長編パラレル
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甲板の後方にそびえ立つ椰子の木の下には、「ここに座り心地の良いベンチがあったら最高過ぎると思いませんか?」という名前の一言で導入された、二〜三人掛けのベンチが設置されている。南国風のデザインで程よい角度の背もたれがついたソファ型のそれは、名前の定番休憩スポットとなっていた。
今日はまだ陽が高く、椰子の葉が日光をまばらに遮り、葉が風に揺られるたびに眩しい陽射しが差し込み目を眩ませた。
「………」
そんな中、名前はできるだけ心を無にして、手にした書物に視線を落とすのに徹していた。
その隣には、先ほどふらりとやってきて、「おう」と声をかけてきたと思ったら、そのまま自然と隣に座り込んできたシャンクスがおり、片足を膝に乗せて、青空を仰ぎながらベンチの背もたれに寄りかかっている。
「今日もいーい天気だなぁ」
独り言なのか、はたまた名前に話しかけているのか対応に悩むその言葉に、一応「ソウデスネ」と小さく返す。
どうせまた暇潰しにでも来たんだろうとチラリと横目で様子を伺うと、名前と目が合ったシャンクスは何がそんなに楽しいのか、目を細め口の端を上げた。シャンクスがフラフラとほっつき歩いてるのはもはや見慣れた光景ではあるのだが、その分ベックマンが人一倍働いているのだろうと思うと、名前はベックマンの機嫌が少しだけ気に掛かった。
機嫌良さげに隣に座るシャンクスに、何の用かと聞こうかとも思ったけれど、どうせ大した用事もないのだろうと思い直し、そのまま読書を続けることにする。
改めて手元の本のページに視線を落とし、どこまで読んだっけ、と活字の羅列を目で追いかける。心地良い海風が頰を撫で、微かに髪を揺らした。シャンクスは意外にも変にちょっかいを出してくることもなく、名前は再び本の中の世界に没頭していった。
そんな様子を口元を緩ませながらなんとなく見ていたシャンクスが、何か思い立ったように、名前へと手を伸ばした。その髪を一房指で掬い、自分の口元に近づける。
髪が引っ張られる感覚で現実に引き戻された名前は、その光景に思わず硬直した。
「……………………何を…?」
言いたいことはいろいろあったが、一旦その行動の意図を問うてみた。どう見ても自分の髪に口付けをしているところにしか見えないが、突然他人の髪に口付けをすることなんて、普通はしない。普通は。
とはいえ目の前のこの男が“普通”の枠におさまる人物ではないことも、十分承知していた。
ギリギリ何か理由があるのかもしれない、と己に言い聞かせ、やや引き気味で問いかけると、
「いや、この匂い、なんだったかなと思って」
「………」
「どこから香ってきてるのかと」
「………」
「…当たりだ」
そう言って笑みを浮かべたシャンクスは、名前の髪に口付けた、ように見えた。正確には、鼻を近づけて香ってるだけなんだろうけれど。
いやいやいや、だとしても、何してんのこの人は…。
パーソナルスペースという言葉を知っているのかと軽く詰め寄りたい気持ちになったけれど、それももはや今更だった。
シャンクスは名前の髪を口元から離すと、不思議そうな顔でそれを眺めた。
「同じの使ってるんだよなァ」
名前の動揺など意にも介さず、いつも通り会話を進めるシャンクスに、なんだか気が抜けてしまった。名前も、いつも通り返事を返す。
「…………たぶん。お風呂場のはなんかアレだからって、ヤソップさんがくれたちょっといいやつです」
「同じの」というのは、話の流れ的にシャンプー(と、あとトリートメントとか)のことだろう。
乗船当初、とりあえず適当にあるもので済ませようとしていた名前に、大浴場のものは美容もクソもねェ野郎どもが使ってる安モンだから、と、ヤソップが気を遣って幹部陣が個室のシャワー室に置いてるちょっと高いやつをわけてくれたのである。もちろん、こだわりがある人は各自で気に入ったものを購入して使っているのだろうけれど。「同じの」ということは、シャンクスは名前と同じものを使っているのだろう。
「…不思議なモンだな」
「何がですか」
「他のヤツからはしねェのになって」
「…ああ、確かに、男の人からシャンプーの香りって、あんまりしませんね」
文脈を拾ってそう返事を返す。単純に毛髪の長さが関係しているような気もするが、でもシャンクスくらいの短髪の女性でも、近づけば良い香りがしたりする。
「なんで女ってのはいい匂いがするんだろうな」
「…なんででしょうね」
