの凄いけれど、蔵馬は普通に飲んだし、大丈夫。前とは違う薬なんだよ。
私は震える手でグラスを傾けた。
「!!!!!!!」
一口飲んで、私はあまりの衝撃にうつ伏せた。
なんであのヒトこんなモノ普通に飲めるの!
蔵馬は私の手からコップを取り上げると、立ち上がって私の隣に来た。
「夏希、やっぱりオレが飲ませてあげるよ」
むくっと起き上がる私に、蔵馬はニコニコと語りかける。
「今日は、口移しで」
私はモノも言わずにそれを取り返して、一気に飲み干した。
………………死ぬ。
再び伏せった私の髪を撫でて、笑い声と共に「行ってきます」と蔵馬は部屋を後にした。
私はそのままの格好でしばらく生死の境をさまよって、食器を下げにきた魅羅ちゃんを仰天させてしまった。
彼女は取り乱して私をベッドに運んでくれて、私はそのまま昨夜おあずけになった睡眠を貪った。
お陰で風邪をもらうこともなく、昼には復活!
そうしてすっかり元気を取り戻した私は、電話のボタンを押した。
昨夜、熱を出して苦しんでいる蔵馬を見ながら、ずっと考えていた、あることを伝えたくて。
『どうした?』
黄泉さんの静かな声が心地よく耳をくすぐる。
「お仕事中にごめんなさい。私、黄泉さんに話したいことがあるの。手が空いたときに、時間をもらえませんか?」
黄泉さんは、ちょっと考えるように間をあけると、言った。
『夏希、昼食がまだだろう。腹が減った。付き合え』
「え……? あ、はい」
『10分後に迎えをやる』
言って電話は切られた。
黄泉さん……すぐに時間を空けてくれたんだ。
感激しながら急いで身支度をしていると、魅羅ちゃんが迎えに来た。
「夏希さん、お身体は大丈夫ですか?」
案内してくれながら、魅羅ちゃんは私を気遣ってくれる。
紺色の大きな瞳がとっても愛らしい。
魅羅ちゃんの耳の位置には、羊さんみたいなクルクルっとした角が生えてる。
ストレートの若草色の髪をボブに切りそろえていて、そこに、髪飾りみたいなその角が見える。
優しげな雰囲気が、清楚な紺色のメイド服によく似合っていた。
「うん、さっきはありがとう。もう大丈夫」
ずっとお世話してもらってるのと、その柔らかい雰囲気とで、彼女といるとホッとする。
それで私は、ふと芽生えた疑問を口にした。
「ねえ、魅羅ちゃん。魔界の人って、あんなにものすごい薬を飲んでいるの?」
「薬……?」
魅羅ちゃんは不思議そうに振り返り、すぐに合点がいったという風に微笑んだ。
「蔵馬様がお作りになる薬湯のことですね。癌陀羅では医療が発達していて、皆様普段は錠剤やカプセルをお召しになります。でも地方では、あのような薬がほとんどです。わたくしも一度飲んだことがございますが……ショック死しそうでしたわ」
彼女のとってもイヤそうな顔を見て、私はくすくすと笑った。
「そうだよね! 逆にあの薬のせいで死にそうになるよね!」
魅羅ちゃんも一緒になって笑い出した。
「でも、蔵馬様のお作りになる薬は、本当に良く効くそうですわ。あの方は植物のことを知り尽くしたお方ですので。伝説の盗賊、なんて呼ばれてらっしゃいますが、医療界でもまた伝説なのだそうです」
蔵馬が”伝説”……かあ。
「なんか、盗賊ってガラじゃないよね。蔵馬って」
