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その少年は、ある日この船にやってきた。
「グララララ…!こいつァ新しい息子だ…!」
なんてオヤジが言うものだから、単純に家族が増えたと思っていたらこれがとんだ暴れ馬だった。
目が覚めるや否やオヤジの首を取ろうとし、叩きのめされ、すぐさまベッドに戻る羽目になっているのを見た時は、またとんでもないの連れてきたもんだなと思ったものだ。
とはいえオヤジはすぐそういうヤツを拾ってきてしまうので、ナース達の手に負えないような暴れん坊の面倒のお鉢が自分に回ってくるのはよくあることで。
最初こそ触るなやら敵の温情は受けねェやらやかましく騒いでいたけれど、段々静かに手当てを受けてくれるようになり、50回目くらいの手当ての時だろうか。ありがとう、と初めて言われたのは。
照れたように目を逸らす様がなんだか可愛くて、なんというかこう、野良犬に懐かれたような?嬉しさを感じたことを覚えている。
「…お前も、白髭をオヤジって呼ぶんだな」
「え?うん、そりゃわたしの大切な父親だし」
バタン、と救急箱を閉じて棚に片付け、エースに目をやると、何かを考えているような様子だった。オヤジについてだろうか。
「…懐が、あったかい人だよ」
「それは…なんとなく、わかった」
「…こわい?」
聞くと、何を聞かれているのかわからない、というような表情で見上げられる。エースは座っていて、わたしは立っているので、目線はわたしの方が上だ。
「なんていうか、うーん。…オヤジは家族のことは、絶対裏切らないよ」
「…」
「まぁ乗りかかった船だし、もうちょっといてみたら?船だけに。」
軽口を言うのはまだ早かったようだ、エースの表情は依然曇ったままである。何事もなかったかのように言葉を続ける。
「人との出会いが、人生変えることってあると思うんだけど。君も、ここにいたらきっとわかるよ。生きるのがしんどい人には、特にオススメ」
エースが弾かれたように顔を上げ視線を向けた。
何となく口を出た言葉だったが、いい具合に彼の核心をついてたのだろうか。まぁオヤジが拾ってくるヤツは大体訳ありだからな。
「……エース」
「ん?」
「エースだ、名前」
「あ、うんエース。知ってるよ、ちゃんと」
「…お前は?名前」
「い、今更?!…名前と言います、よろしくね」
手を差し出すと、ゆっくり握って、ぎこちなく笑った。初めて笑顔を見たこの日から、エースはゆっくりと、わたしたちの家族になっていった。
それからというもの、エースの快進撃は凄まじかった。どの戦地でも先陣を切って突っ込み盛大に大暴れして、猛スピードで勝利を積み重ねていった。
そしてあっという間に二番隊隊長に昇りつめると、それはもう男にも女にも大モテで、島に着くと夜は絶対帰ってこないしナースの子が私服で部屋に入っていくところも何回も見かけた。最初こそ恋人なのかと思ったが、そういう訳でもないらしい。エースに本気で好意を寄せる女は抱かないのだと、ナースたちに教えてもらった。それはそれで硬派…なのかな。どうだろう。
それでも怪我をすると、ナースや船医のところではなく、毎回わたしのところにやってきた。
「なにその怪我!なんで?!」
「しくった」
「いやこれわたしじゃ無理、船医室いこう」
「包帯巻いてくれれば治る」
「ンなわけあるか!」
そんなふうにエースを船医室まで引きずっていくことも度々あった。最初からそっち行けばいいのに、何故か一番にわたしのところに来るのだ。
それでも嫌な気はしなかった。
手当てを終えてわたしのベッドでそのまま寝ているところを見ていると、決して人に慣れない獣を手懐けたようで、自然に笑みがこぼれた。その髪を撫でてみると、硬めの癖っ毛で、本当に獣みたい、と思ったものだ。
その日もエースはちょっとした怪我をして、わたしの部屋を訪ねてきていた。
「火のはずなのに…怪我しすぎじゃない?」
「いや、アイツら海水かけてきやがって、咄嗟に避けられなくてさ。ったく頭使ってきやがって…」
いつもようにベッドに腰掛け、手当てを受けながらブツブツと文句を言う様子は、なんだかんだ楽しそうで。純粋に戦闘が好きなのだろう。
彼の腕にクルクルと包帯を巻いていると、その様子をジッと見られていることに気づいた。そんなに見られるとどうにも落ち着かない。
「…何か?」
「いや、細長くて、綺麗な指だなと思って」
「…どうも」
あなたが日頃相手にしてる女性たちのほうがよっぽど綺麗な指をしてると思うけどな、と思ったけど口には出さなかった。こちとら戦闘要員なので、傷もあればネイルもしてない。
「はい、終わり」
そう言って包帯を巻き終わった腕から手を離そうとすると、咄嗟にその手を彼に捉えられ、長い指が絡められた。
「な」
に、と言うまえに唇が塞がれる。
エースの黒い双眸がほぼゼロ距離で見え、状況が全く見えなくて、ただ驚きで目を見開いた。
数秒で唇は離れたが、頭が真っ白で何と言うべきか何にも言葉が出てこない。相当に間抜けな顔をしてたかもしれない。
エースに視線を向けると、不貞腐れたような顔をして目を逸らされた。いやなんでそっちが?
