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Paw, my girl!
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蔵馬は鬼のように働いている。
確かに癌陀羅中心に働くようになったので、一応この部屋にも帰ってくる。
でも、数時間といられずに飛び出していく。
夜だってほとんど寝ていない。
良くて2、3時間。大抵、徹夜。
後になって聞いた話だけど、黄泉さんと夕食を一緒にしたあの日は、
「今夜は仕事をせずに休め。これは命令だ」
って、黄泉さんが強制的に休ませたみたい。
「たかだか一晩休んだくらいで、疲れが取れるわけないのに!」
私は怒って言ったけれど、
「オレも妖怪の端くれですからね。頑丈にできてるんですよ」
と、蔵馬は笑うばっかり。
「雷禅のところはともかく、躯や鯱達は、かなりいい加減な情報に踊らされているだけですからね。一刻を争うんです」
そんなこと言ったって、顔色、すごく悪いよ。
なんだか、やつれたみたいだし。
私は飛び出していく蔵馬を毎日見送りながら、気が気じゃなかった。
本当に、いまにでも倒れてしまうんじゃないかってくらい、蔵馬は疲れていた。
この事件の首謀者は、鯱さん、迦雄須さん、阿羅醐さん。
国の政治を黄泉さんと行っている、この国の幹部。
ある日突然現れた、身体は人間、正体は伝説の盗賊妖怪・蔵馬に、自分たちの地位が脅威にさらされると感じて、この国の軍隊を率いて出て行ってしまった。
クーデターっていうのかな。
蔵馬は敵対している国と、この事件の首謀者たちを牽制しつつ、国の防御と国力そのものを上げるために奔走している。
そして、事件を根本から解決するために、首謀者3人の仲間割れを密かに煽ったりもしてるみたい。
いまのところ、寝食も惜しまない蔵馬の努力に支えられて、どうにか膠着状態を保っているけれど、そこから先に進めるのに手間取っている。
それで私も強くは止められない。
だいたい、あの3人は何百年もこの国の幹部を務めてきたんだって。
たった1ヵ月の約束で来た蔵馬に、そこまで嫉妬するのもどうかと思うんだけど!
蔵馬に嫌がらせするのが目的なら、じゅうぶんそれは果たしているじゃない。
やっぱり、この機会に黄泉さんを倒して、魔界の覇者になろうとしているのかな。
……だとしたら、説得なんて、通じるんだろうか。
――ダメダメ! 私がこんな所でネガティブパワーをまき散らしたりしちゃ。
黄泉さんは優しそうに見えて、ときどき冷酷。
もし蔵馬がいなかったら、単身彼らの拠点に乗り込んで、つぶしていたかもしれない。
でも、強者三竦みになっているこの魔界で国のNo.2を失うことは、国力的に見ると、ちょっとしたダメージなんだとか。
客観的に判断した結果、蔵馬は何とかあの3人を呼び戻すために頑張っている。
「まあいいさ。いざとなったら叩きつぶせば。別に惜しくもない」
なんて黄泉さんが言っている以上、応援しているのは私だけだもん。
相変わらず疲れた顔で蔵馬が帰ってきた。
「おかえり。食事用意してもらう?」
時間は深夜。
蔵馬は微笑むと、私の髪をくちゃっと撫でた。
「食事はいいよ。シャワーを浴びたらすぐまた行くから」
だるそうに上着を脱いで椅子の背もたれに掛けると、バスルームに消えていく。
私は何も言えずにそれを見送り、洗濯に出そうと何気なく上着を取ってドキッとした。
血が付いてる。
ピッピッ、と筋を描いているそれは、多分、蔵馬のじゃなくて、誰かの返り血。
