鬼さんどちら
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ショーケースに並ぶ和菓子を見つめる
茶請け用の菓子と皆で食べるお八つを買ってくるのは自分の役目であった。屋敷から出て買い物に行くときは人に視えるように力を込めなければならない。だが決して目立ってはいけない。人の身を得たとしても自分は刀で妖怪だ。人の世に大きく干渉すべきではない。そのため出掛けるときは主に周りからの意識が外れる術をかけてもらう。そこにいるけど気付けない、気付いても直ぐに意識が逸れるという術だ。足繁く通っている店にも関わらず、何年経とうが見目が変わらない自分を店主が気にも止めていないのはこういう事である。
人に気づかれない事に甘え、数十分とショーケースの前へ足を止める。今日の目的の菓子は既に決めてある。一箱20個入りの紅葉を象った饅頭だ。それを五箱。重さはどうってことはないが、如何せんこの姿では多くは持てない。青年の身体を持つ刀と違い、手が小さい上に短い。多くの荷物を運ぶには適さない身体だ。そのためもう一振り、買い物に来たモノがいたのだが「菓子に合う茶も必要だろう。平野、少し時間を潰しておいてくれ」と先ほどふらりと店から出て行った。お気に入りの茶屋が複数ある彼のことだ。しばらく帰ってこないだろう。それはそれでゆっくりと決断出来るので助かるのだが。
「………」
主はどの菓子を好まれるでしょうか。
そう考え始めて数十分。未だに決まる気配がなかった。
最初は水羊羹だった。今日のように菓子を買い求めてこの店にやって来て、ふと視界に入ったのは涼やかに泳ぐ金魚を模した菓子。息を漏らすほどに繊細で優美な造りのそれを主君に見せたいと思うのは平野にとって当然の事だった。
『わあ……金魚が泳いでる……』
こっそり買った小さな金魚を両手に乗せ、目を輝かせる主に胸の奥がほんのり温かくなった。刀なのに大丈夫だろうか、と一瞬だけ不安になったが主の顔を見たらそんな不安は直ぐに消えた。それから、こうやって主に贈る土産に頭を悩ませるのが平野にとって密かな楽しみになった。
「体調でも悪いのか……?」
自分に投げかけられた言葉だと気付くのに時間がかかった。窺うような小さな声だった上に、この状態で話し掛けられたのは初めてだったからだ。顔を上げると視線が綺麗に交わった。その事に目を瞬かせていると「ずっと座り込んでいたから気になって、」と少年は言葉を続けた。
「え、っと……お気遣い、ありがとうございます。体調に問題はありません」
「そう、か。それならよかった」
平野の言葉が固かったからか少年の反応も硬い。それでもほっとしたような顔をしていたので、善意から声をかけてくれたのだと分かった。
もう少し気の利いた言葉を返せばよかったと心の内で後悔しつつ、相手を様子を窺う。線の細くどこか儚さを持つ少年だった。術のかかった自分に気付いたところをみるに、力が強いらしい。年は主と同じくらいだろうか、と考えたところで「あのっ」と声をかけた。
「つかぬ事をお聞きしますが、女性に喜ばれる菓子をご存知でしょうか」
「えっ」
少年は素っ頓狂な声を上げた。その反応にまたしても対応を間違えたと後悔する。ヒトとの会話は難しい。主とは何も考えずとも、伝えたい言葉が自然と生まれるのに。そう心から思っていると「おれもあまり詳しくないが……」と恐る恐るといった風に少年が口を開いた。
「栗の餡が入った……ああこれだ。これを美味しいといって食べていたよ」
少年の表情と主の表情が重なった。
柔らかく目元を緩ませ瞳の中に愛しいものを想い浮かべる。目の前にその存在がなくとも、ヒトはこのような顔をする。愛しいと、愛しているのだと目で伝えてくるのだ。
じわりと胸が温かくなった。少年の気持ちが移ったようだった。ああ、早く屋敷に帰りたい。帰って、この表情を見たい。この少年のような優しい瞳で「おかえり」と言ってほしい。
刀で妖怪であるというのにどんどんヒトの気持ちに染まっていってしまう。平野はそれが恐ろしくもあり、幸せでもあった。
「では、こちらを購入します」
平野がそう言うと「あっでも気に入ってもらえるかは分からないぞ……?」と不安げな顔になった。先ほどとは正反対の表情にクスリと笑みが出た。
「大丈夫です。きっと気に入られると思います」
「これ美味しい! 平野も食べようよ」と幸せそうに笑う姿が簡単に頭に浮かんだ。平野の深くなっていく笑みに少年は不安げな顔を消し「そうか」と短く返す。
「そうだったらいいな」
少年はそういって柔らかく笑った。