夜の秋
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「わっ、やっぱり最終日だから人が多いなぁ…」
今季の太陽は暑さばかり意識してしまうが適度に流れる雲がそれを程よく遮って適度な温度へ整えていた。
加えて降り注ぐ光も目を晦まさずに済み出掛けるのに最適な天候だった。
ただしそれは夫婦にだけでなくその他の者達にも同じ事であり目的地へ到着した時には周りは大勢の人々で賑わっていた。
更には赴いた日付がこの催物を実施する最終日で相当する事も拍車をかけていた。
広告用紙で記載されていた開催初日の日付は確認出来ていたのだがなかなか丁度よい天気に恵まれずいざ向かおうと話し合って決めた当日に限ってどちらかへ用事や訪問者が生まれたり現れたりしたので気が付けば最終日となっていたのだ。
もしかしたら此度の催物に参加出来ないのではないかと気落ちから卒倒すらしてしまいそうな神子を見兼ねて大谷が天候も人集りが却々 でも構わず繰り出せばいいと提言してくれた為、今日この日に到った。
「人が多いですから気をつけて下さいね大谷さん。何かありましたら我慢せず直ぐに申して下さい」
「人群れは好まぬが慣れておらぬ訳でない」
規定された区域で開かれた催事場の入り口で確認を取ってくる妻へはっきり言い切ると立ち入りを促される。
「その前に場所の確認を…えっと、古本屋さんはこちら辺みたいですね」
「ぬしの目当てを優先せよ。我は後回しで構わぬ」
「駄目です。今日はここまで歩かれて来てますしそのまま私の方で長くお待たせして脚に負担を掛けられません」
催物の開催側であろう職員が手渡してくれた地図に記載されている出店の情報や配置などを確認する神子を大谷は横目で見つめながら言った。
しかし直ぐ様に首を振り返され考えが決まっていたらしい妻はここへ訪れるきっかけとなった自分の目的は二の次にし己が興を引くだろう古書の店に向かう事となった。
納得が出来なそうな夫の表情に少し口元を緩ませつつ一時地図を仕舞い「行きましょう」と促し返したが歩み出す前にふと考えが浮かぶ。
周りは既に人が沢山居てつい余所見や気を抜けば逸れたり見失ってしまうのではないかと不安が生じる。
それを防ぐには手っ取り早い手段があるものの人の数や場所の所為で実行に移せない。
加えて傍らの大谷を見れば右手に杖を携えていているのは問題無いがもしもの時へ備えて咄嗟に支えられる形を取っていたかった。
催促をしたにも関わらず動きを止める神子に気付き名を呼ぶも何か言いたげな様子だがなかなか答えない。
最初は訝しげな顔付きをしていたが己に対する妻の心配性と言っても過言ではない対応から察した大谷が無言で左腕を差し出せば明るくなった表情で抱き付かん勢いに神子が腕を組んできた。
見るからに鼻唄まで口遊みそうな浮わつく様子へ小さく頭を振ってから一息が溢れるも羽織越しから感じる温度は享受する事にした。
「この本はどうですか大谷さん」
腕を組んだままあちこちに出来た人集りを通り過ぎ地図通りで配置されていた古書の店へ到着した。
二人の他にも品を見ようと数人の客が居るので邪魔にならない様、端の方から並列された古本を手で取り題名や内容へ目を通す。
幾度か読書する夫の隣からどんな本を熟読しているのか見ていた事もあり好みに近いだろう代物を見せてみる。
それを手に取ってざっと表紙を確認すれば現時点で休職中ながらかつて勤務していた大学にて受け持つ精神学関連の書物で年代が異なるものの照査し指標とするのには適していた。
なんだかんだ食い入る様に照覧する大谷の姿へ安堵した神子は他にも夫の目を引く物はないかと再び探し始めた。
