鬼さんどちら
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父の仕事に連れて行ってもらったときのことだ
病気のときや出張のときは決まって叔母の旅館へ預けられる。しかしその時は夏休みだったことと、出張スケジュールに余裕があったらしく「要も一緒に行こうか」と言ってくれたのだ。幼かった自分はそれが嬉しくて出発の日に丸がついたカレンダーを何度も見たものだ。
しかし先方の都合か何かで父と過ごした時間は少なかった。嘘つきだとうらむ気持ちとそれ以上の寂しさがあった。だが温和な父が本当に申し訳なく謝る姿が心に引っかかって、結局何も言わずに我慢した。仕事なのだからと。
出先に泊まっている宿に友人などいるはずもなく、ほとんど部屋にこもって宿題をしたりテレビを観たりしていた。そんな時間が続いていたある日のこと。
「おまえ一人なのか?」
突然かけられた声に肩を揺らして振り返る。部屋の外、庭を挟んだ塀の先に少年がいた。顔だけ覗かせるようにこっちを見ている。びっくりして声が出ずに首を縦に動かす。すると少年はぱあと顔を輝かせた。
「オレも! オレもじいちゃん家に遊びに来たんだけどさ、何にもなくてずっと退屈してたんだ」
自分と似たような状態の少年に心を寄せるのは早かった。少年が活発な性格をしていたのも要因の一つだった。引っ込み思案な自分を明るい声で外に連れ出してくれるのだ。身体が弱かったので長い時間は遊べなかったが「じゃあまた明日な!」と嬉しそうに手を振ってくれるので、あまり気落ちすることなく少年と遊ぶことが出来た。父も遊び相手がいると聞いてほっとしたように笑ってくれ、仄かに残っていたわだかまりは消えていった。
「それはよかった。だけど外でばかり遊んでいるようだけど体調の方は、」
「大丈夫! あの子も気づかってくれてて、きつくなったらすぐに宿に帰ってるから」
そう言うと父は「優しい子なんだね。今度ここで一緒にご飯でも食べようか」といってくれた。それが嬉しくて次の日すぐに少年にその事を伝えたのだが、
「ええ! いいよぉ。オレお宿って苦手だし、外で遊ぶほうが好きだし」
にべもなく断られてしまった。少年が宿の中に入ってきたことが一度もないことにそのとき気づいた。現に今も最初に会ったときと同じ、塀の外から話をしている。残念な気持ちもあったが、嫌なら仕方ないと切り替えて、外に向かうことにした。庭を通るわけにもいかないので、部屋を出て宿の玄関まで足を進める。
「はい、──様ですね。お待ちしておりました」
そこには新しく来た客の姿があった。老人と自分と同じくらいか、それより年下の少女だった。夏場なのに二人とも着物を着ていて、それがやけに目に入る。父の仕事柄、着物が珍しいというわけでもなかったのに何故かじっと見つめてしまった。すると視線に気づいた老人がこちらに顔を向けた。
「なにか用かい。坊主」
耳に真っ直ぐ入ってくるような声だった。声が大きいわけでも威圧しているわけでもないのに、意識を一気に奪われるような感覚になった。力無く首を横に降ると、老人は特に気にした様子もなく「そうかい。しばらく此方に世話になることになったから、仲良くしてやっておくれよ」と言って、後ろにいた少女の頭に手を乗せた。
「おしさ、……おじいちゃん。おもい」
「爺の手くらいで文句言いなさんな」
そのままぐしゃりと手を動かした老人に「加州に髪の毛してもらったのに」と少女は頬を膨らませる。
「あとでしてもらいなさい。……ほらそういっている」
「これ二度手間っていうのよ」
「こんまい癖に生意気いうねェ」
からりと笑う老人に少女は余計に機嫌を損ねたようだった。女の子と遊ぶことなんて殆どないため、老人の言葉通りに出来るか不安が過った。が、結果として、自分とこの少女が遊ぶことは一度もなかった。
そして、外で待っている少年ともこの日が最後となったのだ。
****
ぱちりと目を開ける。薄暗く見える天井にしばらく感覚が戻らなかった。
「この寝坊助め」
明らかに機嫌を損ねている同級生がぐいっと顔を近づけてきてやっと意識が戻った。はじめて見る表情に状況が掴みきれずにいたが、うっすら聞こえる台詞染みた声が耳まで届いて、やっと状況を理解した。
「…………いつから寝てたんだ?」
「劇が始まる前。で、今はクライマックスです」
「……すみませんでした」
「よろしい」
ふん、と鼻を鳴らした同級生に再び謝罪をする。自分が寝ていたということは目の前の同級生は一人で役割をこなしたことになる。
「本当にすまなかった……」
「もういいよ。他の子に手伝ってもらったから」
「その人にもちゃんと謝らないといけないな……」
「それはもういいって言ってる、言ってたから大丈夫だよ」
僅かに言い直した台詞に疑問は持つ余裕もなく、伺うように同級生─名字を見つめる。
「……ふふっ」
すると名字は口元を押さえて笑みを零した。
「……何が面白かったんだ?」
「いやっふ、ふふ、ごめんね。ちょっと昔のこと思い出して」
声を押さえつつもころころ笑いながら続ける。
「昔会った男の子も今の田沼くんみたいな顔で私たちを見てたから、懐かしくて」
このくらいの子、と胸の下辺りを指す名字に複雑な思いが湧く。そして同じく同級生である北本に小学生だった名字と似ていると例えられたことを思い出す。……そんなにおれは頼りないのだろうか。さすがに小学生くらい子と例えられるのは……そうわずかに落ち込む田沼をよそに名字は笑い続けた。