吸血鬼が神に誓う日 ―side Draluc―

 深呼吸をひとつして、目の前の扉を控えめにノックする。
「どうぞ」
 部屋の中から返ってきた柔らかな声に密かに安堵のため息を漏らし、私はそっとドアノブに手をかけた。
「……やぁ、ヒナイチくん。支度が終わったと聞いたから来てみたんだけど……お邪魔ではないかな?」
「問題ない。入ってくれ」
 細く開けた入り口から顔だけ覗かせてお伺いを立てる私を、部屋の主はこころよく招き入れてくれた。
「それじゃあ、失礼するよ」
 後ろ手に扉を閉めながら、椅子に腰かけたまま見あげてくるヒナイチくんの美しい姿に視線をやれば、照れくさかったのだろうか。ヒナイチくんは頬を染めてうつむいてしまう。
「……へ、変じゃ、ないだろうか?」

(まったく……ロナルドくんといい、ヒナイチくんといい、どうして私のかわいい昼の子たちはこうも自分の容姿に自信がないのかねぇ?)

 視線を床にさまよわせながら紡がれる不安げな声音に、苦言を呈したいのをこらえて私はわざとらしい賞賛の言葉を口にした。
「全然! ものすごく綺麗だよ、ヒナイチくん。天使が地上に舞いおりたのかと思ったほどだ!」
「なっ……! ま、またおまえはそういうことをすらすらと……!」
 ヒナイチくんが恥ずかしいからやめろと何度も言うので、ここ数年は控えておいてあげていた私お得意の口説き文句に、案の定、彼女はムキになって反応してくれる。
 勢いよく顔をあげた愛しい人の、赤く染まったままのかわいらしい頬を両手で捕らえれば、鮮やかな翡翠の瞳が驚いたように見開かれた。
「本当に綺麗だ」
「あ、ありがとう……ドラルクも、その……すごく格好いい……」

(……!)

 まさかヒナイチくんから素直な褒め言葉をもらえるとは思っていなかったせいで、今度は私の頬が熱を帯びる番だった。みるみるうちに耳まで赤く染まっていくのが自分でもよく分かる。
「そ、そうかなっ? ま、まぁ、この完璧ドラドラちゃんは、なんでも着こなしてしまうからねぇ!」
「あぁ、よく似合ってる」
「……ありがと」
 思わずヒナイチくんから身を離してどぎまぎしてしまった私に、彼女はくすくすと笑いながらもう一度ストレートな賞賛をくれた。
 面白がるその表情に、つい恨めしい視線を投げてしまうが、どうせ真っ赤な顔では迫力もなにもあったものではないだろう。

 楽しそうに笑い続けるかわいい恋人を見ていると、すねているのもバカらしくなってきた。
 おどけたセリフとともにヒナイチくんの右手を取り、手の甲へと口づけを落とせば、彼女のほうからもおどけた声音を返してくれた。



「……やれやれ。意地悪だなぁ、私のかわいい花嫁さんは﹅﹅﹅﹅﹅﹅﹅﹅﹅﹅﹅
「ふふっ、なにを言っているんだ。最初にしかけてきたのはおまえだろう、私の大切な花婿さんめ﹅﹅﹅﹅﹅﹅﹅﹅﹅﹅



「そうだったねぇ」
 身をかがめてヒナイチくんの手を取ったままへらりと笑ってみせれば、麗しの花嫁はその翡翠の瞳をやわらげて、私のふだんの黒基調の装いとは違う白のタキシード姿へともう一度賞賛の言葉をくれる。
「本当に素敵だぞ、ドラルク」
「ありがとう、ヒナイチくん。しかし、この完璧ドラドラちゃんでも、本日の主役には劣るさ」
 体を起こす勢いにのせてヒナイチくんの手を引いて立たせると、彼女を包む純白のウエディングドレスの裾がふわりと広がった。
「うん……本当に綺麗だ……よく似合っているよ、そのウエディングドレス。思った以上だ……」
 美しく結いあげられた髪を彩るティアラとベールが、ヒナイチくんの艶やかな赤毛によく映える。たおやかな肢体を無垢な色で包んだヒナイチくんは、この十年ですっかり女性らしい色気と気品を増していた。
 本人としては、胸のサイズだけ昔と変わらないことがいたく不満らしいのだが……。

(私は、そのかわいらしい胸も大好きなんだけどね……)