しばらくすると当人も御目当てな書物(星に関する物で表題は銀河系と書かれていた)を見つけたらしくやっぱり一緒に来て良かったと実感した。
店員に「この二冊お願いします」と声をかけ勘定も頼もうとしたら取り出した財布を持つ手首に包帯を巻いた手が伸びる。
「まさか妙な謀 りを見せるのではあるまいな」
「そんな大袈裟な…今日は大谷さんにお付き合いして頂いてるんですから、少しは日頃のお礼もさせて下さいよ」
「度が過ぎる心馳せは無用よ」
手の持ち主を見上げればジトッとした目付きでこちらを見据えながら僅かに声も低くして警告の如く発言するので負けじと言い返す。
眼前で始まる夫婦の問答に困惑する店員は支払いの催促を出来ずただ傍観するしかない。
それに気付いた神子は慌てて謝罪し「じゃあこちらの方は私が買いますので大谷さんにはそちらをお願いします」と譲歩すれば眉を潜めたまま不満げで返事すら無かったが大谷も妥協してくれた。
それぞれ勘定を終わらせ二冊とも同じ袋に入れて貰い受け取ろうとすれば横から奪われて今度は神子が不満げで振り返るも大谷はあからさまに顔を背けている。
「そこまで言われるのでしたら見てきますけど…何かありましたら連絡を、」
「我に時間を割く暇があれば早に行け」
目的の一つを終えて次に移ろうとしたが妻は己の身を最優先とし一度休憩へ入ろうと提案してくる。
疲労の欠片も無いのだが確実に耳を貸さない予測が立てられるので黙って人気 の無い日陰を見つけた神子から誘導も受け配置されていた長椅子へ腰を下ろした。
季節の事もあり何か水物を買って来るか尋ねられ再び必要ないと答え早く今回一番の目的へ向かえと急き立てた。
一人で大丈夫なのかと問われるが野鳥関連の事となると目の色が変わり熱の余り周りが見えなくなるだろうと言及され自覚のある妻はギクリと肩を震わせていた。
邪魔になるから(即邪魔には絶対ならないと否定したが)一人で行く様に答えられ大谷なりの気遣いも察せられる神子は根底に潜む願望もあり素直にそれを受け入れる事にした。
「大谷さんお一人で本当に大丈夫かな。もしもの時はこっちからも電話かけよう」
楽しみと思う半面後ろ髪を引かれる感覚も存在するのである程度歩んでからチラッと振り返れば右手で杖を着いたまま左手をひらひらと振り返してさっさと行けと言わんばかりな夫の姿が見えた。
杞憂だろうが心配で仕方ないものの一応は予定通りの流れを取れたので一人でにふぅと一息溢した。
自宅の屋敷から現在地の催事場へは散歩がてらの往復をする程度なら問題ない距離だった。
しかし到着してから休憩を挟むにしても歩き回る事を考えると大谷の身を案じる余り安易に動くのは控えた方がいいかも知れないと思い至った。
現夫は療養中と言え体調も良好で自ら立ち上がり歩行する事も可能にまで回復している。
しかしまだ万全と言い切れず長時間の立ち通しや行歩となれば痺れが生じてしまう為遠出等の際、神子は一瞬たりとも気を緩める訳にはいかなかった。
屋敷内や中庭その周辺程度ならば不用だが外出時となると杖は常に携える必要があり場合によって車椅子が欠かせない時もある。
初めて出会った当初にて大谷からこれでも恢復し癒えた方だと聞いた記憶が神子には強く残っていた。
故に到着して一番に古本屋を目指した理由は手早く夫の件を済ませ休息を取って貰う為だったのだ。
そうすればまだ疲労を感じる前に脚を休ませる事も出来るし自分がめぼしい物を探しへ出ている間に待ちくたびれても購買した書を読んで暇潰しも可能であると踏んだからだ。
「でも曇り気味だからって長居は出来ないな…なるべく早く済ませないと」
早歩きしながら下げている鞄を肩に掛け直しながら目的地へと向かう。
