祝第一話
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第1話：朧気で白い世界

　水面を漂うような浮遊感があり、真っ暗な視界にも関わらず安心感があった。遠い昔に此の場所で、同じように浮いていたような気がする。
　大いなるモノに抱かれているような安らぎを感じ、目を覚まそうと瞼を開ける。辺りは真っ白で、何モノも存在していないのではないかと思わせる光景が広がっている。
　何故こんな場所に居るのか思い出そうと試みる。しかし、記憶はおろか名前までボヤけてしまって、結局分からなかった。

　此処に来てどれだけ時間が経ったのか分かるはずもなく、白いだけの空間をただ見つめていることしか出来ない。
　ふと自然な動作の中で瞬きをすると、一人の老人が突然目の前に現れた。上から下まで真っ白で、口元が見えない程長い髭を蓄えていてる。
　老人は悲しげな表情をして、申し訳なさそうな視線を向けてくる。記憶が無いせいもあって、何故そんな表情をしているのか分かるはずもなかった。

（この老人はいったい誰なんだろうか）

　そう思った瞬間、老人がゆっくりと口を開いた。

「儂は【輪廻】を司る神じゃ。申し訳ないのぅ……儂の失敗で、其方（そなた）は死んでしもうたんじゃ……」

　死んだ？　私は確かに此処に存在している。魂だとか精神体だとでも言うのだろうか。
　自身の状態を確認するために手に視線を移すと、透けているように見えた。
　どうやら、生きているとは言い難い状態なのは間違いないようだ。

「記憶が混濁しておるようじゃの……無理もない……。今の其方（そなた）は魂のみの存在での、死後直ぐに神々の世界たる【神界】に呼び寄せたのじゃ」

　理解が追いつかず、疑問をぶつけようとしたが声が出ない。
　【魂のみの存在】と言っていたし、それが関係しているのだろうか。　

「その通りじゃ。喋るための器官が無いからの、考える事はできても声は出せないんじゃ。ひとまずこちらに来ておくれ」

　手で示された方には、緑の床と四本脚が生えた茶色い丸い台が置かれている。懐かしいという感情だけは湧いたが、名前が全く出てこない。
　此方だと手招きをされ、ペタペタと足音を鳴らしながら歩いて行き、ストンと着席する。老人は小さく「よっこいせ」と言いながら正面に座った。

「まずは儂の事じゃな……。儂は【輪廻】を司る【神】であり、世界を見下ろす【観測者】の一人じゃ。特別偉いわけではないがの、ある程度の神々を束ねる位置に立っておる」

　この老人が【かみ】という何かだという事だけが分かった。
　【りんね】とか【かんそくしゃ】というのはよく分からないけど、偉い人なのかもしれない。

「いや偉いわけでは……まぁ良いか、直に理解出来るようになるじゃろう。
　其方（そなた）の事を話そうかの……其方（そなた）は【地球】という世界で暮らしておった。名は【七節（ななふし）　綴文（つづみ）】といっての、【料理】を愛する可愛らしい女性じゃった……」

　【ななふしつづみ】と【りょうり】という言葉に、一瞬頭がズキッと痛くなるのを感じた。
　とても大事な言葉なのか、直後にポカポカと温かい感覚がゆっくりと全身に広がっていく。

「そうじゃの……其方（そなた）の魂が【神界】に居られるのにも時間制限があっての。すまないが、少々大雑把な話になるが良いかの？」

　この状況が分かるようになるなら、どんな説明の仕方でも構わない。
　コクコクと頭を上下に振って肯定の意志を示す。

「まず両親じゃが、母君は【栄養士】で父君は世界最高峰の【料理人】じゃった。
　二人から【料理】に関する知識や技術を徹底的に叩き込まれ、それ以上に沢山の愛情を注がれて育っておった」