「…謝らねェぞ」
第一声がこれである。全くもって話が見えない。
「俺以外の男と楽しそうにして」
「…なんの話」
「最近マルコとばっか一緒にいるし」
「仕事だわ」
「…昨日はイゾウと遅くまで2人で飲んでたし」
「…」
いや君もナースの子と腕組んで宴からいなくなったじゃん。
というかその後のことなのになんで知ってるんだろう。
「オレが言いたいのは、つまり、」
「…」
「あー、名前は、」
「…」
「警戒心が足りねェんだよ!」
「…は?」
「じゃなくて、」
「…う、うん」
支離滅裂にも程があるが、不思議なもので、一生懸命何かを伝えようとしている様子は可愛くもあり。ついつい意地悪を言いたくなるのをぐっとこらえた。
「名前が、好き、なんだと思う…たぶん」
そんな不確定要素の多い告白ある?
という気持ちが顔に出ていたらしく、エースが慌てて言葉を続けた。
「俺も、こんなの初めてで、わかんねェ。
けど、名前といると嬉しいし、いねェと苦しい。お前が他の奴といるのは嫌だ。」
「もっと一緒にいてェし、なんなら隊もうちに移ってほしい。」
「もっと触りたい…」
最後の言葉は尻すぼみになり、それきりエースは俯いたまま。つい昨晩別の女と寝てたヤツが一体なにを、と普段なら突っ込むところだが、その必死さやしょげた様子が可愛いな、と思えてしまった。
「…えーと、すごい、びっくりした。…けど、」
そんなそぶり全然なかったのに、なんで、いつから?ナースの子たちの方がよっぽど綺麗で可愛いのに。なにゆえわたし?
頭の中は何故ナニでいっぱいだったけど、ゴチャゴチャと理由を考えるのをやめて一つ深呼吸してみたら、体が自然に動いて、エースの頭をギュッと抱きしめていた。
胸の中で、エースが苦しそうにつぶやく。
「な、名前…」
おっと、と腕を緩めて顔を覗き込んだ。真っ赤だ。
ここ数ヶ月で身長もぐんと伸びて、自分よりずっと大きくなってしまったその少年が、どうしても可愛く思えて仕方がなかった。
「…けど、今、エースのことすごく可愛い。抱きしめたい。」
欲望のままにもう一度頭をギュッとする。髪の毛からお日様の匂いがして、頬を押し付けた。こういう気持ちが愛おしいというものなんだろうか。
エースがまた苦しそうに何やら喋っているので、またやってしまったとその顔を離すと。
エースの熱い眼差しがわたしに向けられる。
先ほどの少年のような目もかわいかったけれど、今は打って変わって大人の男のような、欲情を讃えた瞳をしていて。
「エ、エース…」
「名前、」
ちょっと待って展開が早い、と言う間もなくベッドに組み敷かれたかと思うと、抵抗する間も無くエースの舌が口内に滑り込んできて、頭がくらくらと痺れた。
恋が初めて、なんて初心なことを言ってはいたが、その行為自体は手慣れたもので。
その日わたしはまんまといただかれてしまった。
翌日の夜には何故か宴が開かれ、何のお祝いかと思ったらエースの恋愛成就祝いときたもんだ。
そうしてわたしたちの関係は、モビーディック号の乗員全員が知るところとなった。
一緒に食事をしたり、背中を預けて戦ったり、島に寄ればデートなんかをしてみたり。
普通とはおよそかけ離れた2人ではあったけど、その日々は、普通の恋人同士だったように思う。
いつからだろう、エースがつらそうな顔をするようになったのは。
何で、どうして?
