とある遊郭
記憶の中の両親はだいたい泣いていた。
「ごめんね、ブラン。ほんとにごめんなさい」
母はいつもそれしか言わなかった。
「大丈夫だよ。私は大丈夫だから」
このやり取りを何度繰り返した事か……
いい加減飽きてきた。
父は悲しそうな顔をしながら私の頭を黙って撫で続けた。
「家が貧乏だから、お金が無い……から私を売るしかなかった……そうでしょ?」
少々拙い言葉で冷静に伝える。
今私は齢10。
言葉を上手く発することは出来ないが、知識は大人に劣らない。
読み書きは出来るし、難しい言葉も知っている。
「そう……それもそうなんだけどね……」
「どうしたの……?」
「ううん、何でもないの。忘れてちょうだい」
「ん……分かった……」
私は渋々了承した。
母との会話はいつもこんな感じでつまらないから私から話を切る事が多い。
☆ ☆ ☆
それから暫くして優しそうな狐族であろう狐耳の女性がこちらに向かって歩いてきた。
「迎えに来たぞ、ブラン……だっけ?」
低くて聞いてて心地の良い声だ。
こちらに手を出すと艶やかな白銀の髪が揺れる。
そして、金色の双眸が優しく私を包み込む。
「はい、ブランです! よろしくお願いします!」
私がそう答えるとその人はニコッと微笑む。
綺麗で可愛くて羨ましい……
私も釣られて微笑むがこの人よりも確実に劣っているだろう事は一目瞭然だ。
だから私はいつものような笑顔は作れなかった。
「そうか。私はユラ。高見沢ユラだ。こちらこそよろしく頼む」
め、めちゃくちゃカッコイイ……
カッコよくて可愛くて綺麗で声も素敵とか完璧すぎる……
そんな事を思っていると、もうこの家とさようならをしなくてはいけない時間になってしまったようだ。
少し寂しいが、逆に楽しみな気持ちもある。
この人……ユラさんと一緒なら大丈夫そうだし。
☆ ☆ ☆
「さて……着いたぞ。ここが松本屋だ」
「ここが……遊郭……」
遊郭───女性が男性を悦ばす場所。
だけど、男性がいないこの世界では女性が女性を悦ばす場所である。
松本屋はこの遊郭の名前であろう。
「早速で申し訳ないんだが、仕事を与えようと思う。まあ、お前はまだ小さいから夜の仕事はなしだ。代わりに昼の仕事をしてもらう」
「昼の仕事……ですか……」
夜の仕事……まあ、言うまでもないアレである。
だが、昼の仕事とは一体……?
「そうだ。まあ、仕事と言っても雑用ばかりだがな。出来るか?」
雑用……掃除やら洗濯やらだろう。
「はい! できます!」
私が返事をすると、ユラさんは嬉しそうに微笑んだ。
こういう人が自分の相手をしてくれたとしたら大半の人は嬉しく思うだろうな。
「では、頼んだぞ」
そう言うとユラさんは奥にある部屋の方に消えていった。
そう言えばユラさんはどういう仕事をしているのだろうか。
夜の仕事をしているようには見えない。
穢れのない瞳で私を見てくれているのだから。
☆ ☆ ☆
翌朝。
ユラさんの作ってくれた朝食を食べ、早速仕事に取り掛かった。
やってみて気づいたのだが、私は物覚えがいいみたいで、言われた通りにスラスラと仕事を進める事が出来た。
「次は何をすれば、良いですか……?」
「もう出来たの!? 早いねぇ」
用務員のお姉さん(通称:掃除のお姉さん)に教えてもらった通りにやったら褒められた。
(悪くない……)
凄く嬉しくて私はニヤける事を抑えられずに笑ってしまった。
うふふ、可愛いねぇ。と言われ、頭を撫でてくれた。
私は撫でられるのが好きみたいだ。
少々感じてしまうが、撫でてもらう事が癖になりそうだ。
☆ ☆ ☆
それから数ヶ月。
私は一通り仕事が出来るようになっていき、何気ない平穏な日々を過ごしていた。
───それがある時一変する。
いつものように玄関の掃除を終え、戻ろうとした時、ふと振り向くとそこには黒髪黒目の狼耳を持った人が立っていた。
(狼族か……珍しいな。)
狼族は数がとても少ないから凄く珍しい。
それにしても何をしに来たのだろうか。
「ボス……いや、田神という者を見なかったか?」
「田神……です、か……」
田神……そんな名前の人が来ていただろうか。
事務の仕事はあまりした事が無いためわからない。
「───ちょっと調べてみます!」
そう言うと私は事務の人に確認を取りに行った。
だが、何かおかしい。何が……とも言えないが、何となく野生の勘がそう警告していた。
急いで振り返ると黒髪は変わらなかったが、目の色が赤色になっていた。
(もしかして、戦闘個体……!?)