蔵馬は自分から他人を傷つけるような人じゃないことはわかってる。
だから、きっと誰かに襲われたんだと思う。
私はぎゅっと目を閉じた。
本当は、誰かを傷つけて何もなかったような顔をしている蔵馬が怖くないって言ったら嘘になる。
もちろん、責めたり非難したりなんて気はない。
蔵馬がいま、どういう立場にいるか知ってるもん。
それに私は、誰かを傷つけてでも、蔵馬に無事でいて欲しいと願ってしまうから。
蔵馬は、どうしてこんな危険な目にあわなきゃいけないの。
あんなに頑張ってるのに。
あんなに優しいのに。
ぽたっと涙が血の上に落ちて、その輪郭が少し滲んだ。
なんて厳しいんだろう。
「きっと今夜は戻れないから、先に寝ていてください。黄泉と執務室にいるから、何かあったら内線で連絡して」
蔵馬はまだ湿った髪のまま、私の用意した服に袖を通しながら言った。
「まあ、声を出すだけでも黄泉は気付くだろうけどね。それじゃ、行ってきます」
いつものように頬に触れたその手が何だか熱く感じて、振り返って背中を見た。
それは、ふらっとその身体がよろめき、額を押さえてしゃがみこむ瞬間だった。
「蔵馬っ!!」
私は慌てて駆け寄る。
その手をどけて額に触れると、火傷しそうに熱かった。
「熱があるよ!」
「大したことはないよ」
蔵馬は俯いたまま言うと、立ち上がろうとして、またバランスを崩した。
私は電話に飛びつくように黄泉さんに内線を掛けた。
「夏希、大丈夫だから、黄泉には言わなくていい」
蔵馬の声が背中から聞こえたけど、そんなの知らない!!
『今日は休めと伝えてくれ』
黄泉さんは聞こえていたのか、出し抜けに言った。
『おおかた、百足ででも流行り風邪をもらったんだろう。お前もうつされないように気をつけろよ』
「あのねっ、すごい熱なの。お医者様を呼べない?」
私は受話器に噛みつかんばかりに叫んでしまった。
『わかった。向かわせよう』
「すぐお医者様が来るからね」
受話器を置くと、再び蔵馬に駆け寄り、身体の下にもぐって無理やり寝室に担ぎ込んだ。
「医者なんかいらないよ」
「黄泉さんがね、今日は休めって」
バフンと蔵馬の身体をベッドに沈めると、やっぱり動けないらしく、腕を上げて髪をかきあげた。
私は蔵馬のパジャマを出すと、ちょっとためらって、上着のボタンに手を掛けた。
「ベッドで夏希に脱がされるなんて、ちょっとドキドキするな」
かああっと顔が熱くなり、私はごまかすようにぶっきらぼうに言った。
「当たり前でしょ! 熱があるんだから」
蔵馬はニヤっと笑う。
「それじゃ、下も脱がせてくれるの?」
私は思わず硬直し、大きく息を吸い込んだ。
「ぬ、脱がせられるよ!」
そうしてベルトに手を掛けたんだけど、蔵馬がニヤニヤと観察しているから、手が震えてベルトがカチャカチャ音を立てる。
蔵馬の手が私の手首を掴んだ。
「自分でやるよ。壊れちゃいそうだからね」
「そっ、そんな怪力じゃないもん!」
蔵馬が眉根を寄せて肘を突き、私は起き上がるところを慌てて支えた。
「……そんなにオレの理性、壊してみたい?」
至近距離で蔵馬は私の耳に熱っぽく囁く。
あまりの大刺激に私は動揺して、蔵馬をえいやっと押しのけて寝室を飛び出した。
こんなときにまでひとをからかって遊ぶなんて、どこまで性格ねじ曲がってんの!
バクバクする胸を押さえて洗面台に行き、タオルを濡らす。
それをようやくおとなしく布団に入った蔵馬の額にポンと置くと、くぐもった声で「ありがとう」と聞こえてくる。
……なんだろう。なんかわかんないけど……キュンとする……?