　【えいようし】と【りょうりにん】という言葉が聞こえた瞬間、男性と女性のイメージが浮かんで消える。見覚えがあるような、とても懐かしい顔。不意に涙が頬を伝う。

「父君の背中を追って包丁を振るい、母君を師と慕いレシピを考えては形にしておった。
　しかし父君は、其方（そなた）が十七を迎えた夏に【心臓の病】で亡くなってしまっての……その後は母君と二人で過ごし、父君の【料理】への愛を受け継ぐように、【料理】の道に励んでおった」

　ズドンと、全身を貫くような衝撃が走った。
　父さんの死、母さんとの生活、料理人への道、砕かれた夢と希望。
　これまでの人生が早送りのように一気に脳裏を駆け抜け、瞬間的に全てを思い出した。

「思い出したようじゃの……。本来なら九十近くまで生きるはずじゃった。其方（そなた）はあの時に死ぬ運命には無かったのじゃ……」

　死んだ状況や、犯人の顔を思い出した。それだけに、神さまが関わっている要素なんて無い事も分かる。
　最初にも言っていたけど、いったいどんな失敗をしたのだろうか。

「大きな料理大会があったのは覚えておるじゃろう。其方（そなた）は他の追随を許さない程の点差で勝利を勝ち取り、母君と食事をするために家路を急いでおったのじゃが……」

　そう、料理大会が終わって直ぐに電話で優勝を知らせた。電話の向こうで自分の事のように喜んでくれて、祝勝会として「食事に行きましょう」と誘われていたのだ。
　既に太陽は傾いており、橙色から夜色に変わろうかという空だった。自宅近くの公園の前を通った時、何かがぶつかる衝撃と共に、背中に熱い物を感じた。
　ドサリと前のめりに倒れ、ぶつかった何かから逃げようとした。しかし願いは叶わず、簡単に追いつかれてしまった。
　強引に仰向けにされ、逃げられないように押さえつけられ、命が尽きるまで何度も何度も刺された。

「其方（そなた）を刺したのは大会の【準優勝者】……。いや、確かに刺したのは彼女じゃが、被害者でもあるんじゃ……」

　加害者だけど被害者、どういう事だろうか。

「儂等神々は、才能の芽が枯れぬよう手助けをする事があっての……。あの時は、彼女のご両親が『敗北をバネに前を向いて歩いてほしい』と願ったんじゃ」

　進む道を応援してくれる、とても優しい両親だったんだろうな。
　そして、その願いを叶える時に失敗を犯した……ということか。

「此れに携わったのは【嫉妬の神】と【前進の神】での。対抗心と前向きな気持ちで叶えようとしたのじゃが……ゴッドノーズがの……」

　ゴッドノウズ……『神のみぞ知る』って意味だったと思う。
　神さまが言うって事は、理由は誰も知らないってことだろうか？　

「その……ゴッドブレスで……」

　お大事に？　意味が分からない、はっきりしてほしい。
　何故回りくどい言い方をするんだろうか。
　神さまなら言うべき事はしっかり言うべきだろう。

「その……二神が【想人の思叶（オモキカノウ）】を授けようとした時に、儂にその……クシャミが舞い降りての……ビックリした【嫉妬の神】が十倍以上の力を飛ばしてしまって……のぅ……」
「なんてことしてくれてんですかああああ！！！」
「ひいいいいいいいいいいいいいいいいいい！
　ごめんなさいいいいいいいいいいいいいいいいいいいい！」
「ってあれ？　喋れるようになってる……」

　何故か突然喋れるようになった。喉に手を当てて視線を落とす。
　あまりにも意味不明な理由で殺されたと知って、覚醒でもしたのだろうか。
　ちらりと神さまの方を見ると、地面に額を当てて啜り泣いている。
　初めて見る土下座が神さまってどうなんだろう。

「つまりアレですか……ただ対抗心を与えるつもりが、超強力な【憎悪】を植え付けてしまったと。前向きに前進できるだけの力が、【殺意】に変わったと」
「そ、その通りでございます……」

　爺さんの鼻（ゴッドノーズ）から放たれた爺さんのクシャミ（ゴッドブレス）が原因で殺され、不運な事にあの子は人殺しになってしまった。怒りを通り越して、もはや溜息しか出てこない。
　深い深い溜息をついた時、【輪廻の神】の両隣に突然何かが現れた。