戦闘個体───戦闘に特化した、あらゆる自然現象の一つを操る事が出来る人。
数が非常に少なく、兎族以外にこの個体の人がいるのは非常に珍しい事であった。
ちなみにブランは兎族である。
兎族は全員戦闘個体がいる。
☆ ☆ ☆
そう聞いていたのにこの人がその戦闘個体なのっ……!?
私は驚くばかりだった。
耳を澄ませ、目を閉じて音を聞く。
(やっぱりこの人戦闘個体だ。呼吸音も荒いし、血流も速いし、心拍数も高い……)
人探しだから、多少はそうなるだろうが、私には違いがハッキリと分かる。
なんせ私は耳がとても良い。
良いというレベルではない、もはや人知を超えている。
こんな事をしている場合ではなかった!
私はすぐさま確認を取りに行き、話を聞くとその人がいた場所へと戻る。
「昨日来てたみたいです……」
「本当か!!」
「はい、お相手を……した方?が、来て、証言してくれました」
そうなのだ。
私が事務の人に話を聞いていたら、ちょうど通りかかったみたいで、話してくれた。
なんでも珍しいお客さんだったようで。
☆ ☆ ☆
「なんかねー、髪の毛が凄く短くてねぇ、ほとんど無かったよぉ?あー、それにぃ、突起物があったよぉ。下半身に」
「かっ……かはん、しん……!?」
「そぉ。それにねー、耳が無かったのぉ。不思議だよねぇ」
というやり取りをした後に報告をしたのだが……なんと不思議な人なのだろう。
耳が無く……下半身に謎の突起物……
考えても答えが出るわけではないのは分かっているのだが……どうしても気になってしまう。
そこで、尋ねてきた者に聞こうと思っていたのだが……
「そうか。来ていたのか……すれ違ってしまったのかな……」
そう言うとものすごいスピードで帰ってしまった。
───この中探さなくても良いのかな。
お相手をするのがどうしても夜になってしまうので、その後疲れ果ててお泊まりをする人が大半なのだ。
───まあ、あの人がそれで良いなら良いけど。
冷たく聞こえるかも知れないが、私にはどうしようも出来ないから仕方が無い。
あの人が自力で田神とやらを探してくれるならそれはそれでこっちも楽だからな。
人探し───その程度だったはずの出来事がまさかあんな事になるなんて……
☆ ☆ ☆
ある朝。
いつものように雑巾がけをしていたら、
「大変だよぉ〜!田神ってやつ巷じゃ有名な悪の組織『肉食獣』ってやつのリーダーらしいよぉ!」
先輩花魁の田神の相手をしたあの人(仮にムーさんとしよう)が甲高い声を出しながら走ってきた。
「え……どうしたんですか、先輩。息、きれてますよ?」
そう嘯いたら、
「聞こえてたよねぇ!?もー!」
と、意外といじりがいがある先輩で、何処と無く好きだ。
「で、悪の組織?……田神がどうしたの?」
「やっぱり聞こえてたぁ!……そうみたいなのぉ。それで、尋ねてきた人はぁ、田神の右腕だったらしいよぉ」
ギャグな空気が一変してシリアスな空気になった。
ムーさん先輩は短い猫耳を掻き、紫色のサラサラな髪を整えながら説明してくれた。
どうやらその者達は只者ではないらしかった。
「ハハハ、よく分かったな!淫乱少女共よ!!あの時は充分楽しませてもらった!お前らはもう用済みだな。俺たちの秘密を知ってしまったのだからな!」
───え、えっとー…………
弄ると面白そうなキャラをしているが、私は仲良くなれないタイプの人だ。
とりあえず引いておこう。そうしよう。
と、田神以外の全員が思った事なのだろう。
…というテンプレートが付きそうな───実際付いているであろう空気になった。
「なんか言えよ!!」
そんな空気を破ったのは田神自身だった。
───いや、テメーが悪いんだろ!