催事場の入り口で貰った地図は人数分だったので一枚は大谷の手元へ残し片割れの方は今まさに目を通している真っ最中。
本日足を運ぶ理由となった野鳥関連の店へ向かおうと行き交う人の群れに気をつけながら前を進む。
時折に周りをキョロキョロと見回し忙しないが賑やかな光景を眺めて楽しんでいると不意に視界が眩しく感じる。
一度目を閉じて頭を小さく振り気を取り直して顔を向けると装身具の小店があった。
そこに展示された代物が雲の隙間から僅かに注いだ日差しで反射したのだろう。
なんとなく気になった神子はその店へと立ち寄ってみる事にした。
女性が開いている装飾品と装身具の小店はどちらも手作りの様でそれなりに賑わっていた。
唯一出来ていた人同士の隙間へ邪魔にならない様気をつけて入り並べられたアクセサリーを物色する。
「あっ、コレかわいいな」
不意に目が止まったのは鮮やかな色合いと形の数珠玉(巷ではビーズと呼ばれる)で作製されたブレスレット。
無自覚ながら口に出ていたらしく聞こえていたのか店主思しき女性がありがとうございますと笑顔で応えるので不意打ちを受けた神子は恥ずかしそうながらもどうにか笑い返す。
するとブレスレットを差し出して「どうぞ良かったらじっくり見ていって下さい」と付け加えてくるので親切心から断りきれなかった。
両手で受け取ってから少し顔へ近付けまじまじと見つめてみれば桃色や黒色の数珠玉がやけに映えて心も惹かれる。
装身具が皆無と言う訳ではないが精々ブローチ位なのでたまにはその類を増やしてみようと決めた。
自分は勿論の事、夫とお揃いにでもしようかと考えたが大谷は時折にお守りと称す赤い紐で通した数珠繋ぎの玉を両手首へ着けている姿も見せていたので余計かも知れないと取りやめた。
そもそもブレスレットのデザインやそれを求める者達が女性の時点で相違なのだが(なお数は少ないが男性向けの品物があったのに気付いたのは購入後の事である)
「色的に市ちゃんが似合いそう…もう一つ分あるみたいだし、お揃いにしようっ!」
衝動買いに近いかも知れないが色や形のデザインが好ましいので購買を決意する。
仕事仲間且つ親友の存在を浮かべればぴったりだと思い何気なく立ち寄ったお店だが良かったと早くも上機嫌になった。
ふと仕事仲間となれば更に二人の存在も思い出し(そうだ!いっその事、孫一ちゃんと鶴ちゃんの分も買ってみんなでお揃いにしちゃおう!)と考えが重なる神子は「すいません。このブレスレット、同じデザインのはもう二つありますか」と尋ねてみた。
「申し訳ありませんそちらの物はもう二つしかなくて…色は異なりますが同じ形のビーズで作った物でしたらご用意出来ます」
「そうなんですか…じゃあ構わないのでひとまず四つ下さい」
「ありがとうございますっ!ご希望にお答え出来ずすみません」
最初は自製した品物を購入してくれる感謝を示してくれたが直ぐに謝罪を顔色にまで出しながら返答されたので残念とは思いつつ納得して頷く。
色は異なれど素材の数珠玉や形が一緒ならば完全とは言い切れずともお揃いと思えればそれでいいので構わず勘定を頼んだ。
もしもの時はブレスレット同士を交換してみてもいいかも知れないと楽しみが止まらなくなった神子は可愛らしい小さな包装紙に詰められたそれを鞄へ仕舞った。
お互いに礼を言い合ってその場から離れようとした時、何かが視界に入る。
「あら、コレって財布じゃない。誰か落としちゃったのかな」
白いシーツを被せ展示品を載せる長テーブル下に黒い何かが落ちており手を伸ばして拾い上げればそれは革製の財布だった。
手始めに店主の女性へ確認してみたが自分のではないと首を振って返されどうすべきかと悩んだが持ち主は困っているだろうと思考しこのまま放置出来る物でもないので落とし物として届ける事にした。
