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シグナル・レッド
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「ねえ蔵馬、赤信号って英語でなんていうの?」
「red light」
「だよなぁ……それだと私が光みたいになっちゃうよなぁ……」
八木さんの脇からモニタを覗き込む。
「使うんですか、10周年のSS」
「うん……どうせ10周年でも20周年でも大差ないし」
「ほぼ仮死状態ですからね」
嫌味をものともせず、彼女は頬杖を突く。
「ガンダムでさ、『シグナルグリーン』って言い回しなかった?」
「ガンダムというか……『シグナル・オール・グリーン』では? 機器類がすべて正常に作動している状態ですね」
「するとシグナルオールレッドは」
「修理工場かスクラップ処理場送りですね」
頭を抱え込む八木さんに助け舟を出してやる。
「ただ、シグナルレッドという言葉は存在しますよ。赤信号の色、という意味で」
「それいただき!」
カチカチとキーボードが音を立てる。
まだ買ったばかりのパソコンに入力する指さばきはぎこちない。
「あの爆発したVAIOから4台目……でしたっけ?」
「爆発したのを入れてね。もう20年も経つもんね」
「あなたも老けましたね」
「あなたはちっとも変わりませんね」
反撃が来るかと思ったが、その目はモニタを凝視したままだった。
無理もない。20周年は明日だ。
「――あなたのお陰です」
ぴたり、と打鍵音が止まり、彼女は無言のままじっとこちらを見上げてくる。
昔だったら「熱でもあるの?」などと生意気な口を叩いただろうが、いつも返り討ちにされることで何かしら学習したのだろう。ひたすらにこちらの出方をうかがっている。まるでオレみたいだ。
あまり喜ばしい話ではないが、この人がオレに影響を受けたように、オレもこの人に影響を受けているのだろう。
「20年に一度くらい素直になってもいいでしょう?」
「20秒に一度くらい素直になって欲しいのですが」
その言葉をそのまま返してやりたい。
「八木さん」
オレは20年前のあの夏の夕暮れと同じように両腕を広げてみせる。
「その服がどうかした?」
「ウェルカムポーズです」
今度こそ彼女はピシリと固まって、ただ見開いた眼でオレの腕を凝視している。
「言ったでしょう? 20年に一度くらい素直になるって」
「ままままさか、あなた、実は私のこと……」
「とんでもない。親愛の情です」
「また鼻血浴びたいの?」
向こうは素直になる気などさらさらないらしい。
オレは黙ってその背後に回り、両肩に腕を回す。
ヒッ、と短く息を吸う音が響いた。
首でも絞められると思ったのかもしれない。相変わらず失礼な人だ。
「どっ、どうしたの」
「感謝を態度で示そうと思いまして」
「別に、感謝されることなんて……というかむしろ恨まれてしかるべきというか……いや、そうですよね、こりゃアレだ、死兆星が見えるというヤツだ」
何やらブツブツ呟いているのを無視して後頭部越しにモニタを覗き込む。
「あの頃――あなたが初めてオレに会いに来たあの頃、オレはどうやって人間界から姿を消すか、そのことばかりずっと考えていました」
読経のような呟きが止まる。
「もう三十路でしたからね。さすがに童顔で押し通すのも無理がある。海外旅行に行って行方不明になるか、事故でも偽装するか……どうやったって母さんを泣かせることに違いはなかったけれど、本当のことは言えなかった」
「どうして……。言えばよかったじゃない。家族なんだから」
フッと笑うと八木さんの髪がふわっと揺れた。
「幽助みたいなきっかけでもあれば言えたかもしれないけど……」
……そうだろうか。これはやはり性格だ。
幽助が一度目に「死んだ」ときのことは話で聞いただけだ。
だが、幽助と温子さんの性格、それと母さんとオレの性格も感性も全く違う。
オレは同じ立場だったとしても、母さんが戸惑いながらも何とか納得してくれる状況や理由をきっと捏造しただろう。
「笑っていいですよ。怖かったんです。オレは母さんの本当の息子を殺して、その身体を奪った妖怪なんだ……なんて言って怖がられたり、気持ち悪がられたりするのが」
「……そんなわけないってわかってるんでしょ?」
「それでも、なんです」
目を閉じるといつかの夕焼けが瞼の裏によみがえる。
「そんなときにあなたが現れて、オレとオレの環境は10代の頃に戻った。それから20年……ずっと10代のままなんだから本当は何の解決にもなっていないんですが、あのときは……あなたの言葉じゃないけれど、神の思し召しかと思いました」