蔵馬は、何かしてもらえばちゃんとお礼を言う人だけど、なんかいつもと違うんだよね。
首を傾げつつ蔵馬を眺めていると、向こうも不審に思ったのかこちらを見上げて目が合った。
いつもと違って私のほうが目線が高いから?
「どうしたの?」
「えっ? なんでもないよ」
慌てて布団の襟元を整えてあげると、彼はされるがままになっている。
――これかも!
蔵馬ってなんでもできちゃうから、なにかしてあげても「させてもらってる」って感じがどこかある。
でもいまは、まさにまな板の鯉!
「ゲコクジョウ……!」
「口に出てますよ」
私は慌てて口元を押さえる。
「私ナニも言ってナイよっ!?」
「夏希はオレを支配したかったんですね……うん……それもなかなか悪くないな……」
「だっ、だからなに言って……」
蔵馬はせっかく整えた上掛けを押しのけ、自分の襟元をつかんで鎖骨を見せた。
「――いいですよ、オレを好きにして」
フェロモン放出規制量違反!! おまわりさーん!!
椅子から転げ落ちそうになったところで呼び鈴が鳴らされる。
お医者様だ! 助かった!
立ち上がろうとすると、蔵馬が私の腕を掴む。
「行かないでよ」
冗談とも本気ともつかないけれど、布団の中から上目遣いにこちらを見る蔵馬が何だか可愛く思えた。
「お医者様を連れてくるだけだよ」
「オレ、雑炊が食べたいな」
これまた突然、蔵馬が呟く。
「じゃ、診察してもらっている間に作っておくからね」
「卵が入ってるのが好きなんだ」
……今日の蔵馬はいつもと別方向に犯罪。
魅羅ちゃんに持ってきてもらった材料で卵雑炊を作り、お医者様の帰った寝室に戻る。
蔵馬にせがまれ、一口一口食べさせた後、薬を飲ませると、彼は目を閉じた。
「夏希は黄泉の部屋に行って。魔界の風邪はタチが悪い。うつると大変だから……」
喋りながら蔵馬は眠りにいざなわれた。
さっきは行くなって言ったくせにね。
思わずクスッと笑うと、洗い物を済ませて枕元に戻る。
蔵馬は相変わらず荒い息を繰り返している。
濡れタオルもすっかり熱くなっていて、汗を拭いてあげながら、それを何度も取り替えた。
こんなになるまで無理して。
汗で頬に張り付いた髪をそっと小指で払ってやりながら、蔵馬を見つめる。
お願いだから、心配させないでよ。
「う…………」
ベッドの中で蔵馬がうめいた。
「…………だ……」
どうしよう、うなされてるみたい。起こした方がいいのかな?
汗を浮かべ、ぎゅっと眉根をよせて、蔵馬は掠れた声で何か伝えるように手を伸ばす。
「……夏希……」
突然、名前を呼ばれて、私はびっくりして汗を拭く手を止めた。
「……行か……ない……で………………だか……ら……夏希……」
えっ? えっ? 私?
どうしたらいいかわからなくて、とっさに宙を掴む彼の手を握る。
「こ、こに、いるよ。蔵馬。ひとりにはしないから、安心して」
恐る恐る、小声で呟くと、蔵馬はまたスウッと深い眠りに落ちたようだった。
ふう。びっくりした。
規則正しい寝息を立て始めた蔵馬の寝顔は、ちょっとあどけない。
飛び出してしまった肩を布団に入れてあげようとして、ん? と自分の右手を見た。
がっちり、蔵馬は私の手を握り締めたまま放さない。
しばらく、なんとかこれを外そうと頑張ったけれど、諦めて頬杖をついて蔵馬を睨んだ。
子供みたい。
えいっと蔵馬のほっぺを指先で突付いてみる。
そのほっぺは滑らかで、意外にも柔らかくて、指に圧されて簡単にへこんだ。
うっ、可愛い!
