短編
名前変換
ご利用の端末、あるいはブラウザ設定では夢小説機能をご利用になることができません。
古いスマートフォン端末や、一部ブラウザのプライベートブラウジング機能をご利用の際は、機能に制限が掛かることがございます。
腹が減っては戦が出来ぬ。
だから「ご飯を食べる時間すら惜しいっ!作曲せねば!」となる前に冬眠前の動物よろしくご飯を沢山食べるし、それこそ納期前に太って納期後には元に戻ってるなんてよくあること。
よくあること、なんだけどね……
「甘いもの、甘いものが食べたい……」
寮内で幽霊騒ぎがあったらそれは十中八九、私だ。すまんな。
そろそろ深夜1時になりそうな時間に寮の廊下をズルズルと歩く。
怒濤の納期ラッシュを終えたのが1時間前。フキゲンな腹の虫と糖分お化けになりそうな脳ミソ様をどうにかしようと冷蔵庫を開け、何も入ってないことに落胆したのが10分前。
とりあえず財布と適当に掛けてあったコートを羽織りコンビニへと向かっていると言う訳だ。
本当はスイーツビュッフェとかで沢山のスイーツをがっつり食べたいけど、時間が時間なだけにそれも叶わないしファミレスだって閉まってる。
もういっそのこと合鍵を渡すから誰か適当に食べ物を冷蔵庫に突っ込んどいてくれないだろうか。
領収書かレシートさえあれば後払いになるけど、ちゃんとお返しするので。
「うう、寒い……」
やっぱりライブTシャツ(適当に引っ張り出したやつ)にジャージ(高校のときのやつ)にコートじゃ冬の寒さには勝てなかったようだ。
廊下でこんなに寒いのだから外に出たらもっと寒いはず。
いっそのこと空腹と甘味への飢えは我慢して部屋に戻ろうか。
数時間の我慢……甘味……我慢……。
「おい、そこで何をしている」
「ぎょっ!」
後ろから声を掛けられ吃驚するあまり心臓が壊れたようにバクバクして一気に全身へ血が巡る。
しかも変な声が出た、なんだ「ぎょっ!」って。ぎゃっ!じゃないのか普通。
変な汗をかきつつ恐る恐る振り返ると金髪のおばけ、ではなく美丈夫が立っていた。
「か、かみゅ。驚かせないでよ……」
「ふん。貴様が勝手に驚いたのだろう。それよりこんな時間に何をしてる」
「んと、コンビニに甘いものを買いに行こうと思ってたんだけど寒くて」
「部屋に戻るか否か悩んでいたと言うわけか」
「はい……」
腕を組み窓の外を眺めるカミュをチラリと盗み見する。
窓際に近いせいか月光で普段よりも煌めく金髪と羨ましくなるほど美し
「カミュは……、こんな時間にどうしたの?」
「地方ロケから帰って来た所だ」
「そっか、お疲れさま」
地方ロケは終わりの時間はそこまで遅くなくても移動に時間が掛かることがある。
そして案外移動中の方が疲れるものだ。
「じゃあそろそろ部屋に戻るね。カミュも暖かくして寝るんだよ」
いつまでも引き留めていては明日の仕事に響く。ただでさえ地方ロケ帰りだ。
とりあえず甘いものは我慢して明日どこかスイーツの美味しい所に行こう。
おやすみ、と告げて来た道を戻ろうとカミュの横を通り抜けた。
いや、通り抜け“ようとした”。
「ついてこい」
グイっと手首を掴まれ進行方向とは逆に引っ張られる。
半ば引きずられるようにして連れて来られたのはカミュとセシルくんの部屋。
戸惑いを隠せない私をそのままにカミュはガチャリと鍵を開け中に入っていく。必然的に繋がれたままの私もお邪魔する形になった。
「せ、セシルくんは?」
「愛島はロケで泊まりだ」
相部屋のセシルくんが不在と聞いてホッとする。
半分の部屋主であるカミュが良しとしたからとはいえ、共同で暮らしている以上相部屋のセシルくんにも迷惑がかかる訳で。
なのでこんな深夜に突撃(強制的に)してしまった私が言うのもあれだけど不在でよかったです、まる。
「コートを寄越せ」
「あ、うん。……お願いします」