「へっ?! あっ、いや、えっと……あの……」
「わかってますよ。このサイトはただの趣味だって。ただ……いつか、もしわがままを聞いてもらえるなら、両親を見送らせて欲しい。人間界で」
長い長い沈黙の後、もぞもぞと腕が動き、両手がギュッと握りしめられた。
これは珍しいこともあるものだとじっとしていると、その力はどんどん強くなっていく。
「……荷が重すぎます」
返ってきた声は鼻声だった。
この人もだいぶ涙もろくなった。
目の前の髪にもちらほらと白いものが混ざり始めている。
まるでオレをつなぎとめようとするかのように絡みついていた手が離れ、そっとティッシュが引き抜かれる。
それが気まずく、なんとはなしにその毛束を掬い上げる。
「八木さん、白髪」
「うるさいな! 白髪なんて二十歳の頃から生えてたよ!」
「オレも普通の人間だったらこうなっていたんだろうな」
ぐしぐしと鼻をすすり上げる音が止まり、少しだけ頭の角度が変わる。
「そういえば蔵馬って人間年齢でも私より年上だっけ」
「ええ。そうですよ、“八木さん”」
「……なんかすみません、南野センパイ」
「年齢で上下関係が決まるのなんて学生時代だけですよ」
オレは毛束を元に戻し、手櫛で髪を整える。
「普通に歳をとる身体だったら、蔵馬、私の話に乗ってた?」
「どうでしょうね」
言いながら、野良猫を手懐けたときのような感動を覚えていた。
昔だったら、こんなことをすればこぶしが飛んできただろう。
「いろいろなことがありましたね。20年」
「……うん」
彼女が何を思い出していたのかはわからないが、短い沈黙の後、こくりと首が動く。
「――オレは、あなたを守ってあげられなかったな」
「は……はい?」
「オレよりよっぽど小説の主人公みたいだったじゃないですか。しょっちゅう言っていたでしょう?『これって本当に現実なの? 夢じゃないの?』って」
彼女はおもむろにキーボードから手を滑り落とすと背中を丸め、椅子の座面に足を引っかけて三角座りになった。
それは20年前、あの公園でオレに置き去りにされたときの姿だった。
あのまま、オレが戻らなかったら、彼女はどうしていたんだろう。
――オレはどうしていたんだろう。
「……事実は小説よりも奇なり。……みんな同じよ」
まるで自分自身に言い聞かせるように彼女はぽつり、ぽつりと言葉を並べる。
「20年も生きていたら生命の危機に瀕することだってあるかもしれないし、つらい別れも起こるだろうし、かと思えば奇跡みたいな出会いだってある。軽い気持ちで始めたことで人生変わっちゃったりね。20年前を振り返って『こんなに変わってしまったのか』って思わない人なんていない」
それにしたって、この人は浮き沈みが激しすぎる。
この人が連載を書けなくなったのは、あまりに現実離れした日常が恐ろしくて、あの現実離れした連載を進められなくなったのではないのかと思う。だから、冴えないような日常的な短編ばかりを細々と書いていたのだろうと。
「――守ってくれてたよ。何度も『もうどうでもいいや』って思ったけど、ペットだけは完結させようって、それだけで頑張ってた」
それは別に、オレが何かしてやったわけではない。
「私、本当は蔵馬が怖かったんだ」
「は?」
驚いて聞き返すとクスクスと笑いが返ってくる。
「だって、千年を生きたお狐様だよ。そこら中の神社に祀られてるような存在じゃない。そんなすごいのを自分の趣味でとっ捕まえて好き放題使って、まるで弟か息子みたいに扱って、私、もしかしてそれでバチが当たってんのかなぁ、とか考えたりして」
オレは驚いてそのつむじを見下ろす。
そんな風に疑いながら、あの態度を貫けるというのは、なかなかどうして大した度胸の持ち主だ。
「……実際のところ、どうなんでしょう? 怒ってる?」
「オレはそんな大層な存在じゃないですよ」
「なんだ、お狐様の祟りじゃなかったのか……」
「そんな風に思われていたとは驚きましたが、そんな風に思わせてしまったオレにも責任がありますよね」
握られていた手がそっと離れていく。
「ううん、距離を取って欲しいと頼んだのは私だから。つまり自爆」
「自爆、趣味なんですか?」
彼女は座り直し、その手は再びキーボードに帰っていく。
「ひとをヒイロみたいに言わないでくださる?」
カタカタと、キーボードが音を立て始める。
パソコンが変わるたびにそのトーンは少しずつ変わっていったけれど、エンターキーを押すときに小指が踊るように浮き上がる癖と音はずっと変わらない。
新しいこのパソコンは、どんな物語を紡ぎだすのだろう。
