鬼さんどちら
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多軌は走っていた。
額に傷のある妖をあの陣へと誘い出すために。自分には妖を視る力はない。倒すには、あの陣を使うしか方法がないのだ。これで倒せなかったら……と嫌な想像が頭を過ぎる。直ぐに頭を振り、その想像を掻き消した。ここで倒さなければ自分が名を呼んでしまった人々が喰い殺されてしまう。その中のひとり─夏目の胸に刻まれた文字は【参】。これは三番目に喰われるという意味だ。【参】は夏目。【弐】はニャンコ先生。そして肝心の【壱】は誰か分かっていない。ニャンコ先生のように無意識に名を呼んでしまったと多軌は後悔の渦に呑み込まれていた。それを励ましてくれた夏目や、力を貸してくれるニャンコ先生、そして何より名を呼んでしまった人々のために倒さなければ、いけないのだ。
「くはっ」
陣におびき寄せることには成功したが、多軌は妖の大きな足に踏みつけられ身動きが取れなくなっていた。息は乱れ、呼吸が上手くできない。身体を圧迫されて胸は酸素を求め、骨は嫌な音を立てている。意識が朦朧としつつも妖を逃がしてたまるかと右手を伸ばし、震えながらも妖の下駄の鼻緒を掴んだ。そして心で夏目の名を呼ぶ。助けて、と。
「──女の子相手に随分と乱暴だね」
そして返ってきたのは聞き覚えのない穏やかで柔らかい声。しかし次に聞こえてきたのはオラア! という激情に駆られた声と妖の悲鳴。ぶしゅ……という何かが弾け飛ぶような、水が破裂したようなそんな音も多軌の耳に届いた。同時に胸の圧迫感が消え、酸素を欲するために喉がヒクリと振動し、その後勢いよく咳き込んだ。
「おいおい……血がかかったぞ。大丈夫かねーちゃん」
「え、ええ……ありがーげほッ」
まだ視界が安定しない。そんな中で耳に届くのは先程の穏やかで柔らかい声と激情に駆られたような声の持ち主とは別の声だった。まだ声変わりをしていないかのように高く、小学生……? と多軌が虚ろになる意識で考えていると背中に手が回り、多軌を抱えて起き上がらせる。その回った手は、子どものように小さかった。
「もうこんな事するなよ。妖にヒトの理なんか通じないぞ」
僅かにだが怒ったような声で、しかし子どもの声色だからかどちらかというと拗ねているように多軌には聞こえた。そしてその後続いた「ヒトは弱いんだからさ」という言葉に多軌は自分の心が温かくなるのが分かった。場違いに亡くなった祖父を思い出す。妖を見たがっていた祖父。その祖父の意志の継ぐかのように陣を使って妖の姿をこの目で見ようとした。そのせいで、祟りを受けてしまった。妖の理不尽さと非道な心を知ってしまった。──祖父が見たがっていたモノはこれだったのかと、心のなにかが消えていく気がした。
「(……でも、違った)」
だって、この声の持ち主はこんなにも優しい。多軌の身を案じ、叱ってくれる。多軌を支える小さな手は温かい。冷たく非道なだけではない、優しい妖もいる。
「………ありがとう、」
──優しい妖怪さん
うっすら見えた優しい妖は、まだ幼い少年の姿をしていた。