私のことも愛してよ

 家族が嫌いだった。勝手に産んでおいて私を蔑む母も、妹と比べてはため息をつく父も、それを見て「気にしなくていいんだよ」なんて善人面する妹も、みんな大嫌いだった。私だけがこの家に要らない存在。私だけがこの家族の汚点。誰にも必要とされない私。可哀想な私。
 ある日、堪えかねた私は家出をした。どうせ母は私の夕飯を用意してくれないし、心優しいなんて勘違いしている妹が同情して分けてくれるのも癪だし、父は帰ってこない。私がいなくなった方があの家は明るくなるし、きっと私のいるべき場所はあんなところじゃない。だからもう二度と帰らない覚悟を持って家を出た。ポケットには父の鞄からくすねた重たい財布と、バリバリに画面が割れているスマホ。たぶんこれがあればしばらくは生活に困らない。お巡りさんに見つかるとさすがにまずいけど。
 まずはどこに向かおうか。私は何も考えずに学校とは反対方向へ足を動かす。顔見知りが確実に少ない方へ行こう。電車に乗って全く知らない地域に逃げるのも良いかもしれない。飛行機は中学校の修学旅行でしか乗ったことがないから、勝手がわからないし、どうやって手配したら良いのかもよく知らない。あまり無理はしない方がいい。たぶん下手をすればすぐに──って、私を探そうとする人間なんて妹くらいしかいないか。妹がどうがんばったって母も父も説得されることはないだろうし、捜索願を出すことも叶わないだろう。それなら自由に動いても大丈夫なのかもしれない。
 そうか、自由なんだ。私今自由なんだ。
 しばらく歩いて、何度か来たことのある駅に辿り着いた。どれでもいい、どこか遠くへ行ける電車に乗ろう。父の財布を漁ってICカードを取り出す。改札を通り抜けて残金が一万以上あるのを確認した。これならどこまでだって行ける。県外にも出られるだろうし、飛行機に乗るよりずっとわかりやすくあの家から遠い場所に逃げられる。
 ガラガラに空いている普通電車に飛び乗り、終点まで揺られる。家の中では感じたことのないようなあたたかさと心地よい揺れ。日差しがあたるのも煩わしいと思わない。この場所に歓迎されているような気持ちになる。楽しい。自分の人生から抜け出して、誰か、私の全く知らない人間になったみたい。嬉しい。
 降りるとそこは無人駅で、田舎でもないのに寂れた地域だった。周りを見ても誰もいなくて、世界に私だけが取り残されたみたいな感覚になる。足取りが軽い。いつも足枷がついているように重苦しいのに、今ならスキップだってできそうだ。
 るんるんと歩いていれば、目の前に公園が見えてきた。砂場で遊んでいる少年が一人で笑っている。何だか気味が悪い。そうは思ったが、どうしても目を離せなかった。どうしても彼と話してみたいと思った。
「ねえ君」
 こちらを向いた彼の顔は、仮面を被ったような作られた笑顔で、そこに本当の感情が張り付いてはいないと直感した。それと同時に私は彼に似ているものを感じた。
「お姉さん、抜け出したいならもっとちゃんとしないと」
「えっ……」
 彼はそのままその顔で続ける。
「僕はそうしたんだ。辛かったから僕がお兄ちゃんになった。だからお姉さんもさ、入れ替わっちゃえばいいよ。僕みたいに」
 彼は立ち上がると私に向かって微笑んだ、と思う。彼の存在が不気味で私は彼を直視できなかったからよくわからない。でもたぶん、私を励ましてくれているのだろう。
 なるほど、と思ってしまった。そうか、彼の言うとおりに私が妹になれば良いんだ。顔は似ている、というかほとんど同じ。与えられている服や環境が全く違うだけ。たぶん親は私のことを着ているみすぼらしい服で判断しているだろう。だって小さな頃はよく間違えられていたから。双子の見分けがつかないなんて、親失格だ。
「そう、だね。やってみる。私もあの子になれば良いんだ……」
 小さく呟くと、彼は私を抱き締めて──。

 ふわりと頬に温もりを感じて目を開く。
 そこはさっきまでいた公園でもなければ、そこには少年もいなかった。夢、なのかな。それにしては結構リアルだった気がする。でもそんな夢も見ることはある、かな。
「あ、起きた? よかったぁ」
 頭上に声が聞こえて、そちらを向けば妹が座っていた。心底から安心したような声。気持ちの悪い不協和音だ。本当はそんなこと思っていないくせに。私が曲がってしまったからそう思うのか。妹も私ももう交わることはないのか。
「……ごめんね」
「ううん、大丈夫だよ。だって双子でしょ?」
 私はひとつ謝って妹の言葉を聞いてから、少年の助言を実行することにした。上手くいけば私は両親からも学校のクラスメイトからもちやほやされて、幸せな女の子になれる。失敗したらきっと妹は親に告げ口するだろう。そうしたら私はこの家から追い出される。それはそれで私にとっては成功だ。だって逃げられるから。
 覚悟を決めて妹に抱きつく。
「え、ど、どうしたの?」
 そのまま首に手をかけて、全体重を乗せる。長い爪が彼女の首に刺さって血が滲む。私の下で暴れている。
「私のために死んで。私が大切なら、死んで」
 静かに、冷たく言葉を落とす。彼女は必死で抵抗している。ほら、やっぱりそうなんじゃない。私が好きでかばってくれていたんじゃなくて、私をかばっている自分が好きだっただけじゃない。私のことを本当に大切だと思っている訳じゃないんでしょ。
 動かなくなった妹の上で首を押さえ続けた。だってもしかしたら芝居かもしれない。動かずに死んだふりをしているだけで、隙を見て逃げだそうとしているのかもしれない。私があなたになるためにはもっと、もっと強い力が必要だよね。もっと強く絞めないと。
 私が妹から離れて立ち上がったのは、母の「ご飯だよ」の声が聞こえてからだった。少しがんばりすぎたかもしれない。でも確実にするためにはこれくらい必要だった、よね。
 妹の部屋に入り、服を着替える。髪も適当に妹に寄せて、それから少しだけ化粧をする。鏡の中に妹を見つけた。これで私はこの家の次女。これで私はこの家の一人っ子。これで私は幸せになれる。
 階段を降りながら、妹の振るまいを思い出す。明るくて、お喋りが上手で、かわいくて、素直で。それからいつも笑顔。扉を開けながら満面の笑みを作る。久しぶりだ。笑顔だなんて。
「ちょっと遅くなっちゃったね。ごめんね、お母さん」
「いいのよ、そんなこと。それよりほら、今日はあなたの好物にしたわよ」
 思った通りだ。私の顔を見てもこいつは気持ち悪いくらいの笑顔を浮かべている。私のことなんてわかっていない。私が成績優秀でかわいい妹の方だと信じて疑わない。馬鹿な女。
 テーブルを見てみれば、そこにあるのは野菜ばかり。確かに妹の好物だ。でも私の好物ではない。お母さん、間違ってるよ。私は私だよ。それは私のことじゃないよ。
「今まで黙ってたんだけどさ、本当はお肉とかも食べたいんだよね」
「あら、そうなのね。じゃあ明日は焼き肉にでもしましょうか」
 そうだね。とっておきのお肉用意しておくね。もっと私を愛してね。私が私であることを許してね。私を認めてね。大好きだよ、お母さん。
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