「……もっと、人間界と魔界の交流が盛んになって、人間と妖怪のカップルなんかも普通になって、人間界に住む妖怪とか、魔界に住む人間とかもどんどん増えてさ、人間と妖怪の違いなんて、人間の肌の色の違いくらいの感覚になったら、言えるかな」
「え?」
「お母さんに。オレ、実は妖怪なんだ、てへぺろ! って」
「さっきの話ですか?」
八木さんはおもむろに手を伸ばし、パソコンのフラップを閉じる。
「そんな風に明るくカミングアウトできる社会になったらさ、年をとらなくてもずっとお母さんの近くにいられるし、ヒロインと結婚して、孫なんて抱かせてあげられるかもしれないし……マグロ漁船に乗って遭難したことにするよりよっぽどハッピーでしょ?」
「あなたらしいよ」
オレは笑いながらその肩を抱く手に力をこめる。
「オレ、マグロ漁船なんて一言もいってないけどね」
この人の話は本当にご都合主義で……道理を捻じ曲げ、理屈をこじつけ、無理を押し通してきた。
――オレを幸せにするために。
「ありがとう」
ぽろりとこぼれた言葉に、野生動物のようにぴくっと頭が持ち上がる。
そうしてキョロキョロと周囲を見回すと、ギョッとしたように窓を二度見して、そちらを指さした。
「ちょっと、私ヤバくない? 狐憑いてる」
言われて振り向いた先の窓ガラスに映っていたオレの姿は、到底20年前のあの日に想像もできなかったようなものだった。
「むしろオレに宇宙人が憑いてるというか」
「いや、それだったら捕獲してるって感じじゃない?」
「宇宙人は否定しないんですね……あれ」
視線を戻した先で耳たぶが不自然に光っている。
なぞるように指を滑らせると、妙にガサガサしているのに指先が濡れた。
「八木さん、耳たぶが膿んでます」
「なんですと!」
オレにティッシュを手渡すと、彼女は折りたたみのスタンドミラーを立て、慎重な手つきでピアスの留め具を引き抜く。
「やっぱりチタンじゃなかったのか! 安すぎると思ったんだよ……ありゃー、こりゃダメだ」
「アレルギーですか?」
「うん、この間皮膚科のアラーキーにチタン以外はしちゃダメって言われて、チタンって書いてあるやつを買ったんだけど……」
言いながら彼女は立ち上がり、オキシドールと脱脂綿、それからアクセサリーケースを重ねて持ってくる。
「やっぱ安物はダメだね」
鏡を覗き込みながら、オキシドールを含ませたコットンで耳を挟むとジュッと音が上がる。
「痛くないんですか?」
「全然。むしろこのジュッっていうのが楽しくてさ」
変人か……。
八木さんの手がアクセサリーケースを開き、その指が色とりどりのピアスの上をさまよう。
その様子が、なぜかオレには小説のシチュエーションや台詞を選んでいる姿のように見えた。
こちらを選んだかと思うとやっぱり別のものをつまみ、気ままに、気まぐれに、まるでいたずら好きな……いたずら好きの……
「何? 私に見とれてるの?」
「……いえ」
どう頑張っても魔女がせいぜいか。
「いま何か失礼なこと考えてなかった?」
「ええ。常に考えていますよ」
ブスッとむくれる八木さんに並んでケースを覗き込む。
よくもまあこれだけ集めたものだ。大した違いもなさそうなのだが。
「あ」
思わず声が出てしまい、八木さんが振り向く。
オレは引っ込みがつかなくなって一組の赤いピアスをつまみ上げた。
「わ、懐かしい。気に入ってたんだよぉ」
「初めて会いに来たときにつけてましたね」
「そうだっけ? よく覚えてるね」
ピアスを手渡すと、八木さんはそれを手に乗せて愛おしそうに撫でる。
「もう、こんなのつけられる歳じゃなくなっちゃったけど」
1センチほどの長方形の真紅のガラスをメタルフレームで囲ったシャネルストーン。それをぶら下げたフックタイプのピアスだった。
当時はキャリアウーマン風の大人っぽいデザインに見えたが、確かにいまこうして彼女が手にしているとおもちゃのようだ。これが黒や、深い寒色系だったらまだつけられたかもしれない。
オレはケースから小ぶりな赤いストーンの付いたピアスを取り出し、ポカンとしている八木さんの耳にあてがってみる。
「赤、好きなの?」
「いや、何となく赤のイメージがあったんです。でも、よく考えたら鼻血の記憶かもしれない」
「何それ」
そうだ、いつだってこの人はオレにとっての危険信号だった、はずなのだ。
「わっ、血が出た!」
突然上がった声に振り返ると、消毒したばかりの耳に、もうピアスをつけようとしている八木さんがバタバタと暴れている。
「膿なのか組織液なのか知りませんが、それが止まってからにしたほうがいいんじゃないですか?」
「止まったらホールがふさがっちゃうじゃない」
そういうものなのか?