笑いをかみ殺しながら肘を倒して、その上にほっぺを乗っけて寝顔を眺めた。
鼻、高いなぁ。
時がゆっくり、ゆっくりと流れていく。
はちみつ色のランプの光が優しく蔵馬を包んでいる。
普段は照れちゃってなかなかじっくりと見られない蔵馬の顔。
計算し尽くされたような均整の取れた目鼻立ち。
天使が大きくなったらこんな感じかな?
ああ、大天使ってのもいるか、ハマるなぁ。
たまに悪魔みたいに見えることもあるけどね。
人間の身体に宿った、人間ではない何か。
ねえ、あなたは、一体だあれ?
人間でもなく、妖怪でもなく、天使でもなく、悪魔でもなく。
誰もあなたを縛れない。
私たちはあなたの気高さに惹かれ、あなたを渇望するけれど――あなたは孤独なんだ。
痛いくらい私の手を握り締める蔵馬の手。
人間界に帰っても、こんな風にしがみつける誰かがいるといい。
憧れは時に残酷だから。
だから、誰かにね、温もりをもらって、愛をもらって、そうしてわかって欲しいの。
誰かがあなたを傷つけても、それはあなたを好きなあまりだからって。
いまは私が温もりをあげる。
でも、ずっとは無理。
あなたは、魅力的過ぎて、私には辛い。
あなたにグイグイ引き寄せられるこの心を抑えるのが辛い。
だって、ねえ、おかしいんだよ。
あなたの寝顔を見ていると、その唇に触れたくなる――。
ハッとして慌てて蔵馬から目を逸らした。
……何、考えているんだろ、私ってば。
そっと濡れタオルを取って、蔵馬の額に手を当ててみた。
良かった。熱、下がってる。
時計を見ると、もう朝になろうとしていた。
「……夏希?」
蔵馬がぼんやりと目を開けてこちらを向いた。
「気分はどう?」
「……ずっとここにいたの? 黄泉のところに行けって言ったのに」
蔵馬はまだトロンとした眼差しで、それでも一生懸命こちらを睨んだ。
その様子に思わず笑ってしまう。
「熱は下がったみたいだよ。私も元気だから大丈夫。蔵馬、疲れて抵抗力が落ちてたんじゃないかな」
「そんな問題じゃありません。普通の人間が、魔界の風邪なんか……あ」
蔵馬はようやく手を放した。
「ごめん……オレのせいだったんだ」
気まずそうにチラっとこっちを見る。
もう~! ますます可愛い!
蔵馬は、はっとしたように口元を押さえた。
「オレ、何か言ってた?」
「寝言って言うか、うなされてたよ。どうも私にうなされていたっぽい」
私がじとっと睨むと、蔵馬はわざとらしく目をそらした。
「夏希の寝言癖がうつったかな……」
私はびっくりして頬杖を外した。
「え?! 私、寝言いってる?」
「ええ。いつも可愛い声でオレの名前を」
うそっ!? それもよりにもよって蔵馬の名前なんて……!
真っ青になる私の頭にポンと手を置いて、蔵馬はベッドから出た。
それに追い討ちを掛けるように蔵馬は言った。
「もしかして、イビキもかいてた? 君みたいに」
えええーっ!! イビキもかいてるの!?
両手で口を押さえる私の脇に立つと、スッと膝と背中に腕を差し入れて軽々と抱き上げ、そのままベッドに横たわらせる。
そして私の枕元に手をついて、甘い瞳をそっと近づけ、目の前で魅惑の微笑みを浮かべた。
「冗談ですよ」
なっ、なっ、なっ……。
「蔵馬っ!!」
蔵馬はおかしくてたまらないと言ったように笑いながら、部屋を出ようとして、振り向きざまに言った。
「歯軋りは、してますけどね」
ムキーッ!!
前言撤回!!
ちっとも、ちっとも、可愛くないっ!!