地図で探しつつ「落とし物を届ける場所ってありますか」と聞いてみれば「嗚呼それならここの通りを真っ直ぐ歩いて行けば本部があるのでそこへ渡せばいいですよ」と女性店主が教えてくれたので改めて礼を言って歩き出す。
「あっ!その財布は…」
「もしかして落とされた方ですか?」
しばし財布を手に持ったまま今回の催物を開催している本部へ向かおうと歩んでいたら突如前方から大きめな声も出しながらこちらへ走って来る一人の男性。
「はい…代金を払おうとしたらポケットに無くて。中に免許証もあるので確認して貰ってもいいですか」
「確認、ですか?…でも念の為にやっておいた方がいいですもんね」
大焦りだったのか息を切らしながら説明する相手から頼まれ神子は失礼しますと一言掛けてから財布を開いて言われた通りに免許証と男性を見比べて確認を取った。
ついでに名前も照らし合わせて中身の金額も男性曰く、ちょうどお金を下ろしぴったりにしていたので覚えていたらしくそれも併せてから漸く持ち主へ手渡す。
「ありがとうございますっ…!本当に助かりました。もしもご親切な貴方以外の人が拾っていたかと思うと…」
「いえいえ、無事に渡せて良かったです。今度から落とさない様気を付けて下さいね!」
何度も頭を下げ続けるのでそこまでされる謂われは無い神子が手を上げながら静止し笑みも含めて返せば男性は一瞬ばかり見惚 れたかの様に固まり俯いた。
「あの、お礼の代わりと言ってはなんですが、お茶をご馳走させて…貰えませんか」
「ごめんなさい、私ちょっと先をいそがなくてはならなくて…お気持ちだけ受け取っておきます」
顔を薄く赤色に染めながら男性が控えめで誘いを切り出すも申し訳なさそうにやんわりと詫びてから神子は早足でその場から離れた。
今一番に意識が向けられる野鳥関連の店と待たせてしまっている大谷の事で頭が一杯な彼女は遠くからも注がれたままな視線すら気にも留めなかった
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今季の太陽は暑さばかり意識してしまうが適度に流れる雲がそれを程よく遮って適度な温度へ整えていた。
加えて降り注ぐ光も目を晦まさずに済み出掛けるのに最適な天候だった。
ただしそれは夫婦にだけでなくその他の者達にも同じ事であり目的地へ到着した時には周りは大勢の人々で賑わっていた。
更には赴いた日付がこの催物を実施する最終日で相当する事も拍車をかけていた。
広告用紙で記載されていた開催初日の日付は確認出来ていたのだがなかなか丁度よい天気に恵まれずいざ向かおうと話し合って決めた当日に限ってどちらかへ用事や訪問者が生まれたり現れたりしたので気が付けば最終日となっていたのだ。
もしかしたら此度の催物に参加出来ないのではないかと気落ちから卒倒すらしてしまいそうな神子を見兼ねて大谷が天候も人集りが
「人が多いですから気をつけて下さいね大谷さん。何かありましたら我慢せず直ぐに申して下さい」
「人群れは好まぬが慣れておらぬ訳でない」
規定された区域で開かれた催事場の入り口で確認を取ってくる妻へはっきり言い切ると立ち入りを促される。
「その前に場所の確認を…えっと、古本屋さんはこちら辺みたいですね」
「ぬしの目当てを優先せよ。我は後回しで構わぬ」
「駄目です。今日はここまで歩かれて来てますしそのまま私の方で長くお待たせして脚に負担を掛けられません」
催物の開催側であろう職員が手渡してくれた地図に記載されている出店の情報や配置などを確認する神子を大谷は横目で見つめながら言った。
しかし直ぐ様に首を振り返され考えが決まっていたらしい妻はここへ訪れるきっかけとなった自分の目的は二の次にし己が興を引くだろう古書の店に向かう事となった。