首を傾げつつハンドソープで手を洗い、強引に椅子の向きを変えてこちらに向けさせ、あらためて消毒し直す。
あのときと同じ、血の匂いがした。
「キーボードは意外と汚れているそうですよ。どれをつけるんですか?」
「うん? ああ……手前のは全部チタンだから……フックでなくてキャッチで留めるやつならどれでもいい……」
「そういうの、なんていうんですか?」
「スタッドピアス」
「ふうん」
鋲……か。
オレは一瞬、先ほどの赤いピアスに手を伸ばしかけてやめる。
この人はいつの間にか危険信号ではなくなっていたし、オレはもう流れる時間を止める必要もなくなっていた。
「フックのものは青系が多いんですね」
「なんでも青系のパワーストーンは喉元のチャクラを開くらしい。ヴィシュダチャクラと言ってだな、このチャクラはコミュニケーションをつかさどり、また……」
チャクラを開いてどうするんだ? とは思ったが、それを語らせ始めると20周年SSが30周年SSになる危険があったので流すことにした。
「スタッドで青系は……水色か……」
取り出して耳元にあてがってみるが、どうもしっくりこない。季節もあるかもしれないが。
「似合いません」
「えええ……好きなのに……」
秋らしい色は似合っていたが、年齢の話をした後だから勧めづらかった。ピンク系も悪くないと思ったが、これは本人が尻込みしそうだ。無色透明のクリスタルカラーは綺麗だが、どうも面白みがない。それよりよほどゴールドモチーフのほうがしっくりくるが、かぶれた耳にこの細工は大丈夫なのだろうか。
「スタイリストみたい。蔵馬」
急に声を掛けられ、オレは小さく笑う。
「意外と楽しいですね」
そうして視線を外した拍子に、やけに不自然な輝きが視界の片隅から主張してきた。
「これは?」
「それはオーロラクリスタル。水晶に金属の薄い膜を蒸着させてキラッキラにさせてるの」
確かにその虹色の輝きはオパールなどと違って表面的なところから放たれていた。
「パワーストーン?」
「人工のね」
オレは脱脂綿にオキシドールを含ませ、そのポストを丁寧にふき取る。
「まるであなたの夢みたいだ」
「それ褒めてる?」
「痛かったら言ってください」
耳たぶに顔を近づけて軽く引っ張ると、一気に真っ赤になる。
そんなに力を入れただろうかと焦って手を離すが、よく見たら耳だけでなく、首から上が真っ赤だった。
20年経って、変わったものもあれば、ちっとも変わらないものもある。
オレはまた鼻血を浴びる覚悟を固めて、再び耳に顔を近づけた。
20年前、彼女が語った「幸せ」とやらは、まだよくわからない。
わからないが、確かに20年前とは違うものが見えるようになった。
これまでずっと避けて通ってきたものを避けなくなった。
家族や幽助たちがいなくても、普通に笑っている自分を見つけた。
別に誰の命や人生に関わることでもない、どうでもいいことに本気で怒ったこともあった。
いまだってそうだ。
もともと傷になっているものがほんの少し広がったところで、本人でさえ気付かないだろう。
にも関わらず、あんなにもたくさんの妖怪を切り刻んできたこの手が、ともすれば震え出しそうなほど臆病になっている。
20年前、この人に出会わなかったら、その誘いを断っていたら、きっとオレはもっと手早くこの細い棒を通せただろう。
何を感じるでもなく、何を考えるでもなく。
そう思うとずいぶんとオレは不合理な男になったのかもしれない。
だが、この人はきっとそれを願っていた。
特別な存在でもない女性の、たかが耳たぶに血が滲むのを痛々しいと、可哀想だと思うような男になることを。
そろそろと八木さんの腕が動き、パソコンのフラップを再び開く。
こうしている時間ももったいないのか、気まずくてそうしているのかは分からない。
その瞳に映っている四角く青白い光をオレはずっと眺めてきた。
この人は小説家ではない。文章も稚拙だし、構成もガタガタだ。
それでも懸命に紡ぎだす物語がいまもオレたちを動かしている。
彼女の書く世界が七色に輝くように。
彼女と、このサイトの新しいステージが七色に輝くように。
祈りをこめて、このインチキ臭くも、飛び切りの光を放つ虹色をあなたの耳に飾ろう。
fin
20251117
「red light」
「だよなぁ……それだと私が光みたいになっちゃうよなぁ……」
八木さんの脇からモニタを覗き込む。
「使うんですか、10周年のSS」
「うん……どうせ10周年でも20周年でも大差ないし」