「13」で壊れる蔵馬
初:20051016
改:20260421
確かに癌陀羅中心に働くようになったので、一応この部屋にも帰ってくる。
でも、数時間といられずに飛び出していく。
夜だってほとんど寝ていない。
良くて2、3時間。大抵、徹夜。
後になって聞いた話だけど、黄泉さんと夕食を一緒にしたあの日は、
「今夜は仕事をせずに休め。これは命令だ」
って、黄泉さんが強制的に休ませたみたい。
「たかだか一晩休んだくらいで、疲れが取れるわけないのに!」
私は怒って言ったけれど、
「オレも妖怪の端くれですからね。頑丈にできてるんですよ」
と、蔵馬は笑うばっかり。
「雷禅のところはともかく、躯や鯱達は、かなりいい加減な情報に踊らされているだけですからね。一刻を争うんです」
そんなこと言ったって、顔色、すごく悪いよ。
なんだか、やつれたみたいだし。
私は飛び出していく蔵馬を毎日見送りながら、気が気じゃなかった。
本当に、いまにでも倒れてしまうんじゃないかってくらい、蔵馬は疲れていた。
この事件の首謀者は、鯱さん、迦雄須さん、阿羅醐さん。
国の政治を黄泉さんと行っている、この国の幹部。
ある日突然現れた、身体は人間、正体は伝説の盗賊妖怪・蔵馬に、自分たちの地位が脅威にさらされると感じて、この国の軍隊を率いて出て行ってしまった。
クーデターっていうのかな。
蔵馬は敵対している国と、この事件の首謀者たちを牽制しつつ、国の防御と国力そのものを上げるために奔走している。
そして、事件を根本から解決するために、首謀者3人の仲間割れを密かに煽ったりもしてるみたい。
いまのところ、寝食も惜しまない蔵馬の努力に支えられて、どうにか膠着状態を保っているけれど、そこから先に進めるのに手間取っている。
それで私も強くは止められない。
だいたい、あの3人は何百年もこの国の幹部を務めてきたんだって。
たった1ヵ月の約束で来た蔵馬に、そこまで嫉妬するのもどうかと思うんだけど!
蔵馬に嫌がらせするのが目的なら、じゅうぶんそれは果たしているじゃない。
やっぱり、この機会に黄泉さんを倒して、魔界の覇者になろうとしているのかな。
……だとしたら、説得なんて、通じるんだろうか。
――ダメダメ! 私がこんな所でネガティブパワーをまき散らしたりしちゃ。
黄泉さんは優しそうに見えて、ときどき冷酷。
もし蔵馬がいなかったら、単身彼らの拠点に乗り込んで、つぶしていたかもしれない。
でも、強者三竦みになっているこの魔界で国のNo.2を失うことは、国力的に見ると、ちょっとしたダメージなんだとか。
客観的に判断した結果、蔵馬は何とかあの3人を呼び戻すために頑張っている。
「まあいいさ。いざとなったら叩きつぶせば。別に惜しくもない」
なんて黄泉さんが言っている以上、応援しているのは私だけだもん。
相変わらず疲れた顔で蔵馬が帰ってきた。
「おかえり。食事用意してもらう?」
時間は深夜。
蔵馬は微笑むと、私の髪をくちゃっと撫でた。
「食事はいいよ。シャワーを浴びたらすぐまた行くから」
だるそうに上着を脱いで椅子の背もたれに掛けると、バスルームに消えていく。
私は何も言えずにそれを見送り、洗濯に出そうと何気なく上着を取ってドキッとした。
血が付いてる。
ピッピッ、と筋を描いているそれは、多分、蔵馬のじゃなくて、誰かの返り血。
蔵馬は自分から他人を傷つけるような人じゃないことはわかってる。
だから、きっと誰かに襲われたんだと思う。