と、全員が突っ込んだ。
☆ ☆ ☆
「悪かったね。ボスはこんな奴なんだ」
「酷いね!?俺の右腕!」
毒舌な彼女とそれを悲しむ彼氏にしか見えない。
そんな表現が適切と言おう。
「───で、何しに来たんだ?」
それを見兼ねたユラが口を開いた。
訝しげな表情で睨みつけるようにしていた。
「ハハ……怖いねぇ……」
田神が尻込みするようにユラと距離を取った。
その前に田神を庇うようにして田神の右腕が田神に背を向けるようにして立つ。
「───へぇ。うちのボスを怖がらせるとは、ちょっとはやるじゃんか。でもねぇ……」
「───うちらと張り合おうってのか?」
そう言うと、田神の右腕は前に私が見たあの戦闘態勢を取った。
目が充血したように赤く紅く緋く染まり、あの時は変わらなかった黒髪がピンク色に染まる。
あれが本気で変わった姿では無かったと言うことか。
私もすぐさま戦闘態勢を取る。
白髪が赤髪に、赤目が赤褐色(赤茶色)になる。
そして、私の後ろから突如風が吹いた。
私の使える自然現象が風なのでそれは当然だった。
しかし、相手からも風が吹いている。
考えられることはただ一つ。
───こいつも風使いか。
ギリ……と歯ぎしりをする。歯が折れるぐらいに。
同じ自然現象を使う者は必然的に年上の方が強いと言う。
それも当然であろう。
経験の差がものを言うのだから。
[newpage]
「ぐるるるる……」
低い唸り声が聞こえる。
どっちだろう。あるいは両方かも知れない。
それが分からないほど私は意識が朦朧としていた。
幼さ故にまだ力のコントロールが出来ていないのだ。
───大丈夫。敵味方の区別はつく。
区別が付けば暴れても味方の周辺に被害が及ばないように制御する事が出来るから。
「削除する穴、ディレート・ホール」
「飲み込む穴、スワロー・ホール」
それぞれがそれぞれの攻撃の名前を機械的に口にする。
───その瞬間、空間が消し飛んだ。
その中には2つの影しか無かった。
1つは長いピンク髪に赤目の20歳ぐらいの少女(?)。
その顔には余裕がある。
もう1つは赤髪に赤褐色の目をした6歳の少女(ロリ)。
その顔に余裕は───ない。
高く2つに縛った髪を邪魔そうに片手で目に入ろうとするのを押える。
もう一方の手で相手の攻撃を受け止め、反撃をする。
だが、いくら迎撃やら反撃やらしても、あの余裕のある表情を崩す事は出来なかった。
[newpage]
「なん……で……っ!」
「ハハハ! お前は私に勝つことなんか出来ないんだよ!」
「っ……!!」
ムカつくムカつくムカつくムカつくムカつくムカつくムカつくムカつくムカつくムカつくムカつくムカつくムカつくムカつく……!!
「ア゙ア゙ア゙ア゙ア゙ア゙ア゙ア゙ア゙ア゙ア゙!!!」
「!?!?」
渾身の咆哮と共に袖口から煙管を取り出す。
それがどういう意味か相手は分かっていないようだった。
「───今から禁忌を犯します。どうか許して下さいな」
そう宣言すると、私は煙管を口に咥え、煙管越しに息を吐く。
空間が消し飛び、何もかもが無くなりつつあるこの───宇宙に等しき世界。
宙に放り出され、ある程度身体の自由が利かない場所。
その世界に風が吹く。竜巻だ。
高く2つに結んだ髪がパタパタと激しくはためく。
ぷはぁと、煙管に唾液を付けながら口を離す。
「なっ、何なの!?」
「ぐああ……は、なれ…………」
こうなったらもう手が付けられない。
自分でも何をしているのか、何をやりたいのか分からなくなってきていた。
相手は凄く困惑した表情で私を見ていた。
ダメだ───身体が、言うこと聞かない……
そう諦めかけていた時、ふと誰かが声をかけてくれた。
「ブラン。君はもう頑張らなくていいんだ」
───だ、れ……? もう声も出せなくなっていた。
だけど、どこか懐かしい。
私はこの声を聞いたことがある。
もう、1回だけ……声を…………
───聞きたい。
そう思ったが、意識がだんだんと遠ざかっていく。
目を開けることもままならず、聴覚もほとんどその役割を果たしていない。
だけど……
「もう、休んでいいよ。ブラン」
その声だけはハッキリと聞こえた。
安心したらいつの間にか私は眠りについていた。
☆ ☆ ☆
「────らん。ぶ……らん、ブラン!」
はっと目を覚ました。