「ほぼ仮死状態ですからね」
嫌味をものともせず、彼女は頬杖を突く。
「ガンダムでさ、『シグナルグリーン』って言い回しなかった?」
「ガンダムというか……『シグナル・オール・グリーン』では? 機器類がすべて正常に作動している状態ですね」
「するとシグナルオールレッドは」
「修理工場かスクラップ処理場送りですね」
頭を抱え込む八木さんに助け舟を出してやる。
「ただ、シグナルレッドという言葉は存在しますよ。赤信号の色、という意味で」
「それいただき!」
カチカチとキーボードが音を立てる。
まだ買ったばかりのパソコンに入力する指さばきはぎこちない。
「あの爆発したVAIOから4台目……でしたっけ?」
「爆発したのを入れてね。もう20年も経つもんね」
「あなたも老けましたね」
「あなたはちっとも変わりませんね」
反撃が来るかと思ったが、その目はモニタを凝視したままだった。
無理もない。20周年は明日だ。
「――あなたのお陰です」
ぴたり、と打鍵音が止まり、彼女は無言のままじっとこちらを見上げてくる。
昔だったら「熱でもあるの?」などと生意気な口を叩いただろうが、いつも返り討ちにされることで何かしら学習したのだろう。ひたすらにこちらの出方をうかがっている。まるでオレみたいだ。
あまり喜ばしい話ではないが、この人がオレに影響を受けたように、オレもこの人に影響を受けているのだろう。
「20年に一度くらい素直になってもいいでしょう?」
「20秒に一度くらい素直になって欲しいのですが」
その言葉をそのまま返してやりたい。
「八木さん」
オレは20年前のあの夏の夕暮れと同じように両腕を広げてみせる。
「その服がどうかした?」
「ウェルカムポーズです」
今度こそ彼女はピシリと固まって、ただ見開いた眼でオレの腕を凝視している。
「言ったでしょう? 20年に一度くらい素直になるって」
「ままままさか、あなた、実は私のこと……」
「とんでもない。親愛の情です」
「また鼻血浴びたいの?」
向こうは素直になる気などさらさらないらしい。
オレは黙ってその背後に回り、両肩に腕を回す。
ヒッ、と短く息を吸う音が響いた。
首でも絞められると思ったのかもしれない。相変わらず失礼な人だ。
「どっ、どうしたの」
「感謝を態度で示そうと思いまして」
「別に、感謝されることなんて……というかむしろ恨まれてしかるべきというか……いや、そうですよね、こりゃアレだ、死兆星が見えるというヤツだ」
何やらブツブツ呟いているのを無視して後頭部越しにモニタを覗き込む。
「あの頃――あなたが初めてオレに会いに来たあの頃、オレはどうやって人間界から姿を消すか、そのことばかりずっと考えていました」
読経のような呟きが止まる。
「もう三十路でしたからね。さすがに童顔で押し通すのも無理がある。海外旅行に行って行方不明になるか、事故でも偽装するか……どうやったって母さんを泣かせることに違いはなかったけれど、本当のことは言えなかった」
「どうして……。言えばよかったじゃない。家族なんだから」
フッと笑うと八木さんの髪がふわっと揺れた。
「幽助みたいなきっかけでもあれば言えたかもしれないけど……」
……そうだろうか。これはやはり性格だ。
幽助が一度目に「死んだ」ときのことは話で聞いただけだ。
だが、幽助と温子さんの性格、それと母さんとオレの性格も感性も全く違う。
オレは同じ立場だったとしても、母さんが戸惑いながらも何とか納得してくれる状況や理由をきっと捏造しただろう。
「笑っていいですよ。怖かったんです。オレは母さんの本当の息子を殺して、その身体を奪った妖怪なんだ……なんて言って怖がられたり、気持ち悪がられたりするのが」
「……そんなわけないってわかってるんでしょ?」
「それでも、なんです」
目を閉じるといつかの夕焼けが瞼の裏によみがえる。
「そんなときにあなたが現れて、オレとオレの環境は10代の頃に戻った。それから20年……ずっと10代のままなんだから本当は何の解決にもなっていないんですが、あのときは……あなたの言葉じゃないけれど、神の思し召しかと思いました」
「へっ?! あっ、いや、えっと……あの……」
「わかってますよ。このサイトはただの趣味だって。ただ……いつか、もしわがままを聞いてもらえるなら、両親を見送らせて欲しい。人間界で」
長い長い沈黙の後、もぞもぞと腕が動き、両手がギュッと握りしめられた。