わからなくて、聞いても答えてくれない彼を、どんな貴方でもただ受け入れたいのだという気持ちで抱き締めてみれば、エースはもっと泣きそうな顔をした。
エースの心には、隙間があって、
彼はそれを埋めたいのだろう。
いつだったか彼が話してくれた、出生の秘密。
驚きはしたけど、わたしにとっては大したことじゃなかった。エースがエースであるルーツの一つというだけ。わたしの実の親だって大したものじゃないし。
別に誰が親でも、今のエースがここにいて、自分と出会えたのだからそれでいい。
このまま二人、ずっと一緒にいられるのならそれで。
でも、ダメだったみたいだ。
時折り垣間見せる、彼の心の闇。
そういう時は、わたしをひどく抱いて、敵船の上にはたくさんの屍を積みあげた。仲間には無理して笑って。
わたしと関係を持ち始めてからは控えていた女性関係も、いつしかまた始まったようだった。
どうしたら彼を楽にしてあげられるのか、わたしにはわからなかった。モビーディック号のみんなは家族だ。なによりも大切であることは間違いない。
それでも、わたしには愛し方もよくわからない。何でも許して受け入れるのは、果たして本当に愛なのだろうか。わたしはエースを、ちゃんと愛せているのだろうか。
どうしたら彼の心を満たせるのか、考えても考えてもわからなくて。女性モノの香りをさせて帰ってくるエースに、ただおかえり、としか言えないくらいわたしの心は弱くて。
そして時は流れて、今。
エースは今夜も島に降りている。
いつからだろうか、島に降りたときの帰船時間が段々と遅くなり、今ではもう平気な顔で朝帰りだ。
彼がその中のどこかにいるであろう街の明かりを眺めながら、甲板の手すりに寄りかかり、瓶のままの酒を煽った。
「…よォ」
突然の声に顔を向けると、マルコ隊長の姿があった。
「飲み過ぎじゃねェのかよい」
「…明日は非番なので、大丈夫です」
「エースはまた島か?」
「あ、そう、みたいです…」
マルコ隊長は後ろ首に手を当て、ハァ、と溜息をつくと、アイツなぁ、と苦虫を潰したような顔でつぶやいた。わたしのことを気にしての発言だろう。
「あ、いいんです、それは…。いやよくはないけど。でも、それより、エースがまた、しんどそうかなと思って…」
街に出て気が紛れるならそれでいいし、その中で出会うたくさんの人の中に、もしかしたら運命の人がいるかもしれない。そうしたら、時折り見せるあの真っ暗闇みたいな目をすることもなくなるかもしれない。
きっとわたしでは初めから、ダメだったのだと思う。つらそうな顔ばかり。彼は、太陽みたいな笑顔の方が似合うのに。
ポツリポツリと話すと、マルコ隊長は黙って聞いていてくれた。恥ずかしげも無く語ってしまったのは、アルコールのせいかもしれない。
でもそれはずっと思っていた、誰かに話したかった、本音でもあって。
「…エースに運命の相手がいるなら、名前だと思うけどねい」
「はは、まさか」
であればとんだ役不足だ。
わたしが運命の相手なら、きっと彼は一生満たされることのないまま。
「お前らは、似た者同士に見えるよい、…俺にはな」
「…」
「…お前は、もっと自分のことも大事にしろよい」
「…」
「エースにもたまにゃあ一発くらわせてやりゃいいだろぃ」
「…はは、」
気を遣って笑わせてくれたのだな、と思うと、目頭が熱くなった。思わず一粒こぼれ落ちたと思ったら、次から次へと雫が落ちてきた。慌てて腕で拭ったが、半袖だから拭く布もないし、なかなか処理が追いつかない。
アワアワしていると、隣から静かな声が降ってきた。
「…何も見てないよい」
「…ありがとうございます」
街を眺めながら静かにただ隣にいてくれるマルコ隊長が温かくて、また涙が出た。
「…名前」
その声に振り向くと、ちょうど帰船したらしいエースが呆然と立っていた。今日は早かったんだな、と思って声をかける間もなく、エースの額に青筋がたつ。
「マルコてめェ、名前に何した」
言いながら、ゆっくりこちらに向かってくるエースの、圧が強すぎて倒れそうだ。肌がビリビリする気さえする。
「何にもしてねェよい」
「…泣いてるじゃねェか」
一歩一歩、近づいてくるほどに圧が強くなる。