魅羅ちゃんは可愛く首を傾ける。
「有名なお話なんですよ。それは美しく、気高く、狙ったものは必ず手に入れる、銀髪の妖狐蔵馬。頭脳明晰で隙がなく、何人たりともその美しい身体に触れることすら叶わない。その姿は高峰を吹き抜ける銀の疾風の様だとか、薫り高き無垢の白百合の様だとか。冷たく輝く金の瞳に他者は恐れつつも、惹かれずにはいられない――そんな風にわたくしは聞いております」
私はふと、黄泉さんの光を奪ったという妖怪の言ったことを思い出した。
銀髪の、冷たい瞳の、妖狐。やっぱり蔵馬のことで間違いなかったんだ。
それでも、魅羅ちゃんの話さながらに、黄泉さんは蔵馬に魅了されている。
蔵馬って本当に不思議な人。
「お姿は変わられたようですが、それでも聞いていた通りの方でございますね。でも、夏希さんといらっしゃるときの蔵馬様は、別人のようにお優しい目をしてらっしゃいますが。女官は皆、夏希さんを羨ましがっておりますわ」
そうだよねぇ。四六時中変な人間が付き纏ってるんだから、誰かに呪われそう……。
げんなりする私を元気づけるように魅羅ちゃんは微笑む。
「心配なさらないで下さい」
言って、魅羅ちゃんは手を耳にかざし、意味ありげに笑った。
「……これなので、女官は滅多なことはいたしません」
それが、黄泉さんの地獄耳を指しているのに気付き、思わず笑ってしまった。
「魅羅ちゃんは、蔵馬の前でも全然態度かわらないね」
「わたくしは、年端もいきませんので、他の女官のように蔵馬様を恋しがる気持ちが、まだよくわかりませんの」
魅羅ちゃんは、ちょっと恥ずかしそうに俯いて言った。
可愛い~!!
「魅羅ちゃん、歳はいくつなの?」
私が聞くと、魅羅ちゃんは不思議そうにこちらを見た。
「歳……」
「えっと、生まれてから何年くらい経っているの?」
「そういう年数を数える習慣はわたくしにはございませんが……そうですね、まだ100年も経ったかどうか……」
はっ!?
妖怪って、本当に寿命長いんだ……。
「まだまだ未熟で」なんていいながら、魅羅ちゃんは私を黄泉さんの執務室まで案内してくれた。
私が部屋に入ると、すぐに黄泉さんも別のドアから入ってきた。
応接用のテーブルにはランチが用意されている。
「黄泉さん、あのっ……」
緊張しながら口を開くと、黄泉さんは私の前を素通りして、テーブルについた。
「お前、いい加減喉をつぶしてやろうか?」
え?
きょとんとする私の前で、黄泉さんは腕を組んで眉根を寄せた。
「睡眠不足はお肌の大敵だ」
そ……そういえば昨夜から叫びっぱなしだったかも……。
「す、すみません……」
それにしたって「喉をつぶす」とか、黄泉さんが言うとシャレにならないよ!
黄泉さんって立場的にも腕力的にも何でもできるんだもん。
冗談なのか、脅しなのか、本気なのか全然わかんない。
ドキドキしながら観察していると、それを感じたのかニヤッと笑う。
「まあ、いい。座れ」
「あの、黄泉さん、私、お話が」
「食事は楽しむものだろう? とりあえず、食べてから聞く」
それで、私も黄泉さんと向かい合っていただきますをした。
「随分、話が弾んでいたな」
話……?
今朝がたの蔵馬との? でもあの悪魔っぷりはいつも通りだし……あ、魅羅ちゃんのことか!
