雪が降る、君が来た。

 クリスマス当日には少しくらい空いているんじゃないかと思って来たけど、その考えは間違いだった。同じような考えの人が集まっているのか、それともクリスマスはクリスマスで浮かれてパーティでもしに来ているのか、どちらにしても、昨日とほぼ同じくらいのこみ具合だ。だったら大学の帰りじゃなくて、行きを早くして朝のうちに来るべきだったのかもしれない。もう遅いけど。
 とりあえず近くの雑貨屋に入ってみる。ハンカチはプレゼントの定番だけど、恋人に贈るものとしては弱い気がする。バレンタインでもらった義理チョコへのお返し、みたいなイメージも手伝っているかもしれない。箸置き、は違うよなぁ。だって一緒に住んでるのに、それを贈るなら僕もお揃いで買っておきたいし。じゃあネクタイ? 大学生なんだからまだ縁はない、気がする。それならベルトか、アクセサリーとか? どれもこれも違う気がして、雑貨屋を離れる。
 雪希せつきと付き合い始めてもう二年になる。一昨年の受験終わりになぜか僕が告白することになって――いや、あれは全面的に雪希が悪い。だってあんなこと言うなんてずる過ぎる――それに雪希が応えて。いや、やっぱりあれは雪希が僕を操っていたとしか思えない。あいつはそういうところがある。
 しかも去年は、急に一緒に住もうとか言い始めてどうなることかと思ったけど、意外とどうにかなっている。いや、僕の心の安寧の話をするなら、全然どうにもなっていないし、それは今でも変わらないんだけど。好きな相手が四六時中隣にいるなんて、耐えられるわけない。のに、雪希はなんてことない顔しているから、僕はくだらない対抗心を燃やしてしまう。本当にくだらない。
 次は洋服店に入ってみた。センスのいい雪希と違って、僕は曜日で服を決めているような人間だ。入ってすぐに後悔した。僕が雪希にしてやれることなんて、服に関してはひとつもあるわけがない。さっきの雑貨屋で見たものたちも、僕が選ぶより雪希が自分で選んだ方がいいに決まっている。
 ――僕からのプレゼントなんて、嬉しいんだろうか? こんなに選ぶのが苦手なのに?
 たぶん、雪希は自分に似合うものは自分でわかっているだろうけど、僕にはわからない。ずっと学ランで生きてきたのに、急に私服で日常を過ごしてくださいなんて、難しいにも程がある。優柔不断でおしゃれがわからない僕は、雪希に頼るしかない。ほら、やっぱり雪希が選ぶ方がいいってことじゃないか。
 ため息をひとつ吐いてから、洋服店を後にした。
 そういえば、最近では雪が降り積もって、ブーツを履いていなければ靴に雪が入ってくるようになった。それ相応の寒さも感じる。それなのにあいつは、未だに高校時代からの愛用の――つまり、もうぺしゃんこになったマフラーを、使い続けている。
 この前一緒に歩いているとき、寒くないのか聞いたことがあったけど、顔を真っ赤にしながら「しゅうが隣にいれば、冬なんてへっちゃらだろ」なんて言っていた。絶対に寒かったはずだ。最低気温は当たり前のように氷点下で、最高気温すら零度を下回っていた。屋内ならまだしも、あれで外が、まして雪の降る中が寒くないわけない。
「バカだよなぁ――」
「ん、誰が?」
 近くから急に声がして驚いた。ちょっとした独り言に返事がくるなんて聞いてない。僕は無意識に小さく飛び上がり、その場で固まった。
 声でわかる。本当なら足音を聞くだけでも、あいつが近づいて来たんだってわかるはずだった。それに気づけなかったのは、きっとプレゼントのことで頭がいっぱいだったからだ。
 肩に手が置かれて、ようやく凍った僕の呪いが解けたようだった。
「な、なんでここにいるの……?」振り向いて顔を見つめる。名前に似合わず夏っぽい、整った爽やかな顔が、僕を見て微笑む。「今日のこの時間はテストだと思ってたんだけど?」
「柊こそ、何言ってんの? テストは昨日だったじゃん、俺はぜんぶ柊と同じ講義とってんだから」
 確かにそうだった。二十六日がテストだと思い込んでいたのは確かに雪希だったけど、その講義は休みでテストがあるのはクリスマスイブだと訂正したのは僕だ。いやでも、全部同じ講義を取っているとは聞いていなかった。だったらずっと隣に座っていてくれればよかったのに。とか、僕は思うけど、もしかすると雪希の方はそうは思わないのかもしれない。なんてひとりで少し寂しくなる。
「悪かったって。めんどい友だちに頼られててさ、断れなかったの」大きな手が僕の両頬を包む。温かい。「来年の分はちゃんと、全部、合わせるから。あいつらとは別にして、柊と一緒にいるから、な?」