全くもって名前の知ったことではないので、適当に相槌を打つ。シャンクスも、特にこの話題を深掘りしたいというわけでもなく、なんとなく思ったことを口に出しただけのようだった。
そしてそんなシャンクスの様子に、名前はいつのまにか、警戒するのを忘れていた。
「でもシャンクスさんも、シャンクスさんの香りがしますよ」
その胸元に、少し顔を近づける。
シャンクスが少しだけ驚いたような表情をしたけれど、名前の視界には入らなかった。
鼻腔をくすぐる、シャンクスの香り。
海の香り。お日様の匂い。石鹸か、洗濯洗剤なのかわからないけれど、ほのかな香り。いつも一緒にいるせいだろうか、ベックマンのタバコの移り香。夜遊びに出る時にたまにつけてる、香水の香り。そしてシャンクス自身の匂い。いろんな匂いが合わさって、その人特有の香りを構成している。
「そうか?」
声とともに、視界の陰りが濃くなった。シャンクスが体勢を変えたのだろう、厚い胸板がぐっと近づき、ふと顔を上げると、思いの外シャンクスの顔が近くにあって、少しだけたじろいだ。
シャンクスの影に覆われて、視界が暗い。
視界の端に見える日当たりの明るさとの落差のせいもあるかもしれない。暗がりで見るその瞳は、なんだか妖艶さすら漂わせていて。
目が合うと、シャンクスは、ふ、と笑みを浮かべた。
———やってしまった。
その瞬間、なんというかこう、狩猟圏内に入ってしまったのだと直感的に感じた。
弧を描いたその瞳が名前を捉え、時が止まったかのように、身動きができない。この一瞬一瞬がまるでスローモーションのように、シャンクスとの距離が縮められていく。…これは。
———キス、され る
「オーイお頭ぁ〜!」
突如背後から聞こえたその声に、名前は身体の自由を取り戻すと、バッと身を引いた。
シャンクスが「おぉ、なんだルゥか」とまるで何事もなかったかのように、普段通りの声色で返事を返す。
「わりィな、邪魔したか」
「ああ、今イイところだったんだけどな」
「そりゃすまねェが、副船長がお呼びだぜ」
多少含みを持たせたシャンクスの言葉は、なんでもないことのように受け流され、続けてルゥが要件を告げると、シャンクスは観念したように息を一つ吐いた。
「…わかった」
何か思い当たるフシがあるようで、おとなしく返事をするシャンクス。それを見届けたルゥは、己の役目は果たしたとばかりに踵を返して戻っていってしまった。
「…邪魔が入っちまったな」
シャンクスは名前に視線を戻すと、半分は面白がっているような、もう半分は残念そうな表情で笑った。
名前は身を引いてシャンクスと一定の距離をとりつつ、ジロリと視線を向けた。己の油断のせいもあるとはいえ、自然な流れでスキンシップ(って言える範囲のものなのかは謎だが)に持っていくのが上手すぎやしないだろうか。醸し出される歴戦の猛者感へか、それともアッサリとキスされそうになったことへだろうか、謎のモヤモヤ感を抱えたまま言葉を返す。
「どうぞ行ってきてください」
「見つからねェと思ってたんだけどなァ」
「そもそもやることやってからブラブラすべきでは?」
「……優先順位の問題だ」
「ベックさん怒らせたんじゃないですか?」
「………」
視線を逸らす様子を見るに、何かやらかしたのか押し付けてきたのか。ベックマンの機嫌がよくはないであろうことがわかった。
「…続きはまた今度だな」
ふと、シャンクスが名前に手を伸ばした。先ほどと同じように、髪を手に取り、今度は本当に口付ける。
「?!も、いいから!早く行ってください!」
あまりにも自然な流れ過ぎて、これはもはや自分の油断云々の問題ではない気がする。
顔がほのかに熱くなるのを感じながら、シャンクスの背中をぐいぐいと押すと、シャンクスは渋々と立ち上がり、浮かない足どりでようやく船内へ向かっていった。
シャンクスの背中が見えなくなるまで見送り、ようやく一息つく。ほてった頬を手の甲で乱暴に拭った。
フゥ、と息を吐いて、再び本のページを開き視線を落とす。
が、目が文字を追っているだけで、驚くほどに内容が頭に入ってこない。一度目を閉じて、改めてページをめくってみたけれど、やっぱり結果は同じことで。
仕方なく、パタンと本を閉じた。
視界の端で揺れる、自分の髪にそっと触れる。
何から何までシャンクスのペースに乗せられて、なのに、ほんの少しだけ、名残惜しいと思っている自分がいる、なんて。
名前はおとなしく読書を諦め、雑用の手伝いでもしにいくかと腰を上げた。
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