そこにはユラと田神と田神の右腕がいた。
ユラは心配そうに見ていて、田神は微妙な顔をしていて、田神の右腕は……私と目を合わせないようにして俯いていた。
「良かった……もう目を覚まさないかと……」
「そりゃそうっしょ。3日も眠ってたんだし?」
「3日……も?」
そんなに意識を失っていたとは……
1日まるまる寝ていた事はあったが、まさか2日も伸びてしまうなんて……
それはごく自然に起こる現象なのだが、その時の私には知る由もなかった。
それよりも……
「悪の……組織、の人、達が……なんで、ここに……いる、の……? それ、に…………泣いて、る……その……人……」
ガラガラ声ではあったが、なんとか声を絞り出し、思ったことを伝える。
指さした相手は田神の右腕だった。
さされた時、一瞬驚いた顔をしていたが、すぐに申し訳なさそうな顔になった。
「だって……お前、あの時『離れろ』って言おうとしてただろ?だから……その……」
「感謝とお詫びがしたいんだろ?正直に言ったらどうだ?」
ユラと右腕はいつの間にか仲良くなっていた。
ユラが右腕に肘をぶつけて、言葉を促す。
それは昔ながらの親友のように思えて……少し羨ましく思った。
「ご、ゴホン……えっと、ありがとう……気にかけてくれて。それと……こんな小さい子に本気出した私が馬鹿らしいわ。ごめん……」
本当に悪の組織なのか……?
多分この場にいる本人達以外は皆そう思っただろう。
私はどうして良いか分からずに───気がつけば泣いていた。
「ブラン! どうしたんだ!?」
ユラが心配そうに聞いてくる。どこか痛いのか、まだ充分に回復してなかったのかなどお姉さんのような……お母さんのようなその温かさに私は堪えきれずに嗚咽を漏らした。
「うっ……ひっく…………あり、がと…………ユラさん」
その時、私は初めて彼女の名前を呼んだ気がする。
ユラさんも驚いた様子で私を見ていた。
だが、それは一瞬の事で、すぐに微笑んだ。
「んで、どうしたんだ? 何かあったのか?」
「あの、ね……右腕……さん、の……『ごめんなさい』……は、凄く、心が……こもって、るな……って……思っ、て………………」
その続きはこれ以上口に出す事が出来なかった。
私は疲れ果てて再び眠りに落ちてしまったからだ。
父と母にも優しさや温かさは感じられたが、ユラや右腕の比ではない。
私は不思議と口角を上げながら眠った。
☆ ☆ ☆
その晩、私は夢を見た。
とても懐かしいような、悲しいような……
ここは、どこ───?
闇に染まっているこの空間に、一匹の動物? のようなシルエットが浮かび上がる。
ここは暗闇のはずなのに、やけにその動物の周りだけくっきりと見える。
ウサギのような長く立った耳に、キツネのような2つの大きな尻尾が生えている。
顔や身体や尻尾には所々縞模様が入っている。
「やぁ、ブラン。やっと会えたね」
「あなたは……誰なの?」
そう問うと、その子はばつが悪そうにしかめっ面をした。
数秒後、腹を括ったのか、覚悟を決めたような表情でこちらを見る。
「僕は……メレンゲ。メスだよ」
「メレンゲ…………」
聞いたことがある気がする。
それに、声も何処と無く懐かしい。
「君の、使い魔さ。訳あって現実世界では姿を見せられない決まりになっていてね……でも、この世界───夢……って言うのかな? ここでは姿を見せれる事が分かったんだ!」
にこやかに微笑む。
その笑顔を私は知っているような気がした。
聞くべきか悩んだが……やはり聞いておきたい。
「ねぇ、あなたと私───どこかで会ったことある……よね?」
そう言うと、メレンゲは俯いてしまった。
それだけは答えられないんだ……と、独り言のように呟く。
「でも! ちゃんと……いつか、話すから……」
───待っててね。
☆ ☆ ☆
翌朝。
目を覚ますとそこにメレンゲの姿は無かった。
記憶があると言うことは、メレンゲは私から記憶を奪わなかったと言うことだろう。
それがどういう意味か分からない程私は馬鹿ではない。
「夢の中で、たくさんお話しようね……」
その様子を扉の前で見ていた影が立ち去る。
その影は、また後でね、と呟いた。
「ごめんね、ブラン。ほんとにごめんなさい」
母はいつもそれしか言わなかった。
「大丈夫だよ。私は大丈夫だから」