 若干よこしまなことを考えてしまい、慌ててよけいな思考を頭の片隅に追い払う。
 幸い、目の前の花嫁が私の煩悩に気づくことはなかったようで、まじまじと見つめる私の視線にまたも恥ずかしそうに頬を染めている。
「ドレスを選ぶ時にも、仮縫いの時にも、おまえもさんざん見たじゃないか……なにを今さら……というか、おまえだって今日の主役だろう?」
 照れ隠しのように上目遣いで睨んでくるヒナイチくんのかわいらしさと彼女への愛しさに、頬が緩んでしまうのを抑えられない。きっと今の私は、とんでもなくとろけた表情をしているだろう。
「本当に……本当に綺麗だ……ありがとう、ヒナイチくん……私を選んでくれて、ありがとう」
「……こちらこそ。私を選んでくれてありがとう、ドラルク」
 ドレスの裾に気を遣いながらも私のほうへと歩みよってきてくれたヒナイチくんを優しく腕の中に収めると、初めて出会った時よりもわずかながら近くなった距離で翡翠の瞳と視線が混じり合う。
「あ……ドレス、皺になっちゃったらどうしよう」
「これぐらいなら大丈夫でしょ」
「そうかな」
「大丈夫、大丈夫」

 ――十年。
 ヒナイチくんが年相応に成長していったように、この十年で私の外見もほんの少しだけ変化した。
 意識したわけではないけれど、昼の子ヒナイチくんとともに歩んでいくと決めてから、髪の毛が徐々にのびるようになったのだ。

 ――まるで、彼女とすごした時間をこの身に刻みこむように。

 今では肩まで届く長さになり、リボン――ふだんはヒナイチくんがプレゼントしてくれた赤いベルベットのものを使っているが、今夜はタキシードに合わせて白いサテンのものを選んだ――でひとつにまとめている。
 私と百九十歳近くも歳が離れていることをことあるごとに気にしているヒナイチくんにとって、私の外見の変化はあまり好ましい出来事ではなかったようだが、私自身は実はけっこう気に入っていたりする。

(だってねぇ……最愛のきみが私とともに生きてくれた証がこの身に遺るんだもの。こんなに嬉しいことはないじゃないか)

 ……だからね、そんな不安そうな顔をしないでおくれ。きみは私が愛する最初で最後の人だ。最高の女性だよ。

 そんな想いをこめて、私の腕の中で自信なさげに顔をくもらせていたヒナイチくんの額にそっと口づけを落としてやれば、私の大好きな翡翠の瞳はきらめきを取り戻してくれた。
「自信を持って、ヒナイチくん。きみは私の最高の伴侶だ」
「……うん」
 花が綻ぶような柔らかな微笑みを浮かべると、私の花嫁はほんのりと頬を染めて今一番欲しかった言葉をくれる。
「ドラルク。愛してる」
 昔の彼女ならば恥ずかしがってなかなか言ってくれなかっただろうまっすぐな愛の言葉も、今ではごらんのとおり。
 こんな変化も、また愛おしい。
「私も愛しているよ……ヒナイチくん」
 欲をのせた声音とともにヒナイチくんのほっそりとした顎のラインに指先をのばせば、彼女のほうも心得たもので、そっと瞳を閉ざして私を待ち受けてくれる。

 お互いの熱い吐息が重なる――直前。



「ヒナイチー! 準備できたかー!」



 わざとなのか、はたまた偶然か。
 ヒナイチくんのお兄さん――カズサ殿がノックもなしに部屋に入ってきたかと思うと、ヒナイチくんから脛を蹴りつけられて秒で追い出されていった。

「……」
「……」
「すまない、兄さんが……」
「いや、いいんだよ……誓いのキスは、神様の前まで取っておこう」
 未遂とはいえ、プライベートなキスシーンを身内に目撃されるというのはやはり恥ずかしかったようで。耳まで真っ赤に染まった顔を両手でおおってうなだれるヒナイチくんを椅子に座りなおさせてから、隠しきれない苦笑とともに私もとなりの椅子に腰をおろす。
 というか、私もさすがに恥ずかしかった。頬が羞恥で火照っているのを感じる……恥ずか死しなかっただけでも褒められたい。マジで。
 せっかくいいところだったのに……という気持ちがないわけではない――正直に言うとめちゃくちゃある――が、さすがに仕切りなおしという雰囲気でもなくなってしまったので、大人しく結婚式本番まで我慢することにしよう。
 ヒナイチくんのほうを伺うと、指の隙間から覗く翡翠色と視線がぶつかったので、安心させるようにウインクをひとつ贈る。それでようやく、まだまだ熱に染まったままのかわいらしい顔を見せてくれた。