こんなに怒ってるところを見たのはいつぶりだろう。初めてかもしれない。しかし隣に立つマルコ隊長はそんなこと意にも介さず、ハァと溜息をついた。
「…何かしたとしたら、お前だろぃ」
エースは目を細めると、バツが悪そうに眼を逸らし、しばしの沈黙の後、わたしの手を取り船内に向かって足速に歩き出した。
「ちょ、エース…!マルコ隊長、すみません」
振り返り小声でそう言うと、マルコ隊長は手をヒラヒラとさせて返事を返した。
「眠ィ、寝る」
部屋に着くなり、エースはぶっきらぼうにそう言うと、ベッドに腰掛けたわたしの膝にごろりと寝転んだ。
先程の話については聞かれもしないまま、すぐにスヤスヤという寝息が聞こえてきた。
エースに、好かれているんだろうなとは思う。けどそれは、ただの初恋への執着なんじゃないかという気もしてて。わたしの存在が彼を、縛ってしまっているのではないか。
彼から漂ってくる、違う女の人の香り。何で、どうして?何度も何度も考えたけれど、やっぱりわからないまま。怒って、泣いて、縋ってみたら、何か変えられるのだろうか。
こんな時でさえもどうしたらいいのかわからない自分は、やっぱり欠陥品なのかもしれない。
昔のようなあどけない寝顔を見てると、胸がぎゅっと締め付けられ、どうしようも無く実感する。
この人が、エースが、どうしても好きだと。
エースの頬にポタリと雫が落ちた。
気づいて慌てて目を拭う。あとからあとから、あたたかい雫が頬を伝った。静かに、起こさないようにと声を殺して泣けば、喉の奥と頭が痛んだ。
好きで、好きで、好きで。
ずっとそばにいたい。でも。
何度肌を重ねても、私たちの境界線が溶け合って消えることはなかった。エースの心の空洞を完全に埋めることはできなかった。そしてそれはきっとこの先も。お互いに足りない部分を埋めようと求め合って、埋まらなくて、見て見ぬふりを続けても、何かが少しずつズレていくんだろう。
愛しくて、愛しくて。
幸せになってほしい。苦しまずにいてほしい。
普通の、正しい愛し方を知っている人に、愛されたらきっと。
左手でそっと彼の頭を撫でた。
海風に晒されてちょっぴりごわついた癖のある髪、お日様をたくさん浴びた肌とそばかす、少年みたいな寝顔。
涙がとめどなく溢れる。膝で寝てるエースがいなかったら、きっと子どもみたいに泣きじゃくっていただろう。
エースを、この歪んでしまった関係を、手放そうとそう決めた。
それから数日。
エースは毎晩島で飲み歩いているため、帰ってきているであろう夜半過ぎに部屋を訪ねた。眠そうな顔で迎え入れてくれた彼に、ここに来た目的を告げる。
「ここで、船を、降りようと思って」
「…」
長い沈黙が落ちた。
俯いてるエースの表情は読めず、次の言葉を探していると、ポツリと一言だけ呟いた。
「…オヤジ、は」
「伝えたよ、納得はしてくれた」
「…そっ、か」
「今夜で、最後」
「…ああ」
決して短くはない時を傍で過ごした。
あの頃の2人の未来はキラキラしていて、こんな終わり方をするはずじゃなかった。ずっとずっと一緒に生きていくと信じて疑わなかった。
だけど、こちらを見ずに険しい顔をしているエースからは、最後まで引き止める言葉は出なかった。
わかってはいたけれど。やはりここで終わりなのだと、自嘲の笑みが漏れる。
「さよならエース、大好きだったよ」
こぼれそうになる涙を必死で我慢して、声が震えないようにお腹にグッと力を入れて。平然を装って最後の言葉を紡ぐ。
それでも段々と視界が歪んで、ああもうダメだと思うと同時に、ゆっくりと抱き寄せられた。
「…俺も、俺もだ。」
エースの声は震えていた。
涙を見られないよう、胸に顔を埋める。嗅ぎ慣れたエースの匂いが愛おしい。きつく抱き合しめると、その心音が感じられて、最後に覚えておこうと胸に耳を押し付けた。
そして夜明け前に、わたしはモビーディック号を降りたのだった。
******
名前に、最初は全く興味なんてなかった。
オヤジの首を狙い続ける若かりし頃のオレを、何故か見放さずに面倒見てくれた、少し年上の女。
あまりに手当て慣れしているからナースの一人かと思っていたが、少し打ち解けた頃に何故ナース服じゃないのか尋ねると、1番隊の副隊長なのだという。この細っこい女が!
