鬼さんどちら
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数学の時間だった。
黒板に書かれた公式を写し、頭を熱くさせながらノートに答えを書きなぐっていると、ふと頭の中で鈴の音が響いた。
「おお、このクラスは数学の時間か」
昼過ぎには頭が働かず辛いらしいな、と一番前の席の生徒に話しかける男。しかしその生徒は一切反応することなく頭を抱えながらシャーペンを動かしている。男はその様子を目を柔らかく細め、ただ見ていた。
「うんうん。俺の主もそうやって唸りながら数学をやっているぞ。苦手科目だそうだ」
楽しそうにひとり言葉を紡ぐ男の風貌は変わっていた。絹糸のような細い白髪に室内でも輝いてみえる金の瞳。フードのような物のついたこれまた真っ白な着物。首には鎖。温かいを通り越して暑い季節に黒の手袋。繊細な風貌と相反するような豪胆な動作と口調。何もかも違和感しかなかったが、何よりも夏目の背筋をゾッとさせたのは左腰に納まる白い刀だった。
──妖
周りの反応を確かめる必要すらなかった。どうするか、どうすべきか先ほどとは別の意味で頭を回転させる。背筋に嫌な汗が流れた。……のだが、
「やはり難しいな数学とやらは。簡単な算術くらいは教えられたのだがこれはさっぱりだ。楽しかったんだがなぁ……主に勉学を教えるのは」
「きみはいいなあ数学の先生。俺が主に算術を教えられたのは主が小学生のときまでだ。古文や歴史は俺たちの影響か、すこぶる得意で教える暇もない」
「今、主は体育の授業中なんだが俺がいると気が散るといって追い出されたんだ。仮にも護衛に対して酷いとは思わないかい?」
生徒が問題を解き終わるのを教卓の椅子に座って待つ教師に世間話をするかのように話す白髪の男。あまりにも楽しげに手振りを加えて話すものだから一瞬、二人で会話をしているかのような錯覚を覚えた。教師の方は男が見えていないはずなのに。
「あ、こら。きみは何をしているんだ。今は勉学の時間だろう。学ぶ機会を自分から逃すのは頂けないな」
「今時の女子はこのような面妖な人形を好むのか……主の部屋にあるのはてでぃべあだけだから失念していたな。今度贈ってみようか」
「今日は日差しが強いから窓際で寝ていると熱中症になってしまうぞ。昼過ぎだから気持ちは分かるがな」
男は教師だけでは物足りなかったのか教室を徘徊し始めた。教科書で隠して漫画を読んでいる生徒、派手で奇抜な色のマスコットを鞄につけた女生徒、窓際でウトウトし始めた生徒。あらゆる生徒に言葉を交わしていた。やはり、男は楽しそうだ。聞こえていないのに。
「……ん?」
「っ、」
しまった
男とバチリと目が合った夏目は心でそう呟いた。そしてすぐに後悔した。どんなに男が人に対して好意的に見えたとしても、妖は妖だ。いつ気が変わるか分からない。身を持って知っていたのに、莫迦なことをした。
目を爛々とさせて夏目の席まで足を進める白髪の妖。自分の顔色が悪くなっていくのが分かる。指先に力を入れ、席を立ってその場から離れようとしたときだった。
「──すまない。怖がらせたようだ」
妖は夏目の席から一メートルほど離れた所で足を止め、両手を顔の高さほどに上げた。
「主と同じ年頃でここまではっきりと俺を視れる者が珍しくてな。ついはしゃいでしまった。すまない」
苦笑いしながらゆっくり後ずさる白髪の妖。夏目を刺激しないように、これ以上怖がらせないようにといったあたたかい思いやりを感じた。思わず「あ……」と声を漏らす夏目だったが、夏目の様子を見た白髪の妖はシッと人差し指を口元にやり、悪戯っ子のようににんまりと口角を上げた。
「おっと、視える相手ならば一方的に話すことはしたくない。またの機会にな、人の子よ」
──次に逢うときは、俺の主を紹介しよう。
そう言ってチリンと鈴の音をたてて消えていった白髪の妖。柔らかい風が吹き、夏目の頭を優しく撫でていったような気がした。