 少しの間、お互い無言で自分の顔を手で扇いで熱を逃がしていたけれど、部屋の時計に視線をやれば、そろそろジョンが私を呼びにくるであろう時間になってしまっていた。またすぐ式場でヒナイチくんのこの美しい花嫁姿は見られるのだと分かってはいても、名残惜しさにため息が出てしまう。
「そろそろ、かわいいお迎えが来る頃だ……あぁ、ほら」
「ヌヌヌヌヌヌー」
 私が立ちあがったタイミングで、小さなノックとともに部屋の扉の向こうから『ドラルク様ー』と私を呼ぶ愛らしい使い魔の声がした。
「はいはい。今行くよ、ジョン」
 ジョンに返事をしてから、先ほどの代わりにと思い立ち、身をかがめて素早くヒナイチくんの頬にキスを落としてみれば、予想どおり不意打ちに固まった彼女と目が合った。
「……っ!?」
「それじゃあ、ひと足先に神様の前で待っているよ、私のかわいい花嫁さん」
 悪戯成功の喜びににやにやと笑いながら、私は真っ赤な顔のまま目を白黒させるかわいい花嫁を残して部屋をあとにした。

「ジョン。お迎えありがとう。若造はちゃんともう式場に行っているかい?」
「ヌン!」
「それならよかった。我々も向かおうか……おや?」
 ジョンを抱きあげて式場へと足を向けた矢先に、廊下の先に人影がたたずんでいるのに気がついた。
「――よぉ、義弟おとーとさんよ。さっきは仲睦まじいところを邪魔して悪かったな」
「カズサ殿……」
 ……こうして私のことを待ちかまえていたところを見ると、やっぱり乱入してきたのはわざとだったな?

 私のじとりとした視線に、正しく非難の色を見て取ったのだろう。カズサ殿は降参とでも言うように軽く両手をあげながらこちらへと歩みよってきた。
「本当に悪かったって。ちょっとした悪戯心だったんだ」

「まさか、あんなナイスタイミングだとは思わなかったんだよ」と苦笑いするカズサ殿と、せっかくのヒナイチくんとのいちゃいちゃタイムを邪魔された恨みを無言で視線にこめ続ける私。そんな我々の不毛なやり取りに、事情を知らないジョンが私の腕の中で小首をかしげている。
「おっ、マジロくんも今夜はおめかしかい? 格好いいな」
「ヌー!」
 この日のために私が手ずからあつらえたパールグレーのタキシードコスチュームを褒められ、ジョンが嬉しそうな声をあげる。
 明らかに話を逸らされたのは気にくわないが、ジョンが喜んでいるので今回は不問にしてあげよう。
「……それで、私になにかご用ですかな?」
「おいおい、お義兄にーちゃんが義弟おとーととおしゃべりするのに理由がいるのか?」
 出待ちの目的を話すよう促せば、カズサ殿は人柄同様食えない笑みを浮かべてそううそぶいた。
「その呼び方、やめてくれませんかね」
 舌打ちだけはなんとかこらえて思いきり睨めつけてやる。
 私が、人をおちょくるのは大好きでも自分がおちょくられるのは大嫌いだということはよく知っているだろう、義兄殿よ?

「まぁ、そう警戒すんなよ。ひとつだけ言っておきたくて待ってただけなんだ」
 今まで何度か繰り返した苦情は、今回もまた華麗にスルーされた。カズサ殿のことは嫌いではない――なんといっても、私のかわいいヒナイチくんの実のお兄さんなわけだし――が、こういうところはまったくもって腹立たしい。
 眉をしかめる私にかまわず、カズサ殿は私の左胸にピストルを模した右手を突き立て、銀の弾丸の代わりにその口から鋭い言葉の弾丸を放った。



「――俺の大切な妹を嫁にするんだ。絶対に幸せにしろよ」



 ……まさか、この男がこんな真面目な顔でこんなベタなセリフを浴びせてくることがあるとは思わなかった。
 なんだかおかしくて、喉の奥から笑いを漏らしてしまう。
「ふふんっ、そんなことあなたに言われなくても。高等吸血鬼バンパイアロードドラルクの名にかけて、ヒナイチくんはこの私が全身全霊をもって幸せにするとも!」
「……そうこなくっちゃな」
 牙を見せて笑ってみせた私にカズサ殿は満足したらしく、にやりと笑みを残して去っていった。
「……私は、義兄殿のお眼鏡にかなったということかな?」
「ヌヌー?」
 腕の中のジョンと顔を見合わせて仲良く首をかしげてみるが、カズサ殿の真意は本人のみぞ知る。
「まぁ、いいさ。――さぁ、我々の晴れ舞台へとおもむこうじゃないか、ジョン!」
「ヌン!」
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