 全てを見透かすようにして、僕の不安を先回りで消すのが、雪希の特技だ。最近理解した。でも僕を泳がせてから回収するのはどうかと思う。一瞬でも、雪のような冷たさにひとりぼっちになるみたいで。
「で、柊こそ、どうしてこんなところに?」
 僕は雪希の顔と、右手にぶら下がった紙袋を見くらべて、「まあ、それについては後でね」と答えるに留めた。

 なんやかんやあって一緒に帰ることになった僕たちは、はらはらと雪の降る中、周りのカップルよりは少し距離を取って、けれど男友だちふたり組としては少し近すぎるくらいの距離感で歩いた。なんとなく、肩が触れ合うたびにそこからほんのり体温を感じる気がして、でもそんなわけもなくて。せいぜいダッフルコートとダウンコートがこすれて静電気が生じるくらいのはずなのに、それだけでもどうしてか嬉しい。僕はいつの間にかこんなにもちょろくなってしまったのか、とひとり鼻で笑った。もしかするとはじめからかもしれない。
「何笑ってんの、思い出し?」
「まあ、そんなところかな。雪希が登録し忘れてた講義に最近まで通い詰めてたって話」
「おいおい、それはまだ冗談にできないって。俺のキズは深いの」
 言いながらふたりで声を出して笑う。僕たちの周りの雪が、何を思ったのか、少し遠慮しているような気がした。
 家について、玄関前で上着の雪を落としながら、雪希は聞いてきた。「その袋持ってようか?」
 そのにやにや具合が、柊の考えなんてちゃんと見抜いていますよ、みたいなあいつ特有の嫌な感じがあって、僕は断った。
「へえへえ、じゃあ後で見せてもらいますよーっと」
 先に鍵を開けて入っていく雪希の背中は、けれど笑っているように震えていた。
「だとしたら僕だって、雪希の考えなんて見抜いてるんだからな」
 聞こえない程度の声量で言ってみる。
 紙袋の中をのぞけば、ベージュのマフラー。もう少しあったかくして、絶対に風邪をひかないようにしてもらいたい。一緒に住んでるんだから、それくらいの配慮はしてもらわないと困る。あと、風邪をひかれるとくっつけなくなるのが、ちょっとくらいは寂しいから。
「遅かったな」
 リビングに入っていくと、変に口角が上がった恋人がいる。嬉しい――じゃない、なんだこいつは。プレゼントお預けにしたっていいんだぞ、喉元まで出かかって、けどやめる。
「はい」ようやく覚悟を決めて袋を差し出す。「プレゼント。クリスマスだから」
「クリスマスって普通は、当日の朝に、枕元か靴下に、プレゼントを置いとくもんじゃないの?」
「からかうんならこれは僕のものだね」
「うそうそ! ありがとうございます、いただきまぁす!」
 中身を見た雪希は、わかりやすすぎるくらいぱあっと顔を輝かせた。
「へぇ、かわいいじゃんこれ! 明日から巻いてっていいの?」
「あげたんだから、それはもう雪希のものだよ。好きに使って」
 へへへと笑いながら、雪希はマフラーを巻き始めた。思った通りに――というか、こいつは基本的に何でも似合うんだけど。「あの白マフラーも気に入ってたけど、こっちの方が愛がこもっててうれしい」
 にへらっと顔を崩すのが、僕には、とてつもない幸せをもたらす。あぁ、抗えないんだな。雪希のこと、ずうっと大好きなんだな、なんて。
「あれ、その顔、もしかして白マフラーのこと忘れた?」
「忘れるわけないよ、高一のときからずっと使ってるもんね」
「いいや、中学のときからだよ」雪希は、遠い窓の外を見つめる。はらはらと雪が降る。ホワイトクリスマスってこういうことだろうか。「中学のとき、柊の母ちゃんがくれたんだけど、……忘れた?」
 言われてから氷が溶けていくように、記憶が溢れ出てくる。
 そうだった、母が僕と雪希にマフラーを編んでくれたことがあった。あのときはいくら仲のいい幼馴染といっても、お揃いのものを、しかも母親の手作りのものを持っているなんて、信じられないくらい恥ずかしかった。だから僕は自分の分のマフラーを、クローゼットの奥にしまい込んだ。それがお揃いであることだけを心の頼りにして。
 いつの間に忘れてしまったんだろう。こんな大切なことを。
「ありがとう」
「ん、なにが? あ、これのこと?」
 目の前にいたはずの雪希の声が、背後から聞こえて振り向く。冷蔵庫から何かを出そうとしているらしい。その箱の大きさには見覚えがあるが、ふたりでそのサイズは……きついような気がする。
「ハッピー、メリー、クリスマス! はい、ホールケーキ」
「い、いや、大きすぎるよ。食べきれないでしょ」
「今日で食べ切るぞ! ほら、一緒にクリスマスしようぜ?」
 仕方がないから、僕はお皿とフォークを準備した。
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