これは珍しいこともあるものだとじっとしていると、その力はどんどん強くなっていく。
「……荷が重すぎます」
返ってきた声は鼻声だった。
この人もだいぶ涙もろくなった。
目の前の髪にもちらほらと白いものが混ざり始めている。
まるでオレをつなぎとめようとするかのように絡みついていた手が離れ、そっとティッシュが引き抜かれる。
それが気まずく、なんとはなしにその毛束を掬い上げる。
「八木さん、白髪」
「うるさいな! 白髪なんて二十歳の頃から生えてたよ!」
「オレも普通の人間だったらこうなっていたんだろうな」
ぐしぐしと鼻をすすり上げる音が止まり、少しだけ頭の角度が変わる。
「そういえば蔵馬って人間年齢でも私より年上だっけ」
「ええ。そうですよ、“八木さん”」
「……なんかすみません、南野センパイ」
「年齢で上下関係が決まるのなんて学生時代だけですよ」
オレは毛束を元に戻し、手櫛で髪を整える。
「普通に歳をとる身体だったら、蔵馬、私の話に乗ってた?」
「どうでしょうね」
言いながら、野良猫を手懐けたときのような感動を覚えていた。
昔だったら、こんなことをすればこぶしが飛んできただろう。
「いろいろなことがありましたね。20年」
「……うん」
彼女が何を思い出していたのかはわからないが、短い沈黙の後、こくりと首が動く。
「――オレは、あなたを守ってあげられなかったな」
「は……はい?」
「オレよりよっぽど小説の主人公みたいだったじゃないですか。しょっちゅう言っていたでしょう?『これって本当に現実なの? 夢じゃないの?』って」
彼女はおもむろにキーボードから手を滑り落とすと背中を丸め、椅子の座面に足を引っかけて三角座りになった。
それは20年前、あの公園でオレに置き去りにされたときの姿だった。
あのまま、オレが戻らなかったら、彼女はどうしていたんだろう。
――オレはどうしていたんだろう。
「……事実は小説よりも奇なり。……みんな同じよ」
まるで自分自身に言い聞かせるように彼女はぽつり、ぽつりと言葉を並べる。
「20年も生きていたら生命の危機に瀕することだってあるかもしれないし、つらい別れも起こるだろうし、かと思えば奇跡みたいな出会いだってある。軽い気持ちで始めたことで人生変わっちゃったりね。20年前を振り返って『こんなに変わってしまったのか』って思わない人なんていない」
それにしたって、この人は浮き沈みが激しすぎる。
この人が連載を書けなくなったのは、あまりに現実離れした日常が恐ろしくて、あの現実離れした連載を進められなくなったのではないのかと思う。だから、冴えないような日常的な短編ばかりを細々と書いていたのだろうと。
「――守ってくれてたよ。何度も『もうどうでもいいや』って思ったけど、ペットだけは完結させようって、それだけで頑張ってた」
それは別に、オレが何かしてやったわけではない。
「私、本当は蔵馬が怖かったんだ」
「は?」
驚いて聞き返すとクスクスと笑いが返ってくる。
「だって、千年を生きたお狐様だよ。そこら中の神社に祀られてるような存在じゃない。そんなすごいのを自分の趣味でとっ捕まえて好き放題使って、まるで弟か息子みたいに扱って、私、もしかしてそれでバチが当たってんのかなぁ、とか考えたりして」
オレは驚いてそのつむじを見下ろす。
そんな風に疑いながら、あの態度を貫けるというのは、なかなかどうして大した度胸の持ち主だ。
「……実際のところ、どうなんでしょう? 怒ってる?」
「オレはそんな大層な存在じゃないですよ」
「なんだ、お狐様の祟りじゃなかったのか……」
「そんな風に思われていたとは驚きましたが、そんな風に思わせてしまったオレにも責任がありますよね」
握られていた手がそっと離れていく。
「ううん、距離を取って欲しいと頼んだのは私だから。つまり自爆」
「自爆、趣味なんですか?」
彼女は座り直し、その手は再びキーボードに帰っていく。
「ひとをヒイロみたいに言わないでくださる?」
カタカタと、キーボードが音を立て始める。
パソコンが変わるたびにそのトーンは少しずつ変わっていったけれど、エンターキーを押すときに小指が踊るように浮き上がる癖と音はずっと変わらない。
新しいこのパソコンは、どんな物語を紡ぎだすのだろう。
「……もっと、人間界と魔界の交流が盛んになって、人間と妖怪のカップルなんかも普通になって、人間界に住む妖怪とか、魔界に住む人間とかもどんどん増えてさ、人間と妖怪の違いなんて、人間の肌の色の違いくらいの感覚になったら、言えるかな」