きっと、さっきの話、聞こえてたよね。
「あの女官が気に入ったなら、次にお前が魔界に来るときも彼女に世話させよう」
ああ、そうか。
もう少ししか、ここにはいられないんだ。
あんなに怖くて、早く逃げ出したかった魔界なのに、離れるのが淋しいと思うなんて、住めば都って本当みたい。
「また、来ていいんですか?」
上目遣いに聞くと、黄泉さんはふっと笑った。
「何なら、ずっとここにいたらどうだ?」
「これ以上、迷惑かけられません。学校もあるし」
私は笑って頭を掻いた。
「人間界は、面倒くさいところだな」
私は黄泉さんを見上げる。
「学校だの、仕事だの。いや、考え方自体面倒くさい。倫理がどうだの、愛がどうだの」
「詳しいんですね」
私の言葉に、黄泉さんは水のグラスに手を伸ばす。
「人間界には常に偵察を遣っているからな。それに、昔は行ったこともある」
「そうなの?」
「今は霊界の奴らが結界を張ってしまったから、気軽に行き来はできないがな。……別にどうという世界でもなかったが、興味深くもあったかな」
変なの。
でも、そういう言い方、黄泉さんらしいな。
「空と海とがやけに青くて、それが気に入った」
「うん……私も好き」
「太陽の色の変化もなかなか悪くない」
「夕方には真っ赤になりますもんね」
「夜になると星が出るのが……」
黄泉さんは、ぽつりぽつりと人間界で印象に残ったものを挙げていった。
「しかし、そこで暮らす人間は脆弱だった。口では立派なことを言うくせに、心の中は」
私は、何も言えずに黄泉さんを見た。
黄泉さんもこちらを向き、ややして続きを言った。
「しかし、まあ、珍しいのもいる」
珍しい……蔵馬のことかな?
人間と妖怪のハーフなんてかなり珍しいもんね。ハーフっていうのかどうかわからないけど。
考えながら、私は再び食事に手をつけた。
「でも、何となく思うんです。蔵馬はここでも人間界でもそんなに変わらないんじゃないかなって。……蔵馬は、誠実でしょう?」
「蔵馬? いまのアイツがクソ真面目なのは認めるが、お前とオレたちに対する態度は全然違うぞ」
「それは黄泉さんが男性で、私が女だからじゃないのかな。それに人間だし。力が違いすぎるから、子供に接するように優しくしてくれてるのかなって思うんです。たぶん人間みんなにそうしてるんじゃないかなって」
あの丁寧語調もきっとそうなんだろうな。
ぼんやりと蔵馬のことを考えていると、黄泉さんの小さな笑い声が響く。
「蔵馬が聞いていたら泣くな」
なんで?!
「しかし、まあ、お前の雑草のようなたくましさを見ていると、妖怪も人間も本質は変わらんのかもしれんと思うよ。死にそうで死なんし、やたらと図太い」
……それ、褒めてる? けなしてる?
でも、ちゃんと話した妖怪はそんなに多くはないけれど、蔵馬、黄泉さん、魅羅ちゃん、阿羅醐さん、みんな「普通」に会話できた。
そりゃ、たまにはびっくりするような価値観が出てきたりもするけど、それはあくまで環境の違いであって、正義とか、優しさとか、みんなちゃんと持ってた。
「うん……私も思います。本質は同じだって。だから……」
食事を終えて、私は黄泉さんに向き直った。
昨夜、ずっと考えていた。
蔵馬のために、何ができるかって。
考え付いたこの方法は、正直、何の役にも立たないかもしれない。
それでも、何もしないで待っているのなんて、もう辛すぎる。
「黄泉さん、私を鯱さんたちのところに連れて行ってください」
裸の付き合いに真っ先に立候補したのは聞き耳を立てていた黄泉さまですが、蔵馬はどちらかというと妖駄さんとお風呂に入ってあのシワシワの皮膚がどこまで伸びるのか実験してみたいと思ったようです。
初:20051017
改:20260517
ふんわり柔らかに私を受け止め、優しく包んでくれる……「愛」という言葉をものの形にしたらこうなるのです。
おまけにとってもいい香り……バラの花みたいな……バラ……ん、バラ!?
そこでようやく、閉じかけていた寝不足の目を見開き、寝室を飛び出した。
放っといたら、また無理して仕事に行っちゃう!
しまった! いない!
部屋の真ん中でキョロキョロしていると、バスルームの方からカタっと音がした。
顔洗ってるんだ! 身支度してるんだ! やめさせなきゃ!