このやり取りを何度繰り返した事か……
いい加減飽きてきた。
父は悲しそうな顔をしながら私の頭を黙って撫で続けた。
「家が貧乏だから、お金が無い……から私を売るしかなかった……そうでしょ?」
少々拙い言葉で冷静に伝える。
今私は齢10。
言葉を上手く発することは出来ないが、知識は大人に劣らない。
読み書きは出来るし、難しい言葉も知っている。
「そう……それもそうなんだけどね……」
「どうしたの……?」
「ううん、何でもないの。忘れてちょうだい」
「ん……分かった……」
私は渋々了承した。
母との会話はいつもこんな感じでつまらないから私から話を切る事が多い。
☆ ☆ ☆
それから暫くして優しそうな狐族であろう狐耳の女性がこちらに向かって歩いてきた。
「迎えに来たぞ、ブラン……だっけ?」
低くて聞いてて心地の良い声だ。
こちらに手を出すと艶やかな白銀の髪が揺れる。
そして、金色の双眸が優しく私を包み込む。
「はい、ブランです! よろしくお願いします!」
私がそう答えるとその人はニコッと微笑む。
綺麗で可愛くて羨ましい……
私も釣られて微笑むがこの人よりも確実に劣っているだろう事は一目瞭然だ。
だから私はいつものような笑顔は作れなかった。
「そうか。私はユラ。高見沢ユラだ。こちらこそよろしく頼む」
め、めちゃくちゃカッコイイ……
カッコよくて可愛くて綺麗で声も素敵とか完璧すぎる……
そんな事を思っていると、もうこの家とさようならをしなくてはいけない時間になってしまったようだ。
少し寂しいが、逆に楽しみな気持ちもある。
この人……ユラさんと一緒なら大丈夫そうだし。
☆ ☆ ☆
「さて……着いたぞ。ここが松本屋だ」
「ここが……遊郭……」
遊郭───女性が男性を悦ばす場所。
だけど、男性がいないこの世界では女性が女性を悦ばす場所である。
松本屋はこの遊郭の名前であろう。
「早速で申し訳ないんだが、仕事を与えようと思う。まあ、お前はまだ小さいから夜の仕事はなしだ。代わりに昼の仕事をしてもらう」
「昼の仕事……ですか……」
夜の仕事……まあ、言うまでもないアレである。
だが、昼の仕事とは一体……?
「そうだ。まあ、仕事と言っても雑用ばかりだがな。出来るか?」
雑用……掃除やら洗濯やらだろう。
「はい! できます!」
私が返事をすると、ユラさんは嬉しそうに微笑んだ。
こういう人が自分の相手をしてくれたとしたら大半の人は嬉しく思うだろうな。
「では、頼んだぞ」
そう言うとユラさんは奥にある部屋の方に消えていった。
そう言えばユラさんはどういう仕事をしているのだろうか。
夜の仕事をしているようには見えない。
穢れのない瞳で私を見てくれているのだから。
☆ ☆ ☆
翌朝。
ユラさんの作ってくれた朝食を食べ、早速仕事に取り掛かった。
やってみて気づいたのだが、私は物覚えがいいみたいで、言われた通りにスラスラと仕事を進める事が出来た。
「次は何をすれば、良いですか……?」
「もう出来たの!? 早いねぇ」
用務員のお姉さん(通称:掃除のお姉さん)に教えてもらった通りにやったら褒められた。
(悪くない……)
凄く嬉しくて私はニヤける事を抑えられずに笑ってしまった。
うふふ、可愛いねぇ。と言われ、頭を撫でてくれた。
私は撫でられるのが好きみたいだ。
少々感じてしまうが、撫でてもらう事が癖になりそうだ。
☆ ☆ ☆
それから数ヶ月。
私は一通り仕事が出来るようになっていき、何気ない平穏な日々を過ごしていた。
───それがある時一変する。
いつものように玄関の掃除を終え、戻ろうとした時、ふと振り向くとそこには黒髪黒目の狼耳を持った人が立っていた。
(狼族か……珍しいな。)
狼族は数がとても少ないから凄く珍しい。
それにしても何をしに来たのだろうか。
「ボス……いや、田神という者を見なかったか?」
「田神……です、か……」
田神……そんな名前の人が来ていただろうか。
事務の仕事はあまりした事が無いためわからない。
「───ちょっと調べてみます!」
そう言うと私は事務の人に確認を取りに行った。
だが、何かおかしい。何が……とも言えないが、何となく野生の勘がそう警告していた。
急いで振り返ると黒髪は変わらなかったが、目の色が赤色になっていた。
(もしかして、戦闘個体……!?)