昔うっかり悪魔の実を食べたとかで、時空の隙間に入れるのだと言っていた。どういうことだと聞いてみれば、突然空中に謎の亀裂が入ったかと思うとその空間へ荷物を出し入れしたり、他の船員をその亀裂に入れて別の場所の亀裂から出したり、そんな技(?)をいくつも見せてくれた。なんというか、強さどうこうというよりは、便利そうな能力だなと思ったのが本音だ。
「でも自分がここを通って移動するのはものすごい疲れるんだよね、無駄能力だわホント…」
そんなことを言って笑っていたが、戦闘では敵をその謎空間に放り込んで消すという容赦ない戦いっぷりを披露してくれた。どこにやったのかと聞けば、えーわかんないと無邪気に笑うその姿にはゾッとした。ただの生活に便利な能力かと思っていたから、チート過ぎやしないかと呆気に取られたものだ。
とはいえ身のこなしも申し分なく人当たりも良くて、副隊長というのもあながち相応な地位なんだなと納得した。
そしてオヤジの首を狙うのをやめて、船にも慣れ、ここのみんなと家族として生きていくと決めた。そしてオヤジを海賊王にすることを。
でもそうしたらアイツと会う機会が全く無くなっちまって、勝手に見放された気分になった。
そんな風に黒い気持ちが渦巻くと、沸々と俺の中の闇が頭をもたげた。その憂さを晴らすように、思うままに暴れて視界に入る敵は全て葬り、言い寄る女を抱き捨てながら過ごしていたら、いつの間にか俺は二番隊の隊長になっていた。
「おめでとう」
「おお、ありがとな」
「すごいね、最速昇進じゃない?」
「そうか?」
「わたしが今まで見てきた中ではそうかな、がんばったんだねぇ」
隊長就任祝いの宴で久しぶりに名前とゆっくり話せば、不思議と心が落ち着いた。その笑顔が自分にだけ向けられていることに、気分が高揚する。
名前はいつから船に乗ってるんだ、そう口にしようとしたら、血ィ出てるよ、と懐から取り出した包帯を手際よく腕の傷に巻いてくれた。
なるほどそうか、この手があったか。
俺はそれから、怪我をしたら名前のところに行くようになった。
手当てをしてもらって、そのまま名前の匂いがするベッドで横になると、黒い気持ちで眠れない時でも不思議と眠りにつけた。俺が眠るとそっと頭を撫でてくるその手が好きで、たまに寝たふりをしてみたりなんかもした。
しくってかすり傷を負ったその日、いつものように痛くもねェ怪我の手当てをしてもらうために名前の部屋へ向かった。
包帯を巻く手が、その指が綺麗でそう伝えると、名前は照れたように小声で礼を述べた。俯いたその長いまつげを見ていると、涙に濡れたらもっと綺麗なんじゃないか、なんて考えが浮かんで。
そしたらもう止まらなくて、その形の良い唇もシャツから覗く鎖骨も緑がかった黒い瞳も何もかも、全部自分のものにしたくて、衝動的に引き寄せてキスをした。
俺が今まで相手をしてきたような女なら、何も言わなくてもそのままベッドになだれ込めるはずなのに、名前があまりにも面食らった顔で硬直しているから、俺はしどろもどろで言い訳をする羽目になった。
俺のことを全く意識してなかったのであろう事実にへこみはしたが、名前の胸の中に抱きしめられると心臓がぎゅっとして、温かくて、これが幸せという気持ちなのかと自覚すると、なんだか涙が出そうになった。
初めて肌を重ねたその日、本当に心から安らかに眠れた。
そして俺は愚かにも、これからもずっとそんな日が続くんだと思っていた。
「そういえば、名前っていつからこの船に乗ってるか知ってるか?」
その疑問をたまたま食堂で居合わせた古参の船員に投げかけたのは、思いを伝えてから数ヶ月ほど後のことだった。
名前は人当たりが良く、一見差し障りなく過ごしているように見えたが、俺を始めとした数人以外には壁を作っているようにも感じていた。俺と出会う前の話を聞こうとすると言葉少なになるのが気になって、十分に想い合っていることは実感していたが、名前の何もかもが欲しかった俺は、何の気なしに聞いてしまった。