「蔵馬っ……」
「え?」
「きゃああああっ!」
私は、黄泉さんの苦情なんて宇宙の彼方に追いやって、またまた大悲鳴をあげてしまった。
顔を洗っていると信じ込んで開けたドアの奥では、蔵馬がシャワーを使うために服を脱いでいるところだった。
蔵馬は、慌てて飛び出そうとする私の首根っこを掴んで引き寄せる。
「今朝は積極的ですね。一緒にお風呂、入りますか?」
「わーん! ゴメンナサイ! ゴメンナサイ! ゴメンナサイっ!」
……じゃない!!
「蔵馬っ、お風呂なんてダメだよ! ぶり返しちゃうんだから」
言って、蔵馬を振り返って睨む。
蔵馬はニコっと笑った。
「エッチ」
「ひぁぁぁっ」
またも我に返って背を向けようとする私をはっしと捕まえて、無理やり顔を固定する。
鬼っ! 悪魔っ! いじめっ子っ!!
だけど、否応なしに視界に飛び込む半裸身に、私は状況も忘れて見入ってしまった。
だって、顔は女子みたいに可愛いのに、身体はしっかり男子なんだもん。
服を着ていると細そうに見えるけど、しっかり筋肉が付いていて、意外とがっちりしている。
もちろん、ムキムキじゃくて、なんていうか締まっていて、すごく均整が取れていて、彫刻みたい。
私、毎晩こんなカラダに抱かれて寝てたなんて……って、なんかこの言い方、語弊がある!?
だ、抱かれるというのはそういう意味ではなくて! 違うけど! だけど、だけど、この胸の中に……!
パニックになってどんどん顔が熱くなってくる。
「オレばっかり見られるのは、フェアじゃないよね?」
蔵馬が色っぽく笑った。
獲物を魅了して射すくめるような妖艶な笑みに、私は声も出せず、プルプルと首を横に振った。
「裸の付き合いっていうでしょう?」
「そういうのは男同士でやってくださいっ!」
蔵馬はふっと息をついて私を放し、ボトムに手を掛けた。
「残念だなぁ……それじゃ、鍋、火に掛けてあるんで、それ見ててください」
立ちすくんだままの私を斜めに見上げて、にやっと笑う。
「それとも、せっかくだから、全部見てく?」
私はビクっとして一も二もなくバスルームから飛び出しながら叫んだ。
「蔵馬のバカーッ!」
バクバクする胸を押さえながら、言われたとおりにキッチンに行くと、なるほど確かに何かが煮えてる。
恐る恐るフタを取ると、蔵馬お手製の妖しげな液体。
うぇえ……。
で、でも、これは蔵馬が飲むんだよね。病人は蔵馬だもん。
えも言われぬニオイに顔を背けながら鍋をかき回しているうちに、蔵馬はシャワーを済ませて身支度を始めた。
「それ、冷ましてくれる?」
言われたとおりにしながら声を掛ける。
「今日くらい、休ませてもらったら?」
「もう大丈夫ですよ」
こうなったら私が黄泉さんに直接交渉してみようか?
でも、無理せざるを得ない理由も分かるし……。
蔵馬とふたりで朝食を済ませ、考え込んでいる私の前に、グラスが置かれた。
「…………蔵馬、これ」
蔵馬は自分の席に座ってにっこりと笑う。
「魔界の風邪をなめちゃいけませんよ。飲んでください」
私はざざっとひいて、椅子ごとひっくり返りそうになりながら叫んだ。
「かっ、風邪ひいてるのは蔵馬でしょ?! これは蔵馬の薬でしょ!」
「もちろん、オレも飲みますよ」
言って、蔵馬は何ごともなく、もうひとつのグラスを飲み干す。
なっ、なんで顔色も変えずにあんな劇物を……。
「さ、夏希も」
「こここここれの正体は一体……」
「ああ、この草です」
蔵馬はどこからともなく小さなタネを手に乗せると、それはそこで瞬間的に発芽して、ほうれん草くらいの大きさになった。
びっくりして目を見開く私に、蔵馬は穏やかに笑う。
「夏希は、オレの能力、見たことなかった? オレはね、植物を操る妖怪なんです」
言って、蔵馬はまた別のタネを取り出すと、同じようにして、今度は花を咲かせた。
目の覚めるような真紅の、美しいバラの花。
蔵馬は目を伏せ、器用にトゲを取ると、水の入っていたコップにそれを挿して私の前に置いた。
「看病してくれたお礼です」
そうして、何故か無表情に私を見る。
どうしてそんな顔をするのかわからなかったけれど、私は素直にいまの気持ちを伝えた。
「きれい……ありがとう。素敵な力を持ってるんだね、蔵馬。羨ましいな」
蔵馬はちょっと目を見開くと、すぐに美しく笑った。
上品で艶やかな微笑みは、私の前で咲き誇るバラに似ていた。
「……で、それ。早く飲まないと、また無理やり飲ませますよ」
はっと現実に引き戻され、私はコクンと喉を鳴らした。
色はもの凄いけれど、蔵馬は普通に飲んだし、大丈夫。前とは違う薬なんだよ。
私は震える手でグラスを傾けた。
「!!!!!!!」
一口飲んで、私はあまりの衝撃にうつ伏せた。
なんであのヒトこんなモノ普通に飲めるの!