戦闘個体───戦闘に特化した、あらゆる自然現象の一つを操る事が出来る人。
数が非常に少なく、兎族以外にこの個体の人がいるのは非常に珍しい事であった。
ちなみにブランは兎族である。
兎族は全員戦闘個体がいる。
☆ ☆ ☆
そう聞いていたのにこの人がその戦闘個体なのっ……!?
私は驚くばかりだった。
耳を澄ませ、目を閉じて音を聞く。
(やっぱりこの人戦闘個体だ。呼吸音も荒いし、血流も速いし、心拍数も高い……)
人探しだから、多少はそうなるだろうが、私には違いがハッキリと分かる。
なんせ私は耳がとても良い。
良いというレベルではない、もはや人知を超えている。
こんな事をしている場合ではなかった!
私はすぐさま確認を取りに行き、話を聞くとその人がいた場所へと戻る。
「昨日来てたみたいです……」
「本当か!!」
「はい、お相手を……した方?が、来て、証言してくれました」
そうなのだ。
私が事務の人に話を聞いていたら、ちょうど通りかかったみたいで、話してくれた。
なんでも珍しいお客さんだったようで。
☆ ☆ ☆
「なんかねー、髪の毛が凄く短くてねぇ、ほとんど無かったよぉ?あー、それにぃ、突起物があったよぉ。下半身に」
「かっ……かはん、しん……!?」
「そぉ。それにねー、耳が無かったのぉ。不思議だよねぇ」
というやり取りをした後に報告をしたのだが……なんと不思議な人なのだろう。
耳が無く……下半身に謎の突起物……
考えても答えが出るわけではないのは分かっているのだが……どうしても気になってしまう。
そこで、尋ねてきた者に聞こうと思っていたのだが……
「そうか。来ていたのか……すれ違ってしまったのかな……」
そう言うとものすごいスピードで帰ってしまった。
───この中探さなくても良いのかな。
お相手をするのがどうしても夜になってしまうので、その後疲れ果ててお泊まりをする人が大半なのだ。
───まあ、あの人がそれで良いなら良いけど。
冷たく聞こえるかも知れないが、私にはどうしようも出来ないから仕方が無い。
あの人が自力で田神とやらを探してくれるならそれはそれでこっちも楽だからな。
人探し───その程度だったはずの出来事がまさかあんな事になるなんて……
☆ ☆ ☆
ある朝。
いつものように雑巾がけをしていたら、
「大変だよぉ〜!田神ってやつ巷じゃ有名な悪の組織『肉食獣』ってやつのリーダーらしいよぉ!」
先輩花魁の田神の相手をしたあの人(仮にムーさんとしよう)が甲高い声を出しながら走ってきた。
「え……どうしたんですか、先輩。息、きれてますよ?」
そう嘯いたら、
「聞こえてたよねぇ!?もー!」
と、意外といじりがいがある先輩で、何処と無く好きだ。
「で、悪の組織?……田神がどうしたの?」
「やっぱり聞こえてたぁ!……そうみたいなのぉ。それで、尋ねてきた人はぁ、田神の右腕だったらしいよぉ」
ギャグな空気が一変してシリアスな空気になった。
ムーさん先輩は短い猫耳を掻き、紫色のサラサラな髪を整えながら説明してくれた。
どうやらその者達は只者ではないらしかった。
「ハハハ、よく分かったな!淫乱少女共よ!!あの時は充分楽しませてもらった!お前らはもう用済みだな。俺たちの秘密を知ってしまったのだからな!」
───え、えっとー…………
弄ると面白そうなキャラをしているが、私は仲良くなれないタイプの人だ。
とりあえず引いておこう。そうしよう。
と、田神以外の全員が思った事なのだろう。
…というテンプレートが付きそうな───実際付いているであろう空気になった。
「なんか言えよ!!」
そんな空気を破ったのは田神自身だった。
───いや、テメーが悪いんだろ!