「あー、いつからだったか…10年くらい前か?」
「アイツもオヤジに拾われたのか?」
「…ああ、そうだな…」
その船員は眉を顰め、少し考えるそぶりを見せた後、ポツリポツリと話してくれた。
名前は当時戦った海賊たちの船で捕まっていたのだという。相手方を全滅させた後、宝探しに船内を散策したところ、地下にあった海楼石の牢屋でうずくまっていたのを発見したそうだ。
「何日も飲まず食わずでいたんだろうな、腕なんか枝みたいに細くて…俺らに見つけられても表情も変えねェ、人形みてェなガキだったな」
「………」
今のアイツからは想像もできない。
というかこの話を第三者から聞いてよかったのだろうか、今更不安が襲ってはきたが、そんな自制心は呆気なく好奇心に負けてしまった。
「なんでそんなとこに」
「…元々はどこぞの海賊の長の娘だったらしいな、能力者になったことで早くから戦いに出されてたと言っていた。碌でもない親だったと笑っていたがな。その海賊がロジャーにやられて、残党と一緒に拠点にしていた島に逃げ帰ったはいいが、そこもやられて、その時捕まったと。」
出てきた男の名に思わず目を見開いた。
あの男が…?全身からスッと血の気が引くのがわかる。
名前は、俺の出生の話を、どんな気持ちで聞いていたのだろうか。今、俺が俺としてあることに感謝してると言ってくれた、その時。どんな気持ちで?
「最初はな、生きてるか死んでるのかわからん、戦う機械みたいなやつだったが…少しずつ人間らしくなってきたな。特に最近は、お前さんのおかげだろうな」
話の途中からは何も頭に入ってこなかった。
船員に礼も言わずにフラフラと食堂を出て、あてもなく船内を歩いた。思考がぐるぐると回って整理がつかない。だから昔の話をしたがらなかったんだろうか、俺に隠したかったのか?名前のつらかったであろう子供時代を思うと目の前がチカチカした。その原因が俺の……父親であることも。
「…エース?」
聞き慣れた声がして振り向けば、心配そうな顔をした名前が視界に映った。こんな時ばかり、運悪く出くわしてしまうことに内心舌打ちをする。
今話すとコイツを傷つけるための酷い言葉もポンポン出てきそうだった。何で言ってくれなかったんだ、とか。コイツのせいじゃねェのに。
聞かなきゃよかった。けど、もう時間は戻らない。
「大丈夫?顔色悪いよ…?」
心配そうに覗き込んでくる名前の顔を見ると、訳もなくムシャクシャして、心の中もグチャグチャで。
「エース?どしたの、わっ、」
何も言葉が出てこなくて、乱暴に抱き上げるとそのまま部屋に連れ込み、一晩中何度も抱いた。
幾度となく果てて、翌朝、日差しの中で眠る名前の涙の跡を見ると、激しい後悔が押し寄せてきた。
泣かせたかったわけでも、傷つけたかったわけでもないのに。
指先で優しく頬をなぞると、名前はモゾモゾと体を動かした。
「…ん、エース?」
そしてその右手を俺の手の上に重ね、気持ちよさそうに目を細める。
「エースの手、すきだな。気持ちいい…」
心臓がぎゅっとする。
涙が出そうになるのを、ぐっと堪えた。
「…昨日は、悪かった」
「いいよ、びっくりしたけど…あと腰痛いけど」
「う、ごめん」
「ふふ、いいよ。なんかあった?」
「………」
「…もし言いたくなったら、言ってね」
「…ああ」
「しんどくなったときも、言ってね」
「……ああ」
名前は満足そうに微笑むと、またスヤスヤと寝息を立て始めた。夜通し相手をさせたのだから、そりゃ眠いだろう。猫のような柔らかい髪の毛を優しく撫でれば、ふふ、と小さく笑って何ごとか寝言を呟き、それを見て俺はまた泣きたくなった。
結局名前の過去を勝手に暴いてしまったことは、本人には言えず終いだった。責めるのも違うし、謝るのも違う。じゃあ何て言ったらいいのか、その最初の一言がどうしても見つからなかった。