蔵馬は私の手からコップを取り上げると、立ち上がって私の隣に来た。
「夏希、やっぱりオレが飲ませてあげるよ」
むくっと起き上がる私に、蔵馬はニコニコと語りかける。
「今日は、口移しで」
私はモノも言わずにそれを取り返して、一気に飲み干した。
………………死ぬ。
再び伏せった私の髪を撫でて、笑い声と共に「行ってきます」と蔵馬は部屋を後にした。
私はそのままの格好でしばらく生死の境をさまよって、食器を下げにきた魅羅ちゃんを仰天させてしまった。
彼女は取り乱して私をベッドに運んでくれて、私はそのまま昨夜おあずけになった睡眠を貪った。
お陰で風邪をもらうこともなく、昼には復活!
そうしてすっかり元気を取り戻した私は、電話のボタンを押した。
昨夜、熱を出して苦しんでいる蔵馬を見ながら、ずっと考えていた、あることを伝えたくて。
『どうした?』
黄泉さんの静かな声が心地よく耳をくすぐる。
「お仕事中にごめんなさい。私、黄泉さんに話したいことがあるの。手が空いたときに、時間をもらえませんか?」
黄泉さんは、ちょっと考えるように間をあけると、言った。
『夏希、昼食がまだだろう。腹が減った。付き合え』
「え……? あ、はい」
『10分後に迎えをやる』
言って電話は切られた。
黄泉さん……すぐに時間を空けてくれたんだ。
感激しながら急いで身支度をしていると、魅羅ちゃんが迎えに来た。
「夏希さん、お身体は大丈夫ですか?」
案内してくれながら、魅羅ちゃんは私を気遣ってくれる。
紺色の大きな瞳がとっても愛らしい。
魅羅ちゃんの耳の位置には、羊さんみたいなクルクルっとした角が生えてる。
ストレートの若草色の髪をボブに切りそろえていて、そこに、髪飾りみたいなその角が見える。
優しげな雰囲気が、清楚な紺色のメイド服によく似合っていた。
「うん、さっきはありがとう。もう大丈夫」
ずっとお世話してもらってるのと、その柔らかい雰囲気とで、彼女といるとホッとする。
それで私は、ふと芽生えた疑問を口にした。
「ねえ、魅羅ちゃん。魔界の人って、あんなにものすごい薬を飲んでいるの?」
「薬……?」
魅羅ちゃんは不思議そうに振り返り、すぐに合点がいったという風に微笑んだ。
「蔵馬様がお作りになる薬湯のことですね。癌陀羅では医療が発達していて、皆様普段は錠剤やカプセルをお召しになります。でも地方では、あのような薬がほとんどです。わたくしも一度飲んだことがございますが……ショック死しそうでしたわ」
彼女のとってもイヤそうな顔を見て、私はくすくすと笑った。
「そうだよね! 逆にあの薬のせいで死にそうになるよね!」
魅羅ちゃんも一緒になって笑い出した。
「でも、蔵馬様のお作りになる薬は、本当に良く効くそうですわ。あの方は植物のことを知り尽くしたお方ですので。伝説の盗賊、なんて呼ばれてらっしゃいますが、医療界でもまた伝説なのだそうです」
蔵馬が”伝説”……かあ。
「なんか、盗賊ってガラじゃないよね。蔵馬って」
魅羅ちゃんは可愛く首を傾ける。
