吸血鬼が神に誓う日 ―side Hinaichi―

 こんこん、と控えめなノックの音が響いた。
「どうぞ」
 私の返答に、かちゃり、とこれまた控えめな音を立てて扉が開かれる。
 そこから顔を覗かせたのは、案の定、私の大切な吸血鬼だった。
「……やぁ、ヒナイチくん。支度が終わったと聞いたから来てみたんだけど……お邪魔ではないかな?」
「問題ない。入ってくれ」
「それじゃあ、失礼するよ」
 細身の体を室内へと滑りこませたドラルクは、後ろ手に扉を閉めながら、椅子に座る私の姿をまじまじと見つめてきた。
 その視線が孕む熱と、彼の常では見られない装いに、自分の頬も熱を持ち始めたのを感じて思わずうつむいてしまう。
「……へ、変じゃ、ないだろうか?」
「全然! ものすごく綺麗だよ、ヒナイチくん。天使が地上に舞いおりたのかと思ったほどだ!」
「なっ……! ま、またおまえはそういうことをすらすらと……!」
 ここ数年はなりを潜めていたキザな口説き文句に、私は昔のようについムキになって反応してしまった。
 ドラルクはそれを狙っていたのだろう。勢いよく顔をあげた私の赤く染まったままの頬は、いつの間にかそばまで来ていた彼の白手袋に包まれた両手に優しく捕らえられてしまう。
「本当に綺麗だ」
 視線と同じく甘い熱を孕んだ声音に、耳を犯されていくような錯覚に陥ってしまう。ドラルクのあかい瞳からうまく目を逸らせない。
「あ、ありがとう……ドラルクも、その……すごく格好いい……」
 かろうじてそれだけ伝えれば、今度はドラルクの頬が熱を帯びたようだった。みるみるうちに目元まで赤く染まったかと思うと、私の頬からぱっと手を離し、急にわたわたとし始めた。
「そ、そうかなっ? ま、まぁ、この完璧ドラドラちゃんは、なんでも着こなしてしまうからねぇ!」
「あぁ、よく似合ってる」
「……ありがと」
 先ほどまでの私のようにどぎまぎするその姿がなんだかかわいくて、ついくすくすと笑みを漏らしてしまう。
 そんな私に、ドラルクは恨めしそうな視線を投げつけてくるが、真っ赤な顔ではまったくもって迫力がない。

 やがて視線をやわらげたドラルクは、からかうようなセリフとともにいまだ笑い続ける私の右手を取り、初めて出会ったあの時のように手の甲へと口づけを落とした。



「……やれやれ。意地悪だなぁ、私のかわいい花嫁さんは﹅﹅﹅﹅﹅﹅﹅﹅﹅﹅﹅
「ふふっ、なにを言っているんだ。最初にしかけてきたのはおまえだろう、私の大切な花婿さんめ﹅﹅﹅﹅﹅﹅﹅﹅﹅﹅



 身をかがめて私の手を取ったまま「そうだったねぇ」とへらへら笑うドラルクの、純白のタキシードに包まれた痩躯に改めて視線を向ける。
 ふだんはクラシックな黒スーツと黒マントに彩られているその身に、真逆の色をまとっているのは本当に新鮮だ。
 タキシードに合わせてだろう。この十年で肩までのびた艶やかな黒髪も、いつもの赤いリボンではなく白いリボンでまとめられている。
「本当に素敵だぞ、ドラルク」
「ありがとう、ヒナイチくん。しかし、この完璧ドラドラちゃんでも、本日の主役には劣るさ」
 ドラルクは体を起こす勢いにのせて私の手を引いて立たせると、一歩さがってまた私の姿をまじまじと見つめる。
「うん……本当に綺麗だ……よく似合っているよ、そのウエディングドレス」

「思った以上だ……」と感嘆のため息をつくドラルクに気恥ずかしさがぶり返してくる。
「ドレスを選ぶ時にも、仮縫いの時にも、おまえもさんざん見たじゃないか……なにを今さら……」