私はぎゅっと目を閉じた。
本当は、誰かを傷つけて何もなかったような顔をしている蔵馬が怖くないって言ったら嘘になる。
もちろん、責めたり非難したりなんて気はない。
蔵馬がいま、どういう立場にいるか知ってるもん。
それに私は、誰かを傷つけてでも、蔵馬に無事でいて欲しいと願ってしまうから。
蔵馬は、どうしてこんな危険な目にあわなきゃいけないの。
あんなに頑張ってるのに。
あんなに優しいのに。
ぽたっと涙が血の上に落ちて、その輪郭が少し滲んだ。
なんて厳しいんだろう。
「きっと今夜は戻れないから、先に寝ていてください。黄泉と執務室にいるから、何かあったら内線で連絡して」
蔵馬はまだ湿った髪のまま、私の用意した服に袖を通しながら言った。
「まあ、声を出すだけでも黄泉は気付くだろうけどね。それじゃ、行ってきます」
いつものように頬に触れたその手が何だか熱く感じて、振り返って背中を見た。
それは、ふらっとその身体がよろめき、額を押さえてしゃがみこむ瞬間だった。
「蔵馬っ!!」
私は慌てて駆け寄る。
その手をどけて額に触れると、火傷しそうに熱かった。
「熱があるよ!」
「大したことはないよ」
蔵馬は俯いたまま言うと、立ち上がろうとして、またバランスを崩した。
私は電話に飛びつくように黄泉さんに内線を掛けた。
「夏希、大丈夫だから、黄泉には言わなくていい」
蔵馬の声が背中から聞こえたけど、そんなの知らない!!
『今日は休めと伝えてくれ』
黄泉さんは聞こえていたのか、出し抜けに言った。
『おおかた、百足ででも流行り風邪をもらったんだろう。お前もうつされないように気をつけろよ』
「あのねっ、すごい熱なの。お医者様を呼べない?」
私は受話器に噛みつかんばかりに叫んでしまった。
『わかった。向かわせよう』
「すぐお医者様が来るからね」
受話器を置くと、再び蔵馬に駆け寄り、身体の下にもぐって無理やり寝室に担ぎ込んだ。
「医者なんかいらないよ」
「黄泉さんがね、今日は休めって」
バフンと蔵馬の身体をベッドに沈めると、やっぱり動けないらしく、腕を上げて髪をかきあげた。
私は蔵馬のパジャマを出すと、ちょっとためらって、上着のボタンに手を掛けた。
「ベッドで夏希に脱がされるなんて、ちょっとドキドキするな」
かああっと顔が熱くなり、私はごまかすようにぶっきらぼうに言った。
「当たり前でしょ! 熱があるんだから」
蔵馬はニヤっと笑う。
「それじゃ、下も脱がせてくれるの?」
私は思わず硬直し、大きく息を吸い込んだ。
「ぬ、脱がせられるよ!」
そうしてベルトに手を掛けたんだけど、蔵馬がニヤニヤと観察しているから、手が震えてベルトがカチャカチャ音を立てる。
蔵馬の手が私の手首を掴んだ。
「自分でやるよ。壊れちゃいそうだからね」
「そっ、そんな怪力じゃないもん!」
蔵馬が眉根を寄せて肘を突き、私は起き上がるところを慌てて支えた。
「……そんなにオレの理性、壊してみたい?」
至近距離で蔵馬は私の耳に熱っぽく囁く。
あまりの大刺激に私は動揺して、蔵馬をえいやっと押しのけて寝室を飛び出した。
こんなときにまでひとをからかって遊ぶなんて、どこまで性格ねじ曲がってんの!
バクバクする胸を押さえて洗面台に行き、タオルを濡らす。
それをようやくおとなしく布団に入った蔵馬の額にポンと置くと、くぐもった声で「ありがとう」と聞こえてくる。
……なんだろう。なんかわかんないけど……キュンとする……?
