鬼さんどちら
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やはり主は演者はやらないようだ
兄弟達のがっかりした顔が頭に浮かぶ。劇は外つ国のもので聞き馴染みのないものだった。登校時にどんな話か訊ねたところ「だいたい死ぬ」と大らかな説明を受けた。それは嫌だなと思ったまま口にすると「私は劇には出ないよ」と苦笑まじりに返ってきた。自分がどのような顔をしていたか分からなかったが、主はこちらを安心させるような柔らかい表情をしていたので、ざわめきをみせていた胸がスッとおさまった。大丈夫だよと言われた気がした。
「裏方いいなあ。私受付だから当日の劇観れないよ」
「日頃の行いだね」
「もう一回いってみせてくださーい」
「日頃の……」
そこで言葉が途絶えた主にクラスメイトの少女は笑いの声を零す。骨喰の口元も緩やかに上がった。
骨喰には記憶がない。
他の刀達と違って自分を扱った主達もその生涯も何も憶えていない。同じ脇差の兄弟も似たような状態だったが抜け落ちた箇所は比較にならず、骨喰はその兄弟のことすら記憶になかった。その事を口にしたときの兄弟の顔は忘れられない。そしてその後の主の言葉も。
『覚えていないことは空っぽって意味じゃないよ。あなたはちゃんとそれを分かってる。だから私の呼びかけにおりてきてくれた』
何もないことはないんだよ、骨喰藤四郎。
顕現して三分で泣かされたと今となっては笑いぐさになっている。同じく泣かされた兄弟が吹聴していたのだから手に負えない。優しくて苦い思い出となった。それが嫌ではないのだから、ひとの身体というのは厄介だ。
ふわりと視界の端で桜が舞う。感情が漏れてしまった。顔を慌てて引き締め直したが、主にはばっちり目撃されていたらしく目元と口が穏やかに弧を描いていた。ああ、やはり厄介だ。再び心の中でそう呟く。
そのときだ。─ことん、と静かな音が耳に届いた。賑やかな教室で鮮明に響いたそれに警鐘が鳴る。視線をその対象にすぐさま向ける。手のひらに収まるくらいの小さな石だった。だが、石の表面にうっすらなにかが浮かんでいる。目を凝らしてみるとバチリと視線が合った。口は気味悪く歪んでいる。石には無理やり貼り付けたような顔があった。
「……主!」
「ん? どうしたの?」
「でっかいムシがいる」
「えっやだ」
「うん。追っ払ってくる」
骨喰の言葉はクラスメイトの少女の言葉と重なった。そのせいでまるで聞こえてないかのように席を立って足を進める審神者に焦燥感が生まれる。それと同時に背中から感じる苛立ちに伸ばそうとしていた手が止まってしまった。
「どした? 名字」
「ムシがいたの」
クラスメイトの少年の問いかけに落ちついた声色で返す審神者にそっと息が漏れた。もしここに兄がいたのなら躊躇せずに主の行動を止めたはずだ。「ご自分の立場をお考え下さい」と真っ直ぐ告げることが出来ただろう。もしくは同じ脇差の兄弟だったら「もー危ないでしょ!」と感情を露わにして言えたはずだ。自分もそのようにするべきだと思う。幸い今回の妖は力のないモノで、審神者の歯牙にも掛けない小物だった。だがそれらは結果論でしかない。家臣として主の危険に及ぶものは可能性からでも排除しなくてはいけない。
「……なんだそれ?」
「田沼くんエンガチョ知らないの !?」
「田沼おまえエンガチョ知らないのか!」
「あ、ああ……」
「エンガチョ知らない人がいるなんて……」
「都会か? 都会育ちだからか?」
それでも、この穏やかな光景を守りたいと思っている審神者の気持ちを、優先させてやりたいと思ってしまった。この箱庭のような狭くて脆い空間をどれだけ愛おしく思っているか知っている。繋がりを大事にしたいと願っているのを知っている。この箱庭は骨喰にとっての本丸だ。強固な塀に囲まれたそれとは違って、内外から攻撃を受ける脆いものだ。だからこそ、部外者からの妨害など不愉快に決まっている。だから手が止まってしまった。
「…………」
抜け欠けた中身がどんどん埋まっていく。最初は自分の大切だと感じたものだけで良かった。それを守ればいいと思っていた。それなのに今は大切なものの、大事なものにも目がいくようになってしまった。全てに手が届くわけではないのに。
こんなにも厄介な感情を、尊く覚えるのはなぜだろうか。
骨喰は自分にそう問いかけて、柔らかい賑わいをみせる箱庭にそっと目を閉ざした。