せめて山田を俺の配下に付けたかったが、それもまた叶わなかった。オヤジに懇願したものの、答えは否。
食い下がる俺を、何かを諭すように見返してくるオヤジの目を見ると、諦めざるを得なかった。
任務中に会えない俺は、今までと同じように怪我をしたら名前のところへ行き、時間が合えば夜はどちらかの部屋で過ごした。
ただ名前は俺の時と同じように、拾ったばかりの新人の面倒を見ていることが多くて、それがどうにも気に食わなかった。
さらに言えば戦いの中で他の男を庇ったり、書類仕事だっつって一日中マルコの部屋にいたり、部下の隊員たちと飯を食ってるのでさえ。
俺といる時以外の何もかもが気に食わなくなっていた。
名前といるときは黒いモヤモヤは消えるのに、目が届かなくなると途端に不安になって、他の奴と一緒にいるとその気持ちは倍増した。
「っはァ、いた、痛い、エース、」
「一個だけ、だから…」
「や、ダメ、そこ見える…」
「……」
「エー、ス、やだ、あぁッ…」
それから俺は行為のたびに、名前に印をつけた。
始めは首筋に。鎖骨に、胸元に、そして全身に。
キスマークというよりは噛み跡みたいなものもあったかもしれない。それは全然甘いモノなんかじゃなくて、俺の薄汚い嫉妬や欲望の現れだった。
俺だけを見て、俺だけのことを考えて、俺だけを思って欲しくて。
優しくして大切にしたい気持ちと、独占欲と、何だかわからない罪悪感なんかがせめぎ合って、俺の気持ちはグチャグチャで。でもどんなにひどくしても、名前は最後にはいつも柔らかく笑った。
「…痛かったんですけど」
「………………………………ごめん…」
「前回ももうしないって言ったよね…?」
「……………ごめんなさい…」
「…エース、こっち向いて」
「……」
「…もう、ちゃんとこっち見て」
両手で頬を掴まれ、名前へと顔を向けられる。
俺はもうどんな顔をしたらいいのかも、自分がどんな顔をしているのかもわからなくて。
「ちゃんとわたしのこと見て」
「…ごめん」
ごめんしか喋れない機械になったように。
きっと情けない顔をしてる。そっと目線を上げれば、名前の瞳が俺をとらえた。
そして目が合うと、名前はまたふふっと柔らかく笑う。
「…いいよ、激しめの愛情表現だもんね」
いつだって最後には俺を赦してくれて。
まったくしょうがないなぁと、俺に向けられたその微笑みに、俺はいつだって泣きたくなった。
きっかけは、その任務だった。
一番隊の精鋭で一週間程度の遠征に出ることになり、副隊長である名前もそのメンバーに入っていると知った俺は、無理を承知で引き留めた。
その頃の俺はもう名前が視界にいないだけで気が気じゃなくて、男ばかりの遠征部隊に同行する名前をただ待つなんて、気が狂いそうだった。
何度も引き留めて懇願しても、今回は名前の能力ありきの任務だから抜けられない、と言うばかり。名前は申し訳なさそうに、でも、任務だから、と言い切った。
そしてマルコ始め屈強な船員たちと肩を並べて船を出る名前の後ろ姿を見送りながら、俺の中の何かが切れた。
その日から、俺は声を掛けてきた女たちと片っ端から寝た。名前とのやりとりを見られたせいか、その日の夜は久しぶりにナースたちが誘いをかけてきた。この黒い気持ちをぶつけられるなら、誰だって、何だってよかった。敵船を見れば相手の戦意の有無に関わらず全て潰した。次の島に着いても、酒を飲んでバカ騒ぎして女を抱いて。
サッチやイゾウなんかには釘を刺されもしたが、そんな諫言は耳に入ってこなかった。
だから、名前が遠征に向かって、何日目かも数えていなかった。
酒と女の匂いをさせて朝帰りしてきた俺に、数日ぶりに顔を合わせた名前が掛けた言葉は、ただ「おかえり」だった。
怪我をしていた。右腕に包帯を巻いていて、俺の好きなその手は血の跡で赤黒く染まっていた。
気づいてたのに。いつも通り、でも少し哀しそうに笑う名前に何も言えず、目を逸らして部屋に帰った。
責めてくれれれば、罵ってくれれば。