「というか、おまえだって今日の主役だろう?」と照れ隠しに上目遣いで軽く睨んでみせても、ドラルクのとろけた微笑みは変わらない。
「本当に……本当に綺麗だ……ありがとう、ヒナイチくん……私を選んでくれて、ありがとう」
「……こちらこそ。私を選んでくれてありがとう、ドラルク」
 ドレスの裾を踏まないように気をつけながらドラルクへと一歩踏み出せば、彼のほうも心得たもので、あっという間に私の体は彼の細長い腕の中に収められた。
「あ……ドレス、皺になっちゃったらどうしよう」
「これぐらいなら大丈夫でしょ」
「そうかな」

「大丈夫、大丈夫」と気軽に笑う、私を優しく閉じこめる腕の主を見あげれば、初めて出会った時よりもわずかながら近くなった距離で、あかい瞳が幸せそうに細められていた。

 ――十年。
 自分で言うのもなんだが、この十年で私は身長ものびたし――残念ながら、胸だけはまったく成長してくれなかったけれど……――見た目も中身もずいぶん大人らしくなったと思う。
 ……少しは、この百九十歳近くも年上の愛しい吸血鬼に釣り合う女性になれただろうか?

 そんな不安が顔に出てしまっていたのだろう。ドラルクの温度の低い唇が、私の額に優しく落とされた。
「自信を持って、ヒナイチくん。きみは私の最高の伴侶だ」
「……うん」
 たったこれだけで、私の不安はするりとほどけて消えてしまうのだから、我ながら現金なものだと思う。
「ドラルク。愛してる」
「私も愛しているよ……ヒナイチくん」
 甘い声音とともに、ドラルクの細い指先が私の顎に添えられる。これからされることに密かに胸を高鳴らせながら、私は大人しく目を閉じた。

 お互いの熱い吐息が重なる――直前。



「ヒナイチー! 準備できたかー!」



 空気を読まない兄さんがノックもなしに部屋にのりこんできたので、無言で脛を蹴って追い出した。

「……」
「……」
「すまない、兄さんが……」
「いや、いいんだよ……誓いのキスは、神様の前まで取っておこう」
 再び真っ赤になった顔を両手でおおってうなだれる私を椅子に座りなおさせてくれながら、ドラルクは軽やかにそう言った。
 指の隙間から見遣れば、となりの椅子に腰をおろした彼と目が合い、少し眉尻をさげた笑顔でウインクを投げられる。その頬はほんのりと赤みを帯びていた。さすがのドラルクも、未遂とはいえプライベートなキスシーンをこれから義兄あにになる相手に目撃されたというのは、多少なりとも恥ずかしかったようだ。

 少しの間、ふたりとも無言で自分の顔を手で扇いで熱を逃がしていたが、部屋の時計にちらりと視線をやったドラルクが、名残惜しそうにため息をついて立ちあがった。
「そろそろ、かわいいお迎えが来る頃だ……あぁ、ほら」
 ドラルクの言葉どおり、部屋の扉が小さくノックされ、主人を呼ぶ愛らしいアルマジロの声がする。
「ヌヌヌヌヌヌー」
「はいはい。今行くよ、ジョン」
 ジョンに返事をしたドラルクは、身をかがめて素早く私の頬にキスを落としてから扉へと向かう。
「……っ!?」
「それじゃあ、ひと足先に神様の前で待っているよ、私のかわいい花嫁さん」
 不意打ちに固まってしまった私に、にやにやと笑いながらそう告げて、悪戯好きな花婿は部屋をあとにした。

「ま、まったく……ドラルクのやつ……」
 せっかく落ちつきかけていた熱がぶり返し、私はまたしばらく手で顔を扇ぎ続けるはめになった。

 そうこうしていると、また部屋の扉がノックされた。
「――花嫁様。そろそろご準備をお願いします」
「はい。今行きます」
 式場スタッフの女性とともに自身の結婚式会場へと向かえば、バージンロードでのエスコート役である兄さんが入り口で待っていてくれた。脛へのダメージからは無事回復できたらしい。
「さっきは邪魔して悪かったな。――さぁ、行こうぜ、花嫁さん」
「……うん」
 差し出された兄さんの腕を取り、花婿の待つ神の御前へと向かうべく扉の前に立つ。
 深呼吸をひとつしたところで、扉の向こうから司会者――ロナルドと半田の友人である、週刊バンパイアハンターの記者だ――の声が聞こえてきた。

「――それでは、花嫁の入場です!」

 観音開きの扉がゆっくりと開く。われんばかりの拍手に迎えられ、私は兄さんとともに一歩踏み出した。
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