納得が出来なそうな夫の表情に少し口元を緩ませつつ一時地図を仕舞い「行きましょう」と促し返したが歩み出す前にふと考えが浮かぶ。
周りは既に人が沢山居てつい余所見や気を抜けば逸れたり見失ってしまうのではないかと不安が生じる。
それを防ぐには手っ取り早い手段があるものの人の数や場所の所為で実行に移せない。
加えて傍らの大谷を見れば右手に杖を携えていているのは問題無いがもしもの時へ備えて咄嗟に支えられる形を取っていたかった。
催促をしたにも関わらず動きを止める神子に気付き名を呼ぶも何か言いたげな様子だがなかなか答えない。
最初は訝しげな顔付きをしていたが己に対する妻の心配性と言っても過言ではない対応から察した大谷が無言で左腕を差し出せば明るくなった表情で抱き付かん勢いに神子が腕を組んできた。
見るからに鼻唄まで口遊みそうな浮わつく様子へ小さく頭を振ってから一息が溢れるも羽織越しから感じる温度は享受する事にした。
「この本はどうですか大谷さん」
腕を組んだままあちこちに出来た人集りを通り過ぎ地図通りで配置されていた古書の店へ到着した。
二人の他にも品を見ようと数人の客が居るので邪魔にならない様、端の方から並列された古本を手で取り題名や内容へ目を通す。
幾度か読書する夫の隣からどんな本を熟読しているのか見ていた事もあり好みに近いだろう代物を見せてみる。
それを手に取ってざっと表紙を確認すれば現時点で休職中ながらかつて勤務していた大学にて受け持つ精神学関連の書物で年代が異なるものの照査し指標とするのには適していた。
なんだかんだ食い入る様に照覧する大谷の姿へ安堵した神子は他にも夫の目を引く物はないかと再び探し始めた。
しばらくすると当人も御目当てな書物(星に関する物で表題は銀河系と書かれていた)を見つけたらしくやっぱり一緒に来て良かったと実感した。
店員に「この二冊お願いします」と声をかけ勘定も頼もうとしたら取り出した財布を持つ手首に包帯を巻いた手が伸びる。
「まさか妙な
「そんな大袈裟な…今日は大谷さんにお付き合いして頂いてるんですから、少しは日頃のお礼もさせて下さいよ」
「度が過ぎる心馳せは無用よ」
手の持ち主を見上げればジトッとした目付きでこちらを見据えながら僅かに声も低くして警告の如く発言するので負けじと言い返す。
眼前で始まる夫婦の問答に困惑する店員は支払いの催促を出来ずただ傍観するしかない。
それに気付いた神子は慌てて謝罪し「じゃあこちらの方は私が買いますので大谷さんにはそちらをお願いします」と譲歩すれば眉を潜めたまま不満げで返事すら無かったが大谷も妥協してくれた。
それぞれ勘定を終わらせ二冊とも同じ袋に入れて貰い受け取ろうとすれば横から奪われて今度は神子が不満げで振り返るも大谷はあからさまに顔を背けている。
「そこまで言われるのでしたら見てきますけど…何かありましたら連絡を、」
「我に時間を割く暇があれば早に行け」
目的の一つを終えて次に移ろうとしたが妻は己の身を最優先とし一度休憩へ入ろうと提案してくる。
疲労の欠片も無いのだが確実に耳を貸さない予測が立てられるので黙って
季節の事もあり何か水物を買って来るか尋ねられ再び必要ないと答え早く今回一番の目的へ向かえと急き立てた。
一人で大丈夫なのかと問われるが野鳥関連の事となると目の色が変わり熱の余り周りが見えなくなるだろうと言及され自覚のある妻はギクリと肩を震わせていた。
邪魔になるから(即邪魔には絶対ならないと否定したが)一人で行く様に答えられ大谷なりの気遣いも察せられる神子は根底に潜む願望もあり素直にそれを受け入れる事にした。