「え?」
「お母さんに。オレ、実は妖怪なんだ、てへぺろ! って」
「さっきの話ですか?」
八木さんはおもむろに手を伸ばし、パソコンのフラップを閉じる。
「そんな風に明るくカミングアウトできる社会になったらさ、年をとらなくてもずっとお母さんの近くにいられるし、ヒロインと結婚して、孫なんて抱かせてあげられるかもしれないし……マグロ漁船に乗って遭難したことにするよりよっぽどハッピーでしょ?」
「あなたらしいよ」
オレは笑いながらその肩を抱く手に力をこめる。
「オレ、マグロ漁船なんて一言もいってないけどね」
この人の話は本当にご都合主義で……道理を捻じ曲げ、理屈をこじつけ、無理を押し通してきた。
――オレを幸せにするために。
「ありがとう」
ぽろりとこぼれた言葉に、野生動物のようにぴくっと頭が持ち上がる。
そうしてキョロキョロと周囲を見回すと、ギョッとしたように窓を二度見して、そちらを指さした。
「ちょっと、私ヤバくない? 狐憑いてる」
言われて振り向いた先の窓ガラスに映っていたオレの姿は、到底20年前のあの日に想像もできなかったようなものだった。
「むしろオレに宇宙人が憑いてるというか」
「いや、それだったら捕獲してるって感じじゃない?」
「宇宙人は否定しないんですね……あれ」
視線を戻した先で耳たぶが不自然に光っている。
なぞるように指を滑らせると、妙にガサガサしているのに指先が濡れた。
「八木さん、耳たぶが膿んでます」
「なんですと!」
オレにティッシュを手渡すと、彼女は折りたたみのスタンドミラーを立て、慎重な手つきでピアスの留め具を引き抜く。
「やっぱりチタンじゃなかったのか! 安すぎると思ったんだよ……ありゃー、こりゃダメだ」
「アレルギーですか?」
「うん、この間皮膚科のアラーキーにチタン以外はしちゃダメって言われて、チタンって書いてあるやつを買ったんだけど……」
言いながら彼女は立ち上がり、オキシドールと脱脂綿、それからアクセサリーケースを重ねて持ってくる。
「やっぱ安物はダメだね」
鏡を覗き込みながら、オキシドールを含ませたコットンで耳を挟むとジュッと音が上がる。
「痛くないんですか?」
「全然。むしろこのジュッっていうのが楽しくてさ」
変人か……。
八木さんの手がアクセサリーケースを開き、その指が色とりどりのピアスの上をさまよう。
その様子が、なぜかオレには小説のシチュエーションや台詞を選んでいる姿のように見えた。
こちらを選んだかと思うとやっぱり別のものをつまみ、気ままに、気まぐれに、まるでいたずら好きな……いたずら好きの……
「何? 私に見とれてるの?」
「……いえ」
どう頑張っても魔女がせいぜいか。
「いま何か失礼なこと考えてなかった?」
「ええ。常に考えていますよ」
ブスッとむくれる八木さんに並んでケースを覗き込む。
よくもまあこれだけ集めたものだ。大した違いもなさそうなのだが。
「あ」
思わず声が出てしまい、八木さんが振り向く。
オレは引っ込みがつかなくなって一組の赤いピアスをつまみ上げた。
「わ、懐かしい。気に入ってたんだよぉ」
「初めて会いに来たときにつけてましたね」
「そうだっけ? よく覚えてるね」
ピアスを手渡すと、八木さんはそれを手に乗せて愛おしそうに撫でる。
「もう、こんなのつけられる歳じゃなくなっちゃったけど」
1センチほどの長方形の真紅のガラスをメタルフレームで囲ったシャネルストーン。それをぶら下げたフックタイプのピアスだった。
当時はキャリアウーマン風の大人っぽいデザインに見えたが、確かにいまこうして彼女が手にしているとおもちゃのようだ。これが黒や、深い寒色系だったらまだつけられたかもしれない。
オレはケースから小ぶりな赤いストーンの付いたピアスを取り出し、ポカンとしている八木さんの耳にあてがってみる。
「赤、好きなの?」
「いや、何となく赤のイメージがあったんです。でも、よく考えたら鼻血の記憶かもしれない」
「何それ」
そうだ、いつだってこの人はオレにとっての危険信号だった、はずなのだ。
「わっ、血が出た!」
突然上がった声に振り返ると、消毒したばかりの耳に、もうピアスをつけようとしている八木さんがバタバタと暴れている。
「膿なのか組織液なのか知りませんが、それが止まってからにしたほうがいいんじゃないですか?」
「止まったらホールがふさがっちゃうじゃない」
そういうものなのか?