「あの……儂の右に居る女神が【前進の神】で、左に居る男神が【嫉妬の神】じゃ……」
「この度は誠に申し訳ございませんでした！！！」
「申し訳……ご、ございません……でした……」

　白い空間に謝罪の声が響いた。三人の神さまが並んで土下座をしているのが、なんとも珍妙な光景で複雑な気持ちになる。

「いや……悪いのそこの爺さんだけですよね。お二人に謝っていただく理由はありません。頭を上げて下さい」
「しかし！」

　【前進の神】が顔だけを向けて声を上げるが、静止するように手を突き出して反論を止める。
　こんなの、誰がどう聞いても爺さんだけが悪いでしょ。

「お二人が意図的にそうしたと言うなら止めません。違うのなら、頭を上げてください。声も聞き取り辛いし、私自身喋り辛いです」
「わ、わかった……」

　納得いっていないのか、戸惑ながら上体を上げてくれる。おぉ、どちらも美男美女だ。
　そんな事を考えられるくらい、二人の神さまに対して怒りは無い。

　…………

　その後も爺さんは何度も謝り、二人の神さまが始終ワタワタしていた。
　綴文は簡単に真実を受け入れられるわけもなく、心の整理がつくまでに時間を要した。

（起こった事実は変えられないか……）

　そう考えるよう努め、徐々に落ち着きを取り戻していった。

　そして今、一人と三神でお茶を啜って蜜柑を食べている。ごく最近奉納されたばかりの新茶のようで、とても香ばしくて美味しい。
　それにしても、爺さんの額が物凄く赤くなっている。少し平たくなっているかもしれない。

「さて……其方（そなた）の今後についてを話しておかねばならん。儂の責任じゃ、しっかり面倒をみさせてもらうわい」
「え……？　ここで爺さんに養われるんですか……？　嫌なんですけど……」
「いや違うんじゃが……言葉のトゲが容赦なく突き刺さるのぅ……」
「ではどういう意味ですか？　生き返らせてくれるんですか？」
「うむ、その通りじゃ。と言っても【地球】に生き返らせる事は出来ないのでな、【地球】の創造神の妹が管理する【アノニーム】という世界に転生してもらう事になっておる」

　どうやらその世界は【剣と魔法が存在する世界】という、地球とは真逆な場所のようだ。
　其処は、凶暴な【猛獣】が存在する割と危ない世界なんだとか。

　その世界を作った創造神はかなりの怠け者で、頑張ったのは本当に最初だけだったらしい。
　途中で飽きてからは気分で管理するようになり、そんな怠惰な神に似てしまったのか【食に全く興味関心を示さない】世界が完成してしまったと。

　種族による多少の違いはあるものの、生まれや身分に関わらず【肉は焼くだけ】【野菜や果物は丸かじり】。
　【食】という概念は無く『身体が活動を続けられるように食べ物をお腹に入れる』という、作業に近い形でならあるんだそう。

　【複数の食材を組み合わせる】とか【味を付ける】とか、そういう事を試みる者は未だに現れていない。
　当然【料理】や【味】という認識が無いので、【料理人】という職業も存在しない。

「そんな環境だもんでな……世界最高峰の料理人と謳われた其方（そなた）の父君が亡くなられた時に、【料理】で世界を変えてくれるようお願いをしたんじゃよ」
「父さんに……そうだったんですか……」
「今其方（そなた）が座っている場所に、父君も座っておったんじゃよ」
「此処に……」

　床に視線を落とし、緑の床……畳を手で撫でる。何故自分が呼ばれたのか、そんな事は今は分からない。
　父さんが亡くなってから約一年。同じ場所に座ってたというだけなのに、両親と過ごした日々を思い出す。
　くだらない理由ではあったが、死んでいることは自覚し諦めていた。
　落ち着きを取り戻して気が緩んだのか、フツフツと湧き上がる思いと共に涙も溢れ、子供のように声を出して泣いた。