「大谷さんお一人で本当に大丈夫かな。もしもの時はこっちからも電話かけよう」
楽しみと思う半面後ろ髪を引かれる感覚も存在するのである程度歩んでからチラッと振り返れば右手で杖を着いたまま左手をひらひらと振り返してさっさと行けと言わんばかりな夫の姿が見えた。
杞憂だろうが心配で仕方ないものの一応は予定通りの流れを取れたので一人でにふぅと一息溢した。
自宅の屋敷から現在地の催事場へは散歩がてらの往復をする程度なら問題ない距離だった。
しかし到着してから休憩を挟むにしても歩き回る事を考えると大谷の身を案じる余り安易に動くのは控えた方がいいかも知れないと思い至った。
現夫は療養中と言え体調も良好で自ら立ち上がり歩行する事も可能にまで回復している。
しかしまだ万全と言い切れず長時間の立ち通しや行歩となれば痺れが生じてしまう為遠出等の際、神子は一瞬たりとも気を緩める訳にはいかなかった。
屋敷内や中庭その周辺程度ならば不用だが外出時となると杖は常に携える必要があり場合によって車椅子が欠かせない時もある。
初めて出会った当初にて大谷からこれでも恢復し癒えた方だと聞いた記憶が神子には強く残っていた。
故に到着して一番に古本屋を目指した理由は手早く夫の件を済ませ休息を取って貰う為だったのだ。
そうすればまだ疲労を感じる前に脚を休ませる事も出来るし自分がめぼしい物を探しへ出ている間に待ちくたびれても購買した書を読んで暇潰しも可能であると踏んだからだ。
「でも曇り気味だからって長居は出来ないな…なるべく早く済ませないと」
早歩きしながら下げている鞄を肩に掛け直しながら目的地へと向かう。
催事場の入り口で貰った地図は人数分だったので一枚は大谷の手元へ残し片割れの方は今まさに目を通している真っ最中。
本日足を運ぶ理由となった野鳥関連の店へ向かおうと行き交う人の群れに気をつけながら前を進む。
時折に周りをキョロキョロと見回し忙しないが賑やかな光景を眺めて楽しんでいると不意に視界が眩しく感じる。
一度目を閉じて頭を小さく振り気を取り直して顔を向けると装身具の小店があった。
そこに展示された代物が雲の隙間から僅かに注いだ日差しで反射したのだろう。
なんとなく気になった神子はその店へと立ち寄ってみる事にした。
女性が開いている装飾品と装身具の小店はどちらも手作りの様でそれなりに賑わっていた。
唯一出来ていた人同士の隙間へ邪魔にならない様気をつけて入り並べられたアクセサリーを物色する。
「あっ、コレかわいいな」
不意に目が止まったのは鮮やかな色合いと形の数珠玉(巷ではビーズと呼ばれる)で作製されたブレスレット。
無自覚ながら口に出ていたらしく聞こえていたのか店主思しき女性がありがとうございますと笑顔で応えるので不意打ちを受けた神子は恥ずかしそうながらもどうにか笑い返す。
するとブレスレットを差し出して「どうぞ良かったらじっくり見ていって下さい」と付け加えてくるので親切心から断りきれなかった。
両手で受け取ってから少し顔へ近付けまじまじと見つめてみれば桃色や黒色の数珠玉がやけに映えて心も惹かれる。
装身具が皆無と言う訳ではないが精々ブローチ位なのでたまにはその類を増やしてみようと決めた。
自分は勿論の事、夫とお揃いにでもしようかと考えたが大谷は時折にお守りと称す赤い紐で通した数珠繋ぎの玉を両手首へ着けている姿も見せていたので余計かも知れないと取りやめた。
そもそもブレスレットのデザインやそれを求める者達が女性の時点で相違なのだが(なお数は少ないが男性向けの品物があったのに気付いたのは購入後の事である)
「色的に市ちゃんが似合いそう…もう一つ分あるみたいだし、お揃いにしようっ!」
衝動買いに近いかも知れないが色や形のデザインが好ましいので購買を決意する。