蔵馬は、何かしてもらえばちゃんとお礼を言う人だけど、なんかいつもと違うんだよね。
首を傾げつつ蔵馬を眺めていると、向こうも不審に思ったのかこちらを見上げて目が合った。
いつもと違って私のほうが目線が高いから?
「どうしたの?」
「えっ? なんでもないよ」
慌てて布団の襟元を整えてあげると、彼はされるがままになっている。
――これかも!
蔵馬ってなんでもできちゃうから、なにかしてあげても「させてもらってる」って感じがどこかある。
でもいまは、まさにまな板の鯉!
「ゲコクジョウ……!」
「口に出てますよ」
私は慌てて口元を押さえる。
「私ナニも言ってナイよっ!?」
「夏希はオレを支配したかったんですね……うん……それもなかなか悪くないな……」
「だっ、だからなに言って……」
蔵馬はせっかく整えた上掛けを押しのけ、自分の襟元をつかんで鎖骨を見せた。
「――いいですよ、オレを好きにして」
フェロモン放出規制量違反!! おまわりさーん!!
椅子から転げ落ちそうになったところで呼び鈴が鳴らされる。
お医者様だ! 助かった!
立ち上がろうとすると、蔵馬が私の腕を掴む。
「行かないでよ」
冗談とも本気ともつかないけれど、布団の中から上目遣いにこちらを見る蔵馬が何だか可愛く思えた。
「お医者様を連れてくるだけだよ」
「オレ、雑炊が食べたいな」
これまた突然、蔵馬が呟く。
「じゃ、診察してもらっている間に作っておくからね」
「卵が入ってるのが好きなんだ」
……今日の蔵馬はいつもと別方向に犯罪。
魅羅ちゃんに持ってきてもらった材料で卵雑炊を作り、お医者様の帰った寝室に戻る。
蔵馬にせがまれ、一口一口食べさせた後、薬を飲ませると、彼は目を閉じた。
「夏希は黄泉の部屋に行って。魔界の風邪はタチが悪い。うつると大変だから……」
喋りながら蔵馬は眠りにいざなわれた。
さっきは行くなって言ったくせにね。
思わずクスッと笑うと、洗い物を済ませて枕元に戻る。
蔵馬は相変わらず荒い息を繰り返している。
濡れタオルもすっかり熱くなっていて、汗を拭いてあげながら、それを何度も取り替えた。
こんなになるまで無理して。
汗で頬に張り付いた髪をそっと小指で払ってやりながら、蔵馬を見つめる。
お願いだから、心配させないでよ。
「う…………」
ベッドの中で蔵馬がうめいた。
「…………だ……」
どうしよう、うなされてるみたい。起こした方がいいのかな?
汗を浮かべ、ぎゅっと眉根をよせて、蔵馬は掠れた声で何か伝えるように手を伸ばす。
「……夏希……」
突然、名前を呼ばれて、私はびっくりして汗を拭く手を止めた。
「……行か……ない……で………………だか……ら……夏希……」
えっ? えっ? 私?
どうしたらいいかわからなくて、とっさに宙を掴む彼の手を握る。
「こ、こに、いるよ。蔵馬。ひとりにはしないから、安心して」
恐る恐る、小声で呟くと、蔵馬はまたスウッと深い眠りに落ちたようだった。
ふう。びっくりした。
規則正しい寝息を立て始めた蔵馬の寝顔は、ちょっとあどけない。
飛び出してしまった肩を布団に入れてあげようとして、ん? と自分の右手を見た。
がっちり、蔵馬は私の手を握り締めたまま放さない。
しばらく、なんとかこれを外そうと頑張ったけれど、諦めて頬杖をついて蔵馬を睨んだ。
子供みたい。
えいっと蔵馬のほっぺを指先で突付いてみる。
そのほっぺは滑らかで、意外にも柔らかくて、指に圧されて簡単にへこんだ。
うっ、可愛い!
