僕は僕から飛び降りる

 学校の屋上。いつもより風が強く吹いている。
 すぐ上には真っ青な空が広がっていて、見上げてみれば僕の考えを否定されているような気になる。
 別にいいじゃないか、どうだって。
 脱いだ靴を綺麗きれいに整えて、柵を越える。
 真下に見えるのは、僕のことを避け続けて嫌っている馬鹿ばかり。僕だってお前たちのことは嫌いなんだよ。こっちを見るな。
 人生で一番の笑顔を見せる。
「さよなら」

 ハッとして目を覚ます。
 やっぱり、駄目だめなんだ。僕は死ねないんだ。
 何度も自殺を試みている。世界に見放された僕の居場所なんてどこにもないから、ここから消えてしまいたくて。それなのに、僕は死を得られないんだ。
 この前は手首を切って、それより前は首を吊ったし、睡眠薬を大量に飲みもした。それでも僕は死ねない。失血死直前に、首の骨が砕ける瞬間に、息が詰まったそのときに、僕は目を覚ます。死んでいない僕の明日が始まる。
 どういう仕組みかは全くわからないが、僕がどう頑張ったところでこのループから抜け出せはしないらしい。何度も何度も死から目を覚ます。
 誰かに話したいと思うこともあるが、その誰かが僕にはいない。僕を産んですぐに母は亡くなったし、中学生になる頃に父は自殺した。学校でも僕は浮いていて、友人なんてひとりもできなかった。ずっとうつむいている僕が不気味だったのだろう、教師すらも僕を構ってはくれなかった。
 寂しいだなんて思ったことはない。だって僕は一人でも生きていけるから。他人の力なんて必要ないから。
 高校へと向かった。行ったところで何の利益もないし、どうでもいいけれど、家でグダグダしているよりかは少しだけ有意義な時間を過ごせるから。
 自分の席に座って考える。
 今日はどうやって死を求めようか。試していないものがいいな。オカルト部に訪ねて行ってみて呪術でも習おうか。きっと楽しいぞ、なんて思い込んでみる。
 不意に、ドンと肩に人間の温度を感じた。
「あ、ごめんね、ぶつかった?」
「あぁ、いや、大丈夫」
 久しぶりだった。他人の身体に触れるのも、他人と会話をするのも。
 まぁ、別に何ともないさ。何も感じたりはしない。僕はひとりが好きで、孤独を求めていて、隅っこで窓の外を眺めているだけで。
 ふと、気になった。あんな女、このクラスにいたか?
 あの、と声を出しかけてやめた。
 見知らぬ人間が暮らすにいようが僕には何の関係もない。
 窓の外へ視線を戻そうとしたとき。
「あの、君、名前は?」
 彼女の方が僕に話しかけてきた。
「僕の名前? なんでそんなことを?」
「あ、えっと、私、転校してきたばかりで……」
 彼女を見ていると何だか僕を見ているような感じがする。似ている。きっと彼女もこうなるんだろう。死を目指すような人生を歩むことに。
「僕は、シズカ」
 別に、彼女に興味なんてひとつもない。仲良くするつもりだってない。
 でも何故なぜか、名前を教えようという気にはなった。
「へぇ、シズカくん。かわいい名前」
「からかうのはやめてくれよ」
「ご、ごめんね」
「君は?」
「私? 私はシズク。よろしくね」
 彼女の笑みを見ていると不安になる。いつか、知らないうちに死んでいまいそうで。今ももう手の届かない場所に、遠くにいるようで。
「何だか私たち、ちょっと似てるね」
「似てなんかないよ。君は僕とは違う、きっと」
「それってどういう……」
「さあね」
 今日も僕はいつも通りずっと一人だった。授業中教師に話を振られることもなければ、休み時間に会話を挑んでくる生徒もいなかった。
 ただひとつ違っていたのは、昼休みに微笑みかけてきた女子がいたこと。
「ねぇ、シズカくん、一緒にお弁当食べない?」
 僕が驚いたのは、この女がこうやって知らない男に自分から話しかけるという事実に、だった。
 やっぱり僕に似ているだけで、全く別の人間なんだ。まぁ、当たり前か。
「いいけど」
 この日から僕たちはなぜか多くの時間を共にするようになった。登下校や移動教室、そしてお昼の時間。僕に初めての親友ができたんだ。
 気づけば僕が自殺する回数も減っていき、反対に笑顔が増えた。もう死にたいだなんて思わなくなっていたのだ。
 以前書いていた日記を読み返して、泣きそうになる。こんなにも死を望んでいた僕が、今ではどうだ。彼女の存在のおかげで生を喜んでいる。あの頃は少しも予想できなかっただろう。
 今日も僕はシズクと会うことを楽しみに家を出る。いつもの待ち合わせ場所まで走ってみたりなんかして。
「シズク、おはよう」
「あっ、シズカくん!」
 横断歩道を挟んで僕らは挨拶あいさつする。彼女の笑顔はこんなにもまぶしい。こんなにも僕を照らしてくれる。僕の生きる道を示してくれる。
 シズクは自動車がこないことを確認してこちらへ走って渡ってくる。
 何だか、嫌な予感がする。
 首を絞められているようで、目頭が熱くて、息が詰まって、頭痛がして。
 ひどい音が頭の中にぐるぐる回る。これは現実なのか、それとも幻か。
「シズク……?」
 目にうつるのは、赤。
「ねぇ、シズク? 返事してよ」
 倒れているシズク。
「どうしたの、転んだの?」
 止まっているトラック。
「冗談やめてよ、面白くないよ?」
 騒がしい野次馬。
 理解するのに時間がかかった。
 シズクは死んだ。法律を無視した速度のトラックにかれて。
 運転手は持病で気絶していたらしいが、僕からシズクを奪ったのに変わりはない。
 どうしてシズクだったんだ。僕だったらよかったのに。僕だったら悲しむ人はもっと少なかったはずなのに。
 動かなくなった彼女を抱きしめて、泣き叫んだ。彼女がいてくれたから、僕は生きていられたのに。僕が僕でいられたのに。初めてできた大切な人だったのに。
 目の前が全て溶けていく。