首を傾げつつハンドソープで手を洗い、強引に椅子の向きを変えてこちらに向けさせ、あらためて消毒し直す。
あのときと同じ、血の匂いがした。
「キーボードは意外と汚れているそうですよ。どれをつけるんですか?」
「うん? ああ……手前のは全部チタンだから……フックでなくてキャッチで留めるやつならどれでもいい……」
「そういうの、なんていうんですか?」
「スタッドピアス」
「ふうん」
鋲……か。
オレは一瞬、先ほどの赤いピアスに手を伸ばしかけてやめる。
この人はいつの間にか危険信号ではなくなっていたし、オレはもう流れる時間を止める必要もなくなっていた。
「フックのものは青系が多いんですね」
「なんでも青系のパワーストーンは喉元のチャクラを開くらしい。ヴィシュダチャクラと言ってだな、このチャクラはコミュニケーションをつかさどり、また……」
チャクラを開いてどうするんだ? とは思ったが、それを語らせ始めると20周年SSが30周年SSになる危険があったので流すことにした。
「スタッドで青系は……水色か……」
取り出して耳元にあてがってみるが、どうもしっくりこない。季節もあるかもしれないが。
「似合いません」
「えええ……好きなのに……」
秋らしい色は似合っていたが、年齢の話をした後だから勧めづらかった。ピンク系も悪くないと思ったが、これは本人が尻込みしそうだ。無色透明のクリスタルカラーは綺麗だが、どうも面白みがない。それよりよほどゴールドモチーフのほうがしっくりくるが、かぶれた耳にこの細工は大丈夫なのだろうか。
「スタイリストみたい。蔵馬」
急に声を掛けられ、オレは小さく笑う。
「意外と楽しいですね」
そうして視線を外した拍子に、やけに不自然な輝きが視界の片隅から主張してきた。
「これは?」
「それはオーロラクリスタル。水晶に金属の薄い膜を蒸着させてキラッキラにさせてるの」
確かにその虹色の輝きはオパールなどと違って表面的なところから放たれていた。
「パワーストーン?」
「人工のね」
オレは脱脂綿にオキシドールを含ませ、そのポストを丁寧にふき取る。
「まるであなたの夢みたいだ」
「それ褒めてる?」
「痛かったら言ってください」
耳たぶに顔を近づけて軽く引っ張ると、一気に真っ赤になる。
そんなに力を入れただろうかと焦って手を離すが、よく見たら耳だけでなく、首から上が真っ赤だった。
20年経って、変わったものもあれば、ちっとも変わらないものもある。
オレはまた鼻血を浴びる覚悟を固めて、再び耳に顔を近づけた。
20年前、彼女が語った「幸せ」とやらは、まだよくわからない。
わからないが、確かに20年前とは違うものが見えるようになった。
これまでずっと避けて通ってきたものを避けなくなった。
家族や幽助たちがいなくても、普通に笑っている自分を見つけた。
別に誰の命や人生に関わることでもない、どうでもいいことに本気で怒ったこともあった。
いまだってそうだ。
もともと傷になっているものがほんの少し広がったところで、本人でさえ気付かないだろう。
にも関わらず、あんなにもたくさんの妖怪を切り刻んできたこの手が、ともすれば震え出しそうなほど臆病になっている。
20年前、この人に出会わなかったら、その誘いを断っていたら、きっとオレはもっと手早くこの細い棒を通せただろう。
何を感じるでもなく、何を考えるでもなく。
そう思うとずいぶんとオレは不合理な男になったのかもしれない。
だが、この人はきっとそれを願っていた。
特別な存在でもない女性の、たかが耳たぶに血が滲むのを痛々しいと、可哀想だと思うような男になることを。
そろそろと八木さんの腕が動き、パソコンのフラップを再び開く。
こうしている時間ももったいないのか、気まずくてそうしているのかは分からない。
その瞳に映っている四角く青白い光をオレはずっと眺めてきた。
この人は小説家ではない。文章も稚拙だし、構成もガタガタだ。
それでも懸命に紡ぎだす物語がいまもオレたちを動かしている。
彼女の書く世界が七色に輝くように。
彼女と、このサイトの新しいステージが七色に輝くように。
祈りをこめて、このインチキ臭くも、飛び切りの光を放つ虹色をあなたの耳に飾ろう。
fin
20251117