と、全員が突っ込んだ。
☆ ☆ ☆
「悪かったね。ボスはこんな奴なんだ」
「酷いね!?俺の右腕!」
毒舌な彼女とそれを悲しむ彼氏にしか見えない。
そんな表現が適切と言おう。
「───で、何しに来たんだ?」
それを見兼ねたユラが口を開いた。
訝しげな表情で睨みつけるようにしていた。
「ハハ……怖いねぇ……」
田神が尻込みするようにユラと距離を取った。
その前に田神を庇うようにして田神の右腕が田神に背を向けるようにして立つ。
「───へぇ。うちのボスを怖がらせるとは、ちょっとはやるじゃんか。でもねぇ……」
「───うちらと張り合おうってのか?」
そう言うと、田神の右腕は前に私が見たあの戦闘態勢を取った。
目が充血したように赤く紅く緋く染まり、あの時は変わらなかった黒髪がピンク色に染まる。
あれが本気で変わった姿では無かったと言うことか。
私もすぐさま戦闘態勢を取る。
白髪が赤髪に、赤目が赤褐色(赤茶色)になる。
そして、私の後ろから突如風が吹いた。
私の使える自然現象が風なのでそれは当然だった。
しかし、相手からも風が吹いている。
考えられることはただ一つ。
───こいつも風使いか。
ギリ……と歯ぎしりをする。歯が折れるぐらいに。
同じ自然現象を使う者は必然的に年上の方が強いと言う。
それも当然であろう。
経験の差がものを言うのだから。
[newpage]
「ぐるるるる……」
低い唸り声が聞こえる。
どっちだろう。あるいは両方かも知れない。
それが分からないほど私は意識が朦朧としていた。
幼さ故にまだ力のコントロールが出来ていないのだ。
───大丈夫。敵味方の区別はつく。
区別が付けば暴れても味方の周辺に被害が及ばないように制御する事が出来るから。
「削除する穴、ディレート・ホール」
「飲み込む穴、スワロー・ホール」
それぞれがそれぞれの攻撃の名前を機械的に口にする。
───その瞬間、空間が消し飛んだ。
その中には2つの影しか無かった。
1つは長いピンク髪に赤目の20歳ぐらいの少女(?)。
その顔には余裕がある。
もう1つは赤髪に赤褐色の目をした6歳の少女(ロリ)。
その顔に余裕は───ない。
高く2つに縛った髪を邪魔そうに片手で目に入ろうとするのを押える。
もう一方の手で相手の攻撃を受け止め、反撃をする。
だが、いくら迎撃やら反撃やらしても、あの余裕のある表情を崩す事は出来なかった。
[newpage]
「なん……で……っ!」
「ハハハ! お前は私に勝つことなんか出来ないんだよ!」
「っ……!!」
ムカつくムカつくムカつくムカつくムカつくムカつくムカつくムカつくムカつくムカつくムカつくムカつくムカつくムカつく……!!
「ア゙ア゙ア゙ア゙ア゙ア゙ア゙ア゙ア゙ア゙ア゙!!!」
「!?!?」
渾身の咆哮と共に袖口から煙管を取り出す。
それがどういう意味か相手は分かっていないようだった。
「───今から禁忌を犯します。どうか許して下さいな」
そう宣言すると、私は煙管を口に咥え、煙管越しに息を吐く。
空間が消し飛び、何もかもが無くなりつつあるこの───宇宙に等しき世界。
宙に放り出され、ある程度身体の自由が利かない場所。
その世界に風が吹く。竜巻だ。
高く2つに結んだ髪がパタパタと激しくはためく。
ぷはぁと、煙管に唾液を付けながら口を離す。
「なっ、何なの!?」
「ぐああ……は、なれ…………」
こうなったらもう手が付けられない。
自分でも何をしているのか、何をやりたいのか分からなくなってきていた。
相手は凄く困惑した表情で私を見ていた。
ダメだ───身体が、言うこと聞かない……
そう諦めかけていた時、ふと誰かが声をかけてくれた。
「ブラン。君はもう頑張らなくていいんだ」
───だ、れ……? もう声も出せなくなっていた。
だけど、どこか懐かしい。
私はこの声を聞いたことがある。
もう、1回だけ……声を…………
───聞きたい。
そう思ったが、意識がだんだんと遠ざかっていく。
目を開けることもままならず、聴覚もほとんどその役割を果たしていない。
だけど……
「もう、休んでいいよ。ブラン」
その声だけはハッキリと聞こえた。
安心したらいつの間にか私は眠りについていた。
☆ ☆ ☆
「────らん。ぶ……らん、ブラン!」
はっと目を覚ました。