自分の責任を棚に上げて、そんなことばかり考えた。名前に、否定して欲しかった、全部。
でも名前はいつも困ったように笑うだけで、俺を問い詰めたりはしなかった。
「エース…最近どうしたの?…大丈夫?」
心配そうな名前と目を合わせることすらしんどくなった。いろんな感情が渦巻いて、いつか抑えきれずに名前を壊すかもしれないと思うと、名前に触れることも怖くなって。
そして今までとは打って変わって、名前を避ける日々になった。女に声を掛けられればそれに応え、夜はなるべく自室を避けた。怪我をしても名前のところには行かなくなった。でも名前が他の男といるのを見れば、その手を引いて間を裂いて、名前を残してまた去って。
名前が好きで、何より大事だ。
なのに、何でこうなったんだろう。
名前を自分に縛り付けて、でも大切には出来なくて、お互いちっとも幸せじゃない。
幸せにしてやりたい。俺から解放してやりたい。
でもそんなの絶対に無理だ。
逃げて欲しい。
離したくない。
どこで間違って、何が正解なのだろう。
もう何もわからなくなって、身動きも取れないまま。
名前が任務で船外に出ている夜、俺は久しぶりに一人、自室で過ごしていた。このベッドでも二人で何度も朝を迎えたな、なんてぼんやりと考える。
あの日、俺の制止を振り切って名前が遠征に出て行ってから、一度も抱いてない。
柔らかい髪を撫でて、滑らかな肌に触れたい。攻めると潤む瞳も、その時特有のいつもより少し高い泣き声も、何もかも愛おしい。
思い出すだけで俺の身体はこんなにも反応するのに、心は重いままで。
きっと他の誰かといた方が幸せになれるであろうことは明白なのに、ここまできてもどうしても諦め切れない自分に、自嘲めいた笑いが漏れた。
その日も俺は街に出て、酒を飲み、女を抱いた。
行きずりの女との情事の後、そういややけに明るいなと思って窓の外を見れば、大きな満月がいやに綺麗で。
名前の柔らかい微笑みが脳裏に浮かんで、そうしたら居ても立ってもいられず、余韻に浸る女を置いて部屋を出た。
満月の下、船へと足早に歩を進める。
名前の顔が見たくて仕方なかった。
いつものように困ったような笑顔で迎えてくれたら、きっと今度こそちゃんと話そう。最初から話して謝ろう、そう、思っていたのに。
久しぶりに目を合わせた名前は、初めて見るような泣き顔で。マルコに言われた通り、俺のせいなんだろう。
なんて言えばいい?言おうとしてた言葉も、自分の気持ちも、全部吹っ飛んじまって。
寝る、とだけ言って膝を借りると、昔のように、何も言わず膝枕をしてくれたことが嬉しくて、何か言わなきゃと思っていたら。
暖かい雫が、頬にポタリと落ちた。
名前が泣いてる。
俺のせいで。どうしたらいい?
傷つけたくも泣かせたくもなかったのに、でももう名前は、体も、心も、俺がつけた傷でいっぱいだ。
好きになってごめん。
傷つけてごめん。
手放せなくてごめん。
そのどれも、名前に伝えることはできなかった。
そして、その時がやってきた。
夜半過ぎに部屋を訪ねてきた名前の顔を見て、ああこの時が来てしまった、と何故だかわかった。
名前が口を開く前に、嫌だと言ってしまいたかった。
「ここで、船を、降りようと思って」
名前はいつも通りの静かな表情で、何事もなかったように別れを告げた。嫌だと言いたかったはずなのに、俺の口からは、何故か引き止める言葉の一つも出てこなくて。
逃げて欲しかった、でもやっぱり、どうしても、離れられなかった。
自由にしてやりたかった、でも。
「さよならエース、大好きだったよ」
嫌だ、俺は、今も。
今も愛してる。
なぁ名前、こんなにつらいのも初めてだと伝えたら、お前はまた笑うんだろうか。
未完成
(追加)
書き終わってから年齢的におかしいなってなったけど無視する方向でいくことにしました。
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