仕事仲間且つ親友の存在を浮かべればぴったりだと思い何気なく立ち寄ったお店だが良かったと早くも上機嫌になった。
ふと仕事仲間となれば更に二人の存在も思い出し(そうだ!いっその事、孫一ちゃんと鶴ちゃんの分も買ってみんなでお揃いにしちゃおう!)と考えが重なる神子は「すいません。このブレスレット、同じデザインのはもう二つありますか」と尋ねてみた。
「申し訳ありませんそちらの物はもう二つしかなくて…色は異なりますが同じ形のビーズで作った物でしたらご用意出来ます」
「そうなんですか…じゃあ構わないのでひとまず四つ下さい」
「ありがとうございますっ!ご希望にお答え出来ずすみません」
最初は自製した品物を購入してくれる感謝を示してくれたが直ぐに謝罪を顔色にまで出しながら返答されたので残念とは思いつつ納得して頷く。
色は異なれど素材の数珠玉や形が一緒ならば完全とは言い切れずともお揃いと思えればそれでいいので構わず勘定を頼んだ。
もしもの時はブレスレット同士を交換してみてもいいかも知れないと楽しみが止まらなくなった神子は可愛らしい小さな包装紙に詰められたそれを鞄へ仕舞った。
お互いに礼を言い合ってその場から離れようとした時、何かが視界に入る。
「あら、コレって財布じゃない。誰か落としちゃったのかな」
白いシーツを被せ展示品を載せる長テーブル下に黒い何かが落ちており手を伸ばして拾い上げればそれは革製の財布だった。
手始めに店主の女性へ確認してみたが自分のではないと首を振って返されどうすべきかと悩んだが持ち主は困っているだろうと思考しこのまま放置出来る物でもないので落とし物として届ける事にした。
地図で探しつつ「落とし物を届ける場所ってありますか」と聞いてみれば「嗚呼それならここの通りを真っ直ぐ歩いて行けば本部があるのでそこへ渡せばいいですよ」と女性店主が教えてくれたので改めて礼を言って歩き出す。
「あっ!その財布は…」
「もしかして落とされた方ですか?」
しばし財布を手に持ったまま今回の催物を開催している本部へ向かおうと歩んでいたら突如前方から大きめな声も出しながらこちらへ走って来る一人の男性。
「はい…代金を払おうとしたらポケットに無くて。中に免許証もあるので確認して貰ってもいいですか」
「確認、ですか?…でも念の為にやっておいた方がいいですもんね」
大焦りだったのか息を切らしながら説明する相手から頼まれ神子は失礼しますと一言掛けてから財布を開いて言われた通りに免許証と男性を見比べて確認を取った。
ついでに名前も照らし合わせて中身の金額も男性曰く、ちょうどお金を下ろしぴったりにしていたので覚えていたらしくそれも併せてから漸く持ち主へ手渡す。
「ありがとうございますっ…!本当に助かりました。もしもご親切な貴方以外の人が拾っていたかと思うと…」
「いえいえ、無事に渡せて良かったです。今度から落とさない様気を付けて下さいね!」
何度も頭を下げ続けるのでそこまでされる謂われは無い神子が手を上げながら静止し笑みも含めて返せば男性は一瞬ばかり
「あの、お礼の代わりと言ってはなんですが、お茶をご馳走させて…貰えませんか」
「ごめんなさい、私ちょっと先をいそがなくてはならなくて…お気持ちだけ受け取っておきます」
顔を薄く赤色に染めながら男性が控えめで誘いを切り出すも申し訳なさそうにやんわりと詫びてから神子は早足でその場から離れた。
今一番に意識が向けられる野鳥関連の店と待たせてしまっている大谷の事で頭が一杯な彼女は遠くからも注がれたままな視線すら気にも留めなかった
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