去年奮発して買ったコートは丁寧にハンガーにかけられハンガーポールにかかったカミュの上質そうなコート類の仲間入りをした。
「座っていろ」
ダイニングテーブルの椅子を引き私を座らすとキッチンの方へカミュは消えてしまった。
一人取り残された私はそもそも何で甘いものが食べたいんだろう?と今更過ぎる疑問が浮かんでいた。
いつもならガッツリ肉祭りとかこってりラーメン祭りなんて言いながらあちこちハシゴしてるはず。
もちろん糖分も欲しくなるけどあくまでも主食を食べた後でだから……。
うーん、うーんと考えているとスッとティーカップが目の前に置かれた。そして苺がたっぷり乗ったタルト。私の好きな食べ物。
反対側の椅子を引き座ったカミュはシュガーポットを引き寄せて自分のティーカップに角砂糖を落としていく。
ザリザリと砂糖をかき混ぜる音はまるでバケツ一杯に掬った砂浜の砂と海水のよう。
かき混ぜた紅茶を一口飲み、満足そうに笑った。
「味わって食べるがいい」
「うん、いただきます……!」
三角の先端にフォークを入れた。
沢山乗った苺を崩さないように注意しながら一口。
「……!!」
美味しい、としか表現できないくらい美味しい。
どんなに言葉を並べても私の語彙力では伝わらない。生地がとかクリームがとか言いたいことは沢山あるけれど、これは聞いただけじゃ分からない美味しさ。
自慢じゃないけど今まで沢山の苺タルトを食べてきた。
だけどこのタルトは今まで食べてきたどのタルトよりも
「美味しい……!」
ポロリと出た言葉は嘘偽りのない言葉。
フォークが止まらない、一口また一口とタルトを口に運ぶ。
そっとフォークを置いたときにはお皿からタルトは消え、底の綺麗な絵柄が見えた。
バッと顔を上げてカミュを見る。
何食わぬ顔で紅茶を飲む男はやはり天使なのかもしれない。
「カミュ、こんなに美味しいタルトとどこで知り合ったの……?!」
「そんなに気に入ったか」
「うん……!」
こんなに美味しいタルトを売ってるお店があるのなら毎日通いたい。
さあ教えてと言うように見つめた。
ソーサーにカップを置いてこちらを見たカミュと目が合う。
目が合った瞬間に引き込まれそうな アイスブルーの瞳。
「教えてやらぬ」
フッと意地悪な顔で笑うカミュになんですら出てこない。
なんだよぅ、独り占めしたいのかよぅ……。
「教えてはやらぬ。だが、まだタルトはあるぞ?」
「食べる」
席を立ったカミュはさあどうすると言わんばかりの顔だ。
そりゃ食べるさ。だって今日で最後かもしれない。
ならお言葉に甘えてお腹いっぱい食べるよ!
先程まで目を輝かせながら苺タルトを堪能していた相手は夢の中へと旅立ったようだ。
ティーセットを片し目の前の存在に迷う。
起こし今から部屋に戻れと言ったところで、こいつが部屋に戻れる確率は低いだろう。
器用に座ったままの姿勢でピクリとも動かない泉の背中と膝裏に腕を差し入れた。
自分の方へもたれ掛かるように抱き上げてみれば、男には無い柔らかさと見た目以上の軽さに小さな驚きを感じる。
それと同時に安心しきった顔で身を預けてくる存在に胸の奥で小さな怒りにも似た感情が沸き立つ。
「……男の部屋で二人きり、何をされても知らんぞ」
そのままベッドに寝かせ顔を覗き込んだところで何も返ってはこない。至近ゆえに寝息だけが微かに聞こえる。
このままその唇を奪ってしまおうか。
そう考え、呆れた。
奪うなら起きているときにすればよい。
愛していると告げた後に。
今日はソファーで眠るとしよう。
明日はオフだ、疲れがとれぬのならゆっくり休み直せばいい。
立ち上がり踵を返したところでひとつ、思い出した。
枕元に手をつき耳元でそっと囁く──────
「お嬢様の為だけに作った苺タルト、お気に召していただけたようで光栄です」
2/3ページ