「有名なお話なんですよ。それは美しく、気高く、狙ったものは必ず手に入れる、銀髪の妖狐蔵馬。頭脳明晰で隙がなく、何人たりともその美しい身体に触れることすら叶わない。その姿は高峰を吹き抜ける銀の疾風の様だとか、薫り高き無垢の白百合の様だとか。冷たく輝く金の瞳に他者は恐れつつも、惹かれずにはいられない――そんな風にわたくしは聞いております」
私はふと、黄泉さんの光を奪ったという妖怪の言ったことを思い出した。
銀髪の、冷たい瞳の、妖狐。やっぱり蔵馬のことで間違いなかったんだ。
それでも、魅羅ちゃんの話さながらに、黄泉さんは蔵馬に魅了されている。
蔵馬って本当に不思議な人。
「お姿は変わられたようですが、それでも聞いていた通りの方でございますね。でも、夏希さんといらっしゃるときの蔵馬様は、別人のようにお優しい目をしてらっしゃいますが。女官は皆、夏希さんを羨ましがっておりますわ」
そうだよねぇ。四六時中変な人間が付き纏ってるんだから、誰かに呪われそう……。
げんなりする私を元気づけるように魅羅ちゃんは微笑む。
「心配なさらないで下さい」
言って、魅羅ちゃんは手を耳にかざし、意味ありげに笑った。
「……これなので、女官は滅多なことはいたしません」
それが、黄泉さんの地獄耳を指しているのに気付き、思わず笑ってしまった。
「魅羅ちゃんは、蔵馬の前でも全然態度かわらないね」
「わたくしは、年端もいきませんので、他の女官のように蔵馬様を恋しがる気持ちが、まだよくわかりませんの」
魅羅ちゃんは、ちょっと恥ずかしそうに俯いて言った。
可愛い~!!
「魅羅ちゃん、歳はいくつなの?」
私が聞くと、魅羅ちゃんは不思議そうにこちらを見た。
「歳……」
「えっと、生まれてから何年くらい経っているの?」
「そういう年数を数える習慣はわたくしにはございませんが……そうですね、まだ100年も経ったかどうか……」
はっ!?
妖怪って、本当に寿命長いんだ……。
「まだまだ未熟で」なんていいながら、魅羅ちゃんは私を黄泉さんの執務室まで案内してくれた。
私が部屋に入ると、すぐに黄泉さんも別のドアから入ってきた。
応接用のテーブルにはランチが用意されている。
「黄泉さん、あのっ……」
緊張しながら口を開くと、黄泉さんは私の前を素通りして、テーブルについた。
「お前、いい加減喉をつぶしてやろうか?」
え?
きょとんとする私の前で、黄泉さんは腕を組んで眉根を寄せた。
「睡眠不足はお肌の大敵だ」
そ……そういえば昨夜から叫びっぱなしだったかも……。
「す、すみません……」
それにしたって「喉をつぶす」とか、黄泉さんが言うとシャレにならないよ!
黄泉さんって立場的にも腕力的にも何でもできるんだもん。
冗談なのか、脅しなのか、本気なのか全然わかんない。
ドキドキしながら観察していると、それを感じたのかニヤッと笑う。
「まあ、いい。座れ」
「あの、黄泉さん、私、お話が」
「食事は楽しむものだろう? とりあえず、食べてから聞く」
それで、私も黄泉さんと向かい合っていただきますをした。
「随分、話が弾んでいたな」
話……?
今朝がたの蔵馬との? でもあの悪魔っぷりはいつも通りだし……あ、魅羅ちゃんのことか!