 目に涙をためながら目を覚ました。いつもとは違う、真っ白な病室で。
 本当は気付いていた。僕がこの世界で死ぬ度に、失っていた記憶が帰ってきていたから。視界に映る僕とシズク以外の人間の顔は、黒く塗りつぶされていたから。
 けれど僕はその記憶に、その現実にふたをして知らないふりを続けていた。
 ここは僕の脳内の深いところであって、僕は目を覚ましたくないと強く思っているんだ。理由は、もう思い出してしまった。それに目覚めのトリガーも。
 両親が死んで、僕は一人だった。それはこの世界の僕が作った記憶であって、真実なんかではない。
 二人だったんだ。僕とシズクの、二人きり。双子の妹のシズク。愛すべき妹。僕のたった一人の家族。
 彼女は死んだ。それを記憶の奥深くに隠したのは僕自身だ。辛くて苦しくて、毎晩のように悪夢を見た。涙を流した。それでも消えてはくれなかった。
 そこで僕は死を選んだ。僕が死んでしまえば、嫌なことなんて思い出さなくてよくなるから。生きることをやめてしまえば、もしかしたら愛する家族に会えるかも知れないから。
 学校の屋上から飛んだはずだった。それなのに僕は死ぬことに失敗して、僕の世界に引きこもってしまったんだ。
 わかっている。目を覚ます方法はひとつだ。
 重い心を引きずりながら屋上へと向かう。
 周りの白衣は騒がしくわめいている。しかしその顔には白い線が引かれていた。これはつまり、ここがまだ僕の世界の中であることを指していると考えていいはずだ。
 扉を開くと、強い風を感じた。
 終わらせよう。もう全部終わりにするんだ。
 脱いだ靴を綺麗に整えて、柵を越える。
 ここから、元の世界へと降りるだけだ。もしそうじゃなかったとしても、シズクのもとに行ける。どっちだっていい。
 喧騒けんそうに視界がグラグラと揺れる。
「今行くよ」
 ひとつつぶやいてから、夢の外へと飛び降りた。
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