そこにはユラと田神と田神の右腕がいた。
ユラは心配そうに見ていて、田神は微妙な顔をしていて、田神の右腕は……私と目を合わせないようにして俯いていた。
「良かった……もう目を覚まさないかと……」
「そりゃそうっしょ。3日も眠ってたんだし?」
「3日……も?」
そんなに意識を失っていたとは……
1日まるまる寝ていた事はあったが、まさか2日も伸びてしまうなんて……
それはごく自然に起こる現象なのだが、その時の私には知る由もなかった。
それよりも……
「悪の……組織、の人、達が……なんで、ここに……いる、の……? それ、に…………泣いて、る……その……人……」
ガラガラ声ではあったが、なんとか声を絞り出し、思ったことを伝える。
指さした相手は田神の右腕だった。
さされた時、一瞬驚いた顔をしていたが、すぐに申し訳なさそうな顔になった。
「だって……お前、あの時『離れろ』って言おうとしてただろ?だから……その……」
「感謝とお詫びがしたいんだろ?正直に言ったらどうだ?」
ユラと右腕はいつの間にか仲良くなっていた。
ユラが右腕に肘をぶつけて、言葉を促す。
それは昔ながらの親友のように思えて……少し羨ましく思った。
「ご、ゴホン……えっと、ありがとう……気にかけてくれて。それと……こんな小さい子に本気出した私が馬鹿らしいわ。ごめん……」
本当に悪の組織なのか……?
多分この場にいる本人達以外は皆そう思っただろう。
私はどうして良いか分からずに───気がつけば泣いていた。
「ブラン! どうしたんだ!?」
ユラが心配そうに聞いてくる。どこか痛いのか、まだ充分に回復してなかったのかなどお姉さんのような……お母さんのようなその温かさに私は堪えきれずに嗚咽を漏らした。
「うっ……ひっく…………あり、がと…………ユラさん」
その時、私は初めて彼女の名前を呼んだ気がする。
ユラさんも驚いた様子で私を見ていた。
だが、それは一瞬の事で、すぐに微笑んだ。
「んで、どうしたんだ? 何かあったのか?」
「あの、ね……右腕……さん、の……『ごめんなさい』……は、凄く、心が……こもって、るな……って……思っ、て………………」
その続きはこれ以上口に出す事が出来なかった。
私は疲れ果てて再び眠りに落ちてしまったからだ。
父と母にも優しさや温かさは感じられたが、ユラや右腕の比ではない。
私は不思議と口角を上げながら眠った。
☆ ☆ ☆
その晩、私は夢を見た。
とても懐かしいような、悲しいような……
ここは、どこ───?
闇に染まっているこの空間に、一匹の動物? のようなシルエットが浮かび上がる。
ここは暗闇のはずなのに、やけにその動物の周りだけくっきりと見える。
ウサギのような長く立った耳に、キツネのような2つの大きな尻尾が生えている。
顔や身体や尻尾には所々縞模様が入っている。
「やぁ、ブラン。やっと会えたね」
「あなたは……誰なの?」
そう問うと、その子はばつが悪そうにしかめっ面をした。
数秒後、腹を括ったのか、覚悟を決めたような表情でこちらを見る。
「僕は……メレンゲ。メスだよ」
「メレンゲ…………」
聞いたことがある気がする。
それに、声も何処と無く懐かしい。
「君の、使い魔さ。訳あって現実世界では姿を見せられない決まりになっていてね……でも、この世界───夢……って言うのかな? ここでは姿を見せれる事が分かったんだ!」
にこやかに微笑む。
その笑顔を私は知っているような気がした。
聞くべきか悩んだが……やはり聞いておきたい。
「ねぇ、あなたと私───どこかで会ったことある……よね?」
そう言うと、メレンゲは俯いてしまった。
それだけは答えられないんだ……と、独り言のように呟く。
「でも! ちゃんと……いつか、話すから……」
───待っててね。
☆ ☆ ☆
翌朝。
目を覚ますとそこにメレンゲの姿は無かった。
記憶があると言うことは、メレンゲは私から記憶を奪わなかったと言うことだろう。
それがどういう意味か分からない程私は馬鹿ではない。
「夢の中で、たくさんお話しようね……」
その様子を扉の前で見ていた影が立ち去る。
その影は、また後でね、と呟いた。
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