きっと、さっきの話、聞こえてたよね。
「あの女官が気に入ったなら、次にお前が魔界に来るときも彼女に世話させよう」
ああ、そうか。
もう少ししか、ここにはいられないんだ。
あんなに怖くて、早く逃げ出したかった魔界なのに、離れるのが淋しいと思うなんて、住めば都って本当みたい。
「また、来ていいんですか?」
上目遣いに聞くと、黄泉さんはふっと笑った。
「何なら、ずっとここにいたらどうだ?」
「これ以上、迷惑かけられません。学校もあるし」
私は笑って頭を掻いた。
「人間界は、面倒くさいところだな」
私は黄泉さんを見上げる。
「学校だの、仕事だの。いや、考え方自体面倒くさい。倫理がどうだの、愛がどうだの」
「詳しいんですね」
私の言葉に、黄泉さんは水のグラスに手を伸ばす。
「人間界には常に偵察を遣っているからな。それに、昔は行ったこともある」
「そうなの?」
「今は霊界の奴らが結界を張ってしまったから、気軽に行き来はできないがな。……別にどうという世界でもなかったが、興味深くもあったかな」
変なの。
でも、そういう言い方、黄泉さんらしいな。
「空と海とがやけに青くて、それが気に入った」
「うん……私も好き」
「太陽の色の変化もなかなか悪くない」
「夕方には真っ赤になりますもんね」
「夜になると星が出るのが……」
黄泉さんは、ぽつりぽつりと人間界で印象に残ったものを挙げていった。
「しかし、そこで暮らす人間は脆弱だった。口では立派なことを言うくせに、心の中は」
私は、何も言えずに黄泉さんを見た。
黄泉さんもこちらを向き、ややして続きを言った。
「しかし、まあ、珍しいのもいる」
珍しい……蔵馬のことかな?
人間と妖怪のハーフなんてかなり珍しいもんね。ハーフっていうのかどうかわからないけど。
考えながら、私は再び食事に手をつけた。
「でも、何となく思うんです。蔵馬はここでも人間界でもそんなに変わらないんじゃないかなって。……蔵馬は、誠実でしょう?」
「蔵馬? いまのアイツがクソ真面目なのは認めるが、お前とオレたちに対する態度は全然違うぞ」
「それは黄泉さんが男性で、私が女だからじゃないのかな。それに人間だし。力が違いすぎるから、子供に接するように優しくしてくれてるのかなって思うんです。たぶん人間みんなにそうしてるんじゃないかなって」
あの丁寧語調もきっとそうなんだろうな。
ぼんやりと蔵馬のことを考えていると、黄泉さんの小さな笑い声が響く。
「蔵馬が聞いていたら泣くな」
なんで?!
「しかし、まあ、お前の雑草のようなたくましさを見ていると、妖怪も人間も本質は変わらんのかもしれんと思うよ。死にそうで死なんし、やたらと図太い」
……それ、褒めてる? けなしてる?
でも、ちゃんと話した妖怪はそんなに多くはないけれど、蔵馬、黄泉さん、魅羅ちゃん、阿羅醐さん、みんな「普通」に会話できた。
そりゃ、たまにはびっくりするような価値観が出てきたりもするけど、それはあくまで環境の違いであって、正義とか、優しさとか、みんなちゃんと持ってた。
「うん……私も思います。本質は同じだって。だから……」
食事を終えて、私は黄泉さんに向き直った。
昨夜、ずっと考えていた。
蔵馬のために、何ができるかって。
考え付いたこの方法は、正直、何の役にも立たないかもしれない。
それでも、何もしないで待っているのなんて、もう辛すぎる。
「黄泉さん、私を鯱さんたちのところに連れて行ってください」
裸の付き合いに真っ先に立候補したのは聞き耳を立てていた黄泉さまですが、蔵馬はどちらかというと妖駄さんとお風呂に入ってあのシワシワの皮膚がどこまで伸びるのか実験してみたいと思ったようです。
初:20051017
改:20260517