笑いをかみ殺しながら肘を倒して、その上にほっぺを乗っけて寝顔を眺めた。
鼻、高いなぁ。
時がゆっくり、ゆっくりと流れていく。
はちみつ色のランプの光が優しく蔵馬を包んでいる。
普段は照れちゃってなかなかじっくりと見られない蔵馬の顔。
計算し尽くされたような均整の取れた目鼻立ち。
天使が大きくなったらこんな感じかな?
ああ、大天使ってのもいるか、ハマるなぁ。
たまに悪魔みたいに見えることもあるけどね。
人間の身体に宿った、人間ではない何か。
ねえ、あなたは、一体だあれ?
人間でもなく、妖怪でもなく、天使でもなく、悪魔でもなく。
誰もあなたを縛れない。
私たちはあなたの気高さに惹かれ、あなたを渇望するけれど――あなたは孤独なんだ。
痛いくらい私の手を握り締める蔵馬の手。
人間界に帰っても、こんな風にしがみつける誰かがいるといい。
憧れは時に残酷だから。
だから、誰かにね、温もりをもらって、愛をもらって、そうしてわかって欲しいの。
誰かがあなたを傷つけても、それはあなたを好きなあまりだからって。
いまは私が温もりをあげる。
でも、ずっとは無理。
あなたは、魅力的過ぎて、私には辛い。
あなたにグイグイ引き寄せられるこの心を抑えるのが辛い。
だって、ねえ、おかしいんだよ。
あなたの寝顔を見ていると、その唇に触れたくなる――。
ハッとして慌てて蔵馬から目を逸らした。
……何、考えているんだろ、私ってば。
そっと濡れタオルを取って、蔵馬の額に手を当ててみた。
良かった。熱、下がってる。
時計を見ると、もう朝になろうとしていた。
「……夏希?」
蔵馬がぼんやりと目を開けてこちらを向いた。
「気分はどう?」
「……ずっとここにいたの? 黄泉のところに行けって言ったのに」
蔵馬はまだトロンとした眼差しで、それでも一生懸命こちらを睨んだ。
その様子に思わず笑ってしまう。
「熱は下がったみたいだよ。私も元気だから大丈夫。蔵馬、疲れて抵抗力が落ちてたんじゃないかな」
「そんな問題じゃありません。普通の人間が、魔界の風邪なんか……あ」
蔵馬はようやく手を放した。
「ごめん……オレのせいだったんだ」
気まずそうにチラっとこっちを見る。
もう~! ますます可愛い!
蔵馬は、はっとしたように口元を押さえた。
「オレ、何か言ってた?」
「寝言って言うか、うなされてたよ。どうも私にうなされていたっぽい」
私がじとっと睨むと、蔵馬はわざとらしく目をそらした。
「夏希の寝言癖がうつったかな……」
私はびっくりして頬杖を外した。
「え?! 私、寝言いってる?」
「ええ。いつも可愛い声でオレの名前を」
うそっ!? それもよりにもよって蔵馬の名前なんて……!
真っ青になる私の頭にポンと手を置いて、蔵馬はベッドから出た。
それに追い討ちを掛けるように蔵馬は言った。
「もしかして、イビキもかいてた? 君みたいに」
えええーっ!! イビキもかいてるの!?
両手で口を押さえる私の脇に立つと、スッと膝と背中に腕を差し入れて軽々と抱き上げ、そのままベッドに横たわらせる。
そして私の枕元に手をついて、甘い瞳をそっと近づけ、目の前で魅惑の微笑みを浮かべた。
「冗談ですよ」
なっ、なっ、なっ……。
「蔵馬っ!!」
蔵馬はおかしくてたまらないと言ったように笑いながら、部屋を出ようとして、振り向きざまに言った。
「歯軋りは、してますけどね」
ムキーッ!!
前言撤回!!
ちっとも、ちっとも、可愛くないっ!!
「13」で壊れる蔵馬
初:20051016
改:20260421
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